花鳥・庭・生き物

一瞬にして消えたファイル ドヴォルザークの音楽。

2025年2月16日(日曜日)

日中ほぼ晴れていた本日日曜日、午後まで来たるイベントにむけて亡きヴァオリニスト中島幸子の年表を作った。しかし2時間掛かって8割方出来上がり、ファイルに名前を付けて閉じた途端、何を押し間違えたかそれが一瞬にして消えた。

スタートキーを押してPC内を検索したところ似たようなファイルは出るが、探し物は跡形も無い。残念だがこんな事が数年に一度レベルで起こり、迂闊な私の不徳、王者PCの最も怖いところだ。出来る人なら復旧させるのではないかと思うが私には無理だった。

一度脳を通過した作業だからまた作れば良いと考え直し、鳥を見に昨日の柿崎区の水田へ出かけた。米山を背に一帯の広い田に雁と白鳥の群が広がり、壮大な眺めだった。ラジオを点けるとクラシックが聞こえた。

武満徹のギター曲の後でドヴォルザークの「スラブ舞曲」が流れた。両方ともとても良かった。ドヴォルザークを聴きながら亡き関根日出男さんを思いだした。医師であるとともにチェコ音楽と文学の研究家だった氏は親族の一人だった。何度か訪ねる機会があったけれど、もっと勉強していれば気の利いた話も出来ただろうにと後悔がこみ上げた。

すると失ったファイルが再び思い出され、音楽はそれも慰めんと優しく続いた。


ドヴォルザーク作曲
作品72の2「スラブ舞曲」

遠くで一斉に飛び立った鳥たちの群が旋回しまた下りるのが見えた。

旋回する雁の群
(ハクガンも混じっている)

数日後と予報されている寒波。あまりひどくしないでもらいたい。

雪が少ない当地 鳥たちは戻っている。

2025年2月15日(土曜日)

去る2月9日の当欄に強い寒波が始まっていることを書いた。その雪も当地では一旦消えかかったが1週間ほど前にドサッと再び降った。しかし去る13日インターネット回線がおかしくなった日の強風といっときの雨で周囲の雪はほぼ消え去ったかに見える。

上掲2枚の写真は本日午後、仕事場の前の浜線(旧国道)の東西。雪は気持程度になっている。
全国放送のテレビでは新潟県の豪雪が報じられていてしばしば上越も取り上げられる。確かに山間部は例年以上なのだが沿岸の当地は全く様子が違っている。強風と気温が僅かに高いせいではないかと考えられる。

よく晴れた本日土曜日午後。鳥たちはどうしているかなと見に行った。上の写真はよく行く場所の一つ。田圃の所々に雪だまりはあったが、陽当たりの良い畦や土手は乾き,さらさら音を立てて流れる用水は青い空を写して春を思わせた。

 

一帯の北東の一部を回ったところ、50~150羽のコハクチョウを中心としたマガンとハクガンの群が多数見られた。彼らがねぐらにしている朝日池は一時水面が雪に覆われたため鳥たちは髙田の南堀など水が露出している場所へと分散していた。それが急な融雪で再び戻って来たようだ。

来たる18日から再度強い寒波が伝えられている。冬の終わりに沿岸がドカ雪になることが時々ある。
一方で2月は暖かく一段と晴れ上がる素晴らしい日が現れる月でもあり、ゆっくり春に向かっていることだけは間違い無いのであろう。

日米首脳会議は何とか無事に終わった 強風下のカモメ 道路に出て来る鳥たち。

2025年2月9日(日曜日)

一昨日は我が石破首相と米国のトランプ大統領の会談について書いた。政治は苦手だが外交はある種ゲームを見るような側面があり感想文として書かせて頂いた(比べて内政は感情論があらわで心臓に悪い)。

さて両首脳会議が一応の結果を迎えたのは外交官の努力あってのことだったと考えられる。会談、会議、会見に際し仮想応答を練りに練り上げ、何度もリハーサルをしたのではないだろうか。首相の行儀の悪さを耐えるトランプ氏のタフなマインドに驚かされたが、米国にとっても切迫していた事情があったからに違い無い。

気がかりなのは首相が大盤振る舞いを約束した事だった。一方今後のトランプ氏について、パナマ運河やアイスランド、ガザ、カナダへの食指のほか国連やWHOほかパリ協定など世界が真剣に積み上げてきた国際的な機構への否定的関与はまず人道にもとり、リーダーとしての資質の行くへが心配される。
また文化、学術、環境への熱意が伝わらず、これらにも目を向けてもらわないと世界は沈黙の中で冷えるばかりではないだろうか。

