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ジャコメッティの細い「歩く男」が。

2010年2月7日(日曜日)

たとえばAという人のAらしさを表現してみる。これは様々なジャンルとレベルで可能だ。およそ子どもの時から私たちもこのようなことに親しんできたように思う。

ではAに見られる人間らしさを表現するのはどうだろう。前者の裏腹でもあろうが命題は突然地味に変化し、困難の予感がしてくる。こちらの人間観まで問われるからだろう。

これらの事を生涯痛々しいほど追求した一人がアルベルト・ジャコメッティ(1901年~1966年)ではないだろうか。彼の作業には陣痛を伴う出産(誕生)のイメージが浮かぶ。
いつしか彼の人間についての彫像は台座の上に小さな棒のようなものとして現れる。それがさらに細くと望んで次第に背が高くなっていった。

我が心の芸術家より
妻が見ている細い人間を作り始めた頃のジャコメッティ(我が心の芸術家たち:著者/ブラッサイ 翻訳/岩佐鉄男/ 1987年12月24日(株)リブロポート発行より)。自らの作品を触る彼はうっとりとして幸せそうです。この本は樹下美術館のカフェにあります

 哲学でなく実体への固執。同じ場所に住み、晩年は手術と苦悩とタバコによって衰弱し、服の中に浮いているようだったと目撃されたジャコメッティ。ピカソやサルトルなど多くの人が彼を愛した。

そんな彼の細いブロンズ作品「歩く男」が先日ピカソを抜いて芸術作品の彫刻分野で競売史上最高額をつけた。3日、ロンドンはサザビーズでの出来事だった。この時代、一つの作品が1億430万ドル(約94億円)で落札されるとは驚くべきことだ。彼は同じものを6体制作したらしい。芸術(また芸術家)の深淵と壮大を思った。

 

樹下美術館の展示作家、故倉石隆氏はジャコメッティを愛し影響を受けた一人でした。氏の人物もしばしば細く描かれますが、作者に感応した独特の存在として魅力的です。


倉石隆作裸婦
 
倉石隆作「男(O氏の像)」

世界は日の出を待っている

2010年1月1日(金曜日)

あけましてお目出度うございます。
お陰様で今年6月、樹下美術館は開館満3周年を迎えます。

 駆け足の3年を文字通り皆様に支えられて歩んできました。これからも楽しい場所となりますよう、スタッフ一同心を込めて参りたいと思います。

 

 さて昔の話ばかりで恐縮ですが、若い頃のお正月によくラジオから聞こえてきた曲がありました。「The World Is Waiting For The Sunrise/世界は日の出を待っている」です。軽快なテンポと明るい曲調はお正月の定番でした。 

 

 もとは1919年、第一次世界大戦直後に作られたというデキシーランド曲。疲弊した当時の社会を大いに元気づけたそうです。 この年はまたスペイン風邪の世界的流行が2年目になった年でもありました。 

 

 ユーチューブの「The World Is Waitig For The Sunrise」 

 さて映像の演奏はギターがレス・ポール、歌がメリー・フォードの夫妻です。レス・ポールは同名の楽器でおなじみのギターの名手ですね。映像の音源は1951年、洗練された多重録音のはしりとしても有名でした。
 二人によるレコードが流行ったのも第二次大戦からの復興期でした。その後、成長の長いテンションが切れてしまった今日、新型インフルエンザまでも現れました。時代は巡るのでしょうか、ふと「世界は日の出を待っている」を聴いてみたくなりました。
世界は日の出を待っている

上の写真は学生時代に買った二人のLP。一曲目に映像と同じ演奏が入っています。赤く透けるレコード盤が新鮮で、取り出すとわくわくしました。

つかの間を楽しんで

2009年11月27日(金曜日)

昨日、恥ずかしながら小生の作品展が初日を迎えて、レセプションがあった。主催者からは、心づくしのしつらえが伝えられていた。深夜の往診が続いた患者さんに落ち着きがみられたので、新潟へ車を飛ばした。

