明け暮れ 我が家 お出かけ

昨日は受診 本日二件の看取り。

2022年12月30日(金曜日)

10月の検査入院でOKが出され、昨日は今年最後の受診だった。出来るだけ早く終えたいため8時には受付を済ませた。押し詰まった総合病院は心なしか空いた印象はあったが、循環器内科は変わり無く混んだ。

診察の結果、懸案の腎機能は発症前のレベルに戻り、心臓障害に付随してギリギリだった肝機能も綺麗な「数字が並んだ。年末に不安材料が払拭され心の荷が下りた。
前回、もう通わなくても良いでしょう、と言われたけれども、もうしばらく2ケ月ずつ通わせてもらうことになった。

今日から5日まで自院の年末年始休みに入った。
だが一日目の本日、朝早くと午後に看取りがあって出かけた。朝方の方は経過の一部に低体温症が関係しやや特異な経緯があった。
看取りに際して在宅、施設いずれであっても、ご本人の人生、および介護の家族やスタッフに対し深い敬意と慰労の気持を禁じ得ない。

本日も終日の雨。予報はこの先ずっと傘と雪だるまのマークが続いている。
絵と取り組むには良いのだが、一日くらいはなんとしても晴天が欲しい。

一歩も外出しなかった週末。

2022年12月25日(日曜日)

今週末は土曜日午後から今日日曜日はずっと絵を描き、一歩も外出しなかった。花のサムホールサイズから10×10×5㎝の小さな3D キャンバスまで、面倒な葉を油彩で描くことに馴れてきて制作がはかどるようになった。

サムホールの大きさは22,7×15,8㎝と小さく、ハガキ2枚より一回り大きいサイズ。3D キャンバス同様、同じ絵を多数描き、描きながら習熟できればという考えでやっています。

現在5種類の椿を描いている最中で合計48枚に挑戦中です。風景の2枚は2本の木のバランスが悪く、木を塗りつぶし再出発を期しているところです。

バディ・デ・フランコの動画を出して
3Dの椿を描いていた所。

以下その動画です。


30年前の頃、
よくこのレコードを聴いていました。

クラリネットは軽くて音域が広く、好きな楽器です。学生時代には都内のあちこちに小さなライブ会場があり、北村英治をよく聴きました。

クリスマスイブの食卓 母の子守歌。

2022年12月24日(土曜日)

信徒でもないのにクリスマス。
こどもの時からこの夜母は葡萄酒で真っ赤になり、私達ちは枕元のブレゼントを楽しみに寝た。今やすっかり年中行事となり、断りもなくキリスト教徒のお相伴にあずかっている。

少し前の時代くらいの信心をすれば良いのに、拠り所無く流れに押されるように生きてきた。先日髙田のキリスト教教会でコンサートがあった。信者さんとおぼしき人達を一種羨望の眼差しをもって見た。

さて今夕の食卓。

甥のパン屋「ハレノヒ」のピザ。
具は勿論、大切な生地が特に良かったです。

 

スーパーのケーキと鈴木秀昭さんのカップ&ソーサー。コーヒーは心臓病の後カフェインレスとなり、すっかり慣れた。

ところで昨日一昨日の記事で、スマホの目覚ましメロディの事から「我が母の教え給いし歌」を掲げました。
歌は、教えてもらったと言うより歌ってもらったという意味の歌詞から、どうしても子守歌のように感じられる。


子守歌「ねんねんころりよ」

「ねんねんころりよ」は江戸の子守歌として多くサイトに載っている。東京子守歌という呼び名もあった。

私事で昭和23年に妹が生まれた。その子育て中、母が「ねんねんころりよ」を歌うのを何度も聴いた。小学3年生のころだったと思う、母の歌を初めて聴き、妹がとても羨ましかった。
私は、生まれて一年経ってすぐ弟が生まれたので、母の子守歌をじっくり聴いている暇が無かった。

不意なドカ雪 雪田の雁 その後のスマホ。

2022年12月21日(水曜日)

まあまあの晴れ間だったが、予報よりも気温が上がらなかった。
半分は溶けるだろうとタカをくくっていた雪はほぼそのままで、いっそう固く締まったようでもあった。

早めのドカ雪に冬鳥は困っているであろう。午後特養の回診帰りに田んぼを見てきた。白鳥を見なかったが雁の大きな群を目にした。
ねぐらの朝日池は一面雪に覆われている。雪は固そうで、一昨年のように鳥はあちこちを漂泊することになるのだろうか。

