楽しかった第15回卯の花音楽祭。

2016年7月18日(月曜日)

本日月曜日は海の日の祝日、午後に第15回卯の花音楽
祭が開催された。
上越市が輩出した音楽家故小山作之助を讃えて行われて
いる
音楽会が出身地の大潟区はコミュニティプラザで催された。

 

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本日のプログラム。

大潟区のオカリナやギターのアンサンブル、近隣を交えたコー
ラスに加えて折々ゲストが参加する。

器楽は技術のほか和声が高度化したり、曲調の陰影が深ま
ったり、素人の自分にも毎年進化を感じることが出来る。

コーラスでは大人のドラマティックさ、中学生の若人らしさ、
小学生の胸打つ純真さが真っ直ぐに伝わった。

ゲストのソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の「よろずやリ
コーダカルテット」は唱歌から民謡、クラシックそしてピアソラ
までとても楽しかった。

上越教育大学大学院教授の後藤丹先生が編曲された「故
郷」と「夏は来ぬ」は、伴奏のピアノも美しく、卯の花合唱団
のコーラスはオーケストラを聴くようにこまやか、かつ壮大
だった。

 

会場

演奏は編曲と指導者によって大きく変わる。
良くなればさらに楽しく練習出来るにちがいない。
音楽をする人を羨ましく思った。

本日は後藤先生と相席し、終了後樹下美術館でお茶をご一緒し
た。
音楽について、作之助について、お話は面白くためになった。

主催される実行委員会の皆様、後援のまちづくり大潟、大潟の子
どもを育てる会、大潟ボランティア連絡協議会の皆様、有り難うご
ざいました。

地域の慎ましくも暖かな音楽祭、また来年も楽しみにさせてくだ
さい。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

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鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

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ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

日本音楽コンクールに出場される少女。

2016年7月16日(土曜日)

本日夕刻外出から戻り車を降り立つと美術館からまことに妙なる
ヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
樹下美術館の何処から聞こえるというのではなく、全体が鳴って
いる音だった。

普段カフェのBGMは小さいし、SP盤もこんなに鳴らない、音は
極めて本格的だった。

恐る恐るはいると、一人の少女が陶芸ホールでヴァイオリンを弾い
ている。
胸がすくような音がホールを自在に満たしている。
これはただ者ではない、一体誰なのだろう、そしてどうしたのだろう。

傍らにおられたご両親が、8月末の日本音楽コンクールに出場する、
弦楽器が良く鳴りそうな樹下美術館で一度弾かせてやりたかった、
と仰った。

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絵画ホールで、中学二年生のSさん。
陶芸ホールのパガニーニのあと絵画ホールでバッハを弾かれた。

確かに樹下美術館はコンクリート一体駆体で残響が良く(良すぎる?)、
弦楽器の演奏に向いている。
陶芸ホールは角張ってやや閉鎖的な形状だが、広めなので音楽会
はそこでさせてもらっている。
一方、絵画ホールは小さいながら天井が複雑で高く、カフェにも陶
芸ホールにも音が行き、多様なピッチをこなし、もっと良いかもしれ
ない。

Sさんに絵画ホールで弾いてみたらと勧めると、バッハを弾かれた。
思う存分に歌い素晴らしかった。
絵画ホールの方が良かった、とご自分で仰った。
響き渡る自らの音のすみずみを究極まで聞き取られたにちがいな
い。

3才からというヴァイオリン、どんなに練習されたことだろう。
どうかコンクールではがんばって、と心から祈った。

演奏のあと、高鳴りを静められるように三人で夕刻の水田が見える
テラスに向かわれた。

新潟市からのお客様 カサブランカ スギゴケ取りと篩(ふるい)。

2016年7月14日(木曜日)

本日は新潟市から二組の方達にお寄り頂き感謝しています。
お一組はお母様とお嬢さん、熱心に作品をご覧頂き、お茶と食
事、そして庭を楽しまれ4時間近く滞在されました。
在来線で鵜の浜温泉一泊、犀潟駅から徒歩で樹下美術館へ。
「小さい旅」の母娘さんは、ほのぼのと過ごされていました。

