明け暮れ 我が家 お出かけ
冬を迎えるもう一つの密かな意味?
寒波が訪れていて午後車による車外気温の表示は2℃だった。
山陰~北陸は随分ひどく降られたようだが、上越市の樹下美術館周辺は痕跡程度だった。
状況は上空の寒気の位置で一変する。
一方で気象予報士たちが日本海の海水温が高い、とまた言い始めた。
毎冬のことだが、雪は遅かれ少なかれと祈る毎日になった。
そのことで往診中、ふと雪と死は似ている、と思った。
死も雪も、
「必ず来るが、それまではまだまだ」と思っている。
「いずれ来るなら少しでも遅いほうがいい」と思っている。
「なるべくなら少ない(楽な)ほうがいい」と思っている。
なるほど似ている、もしかしたら、
「私たち雪国の人間は、死を迎えることに似た心境を毎年密かに経験している」
のではないだろうか。
それによって他所の人たちよりも
「死を不安視してあれこれ考え巡る度合いが幾分軽る目になっている」
ことが考えられまいか。
見方を変えれば、
「それだけ冬は厳しい」と言うことになる。
「私たちは毎年この厳しい冬を迎え、のり越えることで」、
「いつしか死を迎えそれを越えるに似た修養(修行)を毎年積んでいる」可能性がある。
ならば、
「つらい冬(雪)には、一種天の贈りものもそっと込められている」のかもしれない。
但しこれは終末に対する概念上のことである。
生きている限りの疾病予防は、すこやかな生と死への貴重な備えであることは論を待たない。
変妙な論を並べて申し分けありません。
本日午後に寄ったカフェで紅茶を飲んだ。二杯分のポットで550円でした。
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私が寄った午後、後からお入り下さった若いお二人さん、ブログを見て下さっていると仰り嬉しかったです。
本日は妙なことを書いて申し分けありませんでした。
皆様またお待ちしています。
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さて23時30分の追加です、静かだと思っていましたが本降りとなり積もり始めました。
風が残った日。
日中、昨日吹き残した風が止まなかった。
本日は概ね空の半分ほど青空が見えたが、雲は忙しそうだった。
3軒の在宅回りの水田地帯、いつしか沢山の雁類が来ている。
元気な冬鳥を見ていると「寒い」と言うのに気が引ける。
雲間からいたずらんぼのような月が覗いていた。
6日が満月らしい。晴れてくれないかな。
夕刻ようやく風の音が止んだ。
認知症の予防で人と話をするということ 自分が変えてみる。
過日ある方が、一日少なくとも4人の人と話をするとボケ防止になる、と仰っていた。
〝4人〟という数字に拘らなくても、人と話をすることは良好なコンディションの維持に有益であろう。
休日などに、夕刻まで長く人と会わないでいると、感覚がぼんやりして、手応えのない奇妙な空間に居る気持ちに襲われる。
毎日こうであれば、周囲と無関係で方向の定まらない漂うごとき存在に陥るであろう。
これは認知症の人の状態に似ている。
確かに「出ない」、「会わない」は、異次元的な迷子(認知症)になる要因たり得る。
恐ろしいことに、「出ない」のほかに「否定される」が加わると事態は深刻である。
家に居ながら家族(全員ではなくとも)に絶えず叱られ、注意を受ける状態の事だ。
出たい、役立ちたい、は老いたりといえども人間の証しとして老人達の根底で燃えている。
それなのに、危ない、おかしい、余計だと絶えず禁止と否定を繰り返されたらどうなるだろう。
残された活路は周囲と交信不能な自分だけの世界にさまようか逃避するかしかないのである。
これらはある種の防御反応であるが、鬱や徘徊、混乱や無謀へと様相が変る危険をはらむ。
しばしば家族は言います。
「先生、いくら言ってもちっとも言うことを聞いてくれません」
