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年末~大晦日に上京し鎌倉を訪ねた-その1。

2020年1月1日(水曜日)

2020年1月1日、二回目の記載です。
実は昨年12月29日に快晴の朝、さいがた駅からほくほく線に乗り上京、東京と鎌倉へ行きました。
29日は東京でゴッホ展を観た後、2,3の社寺を回り、いつものようにお台場の海を見て都内で一泊。翌朝鎌倉へ行き、一泊し2日に亘って観光、31日夕刻に帰宅の行程を予定して出かけたという訳です。

人生そう後がありません。押し詰まったこの時期、思い立ったら吉日、ゴッホ展を口実に敢えて出掛けました。以下に短い旅の顛末を何回かに分けて記載してみたいと思います。

 

12月29日日曜日、ほくほく線さいがた駅8時10分発の電車がやって来る。

 

樹下美術館付近の水田を通過。快晴の妙高連峰が眩しい。

 

ほくほく線の車窓から。
山間に入ってすぐ霧がかかり、松代駅は濃霧に陽が当たる幻想的な眺め。

 

ゴッホ展は開館前に入場券を求める人で既に長蛇の列。

列はさらに右方に続き、見えませんがその先も右に折れて続いていたのです。

あまりの列におじけ付いて早々にゴッホ展を諦め予定変更。埋め合わせに上掲の写真に見える赤い建物、寛永寺は清水観音堂を訪ねた。

 

優美な回廊と花頭窓。鎌倉時代の建造を維持しているという。

 

京都の清水寺と同じ懸崖の舞台が設えてある。

 

お金を投入するとおみくじを持って来てくれるロボットの獅子。

高さ30㎝くらいの小さな獅子がお金の投入をじっと待っている。
お金を入れると右の箱からおみくじを取って取り出し口へ運ぶ。ユーモラスな動きをするので試すと小吉だった。

 

山を下りた眺め。舞台作りであることが良く分かる。

 

タクシーを拾い予定した湯島天神へ。

 今年孫達が何人も受験や進学をするのでお守りを沢山求めた。
梅のつぼみはまだ小さく堅そうにしていた。
SNS用?のプラカードが置いてあり、念のため写真を撮ってみる。

天神様を出ると間口の狭い寿司屋さんがあり、釣られるように入って昼食とした。

 

東銀座のホテルにチェックインをして休む間もなく外出。

 

少し歩くとカプセルホテル。懐かしくも維持されているのが嬉しい。
昭和47年竣工のホテルの事は前々日のBS1テレビで再放映されていた。

若き日の病院アルバイトの往復で、出来たばかりの建物前の高速道を何年も走った。アスベストや老朽化が問題となっているが、世界遺産登録まで関係する存否議論が続いている。
大きさと高さを争おうという建築物のなか、機能とと形態で挑み、50年以上に亘り大都会のシンボルの一つとして生き続ける生活空間。作者黒川紀章にあらためて畏敬の念をおぼえる。

その後浜離宮を右に見ながら環状二号線に沿った歩道を築地橋を越えてかなり歩いたところで、タクシーを拾った。

 

いつものお台場へ、砂浜の大半が大がかりな工事中でやや寂しい。
オリンピックに関係しているのだろうか。

お台場へ近づくと見えてくる観覧車がいつも気になっていた。本日乗ってみようということになり、砂浜を後にして歩き出した。大きなものというのは、遠くから見えてはいるが中々到着しない。道筋の要領も得ずタクシーの世話でようやくバレットタウンという所に着いた。

 

着いても何処なのかさっぱり見当が付かなかった「パレットタウン」。

 

広い場内は車の展示場で、若い人ばかりの不思議な場所だった。

 

さらに進みついに大観覧車の乗り場へやってきた。

 

ゴッホの待ち時間30分を待てず、観覧車の20分は待った。

 

 

ああ生まれて初めて乗った観覧車の何と楽しかったことか。
宝石をちりばめたような夜景だった。

観覧車の後は近くの駅でゆりかもめに乗って汐留駅で降りた。

 

