花鳥・庭・生き物

安全が大事な「安心安全」。

2021年6月27日(日曜日)

今から10年前、大震災と原発事故に関連する政府のコメントに「安心安全」というフレーズが盛んに使われた。
その言葉の曖昧さがとても気になって、当時安心・安全の愚とブログに書いた。具体性が曖昧のまま事態が流れる印象を否めなかったからだった。

安心安全、また安全安心は、2000年に始まった介護保険制度の議論の中で盛んに登場するようになったやに思う。画期的な制度の議論で、自治体の要人たちは安心安全を常套句とした。述べられるものは役所が用意した数字などであり、責任者としての意識と意欲は薄かった。

挨拶などの終わりには「制度も大事だが、体を鍛えて福祉の厄介にならないようにしよう」などとよく結んだ。
体は鍛えてもらうのは良いが、その後に巡りくる不自由を手当てするのが介護保険。
制度の意味が理解出来ず、肝心な話の方向が違うのであり、委員会では精一杯抵抗し理解を促した。
どれだけ鍛えたか知るよしもないが、その方達は後に、忌み嫌っていた介護保険にしっかりお世話になったはずである。

介護保険、大震災、コロナ禍とオリパラ、、、多用される「安心安全」。
そもそも安心させたいのであれば、安全を十分確保しなければならない。
ちなみに交通安全週間と言うが交通安心週間とは言わない。職場で労働安全週間と言うが安心週間とは言わない。
これらで安心と加えた場合、途端に気が緩みそうである。

安心という言葉には危険な側面がある。
安全を掲げたビル建築工事の下は、工事が完成するまで安心ではない。最初から安心を掲げたら「ウソだろう?」という事になろう。

過日の西村長官の会見は「安全・○○」(○○は確実だったか?)と述べ、「安心」が外されていた。
ある意味正直だと思い、むしろほっとした。

安全は科学的、可視的で明らかなものである。
一方安心は心理の問題で漠然としている。
安全でもないのに、上手いことを言われて安心してしまうことは、世間ならどこでも起こり得る。

国が行うのは安全を可能にする科学を徹底させ一日でも早くコロナ禍を終わらせることだ。
弁を弄して曖昧な「安心」を繰り返すことではない。
ぼんやりだが、私達は安心と安全のちがいを認識していて、聞かされる「安心安全」に違和を感じ、「安全」が薄められるのを心配するのである。

以下は今週末の写真です。

昨日見た近隣のタチアオイ。

 昨日新しいベンチで読書する人。

 

昨日、蓄音機でシャンソンやクラシックを掛けました。

 

5,6カ所で咲き始めた庭のテッポウユリ。

 

次第に一種「森」的な雰囲気が出てきた本日美術館の雨の庭。
お客様も庭を愛して下さっていることが伝わる。

本日閉館前にコーヒーを飲んだ。

国は、ふだん国民が色々考えたり国を批判することを好まない。
だが近時、過酷なコロナによって、ものを考えることが自然に増えた。

タチアオイの花巡り 夕刻はタヌキと対面。

2021年6月24日(木曜日)

昨日夕刻近くの田でタチアオイが風情良く咲いているのを見た。明日午後は休みの日、お天気が良ければ近隣のその花を観て回ろう、と考えた。
そして本日、晴天となり午後のいっとき、車を走らせた。

 

昨夕6時半ころ、大潟区のタチアオイ。

以下は本日午後に見た花です。

頸城区で。

 

頸城区で。

以下三枚の写真も頸城区です。

 

 

 

 

地名は分かりませんが同じ場所です。小さな流れに沿って沢山咲いていました。

 

頸城区で。

 

 大潟区で。

 

 

大潟区で。

 

頸城区で。

 

頸城区で。

およそ50分の花巡りでした。タチアオイは水田集落に良く合いますし、この時期の晴れ間は特に映えるようです。

そして夕暮れの電車を撮りに再び出かけますと、

夕陽を浴びて電車がきました。

 

 

実はその直前まで近くに現れたタヌキを撮っていたのです。

 

