医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

庭の夏休み アオハダの実 柔軟な交渉チャンネルを。

2021年9月1日(水曜日)

このところ、上がっても30度前後で、いっ時に比べれば過ごしやすくなった。

樹下美術館の庭は頑張っていた夏の白百合、キキョウが終わり、花たちは仕事を終えて一斉に去っていった。
例年のことだが、いま庭はほっとして、ひと休みしているように見える。

 

そのなかで僅かに一角のサルビアと見過ごしがちのネジバナがなんとか花をつけている。

5月から咲き続けるサルビア。頸城区久保田農園で求めた。

 

そんな庭に数本のネジバナ。
私達が咲いているから、みんなは休んでいて、という風情。

 

玄関前に数本のアオダモがある。
秋に黄葉するが、今ごろは赤い実をいっぱいつける。
雌雄異株のためそばにある同じ雄の木は実がない。

夕食に野菜のテンプラと冷やしうどんだった。

 レンコン、生姜、カボチ、ピーマン、アスパラのテンプラ。

 

冷やしうどん。

 

さて明日から9月とは如何にも早い。
8月になって急拡大し、この数日僅かに減少したかに見えるコロナの動向が非常に気になる。

若年の重症化が無視できなくなり、さすが「ただの風邪論」は少なくなった。
重症化の年代が祖父母世代から両親や若年世代へと迫り、ニュースは接種を急ぐ若者の映像を映している。
接種は現地抽選、それも高倍率の状況を見るにつけ、鍵を握る都会の若者が誠に可哀想である。

まだワクチン供給に詰まりを生じているのであろう。
自国関連者のアフガン撤退の1回目失敗などからも、この国の交渉能力は大丈夫かと案じられ心配だ。
激変に際し様子見に時間を費やし、気転と勇断の欠如が懸念される。

世界は何が起きるか分からない。
たとえ敵対国であっても普段から独立国としての互恵のもと、一定の交流と交渉チャンネルの維持は不可欠ではないのか。
安全保障は同盟国同士だけが相手であれば良いという姿勢では欠陥があるように思われる。

病んでこれから 夕暮れの鳥追いと電車 私のオリンピック。

2021年8月9日(月曜日)

本日月曜日は休日だった。
ダンベル運動や歩行を行っているが、一定以上の動作を続けると幾分息が上がるので休みはとても有り難い。また盆休みが近いため、身体を慣らせられるならばと期待している。盆明けには待ちに待った看護師が復帰することも心強い。

出来るなら仕事を続けたいと願っている。
このことで、毎週水曜日午後を休診にしようと考えている。これまでも木曜日午後が休診だったので、週半ばの午後二日を続けて休診にさせて貰えるなら、一週間の流れが穏やかになることが期待される。
皆様にはご迷惑をお掛けすることはとても心苦しい。ただ処置や観察が必要な在宅患者さんがいる場合、出来れば午前中に伺って用件を満たしたい。

もう引退して好きな事をやったら、と勧めてくれる人もいる。
これまで小さな美術館と庭を営みブログを書き、週一短時間老人施設に出る。そもそも診療時間の実動はフルの日で一日5時間程度、精々25人前後を診ているだけなので、さほど負担を感じず、ある意味楽しんでやってきた。

ただこのたびはコロナ、特に昨年末年始からのPCRとワクチンの受け入れと実施がストレスだった。申請と委託の.電子手続きで心労し、実施に進む過程で一時手詰まりを感じ、いざ実施(特にワクチン)すると申し込みが殺到、オーバーワークに移行した。自院のほかに施設と集団接種は問診医としても参加していた。
悪いことにストレスも慣れる。
後半ではオーバーワークにある種充実感を覚えるに至り、これが悪かった。ついに身体が強制的な停止命令を下して私を倒したと考えている。

回復すればそれで済む話ではない。第一が年令、さらに疾病が残したダメージで原状回復はもう期待できない。一定の生活縮小をはかり、くれぐれも妻には健康でいてもらいたいと願っている。