会場は作品が展示されているお宅の室内だ。レセプションではジャンニスキッキが歌われ、お仕舞いもあって楽しかった。電子ピアノは青木昌己さんだった。氏は長い間イタリア軒のラウンジでピアノを弾いておられ、かつて上越にお招きしたこともあった。15年振りの再会となり、懐かしいEarly Autumnを弾いて下さった。

 

音階を忠実に辿るリチャード・ロジャースの名曲「Where or When」の素晴らしさなど、楽しいお話が聞けた。主催された悠さん、本当に有り難うございました。

帰りは妻の運転。一眠りのあと、前のトラックにカメラを向けると面白く写った。モニターを見ながら、ああもうクリスマスだと思った。
後日の追加です:少し冒険をしてEaerly Autumn の曲を動画で付けてみました。うまく掲載されているでしょうか、歌っているのはジョー・スタッフォードです。写真画面なので動かずに申し分けありません。
私の中学時代に彼女の「霧のロンドンブリッジ」が流行りました。当時オルガンでこの曲を上手に弾く生徒がいて、弾き始めると同級生達が沢山集まりました。ご存じのように、ジョー・スタッフォードはほかにも多くのスタンダード曲を歌っています。
今どきEaerly Autumnでは季節が少々合いません。しかし時には後戻りもいいのかな、 ということでお許し下さい。以前の「少し遠い岸海のEast of The Sun」にも曲の動画を付けてみました。

少し遠い海岸のEast of The Sun

2009年10月31日(土曜日)

今週は例年のインフルエンザワクチン接種が追い込みで忙しかった。また私が学校医をしている小学校で初めて新型インフルエンザによる学級閉鎖があった。比較的平穏だった新潟県も今月中旬から注意報→警報へと一気に深刻化しはじめた。

北海道ではすでに最大級の警報が続いている。季節型、新型ともワクチンの不足と遅れによって今後の半年余が非常に憂慮される。

国は早々とワクチンの減産を宣言した。これは大きな問題だったと思う。日本の国力があれば克服できたのでは。極めて重要な年になぜ生産に専念しなかったのだろう。

 夕刻、少し遠い海岸へ行った。

陽が沈みかけ、月が昇り始めた。

East of the sun and west of the moon

We’ll build a dream house of love dear

・・・・・。

朝な夕なに向き合う月と太陽の時間。

とてもいい昔の歌だ。


Diana Krallの East of The Sun

 

おのぼりさん、その2

2009年9月20日(日曜日)

 国立近代美術館でゴーギャン展を、同工芸館で「リーチ・濱田・豊藏・壽雪 展」を見た。 

 ゴーギャンは9月23日で終了するので、大賑わいだった。若い人達が沢山来ていて、館内は熱気がこもっていた。

 

 

 

 旅人ゴーギャンの西洋は南洋の野性へと導かれていく。彼は珊瑚礁などには一瞥もくれず、旺盛な自然の島内で座るか、立つかしている女性を描きつづける。

 

 彼女たちの肉体は重厚で、精神は野性の神秘にゆだねられている。生まれたばかりの子はぐっすりと眠り、無心に食べて育つ。世界の表裏において主人公であった女性も、最後には老いて尽きる。その連鎖をどっしりとした女神がみている。

 

 大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」は、DNAの絵画に見えた。野性の根源性を芸術によって肯定した稀な人、ゴーギャン。

 

 陶芸館ではバーナード・リーチ、濱田庄司の民芸作家から豊蔵、壽雪の志野を中心に著名な作家の作品が並んだ。それぞれに数が膨大なので作家の個性が無理なく理解できる。6枚揃った濱田の丸文赤絵皿を欲しいと思った。

 

 帰り際、階段の降り口に何気なく置かているベンチが黒田辰秋だと気づいた。大いなる憧れの木工、黒田の作品を初めて見て、しかも座れた。不意のラッキーは、ことのほか嬉しかった。

 

 ※樹下美術館が常設展示している陶芸家齋藤三郎は、戦前の鵠沼(くげぬま)において黒田とともに制作したことがあります。 

 

【何気なく見たものから少々】

タペストリー

中庭のオブジェ

お茶うけ

越後に人々

2009年8月23日(日曜日)

