早春の庭を見ながらSPレコード パガニーニの課題曲。

2016年3月24日(木曜日)

全国的にインフルエンザは収束したと、昨日のニュース
が伝えていた。
しかし数日再びA型が盛り返すなど発症が続いている。
本日積もるほどではなかったが、雪が混じる寒い日と
なり、まだ気を許せない気がする。

そんな午後友人がSPレコードを抱えてやってきて、K氏
を交えてたっぷり2時間、蓄音機を聴いた。
コルトーのピアノ、ジンバリストのバイオリン、カザルスの
チェロ等々次々と早春の館内に響いた。

大家が天から降りてきて聴かせてくれる。
SPレコードにはそんな幸せ感がある。

 

 

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人の悪口などまずしない人たちとの時間は爽やかだった。

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「手回し蓄音機でSPレコードを聴く会」 5月14日(土曜日)
午後6時からから樹下美術館で催します。
大人お一人様500円、樹下美術館窓口あるいは
お電話025-530-4155でお気軽にお申し込み下さい。

 

 

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館内の花は赤い侘び助としぼりの椿。

 

 

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帰りに見た米山の頂上は雪雲か。

 


ユリア・フィッシャーの「パガニーニ奇想曲13番。
「悪魔の微笑み」と呼ばれる3度重音の連続下降が難関。
今年、孫の一人がこの課題曲を弾いてある音大に合格した。

しっかり表情を付けなければ音楽にならない。
大勢の教官の前で緊張したが、心込めて弾けたという。
いつか当館のホールでぜひ彼女の演奏を聴きたいと思う。

ご夫婦のお客様が多かった日の庭仕事 村山陽ご夫妻。

2016年3月21日(月曜日)

春分の日の午後、気温は上がらなかったが陽射しに
恵まれた。
昨年から毎週火曜日の休館を止めたので、集中して
庭仕事が出来る日が無くなった。

開館している時に庭に出るのはかなり気が引ける。
とくにカフェから庭はほぼ丸見えなので、下手をすれ
ば皆様にお尻を向けることになりかねない。

現在買ったままになっている沢山のアヤメや届けら
れたシラネアオイが数株植えられるのを待っている。
大小50株のクリスマスローズに石灰も撒きたい。
意を決してやや遠目の場所で午後から閉館まで作
業をした。

終わる頃、本日最後のお客様ご夫婦と庭でお会い
した。
これまで東京にお住まいで、縁あって一昨年から
高田へ移住されたという。
上越の食べ物は美味しく花の色がみな鮮やか、東
京の花はくすんでいてこんなでなかったと仰った。
このような言葉はやはり嬉しい。

本日はご夫婦の方が多く、画家村山陽さんご夫妻
がお見えになった。
今年の当館の倉石隆作品は「倉石隆の朱色」。
「バーミリオン(朱色)は高価で、しかもほかの色とは
決してうまく混ざらない強い色です、とお聞きした。

倉石氏の「更紗」の前に長く佇まれ、当作品における
倉石氏の思わぬ製作手順を説明してくださった。
画家ならではのイマジネーションがとても新鮮だった。

若かりし日倉石隆氏とお会いした時、自分はいつ画
家に転身すべきかを尋ねたという。
「いますぐ始めなさい」
倉石氏の言葉は厳しくかつ明快だった、と貴重な思い
出を語られた。

村山先生、ご来館有り難うございました。

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こざっぱりとした本日の米山と尾神岳、そして潟川(樹下美術館の近くで)。

 

 

肌寒でも春は歩む 富山県から食べログのお客様。

2016年3月20日(日曜日)

10度まで届かなかった肌寒く雨がちの日曜日。
心身を温めるようにぽつぽつぽつとお客様に来て頂きました。

午後、富山県の若い方が三重県のお友達とご一緒されと聞き
ました。
「食べログ」で検索されたそうですね、遠くから有り難うござい
ました。
デッキベンチで越後の田を眺めて頂いたともお聞きしました。

ところで今年の館内は以下のようになっています。
少し遅くなりましたが、写真を撮りました。

 

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↑ホールというほど広くはない入ってすぐの絵画ホール。
今年は「倉石隆の朱色」です。

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↑絵画ホールから奥の陶芸ホールの眺め。

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↑今年の陶芸ホールは「陶齋の赤」です。

当館は上越市の設計家・大橋秀三氏の設計で、
2009年度「日本建築家協会優秀建築選200選」に選ばれました。.

