ことし前半の「お声」から。

2016年8月12日(金曜日)

樹下美術館は館内各所にノートを置かせて頂
いてますが、皆様赴くまま自由にコメントを残
して下さいます。

それを毎年開館の3月~7月までと、8月~12
月の閉館までの二回分をまとめて樹下美術館
のホームページに「お声」として掲載させて頂い
ています。

このたび前半の「お声」がまとまりましたので
載せました。
今期は140筆もあり、楽しみませて頂きかつと
ても励みなりました。

以下、主だったお声の部分をここに取り上
げ、最後に感想などをしるさせて頂きました。

それぞれのご来館
孫と駅から歩いて/夫と息子とともに/前回は
父と祖母、今回は母と祖母/母と三人の子と/
ままとくびきのばあちゃんと/娘と二人/夫に連
れられて/母と夫と/サークルの友人と/もう
すぐ80才/滅多に出かけない夫を連れて/2才、
7才/8才/6年生/知人の紹介で/自分への
プレゼン/夫は二度目自分は初めて/家族四人
で静けさを求めて/子供の部屋の掃除の帰り/
上司に叱られた後で/孫の世話の合間に、、、
etc。

展示など
雪国の作家の赤への共感/新しい展示物も惚れ
惚れ/作品の暖色と庭の緑の対比/疲れない展
示/何度観ても飽きない作品/初めてなのに懐か
しい/立派な作品を目の前にして感動/雪国の
人の営みを表現した絵画と陶芸/ちょっとない美
術館/何回来ても豊かな気持ちになれる/絵の
中の光(日光)や空が好きです。その時描かれた
空と光が今も変わらずここにあるからです。黄昏
のピエロが良かったです/どの作品も美しかった
/朱色のチューブ、陶芸の装飾が良かった/絵・
器どれも素晴らしい/、、、etc。
etc

カフェで
ここで飲むコーヒーは日本一/一粒で二度いや三
度美味しい樹下美術館/窓外の木々、草花、小鳥、
カップ、コーヒーで至福/ふーっと力が抜けて時間
が止まったよう/いつも美味しいコーヒーとホットサ
ンド/マンゴーのケーキめちゃうまかった。ホットサ
ンドまじやばい/うまい、うまい、うまい、うまい/抹
茶とお菓子にほっと一息/どの木も草花も自分の
居場所で調和しています、、、etc。

それぞれのお気持ち
ひとりぼっちを慰められた/前向きに生きようと元気
が出た/座って居るだけで開放される/豊かな気持
ちになれた/時には雨もいい/明日への活力をもら
えた/慌ただしさから開放/こんないい場所とは/
来て良かった/また来たい/新潟の良さに出会う/
友人を連れて来たい/秋にまた来たい/館長、いつ
までもお元気で/いつか母を連れて/いつか家族と
、、、etc。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さてそれにしましてもノートを拝見しますと、樹下美
術館はつくづく変わった施設だなと感じます。
何とも表現しがたいこの感じは、正直当初は予想出
来ませんでした。
美術館は美術品の展示メインで、という私自身の常
識もいつとはなしに変りました。

皆様から様々に喜んでお出で頂きながら、ここは一
体何だろう、美術館でいいのだろうか、と一種楽しみ
ながら考えるようになりました。

そもそも非常に小規模で、わずか二人の、しかも大
家ではない地元ゆかりの作家の常設展示。
如何に作品が良くても展示だけでは限界があります。
カフェが無かったら、庭が無かったら、樹下美術館は
今日まで持たなかったのではと思います。
嬉しいことにカフェと庭が展示物を引き立てる作用を
発揮していることも実感されたのです。
そしてなにより小さくとも美術館の中だからコーヒー
がより美味しく、庭も楽しめるという風に互いがうまく
響き合っているのでした。

来年満10年を迎える樹下美術館。
ノートはご好意で一杯でしたが、我慢やご不自由をお
掛けしていることも多々あろうと心配しています。
今後も皆様と有言無言の会話を続け、安定して発展
出来るよう思いを新たにしました。

長くなりましたが、沢山のコメント誠に有り難うござい
ました、これからもどうぞご自由にお書きください。

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盆を前に忙しそうな近くのほくほく線電車。

声が聞きたくなる鹿の子百合。

2016年8月9日(火曜日)

