明け暮れ 我が家 お出かけ
先週末の新潟市秋葉区訪問その1 フラワーランド、新潟市新津美術館。
昨日日曜日、新潟市は秋葉区金津へ行った。同区の新潟市新津美術館を訪ねること、隣接するフラワーランドと向かいの県立植物園が目的だった。
かなり遠距離なので出来るだけ高速道路が良いのだが、ナビは予想に反しずっと手前の燕・三条インターで下りるように指示した。しかし過去の秋葉区行きに従い、距離は長くなるようだったが磐越道を走った。
懸案の三施設は丘陵地の入り口でお互いが隣り合うようにあり、私は初めての訪問だった。
近い順からまず花の街、秋葉区の新津フラワーランドに入った。
沢山あった雪割草、1万円前後の高価なものが揃っていたが自分たちは千円ほどの3点を選んだ。それでもきれいなものがあった。
黄色が美しい花が多く付いたクリスマスローズを2鉢と樹下美術館駐車場脇に植える予定で白梅の苗木1本を求めた。冷たい雨降りにも拘わらず館内は鮮やかな花々と人で賑やかだった。
続いてお隣の新潟市新津美術館へ、傘を差せないほど強風の空。
スケールの大きさに圧倒される。
一階のアトリウムは白色大理石の
造形的な階段だった。
同館では「笹岡了一と新潟光風会の作家たち」展が1/20(土)~3/10(日)の間、開催されている。
以下いずれも展示されていた笹岡了一作品のごく一部です。撮影OKでした。
「習作」(左)1931年と少女の習作(右)
優れたデッサン力は生来の賜物では
ないだろうか。
タイトルを見損ねた戦地のひとこま。
従軍した者でなければ描けない
転戦の合間に訪れた時間。
優れた構図の大作だった。
笹岡了一氏は1907年(明治40年)生まれ。早く画業に勤しみ20才から38才まで繰り返し応召、頻回の戦場体験は生涯深く作品に反映されていると感じた。
氏は精力的な発表の傍ら日展審査員、日本美術家連盟委員を歴任、新聞小説ほか挿絵、美術書で活躍、他方後進と地域貢献に注力され、光風会館建設を主導されている。
79才の没年には600名が参列する流山市の合同葬が行われ、夫人によって163点の作品が新津市に寄贈され同館の中核である笹岡作品の礎になりました。
本日はこの辺でお終いにし.て次回新潟県立植物園を記載する予定です。
昨夜から今朝に掛けて雪が降り当地周辺では5~15センチは積もって除雪車が出ました。
文中誤記多く申し分けありません、視力が落ちていて近々受診を予定しています。
去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その3 鎌倉の梅。
冷たい雨がそぼ降る23日午後、道中タクシーを依頼し、降りては傘をさして鎌倉の梅巡りをした。若い運転手さんは親切で、回りたい社寺のメモを渡すと順序よく走ってくれた。
初めの寺は宝戒寺。参道入り口に数基の庚申塔が保存良く並び、献花もされていて感激した。
お菓子屋さんはありますかと運転手さんに訊くとすぐ連れて行ってくれた。
古い店内一杯に餅や飴のお菓子が並ぶ。品の新鮮さへの配慮が良く伝わった。
続いて明月院へ。
道順は北へと移動し北鎌倉で終わった。小さな北鎌倉駅から横須賀線に乗り東京駅へ。
写真をご覧になってお分かりだと思うが各地の梅は盛りを終えていた。熱海、鎌倉はさらに東京よりも早いようで、いわば残花巡りの様相だったが、冷たい雨の両日よく回ったと思う。
有名観光地といえども通年にわたって人を集めるのは難しかろう。それでもこのたびの各地は社寺を中心に四季の花に力を注ぎ、冬は梅として努力を続けているのは立派なことだと思った。
その梅も終わりとなればクリスマスローズや馬酔木、椿、ミツマタ、マンサクなどを混ぜて何とか応えようとするのは有り難いことだった。
花は仏の化身、特に古都鎌倉の吹き出すような梅の盛りを想像し是非再訪したいと思った。
去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その2熱海梅園と澤田政廣記念美術館。
去る22,23日は強い寒波の中、雨降りの小旅行。電車以外の現地移動はタクシー、そのほかは寒い中を歩いた。せっかくなので文句も言わず各所を巡った。
本日は前回に続き2日目の午前で、熱海梅園とそこに接する澤田政廣(せいこう)記念美術館へ寄った。
澤田政廣は文化勲章を受章された人で、氏の晩年になる爽やかな仏像が展示されている我が糸魚川市の「谷村美術館」が浮かぶ。館内には彫刻のほか絵画や書が展示され、鮮やかな色彩と素早い動的なスケッチに目を奪われる。建物は糸魚川の方が早く、ここの全体には谷村美術館の外観と内部構造に類似した雰囲気が感じられた。
庭の展示は谷村美術館にないもので、雪の有無の違いが現れたのかと考えられ、楽しく印象的な美術館だった。
庭の「黄泉のしこめ」S31年。
逃走と生成の神話的なイメージ。
館内、「あたみニュース」から。
「人魚」昭和44年。
外壁から見える「ともしび」昭和21年。
戦争直後の慎ましさが伝わる。
外観は中央アジアの砂漠に現れる
構造物のイメージ。
谷村美術館を研究したようだ。
何度訪ねたかもう覚えていないが春になったら谷村美術館を訪ねたい。何度でも行きたい美術館だと思う。