カザッと言う音がしてタヌキ(多分)が現れました。

向こうへ逃げると思いきや、近づいて来ます。

座りました。

物憂げなポーズを取る風情。

間もなく草むらに去り、その後電車が来たというわけです。
10数メートルほど離れた対面。こんな近くでタヌキを見るのは初めてでした。

夕暮れにタヌキと出合う。
どこか人慣れしている風で親し気でしたので、一瞬化かさているのかな、と錯覚しました。

キツネは痩せていて、辺りに紛れてサッと現れスッといなくなります。
一方丸いタヌキは、一般にこのようにうまく近づいてくるのでしょうか。

だとすると人を化かす、だます、と言い伝えられる二種のこれら動物。
上記の二通りは、社会に於いても欺しの基本的な態度かもしれない、とふと思った次第です。

キツネ、タヌキには申し分けありませんが、昔の人は良く観察し、上手く比喩に用いたと感心します。

緑の庭とベンチ そよ風と私。

2021年6月18日(金曜日)

先日美術館に行くと、スタッフが“裏のベンチで小さな赤ちゃんを連れたお母さんが座ってお茶を飲まれた”と嬉しそうに、話してくれました。
良いお天気で、爽やかな風が吹き、とても気持ちよさそうに見えたといいます。

お伝えしていますように樹下美術館には、以下のように三つのベンチ席があります。最近の緑のベンチを載せてみました。

 

開館以来の裏手のベンチ。
水田に面していてますが、稲が随分伸びてきました。

 

昨年こしらえた鉄の椅子、テーブル席。
建物の真裏にひっそりとあります。

 

今春しつらえた駐車場に隣接する木製のテーブル&ベンチ。

これからの季節、晴れた日にどうかお座りになってみてください。いずれの席でも飲食が出来ます。

 

以下は「そよ風と私」、原題は「アンダルシア」。カテリーナ・ヴァレンテが歌った曲でしたね。

 


ジョン・ノーマン指揮のコーラスで「そよ風と私」。

 


ペペ・ハラミジョのピアノで「そよ風と私」。

本日6月18日、当地も梅雨入りしたと報じられています。
今年はどんな梅雨になるのででしょう。
宜しければ晴れ間に外の椅子に座り、海からの風に当たってみてください。

庭の可愛い花たち。

2021年6月14日(月曜日)

ソメイヨシノやバラのように豪華ではないが、命盛んな季節に小さな花たちも一生懸命に咲いている。

 

実の色を暗示しているムラサキシキブ。

 

枯れた花びらが小さな実を包んでいる柿。
昨年15個ほど花をつけ、実が膨らんだと思ったら全部落ちてしまった。
今年は最後まで頑張れるか。

妖精の髪飾りのようだ。

 

今年ネットで購入したオカトラノオがまず一本咲いた。

 

例年ここで咲くクガイソウ。

 

何故か胸打たれるホタルブクロ、しかも白。

 

数年前に植えたクレナイアジサイ。

 


ザ・ピーナッツの「可愛い花」
19才の時に初めて上京すると隣のアパートからよく聞こえてきた。

昨日、雉子(キジ)の物語を読んだ夕方雉子が現れた 急に髪が白くなってきた。

2021年6月9日(水曜日)

ふとしたことで中勘助の「銀の匙」を読むと、作者に興味を持ち氏の他著書も色々読むようになった。現在手許のは12話の「鳥の物語」で、過日の白鳥の後、昨日昼休みに「雉子の話」を読んだ。
少し長いですが、以下は拙あらすじです。

物語は、ある昔の長柄(ながら)の寒村に架かる橋と人々の話です。
村の川は急で大雨のたびに橋は潰れ、作る後から次々に流された。ついに離村まで覚悟する村人は最後に村の宮へ参る。願を掛けられた神官の娘である巫女は倒れるほど苦しみながら、神のお告げ“継ぎ袴(つぎばかま)で通る者を人柱に立てよ”と下す。人柱選びは村人を辛く追い込み、村は活気を失うまでになる。ついに神主自身が継ぎ袴を着けて村へと下る。それを知った娘は駆けつけるが父は人々の前で、掘られた穴に入った。