心配は切りが無いので午後は上下浜へ行ってみた。

遠くに点々と見えていた鳥の群。

来た群はカモメだった。
カモメはほかの鳥と違い、
あまり羽ばたかず滑空する。

カモメは次々にやって来た。

その昔、美術館を始める頃
にもこんな写真を撮った。
カモメは強靱でカラスも避けるという。

次ににいつもの田圃へ向かう。

道路にいた普段見慣れないシギ。

車を走らせると道路に出ている鳥たちと数回出会った。お腹を空かせているのだろう、逃げる気配も無く危ない。何年か前もそうだったが、急な大雪になると可哀想なことに鳥たちは最後の餌場と考え、道路へ出てくる。雪国の雀は一冬に三分の一は数を減らすという。

昨日の上越市大潟区高橋新田で。

この度の日米会談では高校時代の英語教師を思い出した。かなり前に書いたが見ず知らずの遠い親戚と聴いた教師のもとへ、学校に内緒で一年半ほど通った。月に2回の教材はジューヌ・ヴェルヌ原作の冒険小説から始まりジョージ・オウェル、バートランド・ラッセル、ジョージ・ケナンなど思想、政治の分野へ進んだ。
ラッセルは終始寛容であることを説き偏狭を避けよと繰り返した。懐かしいジョージ・ケナンの教材は外交についての評論「Power Politics」で新鮮だった。
教師は当持のケネディー/フルシチョフの華々しい外交を報じる新聞を批判、外交は優れた外交官たちによる普段の地味な努力の上に成り立っている、浮かれてはいけませんと諭された。

この度無理を承知で日米首脳会談などを記載しながら、65年も経った高校時代の記憶がおぼろげながら蘇り、知的で美しかった英語教師が脳裡に浮かんだ。
全共闘が高校にも及ぶ時代、肺結核で闘病するばかりの私をよく引き受けてくださったと、今もあこがれと共に大切な恩人として深く感謝している。

寒波の日、A氏のレコードを頂きに、帰路のタカ。 

2025年2月6日(木曜日)

やはりやってきた厳しい寒波の日。昨年の痛恨、生前何かとお世話になったA氏宅へレコードを頂きに伺った。立派なクレテンザを当館のカフェに置かせて頂き、何度もSPコンサートを開いたり皆さんとカフェで楽しんだ。

氏は私より若いのに確固たる信念と謹みを有し深く学ばれ、家庭と地域を愛され、心から笑い、音楽に映画、スキーなど真剣に人生を楽しまれた。いつも何か教えられているようであり、ことあれば意見を聞きたかった。

美しいバイオリン曲が掛かる部屋でお参りし、コーヒーをご馳走になり、沢山のレコードの中から聞き覚えのある演奏者と曲を選ばせてもらい、持てるだけのものを持ち、まだあるものは後日伺うことにして帰って来た。


フィッシャ・エルマンのタイース「瞑想」

時々吹雪く帰路は妻にも見てもらい冬鳥を探しながら帰った。雁も白鳥も見なかったがいつもの場所でアトリと雀、カシラダカが一緒の小さな群を見た。

車中から群を撮っているとタカが襲ってきた。群は無事だったがタカは残念そうだった。

襲撃に失敗して電線に止まるタカ。

寒さで丸くなっていたタカも
飛ぶと非常にスマート。

一瞬の晴れ間。

持ち帰ったほんの一部。

何か迷ったら氏ならどうするを想像したい。亡くなった後もまだお世話になっている。

再びの寒波 本当に年の割に元気なのか。

2025年2月4日(火曜日)

“寒波の予報で早めに来ました”
昨日からこんな風に仰る方が何人も来られました。テレビは本日から始まる大雪を予報し、再び「警報級」と繰り返しています。今冬このような予報を何度か聴きましたが、幸運にも問題無く過ぎました。しかしこの度は今までとレベルが違うようなので心配してます。

昼休みに近隣を走り、このところ目にしていない白鳥とハクガンを探しました。当地の北東部を一時間ほど回ったのですが目に止まったのは吉川区の電柱で休憩する雀の群だけでした。
雀は減り続ける野鳥と言われて久しく、このような群を目の当たりにするととてもほっとします。それにしても目的の鳥たちはいったい何処にいるのでしょう。

