文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ

日本の美術館名品展

2009年7月4日(土曜日)

 午後、東京都美術館で開催されている「日本の美術館名品展」に行った。ひと月ほど前に、小林新治氏から当展覧会のことを教えて頂いていた。それが明日最終日となってしまって、本日、日帰りで見てきた。

 

 さすが全国の公立美術館が加盟する美連協。25周年記念企画で各館の代表作が220点も出そろっている。好評のため今週末は午後8時まで開館というのも助かった。

 

 ベン・シャーン、デビット・ホックニー、アルベルト・ジャコメッティ、エゴン・シーレ、松本竣介、香月泰男、麻生三郎らの実物に会えるとは考えても見なかった。ルオーの道化師は常に胸に刺さるし、齋藤真一の瞽女の赤は切なく、三点のピカソは澄み渡り、館内は美術パラダイスの寸前だった。

 

 それにしても経済バブルと日本の美術館の関係が如何に密接だったか図録記事を読んで伺われた。バブル崩壊後、何年も購入予算がゼロという幾つかの現実は、やはり悲しかった。しかし一時の熱狂がなければ本日の作品の相当数を目に出来なかったのも事実。諸事克服しての企画展、美連協ならではの粘りに感謝したい。

 

 美術の賑わいは経済の活況と密接だが、良い作品の誕生は別かもしれない。今後どんな展開があるのだろう。今日は2時間しか取れなくてかなり見残した。時間があれば明日また、、、だめかな?

 

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 充実した図録:表紙はボナール、ハードカバーで308p。出展美術館ごとの学芸員による作品解説も読み応えがある。2冊買ってきました。明日さっそく樹下美術館のカフェにお出しします。

 

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入場券の図版:藤田嗣治「私の夢」/新潟県立近代美術館出展

美術館に文学

2009年6月17日(水曜日)

 今日昼、新潟からNHK文化センター「大きな旅、小さな旅の文学講座」の皆様が来館された。館長として少しお話させていただいた。とても熱心に聞かれ恥ずかしくもあり感激もした。あらためて美術と文学が、兄弟やそれ以上に近い実感がした。

 

 当館でいえば、陶齋の陶芸に散文的な詩情が、倉石の絵画には小説的な背景が漂うように。また昔から文士・文人はしばしば画をよくし、画家が文学賞をとることもあったりで。

 

 一行の講師(引率者)は文芸評論家で敬和学園大学教授の若月忠信さんだった。手元に氏の著書「文学の原風景」がある。同書で、倉石隆の絵画の同志、司修(つかさおさむ)氏の小説「紅水仙」の章を感慨をもって読んだことがあった。思いも掛けず今日は若月氏ご本人とお話できて光栄だった。

 

 バスを見送る時、美術館の庭にさーっと文学の風が立ったようで新鮮だった。

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楽しいゼミのようなカフェ。

 

カフェが一杯でデッキでお茶されたお二人。文学少女が香っていました。降らなくてよかったですね。

 

手元の「紅水仙」。主人公は、亡き母の謎を追って新潟県旧松代町へたどり着く。「文学の原風景」では若月氏が司氏の足跡をたどって松代を訪ねる。

「紅水仙」 著者:司修 発行所:(株)講談社 昭和62年4月20日第一刷発行

 

司修:第27回小学館児童出版文化賞(昭和53年/1978年)『はなのゆびわ』

    第20回川端康成文学賞(平成5年/1993年)「犬(影について、その一)」

    第48回毎日芸術賞(平成19年/2007年)「ブロンズの地中海」

小さな竹の橋の下。

2009年5月17日(日曜日)

”小さな橋よ竹の橋の下   川の水に流れてゆく
あの日の夢も楽し想い出も 川の水に流れてゆく
長い年も月も色とりどり やがては消えてゆく 赤い薔薇の花びら、、、”
40数年前、学生時代の夏、私たちの軟式庭球部は弘前であった東日本医学部の大会で優勝した。何度も優勝経験のある先輩たちの最後の大会で、終わると特別な感慨に包まれた。誰いうともなく、せっかくだから十和田湖~奥入瀬へ行こうということになった。男女10人くらいだったかで決まった。