本日は30度を切ることが多く、幾分しのぎやすい
日だった。
台風5号が太平洋沖を通過したためだと思われる。

今、白いカノコユリ(鹿の子百合)が咲き始めた。
髪を後ろへ回したような花は大変可憐に見える。

またこの花のうつむき加減が涼しそうであり、淋し
そうでもある。

鹿の子百合
西の庭隅で咲いているカノコユリ。

ところでどの花にも風情がある。
そのため、もしも花が話すのなら、一度でいい
一言「花の声」というものを聞いてみたい。

鳥や虫は声があるのに、あまたある草花(木も)
は無言だ。
全て私たちが感じるままに、というのであれば
あまりに慎ますぎるが、何人からもこれほどま
でも愛されるのは静かだからだろう。

とは言え今日の鹿の子百合から、「はい」とか
「いいえ」
だけでいいから、声を聞いてみたいと思った。

だが万一ひと声でも発したら、自分など気が狂
ってしまうような大真実を語りそうな気もする。
そもそもどんな声なのかまったく想像も出来ない。

水盤に鳥たちが帰ってきた。

2016年8月8日(月曜日)

二ヶ月あまりひっそりしていた美術館の水盤に、一週間ほど
前から雀やシジュウカラ、それにカワラヒワなどが飛来する
ようになった。

威張り屋のヒヨドリのここでの子育てが終わったこと、
春以後生まれた雀の若鳥たちが集団を作ったこと
などが想像される。

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ひどい暑さであるが雀たちは水浴びをほとんどしない。
時には行う鳥もいるが、ごく控えめで、主に吸水をしている。
みな今年生まれた鳥のようであり、
まだ水浴びを十分に覚えていないのだろうか。
次第に猛烈な水しぶきを上げるようになろう。

釜蓋遺跡の出土品を見る 巡業中の力士と会う。

2016年8月7日(日曜日)

昨年3月に開業した北陸新幹線の新駅「上越妙高」
周辺の関連工事における2005年の調査時、弥生
時代~古墳時代の大規模な遺跡、遺構が発見され、
2008年度の国史跡に指定された。

遺跡は埋め戻されているが案内施設(ガイダンス)
に出土品や説明物が展示されている。
上越妙高駅の目の前であるが訪れたことが無く、本日
お近くの方の案内で念願が叶った。

どんなものでも身近なものは詳しく見たくなるし、
知り合いの音楽や絵画などに特有の親しみを
感じるのは自然であろう。

展示物は決して多く無かったが照明がほどよく、
土器類の質感や文様が良く見え興味深かった。

 

2
↑展示の弥生土器から明るい印象を受ける。
縄文土器のおどろおどろしさ、須恵器の暗さ
からみると単純だが、当時の生活感も伝わる。

端正な器には一部でロクロ技術が用い
られていたのかと思うほどのものがある。
九州から始まったとされるクシ目模様もしっかり
施され、文化度の高さも十分ではないだろうか。

今後も周辺の発掘は続けられるが、いっそう
ダイナミックな展示が期待されるし、市県とも
もっともっとこの方面への注力を望みたい。

 

3
↑口作りにへらで模様を点けている。
肩の線も滑らかで美しい。

 

4
↑5,6本の歯からなるクシ目で波形に模様を点けてある。

 

5
↑10数本の細い歯のクシで円周に沿って複数ケ所模様を
施している。
ロクロが無かったとすると、一人で器を回して彫ったか、
もう一人の回す人と共同作業で櫛目を付けたのか。

 

6
↑何重もの同心円を重複させて描いている。
クシを使ってコンパス式に回して彫り模様を付けたようにも
思われるが、フリーハンドで同心円を彫ったようにも見える。

 

7
↑体験学習あるいは同好者が作成した弥生土器。
説明者が「どうやっても出土する土器のように薄
く作ることが出来ない」と仰った。
生活者の探求と技術は簡単に追従を許さない。

展示室にさらに南に下った吹上(ふきあげ)遺跡
で多く出土したヒスイの装身具が展示されていた。

ヒスイは日本海の糸魚川から、黒曜石は長野県
から運ばれたのであろう。

物物交換の原始経済であれば、当遺跡が属す
る妙高市の斐f太(ひだ)遺跡群の一つとして、当時ど
んな品(産物)が当地の交易材料だったのだろう。
主たるものは米だったにしても。

遺跡はいずれも山裾の扇状地に見られている。
低地の関川流域では洪水ばかりで稲作どころでは
なく、比較的高い土地の方が安定した農耕が出来たの
かもしれない。

弥生時代は争いが多かったとも言われるが、本日
見た土器の明るい生活感から、裕福では無かった
かもしれないが、平和な場所だったのではと思った。

さて本日上越市リージョンプラザで大相撲上越
妙高場所があり、ある力士にお会いした。

1
終了直後にお会いした篠原関。
三段目全勝優勝の経歴を有し、
現在幕下で頑張っていらっしゃる。

学生時代に体操、テニス、ゴルフなどで極めて高
い身体能力を有し優れた成績を残した先輩がいた。

その先輩(医師)と仲良くされている篠原関。
このたび是非合ってみてと先輩から電話があった。

「結び」が終わった広い会場で主催の方にお
尋ねすると、清々しい笑顔で出て来てくださった。
ご挨拶をして一緒に写真を撮らせていただいた。
柔軟で賢そうな力士だった。