もう一組さんはご夫婦、2011年に新潟市は知足美術館で行っ
小生の拙作品展をご覧になり、一度当館を訪ねたかったと仰
いました。
5年前の縁が繋がっていて、遠くからお訪ねて頂き幸せでした。

新潟県は広く、県内とはいえ当館-新潟市は直線で100キロ
はあります。
皆様には遠くから本当に有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて樹下美術館の庭はテッポウユリが終わり、カサブランカが
南東の見落とされそうな場所で香り高く咲いています。

 

1
秋にはもっと沢山植えたいカサブランカ。

 

そして本日昼、スズラン、ミソハギ、アヤメ、トクサなどの場所で繁
茂するスギゴケの処理を試みました。
開館前の2月、この場所のコケ取りを掲載しましたが、根が沢山残
っていてこの時期雨をもらい再び広がっていました。

スギゴケはチビながら数㎝の根がありますので、今回は草刈り鎌
で土ごと削ぐように掘るように取ってみました。
肥料を含んだ表土もいっしょに削りますので、取ったものをそのま
ま捨てるのは大変もったいないのです。

すると見ていたスタッフが家から篩(ふるい)を持ってきて、これで
やってみましょう、という事になりました。
土が沢山付いたスギゴケを、まぶしながら篩に掛けて両者を分け
てみました。

 

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ふるっているところ。

 

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↑篩(ふるい)取ったコケと雑草。落とした土は元へ戻します。
作業はとても旨く行き、安心して深めにコケをを削ぐことが出
来るようになりました。

反省点はただ一つ、篩にかける前に削ぎ取っものを乾かせば、
さらに旨く行くと思いました。
スギゴケは長く頭痛の種でしたので、篩は強い味方になりまし
た。
お客さまが来られ、中断しましたが苦しみが楽しみに変わった
次第です。

 

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↑洗った篩、昭和45年度新調と書かれていました。
(しばらくお借りします)

庭仕事とは言え所詮素人の行い、今にして農家の古い道具の世
話になり一種幸せな気持ちがしました。

黄金オニユリ 団体に備えて。

2016年7月13日(水曜日)

日中は時折陽がさすが、夕方~夜間に降り時には激しい。
樹下美術館の庭でテッポウユリが終わり、キキョウが盛りを迎えつ
つある。

その中にあって黄金オニユリが可憐な姿を見せている。

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黄色が淡泊で全体が可憐。
黄金オニユリの名は仰々しくてこの花にはまったくそぐわない。

話変わって、秋に向かって樹下美術館に珍しく団体さん(最大
で40人など小規模ですが)の予定が幾つか入っています。

展示鑑賞で問題ありませんが、大人数のお茶に備え、隣接の自
宅も対応できるよう一部改装し保健所の許可を受けてあります。

包丁を研いで食べた熊本産のマンゴー。

2016年7月12日(火曜日)

地震以後、熊本県の農産物に目が行くようになり、この度ネットで
同県のマンゴーを求めた。

1
サイズは14,5×9,5㎝は普通サイズだろう。
指で押すとほんのわずかへこむ。

念入りに包丁を研ぎマニュアルに従って切って盛った。

2
扁平で大きな種を避けるように三枚に切る。

 

3
外周を皮に沿って包丁を入れ、縦3本横5本の切れ目を深くつける。

 

4
皮の中程を押し上げると果肉のキューブが起き上がる。

 

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種の部分の皮をむいて外縁の果肉を削ぎ、これも切り分ける。

 

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夢のような2人分(一個の半分)のマンゴー。
(ペーパータオルを半分丸めて底に敷き盛り上げました)

紅茶を入れて食べたが、濃厚で滑らか、喉が痛くなるほど
美味しかった。
昨年3月から止めたアルコールに代わって四季折々の果物
を以前にも増して楽しめるようになった。

この度は1人1490円で包丁研ぎから切り盛りまで楽しめ
ました。

マンゴーは完熟で届けられますので、なるべく早目に食す
のが良いと思いました。

赤ちゃん、こどもの成長、自然。

2016年7月10日(日曜日)