雪景色に変わったためでしょうか、
見慣れない場所を走りました。
この程度の雪ならとてもきれいです。

帰ってから二軒の在宅を回りました。最後のお宅を終わり雪中玄関から車へ走り出すと「先生は年の割りに元気だね」とご家族に声を掛けられました。本当にそうなら良いのですが。

83才になりました。

2025年2月2日(日曜日)

この週末は私の83才の誕生日と節分でした。それまでブログを5日も空けていました。特別忙しかったわけではありませんが、今月23日の作之助講に向けたスライド作りのほか一件の看取りが加わり、いつしか過ぎたという次第です。
便りの無いのは良い便り“No News is Good News”ということで勘弁して下さい。

さてその昨日2月1日、講演予定のスライドを修正し、娘が持参したケーキを食べ、鳥を観に出かけ、樹下美術館の庭を見ました。

ささやかな誕生祝い。

 

冷たい田んぼでこともあろうにハクセキレイが水浴びをしていました。

 

大いに我慢する人間の寒行とちがい
気持が良いのでしょう。

 

気の早いクリスマスローズが花を付けていました。この花が咲くと冬休みものんびりしていられなくなります。

美術館の金柑。
仕事場のと合わせて60ヶ
ほど甘いのが採れました。

 

動きが少なくなる冬に豆まき。運動不足の重い腰を上げさせる昔の人の知恵でもあったのでしょうか。豆まきは実に良いタイミングです。

 

ここから83年、往時の奉天満鉄病院。
父が勤務していましたので
ここで生まれたようです。

1946年2月から3月にかけて満州を引き揚げましたが、資財をすべて没収された父は事前に大事なライカを売り、世話になった中国の職員たちと食事をして別れたと聞きました。

70才代半ばころ、自分は83になったら仕事は限界だろう、と考えていました。しかしその時が来てみますとさほどの不自由も無く、もう少し頑張れそうです。
今年も医療と美術館の継続ほか講演やお茶席などの予定があり、ゴルフも出来るようで、これら全ては皆さまのお陰です。
どうか今後も宜しくお願い申し上げます。

2月23日の小山作之助生誕160周年記念催事の仕度 夕刻は朝日池へ。

2025年1月26日(日曜日)

よく陽が射して穏やかだった本日日曜日。主に来月23日の拙講演のためのスライド12枚を作り系図1枚の下書きをしました。
講演は小山作之助生誕160周年記念の最終催事の記念講演で、作之助の系譜、特に没後の話をさせてもらう予定です。

上越市と大潟区においては作之助の顕彰事業として10周年ごとのメモリアル行事や毎年の「卯の花音楽祭」が行われています。しかしながら作之助亡きあとの末裔、特に音楽に関する系譜が話題になることは殆どありませんでした。

小山家の方々は東京と関東に移られて久しく、当地との交流がほとんど絶えた現在それらについて知る手立てが失われつつあります。そこで母方の当方で知り得た範囲でお話しさせて頂くことになったというわけです。

作之助には四人のお孫さんがおられ、長女の翠さんは高等学校の音楽教師とピアノ教師に、次女香織さんの長女幸子さんは幼年から音楽教育を受け、優れたバイオリニストになられました。
幸子さんは国立音楽大学卒業後オーストリアに渡り自身の音楽を大きく花開かれておられるまさにその時、若くして亡くなられます。彼女の没後ご主人は高名な指揮者兼バイオリニストに、幼かった遺児ヨナスさんはオーストリア屈指のホルン奏者など実は作之助の「音楽の系譜」は国外で伝わっていました。
これらの情報の詳細は幸子さんの同窓で先輩の作編曲家、指揮者、音楽プロデューサの中島良史氏から、ふとしたご縁でもたらされました。
※良史氏と幸子さんは同姓ですが血縁者でありません。

当日は中島氏から一昨年春に届けられた幸子さんの日本における演奏旅行で録音されたレコードアルバムの一部を掛けるつもりです。

会場は大潟区のコミュニティ-プラザで当日午後1時30分からの予定です。
どうかお暇をみてご来場いただければ有り難く存じます。

本日午後妻は美術館と家の整理を行い、夕刻一緒にハクガンを見に行きました。見ると言っても田では簡単ではないため、少なくとも朝日池でねぐら入りくらいは見ようと出かけました。