大相撲が楽しみになった。

 

木肌からみる樹下美術館の樹木。

2016年8月5日(金曜日)

本日は樹下美術館の樹木のうち木肌に注目して写真を並
べました。
涼しい緑陰を作る夏の木々ですが、その木肌も異なる風
合いがあり一つの見所(鑑賞点)ではないかと思います。

 

アオダモ
↑アオダモ
灰色の斑がある真っ直ぐな木です。
当館入り口左で静かにしてますが、大きくなるとバッドの材
料になります。

アオハダ
↑アオハダ
比較的大きな白斑を交える涼しげな灰色の樹です。
当館前庭の左右に数株あります。

アカシデ
↑アカシデ
ケヤキを小型にしたような木でベンチの脇にあります。
やや青みを帯びた灰色の固そうな木です。

アカマツ
↑アカマツ
カフェから見て左手、樹下美術館の王様のような高い
木です。

アメリカハナミズキ
↑アメリカハナミズキ
まだ若い木ですが灰色の木肌に白い小班をつけて成長
中で、花は白です。

イタヤカエデ
↑イタヤカエデ
緑を帯びた灰色の木で、とても成長が早く、秋に大きな
葉を真っ黄色に黄葉させます。
カフェ正面で真っ直ぐ生え、メイプルシロップが採れると
言われます。

クルミ
↑クルミ
明るい黄色がかった固そうな木です。
もっと成長すると木肌に割れ目が目立ってきます。

クロマツ
↑クロマツ
松食い虫被害に合わずアカマツの影で頑張ってくれ
てます。

ケヤキ
↑ケヤキ
明るめで固そうなわずか茶を含む灰色の木肌。
樹皮のめくれを見るようになります。

コナラ
↑コナラ
明るめの灰色の木肌に深く割れ目が入ります。
秋に沢山のどんぐりをつけます。

シデコブシ
↑シデコブシ
当館では株立ち状に生え、灰色の木肌に白斑を多く
交えています。
枝折れ跡が沢山あり、ごつごつしています。

タムラモミジ
↑タムラモミジ
やや明るい灰色の木肌に縦に浅い割れ目が入ります。
普段から赤い葉ですが、秋はさらに真っ赤になります。

ツバキ
↑ツバキ
灰色のきめ細かい固そうな木肌です。
とても成長の遅い木ですね。

ニシキギ
↑ニシキギ
枝に沿ってコルク状の翼のようなものをつけます。
秋はマユミと競うように遅くまで真っ赤に紅葉します。

ハクモクレン
↑ハクモクレン
樹齢にもよりますが、明るく緑がかったきめ細かい灰色を
しています。

ハンノキ
↑ハンノキ
黒っぽくガサガサと荒れた木肌に覆われます。
湿地が好きで当館では南側、田んぼyの近くにあります。

ヒメシャラ
↑ヒメシャラ
明るい茶色の肌、スベスベした皮が反るように剥がれます。

ヒメタイサンボク
↑ヒメタイサンボク
黒く荒め木肌、5月に白く豪華な花を咲かせます。

マユミ
↑マユミ
黒~緑がかった木肌、低木ですが数メートルになります。
遅くまで真っ赤に紅葉します。

メグスリノキ
↑メグスリノキ
比較的明るい灰色の肌に白い楕円の斑点をつけます。
明るく美しく紅葉します。

モミジ
↑モミジ
当館にモミジは沢山ありますが、この木はカフェか
ら見て一番右にあり、大きくなりカフェに木陰を作り始め
ました。
わずか青みがかった灰色の木肌、やや多様な白斑をみ
ます。

ヤマザクラ
↑ヤマザクラ
当館で最も黒い樹で、4月中旬に沢山花をつけます。
左側の赤松に向かって斜めに生え、カフェからよく見えます。
若いうちは銀色の樹皮をまとっていたと考えられます。

ヤマボウシ
↑ヤマボウシ
やや濃いめの灰色、大小の白斑が見られます。
初夏、白色のの花を上向きに沢山咲かせます。

以上いっぱい写真をつけてしまいました。
私は昔から樹木が大好きで、樹木あっての環境だと思って
います。
路傍の木立がクズの葉やツタに絡まれ、病み苦しむ様は環
境としては最悪のものです。