さて以下は今夕の鳥追い凧とほくほく線上り電車です。

 

 

入院中、YouTubeで「銀河鉄道の夜」の朗読を聴きました。
ここでも「家路」の曲が出てくるのです。

台風が低気圧に変わり前線が通過した模様で、いっとき猛烈な風が吹きました。

昨日は五輪のことを少し書きました。申し分けありませんが、叫び格闘し息を切らす選手を私の心臓が歓迎しませんでした。それで入院中、競技はほとんど見ませんでした。

ただボクシングの入江聖奈選手の誠に潔く朗らかなインタビューと、密が無く静かに進行するゴルフ(女子ゴルフ)を時々見ていました。

心筋梗塞に襲われたのは美しい晩だった。

2021年8月7日(土曜日)

去る7月24日。突然心筋梗塞に襲われ救急搬送され、閉塞した冠動脈の拡張手術を受け、12日経って昨日退院した。
当初は低下したままの血圧、深刻な不整脈と腎・肝に波及した異常。ペースメーカーや臨時透析が考慮されたが、治療の拡大が図られいずれも回避された。
医療チームの粘り強い総合力によって助けられ、いくら感謝しても足りない。

疾患は狭心痛や胸の違和感などの予兆がよくみられる。しかし私は以下のように突然だった。

去る7月24日夕刻、二組のご夫婦と上下浜はマリンホテルハマナスの芝生のビアガーデンに集った。この1年、中のお二人が手術を受けられ無事回復されたこと、高齢者のコロナワクチン接種が大方終わったことなどが集合理由といえば理由。是非という特別な訳でも無く、久し振りに食事をという趣だった。

 

芝生の丘で暮れる海を見る。

 

日没して空の色が変わる。

 

気の置けない話に潮風。

 

あまり飲めない私は途中でオレンジジュースに変えた。
東の山のあかね雲から大きな満月が上り、夢のような時間になった。

 

当夜最後の写真。
なかなかピントが合わなかった。

時は過ぎ、迎えの車が来るまで終戦後、満州からの引き揚げの話になった。私を入れて引き揚げ者が二人いて、私も話した。
奥地の奉天から出港地、青島(チンタオ)までトラックや客車、貨車による不安な移動と受けた襲撃。集結した青島の雨のテント生活と桶による配食などを話した。
話ながら、口が達者で何事もやる気はあったが、実際はとても体が弱かったと親から聞いた幼い自分が浮かんだ。

青島の話のあたりから、両肩甲骨の間に強い凝りのような痛みが出現し、同時に両方の顎関節に固さと痛みを感じ始めた。すると皆さんの声がどんどん小さくなり急に視野が狭くなった。

記憶はそこまでで、気がつくと妻に抱えられ芝生に横たわっていた。
あなた、あなた!と耳元で妻が叫んでいる。
突然立ち上がると少し歩き、崩れるように倒れたという。

美しい夜が暗転する。
救急車も来た。
他のお客さんにも迷惑を掛けているのが分かる。
急性のアルコール中毒だから大丈夫、家に帰る、と言った。大して飲んでいないけれど本当にそう思った。
だが救急隊によってさっさと車に乗せられ車は走り出した。

終始真っ青な顔に冷や汗を浮かべていたらしい。
車中脈を触れてみるが分からない。
寒さで体ががくがくする。次ぎに意識を失ったらそのまま死亡するかもしれない、と思った。
自分から搬送先を口にし隊員にお願いした。

病院に着くと緊急検査で直ちに急性冠不全症候群(私の場合心筋梗塞)が指摘され、循環器内科のチームが呼ばれた。
心臓が頼りなげに奇妙な鼓動を打っている。
身体の全てが受け身にシフトし、最低ラインで必死に私を守ろうとしているように感じられた。
調律が完全房室ブロックと聞いて、悪いと思った。

チームが到着し、導尿後カテーテルが留置され、オムツがあてがわれた。素早く剃毛され、そけい部と手首の動脈からカテーテルやチューブ類が挿入され、ペースメーカの仕度もされた。始まったカテーテル手術(PCI)は日をまたいだ。

