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週末の上京 イタリアン 永遠の都ローマ展 ピエタに涙。

2023年11月13日(月曜日)

先週末土曜日、上京し毎年集う同級生三組の夫婦による食事会に行った。年末が近づくとK夫婦と始めた食事会は間もなくN夫婦が加わり30回近く毎年続いている。昨年Nが亡くなったので昨年に続いて夫人が参加して5人の会食だった。

東京都心は来るたびに変わっているように感じられ、東京駅周辺は数年でさらにビルが林立し空が狭くなる。見るとビルとビルの間に新たな工事が進んでいるので、今後さらに建物のボリュームは大きくなり空は小さくなるにちがいない。

6時からの食事はKが選んだイタリアン。3時間近くも今昔を話し、N夫人に柔らかさが生まれていた。ホテルに帰ると深夜までラウンジで過ごした。アルコールを飲まなくなっているので食事時は水、ラウンジではノンアルのカクテルを飲んだ。

シェフが来て良く香るキノコなどの包み焼きを開いてくれる。氏はしばらく居てイタリア料理の状況などについて話してくれた(田舎あるいは家庭料理から今風の流行など)。

席のそばにあったフィギュア。

東京在住のN夫人と別れた後ホテルのラウンジで深夜まで時を惜しんだ。

ラウンジの眺め。
まるで巨大な光イベント。

翌日はお目当ての東京都美術館「永遠の都ローマ展」へ、。

展覧会パンフレット

撮影可能だった2点。
彫刻が多く会場の
ボリューム感は圧倒的。

以下同展の紹介分の一節です。

二千年を超える栄えある歴史と比類なき文化は、古代には最高神をまつる神殿がおかれ、現在はローマ市庁舎のあるカピトリーノの丘を中心に築かれました。その丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられます。同館のはじまりは、ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼります。
古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、またローマの名家からもたらされた絵画など、その多岐にわたる充実したコレクションは、古代ローマ帝国の栄光を礎に、ヨーロッパにおける政治、宗教、文化の中心地として発展したローマの歩みそのものにも重ねられます。
本展は、カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から古代の栄光、教皇たちの時代から近代まで、約70点の彫刻、絵画、版画等を通じて、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介します。

展覧会ではカピトリーノのヴィーナスに見られた上品な恥じらいは美しく、カエサル、コンスタンティヌス、アウグスティヌスなど歴史教科書で見た人物の突然でリアルな出現に戸惑った。古くはプトレマイオス王朝妃の像まであり、生き生きとした気品に魅了され人知れない作者のことを思った。

あまりに長大なローマの歴史は宗教の軋轢、民族の大移動、度重なる疫病、止まない紛争と戦争にひたすら揺さぶられる。その中で洗練された発想と熟練が必要な芸術がたゆみなく生み出され続ける。
同じ人間の出来事としてくらくらするような不思議を禁じ得なかった(他国、他民族からの尊崇という帝国に必要な要素があったにしても)。
彫刻が多く、館内一杯にあふれるヨーロッパの立体的なエッセンスに包まれると、次第に満足という気持になった。

上掲2点を遠くから。若い来館者さんがとても多い。都会の美術館で感じる事の一つに若い入場者の多さが挙げられる。彼らに混じると気持が高揚し楽しさが増す。当地でもそうあってほしいといつも願っている。

昼食は寿司を食べた。
食べながらK夫人が“かってフィレンツェでミケランジェロの「ピエタ」を見たが、その時のキリストに突然涙が出てきて止まらなくなった”と語った。

フィレンツェの「ピエタ」
ミケランジェによる四つのピエタの一つ。
(Kが送ってくれた写真から)

去る11月2日、美術作品を前に気を失う人のことを記し、10月22日には音楽会で涙を拭くスタッフのことを書いた。そして昨日はミケランジェロの作品に涙あふれたと話す人がいた。みな人間らしく素晴らしいことだと思う。

さて短くも長かった貴重な週末は十分に食べたので帰宅した夕食はカップヌードルで済ませた。
両日とも寒く本日月曜日は今期一番の寒さとなり、午後ミゾレが降り、燕温泉では積雪があった。

連休の事々。

2023年10月9日(月曜日)