途中の尾神岳。
雲が格好よく、雪は少なそうでした。

目星を付けた4,5カ所の田んぼにハクガンの姿は無く、朝日池へ向かいました。

池に近づくと遠くから雁の群がやってきた。
幸運にもハクガンでした。

 

全群高らかに鳴きながらやって来て、
着水するなり急に静かになるのを
妻は不思議がっていた。

確かに空であれだけ鳴いたのに、、。不自由な水上で猛禽に居場所を知られるのを警戒するのかも知れません。但し普段新たな群が下りる場合、水上と空で盛んに鳴き合います。

夕焼けを写した水面のカモたち。

 隣の鵜の池の夕焼けを見ながら
帰ってきました。

2月23日のイベント
・会場と時間:大潟コミュニティプラザ 13:30~
・後藤丹 上越教育大学名誉教授による小山作之助に関する楽曲の解説講演。
・ゲストによる演奏会 などが開催されます。
・お申し込み、お問い合わせ ☎025 534 4367(大潟区公民館)

楽しい記念日になろうと存じますのでお暇を見てお寄り下さい。
近々詳細が告げられますので再度当欄でもお知らせ致します。

ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。

2025年1月19日(日曜日)

本日日曜日も穏やかに晴れた。午後、庭に使う用土を買いにホームセンターへ出かけた。昨年秋から庭全体に肥料入り用土を蒔いているがまだまだ足りない。

本日芝生の目土3袋、花の培養土8袋を求めた。それぞれ小さめの14L袋11個を台車に積んだ。台車は一杯いっぱいになった。支払い後車まで運ぶ途中、溝のようなヘコみでガタンと音がして台車が前にひっくり返った。台車を起こしたところで遠くからスタッフが走って来て、車に載せるまで手伝ってくれた。

さて連日の鳥(ハクガン)です。今日はホームセンターへ向かうのに田を見ながら走った。午後2時半過ぎた頃、高く飛ぶ雁の大きな群を見た。双眼鏡を覗くと大半がハクガンだった。

車の向きを変えて群を追ってみた。雁の方向は朝日池で、車の私はあちこちの道をジグザグに走らざるを得ない。車が池に近づく頃、群は池の西端、米山に向かって手前の狭い部分を旋回していた。低く何度も回る。おそらく近づく前に下りてしまうだろうと考え遠くから望遠で撮った。

頭上を通過する群。

遠くからだったが以下の写真が撮れた。

湖上を旋回する群。

ここに居た方たちにとって
光景は奇跡だったに違い無い。

 降る如く舞う如く何度も旋回。

ああ羨まし、大きな群だった。せっかく舞ってくれているのに私は遠くから、しかも遅れて撮らざるを得なかった。普段のねぐら入りは17時前後であり、明るいこの時刻に現れるのは滅多に無い。池のふちにおられた方達は何と幸せなことだったろう。

因みに群の近くに居たのは大抵地元の人か撮影をしない観察者さんだ。一方普段三脚に大望遠レンズで撮る遠来のマニアさんたちはやや遠く東の方で構えている。車の数は数十台はあった。今日ばかりはここで待っていた人達が大変な幸運を掴んだと言える。

さて昨夕は京都、滋賀旅行でお世話になったAさんご夫妻から届けられた見事な鮎の甘露煮を食べ、本日は百人一首歌留多の最中を頂いた。

皺一つ無い見事な子持鮎。
美味しくてほっぺたが落ちそうだった。

百人一首の札が上下2枚の皮となって一包みされている。それにさお状になった甘い餅が入った小豆あんを切って挟む。
高校時代、一時家で百人一首が流行り、母に習って「むすめふさほせ」などを覚えて楽しんだ。このたびお菓子といえど札通りの図案はとても懐かしかった。

本日はせっかく紫式部の「め」で最中を作ったのに撮る前にバクリと食べてしまった。歌は「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」だった。幼なじみとの短い出会いの名残惜しさを雲隠れする月にたとえた歌だった。しかし私の式部最中(もなか)は巡り会うなり即お別れだった。

そこで二つめの河原左大臣(かわらのさだいじん)「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」」を作って食べた。
「しのぶもぢずり」は福島県信夫地方の染めによる衣のことらしい。“もじずりのように乱れた私の心はあなたのせいです”と歌っている。

その昔、「しのぶもぢずり」の意味など全く分からずに遊んでいた。しかし意味不明の変わった言葉でも、かえって頭にこびりつい長く忘れずにいることがあるんだと思った。
※河原左大臣は嵯峨天皇の皇子だった人。