 

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館内の廊下で辻村史朗氏の伊賀の花生けに椿と利休梅の枝。
これから利休梅の白い花が咲きます。
絵画系の館内で辻村氏の焼き締めが一点、良く合っています。

1947年生まれの辻村氏は陶齋と同じように画家を志し、後
に独学で陶芸に進み、今日クリーブランド美術館、ミネアポリス
美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、裏千家茶道
資料館などで収蔵される国際的な作家になられました。
一見何気ない器の厳しくも絶妙なバランスは驚くばかりです。



午後美術館の後ホームセンターへ紙や肥料などを買いに。
道すがらの川で軟らかなネコヤナギの芽吹きが見られました。

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貴重な早春の色は頸城区内で渡った橋から。

 

明日春分の日は本日と同じようなお天気のようです。
降らなければ庭仕事をしたい所ですが。

春雨の樹下美術館。

2016年3月19日(土曜日)

日中降り続いた春雨の日。
雨は花のつぼみと木々の芽に優しく注ぎ、つがいとなって
里に下りた雀たちは雨の中で餌を探し巣作りを始めている。

この日、地元の方々のほか新潟市から二組のお客様が
寄ってくださった。

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↑沈丁花が香る一角でトサミズキの黄色い蕾が膨らむ。

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↑雨中カフェの芝生で餌を探す雀はつがいに見えた。
美術館の軒下に出入りする雀もいて、巣作りが始っているようだ。

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ブログをご覧になっていると仰った新潟市のご家族さんの器。
左は裏千家茶道を稽古している小学六年生の男子生徒さん、
真ん中はお父さん、右端はお母さんがそれぞれ選ばれた器。

静かな雨の土曜日、ご来館くださった皆様有り難うございました。

お天気とお客様に恵まれた日。

2016年3月17日(木曜日)

風も無く昼頃から次第に暖かくなった一日。
本日開館三日目の午後は皆様にお出で頂きました。

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↑車が沢山でびっくりしました。

今年の展示テーマがシンプルで、いつもより熱心に作品をご
覧になる方が多いようです。
今年から展示観覧料は大人200円、中高生100円、
小学生50円、にそれぞれ値下げを致しました。

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↑持参されたランチを広げデッキベンチでピクニックを
された皆様。
食後、ベンチで当館のお抹茶を飲まれたそうです。

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ベンチの先から農道に出る橋が新しくなりました。
小さいですが、新しい橋っていいですね。

上越地域の浮上にはほくほく線の頑張りも一つの鍵。

2016年3月16日(水曜日)

北陸新幹線が開業して一年が経った。

当地上越市はおしなべてめざましい効果が見られず、苦戦を強い
られている様子が伝えられる。
一方で北陸は躍進し、終点先の福井県や能登まで広く効果が波
及しているらしい。

ところで必死の上越市にあって、殆どの乗客を新幹線に奪われた
ほくほく線の社長インタビューは驚くほど余裕があり、明るいもの
だった。

“焦りはない。そもそも北陸はうちの娘「とき号」の嫁ぎ先、またJR
には一部線路を使わせてもらっている”
“当面争わず自分たち独自でやり、いずれ日本一のローカル線に
しますよ”
にこやかな笑顔は自信にあふれていた。
切実さばかりが伝わる中、社長の肝のすわり方に驚いた。
特急はくたかでたっぷり貯えた余裕がこの構えを可能にしているの
だろう。

映画、雪見、温泉、、、これらを車内で可能にする特別列車の構想?