晴れたり曇ったりの昨日と小雨の本日月曜日は連休だった。

昨日はひごろお世話になっているお二人と柏崎市は「石地シーサイドカントリークラブ」でゴルフをした。

初めての同コースは緑濃く起伏に富み難しい。誘って下さったA氏は同クラブのかっての選手。新潟県の選手権で何度もクラブチームを優勝に導かれている。

氏とは二回目だが、驚くほど飛ぶ。少し曲げても後のリカバリーが良く、同伴のB氏と終始目を丸くした。
各ホールの急所を説明しながら後半のアウトなどは38で回られた。同じゴルフでも私達とは次元が異なり、こちらは観客目線で楽しむというような感じだった。

変化に富み楽しかったコース。
54-50の成績でした。

本日月曜はスポーツの日の祝日。小林古径記念美術館で7月15日から行われていた「生誕110年 齋藤三郎展」が本日で終わる。
とてもお世話になっている小島正芳・日本良寛会会長さんがお見えになるので同展に行った。
ちなみに樹下美術館からも出展したこともあり三度目の訪館となった。

館長はじめスタッフ一同の努力によって充実した展覧会となり、本日も賑わっていた。発刊された図録も充実し、愛すべき一冊だった。
二代陶齋・齋藤尚明氏ご夫妻、宮崎俊英館長さん、コレクターの長瀬幸夫さんのお顔も見え、ひとしきり齋藤三郎を懐かしみ最終日を過ごした

尚明氏と小島先生が會津八一が揮毫した書き入れ陶器の皿を観ている。

一渡りした後美術館を辞して髙田駅まで小島先生をお送りした。道中先生の若き日、お勤めされた安塚の学校や、お住まいされた浦川原の話を興味深くお聴きした。

ところで樹下美術館は酷暑の真夏に比べ秋になり入館者さんが増えた。日中の外出を控えてと勧められるほど危険な暑さが続いたのだから仕方が無い。こうなると今後“芸術の秋”はますます鮮明になるかもしれない。

本日裏手の小さな水路が愛らしいミゾソバで被われていた。


みぞそばの陰にちろちろ水の音

 

 

行く秋を惜しんで花に取りつく蝶たち。何とは無しにその蝶と花を惜しんでいる自分。なぜだか「春秋」とは良く言ったものだとふと思った。

集まれば最年長。

2023年8月20日(日曜日)

台風7号は当地に数時間雨を降らせて北へと去った。去って三日目の本日赤倉で同業者のゴルフがあった。高齢なので一番前のティーから打つのだが52、49で7位賞をもらった。今年はこの辺が普通で毎年下手になっていくのがよく分かる。

本日は4組のコンペ参加者中、私が最年長だった。ゴルフに限らず人が集まると最年長という機会が増える。5,6年前までは上から二番三番程度で何一つ気にすることも無かったが、今日最年長であることはおよそ集まる前から気がつき、あまりいい気持がしない。

そんな自分もかつて仕事やゴルフで「若手」と呼ばれていた時代があった。そう遠い話ではなく、たかだか3,40年前の事だ。それが文字通り「いつしか」最年長の立場になっている。早いか遅いか聞かれればやはり「早い」である。

若手と呼ばれていた頃同業のゴルフ会の幹事を二年間やった。今ほぼ4組の参加者だが当時は6~8組、多いときには10組集まった。40人である。
その時年配の先生方には気を使った。特に最高齢の数人の方々の参加の可否は気になり、一人でも多く参加されると安心し喜んだ。

いまコンペはなるべく休まず参加しているが、皆さんは私をどう思っているのだろう。プレイ中や表彰式などで特に気を使われている風もなく、何と言うべきか、それが有り難いと感じている次第です。

8時過ぎの駐車場と妙高山。

赤倉の日陰と風は涼しく、午後のいっとき雷が鳴りパラパラと雨が降った。

帰宅後の夕刻芝生に撒水した、終わって関田山脈に大きな積乱雲が湧くのを見た。

遠いかなとこ雲と
右に発達中の積乱雲。

その積乱雲の雄大な全容。

台風一過後も変わり無く暑さが続く模様。

すっきりしたpcの裏側 何とかなるか「秋の畑」。

2023年5月30日(火曜日)