貴重な日曜日、訪ねてきていた弟と天使のような姪っ子たちが帰った。そして午後から新潟市へ、三回目の佐伯祐三展と初めての会津八一記念館行きだった。

 

 

佐伯祐三展に通って、一期三会を果たした。作品を通して見ぬ人と再会し、語り、別れる。芸術の世界ならではの素晴らしい体験ができた。

 

 

 

 

佐伯祐三展の案内スクリーン

 

 

 

 

会津八一記念館では「没後10年 濱谷浩 会津八一博士を写す」展を見た。詩と書と学芸の偉人・会津八一と写真家・濱谷浩の息詰まる交流を目の当たりに出来た。洞察の写真家・濱谷氏の神経と技によって、八一が館内で呼吸し闊歩していた。昔の人達が守り合った筋と流儀が清々しかった。

 

 

 

 

閑静な場所にある会津八一記念館。八一は新潟市出身。

 

 

 

 

 

同会場で詩人・堀口大学の上越市にある詩碑「高田に残す」の資料を見た。同じく上越にゆかり深い濱谷氏の奥様・朝(あさ)婦人の茶筅(ちゃせん)塚の資料にも出会えた。あらためて先人の足跡を訪ね、浅学の穴埋めをしようと思った。

 

 

そして新潟に向かう車中のラジオで甲子園を聞いた。越後の若者・日本文理ナインがとうとう決勝に進むことになった。これまでの同校選手のユニホーム姿が一段と洗練されて見えているのは、身びいきのせいだろうか。

 

 

さらに夜のドラマで景勝、兼続たちが越後春日山城を離れた。険しい山を幾つも越えて何百キロも先の会津へと城を替える。それぞれの心も体も大変だったことだろう。

 

 

夏雲とともに、越後の、越後ゆかりの、人たちがくっきりと現れた日だった。

 

 

 

黒崎SAからの空

松雲山荘の初秋、そして別れがたき佐伯祐三展

2009年8月9日(日曜日)

午後の時間、前回に続いて二度目の佐伯祐三展を見に新潟へ。途中の柏崎では木村茶道美術館へ寄った。美術館がある松雲山荘のもみじが色づき始めていた。

美術館茶室の床(とこ)には玉船の「雪」ひと文字のお軸。床の花は黄ツリフネソウ、レンゲショウマなど5種が夏を惜しんで生けられていた。座って李朝(りちょう)あみがさの主茶碗(おもじゃわん)で飲ませて頂いた。迫力の茶碗は見どころが多くて、心に残った。

妻は道入の茶碗で飲んだ。替茶碗(かえじゃわん)が道入とは驚くべきことだが、ここは一貫して貴重な実物で広く茶を呈する姿勢を続けている。

※玉舟(ぎょくせん):17世紀の臨済宗大徳寺派の禅僧。同寺第185世住持。

※道入(どうにゅう):軽く柔らかい楽茶碗は利休によって重んじられるようになった。楽茶碗は初代楽吉左衛門(長次郎)から15代継承され今日に至っている。3代道入は特に人気が高い。

何かと時間が足りない常で、新潟市の佐伯祐三展は立ち話をする程度しか見られなかった。もう一度別れを告げに行ってみたい。

素晴らしい生け垣 心こもったお手前
朱欄干 色づきはじめたもみじ
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茶室に向かう階段と彫像 手水鉢(ちょうずばち)

芝居「とんでもない女」と歌「幸せがいっぱい」

2009年7月23日(木曜日)

 今夕、上越文化会館で芝居「とんでもない女」を観た。下條アトム、川島なお美、吉田羊の役者さんによる渾身の舞台だった。

 

 お恥ずかしいことに、10年余も前、地域の芝居に携わったことがあった。稽古のおよそ半年間、あまりに大変で、死にそうだと何度か妻に漏らした。それで今日の芝居の2時間、一貫したテンションに驚かされた。劇中、日常の所作から、芝居の中のお芝居までプロの力量を目の当たりに出来て本当に楽しめた。特に川島さんは台詞も動きも自然で、姿が良く、声が通って、ほれぼれさせられた。

 