お年寄りは、たとえ助言であっても、きつい否定の言葉など耳がわんわんして聞きたくないのです。
さらに言えば、良い助言であろうとも、気に入らない人の言うことは聞きたくないのです。
「長く生きて相当に頭を使い果たしていますので、理屈はもう通用しません。あなたの表情や印象がずっと大切なのです」
「つまり耳ではなく、カメラのように目でシャッターを切って単純に判断しているのでしょう、自分の敵か味方かをね」
「お年寄りの前では作り笑顔でいいですから、見た目優しい表情がまず必要です」
「こちらがちょっと工夫すれば相手も柔軟になる可能性があります、すぐ始めて根気よく続けて下さい」
「そのうち自分の作り笑顔が本物に変わるかもしれませんよ」
なんとか上手く行っている家は、世話する人が小声で愚痴をこぼしながらも、さてさて、どうしたかね、と優しく反応している。
そこでは老人達は保育園の園児のように可愛い目をして安心しているのである。
勿論、これで全てクリアではないし、数日後、数ヶ月あるいは半年、もしかしたら1年後に新たな問題が起き得る。
しかし「いつでも私やケアマネに相談してください」、が最も大切な事になるのだろう。
それでも事情によって加齢や認知症の事で、在宅に限界を生じるることは少なくない。
その時もきっと正直な相談が広く有益であろう。
話変わってその昔、ある女性が友人宅へ旅の土産を届けに行きました。
すると「なんで電話もしないで突然来たのか!」といきなりご主人に激怒されたそうです。
「夫婦げんかの最中だった、ゴメンナサイ」と友人は謝ったといいます。
大きなショックを受けたが、「先生に聞いてもらって少し楽になりました」、と仰ったことがありました。
一日4人でなくとも、誰かと何かを話をすることは心身に良いことにちがいありません。
おしゃべりは女性で特に目立ちますが、男性にも有益なようです。
私はブログを書いていると、人と話をしているのと似た作用を感じることがあります。
見て頂きありがとうございます。
ナチュラルな時代。
先日小学校で健康診断があった。
来春入学予定の園児が対象だった。
当地で開業し、以来40年近く11月になると就学時健診に出た。
目立った肥満やアトピーが少なくなり、医療と意識・環境の向上の結果であろう。
この間、印象深いことの一つは、付き添った保護者たちの服装だった。
わけてもバブル期、突然のように生じた独特の奇異さは再びお目に掛かれないのではないか。
派手なダブルスーツ、見事な肩パット、金ボタン。
華やかなスカーフ、手にセカンドバッグ、胸や手首にジャラジャラしたアクセサリー。
前髪を巻き上げたワンレングスや私でも知っていたソバージュの髪、そして太い眉。
健診会場はあたかも若いお母さん達の華やかなファッションショーだった。
(男性のスーツやアクセサリにも似た傾向があったように思われます)
しかし光景はある種突然的ながら、目を背けるほど奇異ではなかった。
テレビのキャスターやドラマの人物、タレントたち、ニュース映像etc.から、いつしか町中や私たち自身にもそれは浸透していた。
一方で園児たちはまだ地味で、ときおりモヒカン風の髪型の児に目を奪われた。
しかしそんな光景は長く続かなかった。
バブルが弾け、以後急速に服装は暗く地味となり、今ようやくある種自然で自由な方向にある印象を受ける。
一方お子さん達の装いは服、靴などのデザインや色はお菓子の如く可愛く幸せそうである。
ところで昨日、見慣れた女性の眉が以前よりかなり太めでわずかにブラウンなのをまじまじと見た。
バブル後、極端に細く強くなっていたものが、ゆるっと自然な感じに戻ったのである。
眉に限らずナチュラルな外観は本人も楽であろうし、
かつ行動に於ける真の個性と自発性の発揮などで優れていると考えられる。
落ち着いた装いと子どもの可愛い服装が、良い時代の兆しであってほしいと思うのです。