デメリットの「雪とトンネル」をメリットに逆転させる壮大な秘策がある
のかもしれない。
トンネルと多くの高架線はともに雪に強い。
そもそも付帯インフラは日本一のスーパーローカルの地力がある。

ほくほく線が集客すれば直江津、さらに高田も人が回る。
さらに上越妙高から新幹線、あるいは佐渡まで周遊可能だ。
足がかりは同社が目指す「絶対価値」。
目先に捕らわれず視野を広くする事が大切なようだ。

この度の新幹線や九州の取り組みは出かける楽しさをさらに広げた。
本日はまれに見る貴重なインタビューだった。

ほくほく線特急「はくたか」が去って1年。
本社駅で行われた記念イベントも懐かしい鉄ちゃんたちで賑わったよ
うだ。

私も近くの田んぼから夢中で撮ったほくほく線特急はくたか」の勇姿を、
お別れ一周年記念に掲載させて頂きました。

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↑別れが迫って愛車と記念撮影。

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↑ラストランの日、感傷に包まれた直江津駅。

いまや影が薄くなった直江津駅。
その浮上にはほくほく線の頑張りが鍵になるかもしれない。

(恥ずかしながら小生が撮りましたほくほく線列車のポストカード4種を
樹下美術館で販売致してます)

 

お陰様で開館しました 追加されたカップ&ソーサー。

2016年3月15日(火曜日)

今期は予報通りの暖冬ということでしたが、寒い日も多
かった。

そんな本日3月15日樹下美術館も2016年のスタート
を切った。
庭や駐車場の雪処理もなくスムースな開館だった。

例年閑散で始まる樹下美術館だが、本年はほどよくお客様
に恵まれた。
展示も熱心にご覧いただけたそうで有り難かった。

さて本年のカフェにカップ&ソーサーを2客追加しました。

ザンベジ
↑「ザンベジ」 ミッドウインター社(イギリス) 1客です。
1956年デザインのゼブラ模様にハンドルの赤が印象的な
ポイントです。
1940~60年代のミッドセンチュリーの雰囲気が濃く漂い
ます。

ところでミッドセンチュリーのデザインは樹下美術館のカフェ
の椅子(セブンチェアー/デンマーク)、カフェの照明(ペン
タントライト/デンマーク)、陶芸室のベンチ(ネルソンベンチ
/アメリカ)、絵画ホールのストゥール(マッシュルーム/日
本)などの家具にみられます。

展示作家の齋藤三郎、倉石隆の若き日もまさにミッドセンチ
ュリーでした。
そんなわけで当館には素朴モダンとも言える当時の雰囲気
が何気なく漂うかもしれません。

さてもう1客はブルーオーキッドで、これは計3客になりました。
ブルーオーキッド
↑「ブルーオーキッド」 マイセン社(ドイツ)
現代のものですが、マイセンのデザイナーが京都を旅行
中にインスピレーションを受けたそうです。

当館では時代物、作家物などの家具や食器を自然な形で
皆様にお使いいただいています。
せっかくの人生ですから遠慮なくご一緒に楽しみましょう。

今年度の展示ご案内その2 陶芸 齋藤三郎。

2016年3月14日(月曜日)

今年度の展示ご案内  その2 陶芸 齋藤三郎

【陶芸 齋藤三郎(陶齋)】
陶齋は「絵描きになりたかった」と述べた事がありました。大正2年、新潟県栃尾町(現
長岡市)に生まれ、18才で入門した富本憲吉と近藤悠三は絵付け陶芸で後に人間国
宝になっています。
草花を愛し、それらは様々な器に描かれました。伸びのびした形と洒脱な絵付けは見る
人の心を和ませ、使う人を楽しませました。昭和56年7月17日惜しまれながら68才で
没しました。

