空・海・気象

雨上がりの夏雲 「はくたか」の昼と夜、そして来年。

2014年7月5日(土曜日)

昨夜半から降った雨をしっかり吸った山々から雲が高く沸き立った一日でした。

勇壮な雲も不思議なことに次第にばらけてきて、すると近くからまた新しい雲が立ち上がったりするのです。

1午後米山を覆っていた雲。上越市大潟区長崎方面。

2夏雲を背景に颯爽とやってくる昼のはくたか。上越市大潟区蜘蛛が池付近で。

3かすかな夕焼けを猛スピードで追いかけるはくたか。上越市頸城区柳町付近で。

何度か書きましたが来年3月に終了するであろう北越急行の特急「はくたか」。
一日一日が見納めとなる走行を轟音をもって続ける列車は立派であり、また愛おしく見えます。

ところで私たちの一日もある種この列車に似た面があるかもしれません。
しかし「はくたか」の凄いところは、
来年4月から新幹線という格段上の衣に着替えて、さらにスピードを上げるというのですから全く敵いません。

そこで私の提案ですが、来期以後のほくほく線に「くびきのエクスプレス」など特急クラスの列車を一日4往復ほど用意できないものでしょうか。
車体の色は深緑一色に一本の金の帯が入る、あるいは真っ白に緑と黄色の帯などとびきり美しくするのです。
そうすれば私も乗ったり観光の人が喜んで使うかもしれません。

それにしても現「はくたか」のあの上品な車輌はどうするのでしょう。

海。

2014年7月1日(火曜日)

本日7月1日は各地で海開きが催される。
当地も快晴で、鵜の浜温泉海水浴場は本日海開きだった。

1208の鵜の浜温泉一昨年8月、孫と行った鵜の浜温泉海水浴場の写真です。


Mr.Beenの海(歌はフランスのシャンソン歌手シャルル・トレネの名唱「ラ・メール」です)
ビーン氏は「Sea,!Sea!」と喜び、 海の楽しさが満載ですね。

ああ恩師から花の本 雁子浜の夕暮れ。

2014年6月30日(月曜日)

先日一冊の本「花を楽しむ地図」が送られてきた。卒後お世話になった大学の内科教授が100才のお祝いで届けて下さった。

花を楽しむ地図美しい写真と共に花と文学、花と歴史、花と音楽などもある「花を楽しむ地図」
(著作者・帝国書院編集部 帝国書院 平成24年2月25日発行 )。
新潟県は高田の夜桜が一番目に掲載されていた。

 

教授はとても健常で90才になられてもゴルフをされたと聞いていた。

教授カメラを見て微笑まれた教授。
足かけ8年お世話になり自分が医局を去る1975年前後だったと思う。

大変物静かでハンサムだった先生。
短い言葉に全てが込められていた聡明さ。
パイプと読書の教授室。
いつも緊張した教授回診。

その先生が100才になられて教え子達に花の本を届けて下さる。
何もお役に立てなかった自分には勿体なくて有り難くて涙を禁じ得ない。

雁子浜の夕暮れ

人魚塚の夕暮れ今夕の雁子浜(がんごはま)。

先生有り難うございました。
100才、本当におめでとうございます。

宵闇の虹 惜しまれるほくほく線特急「はくたか」。

2014年6月7日(土曜日)

