寒かった本日 先日の初ツバメ。

2016年4月11日(月曜日)

急な寒さに見舞われた本日夕刻、数日来気が抜けなかった
方が在宅で亡くなった。
90代半ばの方で、静かな最後だった。

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寒かった本日夕刻の海、この写真を撮って数時間後に看取り
があった。

 

話変わって去る4月5日、美術館の裏手の水田で今年初めて
ツバメが飛ぶのを見た。

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はるばる南国から来たというのにとても元気だ。

まだインフルエンザは収束しているようには見えない。

浮かぶような入り陽 .陽は昇り陽は沈む。

2016年4月9日(土曜日)

本日穏やかに夕陽が沈んだ。
水平線のモヤに沈みながら球体のような影が付き
軽々と浮いてるようだった。

 

1本日入り陽のころ(四ツ屋浜で)。

 

2浮いてるような太陽

 

3
陽が沈み雲が茜に染まる。

 


ペリー・コモの「Sunrise Sunset」

Sunrise Sunset
Sunrise Sunset
おさな子たちに時が過ぎ
こんなに美しくなったり
いつの間にか大きくなっている
これが本当にあの子たちなのか
昨日まであんなに小さかったのに
Sunrise Sunset
Sunrise Sunset
歳月は飛ぶように移ろい
小苗は一夜にして花をつけ
みるみる開いていく
Sunrise Sunset
Sunrise Sunset
歳月は飛ぶにように移ろい
季節は追いかけっこをしながら
幸せと涙を運ぶ

季節は追いかけっこをしながら
幸せと涙を運ぶ
Sunrise Sunset
Sunrise Sunset

(拙い端折りの意訳です)

しおさいの里のスタッフ歓迎親睦会。

2016年4月8日(金曜日)

普段週一回、特別養護老人ホームの医療担当の一人として近
所の「しおさいの里」に出向いている。
同施設は介護保険制度のスタートとともに開所し、満15年が経
った。

開園に当たって配置医師を探してと行政から要請され、近隣一
般よりやや多い3人の医師で身障者施設を含め85人の利用者
さんを診る形で始まった。
スタッフは熱心で、転倒や感染症など独特な問題があるたび
に集まり、対策を考えた。

一時嘱託を離れ、7年ほどのブランクの後4年前より再度通うよ
うになった。
この間に親身な接遇、生活リハ、感染症対策、認知症や重症者
への取り組みなど全体がさらにこまやかになっていた。

わけても看取りへの対応がよりスムーズに行われていることに
驚きを禁じ得なかった。
入所段階から看取りについて親族と確認しあい、容態悪化の際
はコミュニケーションをいっそう密にする。
その上で介護、看護、医療、相談、管理部門が協力しあっている。

ところで時にこの世界では「預かってやっている」という上から目
線や冷ややかな対応など残念な話を耳にする。
だがしおさいの里は幾分古い建物に属するものの、マンパワー
の質に於いては良く磨かれていると思う。
決して十分とは言えない環境だが、忙しくも暖かなスタッフに見
守られて暮らす皆さんは穏やかに見える。

介護福祉の世界は本人と家族、そして社会を下から支える場所。
そのことを世間がもっと理解し、仕事の厳しさと不十分な報酬制
度に強い光が当てられることを望みたい。

 

歓迎会
↑今夕行われた施設職員の慎ましい歓迎親睦会。
家庭や職場の用を済ませて夜7時半から始まる。
日頃ご苦労されいる皆さんには、どこか突き抜けたような明るさを
感じる。

励みになる八十二財団スタッフの訪問。

2016年4月7日(木曜日)

昨日瞬く間に花を咲かせる春の魔法を書いたばかりの本日、
その春が終日冷たい雨を降らせ、変幻自在ぶりを見せつけた。

人には意外でも、予定通りの花冷えです、とお天気は人ごと
のように言うのかもしれない。

話変わって昨日、長野市の八十二文化財団からスタッフの
女性お二人が見えて、熱心に展示をご覧になりお茶を飲ん
で頂いた。
同財団は長野県内を中心に新潟県上越地方も含む諸文化
団体と提携し、関連「友の会」会員への案内と支援を行って
いる。
当館も2007年の開館以来、提携先としてお世話になってい
て感謝を禁じ得ない。

八十二ガイドブック
131ページもある充実した提携文化施設ガイドブック。

長野県内は300を越える文化施設と提携し友の会が運営さ
れている。
上越と妙高市および岐阜県内で12施設が載っている。
長野県のおびただしい文化施設数を見ると、同県の日常と文
化がいかに接近していかが分かる。