【展示のテーマ】  ー陶齋の
作品から赤系の色彩がほどこされた作品を選びました。その色は雪国の炭火のように
暖かくまた優しく心打ちます。この度は辰砂(しんしゃ・銅による発色)の桃紅色も混ぜ
ました。

【展示作品の概要】
 色絵唐辛子文大皿 幅30センチを越えるいわゆる大皿です。赤い唐辛子は白い雪
とともに越後の冬の色ではないでしょうか。
 赤絵金彩椿詩文文壺 白椿と金彩の詩文(陶齋を詠った詩)が赤地に映えます。
 赤地金彩羊歯文陶箱 やや晩年の作ですが、鮮やかさと強さを感じさせます。
  色絵更紗文湯呑 更紗文は同じパターンを繰り返す模様。ドクダミがよく描かれました。
色絵更紗丸文水指: 水指は茶道で用いられる器。ドクダミ更紗の中に水仙、萩、
セキチクなど四季の花が描かれています。
  赤絵金彩牡丹文壺 金は焼く温度に敏感ですが、和の趣で鮮やかに焼成されてい
ます。
  辰砂葉文ジョッキ
8  辰砂葉文珈琲碗皿 作品7,8ともに桃紅色の辰砂の地に葉が一枚。素朴で心癒や
されます。陶齋の食器は1セット6客がよく見られます。食器は用いられる事を願い心
込めて作られました。
  色絵椿文鉢  鮮やかな赤い椿は陶齋のシンボルです。骨董屋さんでこの作品に出
会い、迷っていた美術館を決心しました。「露結為霜」は露が結ばれ霜になる初冬の現
象を表し、努力によって結実する、の意味があるようにも思われるのですが。
10  赤絵金彩酒器セット 赤に金色の梅。めでたさあふれる酒器です。
11  赤絵銀彩石榴文茶器セット
12  色絵番茶器セット 作品11,12ともに赤を使った茶器セット。陶齋には早い時期
は地味め、晩年は鮮やか、という傾向が感じられます。
13  寸雪庵好雪花文金彩屏風香合 香合は茶道でお香を入れる器。寸雪庵は写真
家濱谷浩の夫人が営んだ茶室の庵号です。夫人のお好みだった雪の結晶が描かれ
た屏風を模した器と考えられます。
14  色絵蕪文皿 赤いかぶの背景の大きな白地は訪れる雪のイメージでしょうか。
15  赤絵金彩秋草文陶箱  作品6と同じ様式の華やかな器です。錦秋が伝わります。
16  赤絵金彩のばら文壺  作品6に似ていますが、文様の味わいは洋風です。
17  赤絵どくだみ文小壺  昭和20年代、陶齋の初めての弟子の独立に際して贈られ
た器です。18 赤絵搔落石榴文壺
19  赤絵搔落石榴文壺 作品18とともに赤い地の表面を削いでざくろを描き出してい
ます。褐色に近い赤が秋の深まりを伝えます。

 

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齋藤三郎写真柏崎昭和26 - コピー
ありし日の齋藤三郎
高い教養と美意識の陶齋は多くの人に人気がありました。

2016年3月 樹下美術館

今年度の展示ご案内その1 絵画 倉石隆。

2016年3月13日(日曜日)

本日は開館を前に手伝って下さる方と庭の手入れをしました。
また展示する作家と作品について観覧者様にお出しする作品案内文を作りま
した。
本日は倉石隆の展示について掲載させて頂きました。

今年から展示の観覧料は大人200円、中高生100円、小学生50円と値下げ
の予定です。

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 今年度の展示ご案内 その1絵画 倉石隆
     2016年 樹下美術館