選挙の日、投票の帰りにすれ違った若い女性は初めての
投票、と言って手を振った。
子供時代、ワクチンでいつもワアワア泣き叫んでいた人だ。

この人とそのお子さんの幸福のために投票するのだと思った。

それはまた50年100年、そのずっとずっと先までの幸福。

つまり可愛い赤ちゃん、こどもの成長、清々しい自然。
3つの健やかな永遠のために何を選べばいいのか、
自分の先は長くはないが、感じたり考えたりしていきたい。

IMG_4732本日美術館近くの合歓。

つゆの合間の過ごしやすい日だった。

新潟市で6年ぶりの母校同窓会。

2016年7月9日(土曜日)

午後から母校の新潟支部総会に参加した。
毎年行われているが、私は6年ぶりの参加だった。
曇天の空が新潟市へ付く頃は晴れ間を見せるようになった。
午後3:30から総会、母校教授による有益な講演そして懇
親会と続いた。

開始までのわずかな時間、信濃川の堤を歩いた。

 

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やはり新潟市では船を見たいし撮りたいが、時間がなくここで引き返した。

 

2
↑母校のオリジナルプレミアムワイン、赤白(2009年限定もの)。
学校がワインを有しているなど珍しいかもしれない。
昔から一種ユニークな大学だったが、オリジナルワインとはびっくりし
た。
学生寮が山梨県にあったためワインのほかオリジナルミネラルウオー
ターもある。

6年降りの参加だったが、一昨年大臣表彰を受けたというので記念
品を頂いた。

3
↑新潟市夕刻の風景、やはり都会だ。
次第に遠い街になったが、その分訪ねると懐かしさがこみ上げる。

懇親で何かと気遣ってくれる馴染みの後輩、颯爽として利発そうな
若い医師たち、健康な超先輩達、みな嬉しかった。
なにより来賓の学長および同窓会長の報告から休み無く発展を続
ける母校の内実を知り、心奮い立たせられた。

写真はいずれもコンデジ(キャノンパワーショット30Xでした)。

ヒヨドリの早すぎた巣離れと親の対応。

2016年7月8日(金曜日)

診療所と美術館の庭ともにヒヨドリが巣を懸けていた事を
一昨日書かせて頂いた。
本日昼、美術館の庭の巣の写真を撮っていると突然ヒナ
が飛び立ち、すぐ近くのツツジの茂みにかろうじて止まっ
た。
ひらひら、ぱたぱた、落下するような5メートルの飛翔。

しばらくすると反対側のツツジへ7,8メートル水平に飛ん
だ。
鳴けば親鳥が気づくはずだが、じっとしてている。
すぐ近くに既に巣立った別のヒナが居て、親鳥たちはそち
らの給餌に夢中だった。

 

1
↑翼は雀のようにまだ小さく、つぶらな目のヒナ。

 

2
↑こんな所でまあ可愛い、と庭仕事をしていたスタッフが
見に来る。
丸囲みの所にヒナがいる。

子は私たちを警戒して鳴かないのであろう、茂みでは鳴か
なければ親は気づかず餌ももらえない、ひとまず皆で遠ざ
かることにした。

しばらくすると今度はほぼ水平に10メートルほど飛び、モミ
ジの若木に止まった。
それが親の目に止まったのか、つがいが来て大声で叫びな
がらヒナの周囲を飛び回る。
ヒナは枝の高いところへ足を使って少しずつ移動した。

 

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↑枝を上っていく。まだ尻尾も見えない。

 

 

3
↑ヒナに近づく親鳥。

餌を与えるのかなと見ていたが、何もくわえず近づいた
親がきびすを返してパッと飛び、間髪を入れずヒナが
続いた。
そのまま飛んで遠くの木立へ消えた。

思うに、人がいる低い所の給餌は危険とみて、安全な
場所へ誘導したように見えた。

突然のおぼつかない巣立ち、
「この子には餌より安全を」。
親の判断と反射的に従った子。

親も必死、子も必死、普段何かと威張っているヒヨドリだ
が、良い場面を見させてもらった。

1号なのに「猛烈」に成長した台風 少ない小鳥?多いヒヨドリ?