PC机の裏側は何十の配線といくつものルーター類が絡むように込みいったままだったのを本日(株)信越情報から担当のお二人見え、新たな専用デスクを中心にきれいにまとめて頂いた。

見違えるほどすっきりし、
何かあれば作業が楽になりそう。

夜は「秋の畑」の絵に取り組んだ。

今月初めの頃の練習昨。

本日の絵。

全体を秋の色調にし、自転車を止めた。この先手前の畑に手を入れ、真ん中で威張っているセイタカアワダチソウを左へ移動させ。場合により左の柿の木をもっと奥に移すか、あるいは消す事もあろう。油絵は乾かして上塗りすれば、そのような事が出来るため何とか絵らしくなりそうな感じ。

衣服も高騰 周辺の水田 辺りに雛鳥 人間は痛々しいほど鍛えるものが多い。

2023年5月18日(木曜日)

何年振りか人前でジャケットを着なければならなくなった。一昨年7月心筋梗塞を発症して以来6キロは痩せたため服が無い。本日新潟市のデパートへ走って求めた。フロアを回りながらいずれの品も高騰していることに驚いた。自分に丁度良いものが1着だけあり、一時間半かけて来た甲斐があったのか。

昨日から突然気温が上り、二日続きで最高30,4℃(髙田)を記録した。今後再び平年並みに戻るようだが何が原因だったのだろう。
夏場に40度越えが何日もあるような災害レベルだけは勘弁してもらいたい。

樹下美術館裏手の田は水が入り田植えが終わた所も多い。

田んぼから見た樹下美術館。

田植えが終わった水田。

間もなくツバメの雛、若鳥たちも田を飛び交うのであろう。急上昇して素早く餌を与える給餌は曲芸のようだ。

また早くも巣立ったばかりの雀の雛が、辺りで朝から晩までジュッ、ジュッ、ジュッ、ジュッ!と大声で餌をねだっている。叫ぶように鳴きながら親鳥に移動させられ、生命線の「翼」と「声」が鍛えられる。

一方人間は生涯鍛えなくてはならなものが余りに多い。わずかひと世代で山ほど新たな課題が付加され、近時頭脳と精神に於いては痛々しいばかりである。

忙しかった連休。

2023年5月7日(日曜日)

シトシト雨が降り肌寒かった日曜日、本日で連休が終わる。暦どおりの休みの間、絵筆を執り3回ゴルフに行き、親族と食事し、2回夜間と緊急の往診をし、施設入所者の電話相談があるなど忙しかった。色々とあったせいで長々と感じられる連休だった。

雨にけぶる近隣の道。

本日午前絵を描く暇が取れ、午後美術館に顔を出した。お元気なSさん親子と久し振りにお会いし気楽な話をした。
本日もまた忙しく、美術館の後電気屋さんで修理が終わったプリンタを受け取り、百均で使い捨てパレット、爪ブラシなどを買い、ゴルフショップでクラブのカットとグリップ交換をお願いし、紛失したヘッドカバーなどを購入した。

夕刻再び絵筆を執り、「菊」の絵に手を入れ、練作を終えた「秋の畑」2枚の薄塗りをし、連休終了を迎えた。

話変わって、以下はそんな休み中の主な拙食卓からです。

アサリ豆腐。

弟が宮城で飼育する豚肉のソテー。

親子丼。

モヤシとシソの料理。

ハイカロリーのようですが、朝は軽く、昼食を食べませんので体重は49キロ台、BMI19台を何とか維持している所です。

拙写真展が来月中旬から始まり、その一ヶ月後に絵画展。楽しみとはいえ真剣勝負に不安と緊張を覚えます。

連休中の事々。

2023年5月5日(金曜日)

昨日は美術館スタッフのご主人と庭のスタッフと米山水源で、本日は友人ご夫婦と赤倉で二日続きのゴルフをした.。生まれて初めての連日ゴルフで疲れを心配したが無事に回った。

本日の赤倉のコース。
妙高山と新緑が素晴らしい。

昨日ご一緒したスタッフのご主人は初めてお会いする方。文句のないシングルプレーヤーで、久し振りに紳士という人を見た気がした。本日のご夫婦には日頃赤倉を誘って頂き、これまた良くこなれたお二人。楽しい2日間をご一緒でき有り難うございました。