【絵画 倉石隆】  大正5年(1926年)上越市旧高田生まれ。父は第13師団を
高田に導いた初代高田市長。
高田中学校時代から絵を好み東京の太平洋美術学校に進み、同校で毎年デッ
サン賞を取りました。
兵役後、郷里の上越市高田に復員、1950年に再度上京を果たしました。
生涯人間をテーマに人の内面と存在を描き、少年少女向け小説の挿絵も生き
生きと描きました。
1999年9月14日~10月22日まで新潟市美術館で「倉石隆展」が開催され、
1998年11月19日、惜しまれながら82才の生涯を閉じました。
展示作品のテーマ  ー倉石隆の朱色
作品から朱色(バーミリオン)系が施された作品を展示しました。朱色は倉石隆が
好んだ色の一つです。
バーミリオンの主成分は貴重な硫化水銀のため大変高価な絵の具です。1970年
代からこの色がよく使われるようになりました。雪国で育ったためか華やかな色使い
が苦手と話したことがある作者が、強く暖かい朱色に精一杯心を込めて描いてい
ます。
向かって左から
黄昏のピエロ:樹下美術館では倉石隆のシンボル的な一枚と考えています。
孤独なピエロを暖かい色が包んでいます。ピエロは作者自身かもしれません。
鳩:世間から開放され、無心な鳩を楽しんで描いているようです。
室内の裸婦:ふんだんにバーミリオンが使われた大作です。作者はよく裸婦を描き
ましたが、女性の原型、あるいは母として見ていたのかもしれません。
更紗:白を混ぜた軟らかなバーミリオンで書かれた更紗(さらさ)の衣が気持ちよさ
そうです。女性を肉感的ではなく、安定した存在として描いています。
朱色のチューブ:朱色を好んだ作者。その人が愛情こめて丁寧に朱色のチューブ
を描いています。
チューブに見られるWNのイニシャルから英国の名絵の具メーカーであるウインザー・
ニュートン製と思われます。

 

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倉石氏肖像写真 ありし日の倉石隆
背が高く、ファンによると強いオーラがあったそうです。

 2016年3月 樹下美術館

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明日は齋藤三郎(陶齋)の方を掲載させて頂きます。

3ヶ月半がんばったクリスマスローズ。

2016年3月12日(土曜日)

当欄で何回も書かせて頂いたクリスマスローズ、ニゲル。
最初の記載が11月30日だったので本日で約3ヶ月半
が経った。

実は花はまだ付いているが、もう咲いているとはいい難い
姿になった。

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↑何度も雪をかぶって頑張った花はシミだらけになった。
切った方が良かったかもしれないが、開館の15日を一
緒に迎えたいと思うようになった。

160210
↑去る2月10日、雪の中から掘った。

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↑昨年12月27日、雪を迎えてどうしようかと思案した。

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11月30日、この株だけ蕾を点けて開花に向かった。

さてほかのクリスマスローズの蕾が膨らみ、一部はすでに
満開を迎えています。

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樹下美術館で春一番に咲くクリスマスローズはほかの
花が無いのでとても目立ちます。
しかし庭で育てて20年経ちましたが、いまだに難しく、
まだまだ工夫が必要です。

そもそも簡単な花など無いようで、オオイヌフグリやヒメ
オドリコソウなど野の花でも、大繁殖の後数年でほかの
草花に替わられていることもありますね。

開館が近づいて花たちも忙しくなりそうです。

東北の大災害から5年が経った。

2016年3月11日(金曜日)

本日は5年目の大震災の日だった。
当日も金曜日であり、夕刻近く当地もただならぬ揺れに見舞われた。
ゆさゆさ、ゆさゆさと不吉な揺れの後テレビは宮城、岩手県はじめ一帯の
前代未聞の大地震を告げた。

仙台市に妻の子と私の義理の弟が、南三陸町には弟が、それぞれ家庭を
持って住んでいた。
仙台市との電話は最初だけ繋がったが南三陸町の音信は最初から途絶した。
同地の姪たちはともに小学校に通っている。
テレビの映像は想像を絶するもので、津波が下校時間と重なっていたため
安否がとても気になった。