ほくほく線側に寄って何百の雁の群。千は居るかもしれない。ちゃんと食べ物にありついていれば良いが。

さて新しいスマホを購入して明日で1週間になる。
十何万円もしたのに棚の飾りのままはさすがにまずい。気象、医療保健関連、ニュースや動画のサイトを表に載せた(正式な方法では無いかもしれない)。
分からなかったQRコードの位置は、ドコモショップの三日後の予約日に、外出した妻が出してもらってきた。
それで最も肝要だった抗コロナウイルス薬「ゾコーバ」の使用届けを読み取り、ミスタッチを繰り返しながら指示に従いシートにあれこれ記入し「完了しました」までたどり着いた。
先から受諾の返事が無いので、果たして受理されているか、スマガー(スマホ嫌いの造語です)には自信が持てない。

すると製薬会社のプロパーさんがひょっこり現れ、大丈夫ですよ、まとめて返事が来るはずです、と言った。

そして目覚まし。
これこそ最初に出来た事だったのだが、途中からさっぱり言うことを聞いてくれなくなった。ドボジャークの「我が母の教え給いし歌」をメロディに選び、バイブを不使用にしたのが、いくらやっても音楽が鳴らず、嫌なバイブ音だけ鳴るのだった。

どれだけ時間を費やしただろう、何度やってもダメで悲しみと怒りのあまり、明日除雪車に轢いてもらうか、おでんの具に入れて懲らしめてやろう、と考えた。自分は哀れなシシュフォスか、言葉は悪いが奴隷の奴隷になってしまったような悲しい気持である。

ウィキペディアからティツィアーノの「シシュポス」。繰り返し大きな岩を山頂までただ運ばなければならない。

そこまで追い込まれると不思議なもので、そもそも「設定」が問題ではと気がついた、見覚えのある設定ボタンを押して一覧を見ると「音」設定で音声×、バイブ○になっていた。
用も無い電話やメールの着信に備えて、初めに自分がそうしていたことだった。

チェックを変えると当然だろう、希望通りになった。
これでまだスマホを手許に置くことになったが、当分不信を払拭出来ない。


明朝、本当にこのメロディが鳴り目ざめるのか?
{動画はクライスラーのモノラル演奏です)
A氏のSP盤で聴いていた演奏かもしれない。

 

甘美な曲なので、何度も二度寝しそうです。

極端な浜雪 もらい物のセーター。

2022年12月19日(月曜日)

願い空しく昨夜からの雪は厄介となった。
今冬お願いしている方から朝方除雪をして頂いた。3カ所13台分だから大変だったことだろう。

 

スタッフ駐車場と私のカーポート。

出入りは全く問題なかったが午後の在宅訪問で、国道に出る狭い十字路を左に避けて待ったところ、道路除雪された雪塊に踏み込んでしまい、抜けられなくなった。
汗をかきかき何度も前後を試みやっと脱出できた。その間国道から専用車線で進入る車とすぐ後ろの車は根気よく待っていてくれたが、信号2回分も待たせてしまった。例年この交差点の除雪は上手く出来てないため難渋する。3件のワクチンを終えた帰路は少し遠回りしてここを避けた。

シーズンはじめは山間より浜すじに降雪することがよくある。今年の妙高、関山はゼロだとニュースが伝えた。しかし当地で25㎝ほどだが、これほど極端な浜雪は珍しい。

 

妻が友人からもらってきた手編みセータが大きいということで私が着ることになった(私に着せるためにもらってきたようでもあるが)。とても良く出来ていて温かく、有り難く着させてもらっている。

明日の雪の状況は少しでも改善されていてほしい。

髙田のホーリー・イブニング、教会の音楽会と青田川。

2022年12月18日(日曜日)

昨日からの寒波で潟町の自宅は10㎝ほどの積雪があり、強風が吹き付ける悪天の日曜日。
そんな日、午後3時から始まる髙田カトリック教会の「クリスマス バロック コンサート」を聴きに行った。足もとは悪かったが同業先生お勧めの音楽会、ヤリが降っても行こうと出かけた。

髙田に着くと雪はうっすら、風もほどほど、大潟区との異なりに少々驚いた。
初めて訪れる教会のホールは大きく、3人掛けのベンチと長テーブルは余裕があった。

薄井志都さんのフルート、腰高多恵さんのバイオリン、小松園子さんのオルガンピアノで前半のバッハや聖歌、ヘンデルなどが演奏された。初めて耳にする曲もアンサンブルは美しく響き、心洗われる演奏に惹きつけられた。

プログラム後半はゲスト出演、ニューヨークから来日中の波多野聖子さんのソプラノが加わった。波多野さんの歌は出色で、力み無く良く響く多彩な声、妙なる楽器、いやそれ以上に力強い魅力に溢れていた。
シューベルトのアヴェマリア、アダンの「ホ-リーナイト」ほかを歌われ、いずれも歌い終わると皆さんがブラボーを我慢しているのが伝わったほどだった。