迷路のような汐留の夜道もまるで遊園地のよう。
ここでもいっとき迷った。

ホテルに帰る道すがら巨大なビルの一階にあった中華飯店で夕食を摂った。

肉、野菜とも広東風、エキゾチックで優しい味。

ジャスミン茶で長歩きの疲れが和らいだ。

 

食事を終えた道すがら再び迷い、カレッタ汐留のイルミネーションを路上から見下ろして楽しませて貰った。

東銀座や隣の汐留は昔から縁の薄い所。そこに巨大タワー群が林立し、広い交差点の歩道は複雑な高架構造になっている。見えていた目印がすぐにビルの陰になり、似たような風景が微妙にずれる。そのうえ次々に現れる交差点は直角に交わっているとは限らない。少々苦労はしたがスマホにも助けられ無事ホテルに戻れた。

患者さん達にご迷惑をおかけするかもしれない年末旅行。お陰様で一日目を楽しく過ごさせてもらい感謝に堪えない。普段馴れない1万歩数千歩の歩行、疲労した足を休めているとすぐに眠りについた。
翌朝8時に新橋→東京駅→横須賀線で鎌倉に向かう予定になっている。

続く30、31日の行程はまた後に掲載させてください。
さる12月29日の渋野選手の記事は出発前に予定投稿させて頂きました。

〝今年もどうか宜しくお願い申し上げます〟

美術館の芝生でアプローチ  渋野日向子選手。

2019年12月30日(月曜日)

樹下美術館周辺は温かく、まだ初雪を免れている。
それで昨日午後、庭仕事を始める前に、ゴルフクラブを握り芝生でアプローチの練習をした。
ここで完璧と思われるほど上手く行くようになってもコースへ出てみると思うように行かないから不思議だ。現場の傾斜などの違いもあるが、一番大きな違いは距離感だと考えられる。広いコースへ出ると同じ距離を遠く感じたり逆に近く感じたり迷う。それ以前にコンペで感じる一打ごとの緊張による失敗は言うまでも無いが、、、。

それはともかく、ここのアプローチくらいの運動がちょうど体に合っているように思われるので行っている次第。

 

短い刈れ芝のため打っていると荒れてくる。

さて今年のゴルフは電撃的な渋野日向子選手デビューと活躍が一番だった。全英女子オープンは善戦だけでもう十分なのに、優勝とは本当に驚いた。優勝には運も必要になる。確かに決勝の12番ホールの第1打が池に落ちなかったこと、18番のパットが外れる前に入ってしまったことなど貴重なラッキーはあった。だが新人の国内ツアー4勝を考えれば、それだけでケタ外れの実力の持ち主といえる。

心配なのはトーナメント外の扱われ方だ。大勢出てくる新たな友達や関係者とのお付き合い、メディア露出、みな一挙に増えた。彼女は天狗になることはないと思うが、プロとしての生活、特に練習への専念は果たして今まで通り出来るだろうか。
もう一つは体重。
写真で見る最近の渋野選手は顔、体型とも丸みを帯びているように見えるので心配だ。優秀なアスリートはウエイトコントロールに並外れた努力をしているはず。彼女は大丈夫だと思うがやはり心配だ。

カフェ丸テーブルの画帳から、秋の部です。

2019年12月21日(土曜日)

カフェの丸テーブルに小さな画帳が置いてあります。
今年は5月3日および7月24日のノートに掲載させて頂きました。
皆様に沢山絵を描いて頂くようになり、今年途中から色鉛筆やカラーボールペンを増やしました。

すると赤ちゃん、お子様、お姉さん、お兄さん、保護者さん?などなど色々な方たちに沢山描いて頂きました。
絵から皆様の楽しい気持ちがとても良く伝わり、見ているほうも幸せになりました。
夏以後の分を以下に掲載させていただきました。

どうか覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか。
庭の草木が見えるカフェで一心に描く、、、。年令も上手い下手もまったくありませんね。目の前に紙があって用具があると何か描きたくなる。人間って不思議です。