治療後に運ばれた集中治療室の時間は不思議だった。四角い壁に囲まれ部屋の高い所に可愛く丸い時計が掛かっている。朝、薬を飲んで眠り、昼かと思うとまだ8時半だったり、昼に眠って目ざめて夕方かと思えば2時前なのだ。極めてゆっくり、異次元的な時間が流れている。
これはこどもの時間ではないのか。現に自分はオムツを着け便器で排便をしている。

2日間の絶食のあと初めて食事が出た。わずかに味付けされた野菜と小さな2個のおにぎり。野菜をとても美味しいと感じた。黙々と噛んでいると脳裡にドボルザークの「家路」が響いてきた。
すると倒れた海辺で話した満州の引き揚げがまた蘇る。
母がこしらえたリュックを背負い、前日まで張り切っていたのに、本番当日の私は早々に歩けなくなった。父が弟のリュックを、元気な弟が私のを、代わって自分が背負ったのはホーローのオマルだったという。家路のメロディに包まれながら不意に涙がこぼれた。

以上が発症と治療および集中治療室の概要でした。

昨日の夕暮れ電車、本日の夏空 接種の現況 我が大切な看護師。

2021年7月13日(火曜日)

昨夕の空は清々しく赤味を帯び本日の好天を示唆するようだった。

 

昨夕7時20分ころのほくほく線電車。
左へ下っています。

 

本日米山、尾神岳の空と雲。

今日の空は青く雲白く、まるで梅雨が明けたような眺めだった。

我が大切な看護師の膝は負傷後24,5日が経った。一昨日退院してご主人と一緒に挨拶に来てくれた。表情はさわやかだったが、右手にストックを持ち小さなリュックを背負う姿は、どこか可愛いがやはり病み上がりを否めない。
それでもリハビリにと言って、本日から午前午後の2回、ワクチンの注射詰めに来てくれることになり、私は随分楽になった。

昨日から事業所と一般の接種を始めている。数を高齢者の半分近くに減らし、午前12人午後6人のペースで6週間余。その後、出来れば個別を止めたいと考えているが、どうなるものか。

ワクチンの合間、上下浜で一息。

2021年7月3日(土曜日)

ファイザーワクチンは途中から注射器が1バイアル5人分から6人分に変わった。それで人数調節が必要となり、一昨日と昨日6名ずつ追加し約7週間かけて高齢者の個別接種が全て終了した。
他に4回の老人施設、2回の高齢者集団接種も済ませ、ようやく1週間ほど休めるようになった。

デリケートで手数が多い薬液の準備調整は看護師が行い、注射は私が打っていた。およそ760回の未経験の筋注はやはり一人一人神経を使い、最も危惧した即時型アレルギーは遭遇せずに済んだ。
施設は看護師が打っている。先日会った彼女たちは、気のせいか表情に疲れが見えて気の毒だった。

実は私のところでは看護師が手術が必要な不慮のケガで途中から休みとなり、後半三分の一以後ワクチン液調整も自分が行った。
さらに緊張が増した2週間が過ぎたが、行ってみると準備時間のしんとした静寂は、大学病院時代に実験室で行っていた作業を蘇らせ、深い懐かしさを覚えた。

12日から職域と65才以下の接種が始まる。縮小した態勢を考え、対象を高齢者の半分に絞って行うことにした。

一息ついた昨夕刻、上下浜に行きホテルを撮った。どこにも出かけないのでせめて眺めるだけのホテルに旅情を覚えた。

 

 

遠隔を通過した台風の影響を受けて表情豊かな雲が見られた。

 

ホテルの反対側に回っていつもの場所。

 

紫色のとばりが降りる上下浜。

 

 


アッカー・ビルクの演奏「Deep Purple」。
“眠りにつく庭に深い紫のとばりが下りる頃、、、”の歌詞があります。

 

 