同夜遅く南三陸町が壊滅したという情報に接した。
災害が超巨大であることが次第に明らかになっている。

翌日夜、仙台の甥から電話があり、姪達はほぼ全員高台の学校に残り一
夜を明かして無事らしい、と電話があった。

数日後、インターネットの安否確認サイトを通して弟一家は全員無事らしい
ことが分かってきた。
サイトでそのことを知らせてくれたのはフォークシンガーの小室等さんと、
お仲間の歌手のネットワークであり、有りがた味は心に沁みた。

後日臨時に開設された公衆電話所から弟の声を聞いた。
自分の事より、町の防災庁舎の痛ましい犠牲は行政の怠慢と憤慨した。

三週間ほど経って妻が子供達を訪ねた。
あまりの惨状に帰ったあともしばらくショックをひきづっていた。

そしてかねて忌まわしかった原発が本当に事故を起した。
悪夢は地獄の出来事のようであり、異次元感覚を引き起こさせた。
失敗が広大な地域を汚染させ、十万を越える人に故郷を捨てさせる。

いつかこうなる予感はあったし、さらに先に絶望的な廃炉と廃棄が待っ
ている。
生活のために得体の知れない魔物を使い同居することをどうしても肯
定できない。

「他者とその犠牲を本気で心配する人」と、「風評としてお上に付く人」
事故は肝心な点で人が二通りに分かれることを示した。

人間はこんなに違うものかと実感するのは淋しいことだった。
願わくば両者は根底で繋がっていれば、と一縷の望みを託したい気持ち
だ。
幸福、不幸の根拠が互いに対極とはどういうことだろう。

政治は高い理想を掲げ、行政はその方法論を練る、願わくばそうあって
ほしい。
だが今日それは入り口から便利不便の現実論に後退して始まる
理想理念が漠然としたまま、いつしか政治は行政の代弁者の如く漫然
となる。

大災害ほど政治家の勇気や希望や慎みの言葉が期待されるものはない。
5年経ても現場の無念と必死が伝わるだけに、心打つ言葉が期待される。

健診と目標、春が来ている。

2016年3月10日(木曜日)

5年前から今頃になると夫婦してドッグ健診
を受けるようになり、本日午後上越医師会
館へ行った。

身体計測でBMR20、2、体脂肪率18、6%
は昨年とほぼ同じだった。
5年前、BMRが22代、体脂肪率21%代で
一応標準範囲だったものの血液などに問題
があった。

体型だけでも30代へと食事と運動につとめ、
体重は平均57→52キロ代になった。

心身の指標の詳細は個人個人かなり異な
る。
環境とともに、遺伝的特性も大きい。
私の場合、一定以上を過食すると血糖値、
肝機能、脂質、さらに腎機能から心電図ま
で敏感に反応することが分かった。
基本的に虚弱なのであろう。
(小中時代、少々荒れた海で何時間も泳げ
たのに)。

それで筋力を保ちつつエネルギーを減らす
事にした。
腎に余力がないのでタンパク質摂取はぎりぎ
りを狙わなければならない。
加齢による基礎代謝の低下を考慮して実質
10から15%のエネルギー摂取を減した。

その結果、3年前から現在の体重に近づき、
数値がおよそ30才代の平均に入ると、上記
5つのカテゴリのうち4項目が正常化して安定
した。

一般に健康指標の平均値などは極めておお
ざっぱな目安であり、健康の取り組みは文字
通り一人一人で異なる。
内蔵や血液はある程度の異常まで紳士的に
黙っているが、先に厳しい限界が待っている。
また比較的小さな異常でも、積算されて突然
疾病を発症することも少なくない。

