医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

樹下美術館の庭にも夏は来ぬ 料理人も来られた 地域ケア会議。

2013年6月20日(木曜日)

本日見たもの出会った方たち。

アゲハ新鮮なアゲハが真っ白なダルマバノリウツギに止まっていた。

ヒメタイサンボク短命で香り高いヒメタイサンボクが雨上がりを喜ぶ風だった。

今の庭イトススキやトクサがぐんと伸びて樹下の庭にも夏は来ぬ。

食器選び本日陶齋の食器選び。

本日、今秋予定の「陶齋の器で食事会」で包丁を振るわれる料理人さんがお見えになりました。食器や庭をご覧になり、大変楽しみと仰って頂き安心しました。

ところで食事会は詳しくお知らせする前に、ホームページ案内へのお問い合わせだけで既に満席となってしまいました(10月の毎週日曜正午、一回5~7名様の予定でした)。
今年うまく行きましたら来年の初夏にもと、考えておりますのでどうか宜しくお願い申し上げます。

話変わって今夕、上越市大潟区の地域ケア会議がありました。地域包括支援センター主催、各事業所ケアマネジャー、市担当者、医師らも加わり40名余が参加し、有意義でした。懇親会もあり、ひごろ公私とも如何に沢山の方のお世話になっているか、あらためて知る思いでした。

大潟区の良いところの一つは医師同士、自然で仲が良いことだと密かに思っています。

いよいよ始まる暑さの影響。

2013年6月12日(水曜日)

上越市高田では35,9度を記録して本日の全国最高気温だったという。かつて今時こんなことがあっただろうか。

極端に雨が少なく田畑は深刻な局面にあると伝えられる。患者さんたちの畑もジャガイモはあきらめました、キュウリは小さくとも枯れないうちに採っています、と連日聞いている。

本日歩くのもつらい、食事がとれない、という方の脱水を考えて点滴をした。終わって少し気分が良くなったと仰ったが急な痩せが気になりレントゲンを撮ると肺炎だった。

入院先を探して直ちに紹介状を書いたが、セキ痰はほとんどなく微熱。暑さに加えて老-老の介護疲れが誘因と考えられた。
年齢に関係なく疲労が続く方たちに、これから先の熱暑は冬の寒冷よりも油断できないと例年感じている。

夏の空午後の在宅まわりの空。車が示した車外気温は32度。南東の風がよけいだるさを感じさせる。

本日はお会いした皆様に戸外の加重な労働・運動と熱中症、在宅者の脱水症、冷蔵庫への過信による食中毒などの注意をお話した一日だった。

本日はじめて自室のエアコンを作動させようとリモコンを押しましたが、全く反応しません。電池を替えてもダメ、明日電気屋さんに診てもらいます。

保育園で健診した みなそれぞれの個性で生きて行く。

2013年5月21日(火曜日)

本日保育園の健診があった。一歳未満から年長さんまで100人ちょっと、身体を診ながら子どもたちの さまざまな顔や仕草を見て来た。

子どもは一人一人本当に違った顔立ちと表情をしている。しかし違いは価値でもある。
色々あろうがこの先長く、それこそ墓に入るまで親からもらった顔と性格を密かな拠り所(宝物)としてそれぞれ生きて行くにちがいない。頑張れ園児!頑張れ個性!心の中で叫ばせてもらった。

022

015グルーミングは動物の可愛い仕草の一つだ。

コムクドリはオスのほうが振る舞いに愛嬌あるように見える。しかしいざ子育、えさ運びとなると猛烈に働く。

 動物たちも性格や個性の違いがあるようだ。子鳥を飼っている人なら鳥にも個性があるというかもしれない。そのようなことでは特に養鶏場のかごの鳥たちは気の毒だ。

牡丹はかすかにゴボウの香りがするか コムクドリはのんびり。

2013年5月20日(月曜日)

本日の在宅まわりで伺ったお宅に黄牡丹が活けられていた。長かった認知症の混乱が鎮まってきた97才のおばあさんのお宅、花が置かれているのを見て少しほっとした。

帰りがけ見事な牡丹に鼻を付けて匂いをかがせてもらった。不思議なことにかすかにゴボウに似た香りがすると思った。みんなそうかなと思って奥さんにお尋ねした。

「奥さん、牡丹って少しゴボウに似た匂いがしませんか?」

「あら、今ゴボウ煮てるんですよ、先生って鼻が良いんですね]

いやいや、こういうのを鼻が良いと言うのでしょうか?