時代を席巻したディオンヌ・ワーウィックの懐かしい「フィーリング」。
ハイファイセットが歌いましたね。

安全が大事な「安心安全」。

2021年6月27日(日曜日)

今から10年前、大震災と原発事故に関連する政府のコメントに「安心安全」というフレーズが盛んに使われた。
その言葉の曖昧さがとても気になって、当時安心・安全の愚とブログに書いた。具体性が曖昧のまま事態が流れる印象を否めなかったからだった。

安心安全、また安全安心は、2000年に始まった介護保険制度の議論の中で盛んに登場するようになったやに思う。画期的な制度の議論で、自治体の要人たちは安心安全を常套句とした。述べられるものは役所が用意した数字などであり、責任者としての意識と意欲は薄かった。

挨拶などの終わりには「制度も大事だが、体を鍛えて福祉の厄介にならないようにしよう」などとよく結んだ。
体は鍛えてもらうのは良いが、その後に巡りくる不自由を手当てするのが介護保険。
制度の意味が理解出来ず、肝心な話の方向が違うのであり、委員会では精一杯抵抗し理解を促した。
どれだけ鍛えたか知るよしもないが、その方達は後に、忌み嫌っていた介護保険にしっかりお世話になったはずである。

介護保険、大震災、コロナ禍とオリパラ、、、多用される「安心安全」。
そもそも安心させたいのであれば、安全を十分確保しなければならない。
ちなみに交通安全週間と言うが交通安心週間とは言わない。職場で労働安全週間と言うが安心週間とは言わない。
これらで安心と加えた場合、途端に気が緩みそうである。

安心という言葉には危険な側面がある。
安全を掲げたビル建築工事の下は、工事が完成するまで安心ではない。最初から安心を掲げたら「ウソだろう?」という事になろう。

過日の西村長官の会見は「安全・○○」(○○は確実だったか?)と述べ、「安心」が外されていた。
ある意味正直だと思い、むしろほっとした。

安全は科学的、可視的で明らかなものである。
一方安心は心理の問題で漠然としている。
安全でもないのに、上手いことを言われて安心してしまうことは、世間ならどこでも起こり得る。

国が行うのは安全を可能にする科学を徹底させ一日でも早くコロナ禍を終わらせることだ。
弁を弄して曖昧な「安心」を繰り返すことではない。
ぼんやりだが、私達は安心と安全のちがいを認識していて、聞かされる「安心安全」に違和を感じ、「安全」が薄められるのを心配するのである。

以下は今週末の写真です。

昨日見た近隣のタチアオイ。

 昨日新しいベンチで読書する人。

 

昨日、蓄音機でシャンソンやクラシックを掛けました。

 

5,6カ所で咲き始めた庭のテッポウユリ。

 

次第に一種「森」的な雰囲気が出てきた本日美術館の雨の庭。
お客様も庭を愛して下さっていることが伝わる。

本日閉館前にコーヒーを飲んだ。

国は、ふだん国民が色々考えたり国を批判することを好まない。
だが近時、過酷なコロナによって、ものを考えることが自然に増えた。

上下浜のマリンホテルハマナスの夕暮れ 折角の接種。

2021年6月21日(月曜日)

今夕、一時夕焼けがみられたので、上下浜へ行きホテルを撮ってみた。

 

良い時間はとても短い。

 

ロケーションに恵まれているホテル。

 

チガヤの白い穂が優しく揺れている。

 

さて本日接種は18人で、うち二人は在宅の人だった。かかりつけに限定して予定した376人の2回接種がようやくく終わろうとしている。
自分で打っているため一人一人とても神経を使う。
また副反応については多様さに驚きを禁じ得ない。それでも何とか克服されているようであり、今後も無事に推移することを心より願っている。

一方、一昨日の土曜午後は2回目の集団接種の問診に出向いた。前回4時間半の缶詰めだったが、今回は予定通り4時間で終了した。前回、湯も茶も無い4時間半は少々きつかった、と担当に言ったところ、本日はペットボトルを一本買ってきてくれた。他の出務者はどうしているのだろう、またの機会には自分で水を持参しよう。

