頸城野点景

昔を今に「どんどの池」。

2014年2月7日(金曜日)

昨日雪の寺を掲載しましたが、本日の大潟区は鵜の浜温泉にほど近い「どんどの池」です。
砂丘地の大潟区で、九戸浜のこの池は一年中こんこんと水が湧き、絶えることはありません。

どんどの池小さな祠と鳥居があるどんどの池。

水に恵まれなかった当地のこと、その昔、どんどの池は洗濯など洗い物をする人で賑わいました。
戦後の一時期、母もここへ通いました。私も何度か一緒に来たことがあります。

当時の我が家は疎開の人も多く、十数人が住んでいました。
南国佐賀から嫁いだ母はことのほか大変だったと思われます。
この池のことでも機嫌の良い顔を思い出すことはできません。
しかし水はきれい、浅場と深場があるしつらえ、大勢の人、、、。
子どもの私にとって池はどこか怖く、反面興味もつきない場所でした。

さて写真はすぐ上の旧国道から撮影していますが、水は国道をくぐって反対側へ流れます。
反対には醤油工場と瓦屋根が立派な和風のお宅がありました。
建物の回りを小さな流れが囲み、水路に美しい砂利が敷かれていたのです。

お宅に新大の学生さんが居て、小学時代のある時期姉といっしょに勉強を習いました。
お宅へも遊びに行きましたが、縁側で飽かず流れを見たり笹舟で遊びました。

今お宅はありませんが、跡地の草の中を水路だけ走っています。
流れはそこから竹やぶと松林を抜けて「はまなすの池」に貯まるのです。

その池の手前にも小さな洗い場があり、往時の面影を伺うことが出来ます。
昔人の息づかいが残る場所には、自然と心癒やされます。

静かな冬の寺。

2014年2月6日(木曜日)

2月の寒さはやはり厳しい。幸い一日中降る分けではないので深雪は免れている。

在宅回りや往診先で寺が目を引く。大きな瓦屋根や大木と白雪のコントラストは静寂を深める。

 

1圓蔵寺(犀潟)

2養性寺(土底浜)

3西念寺(潟町)

4瑞天寺(蜘蛛ケ池)

寺は地域に伝統感や安定感をもたらして貴重だ。

 

人魚伝説公園 鵜の浜から雁子浜へ竹藪の道。

2014年2月2日(日曜日)

まるで春、虫が顔を出しそうな日だった。夕刻に鵜の浜から雁子浜まで行き帰り写真を撮りながら1時間少々散歩した。

鵜の浜の人魚像は季節風を避けているのだろう、囲われていた。
そこから砂浜を数百メートル歩くとこじんまりした「人魚伝説公園」に出る。
ここに言い伝えにちなんだ常夜灯が置かれている。

伝説では佐渡から夜な夜な雁子浜の常夜灯を目指して女(人魚)が現れた、とされる。
以前拙生が書いて公演した「人魚塚」でも常夜灯は大切。道具担当の大工さんが上手に作ってくださった。

1温まっているような人魚像。

 

2人魚伝説公園の碑と常夜灯。
ここから東へ竹藪の中に小道が通っている。
過日土底浜の草道同様、埋設されているガスパイプライン保守用の道のようだ。
歩いてみることにした。

3下りと上り。5Y字路を左へ進む。7雁子浜のゲートボールコートが現れる。9帰路に細い草道を下りる。11春を迎える細い月が寝ている。 4なんとY字路。6道が開け。左に海。8小さな野球場が隣り合う。10右にあるテトラの海に沿って歩く。12鵜の浜温泉に日が暮れる。

おなみと磯吉芝居「人魚塚」のおなみと磯吉。常夜灯で出会う場面。
大道具は大工さん達が作り、背景は何日かかけて小生が描きました。
(幅10メートル近い背景画。大量のカラースプレーで部屋中が黄色になりました)

 

 

おみよおなみと共に嵐の海へ出奔した磯吉。
母が縫った嫁入り衣装を着て、灯を目指して帰れと叫ぶ、許嫁のおみよ。

昔のイベントを思い出しながら1時間少々歩いた。竹やぶなどの小道はひなびて静か。昔ながらの寒村の趣を今に、短い旅をした気分だった。

長男夫婦と冬の海を見に行く。

2014年1月13日(月曜日)