2016年7月6日(水曜日)

日中、風が強く暑さが厳しかった日。
記録的な遅さで発生した台風1号が夕刻のNHKTVニュース
のトップで報じられていた。

発生数日にして100hPa余も気圧を下げたのだから驚異的
な発達ぶりだったにちがいない。
本日、三階級の強さ表記で最強の「猛烈な」台風の冠が付き、
1号にしては記録的なことらしい。

西北西の進路で台湾を目指し、与那国島など先島列島を巻
き込む予想図が示されているが、今後どうなるのだろう。

ただこの度の台風は、乾燥続きで全国的に切迫した水不足
の助けとして期待もされている。

お天気の恵みと災いはいつも表裏一体、少しでも良い面もあ
ればと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わって一ケほど月前、「今年は小鳥が少ないようだ」とあ
るお客様から聞いた。
確かに春先にツグミ、カシラダカ、モズ、ジョウビタキ、雀、メジ
ロ、コムクドリ、カワラヒワ、シジュウカラなどで樹下美術館の
庭と水盤は賑わい、よく写真も撮った。
ところがその後、連休の頃からか意外なほどひっそりして経
過している。

但しヒヨドリだけは良く見ているし、鳴き声も賑やかだ。
ツバメは普通通りのようだが、ほかはどうしたことだろう。

昨日大潟水と森公園の方が来られ、「小鳥が全体的に少なく、
特にメジロが少なかった」と仰っり、ヒヨドリだけは多いとも話さ
れた。

少なく感じるのは、普段うるさいムクドリまでもそう思われる。

何故だか分からないが、
●今冬~春、飛来していた冬鳥が多すぎて餌を減らして帰っ
た。
●ヒヨドリが多すぎてほかの鳥を追い出してしまった。
(とにかくこの鳥は威張りん坊で縄張り意識が強い)
●他所は普通であり実はいつもと同じ、などが考えられる。

ちなみに以下は、もしやと思い診療所と美術館の庭を観察し
て見つけたヒヨドリの巣です(撮影は本日昼)。

1
↑診療所の椿にあったヒヨドリの巣。

 

2
↑上掲の巣の近くにいたヒヨドリのヒナ(若鳥)。
チ、チ、  チ、チ、と細く金属的な鳴き声で親鳥に餌を
せがんでいる。

 

4
↑美術館のモミジに作られていたヒヨドリの巣。
この周囲でも数日来若鳥たちが盛んに飛び交っていた。

 

3
↑丸囲みの裏に上掲の巣がある樹。

いずれも人との距離が異常に近いが、今まで気がつかず、
巣作りと子育ては極めてひっそり行われていたようだ。

巣に気付いたのは鳴き声によってで、ヒナまた若鳥は大
型ながら親と違って鳴き声は虫の音のように小さく、分り
ずらかった。

この鳥の柔軟なことに、大きいのにホバリングを行い、椿
の蜜を吸う器用さを有している。
虫、果実も食べる雑食性を併せると、趨勢が続く場合、強
すぎて生態系への影響は如何?と懸念される。

これらは全てエルニーニョ現象のお土産でしょうか、杞憂
であれば良いのですが、、、。

記録的に遅い台風一号が発生している。

2016年7月5日(火曜日)

6月に、今年は台風が来るのが遅いと書かせて頂いた。

それが今月3日午前、第1号が発生したと気象庁が伝えていた。

統計が始まった1951年以降、第1号が最も遅かったのは1998
年の7月9日、今年は二番目の遅さの記録ということ。

現在台風はフィリッピン沖東を発達しながらゆっくり西北西(大陸方
面)へ進んでいる。

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本日7月5日午後4時45分 中心気圧955hps、中心付近の最大
風速40m(気象庁)。今のところ日本をそれるように西北西に向かっ
ているようだ。

半年間、台風が無かったが、残り半年に次々と来るのでは困る。

 

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本日夕食前の日本海。凪いでいて夕風が心地良かった。

ああ先人、佐渡に骨を埋めた都会の女医さん。

2016年7月3日(日曜日)

先日、佐渡へ向かう汽船待ちという東京のご家族が当館にお
寄り
になった。
お孫さんご夫婦と一緒の高齢のご夫婦、93才の老紳士は可
愛い犬を連れ、庭を巡られた奥様には、羨ましいと仰って頂い
た。