館内4冊のノートのメッセージは数日後に樹下美術館のホームページに掲載させて頂く予定です。

閉館翌日の本日、スタッフたちがチューリップと百合を植えました。
明日日曜日はお天気が持てば私も加わって庭の手入れをするつもりです。

荒れ模様の夜に〝It’s Magic〟を聴いてみた。

2019年12月5日(木曜日)

連日荒天のうえ寒く、ほぼ終日雨が降る。
雨は時に激しく時にアラレを交えて容赦ない。幸い雪にはならず初雪はもう少し先らしい。

fyuーfyu-、フューフュー、冬冬という窓外の風音を聴きながら昔懐かしい曲を聴いてみた。ある人の言説によればその人の音楽の嗜好は、およそ30代ころまで聴いたジャンルになる、という話があった。
当時の私はもっぱら軽い音楽あるいはジャズをよく聴いたので、先の言説は当たっているように思う。

以下は今でもよく耳を傾けるYouTubeの〝It’s Magic〟です。
この曲は学生時代のラジオからよく流れ、歌のほかピアノでも好んで演奏された。特に以下掲載の三番目、スタンリー・ブラックの曲は、夜遅くラジオで流れた番組の出だしテーマだったと思う。

 


ドリス・デイの歌。あなたのささやきはヴァイオリンのよう、という歌詞で始まる。
長生きを全うされ今年5月になくなった人。1956年の大ヒット曲「ケ・セラ・セラ」を東京の高校へ行った姉が休みに覚えて帰り、しつこく迫って教えて貰った。

 


当時なら、奏者は〝ご存じカーメン・キャバレロ〟と紹介されるであろうピアニスト。彼はエディー・デューチン40年の生涯を描いた映画「愛情物語」で全編を弾いた。

 


スタンリー・ブラックの〝It’s Magic〟空から聞こえるうように感じていたピアノの音。
枕元のラジオで流れる最初の弦で眠気に誘われる。振り返れば、こどものような時代として思い出される時間(今でもさほど変わりがないかもしれません)。

 


この〝It’s  Magic〟はコード(和声)が大人で、さすがジャスの名手トミー・フラナガンです。
二番目のカーメン・キャバレロもそうですが、音源がモノラルなのでピアノは転がる粒のような響きとして聞こえる。モノラルのピアノの音は今でも好きです。
※〝It’s Magic〟が終わるとそのままソニー・リードのアルトサックスで〝My One And Only Love〟が始まります。長いのでどうぞお止めになって構いません。
※このレコードを持っていたはずですが、忘れ物が多い私はいつしか何処かへやってしまいました。

風が止んできましたのでスタンリー・ブラックのを聴いてから寝ることにします。

早起きをして海を歩き鳥を見て美術館へ オルゴール、猫、再び鳥 こどもには 良いものに接する。

2019年12月1日(日曜日)

12月1日。
本日日曜日は晴天の予報だったので、珍しく早起きをした。
早いと言っても7時少々前では、早起きとして通用しそうになく、恥ずかしい。

7時半ころから柿崎を一時間ほど歩いた。大勢の釣り人や静かになった海を撮りたかったが、残念なことにカメラを忘れていた。
海の後一旦家に帰り、朝のハクチョウ見にカメラを持参して昨日の場所へ向かった、

米山を背に朝日を浴びて次々にやって来るハクチョウは大変美しく、いくら見ても飽きなかった。

 

 

 

新たに鳥が来ると先に来ていた一群が一斉に見上げる。
大きな花びらが舞い降りる華麗さ。

ハクチョウの後は近隣の新潟県立大潟水と森公園へ。

 

好天に恵まれた初冬の園内。この先でエナガに出合う。

国内で飛翔する最大の鳥の後は小さな鳥へ、お目当てはエナガ。前回出合ったのと同じ場所へ行ってみるとはやり居た。チー、チー、あるいはキッ、キッと小さな声で鳴くエナガ。素早い鳥なので中々上手く撮れない。