新潟県のコロナ報告が一両日ゼロになり、全国的にも数字が減少している。
頼みの接種は進み始めたが、相手には執拗に機を窺う一種ターミネーター的な側面が見え隠れする。
心晴れるその日まで、まだ油断は出来ない。
最前線の病院が何とか一息つければ良いのだが。

長かった1回目接種 現場に続く緊張。

2021年6月7日(月曜日)

ほど良い加減の空が続いた本日、私の所で高齢者の1回目の個別接種が終了した。
376名(うち在宅19名)の接種であり、普段短い三週間を異常に長く感じた。
5人の方が中止されたり問診で不可となったが、予備リストに登録された方が直ちが対応して下さり一本の無駄もなく打ち終えた。

ほかにこの間、昨土曜日の午後に集団接種に問診で出た。こちらは午後1時から5時半まで缶づめのまま200数十人の予診を行った。4時間半の閉所で相当参った。個別と異なり、注射をしなくても良いが接種の最終判断と会場全体の医療に関わる。対象の多くは知らない人なのでやはり緊張を禁じ得ない。

ほかに50名近くの特養利用者さんとスタッフの問診があった。
明日から3週間の2回目、個別と一回の集団出務、さらに施設でもうワンクール携わることになる。

一点、集団接種で問題を感じたことがあった。柿崎区のコミュニティプラザの会場が三階だったことだ。接種は車椅子の方がかなり多い。付き添う人が高齢ということもままある。都合4回の乗り降りの不便、障害を考えると、会場は一階にすべきであり、現地で三階と知りかなり驚いた。

もう一点、様々な不便を越えて折角3階までたどり着いた人たちに対して、問診後、本日は止めましょう、と中々言いにくい。
一般に同調圧というのだろう、高齢者には家族、隣近所、社会から「注射して」という圧力が掛かっているのがそれとなく分かる。

一方各現場では、接種に一定のリスクがある人が混じるため気が抜けない。
在宅酸素のボンベを携行しハアハアしていた人(主治医はOKと書いている)の酸素飽和度は問題だった。20年以上前のインフルエンザワクチンで急性のアレルギー反応を起こし以後全ての接種を中止している人。数種の薬剤で薬疹を生じる人。7,8年前にハチによる二度の激しい即時型消化管アレルギー反応を起こしている人。重病の治療が始まりふらふらしている人。数日間一定のめまいが続いている人、、etc。
確証や経験もなくその場で接種の可否を決めなければならない。出来るだけ接種を広げたいが、君子危うきに近寄らずも点灯する。

いわれる“打たない利益より打つ利益のほうが勝る”という概念はあるものの、前掲のような案件には迷わざるを得ない。安全性が高いと言われても、かつて注射後ドサッと倒れたり、ハチ毒の処置後にも拘わらず駐車場で真っ青になって倒れた人、あるいは採血直後に失神し痙攣した若者などを経験していれば、何十年前のことでもフラッシュバックが起きる。さらに特異的な遅発型反応の存否や知見などはこの先の大切な課題であろう。

幸い個別では、神経質で心配ばかりしていた方たちも意に反してけろりとされ、直後の重篤な反応も見なかったが、2回目もいっそう慎重を期したい。

さて以下は在宅での一コマです。観察時間があるため接種後一定時間お宅で過ごす。初めてのことだったが、雑談をしたりちょっとした楽しみでもあった。

 

勧められては遠慮していたジュースを初めて頂いた。

 

ピンぼけですが、茶の間に掛かっていた箱根駅伝のポスター。
お孫さんは某大学でかって箱根駅伝の一区を走ったという。
ここの家は長距離ランナーを何人も出している。

 

注射そっちのけで、採れたばかりのサヤエンドウを心配していただいた。

介護者は直前まで接種券を探したのだろう。
隣の部屋に役所の書類が沢山出してあった。

 