ならば薬ということになる。
しかし薬への一方的な依存は原因の改善を
遅らせ、疾病の進行と薬剤追加という望まし
くない循環に陥りやすい。

反省も込めて、身体の改善は何より摂取物
の改善が肝要でかつ日々実行可能な運動
が推奨される。

こんなことから世の中が進み、市中にも身近
な栄養士が居てコミュニケーションが取れる
日が待たれる。

ストレスは風の如く日常にあり、
人生後半のある日から身体は想像以上の逆
風に見舞われる。
近時90才、100才以上のスーパー老人が取
り上げられる。
だが彼らは厳しく選ばれた一種遺伝的エリート
でかつ健康努力を続けた希な人達ではないだ
ろうか。

明日のことは分からずとも、目標だけは持って
いたいと思う。

 

160310
健診の後ホームセンターで草花の種を買い、
スターバックスでお茶と食事をした。

一階の奥に飾られた桜とお城の絵に目を奪われた。
絵の前の椅子にリクルートスーツの若い女性が二人
座った。
春らしい眺めだった。

樹下美術館の開館が近づいた。
(悪い癖でとても長くなりました。)

ギザギザした西頸城(糸魚川市)の山へのあこがれ。

2016年3月8日(火曜日)

以下の写真は柿崎、大潟、など頸北地区の海
岸部から西を見た山々の一部です。

同地の西方と言えば先ず妙高山、火打山、焼山
の連山と手前の南葉山の大きな山塊が目に入り
ます。

しかしそれらの更に右、つまり南葉山の裾をより
西方に目を移すと遠くに写真のようなギザギザし
た山並みが見えるのです。

 

1
昨年3月2日の写真。

これまで何度か西頸城方面へ用事やゴルフで足を
運んだ事があります。
しかし写真のような特徴ある山々を目の当たりにした
ことはありませんでした。

遠くからよく分かるのに、近づくとどこにあるのか分か
らない。

いずれにしても西頸城地域の遠いギザギザは子供の
ころから不思議で、魅惑的な眺めでした。

ところで2月28日に記載しましたシャルマン火打スキー
へ行った時初めて権現岳を目の当たりにしました。
当地から西頸城地域に入ると最初に出会う大きな山
です。
冒頭の写真で右端に写っている山が権現岳ではない
かなと思いました。

2
さる5日、二回目のスキー場訪問で間近に見た権現岳の
山塊(鉾ケ岳と繋がっています)。
大変に存在感のある山でした。

 

3
5日のスキー場の後、早川の上流で念願のギザギザ山
と出会いました。
とてもエキゾチックで、冒頭の写真にあった山の一つでは
と思い、感激しました。

調べてみますと正面が烏帽子岳でその右が前烏帽子岳、
左肩に掛かった小さなトンガリは阿弥陀山というのでしょう
か(自信がありりません)。

 

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さらに上った焼山温泉の背後の山。
妙高山を小ぶりにしたような山容ですが、前掲の
烏帽子岳、前烏帽子岳と左奥の小さな阿弥陀山?
がこのように見えていたのでしょうか。
あたりには尖った山がいくつもありました。

さて短時間車に乗っての山見物でした。
しかし漠然とあこがれていたギザギザ山の一部と
思われる所へ行くことが出来ました。
糸魚川市には東西二つの海谷(うみたに)山塊が
あり、今回見たのは東の一角だったようです。

山に詳しい人なら直ちに全て分かる事でしょう。
何も知らない私はいつかもっとよく見える場所に
行ってみたいと思いました。

新潟焼山の緊迫感 水文字など能生谷早川谷の民家の違い。

2016年3月6日(日曜日)

昨日は、午後から出かけた糸魚川市は能生川
を遡って着いたシャルマン火打スキー場と、
リフト終点の眺めなどを書かせて頂いた。

その後能生ICへ戻り高速道路を糸魚川で降り、
国道8号を梶屋敷まで走り、早川沿いを上った。
行った先の焼山温泉付近から見た焼山は眼
前に迫りもくもくたる噴気の動きが見てとれた。

 