次号の施設と催事案内のトップに樹下美術館が紹介される予
定ということでスタッフが訪問された。

県内外の文化事業をトータルに支援する公益財団が八十二銀
行という民間を母体に発展していることの底力は眩しい。

民間の小規模な樹下美術館にとってスタッフの訪問は大変励
みになりました。
どうかこれからも宜しくお願い致します。

ゆっくり水浴びしたツグミ。

2016年4月6日(水曜日)

去る4月3日日曜日は上越市高田で25℃の夏日でした。
この日、美術館の水盤で雀や四十雀やヒヨドリが頻繁に水浴びを
しました。
その中に混じってツグミが浴びるのを初めて見ました。

ツグミは秋にシベリアなど北方から飛来する冬の渡り鳥です。
春になると山から里へ移動し、連休のころまでには再び北へ帰る
ということです。

当館で庭仕事を始めた3月上旬からよく見かけていました。
先日の暑さは応えたのでしょう、一羽が熱心に水浴びをしました。

1

2
しぶきを上げて浴びた後気持ちよさそうにしばらくじっとしている。
その後再びバシャバシャ浴びてまだじっとするを繰り返しました。
こんなにゆっくりする鳥は初めてでした。

 

3
↑いつのまにか周囲に二羽のツグミがいました。
順番を待っていたようですが、入浴した鳥が去ると一緒に飛んで行きました。
それにしてもこの鳥は春の背景にとてもうまくカモフラージュ出来ていますね。

雪が少なかったせいか、今年は例年より多かったようです。
沢山餌を採り一風呂浴びて、間もなく旅立ちでしょうか。

強力な春の魔法。

2016年4月5日(火曜日)

 

拙詩)
いつも春の魔法は強力だ
この前モジモジしていると陰口を言ったら
いきなりあっちもこっちも花だらけにした
いまや「参りました」という感じだ

 

1
樹下美術館の一角で

 

2
裏手の一本桜も大きくなってきた。

 

5
摘み取ったクリスマスローズはカフェのテーブルへ。

 

6
近くの新堀川公園も満開まじか。

 

7
同公園のコブシは圧倒的な白さ。

危ない花見のボート。

2016年4月4日(月曜日)

一昨日2日土曜日、高田公園の夜桜を見に行き、素晴らしい
景観のことを書かせて頂いた。

その帰路、園内の小林古径邸の脇にさしかかると中学生かと
思われる生徒さん達の声が濠から聞こえてきた。
二艘のボートがうす暗い濠にぼんやり見えて、
「だめだめ、寄るな寄るな」、「ぶつかる、下がれ」
などという大声が聞こえた。
ガンガン、ドンとオールが絡む音やボートがぶつかる音もする。

6,7人の若者たちが、本気か遊びか賑やかだった。
心配だったので立ち止まって見たが、ちゃんと漕げているように
は見えなかった。
危ないなあと、妻と心配しながら帰って来た。

すると昨日夕刻、入学前の高校生のボートが転覆し一人が死亡
したと、報じられた。
まさか前日の若者ではあるまい、犠牲者まで出たことは俄に信じ
られなかった。

言うまでもなくボートの上で立ったり故意に船を揺らすのはとて
も危険だ。
花見は人を興奮させる。
素晴らしい花と暗い事故。
今後ライフジャケットを必須とするか、不慮を考慮して中止の道
もあるかもしれない。

市村幸恵さんとペトル・ノウゾウフスキーさんの音楽会 ユーモア。

2016年4月3日(日曜日)

本日夜当市大潟区のコミュニティープラザで「魂の響き~チェコの哀愁を
音にのせて~」という音楽会があった。
ペテル・ノウゾウフスキー(チェロ)と市村幸恵(ピアノ)による音楽会で、
「夢をかなえる会」と「大潟音楽協会OB会」の共同主催だった。

ドヴォジャーク、ベートーベン、ヤナーチェク、ドビゥッシー、マルティヌー
と3人のチェコの作曲家をメインにドラマティックなプログラムだった。

繊細さと豪胆さを縦横に行き交うチェロ、織物のようにチェロと歌い合う
ピアノ。
感情と精神のほぼ全域が刺激され,胃腸まで活発に動きとてもおなかが
空いた。

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市川さんは上越市吉川区のご出身。1997年国際芸術連盟新人オー
ディションに合格。
1998年プラハ音楽院に留学された。

本日演奏後の見送りに立っておられた市村さんとお会いした。
「私の義兄の関根日出男先生が、、、」
とご挨拶しようとすると、、
「ああー覚えていますよ、佐藤さんのコンサートでしたね!」
と仰った。
1998年の市村さんのチェコ留学を前にして、柿崎区上下浜の佐藤
宅に100人近く集まって壮行リサイタルがあった。