お陰様で今年の美術館の連休は例年よりやや多く来館して頂いている様子。
一昨日の留守中、大阪から7時間掛けて当館を目指して下さった女性、同じく大阪からのご夫婦がお見えになったと知らされた。わざわざの訳は、お一人の方が拙ブログからどうしても樹下美術館を観たかったということ、一方ご夫婦は当館のベーグルサンドを食べたかったと仰ったという。
遠くからお運び頂き、本当に喜んでいます。展示やカフェは如何だったでしょうか。留守を致しましてまことに申し分けありませんでした。

様々にご来館いただいている皆さまには心から有り難く思っています。今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。

ところで連休中来館した親族のピアノ教師は展示の以下の食器を観て“ショパンの生きていた時代だね”と話したと聞いた。

奥:1800年頃のベルリンKPM(ドイツ)、手前:1820年頃のコールポート(イギリス)。ショパン(1810年~1834年)もこのような器でお茶を飲んだのでしょうか。きれいな指だったにちがいありません。

文房具と初めての百均。

2023年4月24日(月曜日)

先週末使用しているプリンターの青が出なくなっていることが分かり、自分ではどうしようもないため購入店に持ち込んだ。
修理部で色々やって頂いている間、店員さんに“近くにペン立てと小さめのスケッチブックなどがある店はないか“と訊いてみた。するとお隣の本屋さんんにあるかもしれません、という返事。

なるほどお隣にはノートや筆記用具が沢山あったが、スケッチブックのサイズで欲しいものがなかった。すると店員さんがお隣の百均さんに行ってみては、と紹介してもらった。

ダイソーと言う店だったが、スケッチブックは色々あり、お陰様で初めて百均という店を見ることが出来た。
今まで文房具なら大型のスーパーを使っていたが、百均の店のきれいさ、品物の多さ、探しやすさにびっくりした。
昨日カフェのお客様に話すと、「えーっ、百均はじめてですかー」と言われた。

かって往診先で珍しい物や気が利いていると思う品を見た時、どこで買いましたと訊くことがあった。
「うちは何でも百均なんです」と笑って答えられるこがあった。この先私も用事があったらまず行ってみよう、と思った。

コロナが始まって3年間、カフェでお客様に自由に書いてもらっていたノートをみな引っ込めていた。書かれていた感想やメモ及びイラストを見るのはとても楽しみだった。

今年から再びノートを置きましたので、今までのように色々お書き(お描き)頂ければ有り難い、と思っています。

明日時間があればもう一回百均へ行き少し買い足したいと思っているところです。

スケッチブックと鉛筆立て
車のゴミ入れも買いました。

※若干の追加です:プリンターは店では直らず結局メーカー送りになりました。

父のバイオリンケースと1枚の譜面 「あさね」の歌。

2023年4月5日(水曜日)

3月に続き今月も良い天気に恵まれている。雨が少ないので芝生や湿り気を欲しがるクリスマスローズに水やりが欠かせない。
陽気で言えば春眠暁を覚えずの候となり、特に休日は目覚ましのメロディー「母が教え給ひし歌」が良く、しばしば寝過ごす。

かって中高時代、押し入れに古びたバイオリンケースがあり、おんぼろな弓と弦が足りない楽器が入っていた。父の学生時代のものと聞く楽器を出しては時折キーキー鳴らしてみた。

いつしか処分されてしまったケースには歌詞付きの譜面が1枚入っていた。歌詞から朝寝坊を歌った曲のようで、ピアノで旋律を弾いてみると面白い曲だと思った。

後年、題名、歌詞ともがウロ覚えになってしまった歌を何度か検索したが見つからなかった。ところが数日前、歌詞の冒頭を頼りにサイト検索すると「あさね」という歌がヒットし、YouTubeに一つだけ出ていた。

「とろろん とろろん」の出だしと懐かしいメロディーは、まさにバイオリンケースにあった譜面の歌だった。


「あさね」
松原至大作詞・弘田龍太郎作曲

とろろん とろろん 鳥がなく
ねんねの森から 目がさめた
さめるにゃ さめたが まだねむい

とろろん とろろん 鳥がなく
とりのなく声きくほどに
私の お目めが まだねむい

舌をきられた 雀(すずめ)なら
ちゅうっちゅ ちゅうっちゅとなくけれど
とろろん 小鳥はなんの鳥

ごはんはたべたし まだねむし
学校(がっこにゃ 行(ゆ)きたし まだねむし
とろろん 小鳥がないている

ちなみに作曲の弘田龍太郎は「鯉のぼり」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」「春よ来い」「靴が鳴る」など馴染みの歌の作曲者だった。