いつ伺っても片付いているお宅。

そのお宅は消毒用品一式が用意されていた。

 

イレウスのリスクを考えて中止している超高齢者宅のビワ。
頂いて看護師さんと分けた。

家で食べるとするりと皮がむけ、甘くて美味しかった。

中止せざるを得ない人は一定数ある。1日でも早く抗コロナウイルス薬の開発を期待したい。

専門的な見地から真剣に心配する尾身会長を批判する関連大臣や要人がいる。地位は高く金持ちかも知れないが、心が貧しいとしか言いようが無い。

芍薬の季節 蜘の糸が絡んだカワラヒワ 接種は1回目の半分まで来た。

2021年5月26日(水曜日)

気持ち良い晴れ間に恵まれた本日、特養の回診を終えて休館日の美術館に寄った。
木々の緑は一段と深い色になり庭の立体感がぐんと増している。それにしても年ごとの樹の成長はとても早く、あちらこちらで青空が狭くなるのを感じる。

 

この場所のアヤメとスズランが終わり、手前の糸ススキが生え揃ってきた。

 

西の庭に集めている芍薬が盛りを迎える。
間もなく黄色も咲くことでしょう。

 

カフェの正面で目立っている芍薬。

 

雀のヒナが賑やかに鳴き、親に餌をせがんでいる。
強く鳴き続けながら鳥の命である喉や声が鍛えられる。

 

庭を出ようと車を走らせると、フワーッとカワラヒワが飛んで来た。

 

庭に張った白いロープに止まり、しきりに何かしている。
撮ったモニターを見ると、蜘蛛の糸が体に絡んでいるのが見えた。

 

 

 

引っ張ったり振り回したり、懸命に糸を取ろうとしている。
助けようと思うが近づけば飛び去るに違いない。
間もなく取れたらしく、素早く飛び立った(鳥も色々なことがありそうだ)。

さてワクチン接種は10日目を終え、予定360人の1回目目のおよそ半分近くが終わった。一回の接種は短時間であるが、出来るだけ会話をしながらリラックスして頂くようにしている。
全国では意欲的な歯科医師や研修医の参加もあり、接種がいっそう拡大する流れなり良い事だと思う。

接種には厳しい条件があるワクチンの管理と注射液の調整が必要で、これにも神経を使う。
信じられない齟齬も公表されているので、“あわてないでゆっくり仕度して”とスタッフと話している。

来月は自院の注射のほか施設と集団の接種で問診担当が加わるので、当面の山場になりそうだ。

今夜の皆既月食は是非観たかった。ごく短時間上りかけの赤い月を観たが直ぐに見えなくなり大変残念だった。

本日午後の保育園健診 涙と幸せの「Sunrise、Sunset」。

2021年5月20日(木曜日)

本日午後からお休みの木曜日、午前に10名のワクチンをして午後は近くの保育園で98人の園児の健診をした。

0才児は保母さんが抱っこして、1才児は小さな椅子に座り、それ以上の園児は背が高くなるので立ってもらったままで診た。
髪はサラサラ、小さなマスクをつけ、思い思いの服装をしてみな可愛い。
昼寝の最中だったのか、前髪が汗で濡れている子もいる。

 

右の小さな椅子は1才児が座った椅子です。
左の椅子に私が座りました。

当地へ戻って46年ずっとここを診ている。本当に早いもので、最初の年長児はすでに50才を過ぎ、孫までいるかもしれない。

以下は2016年4月、ここで挙げたペリーコモの「Sunrise、Sunset」です。

 


ペリー・コモの「Sunrise, Sunset」

映画や舞台の「屋根の上のバイオリン弾き」における結婚式のシーンの曲。“涙と幸せの歳月は追いかけっこをしながら過ぎる。あのあどけなかった子たちは、いつこんなに大きく美しくなったのか”と歌われています。

以下はUCLAの小学生オーケストラです。

 


短い演奏ですが、何故かとても良いのです。

雨はいじった庭への恵みですが、余り降るといじることもできません。

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