美味しい鮎、楽しい最中、京・近江の文化を有り難うございました。

本日土曜日、晴れて温かくても「今のところ」を忘れずに 本日の海と庭。 

2025年1月18日(土曜日)

2024年は秋なかばまで暑さが長く続いた。その漠然とした反動で冬は平野部も大雪ではないかと皆で怖れた。事実何度か寒波が来てその都度大雪、警報級と予報された。しか当地の雪は多いときで15㎝は積もったかという具合、現在道路や田畑に雪は見られず小雪あるいは無雪に過ぎている。
この話題には「今のところ」を頭に付ける事が必要で、軽々に断定し小雪などと言うと、天からバチが当たることを心配する。つまりこの先あるかもしれないドカ雪のお返しが恐ろしいのだ。
だから軽々に小雪などと言った後でドカ雪にでもなったなら、そのせい(責任)ということにもなりかねないので、晴れ間が続く時でも「今のところ」を忘れないようにし、また出来るだけ控えめに有り難みを口にするのが礼儀という雰囲気が当地にはある。

そんなこの頃本日も晴天だった。季節を問わず沿岸で育った者は海へ足が向く。

午後の柿崎海岸は久し振りだった。長いうねりはあったが青々として気持が良い眺めだった。

 

 

2009年の大河ドラマ「天と地と」のロケ場所。
直江兼続とお船が馬に乗り砂浜を疾走した。
近隣の皆さんは上掲の石段で撮影を見学。
当時よりも砂浜は狭くなっているのでは。

海岸にいた小さな猛禽モズ。
いつも一羽、寂しくないのだろうか。

海の後は新柿線を走りハクガンや白鳥を探しながら美術館へ。不思議なことに途中一羽も見なかった。
美術館に寄り雪が消えかかるカフェの前でゴルフボールを打ちアプローチを練習した。

カフェの前に屋根からの雪が
集中して落ちる。

庭に散らばる枯れ枝を集めた。

南の庭に苔が繁茂している。
冬でも苔は増える。

この場所も今春肥料を撒く予定があり、苔を処理しないと肥料が効かないとを考えて苔を削いだ。もともと砂丘地のためどう見ても地味が痩せている。

一先ず本日はここまで。

家の片付けに来ていた妻と
茶を飲んで庭を切り上げた。

海岸で拾ったシーグラスと貝殻。

貧乏性なのだろう、晴れると何かせずにはいられない。明日も終日晴れの予報、日中は10℃と出ている。

晴天だった日の夕刻、ハクガンは雪降るようにねぐらへと入った。

2025年1月16日(木曜日)

本日木曜、定期の休診日。午前の雨は昼過ぎに上がり次第に晴れた。

晴れ間の米山。
過日の「日本百低山」がこの山だった。

鳥たちを探したが出たのが遅くさほどの成果はなかった。

田んぼと電線を往き来する雀。
厳冬の合間に一息つく風だった。

ミコアイサ。
パンダカラーでよく目立つ。

所用の時間まで田へと車を走らせハクガンを探した。しかるに目星を付けたいずれの場所にも姿は無かった。晴天の日は思った以上遠くへ出かけているのかもしれない。時間もなく探すのは無理と判断した。

用事を済ますと夕暮れ迫る時間になっていた。ねぐら入りする朝日池なら出会えだろうと寄ってみた。

17時近く、辺りに鳴き声を響かせて
雁の大群が帰ってきた。

降りて来た群にハクガンの一団。
やや遠くのワンド入り口に着水した。

5分ほどしてさらに別の群が帰還した。

キュルリ、キュルキュルと聞こえる鳴き声。

雁の鳴き声は一種金属的な響きがある。一日を無事に終えた歓喜の鳴き声が空いっぱいに響き渡った。

見上げる空では黒い影としてマガンやヒシクイと同じように映るハクガン。しかし一旦湖面に下りてくると夕闇の中で白く浮かび上がる。


スノーギース(雪雁)と言われる如く着水までの短い時間、彼らは暗闇の中で雪降るように下りた。

日中何処にいるのか皆目見当が付かなかったガンの群。注目しているハクガンは思った以上に数を増やしているようだ。今夕見た限りではすでに数百羽という規模になっているのでは。
今後どんな場所でどれほどの群と出会えるか楽しみだ。現在水田に殆ど雪は無く鳥たちには過ごしやすく経過しているが、お天気にはこの先もそこそこでお願いしたい。

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