上質の天一美術館 目の当たりにした谷川岳。
2週間前に妻の母の容態が変調し、月末の東京一泊における同級生との会食をキャンセルしていた。
嘔吐と肺炎だったが、幸い持ち直しに向かった。
そんな折り、美術館カフェの常連さんから水上の「天一美術館」の話を聞いた。
内容に強く惹かれた。
せっかくの連休、母の小康をみて急いで切符を手配し晩秋の各駅停車メインの日帰り旅となった。
訪ねた美術館は東京の老舗「銀座 天一」の創業者がそのコレクションを展示して1997年10月に開館している。
岸田劉生の充実した麗子像、さらに佐伯祐三の彌智子像と藤田嗣治の少女像の豊かな色彩に胸躍り、川喜多北半泥子の上品な侘びの陶芸に目を奪われ、小品ながらルオーやルノアールの油彩に驚きを禁じ得なかった。
吉村順三最後の設計となる爽快な建物と落ち着いた展示室、そしてロケーションの良さは聞いていた以上だった。
質を重視して選び抜かれた作品群は見る者の心を耕しかつ癒やされた。
行程は、ほくほく線普通電車で犀潟駅8;16発→越後湯沢へ、次いで上越線普通で→水上着。
予約した駅前レンタカで→「天一美術館」→谷川岳ロープウエイ&リフトで→天神峠→水上駅へ。
帰路、上越線普通で水上→越後湯沢→貴重な「はくたか」で直江津19:49着だった。
着後念のため義母を診て帰宅した。
天神峠の展望台(1502㍍)から。
谷川岳頂上の笠雲はいっそう山の厳しさを感じさせた。
おまけは、湯沢中里スキー場の休憩施設
ブルートレインが使われ、風景とマッチしていて良いアイディアだと思った。
手入れさえ良ければ古い物のほうが旅情があり、推奨できる典型ではないだろうか。
上掲4点の写真はいずれも妻の携帯(スマホということでした)を借りて撮りました。
長く話に聞いていた魔の山・谷川岳を間近に見ることが出来て感激しました。
鈍行主体の日帰りでしたが、風景を見たり本を読むのに丁度良いと思いました。
それにしましても清水トンネルの轟音のすごかったこと、こんなに物凄かったでしょうか。
また水上から下り長岡方面への普通列車が極端に少ないこと、
水上駅前の多くの食べ物屋さんや喫茶店は午後5時ころから終了すること、に注意が必要だと思いました。
最後ですが妻との旅行の食事は、たいてい飛び込みの店で美味しく満足して食べています。
昼食は天神平のレストハウスでカレー、夕食は水上駅前のラーメン屋さんでした。
旧国鉄の美しい制帽。
本日お年寄りのめまいで急な往診がありました。
処置を終えますと室内にとても姿の良い二つの帽子が目に留まりました。
お年寄りは長く旧国鉄に務められた方で、当時の制帽でした。
帽子の写真を撮らせて下さい、とお願いしてお借りしてきました。
手に取ると引き締まったデザインにしっかりした作りでほれぼれです。
撮影した二つの帽子。向こうは昭和30年代、手前は昭和50年代の貸与日付がある。
巨大組織でありながら「一家」と呼ばれた旧国鉄。
格好良い徽章と帽子はその家族のシンボルであり誉れでもあったのでしょう。
午後、外出から帰ると往診先の奥さんが薬を取りに見え、
「もう一つありますので先生にあげて下さい」と銀色徽章の制帽をもう一つ持ってこられたと聞きました。
随分具合が良くなったそうで安心し、頂いた帽子は大変恐縮しました。
頂いた貴重な帽子。4型 昭和54年3月貸与とありました。
いずれも美しく大切に手入れされていました。
夕刻、帰った妻が嬉しそうにしている私を見て、かぶった写真を撮りましょうか、と言います。
写真はともかく庭仕事などで是非かぶってみたいと思っています。
旧国鉄の制帽をかぶれるなんて思いもよらぬこと、この冬またひと頑張りです。
日が短くなって 貴重な立ち話 今年の月。
私の定時在宅回りや往診は午後3時を過ぎて始まる。
この数年、一回2~4軒を訪ねる。
それ以前では3~5軒あるいはそれ以上だった。