夕食を始めてふと見ると松の上の方が夕陽に照り映えている。
悪いけど行ってくる、と妻に告げてほくほく線を撮りに急いだ。

西の空は真っ赤で、良い時間は限られている。
すると途中通過の大潟区岩野の中谷内の池でうっすら架かる虹を見た。

140607宵闇の虹虹がみえるでしょうか。間もなくほんのちょっぴり雨が当たってきました。

宵闇の虹こんな遅い時間、ちょっぴりの雨に人知れず架かった虹。
神秘的また少々感傷的な気持ちになりました。

夕暮れのはくたか今夕のはくたか。私の技術ではいっぱいいっぱいの時間。

この日目指したポイントに先客さんがカメラを構えていた。
はくたかが往復した後、そのサラリーマンの方と立ち話をした。

間もなく夏至で夕陽のはくたかを撮る時間は限られてくる。
そもそも来年の今頃はもう姿が無い。
まして特急の灯が田面に写るのはもうすぐ終わる。

そう思うと居ても立ってもいられず、直江津から撮影に来たと。
私よりかなり若く私よりずっと電車に詳しい。

はくたかは時速160キロものスピードでここを走る。
遮壁もなく高架の特急が丸見えなのも非常に貴重だ。

確かに開業新幹線に「はくたか」の名は残る。
しかし夕焼けを背景に水田を疾走する姿を撮ることは、出来ないのではないか。

ほくほく線「はくたか」は本当に勿体ない。
随分世話にもなった。

私も同じです。

まん丸に抜かれた雲。

2014年6月6日(金曜日)

北海道を除いて全国が梅雨入りしたと報じられている。
しかし本日当地では一時ほんのわずかの雨が降った程度だった。

昨日に続いて今日も色々な形の雲を見ることが出来た。
爽やかに晴れた日の雲はのんびり感のあるのどかなものが多い。
しかるに 前線が関係するような不安定な気象のそれは一種おどろおどろしかったり、
あるいはドラマティックな様相を呈して興味深い。

017夕方近くの四ツ屋浜でぽっかり丸い穴が空いた雲を見た。

気象が空に作り出す雲の造形はスケールが大きく意外性があり見飽きない。
特に朝夕は斜光により陰影と色彩が強まり、立体的で見応えある。

朝が苦手な小生はもっぱら夕にかかる在宅回りが終わるころから、
一日を懐かしみつつ雲に目をやる。。

久し振りに雲が良かった夕刻。

2014年6月5日(木曜日)

雨の予報も出ていたが降らず済み、風を伴った涼しい一日。
夕刻にかけて久し振りに雲が一段とくっきりと見え、目と脳を和らげた。

四ツ屋浜大潟区四ツ屋浜

頸城区頸城区中増田付近。絵画のような静けさ。

米山方面頸城区の水田から米山、尾神岳と雲。ダイナミックで立体的な動き。。

妙高方面頸城区の水田から妙高連峰と雲。伸ばした真綿を乗せたようだ。

上下浜海の事故があった上下浜は、ハマボウフウとハマヒルガオが優しかった。

電線と夕焼け 汽船を見送る草。

2014年6月3日(火曜日)

昨日よりも色濃い夕空だった本日6月3日。
テレビは暑いと言ったが、夕刻は涼しくなり車が示した外気温は30度に届かなかった。

畑の人達は口々に雨が欲しいと仰っている。
庭のためにも降ってほしいところ。

076懐かしい電線と夕焼け。

088夕暮れの佐渡汽船を見送る夏草はまだ小ぶりで乙女のようだ。

本日地元の記者さんたちとお会いして 一昨日のマジックアワー。

2014年5月13日(火曜日)

本日午後、昼休みの時間を利用して遊心堂さんの会場で地元の記者さんたちとお会いしました。
上越タイムスのT氏、上越よみうりのMさん、JHKのNさんでした。
場内を見ながらお話をし、またテーブルにも座りました。

私が花を描く訳、描き方の要点、要する時間、これまでの作品展のことなど色々聞かれました。
懐かしいT氏、熱心なMさん、マイクを向けられたNさん、熱く好意的な取材を有り難うございました。
新潟日報さんは初日の取材ということ、どうか宜しくお願い致します。

昨日展示作業を終了した作品達は、明後日の初日を私以上に緊張して静かに待つ風でした。

何かと忙しかった一昨日の日曜日、以下は妻と外食した日没後の直江津地域のマジックアワーです。

005

011日没後の空は、わずかな時間澄んだ青みを帯びた。
こんな空初めて、とは妻の感想でした。

上下浜に花を置いた。

2014年5月7日(水曜日)