私の義兄に耳鼻科医関根日出男氏がいる。
氏はチェコ文化研究家で音楽研究家、ヤナーチェク友の会顧問もされ、
日チェコ友好協会から表彰されている。
かって佐藤宅の壮行音楽会でお会いした時、市村さんは留学の助言を
受けるべく関根氏を訪ねたと仰った。
東京の親族と市村さんの間に接点があったことにその時驚いた。
そして今夜、18年前の壮行の場面を即座に思い出された音楽家の脳
に驚いた。

遠い国で学び今チェコを中心にヨーロッパで演奏活動されている。
どんなにご苦労されたことだろう、「よく頑張りましたね」、とお伝えする
と、少し目を潤ませられたように見えた。

今日のプログラムにヤナーチェクの「おとぎ話」というリリカルな演目が
あった。
彼女はヤナーチェクに影響を受けてチェコ留学を決めたと聞いている。
ヤナーチェク-市村さん-関根日出男氏がきれいな線で繋がっている。

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本日の会場。

ところでチェロのペトル氏は毎年150回ものコンサートをされ、ご自身の
「ヴィヴァ・タンゴ-チェロ」は2014年ニューヨークで最も人気のあるCDに選ばれ
ている。

本日チェコの国民性として“ユーモア”を挙げ、2部冒頭「だんだんどーも」と
言って登場された。
そういえば関根日出男氏の翻訳本にミラン・クンデラの「冗談」がある。
最近世間がとんどんきつくなり、ユーモアという言葉自身遠くへ行ってしまった。

齋藤三郎・尚明親子展 20数年振り高田公園の夜桜。

2016年4月2日(土曜日)

夕刻高田は本町の「ギャラリー祥」さんへ齋藤三郎・尚明親子(初代、
二代陶齋)展を観に行った。
前々から気になっていたのが会期が長かったため本日間に合った。

初代は何度見ても飽きず、二代は更に新境地を拓いていた。
尚明氏の斬新な椿の湯呑を二つ買った。
大きめの器で、もう少し安ければ買いたい物が幾つもあった。

ギャラリーのオーナーは女性だが、いつも熱意に脱帽させられる。
夕暮れの本町通りを見下ろす大きなガラス窓のテラスで楽しい話を
聞きお茶を頂いた。

1
↑夕暮れの駅前交差点。高田は美しく進化していると思う。
今は踏んばり時かもしれない。

ギャラリーを出て高田公園へ、知り合いの駐車場をお借りしてから桜を見に行った。
花見会場を歩くのは20数年振りだったが、良い意味で変わっていた。

 2↑会場の西部に位置するさくらロードは初めてだったが、さすがだった。
ふた筋が並んでいて上掲のロードは白色光の照明。

 

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↑反対方向は桃紫色の照明が当たり息を呑む美しさ。

 

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期間が始まって二日目、混雑も無く花は新鮮、静かで良い時間を過ごせた。

 

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↑路傍の露天は魅惑する。

 5
↑甘栗を買った。

 

8↑黄色の信号は好きだが、点灯時間が短くてシャッターチャンスが少ない。
(帰り道の交差点で)

広い会場は幾つかに区分けされ、バリエーションを楽しめるようになっている。
本日は賑々しい音楽や失礼ながら酔った人にも出会わず、想像以上に楽しめた。
但し満開の頃はまた別の顔になるのだろうが、それはそれで良いと思う。

【感想】最も魅力的な「さくらロード」は将来さらにスケールアップされたなら文字通り
「日本三大夜桜」の名実を誇れるようになる。
もう「百万人の云々」は要らないのでは、頑張れ桜、頑張れ高田!

白い馬の家(うち)。

2016年4月1日(金曜日)

先日の在宅訪問である高齢のおばあさんを訪ねた。
90才なかばを過ぎたおばあさんの反応はぱっとしなかったが、
子供の頃の田んぼの手伝いの話になるとどんな質問にも細か
に反応された。

古いことほど明瞭になることもあるが、そもそも田畑の仕事は人
を無心にさせる作用がある。
付随して思い出したくないことがあっても、それだけは回想でき
るのかもしれない。

おばあさんと話していると今度はお嫁さんが加わって、以下の
ことをお聞きした。
“実家のおばあさんの話では、昔、家に白馬の農耕馬がいた。
娘時代おあさんが特に面倒をみたのでなついて、よく馬に跨が
って走ったと聞いた。
白い馬は珍しく、実家は「白い馬の家(うち)」と呼ばれていたよ
うだ”