木々を移動するのに付いて回り、何とか少し撮れた。私の腕ではピントもサイズもいまいち。以下中からましなものを載せました。

日本で見ることが出来る中で最も小さい鳥と言われるエナガ。北海道のシマエナガは抜群だが、当地のエナガも大変可愛い。

エナガとシジュウカラはよく一緒にいるという。この日も何となく一緒。

エナガに比べればシジュウカラはまだ撮りやすい。

 

午後美術館に出向くと、カフェは忙しそうだった。馴染みの親子さんと一緒に食事をした。

過日の東京行きのレストランで求めたオルゴール。
映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」
がポロンポロンと流れる。
オルゴールの馬にテーブルにあったマユビトやルパン三世のミニチュアフィギュアが
ことごとく付けられていた。お客様が楽しまれた様子が浮かび、買って良かったと思った。

 

裏手の農道で和んでいた猫。
近寄るとのそりと起きた。

上掲のハクチョウは柿崎区だが、美術館周辺の頸城区ではどうかと車を走らせた。
高速道路の頸城バス停南側の水田に群がいた。今年はハクチョウが多いかも知れない。

 

クチバシを使って稲の切り株周辺を突っついている。
稲の根を食べているらしい。

 

群の中の一組のカップル?。ほかの鳥たちが熱心に食餌をしているなか、二人はしばし寄り添うばかり。

寄り添う二羽。
手前の鳥は片足を挙げて足の冷えを回避している。ハクチョウではよく見かける。

ほかの鳥が来ても離れない。

新婚さんなんだろうか。

 

遠くに居た一団が若鳥を先頭に歩いてきた。
ねぐら入りの時間が近づいたようだ。

頸北地域の水田に飛来するハクチョウは、朝日池や青野・上吉野の湖沼をねぐらに日中は周辺の田へ食餌に行く。農業と鳥が自然な形で住み合い、独特の平和感に心なごまされる。
比べて長年餌付けをして大量の鳥を集め観光資源にしている所もある。非常に不自然で、鳥類の脆弱化が心配される。そろそろ止めてはどうかなと思うが、どうだろう。

さて過日はおばあちゃんと娘さん親子が来館された。
まだ小さなお嬢さんは絵本を読んでいる。
その時のお母さんの話。
〝こどもには小さい時からできるだけ良いものを見せてあげたい。先日は箱根の彫刻の森美術館や国立都科学博物館に行きました〟
お子さんの嬉しそうな顔がとても良かった。

素晴らしい。
豊かな人生のために私もまったく同感。
そのことは幸福への道のほか,不運な孤独を耐え克服する糧にもなろう。
昔はよく耳にした先のお母さんの言葉を、久し振りに聞いた気がして新鮮だった。

さて良いものに接するのは、そんなに難しいことではない。
間違い無いのは美術館、博物館であろう。また歴史的・伝統的文物や場所を訪ねるのも良い。地域の文化イベントにも面白いものがあろう。少々高級な品は見るだけでもまずは良いし、どうしても欲しくなれば節約を心がけて求めてはどうだろう。味覚は頭脳を開発すると信じているので、年に何度かは少々高額でもランクアップをしてみたい。音楽しかり、名著、名画の書物や映画も身近にいくらでもある。
よいものとは、先ずは飽きがこないもの、光を放って自分を呼んでいるものであり、出合う前提として自然への親しみは全て基本中の基本かもしれない。
それらの中から良いものの系統やトレンドがおのずから整理され、自らの好みが形成されて行けば最高だ。
良いものに接する事はいわゆる〝お勉強〟とは少々違う。それを楽しむ、それに親しむ、あるいは幸福に感じる、ことが決め手ではないだろうか。
樹下美術館も良いものの対象たるべく努力を続け、その末席を維持して行きたい。

本日富山県美術館の方が来館されたと聞きました。
遠路本当に有り難うございました。
本年5月に富山市を訪ねた
ぜひまた伺わせて頂きたいと思っています。その折はどうか宜しくお願い致します。