 音響でも感動があった。最後の暗転で流れた歌に、胸を熱くさせられた。クラウディア・カルディナーレの古い映画「鞄を持った女」の主題歌だった。ずーと昔45年以上も前、学生だった私の回りで小さな事件がいくつか重なった。悲しい気持ちが続いているさ中、なにかとラジオから聞こえた歌だ。

 

 「幸せがいっぱい」、、、帰りに曲名を思い出した。哀愁の曲調は”幸せと悲しみの切ない狭間”を感じさせる。ギターが付いてシャンソン風にリメークされていた。突然いい音で響いて懐かしかった。

 

沢山楽しめた良いお芝居を有り難うございました。

日本の美術館名品展

2009年7月4日(土曜日)

 午後、東京都美術館で開催されている「日本の美術館名品展」に行った。ひと月ほど前に、小林新治氏から当展覧会のことを教えて頂いていた。それが明日最終日となってしまって、本日、日帰りで見てきた。

 

 さすが全国の公立美術館が加盟する美連協。25周年記念企画で各館の代表作が220点も出そろっている。好評のため今週末は午後8時まで開館というのも助かった。

 

 ベン・シャーン、デビット・ホックニー、アルベルト・ジャコメッティ、エゴン・シーレ、松本竣介、香月泰男、麻生三郎らの実物に会えるとは考えても見なかった。ルオーの道化師は常に胸に刺さるし、齋藤真一の瞽女の赤は切なく、三点のピカソは澄み渡り、館内は美術パラダイスの寸前だった。

 

 それにしても経済バブルと日本の美術館の関係が如何に密接だったか図録記事を読んで伺われた。バブル崩壊後、何年も購入予算がゼロという幾つかの現実は、やはり悲しかった。しかし一時の熱狂がなければ本日の作品の相当数を目に出来なかったのも事実。諸事克服しての企画展、美連協ならではの粘りに感謝したい。

 

 美術の賑わいは経済の活況と密接だが、良い作品の誕生は別かもしれない。今後どんな展開があるのだろう。今日は2時間しか取れなくてかなり見残した。時間があれば明日また、、、だめかな?

 

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 充実した図録:表紙はボナール、ハードカバーで308p。出展美術館ごとの学芸員による作品解説も読み応えがある。2冊買ってきました。明日さっそく樹下美術館のカフェにお出しします。

 

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入場券の図版:藤田嗣治「私の夢」/新潟県立近代美術館出展

美術館に文学

2009年6月17日(水曜日)

 今日昼、新潟からNHK文化センター「大きな旅、小さな旅の文学講座」の皆様が来館された。館長として少しお話させていただいた。とても熱心に聞かれ恥ずかしくもあり感激もした。あらためて美術と文学が、兄弟やそれ以上に近い実感がした。

 

 当館でいえば、陶齋の陶芸に散文的な詩情が、倉石の絵画には小説的な背景が漂うように。また昔から文士・文人はしばしば画をよくし、画家が文学賞をとることもあったりで。

 

 一行の講師(引率者)は文芸評論家で敬和学園大学教授の若月忠信さんだった。手元に氏の著書「文学の原風景」がある。同書で、倉石隆の絵画の同志、司修(つかさおさむ)氏の小説「紅水仙」の章を感慨をもって読んだことがあった。思いも掛けず今日は若月氏ご本人とお話できて光栄だった。

 

 バスを見送る時、美術館の庭にさーっと文学の風が立ったようで新鮮だった。

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楽しいゼミのようなカフェ。

 

カフェが一杯でデッキでお茶されたお二人。文学少女が香っていました。降らなくてよかったですね。

 

手元の「紅水仙」。主人公は、亡き母の謎を追って新潟県旧松代町へたどり着く。「文学の原風景」では若月氏が司氏の足跡をたどって松代を訪ねる。

「紅水仙」 著者:司修 発行所:(株)講談社 昭和62年4月20日第一刷発行

 

司修:第27回小学館児童出版文化賞(昭和53年/1978年)『はなのゆびわ』

    第20回川端康成文学賞(平成5年/1993年)「犬(影について、その一)」

    第48回毎日芸術賞(平成19年/2007年)「ブロンズの地中海」

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