路線バスで十和田湖へ寄って遊覧船に乗り、その後酸ヶ湯へ向かった。いつしか乗客は私たちだけになった。だれかが持ってきたウクレレで皆で歌った。そのなかで「小さな竹の橋の下」を歌った。バスも、仲間も、歌声も、奥入瀬の流れも、みな一つの時になって過ぎて行くようだった。

昨日、新潟県村上市に一泊で当時の仲間が集まった。宮崎、広島、愛知、静岡、千葉、東京、兵庫、群馬、新潟の都県からご夫婦も入れて20数人が参加した。長い年も月も色とりどり。良き先輩後輩同輩に恵まれて、どこかであのバスの続きを生きているようにも感じた。

ところで、夜のニュースは神戸、大阪の新型インフルエンザを伝えていた。流行は現行の対策マニュアルをあっさりかわして拡大している。強い感染力と、夏に向かう足が速くて油断できない。国は早くちぐはぐなモノサシを調整し、現実的な指導力を発揮して欲しい。気負った戦いでなく、真摯な科学として直面することが望まれる。

お茶碗そして上越の雪月花

2009年4月10日(金曜日)

 本日午後、貴重な抹茶茶碗に出会えた。齋藤三郎の高田における若い時代の作品である。弥彦神社の宝物・大鉄鉢(重文)をならって作られた器、と古い包みに書かれている。やや小ぶりで素直な姿。黒と茶に意図された鉄釉が絶妙な案配に焼成されている。

 

 わざわざ遠方から運んで下さった方は、戦後上越で堀口大学、濱谷浩、小田嶽夫、市川信次氏らを身近にして育たれた。茶碗は当時の文化の賑わいから自然に生み出されたであろう何とも言えない品格を漂わせている。

 

 皆様にお見せして、という言葉が有り難く、今秋にはぜひ展示したい。

 

 さて昨夜は14夜で、今夜は15夜満月。お天気に恵まれ高田城趾の桜も一段と冴えていたにちがいない。冬から春へ巡る上越の雪月花、、、。

 

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時を惜しんで

2008年12月14日(日曜日)

 今夕刻、土日の上京から帰りました。10月7日に見残した国立新美術館のピカソ展を観てきました。いつものように東京のN、浜松のK、上越から小生で同級生夫婦が集りました。年に一度のつもりが、今年は先回の2ヶ月後にまた会ってしまいました。
 

土曜の夕刻はKの提案で、虎ノ門・智美術館(とも美術館)で加藤陶九郎・重高・高宏の三代展を観ました。美術館では魅惑的な階段に導かれて地下へ下ります。光を落とした館内で、志野・黄瀬戸を中心に織部、黒織部など一統の優作が高質な照明に映えて楽しめました。
翌日曜日、開館直後に入ったピカソ展は最終日です。大勢の来館者がありました。人生を共にした女性が変わるたびに変化を遂げたピカソ芸術。しかもそれぞれが時代を切り開いたのですから驚きます。徹底したデッサンと線の訓練、さらに貴重な天賦があったに違いありません。余談ですがここでも額が簡素だな、と感じました。地元の美術館が修復中の海外巡回展ですから、額も仮のものなのでしょうね。少し残念でした。

 

土曜は夕食を4時間、そのあとK夫婦と前回のシガーバーで2時間。沢山話をして冬の宵を惜しみました。松永弾正のきわどさを語り、脂質の最前線を説明した学者N。兼続を知っていて嬉しかったです。探求の人Kは加藤陶九郎の永仁の壺事件とその背景を話し、ジャズを聴くようになったと語りました。
ありきたりながら、小生は映画「ファニー」と「シェルブールの雨傘」です。よく似たストーリーと音楽の良さなどを話し、若きレスリー・キャロンとカトリーヌ・ドゥヌーヴを懐かしみました。