美しい日本、豊かな故郷であれば生き生きした樹木に囲ま
れていなければならないでしょう。

膨大な大金を要さなくとも、国、市町村で緑化とその再生を
図ることは可能に違いありません。

気持ち良い自然環境が良い子供を育てることを固く信じてい
ます。

何事も先ずは暑いと言ってから。 

2016年8月4日(木曜日)

緑影ますます濃くセミ鳴き栄え暑気天地に注ぐ
いつしか田に雀も見えて稲穂が膨らむ

連日暑ければ 人やや股開いて歩き、
ようやくクーラーに逃げ込めば年寄りは寒いと言う

暑いと言って来られた方に展覧会が良かったから、
行ってご覧なさい、と色々勧められる

私は暑気に当たり過ぎて4,5日風邪をひいた
鼻水と鼻声は隠しようがなく、お大事にと言われ、
恥ずかしかったが、ようやく楽になった

誰言うとも無く何事も暑いと言ってことが始まり
ついに盆がやって来て暑い暑いで集い合う
なだれ込みへたり込みながらおよそ実家は忙しい

 

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長峰池のトンボ 釣は一人だとドキドキ感が違う 加賀の千代の句。

2016年7月31日(日曜日)

本日午後、長峰池にトンボを撮りに行った。
昨日は大潟水と森公園の鵜の池だったので場所を変えて
みた。

こちらの方が静かなせいかトンボが多いように感じられるが
どうだろう。

1
右手前がシオカラトンボ、左がヤシオトンボのようである。
腰のくびれ尾の長さ複眼の色、サイズなどが違う。

 

 

2
全体が酔ったように真っ赤なショウジョウトンボ。
これが見つかるまで歩く。

 

 

3
チョウトンボ。鵜の池では沢山空中を飛んでいたが長
峰池では止まっていて撮りやすかった。

 

さて子供時代の夏、一人でよくトンボ(ギンヤンマ)釣
りをした。
網などで捕らえたおとりのギンヤンマの足を糸で縛り、
6,70㎝の糸の端を細い棒きれに付けて、それを振り
ながら釣った。

近隣の畑にギンヤンマがよく飛んでいて、それに向っ
て振る。
するとおとりめがけて畑のトンボがすーと寄ってくる。
すかさずおとりを地面に降ろすと、交尾をしようとガサ
ガサと絡みつく。
そこへ網を被せたり手で抑えたりして獲った。

とったトンボは指の間に挟んで持ち歩き、おとりが弱
ると捕ったものと替えた。

トンボを釣る時にまじないのような歌を歌った。
私たちは次のような文句で歌った。

“トコイ トコイ 女だど” “トコイ トコイ 女だど”
畑のオスに向かって、男来い、男来い、これは女だぞ、
と言うのである。
おとりがオスの場合でも適当に絡んでくるものがいて
急いで捕まえた。

トンボ釣は大抵一人で行った。
カンカン照りの畑で“トコイ トコイ 女だど”と飽かず
声を出していた小学生の自分が懐かしくも憐れであ
る。

小中時代に朝日池でコイやフナ、時にはカエルを餌
に雷魚釣りをしたが、大抵一人で行った。
一人の時は大勢と違って釣れた時のドキドキ感、興
奮の度合いが全く違うのである。
あるいは大勢だと騒いでしまって集中出来ないというこ
ともあった。

ある時の雷魚釣りで草むらをかき分けてカエルを探し
ていた時のこと、沢山のマムシの子がひとかたまりに
なって出てきた。

「ぎゃー!」と叫んで走ったが、この時も一人だったの
で恐怖は尋常では無かった。

とんぼつり今日はどこまでいったやら

加賀の千代女の句である。
時にトンボはいくらでも獲れるので遠くまで行ってしま
うことがある。
千代女は男子を幼少で亡くしている。
句にははかなく去った子への哀惜と子が遊ぶ姿が重
なり切なさが伝わる。

夏の新潟県立大潟水と森公園。

2016年7月30日(土曜日)

午後遅く樹下美術館に近い新潟県立大潟水と森公園を歩いた。

ここはこれまで何度か以下ほかを書かせて頂いたていた。

●2011/05/04

●2012/05/13

1
この一角は噴水のある水遊び場がありこどもの天国。
浴衣にストローハットの若いお父さんがベンチで見守っていた。

 

2
鵜の池はかなりの水量がみられた。。

 

3
ひっそりした夕刻の芝生広場はデジャブ感覚がよぎる。

 