改めて牡丹の匂いを嗅いでみないといけないな、と思いました。

 

家の周囲で早くもスズメの雛がかえって啼いている。まだ虫が少ないので親たちは朽ち木で虫を探したり、草むらの死骸などを運んでいるようだ。

一方不思議の鳥、コムクドリはまだ抱卵の気配がない。
マツの梢で上がメス、オスは頬や胸に模様があり羽にメタリックなブルーが見られる。

 

草むらで時には他のオスやメスがやってきて、小さな諍いが見られる。
巣は決まったようだ。虫が出始めるまで子作りを待っているのだろうか。

スズメなどと同じくコムクドリは一日一個ずつ合計5,6個の卵を産むという。最後の卵を産み終わると初めて抱卵するらしい。もしかしたらこのペアのメスは産卵の最中か。

抱卵は雌雄交替で暖める。昨年の観察では一羽が巣に入ると一羽が飛び出した。時には巣から出て待つこともあったが、替りが来ないとまた戻った。

「我が愛の譜 滝廉太郎物語」その2 唱歌運動と小山作之助 そして肺結核。

2013年4月16日(火曜日)

去る4月14日、映画「我が愛の譜 滝廉太郎物語」のDVDのことを書かせて頂いた。伝記映画なので滝作品の誕生、留学の経緯、発病と死など克明であり、添えられる純愛なども丁寧に撮られて興味深い。クラシックの名曲が次々と入り重厚な映画だと思った。普段あまり映画を見ないのに、たまに見ると妙に夢中になる悪い癖が出る。

今回はブログ1000回目の投稿ということ、引き続き「我が愛の譜 滝廉太郎物語」を話題にさせて頂いた。

劇中、キーワードの一つに明治時代中期から起こる幼稚園ならびに学校において皆で歌うことの唱歌教育の普及、あるいは口語で歌いやすい歌をという唱歌運動がある。

唱歌運動のイメージ場面劇中、唱歌運動のイメージ場面。

小山作之助は東京音楽学校で教鞭をとる傍ら、都内に生まれていたいくつかの私的な教育と実践場所である唱歌会に深く関わり時代をリードしている。映画で滝は、音楽学校に入学するまで「半年間小山先生の芝唱歌会にいました」、と述べる。また作之助も入学後の滝の精進をみて、唱歌会から推薦したかいがあった旨をもらす。
また学友が通う神田猿楽町唱歌会に滝がつきあう場面などには当時の雰囲気が垣間見られる。

ところで滝廉太郎は15才の最年少者として音楽学校入りを果たした。作之助の推挙の力が大きかったのでは、と推察される。
学校の入学方法はつまびらかではないが、一般的な進路を辿ったなら、夭折の音楽家の開花はもっと小さなもの、あるいは間に合わなかったかもしれない、と心配性の筆者は危惧した。あるいは作之助は滝の病の兆候を知っていたのか、とさえ。
作之助の母方の叔父は医師であり、交流を通して相談があった可能性はどうだろう。

映画で肺結核は留学中に重症化するが、学生時代すでに咳き込み、転地し静養治療する場面が何度か登場する。密かに始まり劇的に悪化する肺結核の描き方も感心した。いずれにしても彼の人生は急ぐ必要があったに違いない。

病により早期帰国し故郷竹田で養生する滝は、再上京を試みるが道中で喀血して戻る。最後、廃校となった故郷の分教場に残されたオルガンで遺作「憾」を書く場面は物語とはいえ、涙なくしては見られない。

滝の終末滝のオルガンの音が止み、待っていた車夫が異変を感じて立ち上がる。

ところで結核は不治の病として世間から忌まれ、かたや周囲との一部関係は当映画でも厚く維持される。不思議といえば不思議な病気である。

筆者も高校2年生の春、レントゲン検診で肺結核と診断された。それまで頻繁に風邪を引き、時に高熱、絶えず微熱があったように思う。その年の9月だったか、父の母校である慶応大学病院へ連れて行かれ、手術の可否診断を仰いだ。