 

最後にフランス映画「田舎の日曜日」(1984年カンヌ映画祭監督賞)をKに勧めました。1912年、パリ郊外に年老いた画家が住んでいます。秋晴れの日曜日、汽車に乗って新興サラリーマンの一家が父である画家を訪ねて来ます。遅く一人、新しい車でやってきた娘は実は失恋したばかりでした。娘は父を川辺の賑やかなカフェに誘います。カフェで娘は父の手を取って立ち上がり、楽師のワルツに合わせて踊ります。
哀愁をおびた素朴なワルツは、100年前の現場から聞こえてくるようです。ルノアールが描いたような人物たちが居るこの場面、不思議と胸が熱くなります。ほかにフォーレのピアノ5重奏曲が落ち葉や過ぎゆく時を慈しむように奏でられます。やや退屈かもしれませんが、忘れられた過去の人々と時間を共有できる不思議な映画です。

 

     
夕刻の智美術館入り口 付近の桜坂
   
        

膝掛けと温風/桜坂のカフェ

国立新美術館の壮大なカフェ
   
             

智美術館/切符

ピカソ展/絵はがき

   

続・大手町のムーンリバー

2008年11月15日(土曜日)

 前回「大手町のムーンリバー」でジャズにまつわる拙い思い出を書いた。書きながらある本が気になっていた。「モダンジャズ入門 THE FIRST BOOK OF MODERN JAZZ」。高校3年生の時に朝日新聞の広告を見て買った本だ。わくわくする記事、写真のプレーヤーの格好良さ、飽かず読んで見入った。ところが、これが高校、大学、そして帰郷から今日までおよそ50年、手元にあったと思えば消え、消てはまた出てくる不思議な本だった。

 

先日の記事を書いた後、案の定本棚に無いことが分かった。そういえば長く見ていない。今まで何度か徹底した押し入れの整理をしたが、この本の記憶はまったく無い。どこへ行ったのだろう、代わりがあるのかネットの古書検索を試みた。検索で出たのは重版であまり興味を持てなかった。年のせいだろうか、若い自分に繋がる本がよけいに必要に思えた。

 

実は古い我が家には9カ所の押し入れがある。多すぎて何かと探し物はおっくうになる。ところが昨日、駄目もとでその一つを探してみたところ、案外あっさり出てきた。10年以上も前に積み上げた古い医学雑誌の中に埋もれていた。ネットによれば、当時詩人や知識人たちが求めた本とあった。その初版を高校生の自分が持っていたなんて、出てきてくれてことさら嬉しい。

 

4/6版の可愛いサイズ(18,8×12,8㎝)ながら、いちおう角背にミゾが施されたハードカバーだ。ひどく傷んでいた背にノリをすり込んでヒモで縛って直してみた。本日ヒモを解くと見た目は今いちだが、かなりしっかりしてきた。
因果な本はこれまで何度も消えては現れを繰り返した。昔から自分は大事なものほど失くしてしまう傾向がある。だからいつかまた消えてしまいそうで怖い。今度ばかりは油断しないようにしよう。

内容の写真は「モダンジャズ入門 THE FIRST BOOK OF MODERN JAZZ」/油井正一編・荒地出版社・1961年初版から。

発見捕縛 開放
   
        
フォーマルのMJQ 若き日の大御所たち

大手町のムーンリバー

2008年11月11日(火曜日)