4
南西の端といえばいいのだろうか、古代的な場所。
ここで小鳥よりも大きな蝶を見たが撮影出来なかった。
二つの白い斑点、クロアゲハのオスではないかと思った。

 

5
シオカラトンボ。

 

6
コシアキトンボ。

 

7
チョウトンボ。

 

8
キアゲハ。

 

9
青栗。

 

10
先日の大雨の湿り気が残る道。

 

当公園は何度も掲載していますが、広大で
変化に富み、場所毎の雰囲気を楽しめます。

優しい森林と水辺、目を凝らせば植物や小動物も優しく、
季節季節の詩情に恵まれた良い公園だと思います。

美しいクロアゲハ。

2016年7月29日(金曜日)

午後在宅回りに出る時、車の近くでクロアゲハが盛んに羽ばた
いていた。
アジサイに囲まれた中にキンカンが一本植わっているが、その
回りをひらひら飛び回って離れない。
傷もなく初々しく魅力的だった。

何か誘っているように勝手に感じたが、どうしょうもない。

アゲハ蝶たちは柑橘類に好んで産卵する。
この蝶も産卵場所を探していたのだろうか。

 

クロアゲハ背面
↑メスであろうと思わるクロアゲハ。
モノクロームを生かしたシンメトリーが美しい。

写真を見て気がついたのですが、この個体の前翅の先端がとがっ
ています。
そのためとてもシャープで気品高く見えます。

ちなみにネットで調べてみますと、一般的に前翅の先端はおよそみ
な丸みを帯びていました。
飛び回っている中で一瞬止まった時に偶然ピントが合った1枚ですの
で尖った羽の形状は撮影角度の違いかもしれません。

この蝶は今どこで何をしているのでしょう。

予報されていた豪雨 気象の大きさ。

2016年7月28日(木曜日)

一昨日、雨降りが待たれると書いていた夜間から翌日朝まで
上越市は激しい雨に襲われ、洪水、溢水、土砂崩れなどの災
害が発生した。

前夜の全国天気予報は、26日夜半から27日の上越地方に
おける豪雨を雨雲の動きとともに予報していた。
全国放送で当地方を特定して予報するとはすごいな、と感心
していた所、災害を生じるほど降った。
予報は何らかの形で活かされとは思うが、どうだろう。

ピンポイントの予報とその結果に驚かされたが、一方この雨は
ダムや溜め池の貯水にはたして役立ったのだろうか。

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本日午後の吉川区は長峰池。
水が少ないと聞いていたがやはり渇水が続いているように思われた。
(対岸で池底のように見えるのは池面のヒツジグサです)

渇水は今冬の小雪がそもそもの原因らしいが、雪が年間の貯水事情
を左右するという気象システムの大きさにも驚かされる。

本日気温は上がり、午後の外出時はくらくらするほど暑かった。

鬼平犯科帳一家。 

2016年7月26日(火曜日)

雨が待たれる、と書いてみたら昨日本日と雨降りとなっ
た。
特に今日は終日の雨で時には強く降った。

他所は分からないが、すくなくとも当上越地域で一定の
貯水が進むことを期待したい。

ところで昨日午後、宮城県の弟夫婦が二人の娘を連れ
てやって来て本日昼帰った。
養豚、養鶏を生業としている一家の生活は長年慎まし
く、ラジオは聞くが新聞取らず、テレビはあるが番組は
見ずDVDだけかける,というものだ。
これは忙しいのと、騒々しさやお節介が嫌いなためな
のだろう。

彼は外国人のステイを引き受け、代わりに営農の手伝
いをして貰うことを続けている。
過日、そのことで某大手テレビのワイド番組の取材を受
け、放映の時にワイドショウ-というものをついでに見た
らしい。
多くが芸能や政治のゴシップネタだったのか、内容につ
いて何て馬鹿馬鹿しいと嘆いていた。

その家族が長く楽しんでいるのがDVDだ。
以前は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズだった
が、それが終わった今は中村吉右衛門主演の「鬼平犯
科帳」になったようだ。

昨日皆して寿司を食べに行った所、店に入るなり一同
「クッ、クッ、クッ」と口をふさいで笑いをこらえている。
どうやら初めて見る寿司屋の親方の顔が登場人物の
一人にそっくりだったらしい。

これで火が付いてしまい、品が出るたび、何かを回した
り、頼むたび、まして親方が来ようものなら大盛り上がり
で、「ちょいとお尋ねしやすが」、「まっぴらご免だよ」など
と、状況に応じて誰かが咄嗟の役になりきり、随所で「鬼
平犯科帳」が展開された。