幸いパス、ヒドラ(アイナ)の服用とストマイ(ストレプトマイシン)注射の三者療法、後のカナマイシン注射の登場に救われた。また同病の級友や恩師、高田の下宿先ご夫婦などには本当に良くしてもらった。しかしそれ以前の人々の痛ましさは当映画においても切実である。

ちなみに、「憾(うらみ)」がYouTubeに投稿されている。旋律には病の苦しい呼吸が感じられる。

今夕特養ホームしおさいの里の会があった。

2013年4月12日(金曜日)

本日夕刻、週一で出向している特別養護老人ホーム「しおさいの里」の職員歓送迎会が直江津駅前「ハイマート」であった。

19:30という遅い開会時間をみても、福祉職が如何に懸命な労働をしているかが、伺われる。
かつての患者さんや縁者も同園に入所されているが、精一杯の世話に感謝に堪えない。

しおさいの里はパートも入れて150人もの職員さんがいて、配置医師も通常より多く3人が委嘱され、良いチームワークを維持している。
今後福祉の圧縮がささやかれているが、そんなことは絶対にあってはならないことだと思う。

さて本日会場で乾杯を促され、45秒くらいで以下を話させて頂いた。

「多くの骨董屋さんの店先には勲何等という立派な勲章が、ホコリをかぶって売り出されている。たとえ生前栄誉に輝いた人でも勲章を売られ、悲しい環境で終末を迎えることも珍しくない。終わり良ければすべてよし、終わり悪ければすべて悪しでもありましょう。しおさいの里で最後を迎える方たちに温かく接する皆さんを立派だと思う」と述べさせて頂いた。

私も最後が近づいたなら、認知症になっていても画帳を一冊持ってしおさいの里さんでお世話になろうと、思っています。

 

いつかの夕日ある日の樹下美術館近くの夕映えです。

しおさいの里、夕映えの郷、だんらん、えびすはまデイホーム米、さいがた病院、、、。樹下美術館の周りには福祉医療施設が沢山あります。

吹雪模様の日の上越市頸城区城野腰(じょうのこし) 入園児健診。

2013年2月8日(金曜日)

一両日雪混じりの強い風に見舞われている。(昨日は北陸地方に春一番が吹いたというが。)

 

例年2月は変化が多い。零下の低温が続くかと思えば素晴らしい好天が訪れ、雪はまだ油断できない。だが2月はあっという間に過ぎるにちがいない。

 

本日午後、担当の保育園で今春入園予定児の健診があった。事故が報じられたため、親御さんたちが食物アレルギーに敏感になっていることが問診票からよく伝わる。

 

外来では20~60代の大人のインフルエンザが目立っている。70才以上の高齢者の皆さんは今のところ比較的平穏。

 

城之腰の通り
保育園を終え特養ホームを回診して帰り道、城野腰の通りを直江津方向から撮りました。樹下美術館はこの先300メートルほどです。

 

デッキとベンチ
美術館裏のデッキの様子(本日)。まだ寒そうですね、開館の3月15日にはシートが取れますように。

しおさいの里の忘年会 孫から東京ディズニーランドのお土産。

2012年12月7日(金曜日)

今年春から週一の嘱託で特別養護老人ホーム「しおさいの里」に出向いている。同ホームには介護保険スタート時から三年間お世話になり、その後医師会の仕事で中断、今年8年振りの復帰だった。

 

ホームを営む社会福祉法人・上越頸城福祉会は、在宅、施設、障害者など関連7事業を行っているが、いずれもスタッフはみな熱心だ。

 

140名の方が過ごされる特養ホームと障害者支援施設の医療は三人の医師が手分けして受け持つ。医師同士は昔から知り合っているので望ましいコミュニケーションが自然に取れている。

 

特養は当然超高齢者中心だが、看取りも含め暖かくお世話しようというマインドと技量が、職種ごとに共有されていて仕事がしやすい。

 

昨晩、同法人スタッフの合同忘年会が明るく活発に行われた。抽選会でディズニーランドのチケットを当てた人が大喜びしていた。同会のさらなる健全な発展を心から祈りたい。

 