風冷たく気温は2度前後であろう。雨が降れば雪になるぎりぎりの温度だが、それは免れている。

昼頃、時々雲の切れ間から陽が射した。午後から帰京する長男たちといつも私が見に行く海へ出かけた。

鵜の浜の雲四ツ屋浜は西に青空、北に写真のような白い雲が揺れるように降りている。
部分的な雨また雪が日に当たって白く見えているのであろう。

上下浜の雲上下浜は太い柱状の雲が海上に降りていた。

一同寒風の中、冬の日本海の迫力に見入る。マリンホテルでコーヒーを飲んだ後、直江津駅へと見送った。コーヒーは美味しかった。

冬の田 映画「北北西に進路を取れ」。

2014年1月10日(金曜日)

今冬初めて予報通りの寒波の日となった。しかし気温は下がったが当地、上越市沿岸の降雪は少なかった。

昼食を終えて近隣の水田に出向いて鳥の写真をと出かけた。遠くにマガンの小さな群れと枯れ穂の中にカワラヒワの群れを見た。

マガンは遠すぎて写真にならなかったが、随所に見られた枯れ草の淡い色合いは冬独特で美しかった。

2 - コピー雀の群だと思って撮り、モニターを見るとカワラヒワだった。
見た目では鳥の黄色が見えず、デジカメの威力に感心させられる。

以下は何とは無い冬の草です。風雪で濃淡だけになった枯れ草はこの季節ならではの見所ではないでしょうか。

 

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今夜映画「北北西に進路を取れ」を最初から全て見た。学生時代から劇場やテレビで何度も見た。それが何度見ても面白い。

俳優は立派、怒鳴り合いも無く、ストーリーはじめ風景やファッションも気が利いていて楽しめる。
国連ビルが出来てまだ間もない時代。建物や自動車、そしてしつらえにミッドセンチュリーの素朴な勢いがあり、ラストのル・コルビジェ風の山荘も見応えがあった。

過ぎた時代は二度と来ない。この時代に生まれて良かったと感じさせられる映画だった。

直海浜にある藤野条助の顕彰碑 希望をつなぐ植林事業。

2014年1月5日(日曜日)

柿崎区は自動車学校を過ぎて間もなく左手に見える藤野条助の顕彰碑。条助の縁故者(川室あき、川室優両氏)によって平成23年に建立されている。

条助は吉川区尾神の人で、江戸時代後期、砂丘地で猛烈な風と飛砂の害に悩む大潟、柿崎地域に広大な松の植林を行った。何年もの試行錯誤や住民との軋轢を越えて一帯に見事な松林が形成され今日にいたっている。

 

林の管理は年中の手入れや追加の植林も必要とされ、過去何度も危機にさらされた事だろう。

今日、顕彰碑が建ち一帯の生き生きした若松の活着を目にすると、二百数十年前の過去から今日、さらに将来へ続く明るさが伝わる。

5藤野条助の顕彰碑柿崎区直海浜にある藤野条助の顕彰碑。

6直海浜の植栽顕彰碑近くの若松。ていねいな防風柵に守られて育っている。

7雁子浜 の植林大潟区は雁子浜 の植林。こまやかさと熱意が伝わる。

近隣の松林は子ども時代から遊びや遠足、そしてキノコ採りなどで親しみました。
以下に昭和30年代初め、自分の中高生時代に撮った松林のわずかの写真を掲載しました。

今はもう見ることができなくなった風景と、努力によって維持されている風景がまじります。

 

1昭和30年代広い松林昭和30年代の松林。その後国道、高速道路で寸断され
荒廃した。3昭和30年代の植林昭和30年代の大潟区潟町の松林
海沿いに若い松が植えられている。
2昭和30年代の松林昭和30年代の気持ちの良い松林。
緑の苔に敷き詰められ、迷うほど広大だった。4大潟区の松林左とほぼ同じ現在の場所。激しい風の中で見事に育った。

 

8直海浜の若松植えられたばかりの松。希望に満ちた気持ちの良い眺め。

これら植林事業は今でも柿崎、大潟各区で新潟県が行い、地域のボランティアが懸命に管理を継続している。松葉掃きや雑草刈りなど昔ながらの作業が無ければ林はあっというまに荒れ果てる。

江戸時代に民間から始まり、今日も県と住民で継続される偉業。
しかるに現代、莫大な公金支出の果てにめざましい成果を上げられない上越市中心市街地活性化事業。

上越市100年の公共とは何だろう。 江戸時代の人々の清々しさとスケール感が際立っている。

穏やかな海 シーグラス 椿な正月は続く。

2014年1月3日(金曜日)

施設から相談の電話があったものの、31日からの正月休みが無事に過ぎている。貴重な連休はあと二日となった。

本日1月3日は穏やかだった。このところの毎日出る厳しい予報は外れがち、不思議だ。そうこうしている間にいわゆる冬期の三分の一が過ぎたことになる。本格的な雪は今月半ばから始まることが多いが、無事穏やかに過ぎた日は良しとしよう。