 1962年、上京した年の正月、私は生まれて初めて憧れのジャズ演奏を聴いた。場所は大手町の東京サンケイホール。ホレス・シルバーのクインテットだった。当時モダンジャズは世界で縦横に場を広げ幸福な時代を迎えていた。ホレスの演奏はうぶな自分にもNica’s Dreamの華やかな激しさを伝えた。
公演が終わって頭を冷やすため、人影の無い正月のオフィス街を歩いた。歩きながらムーンリバーのメロディーを口ずさんだ。あたりは、映画「ティファニーで朝食を」で見た朝のシーンに似ていた。ビルの谷間の誰もいない細い路地へわざと入って、都会っていいなと思った。

 

サンケイホールの正月は、前年にアート・ブレーキーが公演していた。以来しばらくきら星のごときジャズメンたちの公演が続いた。キャノンボール・アダレイ、ホレス・シルバー、アートブレーキーの再演、、、。

 

大手町で地下鉄を降りてサンケイホールの外階段に並ぶ。ニューヨークから着いたばかりのジャズマンの演奏が聴けるのだから、正月の寒い階段も平気だった。演奏は音で世界を埋め尽くさんばかりで、スーツを決める黒人プレーヤーたちは格好良かった。そして終わるとガランとした大手町を歩き、決まったようにムーンリバーを口ずさんだ。誰も居ないビル街を独り占めしているようで楽しかった。ジャズのため何度か正月に帰省せず、親に叱られた。

 

ところで昨夜11時前、テレビで「ティファニーで朝食を」の最後のパートをやっていた。陽気なシーンもいいが、悲しげなヘップバーンは本当に素晴らしい。そしてエンドタイトルへ、ムーンリバーが流れて静かな朝のニューヨークが写る。あらためて正月の大手町は似ている気がした。私は海外旅行の経験がほとんど無く、もちろんニューヨークへも行ったことがない。MJQ、セロニアス・モンク、カウント・ベーシー、ヘレン・メリル、オスカー・ピーターソン、そして秋吉敏子もだったかな?正月以外もジャズを聞きに通った大手町。そこは自分なりのささやかなニューヨークだったのかもしれない。

芝居の同窓会

2008年11月8日(土曜日)

 今夕10年振りとなるある同窓会に出席しました。参加者は22才から70すぎの方まで大変多様です。ちょうど10年前、旧大潟町の素人劇団「潮騒」で「人魚塚」を公演した仲間です。10年たつと6年生だった子役さんはもう社会人になっていました。

11場の人魚塚は大潟町と頸城村で計3回公演され、いずれも大入りでした。経費も乏しく衣装・舞台みな手作り。仕事や学業の傍ら多くの方が役者、ナレーター、大小道具、衣装・メーク、照明、音響に参加されました。さらに本読みから最後の公演までの二年間、作家故石堂秀夫氏や舞台装置と詩人の大瀧満氏および高校演劇の指導者満田誠二氏には大変お世話になりました。そして暗転のなんたるかも知らずに台本を書き演出をしたのは不肖私でした。

 
何でもそうでしょうが、稽古から公演まで必死の演劇は素人であっても文字通り死ぬか、と思うほど消耗します。しかしその後10年、かつての努力と成果は、それぞれの人生に何かしら貴重な心の種として生き続けたように思われます。今夜は、当時の座長を中心に同窓会であり、叶うならば再び公演を、という会になりました。もしかしたら新たな芝居に向けてスタートしたのかもしれません。

 

医業の傍ら美術館を営むなど私の不遜は如何ともし難く思っています。患者さんと美術館を大切にして、さらに地域の皆さんと新たな必死が始まるのでしょうか。緊張感に包まれて何か「もののふ」めいた心境で帰路につきました。10年前の懐かしい写真を掲載しました。

 

   
希望館の公演 人魚塚/おなみの告白
   
磯吉とおなみ 嘆くおみよと母
   
   
捕り物 子役さんたち
   
   
照明・音響・スクリプターさん 今夜の同窓会

先週末の展覧会

2008年10月7日(火曜日)

 

先週末、大学時代の三人の同級生で夫婦して東京に集まりました。毎年続けている年一回の会合です。今回は忙しくも楽しい美術館巡りが出来ました。遅ればせながらのレポートです。