世の中には思わぬ話がある。
白馬と言っても葦毛であろうが、やはり農耕馬では珍しいことだ
ろう。

集落を駆け抜ける白馬と若き日のおばあちゃん。
春秋の水田でも目立っていたにちがいない。
「白い馬の家」
ドラマのイメージが重なる。

飛行機雲がよく見えた日 忙しくなった花。

2016年3月31日(木曜日)

暖かかさが続くようになった日、飛行機雲がよく見えた。
飛行機雲は晴れば見えるものではないようだ。
本体は氷の粒であり、上空が冷えその上一定の湿度も
必要らしい。

今日はこんなに、というほど次々と飛行機雲が現れた。

 

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↑定規で引いたように平行な飛行機雲。

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↑くっきり見えるのは3本だが、帯のような雲も元は飛行機雲だった
と思われる。

庭の花はクリスマスローズを追うように忙しく個性的に開き始めた。

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↑ひっそりと咲いているショウジョウバカマ。

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↑洗濯されたように真っ白な若いハクモクレン。

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↑何カ所かで満開のトサミズキ。

愛らしい芽も次々と土中から現れ、つい踏んでしまいそうだ。

洞爺丸事故と羊蹄丸。

2016年3月30日(水曜日)

去る26日は昭和29年、中学一年生の時に北海道は道南、木古内
へ行った事を書かせて頂いた。

その折り青函連絡船の乗船に触れた。
行き帰りはどっちだったか、忘れたが乗ったのは摩周丸と羊蹄丸
だったと思う。
なかでも羊蹄丸には間接的だがやや特別な印象が残った。

前回記した木古内行は昭和29年の夏休み。
その休みを終えた二学期の9月21日、青函連絡船「洞爺丸」の大海
難事故が起った。
台風通過の夜、躊躇の末出港し、まだ函館湾内にあって苛烈な暴風
に襲われた洞爺丸。
投下した錨が効かず鎖も切れて漂流。
なんとか浅瀬に座礁させ停泊を試みるも失敗、夜中に転覆沈没した。

困難な通信、関係者の思い違いなどもあって1100数十人の犠牲者が
出た。
洞爺丸はその夏、昭和天皇皇后の北海道ご訪問の際、お召し船の栄
誉に浴したばかりだった。

場所は七重浜。
函館を出た江差線は五稜郭、七重浜と停まる。
駅名や漁村らしい一帯の風景がよみがえり、当時とても暗い気持ちに
なった。

その夜混乱した函館湾内で4隻の青函連絡船ほか多数の船舶が遭難し、
一夜にして1400名を越える犠牲者を出す大惨事になった。

一連の経過中、同日青森側から出港予定だった羊蹄丸は熟考のすえ出
港を取りやめていた。
羊蹄丸は洞爺丸とは同期に製造された兄弟船の中の一隻だった。
羊蹄丸船長の判断は暗澹たる事件の中でわずかな光明として伝えられ
た。
特に羊蹄丸が少年時代の脳裏に刻まれたのも、このようなことがあった
ためだと思っている。

初代羊蹄丸
↑乗船した初代羊蹄丸(日本海事科学振興財団のホームページから)。

以下の切符は中一夏から5年後、高校三年生で再び木古内を訪ねた
時の帰路のものです。

切符と急行券
↑上は昭和34年発行の木古内から柏崎行き切符。
直江津まで行くより柏崎乗り換えで便利な列車があったのだろう。
下は翌日の青森駅発の急行券(羊蹄丸の発行になっている)。
三等乗車券630円、急行券350円、計980は今では信じがたい運賃だ。

洞爺丸の海難が契機となり、戦前からあった青函トンネルの構想が現実
化に向けて動いたということです。

新しい巣箱。

2016年3月28日(月曜日)

以前インターネットで買った巣箱を本日昼、美術館の庭に掛
けた。
昨年シジュウカラが営巣した巣箱はぼろぼろになっているの
で場所を少しずらして替えた。

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↑昨年ヤマザクラにかけた巣箱はシジュウカラが使った。
子育て中に若い雀が餌を運ぶのが見られ、,とても驚いた。

 

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↑今日かけた巣箱は果たして使われるだろうか。
使われたらどんな光景が見られるだろう。

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↑カフェ正面からよく見えるイタヤカエデに取り付けた。

よく見えるが低すぎること、人の気配が多いことから
果たして鳥が入るかどうか、、、。

以前もっと近くのモミジにシジュウカラが巣を作ったこと
があった。
箱のしっかりした作り、東向きなどは好条件だが、、、。

景勝を通して描かれる謙信 民守党でいいのでは。

2016年3月27日(日曜日)

