2021年9月20日

終了した「生誕90年 岩野勇三彫刻展」、最も気に入った「なほ」。

2021年9月20日(月曜日)

上越市の小林古径記念美術館で開催されていた「生誕90年 岩野勇三彫刻展」が本日終了した。
会期途中入院してしまい、終了間ぢかの一昨日と本日、二度観に行った。

 

「母」 1958年。
上越市大島区生まれの岩野勇三。
母は、芸術家を目指して上京した息子がどんなに心配だったことだろう。

 

「伊豆の女」 1976年(手前)、「あさこ」 1980年(向こう)。
作者のしっかりした眼と手によって命が生き続ける。

 

 

「待合室」 1968年。
駅の待合室であろうか、ふる里ならではの情景。
雪国のかくまきは髙田公園の「おまんた」や、
小田嶽夫著「高陽草子」の挿絵でも印象的。

 

「良寛」 1969年。
モダンな会場でいささか戸惑っている風の良寛さん。

私が一番気に入った作品は、展示場の奥にあった「なほ」(1983年)だった。この作品は撮影が禁じられていた。
以下は二番目に気に入った「なかま」です。

 

亡くなる前年の作品「なかま」。タイトルは人の名前だろうか。
他の作品の緊張と平衡の中で、背後からの眺めがゆったりして良かった。
ここだけ南国的なのどかさが漂っていた。
左向こうは翌年の絶作「牧歌(エスキース)」。

 

図録「岩野勇三彫刻展」
56才で夭折した絶作「牧歌」(1987年)が表紙を飾っている。
肺がんの末期は苦しい。
そのなかでかろうじて到達したエスキース(完成前の構想作品)。
驚くべき制作意欲。

当展には63ページからなる展覧会図録が販売されていた。
展覧会の計画と構想、作品依頼、神経を使う梱包、搬送、開梱。さらにあらゆる角度で鑑賞される彫刻ならではの展示と照明作業。開催は大変なことだったろう。
そのように忙しい過程で制作された図録だが、十分な体裁と内容が整えられ、作品同様の畏怖を禁じ得ない。

解説文などから、自然の観察こそ制作のみなもと、と述べている岩野勇三。身体、とくに裸に命の歴史と美を見出し、雪国の人に相応しい真摯さと喜びで制作されている。
そんな氏から、現代をどう観れば良いのか、一種示唆を受けたような、ほっとした安心を得た。

最後ですが、やはり「なほ」です。

全体と細部(色彩や手跡)まで気に入り感嘆した堂々たる「なほ」。
第17回中原悌二郎賞の受賞作品であり、作者の自信が溢れている。
図録に写真がありましたので、申し分けありませんが、
ページを見開いて撮り、掲載しました。
実作品にはブロンズらしい一段とヴィヴィッドな輝きがありました。

●新型コロナの拡大を懸念して、9月6日から臨時休館していました樹下美術館。
昨日9月19日から開館いたしました。
報告が遅くなりましたが、秋のひととき、どうか樹下美術館でお過ごしください。

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