T先生、とても良かったです、有り難うございました。

以下教会のクリスマス飾り。

 

 

 

良い音楽を聴いたせいか帰路の西城町、青田川の眺めもホーリーな雰囲気だった。

 

 

明日は仕事場の除雪機が初仕事をする予定。

コマーシャル映像の今昔 上手く行かないスマホの転送。

2022年12月16日(金曜日)

頭が忙しい時に時々観る動画がある。ご覧になった方は沢山いらっしゃると思いますがコカコーラのコマーシャルでバブル期のもののようです。

映像は若者から老人達までさまざまな人々の幸せそうな場面がコマーシャルソングとともにちりばめられます。それぞれは特別な設定ではなく、いわば日常的な一コマです。

服装や風俗、行動などから今とは異なる時代のものであることが分かり、爽やかで明らかな懐かしさが感じられます。何か違いがあるのなら何なのでしょう。観ているとある一つのことが気になりました。皆さんは如何でしょうか。

遠近どの人も、どこにもスマホ(ケータイ)が写っていません。全て演出でしょうが、現在ではこれだけのシーンをスマホ無しで撮るのはむしろ無理なのでしょう(当時すでにpcやポケベルなどはありましたが)。

多くの場面で(コーラ以外)両手が空いているのも新鮮で、自由に触れあい反応しあい行為に夢中です。そのことが人が生き生きし、ひいては幸福そうに見えるのは私だけでしょうか。

ところで話変わり、在宅で長期間の処置で褥瘡が縮小しましたが、ある部分に出来た空間(ポケット)が中々ふさがらない方がいます。その方を外科で皮膚を部分的に切除する等修復治療(デブリードメント)を依頼するための写真を新しいスマホで撮りました。
カメラは鮮明で素晴らしいのですが、操作が不慣れで何度も撮り直しました。

傷と看護師さんの手。

帰宅してから画像を私のpcに転送しようとしましたが出来ず、スタッフにやってもらいました。しかしいざ自分一人になってやってみると上手く行きません。
あまつさえ途中で手が滑り、だれかに電話が掛かってしまい、その止め方も分からず、済みません間違いました、と言って相手が切るのを待つことが三回ありました。
※IT本来の価値はこの画像を相手のスマホかパソコンに直接送るのでなければあまり意味が無いのかもしれません。

そんな訳で私の新しいスマホは、早くも怖くて触れないピカピカしたものとして、そっと棚に置かれたままになりました。
電話帳?住所録?も以前のものと全く様子が変わっています。
来週になったら、医師会のIT関連の方に来て頂き、しっかりノートを取り今後のためにしようと考えています。

本日今年の最終日 来年の事を少々 新たな悩みの種。

2022年12月15日(木曜日)

本日12月15日は樹下美術館の今年度の最終日。 名残を惜しむ方達にご来館いただき誠に有り難うございました。

今年は、二つの企画展のほか自身の心臓の受診が加わり、自院では第6、7、8波と消長するコロナの外来、時に在宅診療にふりまわされました。

しかし合間に訪れる美術館や野や水田あるは海岸は心身を休め英気を養ってくれました。その点で仕事場の大潟区、美術館の頸城区の風光は癒やしに絶好で有り難く思っています。また美術館や野の草花、昆虫や鳥たち、そして雲にカメラを向けるのも愉快な事でした。美術館でお客様とお話させて頂くのも何よりも楽しく貴重な時間だったと思います。

ところで樹下美術館は屋根の雪がカフェの前に集中的に落下するため、すぐに窓が雪で塞がれてしまいます。
そんなことから冬期を休館にしていますが、開館の3月15日はのんびりする暇もなく毎年あっというまにやってくるのです。

さて来年の予定ですが、開館初めの展示として倉石隆は「デッサン」を、齋藤三郎は「壷」を飾る予定です。

また6月10日から企画として私の絵と写真の展示を予定しています。おそらく一ヶ月半ずつで写真を先に、次ぎに絵を展示することになります。
写真と絵画は館内の壁に掛け、室内設置のボックスにはこれまで集めた鈴木秀昭、正木春蔵、黒岩卓実各氏の食器を同時に展示いたします。また写真の時のボックスはかってコレクションを重ねた洋食器(カップ&ソーサーを中心に)を展示したいと考えています。

さらに秋になりましたなら、ボックスの洋食器はそのままに、同じく収集した篠崎正喜氏の絵画を展示予定です。

詳細は後日詳しくお伝えいたしますので、どうか楽しみにお待ち下さい。

 