小説や戯曲に於いて、エピソードごとに人物の個性を
その通りに表現することは重要なことだ。
その点で真田丸は見ていておもしろい。
(但しある女性の役どころがよくわからないのだが、、、)

毎回めまぐるしく襲い来る難題への対応で波乱の連続。
その中で人物たちは複雑に立ち回りながら、結果とし
てそれぞれの個性が見事に一貫している。

今年の大河ドラマは文字通り「ドラマ」あるいは「芝居」
の要素が濃く興味深い。

本日、信繁が上杉の人質として春日山城に入った。
そこで信繁、景勝、兼続の三人が一挙に深く描かれた。
三者は文字通り三様に振る舞いながら切迫した問題を
乗り越えていく。
その中で特に景勝が体現している上杉謙信像がこれほ
ど丁寧に演じられるとは思ってもみなかった。

劇中、景勝の心情が強く民に向かっている事が強調され、
非常に新鮮だった。

“民の安心なくして国作りは無い”
“民の暮らしを守り民の心を支える”

景勝はこのような主旨を述べ、信繁は感化されていく。
兄との今後の乖離も景勝の薫陶が動機の一つになるのか。

第一義
↑謙信を育てた春日山は林泉寺の山門にかかる
「第一義」の額。

 

ところで本日民進党が発足した。
調査によれば不支持が支持を大きく上回る。

当然であろう、政権時代の民主党は瞬く間に権勢に
おぼれ、ついには官に操縦されるが如く衰弱した。

だが党名は変わろうと本来の立場は不変であろう。
地元としては景勝の言葉のように「民守」を肝に銘じ、
惰することなく懸命に働いてもらいたいと思う。

冷たいと寒いの続き 思い出の木古内、北海道新幹線の開業。

2016年3月26日(土曜日)

昨日は「冷たい」と「寒い」を考えた。

違いを自分の外部と内部の感覚の区別で想定してみた。
人の体に触れて「冷たい」と言うが「寒い」とは言わない。

そんなことから外部の感覚が冷たい、内部の感覚は寒いと
仮定してみた。
しかしどう見ても自分の額や頬を「冷たい」と感じる。
それを冷たいは他者の感覚を自分に置き換えて感じる、
というのはまわりくどく、相当無理がありそうだった。

ならば本日「冷たい」は身体の知覚で「寒い」は心や精神
のものなのか?
あるいは「冷たい」は表面的かつ物理な反応で、
「寒い」はやや深部的、あるいはやや抽象的な反応なのか?
冬の風に手足や頬は冷たく感じる。
一方冬の外出で「おお寒い!」と言い、「おお冷たい」とは言
わない。

あるいは、
低温の風呂に入った途端「冷たく」感じ、すぐに「寒く」なり、
手足が「冷たく」なっている。
「冷たい」は外部に対する即時的な反応、続いて深部が
「寒い」と感じ、最後に「冷たくて寒い」への対応を考える?

ということで、
冷たいは本能的かつ反射的→古い脳幹、大脳基底核の反応。
寒いは深部的また情動的→少し進んで大脳辺縁系?
それらへの対応→新しい大脳皮質の出番。
と我田引水を試みて、自信はないが一応終わることにした。

最後に「冷たい言葉」や「冷たい人」は深い印象がある。
しかしそれらには恐れや攻撃を司る原始的な古い脳(脳幹、
大脳基底核)が反応しているのかも、、、。

こうなると無理を否めません。
結果的に「冷たい」より「寒い」が難しく感じられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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北海道は道南、木古内(きこない)の叔父さんの牧草地で。
1954年、中学一年の夏休みに中三の姉と小六の弟と
三人で行った。

直江津から乗った私たちの席は京大の医学生さんと一緒
だった。
その人には車酔いした弟を介抱してもらって助かった。

朝出発して夜に青森、青函連絡船で泊まり、翌朝函館着。
青函連絡船は親戚の上等航海士の世話で船員用の個室
ベッドだった。
非常に興奮して眠れず、一晩中デッキや船内を歩き回った。

秋田の夕陽、五稜郭の海洋大博覧会、江差線沿線のスルメ
の匂い、トラピストのバター飴、牧草地の土器、震えながら
泳いだ海、、、。

なにより叔父さんが自分の口に手を入れて吐くのを見た時、
この仕事は大変なのだと思った。

北海道新幹線が本日開業した。
北海道最初の駅が人口5千人に届かない木古内になって
いる。

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