時は過ぎ、優しい青年の妻となった娘だが、父の犠牲に苦しみ、ついに病の床に着く。橋は立派に完成し、神主は北の国で雉子に生まれ変わっていた。雉子の父は娘恋しさにふる里を目指すが途中で猛禽に襲われ、右肩を負傷する。歩くだけになった雉子だが、かろうじてふる里に辿りついた。
一方、娘の容態を案じた夫は滋養の足しにと弓矢を手に狩りに出る。草むらで雉子の鳴き声を聞き、放った矢は雉子を貫いた。

その晩、娘の夢枕に立った父は、“私は北国で雉子に生まれ変わっていた。お前会いたさに、ようやく村までたどり着いた。しかし嬉しさのあまりお前を呼ぼうと鳴いた所、的になってしまった。お前は目ざめたら柱に架かる雉子の右肩を見てくれ、その傷が私である証拠だ”と告げる。翌朝、柱に架かった雉子の肩を見た娘は悲しみのあまり自ら命を落とす。

以上“雉子も鳴かずば撃たれまい”という言葉通りの結末です。人柱というものが本当にあったのか、いささか信じられませんが、伝説などはあるようです(数年前板倉区の人柱供養堂の前を通ったことはありますが、、、)。

 

 「鳥の物語」 1983年1月17日 (株)岩波書店発行。
鶴やひばりなど12の鳥が身内の物語を述べる形式。

野尻湖にある中勘助の詩碑は「ホオジロの聲」だった。博識の氏は愛鳥家でもあったらしい。

さて雉子の物語を読んだ昨夕、庭に出ると南の端に雉子がいた。本を読んだせいではないだろうが、久し振りに近くに現れた。

 

鉄ベンチの向こうでこちらを見ている。

 

ややあってあぜ道に出た。

 

雉子が向いている方を見ると、ハクセキレイがからみ合っている。
この鳥のつがいの情愛はこまやかで、非常に美しい場面があると聞いていた。
何とか写った一枚だが、確かにただならぬ雰囲気がある。
中氏にはハクセキレイも書いてもらいたかった。

 

鳥の世界でもハクセキレイのことは有名なのか。
うらやむように雉子がケンケンと鳴き。

 

ドドドドと羽ばたいた。

 

 

その後しきりに毛繕いを行い。

 

植え終えた田に入っていった。

本日午後、福祉施設の接種で2回目の問診を行った。残り2回、無事を祈っている。
ところが帰ると、ある事業所の担当者が、社員の接種の相談に来た。
自院、施設、集団と現在三つ同時に関わり、その半ばに差し掛かるや、今度は企業が入ってくる。
さらにたたみかけるように今夜一般接種について市の説明会があり、スタッフとリモートで参加した。

黒かった私の髪が後頭の一部で真っ白になっているらしい。

会長時代に聞いた言葉、“ものを頼むなら忙しい人に頼め”を何とも言えない気持で思い出している。

夏は来ぬ。

2021年6月4日(金曜日)

いつしか6月になっている。
以前から6月が最も好きな月、と言ったり書いたりしてきた。しかし写真を撮りブログを書いているうちに、どの月も好きになった。ただし落ち着いた気象、あるいは植物の旺盛な感じでは、やはり6月が一番かもしれない。

 

6月1日:近くの高速道路の土手の卯の花。

 

6月1日、同じ場所のアザミ。

 

6月2日、裏の草むらから現れたキジ。

 

6月3日:次々に新芽を伸ばすトクサ。

 

6月4日、雨とバラ。

 

6月4日、駐車場の卯の花。

 

6月4日、患者さんたちから頂いた夏大根とサヤエンドウ。
スタッフと分けました。

 

熊本の先輩から頂いた桃。

 


唱歌「夏は来ぬ」

この歌の作曲者小山作之助の母は小生の高祖父・玄作(文政元年、1818年生まれ)の娘トヨです。父や叔父叔母たちは作之助のことを叔父さんと呼び、家に集まると声を合わせては「夏は来ぬ」を歌っていました。学生時代の父は晩年の作之助を見舞うなど、作之助はずっと身近な人だったようです。

揃って花をつけたナツハゼ シジュウカラの水浴び 災難と化しつつある五輪。

2021年5月29日(土曜日)