そして帰りの代行の車中、下の姪が江戸時代が一番好
きということで、祖先が記した天誅事件の事を私が話す
と、それまで黙っていた運転手さんが「面白い話ですね」
と言った。
「運転手さんは何時代が好きですか」
「江戸時代です」
「ええー、じゃどんな番組が好きですか」と誰かが聞く。
「鬼平犯科帳です」
まさかの一言に一同ぎゃっとなり、眠っている人も起きた。
家が近づくと、
「その先を右に曲がってくんねえ」
「合点だ」
「おっとそんな先まで行っちゃいけねえ」
「へーい」
などと言いながら到着した。

あくまで慎重にハンドルを握った運転手さんのセリフは
短かっかったが、どこかで演劇をやっていたのではと
思うほど声が良く、セリフもうまかった。

「ちきしょうめ、あいつに一本取られちまった」と、家に帰っ
て弟が言った。

 

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お寿司やさんで、昨年東京の高校へ進学した姉は自分
で作ったというワンピースを着ている。

中2の妹は黒澤明監督が好き、と言った。

田も庭も待たれる雨。

2016年7月24日(日曜日)

数日晴れが続き、梅雨が開けている。
暦を見ればはや7月も残り少なくなった。
自分がボヤボヤしているうちに近隣の水田はすっかり成長している。

今頃の水田は例年緑ゆたかで生気にあふれてとても気持ちが良い。
見れば穂が出ている田も随所に見られ、それもびっしり付いている。

160724田んぼ
すでに黄色味を帯びている田んぼもある。

農家の方に聞いたが、今年はそもそも雪が少なく田を潤す水ガメの貯水が
足りず、現在大切な水に関してぎりぎりの状況だという。
干したり潤したり稲には微妙な時期にあり、ちゃんとした降水が必要なようだ。

樹下美術館の庭は基本的に砂地で、アジサイやクリスマスローズは暑さの
影響を受けやすく、当面気が抜けない。
そこへいくとムクゲやミソハギなどは暑さに強く頼もしい。

ミソハギ
↑ミゾハギ。
夏は緑主体で花が少なくなる樹下美術館は、昨年ネットで購入したミソ
ハギが南の隅で涼しそうに咲きはじめた。

中島幸子さんの追悼文集から。

2016年7月23日(土曜日)

前回7月21日に小山作之助のひ孫に当たる悲運のヴァイオリ
ニスト中島幸子さんについて書かせて頂きました。

彼女のバイオグラフィーはお母様の香織さんが1983年8月6日
に発行された幸子さんへの追悼文集「ヴァイオリンと共に」を主に
使わせて頂きました。

本書は幸子さんの恩師シャーンドル・ヴェーク氏、久保田良作、
板谷英紀の各氏、先輩の塩川悠子さん、ご友人たち、音楽関係
者など70人近い方々の寄稿によって構成されています。

 

ヴァイオリンと共に表紙
「ヴァイオリンと共に 中島幸子追悼文集」
画家・装丁家司修(つかさ おさむ)氏による表紙。
司氏は樹下美術館の常設展示画家・倉石隆の友人で、
倉石夫人・翆(みどり)さんは中島幸子さんの叔母です。

本日は書物から幸子さんの音楽と横顔についてかいつまん
で記させて頂き、最後に幾つかコメントを試みました。

【中島幸子さんの音楽】
ヴァイオリンは彼女の自然な生にの一部であり、楽器を完全
にしかも自然に自らの意のままに支配しきっていた/モーツ
アルト、シューベルト、ブラームス、バルトークはじめラベル
もものにしていた/モーツアルトに特別な親和力を有し、それ
は透明で清潔、軟らかく、生気に満ちた演奏だった/小柄だ
ったが楽器をとると数倍も大きく見え、信じられない迫力と大
きな音楽が湧き出した/音楽に対する自己規制の大きな力
を周囲に放っていた/厳しさとやわらかさのこもった演奏であ
り、伴奏をしながら心が震えるような感動を覚えた/優等生に
ありがちな偏った所がなかった/幼少から友人を大切にする
日常の中で完璧な基礎と専門性を身につけていたことが不思
議だった/神様がついているかのように成長し、才能を有した
者には人一倍の努力を行う義務がある事を具現していた/ブ
リリアントな音色、垢抜けしたリズ感覚/メンデルスゾーンの
ロマンを歌うに相応しく、パガニーニの閃光を自らのものとした
数少ないヴァイオリストだけに許された音楽/アンサンブルを
演奏していると桁が違いすぎると感じさせられた/最高のテ
クニック・深い精神生・音楽性・構成力・内的体験といったもの
の結合がみられた。/死はモーツアルトが神のもとへ連れ去っ
たと思うしか無い。