別れ際にお会いしただけだったが、ご自分の早稲田中学時代、
會津八一の講義を聴いたことがあると仰った。
カフェに會津八一の本があったことからそんな話になった。

それから一週間ほど経って、思いも掛けず會津八一の本が8
冊送られて来た。

同封のお手紙からご本人は長年地域に尽くされた大正生まれ
の産婦人科医だった。
激変する経済と社会、大陸進出、太平洋戦争、戦後の大混乱。

荒波に翻弄される進学事情、兵役、仕事、家庭の様子が垣間
見られる。

大正生まれの方達は苦労されている、とはかってある僧侶がし
みじみ語った言葉だ。

恵送本
↑我ら新潟県民の誇りの一人、會津八一の関連書物。
幾冊かの本から八一が如何に教え子たちから敬愛されたか、が
分かる。
書物は適時カフェの図書に入れさせて頂くことにしました。

お手紙に、自らの出兵を前に訪ねた奈良薬師寺のことと、八一の
短歌がしたためられていた。

末尾に、時代の波に押される如く昭和15年に東京から佐渡に渡
り、僻地医療に携わり平成14年89才で同地に骨を埋めた女医
である姉の記載が見えた。

この度の佐渡行きは彼女が眠る羽茂の祭と墓参りが目的だったと
いう。
戦時下の医師達は次々軍医として出征したため、地域は極端な医
師不足に見舞われたはずである。
姉君は帰郷の機会を失いながら、無医村化した佐渡で60余年間、
最後まで献身的な医療を遂行、昭和52年に勲五等宝冠章の叙勲
を受けられている。
傍ら手紙主の学費も支え、恩人に値する存在だった。

ハイヒールで颯爽と都会を歩いた女医さんは、羽茂において袴に
下駄の往診姿で納棺されたという。

思いもよらぬ先人の足跡を読み目頭が熱くなった。

実はもう一つ八ッ橋が。

2016年7月2日(土曜日)

先々回ある孫の修学旅行みやげとして八ッ橋を送って貰っ
たことを書かせて頂いた。
記載したのは聖護院八ッ橋だったが、実はもう一つ別な店
、本家西尾八ッ橋が一緒に送られていた。

京都で試食の際、どちらも美味しくて迷ったすえ、両方送
ることにしたと聞いた。

中学三年生なったばかりの生徒が年寄りの土産に迷うの
は容易に想像出来る。

そもそも聖護院八ッ橋と本家西尾八ッ橋とでは、同じ菓子
でも由来が異なっている。

聖護院は江戸期のお琴の名手八橋検校の遺徳に、本家西
尾のものは伊勢物語などで伝えられる「三河の国八ッ橋」
の逸話に由来するとされるようだ。

由来をも勘案して決めかねたことが想像されるが、結果とし
て両方にした、というのは本当に微笑ましい。
彼がもしも裁判官になったなら、良い判決を下す名判事に
なるような気がする。

お小遣いを散財させて申し分けなく思い、またR君の人柄に
触れて心温められた。

 

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抹茶味の本家西尾八ッ橋

今では生八つ橋のほうが人気があるが、私の場合昭和31年の
中学時代、修学旅行で食べて感動した固い方の味が忘れられ
ずにいる。
(当時まだ生八つ橋は無かったかもしれません)

蓄音機で聴くクラシックSP盤の至福。

2016年7月1日(金曜日)

ある方のご好意で樹下美術館のカフェにコンソール
タイプの大きな蓄音機が置いてある。

時々持ち主がレコードを持参して来館され、一緒に聴く。
たびたび聴くうち、クラシックSPを聴くのは特別な時間だ
ということが分かるようになった。

昨日木曜日は午後休診の日、有志が5人カフェに集った。

 

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↑窓辺のレコード盤。
(ほかに組みアルバムも聴きました)

SP盤の音楽は優しく哀しく、あるいはふつふつと喜びを
伝える。
往時の名手の演奏が箱から私たちに向かって再現され、
カフェは良き音楽の時代そのままの空気に包まれる。