雪国では明日の悪天候や豪雪を心配して臆々と数ヶ月を過ごす。どうみても心身に良くない。こうなれば好天の恵みは精一杯喜びストレスを薄めるに限る。

本日も柿崎海岸を歩いた。波は平坦、渚は広く、いくつかシーグラスを見つけた。

 

海

 

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来る5月の作品展に向け6日間の正月連休は大いにはかどるはずだった。一日5,6時間は描いているが、思ったほどの成果は上がらない。テクニックもメソッドも確立してない素人の悲しさであろう。

以下は10×10×3,5センチのキュービックキャンバスに描いている椿の油絵。34枚に手を付けているが本日25枚が写真の所まで進んだ。

これから黄色のしべ、枝、脇の蕾、葉脈などを描き全体の陰影と質感を整え細部に手を入れる。別に四枚のサムホールキャンバスに洋梨も描き始めたので訪ねた子や孫は部屋に散らかる絵にびっくりしていた。

椿の絵

椿の絵近接売れるだけのクォリティまで何とか持って行かなければならない。

さて昨日写真を載せたやぶ椿は本日まだ咲かなかった。

つばき蕾の色は素晴らしい口紅のような赤になった。明日が開花か。

 

荒天の合間に日射し。

2013年12月29日(日曜日)

予報の通り雪は降ったものの、日中よく陽が射しておおかた消えてしまった。

間もなく今年も終わる。

今のところお天気に関して予報よりも穏やかに推移していて助かる。

上下浜本日午後、いつもの上下浜は日射しも雲も良かった。

 

鵜の浜温泉の夕暮れ鵜の浜温泉の夕暮れ。年越、お正月のお客様がお見えになっている。
荒海の日本海でお正月も旅情、風情ではないでしょうか。

鵜の浜温泉からいつも写真を撮っている四ツ屋浜や上下浜までは1,5キロほどです。
そして柿崎海岸や樹下美術館は6~7キロになります。

鵜の浜から樹下美術館へ、樹下美術館から鵜の浜へのお客様がお見えになるようになりました。有り難いことと思っています。

冬将軍 皆様からのお声。

2013年12月28日(土曜日)

予報通りの荒天。当地大潟区は厳しい寒風に見舞われたが雪は降らなかった。
夕刻の外出時、車外気温は3度まで下がっていて、いつ雪になってもおかしくない。

荒天の四ツ屋浜いつもの四ツ屋浜は徹底した荒れ模様、様々なトーンの雲が急だった。
(こんな油絵を描いてみたいと思いました)

さて樹下美術館では館内に何冊かノートを置かせて頂き、お客様から感想、随想をお書き頂いています。
このたびは7月~12月分がまとまり、樹下美術館のホームページ「お声」に掲載させて頂きました。

昨年同期よりも40筆も多くおよそ140の記載をいただきました。
皆様の観点、過ごされ方などが伝わり、またおおむねご好意を頂き有り難く思っています。

ご不満、ご不自由もあったのではと常に点検目配を心がけ、より良い場所を目指して行くつもりです。

丹波黒豆の寒天よせ二番目の弟からもらった「丹波黒豆の寒天寄せ」(鶴屋八幡製)
あまりに美味しいので豆をほじり出しました。

本日で樹下美術館は今年の終了 土底浜の冬の草道は動物の背中のようだった。

2013年12月25日(水曜日)

本日お陰様で今年の営業を無事に終えることができました。「こんな良い天気になるなんて」という声があちらこちらから聞こえた好日、切れ目のないお客様でした。

新たな常連さんにも恵まれ、年を追ってわずかずつ増加を続ける来館者様。皆様には心から感謝致しております。

さて今週いっぱいで表向きの診療も終わる。それでこのところ在宅回りも早めに終わります。
本日久し振りの土底浜は屋敷跡の草地へ行きました。
そこから海の眺めが良い小さなこぶへ続く道があります。

以前来た時は緑深い夏草の道でしたが、今日は冬陽が当たるうす茶色の枯れ草の道。
清潔で暖かそうで、大きな動物の背中にいる感覚を覚えました。

 

044この道を上る。

 

068上るとすぐ眼下に冬の海。

 

047東方面を見る。この先は四ツ屋浜、潟町、九戸浜、鵜の浜、雁子浜 、上下浜、三ツ屋浜、直海浜、柿崎へ続く。

 

062西方に陽が沈みかける。もう海には沈まない。
ゆったり波打つ日本海の色が青みがかって、良いコントラストでした。

自分のふるさとには何かしら詩情漂う場所があり幸せに思っています。

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