夏場の午後3時はまだ強い日射しが残っていたが、今その時間は夕刻の色を帯びる。
少々不思議な事に、この時間帯に道路で立ち話をする女性たち(奥さんたち)を時々見かける。
私たちの出がけにそのような女性がいるとすると、
一通りの往診回診を終えた帰り道、同じ場所で同じ人がまだ話し込んでいることがある。
長い時には30分から小一時間が経っている。
しかも話している人の顔は大抵真剣だ。
「あっ、始まっている」と後ろに乗っている看護師に言うと、
「ほんとですねアハハ」と笑う。
長い立ち話は女として理解できなくもない、とも。
本日もそんな光景を見た。
既に4時に近くであり、あたりは暗くなっている。
よほど大切な話なのだろう、と思ってしまう。
ところで、かって家の近くで母が立ち話をしているのを聞いたことがあった。
「それではまた」
長い話がようやく終わるかに見えたその時、
「ああ、そうそうこの間の○○」と言った途端、そこからまた延々と始まった。
声を出すことは心肺機能が強化されることでもあり、長く話すのはランニングに似てなくもない。
ならばおしゃべりはストレス解消に役立つほか、身体機能の維持強化に繋がっている可能性を否定できない。
これが長生きの一因ならば羨ましいことである。
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今年の秋はスーパームーンやミラクルムーンがあり月と良縁の年だった。
二回とも晴れて幸運といえよう。
今年は旧歴でいえば9月が一回多く、うるう9月は新暦の11月21日まで続く。
こんなことは今世紀中にもう起きないということだ。
私の年午年(うまどし)も残り少なくなったが、色々な意味で変わった年だったことになるのか。
季節風の一日 育つ野菜 ひと安心のバラ。
気温が下がった強風の日、雨が降らない分だけ助かった。
沿岸の空はひゅーひゅーと鳴りゴーという海鳴りが続いた。
気温は下がってきたが、一帯で夏の終わりに除草し耕し肥料を入れ、種を撒いた家庭菜園で野菜が育っている。
白菜。
ニケ月ほどで立派に育った。
腰や膝が痛くても畑に行くと気分がすっきりするので止められない、という皆さんの気持ちが分かる。
明日のお天気は回復に向かうようだ。
中学1年生に高祖父・杉田玄作の話をした。
本日午後、地元の上越市立大潟町中学校で一年生を対象に地域の先人を学ぶグル-プ授業があった。
昌平校に学んだ学者で大肝煎・笠原文右衞門、北海道で鮭・鱒のふ化事業を成功させた小池仁郎、そして小生の高祖父・医師杉田玄作が取り上げられた。
玄作は文政元年1818年生まれの蘭学医。開国~明治維新に向かって騒然としていく時代の人だった。
授業では玄作の時代背景を主に吉村昭著小説・「長英逃亡」と当家に残っていた玄作の「上京日記」を資料にした。
※「長英逃亡」には数ページに亘り玄作が取り調べを受けるくだりがあります。
以下は「上京日記」(縦12,5㎝、横30㎝)の一部です。
「上京日記」表紙、縦横12,5×30,0㎝で25ページ。主に金沢から京都滞在まで書かれている。
福井県今庄から栃の木峠越えの日。
秀吉が陣中に持ち込んだという茶釜と出会い、寸法、状態、文様などを細かに書いている。
以下に京都滞在中に起こった石部宿の天誅事件(文久2年1862年9月23日発生)が記されている。京都粟田口(あわたぐち)刑場に晒された三つの生首の素性が中央赤線(私がコピー後に引きました)に記されている。
殺された三人は京都から江戸へ向かった渡辺某ら京都の与力や同心で、追っていた志士に石部宿で暗殺された。
安政の大獄が引き金であり、左方赤線の長野某ら三人も大獄を断行した井伊直弼の腹心として天誅に遭っている。
※滞在終盤の夜、数人と共に祇園で妓十蝶、小菊らと歌舞を見た、とありほっとさせられる。