 

○巨匠 ピカソ 魂のポートレート展/サントリー美術館

 4日土曜日、展覧会初日の訪問でした。夕刻、混雑が緩和されつつあるタイミングで運の良い入館ができました。ポートレートに絞ったピカソ展は希ということです。そのためでしょうか、展示の流れに従って観るうちに、偉大なピカソの魂が自然と心の奥深く染み込むのを覚えました。変化するテーマ・方法・色彩、そして高度な線。主題を絞り、かつすべての時代を網羅した試みはわかりやすさの点でも極めて貴重だと思いました。
ところでリーフレットにもなっている「自画像」の顔は能面のようです。そして面を付けている無言の人物こそがピカソ自身にも見えました。苦難の青の時代、重い謎を残した印象的
な絵でした。
最後に、昨秋の博物館大会でお目に掛かった支配人から美術館のお茶室や多目的ホールなど素晴らしい
施設全体をご案内いただきました。ご多忙の中、本当に有り難うございました。メセナに対するサントリー(株)のたゆまぬ取り組みに、さらに敬意が深まりました。 

 

 

 

 

○フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち/  東京都美術館

5日日曜、午前9時に訪ねました。17世紀に特異な光を放ったフェルメールはじめオランダ・デルフトの画家たち。身近な風景と人々を描いた作品には共通の静けさと丁寧さが認められました。比較的小さな画面の主人公たちは、衣擦れの音とともに私たちの前に現れたり、再び絵の中に戻ったりを繰り返す魔法が掛けられているようでした。わずかな厚みに閉じ込められ、運動も許されない絵画が時空を越えて生き続けるとは。絵画芸術の深奥を見る思いでした。

○森川如春庵の世界/三井記念美術館

前日、ホテルのテレビで告知を見て訪問を決めました。5日午後、皆と別れた後、新幹線時刻までの幸運な1時間半でした。
本阿弥光悦作「時雨」「乙御前」、さらに桃山期の志野「卯の花牆(うのはながき)」、そして同期の瀬戸黒「大原女」。書物か夢でしか見られないと思っていた茶碗をそろってこの目で見ることが出来ました。
展覧された何気ない小さな織部の香合や漆黒の薄茶器などが素晴らしく見えるのも、お茶の世界ならではの不思議かもしれません。茶人・如春庵(にょしゅんあん)を高く評価した先達の茶人・益田鈍翁(どんのう)は三井物産の創立者で新潟県佐渡の生まれでしたね。

○このほかに旧岩崎邸庭園鳩山会館を見ました。湯島天神近くの旧岩崎邸は、驚いたことに明治まで越後高田藩、榊原家の江戸屋敷だったそうです。当時の広さは現在の2倍もあったようで、場所も一等地です。普段くわしくは知らなかった我らの殿様が、急に誇らしく思われました。書物「逝きし世の面影」に、江戸は大名たちの広大な屋敷によって市中全体が公園のようでもあったと書かれています。戦国の世を終えた武将、武士たちは、争いに代えて武芸や学問とともに庭造りにも励む(励まされた?)ようになったということです。両邸では風と共に去りぬなどハリウッド映画のシーンが、デジャヴのように舞っていました。

○忘れ物
4日深夜に訪れた初めてのシガーバー。こんな日の最後は葉巻、というKの案内でした。彼の選んだハバナの葉巻にボーイさんが丁寧に火を点けてくれます。普段はだれも喫煙しませんが、皆で一本の葉巻を一通り味わいました。

「篠崎正喜さんの個展」のお知らせ

2008年8月7日(木曜日)

 樹下美術館カフェに架かる午睡(ひるね)の作者篠崎正喜さんが東京銀座で個展をされます。
9月1日(月)から6日(土)です。お母様を介護されながら生まれた美しい作品が並ぶことと思われます。

 

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