以下は昨日かかったレコードです。
「幻想曲(K475)とソナタ(K457)」(モーツアルト)
/ ピアノ:リリー・クラウス
・「弦楽四重奏曲(死と乙女)」(シューベルト)
/ ブッシュクヮルテット
・「エレジー」(フォーレ) /チェロ:ピエール・フルニエ
・「愛の喜び」「愛の悲しみ」(クライスラー)
/ヴァイオリン:フリッツ・クライスラー
・「ワルツ(No11、12)」(ショパン)
/ ピアノ:ディヌ・リパッティ
・「アヴェマリア」(シューベルト)
/ヴィオラ:ウィリアム・プリムローズ
・「歌の翼に」(メンデルスゾーン)
/ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ

ほかに3人のお客様がおられましたが、皆さん喜んで加
わってくださり、最後まで楽しまれました。

庭の花たちも耳をそばだてて聴いている風情、コーヒーが
一段と美味しく感じられました。

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テッポウユリも、

 

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今年初めて植えたリアトリスも、

 

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ナツツバキも、

花や草が一緒に聴いていたようなひと時でした。

昔の農村の娘さんのこと R君から八ッ橋のお土産。

2016年6月29日(水曜日)

過日昭和4年生まれのおばあちゃんから娘時代の事をお
聞きした。
その人の父親は病弱なため農作業から身を引いていたら
しい。
家には7反の田があり、仕事は長女のその方が中心にな
って働くことになった。
母親に次々と子供が出来たので自然にそうなった。
小柄だったが、少女時代から牛を使って田を起こし,代掻き
を行い、苗取り、田植え、草刈り、稲刈り、ワラ仕事などみな
行った。
稲刈り後は稲を干すはさ木に上って稲束を受け取り、上ら
ない時は束を竿で刺して持ち上げ、はさ木に上った人に渡
した。

近所や親戚の助けも借りたが、あくまで責任は自分の肩
にあった。

戦時下の村で男たちは次々と出兵し、行き詰まった農家か
ら田を任されるようになった。
7反だった田はついに1町5反にもなり、小学生になった弟
たちも手伝ってくれるようになった。
後年、姉ちゃんは働いている姿しか思い出せない、と弟に
言われた。

稲刈りを終えた秋~春、村の娘は都会へ女中奉公に行った。
自分も行きたかったが、“裁縫を習わせてやるから奉公は駄
目”と親から言われた。
自分が奉公に行ったら帰ってこないんじゃないか、と親は心
配したらしい。

この方は可愛いお顔のお年寄りだ。
加えて働き者であれば若き日都会で見込まれたうえ、長い
奉公や嫁入り話などを親は恐れたのかもしれない。

さて裁縫は当時の娘さんの大切な修養の一つだ。
小生の同級生のお母さんはかって裁縫の師範で、冬にな
ると近隣の村から大勢の娘さんたちが泊まり込みで習いに
来たという。
場所は違うが、くだんのおばあちゃんもそうして習っている。

話変わって終戦後のこと、高等学校に行かせてもらえず、
中卒で煙突女学校に行ったという方の話を聞いたことがあ
る。
煙突女学校とは紡績工場のことで、なぜ学校かと言えば、
工場の外見が学校に見えなくもない事が一つ。
また工場では仕事のほかお花、裁縫、習字、社会学習など
の時間が設けられ、学校のような側面もあった事に由来して
いるようだった。

振り返れば農作業や奉公、裁縫や煙突学校などの事で、皆
さん最初は遠慮されるが一旦語ればちゃんとした言葉で話を
される。
苦しい時代を生き抜いた体験が奥底のプライドとなって、生
きているように感じられるのである。
較べて一旦事あれば多くの詭弁を弄し、終始うろたえる最高
学府出という某知事などは、本当に滑稽に見える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日、京都へ修学旅行に行ったという孫から八ッ橋が送られて
きた。
何年か前、ある孫が同じ先の八ッ橋を送ってくれた。
焼いた八つ橋は自分の関西への修学旅行以来の好物だ。

 

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↑懐かしい聖護院八ッ橋。

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齋藤尚明氏の湯呑で茶を飲み、さっそく美味しくいただきました。

R君、旅行は楽しかったことでしょう、本当に有り難うございました。

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