よく晴れた金曜日。
今年は春先から例年を上回るクリスマスローズと芝生の成績が良く、その後トサミズキ、スミレ、エビネ、キバナホウチャクソウの花々のほか樹木も例年以上に勢いが感じられている。
以前ブログ上で、それは今冬1月の大雪に押して貰ったせいかもと書いたが、それより翌年の準備が始まる昨年の初夏以降の天気が植物向きだったのかもしれない。

本日何気なく見たナツハゼが沢山花(実)をつけていた。
カフェ正面の奥の方、日陰ぎみの場所にナツハゼが3本植わっている。この木は大きくならないが、以前から一種風格があると感じていた。
ちなみにその昔購入した雑木の庭の本には必ずと言って良いほど載っていた。ひっそりしているけれども直ぐにそれと分かる爽やかさと存在感があった。そもそも以前の大潟区の松林や雑木林でよく目にした。

何が良いかと言えば、あまり群れないこと、葉が爽やかで水平な感じに付くこと、小さな割りに枝振りが良く一種貫禄があること、秋いち早く上品に紅葉すること、秋に真っ黒で艶やかな実を沢山つけ、それを鳥が好むことなどであろう。当館では数年かけて、複数の店舗から通販で3本購入して植えた。

だが実をつけたのは1本だけ、以後他は外見だけナツハゼだが全く花も実もつける事はなかった。
かって木に詳しいお客さんが、これはナツハゼでは無いかもしれない、と仰ったこともあり残念が続いていた。

それが本日、前述のように駄目だった二本がしっかり花をつけていたのである。

 

赤みがかったものと黄色のが見られた。

 

 

初めて花をつけた二本の木の様子。
夏以後の葉や実を楽しみにしたい。

来館されていたお客様と庭でナツハゼの話をしていると、あっシジュウカラ、と仰った。
見ると水鉢にシジュウカラが何羽も来ている。

 

恐らく今期生まれた若鳥であろう。
既に親の給餌が終わり独立したばかりと考えられる。

さて世紀の祭典であるオリンピックが、災難の印象を強めている。
そもそも優れたアスリートほど体調に敏感でその管理に日夜気を使う。ワクチンは開催の鍵になるが、これから接種する場合、選手のコンディションは少なからぬ影響を受けるはずである。また鍛えられてはいるが、アスリートたちは必ずしも感染症に強いとは言われていない。
大谷翔平選手の開幕当初の不調はワクチンだったと本人が述べているとおりである。外野のお祭り騒ぎをよそに、選手達は、感染と接種についてかなりナーバスになっているのではないだろうか。これらを考慮すると今後接種スケジュールが健全な形で間に合うのか、心配される。
いずれにしても真剣な彼らは、コロナの事を決して「単なる風邪」などとは思っていないはずである。

世界が感染症を克服しないままの五輪は、選手が気の進まない実験をさせられているようで、傍目にも喜べない。
そもそも強気一本のIOC会長ほか要人たちは、その時ちゃんと来日するのだろうか。

芍薬の季節 蜘の糸が絡んだカワラヒワ 接種は1回目の半分まで来た。

2021年5月26日(水曜日)

気持ち良い晴れ間に恵まれた本日、特養の回診を終えて休館日の美術館に寄った。
木々の緑は一段と深い色になり庭の立体感がぐんと増している。それにしても年ごとの樹の成長はとても早く、あちらこちらで青空が狭くなるのを感じる。

 

この場所のアヤメとスズランが終わり、手前の糸ススキが生え揃ってきた。

 

西の庭に集めている芍薬が盛りを迎える。
間もなく黄色も咲くことでしょう。

 

カフェの正面で目立っている芍薬。

 

雀のヒナが賑やかに鳴き、親に餌をせがんでいる。
強く鳴き続けながら鳥の命である喉や声が鍛えられる。

 

庭を出ようと車を走らせると、フワーッとカワラヒワが飛んで来た。

 

庭に張った白いロープに止まり、しきりに何かしている。
撮ったモニターを見ると、蜘蛛の糸が体に絡んでいるのが見えた。

 

 

 

引っ張ったり振り回したり、懸命に糸を取ろうとしている。
助けようと思うが近づけば飛び去るに違いない。
間もなく取れたらしく、素早く飛び立った(鳥も色々なことがありそうだ)。