【幸子さんの人となり】
食通であり多彩な料理で人をもてなした/スキー、水泳から
野球、鉄棒、ボーリングをこなした/優しく、後輩をよく面倒み、
ザルツブルグでは日本の留学生の母のようだった/エキゾ
チックな風貌、キラキラ輝く大きな瞳/天真爛漫でお茶目だっ
たが、ヴァイオリンを手にすると別人のような鋭い眼差しに変
わり吸い込まれるような魅力を湛えていた/学ぶことも遊ぶこ
とも全力投球/物事の本質だけの世界に生き生きと生きる人
/筆まめ/みな内にしまって耐え、深い中心点から出てくる
恐るべき集中力/どんな時でも感情的にならなず、一言いう
と皆何も言えなくなった。

筆者からひと言。
早く父を亡くした幸子さんを音楽家として世界に輩出させた母
香織(かおり)さんの眼差しを思わない訳にはいかない。
幼少からの運動や遊び、学生時代の料理、円滑な友人間関
係などは、いずれも優れたヴァイオリニストへの全人的な養
育として意識されたものであろうと想像でき、大らかな中にも
厳しく困難な親子の日常が浮かぶ。
遠い目的地での成果の中で、突然訪れた幸子さんの急逝は
どんなに辛かったか、私などには想像もつかない。

それから30余年、失意に耐えられたお母様は数年前に亡くな
られた。
残されたお子、ヨナス・ルードナーさんはウイーンに於ける気鋭
のホルン奏者として活躍していることが伝わる。
またヨナスさんの父オラまたオーラ・ルードナー氏は、ウイーン
交響楽団のコンサートマスター,BBCほか交響楽団客員指揮
など活躍、経現在ウイーン・フォルクスオーパのヴァイオリン
奏者兼指揮者として活躍、度々来日されている。

長く仕舞っていた追悼本を取り出してこの度再読した。
作之助の音楽が死後90年近く経っても脈々と密かに、そして
輝かしく生きていることを喜び、この先へも希望を託したい。

小山作之助の曾孫のヴァイオリニスト、亡き中島幸子さん。

2016年7月21日(木曜日)

去る7月18日、海の日の祝日に卯の花音楽祭が上越市大潟区
で催されました。
大潟区出身で、荒城の月の瀧廉太郎を育て、夏は来ぬや川中島、
漁業の歌などを作曲した我が国の教育音楽の母と称される小山
作之助を讃える音楽会でした。

作之助の母はわたくしどもの高祖父、蘭学医杉田玄作の二女トヨ
で、作之助の弟で医師となった直次郎は当家に養子に入りしました
ので小生はその孫の一人、作之助は大叔父に当たります。

自分は作之助にいくばくか血縁ある身ですが、音楽の才能は無く、
卯の花音楽祭に際してわずかの寄附をさせて頂くだけ、あとは盆
に当家墓所の隣にある作之助の墓掃除くらいで、何もしていない
恥ずかしい縁者です。

ところで作之助に関する業績展示や顕彰事業は折々行われていま
すが、その子孫、特に音楽関係の後人についてあまり知られてい
ません。

実は直系の曾孫(そうそん・ひまご)に1949年2月27日上
越市大潟区生まれで、生後70日後に上京した故中島幸子(なか
じまさちこ)というヴァイオリニストがいます。
幸子さんは国立(くにたち)音楽大学付属幼稚園から同付属小、
中、高、そして同大学でヴァイオリンを学び、その間に久保田良
作氏にも師事しました。
※久保田良作:1928年-1997年のヴァイオリニスト、皇太
子徳仁親王のヴィオラ、ヴァイオリンの教師を務めた桐朋学園大学
教授。

幸子さんには以下のような輝かしい経歴がありました。
・1966年:学生音楽コンクール高等学校の部全国1位。
・1970年:第39回日本音楽コンクール2位。
・1971年:皇居に於ける御前演奏会に出演、海外派遣コンクー
ル入賞。
・1972年:ザルツブルグのモーツアルテウム音楽院のマスター
クラス入学、シャンドール・ヴェーク教授に師事。
・1973年:モーツアルト音楽祭にソリストとして出演。
・1974年:ヴェーク教授のアシスタントとなり後進の指導に関
わる。
・1975年:米国のマルボロ音楽祭に参加、同年東京でデビュー
リサイタル。
・1977年:パガニーニ国際コンクール2位。
・1976年からザルツブルグ・カメラータアカデミカ合奏団でコ
ンサートマスター兼ソリストを務めるようになる。
・1978年:ヘンリク・シェリング賞受賞。
・1979年:東京で二度目のリサイタル、また東京都交響楽団、
東京フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を演奏(後にNHKテレビ
で放映)、NHKFM「夕のリサイタル」に出演。