歌詞の“学校”は大学あるいは会社や仕事でも良いと感じられ、大人の歌としても面白いと思った。

以前書いたとおり、12人(生まれたのは13人)の子がいる医家の家計は苦しく、大学に進学したのは父一人だった。それも私学(慶応)なら苦学は免れない。

寒い夜は新聞紙を布団に入れ込んで寝たという貧乏学生のオンボロバイオリン。ケースにあった譜面が「あさね」でほっとする。

お陰様で父の享年を三つ上回り、何とか仕事も続けている。
日頃の仕事場で皆さまに「長生きや良い事は親のお陰」と分かったような事を言っている。今夜は「あさね」の歌を脳裡に浮かべ父に感謝しながら眠ろうと思う。

明日鳴るスマホの目ざめましメロディーが「母が教え給ひし歌」とは。

新潟市の茶道裏千家(今日庵)支部総会に参加した。

2023年3月19日(日曜日)

.本日新潟市で今日庵(茶道裏千家の一般社団組織)の新潟支部総会があった。亡き渡辺宗好先生の門をくぐって一応36年が経った。先輩諸先生に比すれば自分の歴などたかだか中学生のようなものであろう。

それが、今度の総会で表彰されるから是非出席してと長年上越市は有沢宗香先生の許で裏千家を稽古している妻から勧められた。既に稽古通いも止めているのに表彰とは?と思いつつ恐る恐る参加した。

竹石松次さんが会長をされている新潟支部は會津八一を初代として発足、一昨年70周年を迎えている。竹石さんとは今日庵(こんにちあん)の新潟県数寄者の会でご一緒し、樹下美術館のお茶会にもお顔を出して頂いたことがあった。

さて、新潟市へハンドルを握るだけで緊張する昨今、盛大な会への参加、あまつさえ表彰もあるというので特にしくじり厳禁、ゆっくり運転したのだが、開会予定の午後1時30分より一時間も早く到着した。

同会にちなんで朝から呈茶があり、宗香ご一門が昨日から泊まり込みで濃茶の席持ちを担当されている。総会後、お席に正客として座ることも決まっているということで、昨夜は教科書を引っ張り出して作法を読み直した。

同じ濃茶でも茶碗の種類一つで飲み方が変わる。さらにコロナの感染予防に対応した各服点て(かくふくだて)というのも初めてだった。
そもそもお菓子は容器によって取り方から異なる。頭がもやもやしたまま会場に着くと、やってきた妻から本日の次第を訊きひとまずほっとした。

総会は議題が多いにも拘わらず会長はじめ各分野担当の幹事および司会の先生方は無駄なく要点を伝え質疑し、さすがだと感心した。

肝心の表彰は優良会員表彰というものだった。何をもってそうされたのか詳しく分からなかったが、かって新潟市の数寄者の会におけるお家元へのお点前、あるいは樹下美術館で行っている折々の呈茶などが対象になったものか。

まことに面はゆい場面だったが5人の受彰者とともに名を呼ばれた。

お元気な竹石氏にお会いできたこと、着物の女性が盛大に集まる会に参加できたこと、宗香先生一門の麗しいお席で美味しいお菓子と濃茶を頂けたこと、なにより裏千家今日庵から受ける日頃のご高配に感謝を禁じ得なかった。

ある施設からコロナ発生の連絡があり、呈茶は濃茶のみで帰路についた。

開会前の会場。
最前列の右端に席が指定されていた。

各服点てでいっそう壮観となった濃茶席。

窓にしだれ梅が覗く広間。裏千家九代家元・不見斉の床(掛け軸)と時の花、古天明(こてんみょう)の透木釜(すきぎがま)によるお点前、そして左入の愛らしくも畏まった黒楽茶椀が残寒の席を温めて止まなかった。

コロナは全体が減少している一方、上越市ではインフルエンザとともに未だしぶとく粘られている印象がある。

※お社中より届いた二枚目の写真と文を後から追加しました。

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