最終ページは多種の薬、紙類、土産の巾着などを買い出納を記し、送付の荷造りをしたことが書かれていた。、
長く家にあった日記はざっと見、途中の風景や信長公廟の図などに目が行くばかり。
文字も読めずのどかな旅日記だと思っていた。
このたびのことで急遽文書(もんじょ)に精通した古老に読んで頂いた。
道中の俳句や病人の診察までは良かったが、後段に突然京都の騒乱が記されていてびっくりした。
蘭学医の玄作は開国論者だったと考えられ、蛮社の獄(1839年)で入牢6年後に脱獄した医師高野長英の6年に及ぶ逃亡に際し、
幇助の嫌疑で江戸奉行所の使者に厳しい調べを受けている。
また信州の温泉場で薩長の動きや佐久間象山の暗殺などの情報を得て地元へ報告していた。
昔の人はよく歩き、日記などから玄作もよく歩いた人だろうと想像される。
歩いて得た知識や情報は貴重だったに違いない。
生徒さんたちに江戸時代に書かれ、コヨリで閉じたふわふわの日記に触って貰い、
小山作之助の母が玄作の娘だったことなどにも触れ、拙い話だったが真剣に聞いて頂いた。
開府400年の高田へ時間旅行 高田の値打ち。
本日午後の休診日、気がかりな人を午前に往診して午後少々の用事の後高田へ行った。
今年高田は開府400年に当たり多くの行事が進行している。
午後上越総合博物館で開催中の記念特別展「越後の都高田と徳川家康の血族」を見た。
その後日射し傾くころ堀口大學の文学碑「高田に残す」をみて、
高田公園内で岩野勇三のブロンズ10体をみた。
まだ陽が残っていて、長く懸案だった天崇寺で「高田姫と亀姫(寧子様 宝珠院)」の墓所を見た。
特別展図録 発行:上越市・上越市教育委員会 2014年10月4日
豊富な写真と解説の119ページは労作で2000円。
展示で重文の「唐物肩衝茶入 銘初花」のあっさり感は意外だった。
一方貞松院所蔵・古九谷鉢は実に見事であり、天崇寺所蔵の「持蓮華」の仏のあはれを興味深く見た。
美しい堀口大學の詩碑「高田に残す」
樹下美術館の常設展示陶芸家・齋藤三郎も碑建立世話人の一人。
高田公園内の岩野勇三ブロンズコーナー。
台風の後であるが、園内でここが一番よく手入れされ、落ち着いているように見受けられる。
ブロンズコーナーの「おまんた」
小田嶽夫の「高陽草子」によく似た岩野氏のカットがある。
寺町天崇寺にある高田姫とその息女で初代高松宮妃となった亀姫(寧子妃)の墓がある貴重な廟所。
特に亀姫(寧子妃 宝珠院)の墓は地方に於ける宮家御陵として極めて貴重なようだ。
(明治後期であろうか、墓跡再発見と公表についてやはり小田嶽夫「高陽草子」に詳しい。
午後の高田巡りはほんのちょっぴりで、足早な秋の陽と競争だった。
町で人を惹きつけるのはやはり「歴史」と「清々しい場所」ではないだろうか。
いつもながら、高田の町の風情は中心部でなく、本町通り両端に位置する古い地区の景観に旅情を感じる。
公園とそこの桜と蓮の値打ちは言うまでも無く、
あとは長く言われている事だが、何処で茶を飲み何を土産に買うかが宿題かもしれない。
高田は金満でない美しい町の魅力を秘めていると思う。
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- 一見世界的アスリートには見えない山下選手 昨夜半の雨。
- 山下美夢有選手の優勝 雨音がしてきた!
- 大潟区の湖沼も水不足 来週には雨が降りそう。
- 庭の渇水対策は新たに井戸を掘らなくても間に合った。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2 ひと事ではない渇水。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 庭の井戸をもう一本追加 夏の食卓。
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