さる週末の日曜日に二つの美術館 言い間違いと言い当て。

2019年11月20日(水曜日)

先週末の上京で、土曜日のお台場と食事会を先回書かせて頂いた。本日は翌日曜日の二つの美術館めぐりになりました。

午前は日本橋の三井記念美術館の特別展「茶の湯の名碗 高麗茶碗」展を観に。桃山時代から日本で人気となった高麗茶碗と称される朝鮮半島の茶碗は、洗練された素朴さという風合(私になりに)で今日まで茶人に好まれている。

 

三井記念美術館の外観(Wikipediaから)

 

120点を超える展示は大変充実し、陶器と磁器、形と紋様、技法や変化などの微妙さが分かりやすく示されている。半島独自のものから、次第に日本の要請に応じて茶の湯向けに焼かれるようになった高麗茶碗。
日本独自の文化のなかで、造り手と使い手が海を隔てて観点を一致させたことに深く感銘を受けた。

見終えて昼食時間。隣接するホテルの中華に入った。朝食を抜いていたのでお腹が空いていた。

 

初めて口にしたふんわりさっぱりしたチャーハン。

 

何気ないが妻の焼きそばも美味しそうだった。

食べ終えて出たのは英語の領収書。チャーハンが3800円!焼きそば2800円!
お陰様で東京の高価な食べ物は、優しく軽い感じがするということが何となく分かった。油脂と塩を最小限にとどめているからではないか、と思った。高額については、年一度のご褒美と学習ということで納得することにした。
東京は一段と国際化を早めているように感じられる。

食事のあと級友と別れて「コートールド美術館 魅惑の印象派展」の東京都美術館へ。

 

上掲のカタログ表紙になっているマネの「フォーリー=ベルジェールのバー」のほか、ルノアールの「桟敷席」をこの目で見るのが主な目的。

何度も繰り返される印象派展。その都度親しみが増すのも事実。残りの人生に、油彩で描いてみたい風景が二三あり、いつも何か参考にできるかと思って観る。しかし比べるべくも無い自分の力、せいぜい省略をどう活かすかが課題だと、あらためて感じた次第。ゴッホ、ゴーギャン、シスレー、ドガ、ロートレックほかロダンの秀作も多く観られ大変楽しめた。

 

帰路の上野公園。何組かの学生さんがスケッチをしていた。

余談ですが、このたびの東京行きで二つ言い間違えを聞いた。
その一つ。乗車した北陸新幹線で、大宮を過ぎて流されたアナウンス。
「次の停車駅は品川、品川に停まります」
上野、東京駅を飛ばす?このまま東海道線に入るの?品川って、何が起きたの?
見ると周囲の乗客はみな承知したように静かで、とても不思議だった。
焦った私は寝ている妻を起こして、アナウンスのことを告げた。
寝ぼけまなこで、えっ、えっ、というばかりの妻。
数分して、「先ほどは失礼致しました。次は上野、上野に停まります」と何事も無かったかのようなアナウンス。今でもキツネに包まれている気がしている。
だが、その車内で、
「次は戦争、戦争です」のアナウンスが流れ、皆黙ってそれを聞いている光景が浮かび、気持ち悪い感じがした。

二つめ。
土曜日の夕食会の冒頭、オーダーを確認に来たチーフスタッフの言葉。
「皆さんの中にエネルギーのある方はいらっしゃいますか」
エネルギーが無くなってきた人間ばかりだったので、一同苦笑い。
アレルギーを言い間違えたのは慇懃で良く気が利きそうな人だった。

本日訪問先の102才のおばあさんに、今は何月でしょうか、と尋ねてみた。
11月、と仰り、こんなことは滅多に無く非常に驚いた。
私の方が11月だと教えられたような気がした。

去る日曜日午後、新潟市美術館でワイエスの絵を観た。

2019年11月15日(金曜日)