さてワクチン接種は10日目を終え、予定360人の1回目目のおよそ半分近くが終わった。一回の接種は短時間であるが、出来るだけ会話をしながらリラックスして頂くようにしている。
全国では意欲的な歯科医師や研修医の参加もあり、接種がいっそう拡大する流れなり良い事だと思う。

接種には厳しい条件があるワクチンの管理と注射液の調整が必要で、これにも神経を使う。
信じられない齟齬も公表されているので、“あわてないでゆっくり仕度して”とスタッフと話している。

来月は自院の注射のほか施設と集団の接種で問診担当が加わるので、当面の山場になりそうだ。

今夜の皆既月食は是非観たかった。ごく短時間上りかけの赤い月を観たが直ぐに見えなくなり大変残念だった。

柿崎海岸の花 チドリ(コチドリ)の擬傷?

2021年5月22日(土曜日)

久し振りに晴れ間の多かった本日、柿崎海岸を歩いた。
砂浜の植物たちは連日の雨の恩恵にあずかり、生き生きとした姿を見せていた。

 

ハマヒルガオ

ハマエンドウ

造形的なハマボウフウ

みな一緒に咲いている場所があった。

 

花を撮っていると近くでチイチイ、ピヨピヨとチドリの声が続いた。探すとやや遠くでこちらを窺う様子。

 

 

私の前に回ると手前の一羽が足跡の凹みに入って羽根をバタバタさせた。

 

休んだり

 

こちらを見ているのが写真を見て分かる。

普段のチドリは近づくと直ぐに飛び立つが、本日は違った。
多分私が巣に近づいたため、鳴いたり、目立つ動作をして気を引き、巣から遠くへと誘ったのであろう。

 

だらりと翼を下げ、羽を震わせるようにしながら歩く。

場所を変えてまた始めた。

足跡の凹みに入って翼をバタバタさせる。あるいは翼を引きづるようにして歩く。
これらはいずれも自らを傷つき苦しむように見せて気を引き、巣へ近づくものを遠ざけようとする擬傷行動であろうと思った。標準のズームレンズしかなく、大きく撮れなかったが、トリミングしてみて熱心な動作を見ることができた。

それにしても人の足跡に入るのは何故なのだろう。

昨年来柿崎のチドリは二羽しか見ることが出来なかった。擬傷によって本日のチドリは子育て中であることが理解される。地上に簡単な巣を作るコチドリあるいはヒバリは、卵やヒナをヘビやカラスに狙われやすいという。
かって10羽以上はいた柿崎のチドリが少しでも増えるならとても嬉しい。群で素早く海上を飛ぶチドリは格好良いし、海に詩情が生まれる。
本日の熱心かつ痛々しいまでの行為を見て、コチドリの苦労が偲ばれた。

夜の庭。

2021年5月19日(水曜日)

雨、夕刻、夜、、、庭がもう一つの表情を見せる時間のようです。

 

本日午後6時15分ころの庭。

仕事が終わって芝生でコツンコツンとゴルフボールを打ちました。
その後の食事中、庭にメガネを忘れていたことに気づきました。どこかの枝に架けるのですが、それが何処か忘れてしまい、車の明かりを点けて探しました。メガネはありましたが、美術館の壁に映った草木の影や、花の雰囲気が良かったので撮ってみました。

 

劇場のような感じでした。

 

庭の灯りも点けてみました。

 

眠らないように見えますが、実際は眠っているのでしょう。

 

 

なにか特別な夢を見ているのでしょうか。

 

こんな色を授かっているのですから幸せな花です。
気のせいかまだ起きているような感じでした。

 

夕方の玄関先に置かれていた都忘れの花。
いくつもの優しい色を初めて見ました。
お持ち下さった方、お心遣いにとても感謝しています。

夕方や夜の庭は植物や昆虫たちの憩いが感じられ、どこかアール・ヌーヴォー風な雰囲気が漂います。
夜の庭で一人ウロウロ写真などを撮っていると通報されることがあります(かって庭仕事を通報されました)。いつか通報されないようにして、夜のベンチで食事をしてみたい、と思いました。

2日目のワクチン接種が無事終わりました。
昨日の方々ともども接種部位が痛いことでしょう。明日、明後日と軽くなるはずですのでどうか頑張って下さい。

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