ディズニーのクッキー
家に帰ると孫から届いたディズニーランドのお土産。

学校のブラバン卒業の記念旅行だったという。
ディズニーのグッズは夢がいっぱいだ。

健診を生かす はくたかに虹 クリスマスリース作り レス・ポールの虹の彼方に。

2012年12月4日(火曜日)

本日午後、ある工場の健診結果に対する個人面談があった。過食、偏食、アルコール、喫煙、塩分過多、運動不足、そしてストレス。これら七つは何処でも変わらない課題だ。

生活上のほどよい節度なしに薬だけに頼るのは問題の解決にはならない。健康な人生、健康な老後を考えれば自ら納得してぜひ望ましい生活習慣に向かってほしい。
本日の事業所は長いお付き合いもあって、工場長以下担当者の意識は高く、個人面談の理解や反応はもとてもいい。

さてこの時期の悪天候は虹と遭遇しやすい。本日も事業所の帰りに見事な虹と出遭った。

はくたかと虹

虹を背景にほくほく線の特急はくたか号。強風のためのろのろと走っていたので写せた。

 

 

リース家を覗くと妻の友人たちやスタッフが、知人の奥様からクリスマスリース作りを習っていた。一段落して隣室でお茶だった。女の人達はよく集まり、よく話す。

女性は存在価値を確認するために和(輪)を広げる。

存在価値がよく分からない残念な男たちは、敵を求めて人迷惑なことをする。


名ギターの生みの親で名プレーヤーの故レス・ポールがお爺さんになって「Over The Rainbow」を弾いていた。

エンディングは華やかなカデンツァから穏やかなルートに戻って終わった。

米山の雪化粧 季節や時代と血糖値。

2012年11月16日(金曜日)

風、雨、雷、この数日の荒天は騒々しいものばかりに見舞われた。それが本日はシンと静まり澄んだ青空が広がった。

 

妙高連峰はすっかり冬の装いとなり、本日の米山は上三分の一に雪化粧が施されていた。

 

夕映えの米山
夕映えの米山の雪化粧。尾神岳はほとんど消えている。

 

ところでこのところ患者さんの血糖値が少々上がる人が多い。そんな方たちで「柿が美味しくて」、と仰る方が少なくない。今年は当たり年らしく、柿の話を多く耳にする。私たちも何度か頂いた。

 

柿美味しそうな富有柿。小ぶりでとんがってカリッとした筆柿もいいですね。
ただし柿は重量当たり梨より20%近く、りんごよりおよそ10%もカロリーが多い。
中くらいのものでご飯一膳と同じなので「ついつい」を用心して。

 

ところで冬はモチとミカンに運動不足、夏はビールとつまみと意外な野菜太り、秋は果物、、、。季節ごとに血糖が上がる要因があり、宴会もまた影響を与える。
ただし運動や農作業が始まり、糖質の食品がやや少なめな春の途中から初夏まで、わずかに下がる傾向があるようだ。

 

戦後の食品教育でビタミンC補給のため、“もっと野菜と果物を”と言われた時期があった。随分改善されたが今度は後年まで、果物の過剰による過血糖を見るようになった。

 

また嘗て肥満気味の栄養士さんや保健師さんの指導では、食事よりも運動がより強調されることがあった(後ろめたさがそうさせた)。運動によってお腹が空き、返って余計に食べてしまい逆効果に警戒が必要だった。

 

バランスがことさら強調された時代もあった。オーバーカロリーの人が野菜果物の不足を指摘され、バランスの名の下に過剰な野菜や果物を追加し、さらに血糖値を上げてしまう現象もあった。 

 

糖尿病とその予備軍は本当に多い。当院で9月末から一ヶ月間を調べてみると、診療回数のおよそ35%がそのような方だった。運動は取り組みやすいが、食事は当人が嫌気をささないよう配慮が必要だ。将来のために自覚を促しながら、体重を目安に親身になって意識を維持して頂くようにしている。

 

適切な総カロリーの概念は50年近く前から言われていた。ようやく近年医師の指導のほか会社の担当さん、保健婦さん、インターネットの学習など、全体で意識が高まりつつあるように見える。

 

あまりお金が掛かる方法は勿体ないので避けた方がよいのではないでしょうか。

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