 

中島幸子さん写真
1979年、チャーミングな中島幸子さん31才のポートレート。
(ヴァイオリンと共に 中島香織1983年8月6日発行 から)

・1979年12月スウェーデンにてヴェーク教授の門下生だった
ヴァイオリニスト、オラ・ルードナー(オーラ・ルードナー)氏と
結婚。
・1980年:夫ルードナー氏およびリチャード・レスター氏と
「ザルツブルグ・ストリング・トリオ」を結成、ヨーロッパ各地で
演奏。
1981年:東京でトリオの演奏会、その後東北、四国、中国地方
の各地新聞社主催による演奏会に出演。
・1982年8月5日:ザルツブルグで長男ヨナス(陽)を出産。

1982年8月6日:長男出産10数時間後、突然肺梗塞を発症、
33才で夭折。
素晴らしい音楽歴を経て、新たな幸福に向かう時に何という悲運で
しょう。本当にこんなことがあったとは、とても信じられないこと
です。

次回はお母様が1983年8月に発行された幸子さんの追悼文集に
ついて掲載させて頂きたいと考えています。

合理的でユニークだった大橋巨泉さん。

2016年7月21日(木曜日)

「今日の話は昨日の続き 今日の続きはまた明日」。
これは1961年(昭和37年に予備校入学のため上京して以来、
学生時代を中心にしばしばラジオで聴いた番組の冒頭フレーズ
だった。

番組名は忘れたが、出演者は大橋巨泉、前田武彦、富田恵子
(草笛光子の妹さん)が中心のおしゃべり番組だった。
話し上手の面々が、毎夜時流の話題をまこと饒舌に語り合って
いた。
放送局は音楽番組が多かったラジオ関東という局で、巨泉氏ら
のおしゃべりに「さすが都会」を実感した。

その巨泉氏が亡くなられた。
氏には独特のポリシーがあり、一言で言えば見事な合理主義者
であろう。
シビアで無駄の無い金使い、多趣味を良しとする生活、社会の不
合理を嫌い、健康に対する科学的な理解など明快な人だった。

その氏は学生時代からジャズに明るく、雑誌の執筆、ラジオ出演
やジャズコンサートの司会など多方面で活躍された。

ジャズコンサートにはよく行ったが巨泉氏の司会は声が良くユ
ーモアがあり、同じ良い声の久保田二郎氏、いソノてルヲ氏ら
とともに人気があった。

巨泉氏が司会をされたコンサートで忘れられないのに「オスカー
ピーターソントリオと日本のジャズメンたち」という、有楽町ビデを
ホールで行われた変わったコンサートがある。
(1960年代後半だったと思う

巨泉氏が構想、構成したと考えられる演奏会で、司会も同氏だ
った。
オスカーピーターソンの黄金トリオが最初に数曲演奏した後、ク
ラブなどを終えた日本人ミュージシャンたちが次々集まってきて、
トリオとセッションするという雑然として楽しい演奏会だった。

ちゃんとしたプログラムが有ったのか無かったのか、いきなりトリ
オが長々としたアドリブを演奏し終わると、虚を突かれた形の巨泉
氏は「今のは“On Green Dolphin Street”ではないかと思い
ますが、、、」と慌てアナウンスしたたのが印象に残っている。

テナーサックスの西条孝之助や松本英彦、ギターの横内章次、ピ
アノの中村八大や前田憲男、ドラムスの猪俣猛や白木秀雄、ベー
スの原田政長、名は忘れたが自分が好きだったトロンボーン奏者
ほか沢山のジャズメンが深夜から早朝まで入り交じって舞台に上
がった。

これも巨泉氏のアイディアだと思われたが、踊り場などに酒類が
売られ、演奏者もお客さんも一体となり夜が更けるのも忘れて楽し
み一番電車が出る時刻まで熱いセッションが続いた。

 

チケット
上掲のコンサートの切符。詳しい年が書かれていないが、
1960年代後半であろう、演奏開始時間が夜12時とある。

外国人ジャズマンのコンサートで、時に客としてきている巨泉氏を
見たが、賑やかなグループの真ん中にいつもご機嫌な姿があった。

若き日の「今日の話は昨日のつづき今日の続きはまた明日」。
その前田武彦、永六輔、大橋巨泉、特別に快活だった人たちが亡
くなっていく。
皆さん何事も自前で楽しみ、権力を嫌い、清々しく貴重な人だった
と思う。

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