4
焼山温泉付近で見た噴気に活火山の緊迫感が
あった。
(ズームレンズで撮りさらにトリミングして拡大し
ています)

 

5
上の写真を撮った温泉付近の民家。
大棟の合わせの下部にある「和」に似た文字は
「水」の崩し字。丸囲いは拡大です。

6
この家は「水」とそのまま書かれている。
7部分の拡大です。

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堂々とした大棟の先に同じく「水」とあった。

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さて焼山が近い早川谷で見た民家の「水」文字
は興味深かった。
もともと防火祈願の現れとされるようだが、早川
では目の前にある焼山の安全も祈っているよう
に感じられた。

一方で「水」を書くのは関西に多い習わしのよう
だ。
一帯に及んだ関西文化の一つとみることが出
来るかもしれない。

 

民家で言えば能生谷の古い家も特徴的だった。

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寄せ棟風?の妻側に台形の設えがあり、
明かり取りか風通しか、小窓が切られている。

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同じく能生谷で見た小窓の設え。
二軒とも複雑な構造だが、なかなかの格調だっ
た。

上記いずれの民家も屋根の下に茅葺きをその
まま残していると思われる。
同じ茅葺き屋根でも川一筋違えば様式が異
なっていることは文化のあり方として大変に
興味深かった。

いずれの川も以前走ったことがある。
しかし当時何を見たていたのか、山も家もほと
んど記憶がない。

最後ですがもう一つ、長く自分の興味を引いて
いた西頸城のギザギザした山並みについて次
の機会に書かせていただければと思います。

二回目の能生谷 シャルマン火打スキー場へ。

2016年3月5日(土曜日)

去る2月28日日曜日に能生川沿いに運転して
シャル
マン火打スキー場へ行った。

一応目的めいたものがあり、
1噴気を強めていると言われる焼山を見たいこと。
2当地の沿岸から見られる西頸城地方のギザギ
ザした山を間近に見たいこと。
3あるいは民家や石垣を見たいなどだった。

前回は日曜日のため早くスキー場のリフトが終了、
期待した肝心の山々を見ることができなかった。
そこで本日午後もう一度車を走らせた。
何日も経たない再訪だったが、楽しい午後だった。

 

1
ゴミ集積場にもなっている堂々たるお堂。
先日は気がつかなかった。
小見のお堂のバス停といい、不思議な文化だ。

二回目にして入場したスキー場は本当に良かった。

 

2
コース最高点は1000メートルを少し越える。

 

3
リフト終点の向こうの大パノラマ。写真正面が火打山、
右方に焼山。写真にはないが左に大毛無山山頂、ほ
か名を知らぬ沢山の峰が見えて本当に素晴らしい。

4
ズームで撮った焼山の噴気。

5

6

7
何度も転びながら降りてきた女性。
キャーキャーと叫んで楽しそうだった。

スキー場とはこんなに気持ちが良い所だった
だろうか。
一種懐かしく遠くなった“健康的”という言葉。
それがここでは明るく生き生きと残っていた。

2本リフトのコンパクトなスキー場で、非圧雪、
パウダースノーを詠っている。
真っ白な自然に囲まれ看板やスピーカーなど
余計なものが見当たらない上品な施設だった。
関西ほか遠くの車輌で賑わっていて、常連を
集めそうな雰囲気を感じた。

 

スキーといえば20数年前、高校生の娘とその友
達と妙高パインバレーに行ったのが最後だった。

そして今日いつしかスキーを履かずリフトに乗る
年になっている。

「まだまだ-、ハイここで降りて!」
リフトの係員たちは私や妻をとても気遣った。
スキーをしない写真目的の人もいる模様だ
が、何より老人への配慮だったに違いない。

本日はこのあと梶屋敷から早川を遡り、笹倉温
泉まで足を伸ばした。
民家の様子や山々も雰囲気が変わり興味尽き
なかった。

続きを明日また書いてみたい。

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