さる先々週の日曜日、柏崎市を訪ねて念願の庚申塔に出合った。
その日柏崎の後、新潟県立美術館でアンドリュース・ワイエス展を観た。

ワイエスを知ったのは樹下美術館の開館間もないころで、東京のお客様からこのブログに載せた雁子(がんご)浜の写真がワイエスの雰囲気に似ている、と言われたのがきっかけだった。
インターネットで取り寄せた画集は素晴らしく、直ぐに好きになった。画集をみて、確かに荒涼とした雁子の風景は、どこかワイエス風かもしれないと思った。
※この時の画集は当時から美術館のカフェに置かせて頂いています。

そんなワイエスの展覧会が新潟市美術館に来ていると知り、このたび念願叶った。
館内は120点もの水彩画が掛けられている。画家が親しみ30年も暮らしたという米国はメイン州クッシングの静謐な土地。草地の丘のオルソンの家という大きな建物と、そこに住む兄妹の生活が、深みのある良い色を用いて克明に描かれている。

 

展覧会カタログの表紙

様々な角度からの家と周辺の草地や畑そして海辺、さらに農具や作物、卵や小舟などが描かれている。家は屋根や雨樋から煙突まで、内部は厩、納屋、風になびくカーテンやランプに到るまで詳細である。それらの折々には家の住人である兄妹が描き込まれ、彼らが営む慎ましい生活が静かに語られている。
最後に二人の住人が亡くなり主を失った家が、文字通り空ろに描かれていた。
空気に風、その音や匂いなど目に見えないものまで伝えたワイエスの作品は一点一点が詩であり、作家の情熱と技量に驚嘆せざるを得なかった。

 

〈クリスティーナの世界〉の習作である絵はがき。
オルソンハウスの住人クリスティーナは足に障害がある。
草地を這って丘の家をめざす力強いクリスティーナを描いたシリーズの習作。

 

さて話戻って以下は2007年12月から撮った雁子浜の小屋で、地元の人の漁具が仕舞われていた。

 

2007年12月7日

 

2008年1月28日

 

2012年12月5日。
周囲に自然に生えた松が大きくなり、一方小屋は傷んできた。

 

2018年1月15日。
厳しい浜で頑張った小屋は持ち主が亡くなると、ついに潰れていった。

オルソンハウスは現存し、2011年に米国の歴史建造物の指定を受けているそうです。

「アンドリューワイエス展 オルソンハウスの物語」は、
2020年1月19日まで新潟市美術館で開催されています。

本日午後「蓄音機でSPレコードを聴く会」が終わって。

2019年11月9日(土曜日)

本日午後「蓄音機でSPレコードを聴く会」が皆様のお陰で無事終了した。
いつもながら無事とは有り難いこと、とつくづく感じさせられる。

エディット・ピアフ「バラ色の人生」と「三つの鐘」から始まった会。リュシェンヌ・ホワイエは名曲「聴かせてよ愛の言葉を」、シャルル・トレネは「パリに帰りて」「ラメール」、高英夫の後はイヴ・モンタンで同じ「枯葉」、エレナ・ゲルハルでシュ-ベルトの「冬の旅から「辻音楽師」、最後はエンリコ・カルーソーでビゼーのオペラから「真珠採り」の9曲を聴きました。
レコードを持参されたS氏はとても趣味が良く、「真珠採りなど涙がこぼれた」という声が聞かれました。

休憩では十六茶に飴とクッキーをお出ししました。

 

セッティングを終えた場内。

その後次々お客様が来られ20客近く追加しました。
(この写真はお客様からお借りしました)

後半は拙生のレコード。米国のミルドレッド・ベイリーやダイナ・ショアによる「ザ・ロンサム・ロード」「ソー・イン・ラブ」「アニヴァーサリー・ソング」、続いて戦後の暁テル子の歌、美空ひばり「あの丘こえて」、伊藤久男「あざみの歌」、フランク永井に続き、川田孝子と安西愛子の「月の砂漠」、最後に絵入りのテイチクレコードで「ジングルベル」を掛けて終了しました。