返す返すも痛ましい上下浜の海難。
昨夕花を作ってもらい現場を訪ねた。

いつも車を止めるまさにその場所。
ここで夕陽を見ながら妻と車中でお弁当も食べた。

075

 

081

その場所で5人もの命が失われ、目の前に献花が並んでいる、、、。
花に混じってお菓子やジュースが沢山置いてあった。
しゃがんで手を合わせたがやはり涙が落ちる。

ここが好きな人は少なくない。
良い季節ばかりでなく真冬でもだれかが車を止めている。
みな心いためていることだろう。

夕暮れはうすべに色の雲をまとった半月が昇っていた。
尊い魂を慰める風だった。

痛ましい上下浜の海難事故 上越にも救助ヘリを 金属バスケットですくい上げては。

2014年5月5日(月曜日)

昨日、大好きな近隣の上下浜の海で痛ましい事故が起った。

午後美術館で庭仕事をした帰り道、すぐ先の空にヘリコプターが飛んでいた。
一機だけではなく、旋回もするので何か事故?高速道路かもしれないと思って家に入った。

すると夕刻の全国ニュースのトップが、こともあろうに上下浜で子ども3人大人2人が亡くなる事故を伝えた。
丘にホテルが建つ美しい景観の海で、余りに痛ましい出来事だった。

一昨日は一日中いやな感じで風が吹いた。
おそらく昨日の海は余波でかなりのうねりが生じていたにちがいない。
子どもは渚が好きだ。
次々と寄せる波は動物のようでもあり、近寄っては逃げる遊びの相手になる。

海辺で育った自分もよく遊んだ。
昨日の子供達も楽しかったことだろう。

それが突然巨大なうねりに襲われたのだ。
寄せ波が子どもを倒し、引き波で一気に沖へとさらったと考えられる。

一帯の砂はざくざくしたツブ状で、足が深く入り容易に流動する。
強い波の中、沖に向かって立つと、寄せ波は足のかかとをえぐり、引き波はつま先を掘る。
突然大きなうねりが来た場合、寄せ波で逃げてもバランスを崩しやすい。
足を取られたうえ坂を下る強い引き波が、次のうねりへと子ども達を飲み込んだのだろう。
横にうねる海岸の引き波は凹みの部分に左右から波が合流して川のような強い流れになる。

波はおよそ一定の大きさで打ち寄せるが、急に大きなうねりが来る時がある。
今回大波の原因は何だったのだろう。
この時期突風が考えられないこともないが、すぐには大波にならない。
私が知る一つの原因は、沖合を通過する比較的大きな船の引き波だ。
これは何度か高いうねりとして繰り返し岸に到達する。

異常に高いうねりは色が濃くボリュームがあり、見ていれば近づくのが分かる。
周囲が気づいて叫んだが、子ども達に聞こえなかったのか。
あまつさえ助けに向かった2人の大人までも飲み込まれた。
一定の波の日は大人も子どももライフジャケットしかないのか。

救助では救助(消防防災)へりがが間に合えば、隊員がロープで下りてかかえ上げるのが一般的だろう。
しかし波が大きいなど不安定な状況では手間取るのも想像できる。
衰弱している遭難者が手を伸ばしたり抱きつくのも容易でないかもしれない。

万一そのようなことであれば非常に残念なことだ。
今後の海難では、丈夫な金属バスケットですくい上げる方法を考慮できないだろうか。

さらに海岸線が300キロメートルもある新潟県のドクターヘリの基地が当地域から100キロ離れた新潟市だけ、
というのも散漫に思われる。
上越地域に一機分設置できればどれほど意義あることだろう。

 

テトラも無く、道路から近いこの場所は季節ごとに長野や群馬の方達の車が多かった。
亡くなられた人達はここを愛していたにちがいない。
自分も大好きな場所だったので、余りに痛ましく涙を禁じ得ない。

亡くなられた方々とご家族のことを思うと言葉も無い。
心から哀悼の意を表します。

釣ある日の上下浜。

倉石隆氏の新たな絵の掲載は次回に致します。

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