最終日の午後のひととき美術館で。

美術館の後S氏が待つドコモショップへスマホを買いに行きました。私の現行は老人向きのらくらくフォンですが、QRコードの読み取りなどが上手く出来ないので買い換えたわけです。

1時間半ほどあれこれ契約に関する手続きをして、機種はギャラクシーにしました。最新式は二つ折りですが、大変高価なので、これまでのバージョンから新しいのを選びました。

買い物は楽しいはずですが、このあとに必要なアプリを入れたり、それらの使いこなしに相当な厄介が想像されるため、気が重い買い物でした。

カメラやゴルフ道具や衣類、靴などの買い物は楽しく、直ぐにでも使いたくなりますが、スマホは面倒が先立ってしまい、金額の割りには全く楽しくありませんでした。それもみな年か性格のせいで、スマホは現役を続ける限りますます必要らしいので仕方がありません。

使いこなす人に訊いたり、医師会の関係者に教えてもらいながら、最小限の機能を習得出来れば、と願っている次第です。
(実は私はワイファイの何たるかも知らず、ラインもクラウド保存も使ったことがないスーパーガラパゴスです)

新たな悩みの種。

あと二日の樹下美術館 「南国土佐を後にして」と亡き友N。

2022年12月13日(火曜日)

2022年度の樹下美術館の最終営業日12月15日(木曜日)まであと二日となりました。
15周年を迎えた今年は「齋藤三郎ゆかりの人々展」と「ふる里上越 主体美術協会の人々展」の二つを特別企画させて頂き、例年に比し多くの皆様にお越し頂き、深く感謝申し上げます。

3月15日から開館後の9ヶ月間はそれなりに長いはずでした。でもこんなに早く終わってしまうとは、歳月に代わってお詫びしたい気持です。

このところ悪天候もありましたが、名残りを惜しむお客様でかなり忙しくして頂き、有り難うございます。

振り返れば今年は学友のNを亡くした年でした。大学の6年を一緒、卒後も7年間同じ医局に所属。20年前からはKとともに毎年1回夫婦3組で食事会を続けました。

Nは高知県出身で穏やかなうえに粘り強く、時折口にする冗談は自分から先に吹き出してしまうような純粋さがありました。高知の結婚式では「皿鉢(さわち)料理」が振る舞われ、桂浜を案内され、教授とともに土佐カントリーのゴルフも招待されました。

「スギちゃん、スギちゃん」と寄ってきては、耳元で話す短い話は他愛ないが何故か面白く、問題の際には核心に照らして返される反応は的確でした。

昨夜の音楽番組でコーラスグループが「南国土佐を後にして」を歌った。すぐにNを思い出し、詩情も人情もある歌にあらためて聴き入り、土佐弁のこまやかさに心温まった。名曲ではないでしょうか。

寂しくなった私達、心からの冥福を祈るばかりです。

遠来のお客様が帰られた 塵穴 椿の絵。

2022年12月9日(金曜日)

二日強風が続いた後の昨日木曜日は終日シトシトと雨が降った。

一泊された東京のA氏は午前中に小林古径記念美術館を観て、樹下美術館へと来られた。昼食をご一緒すると、齋藤三郎の湯呑、盃展は親しめてとても良かったと仰った。

昼食は駅弁を妻が用意したいも煮汁などで食べ、その後茶室でお抹茶を服した。茶碗は昨夕からお付き合いして頂いているB氏愛蔵の荒川豊藏の粉引(こひき)だった。初めて手にする茶碗は豊藏に縁があった南禅寺管長ゆかりの品で、とても気品があり穏やかだった。

食事のあと白鳥を観にA氏を頸城区の田んぼへと案内した。4つのグループを間近に見てとても驚かれていた。
夕刻電車の時間が近づくとB氏が駅へと送ることとなり、美術館でお別れした。

食事中にお話された塵穴のこと、雰囲気が良く大変勉強になりました。当方の茶室路地にそのしつらえが無く、瓦などを使って自作が出来るか考えようと思いました。
すでA氏からは塵箸を頂いているので、あとは穴をこしらえ、路地をグレードアップしたいと考えている次第です。
来年はそれもご覧頂けるよう楽しみにお待ち致します。

本日は昨日の西王母椿の続きをして葉をまあまあまで塗りました。

昨日の様子(サムホールサイズ)。

本日の進捗。
葉と花びらを強化しシベを描き、細部をチェック、バックへと進みたい。
水彩の時もそうだったが、ある時点に到達すると
全体が生き生きと立ち上がる瞬間がある。
この度もそうなることを願っている。

 

風景画に問題がある一方花の制作は案外はかどるようになった.。

この先一日ひと筆ずつで良いので楽しみながら毎日続けようと思う。いずれ完成したものをご覧いただきたいと願っています。

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