お若いカップルさんにも来て頂き、喜んでいる次第です。
シャープなCDと異なり、SPレコードの音は柔らかく、聴いていて疲れないというお声を聞き、なるほどと思いました。皆様にはそれぞれ思い出の歌があり、ハミングが聞こえたり、目頭を熱くされるなど、心打つ会ではなかったでしょうか。
電気、電子を用いない自然な再生音は今や新鮮、また歌を通して洋の東西と時代背景を体験出来たことも有意義だったと振り返っています。

今回で樹下美術館主催の今年のイベントは全て完了。ご協力頂いた方々、ご参加下さった皆様に厚くお礼申し上げます。

今年の樹下美術館は12月20日までの営館です。
あと40日余。晩秋初冬にも良い日があります。どうかお暇をみてお寄りください。

今週9日、土曜日はSPレコードを聴く会。

2019年11月7日(木曜日)

電気を用いない蓄音機に昔のレコードを乗せて聴くSPレコード鑑賞。
レコードが録音されたおよそ1930~1950年代ころまでの音楽がよみがえります。

このたびは特集として、シャンソン、ヨーロッパ歌曲、スタンダード曲、古い日本歌謡、童謡などの「歌」を掛けますのでどうかお暇を見てお寄りください。

午後3時始まりです。

以下は予定のプログラムです。

【前半】 シャンソン、クラシック歌曲
「バラ色の人生」 エディット・ピアフ
「三つの鐘」 エディット・ピアフ
「聞かせてよ愛の言葉を」 リュシェンヌ・ホワイエ
「パリに帰りて」 シャルル・トレネ
「ラ・メール」 シャルル・トレネ
「枯葉」 高英夫
「枯葉」 イヴ・モンタン
「辻音楽師」 シューベルト作曲 エレナ・ゲルハルト歌
「真珠採り」 ビゼー作曲 エンリコ・カルーソー歌

休憩

【後半】 ヴォーカル、日本歌謡・童謡
「ザ・ロンサム・ロード」 ミルドレッド・ベイリー
「ソー・イン・ラブ」 ダイナ・ショアー
「トゥー・ヤング」 パティー・アンドリュース
「東京シューシャインボーイ」 暁テル子
「あの丘こえて」 美空ひばり
「あざみの歌」 伊藤久男
「有楽町で逢いましょう」 フランク永井
「月の砂漠」 川田孝子・安西愛子
「みかんの花咲く丘」 川田孝子
「きよしこの夜」 テイチクレコード

以上19曲、多少順序が変わるかもしれませんがお楽しみください。

上手く踊る、楽しく踊る もう一つのワールドカップ。

2019年11月4日(月曜日)

ラグビーWCが終わった。力とスピードがてんこ盛りの競技は、私の様な者にもそれなりに理解出来、テレビさえ点ければ面白く観ることになった。
試合のほかスタジアム周辺では、大会を盛り上げる取り組みがさまざま伝えられている。

YouTubeにそれらが紹介されていて、その中の一つで以下の静岡市会場となった袋井での動画がとても興味深かった。

ロシア対スコットランドの試合から始まる動画は、場外のおもてなしブースに移る。そこでは静岡の有志によるカントリーソングのラインダンスが行われていた。そこにスコットランドサポーターが加わるや、場内は次第にヒートアップ、一種カオス寸前に。
だが終了を告げられると、不満も見せず舞台を降りる人々。そしてその後のスコットランド人とバグパイプの関係も分かりやすく、ワールドカップのもう一つの顔が丁寧に捉えられていて感心させられた。

 


投稿者のコメントも良く興味深い内容だった。

初めおそろいで上手に踊っていた地元ラインダンスの方達も、最後は各国入り交じった無心自由ダンスに司会とともに同化してしまう。
上手いダンスとは、楽しいダンスとは、幸せとはを垣間見た良い投稿だった。


少々長いですが、こちらの動画は同じ会場での始終が撮られています。
残り三分の一あたりから会場全体が熱く変わります。

これらの歌は何故か60~70年代の古いものが多い。若い人達も楽しそうであり、私のような年寄りには嬉しい。

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