さて澤田記念美術館を出るとすぐ熱海梅園(むしろ梅園内にある)。かなり急な川に沿った谷間があてられ、滝や橋が景観よく配置されている。お天気が良ければいっそう清々しかったに違い無い。
ヒヨドリがウロを覗き、傍らに
クリスマスローズが咲いていた。
梅はほぼ盛りを過ぎていた。寒いため売店で温かなお汁粉をた飲んだ。これだけ寒ければ余計思い出に残ろう。
昼に熱海を発ってJR東海道線でほぼ1時間大船へ。横須賀線に乗り換えて隣駅が鎌倉だった。
鎌倉の梅めぐりは次回予定させて下さい。
本日こちらは風が吹いて荒れ模様、関東一円のあの寒さはどうなったのでしょう。
去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その1都内と熱海 懐かしくも嬉しいTVの浅田彰氏。
この4,5年の間に京都・奈良および鎌倉へ旅行した。その都度訪れた方々の社寺で梅の木を見た。特に2019年12月の鎌倉でそれに気づき、翌2020年2月に鎌倉を再訪し梅を観ようと宿泊・交通の予約も済ませた。ところが運悪く予定を見計らったようにコロナ禍が始まり旅行は中止となり4年が過ぎた。
一方木曜を休診にして一年、このたび金曜日が天皇誕生日だったので2月22,23日は連休となり、熱海で1泊、東京、熱海、鎌倉で社寺、梅園など梅の名所とされる場所を巡り、ほかに二つの美術館を訪ねた。ただ両日とも各地で気温が下がり行った先々は大変寒かった。
22日午前上越妙高駅を発って10過ぎに上野へ、そこから湯島天神と亀戸天神社を訪ねた。今冬は温かく、花期の長い梅とはいえ盛りが過ぎ、花は遅咲き中心の観梅だった。それでも両神社の花は風情良く周囲と調和し、冷たい小雨のなか飽かず眺め歩いた。
上野駅の千葉県フェア。
特に房総は花の産地、
明るい春の花が一杯。
当日最初の湯島天神は4年前の年末以来。随所の合格祈願の絵馬の棚はぱんぱんに膨らむほど。
文京区の湯島天神から江東区の亀戸天神社へ。以下の亀戸天神は初めてだった。
遅咲きの梅が見頃。
赤い太鼓橋が印象的な神社。
藤も有名らしく是非観たいと思った。
カメラと傘で手がかじかむ。例によって昼食を端折り13時ころの東海道新幹線で東京駅から熱海へ向かった。1時間45分ほどで熱海に着く。熱海は一度だけ学生時代に海岸を歩いたことがあった。このたび駅周辺のあまりの混雑に驚いた。見た目若い世代が特に目立っていた。移動はタクシーで行ったが運転手さんは、若い人達はほとんど日帰りだと仰った。
皆さんに勧められたMAO美術館へ駅から直行した。もう何十年も前の開館なのに初めての訪問、しかし大勢の来館者を集めている。黄色や青の大きなトンネル内のエスカレーターを乗り継いで美術館エリアへ上った。これだけで他で味わえない巨大な空間と色彩が楽しめた。
秀吉公の黄金茶室の
忠実な再現と茶道具の階具。
ここで茶を飲むとはどうしてもピンとこない。
聖観音(上)と如来(下)
多くの寺院で本尊や諸仏が秘されるが、当美術館のように明るく公開されかつ撮影が出来るのは夢のようだ。
当作品の台に影が無く、極めてこまやかな照明が施されている。猫はエジプト彫刻のパステド神を思わせ、柔軟で敏捷な気配を漂わせていた。
前田正博作「色絵銀彩角鉢}
当館に同氏の抹茶茶碗が二碗ある。
氏の作品が展示されていて喜んだ。
朝方の当地より東京や熱海の方が寒かった。そんな日に梅を観てああ日本人だなあと思い、MAO美術館を観て創設者の凄さに驚いた。
この晩入浴後、妻がBSで浅田彰が出ている番組を観ていて驚いた。もう一人のゲストは先崎彰容(せんざきあきなか)氏で番組はBSフジの「プライムニュース」だった。
論題は現代の戦争、原理主義、グローバル資本主義、格差、分断などが論点だった。一応左右の論客である両氏の説諭は思慮深く、激しい論争や制止、中断も無く相互に十分な発言が保証された良い番組だった。
ネット時代の初め頃、方法としての二進法原理がより深く社会に浸透し、世論も単純かつ二分化を強めるのではないかと危惧した。案の定、社会は複雑な理解を要とする中間的立場や中庸を許さない傾向を強め、思考、思想の単純、幼弱化と分断に落ちていくのを自分なりに心配していた。
番組の最後に二人は今後日本の処方箋は?と問われた。
浅田氏は「処方なし」とボードに書き、“良いといわれる薬はニセ薬が多い。今後もみな苦しみながら生きる”と追加した。
先崎氏は「寛容」と一言ボードに書いた。
昭和50年代、辛さが続いたころ、浅田彰や柄谷行人などの本に拓けた頭脳と思考にまぶしさを覚え、繰り返し読んだ。当日のTVから浅田氏が随分分かり易くなっていることが伝わり嬉しく思い、一方で沈着なポジションが一貫されているのを知り立派な事と心打たれた。
また「右」と自ら述べられた先崎氏も広い足許に立たれ、談中この先大切なのは「理念」jと指摘されて共感した。最後の「寛容」は高校時代の恩師渡辺フミ先生が繰り返し説かれた二文字で、これを右寄りの人が言及されるのを聞き、日本はまだ希望を持てるかもしれないと思った。
番組を視聴していた妻に感謝だった。
次回は23日午前の熱海梅園と澤田政廣記念美術館を記す予定です。
やはりそうだったのか、その2ピーナッツ?
一昨日のこと、珍しく家に殻付きのピーナッツ(落花生)がやってきた。粒が大きくからからと乾いている感じは食欲をそそられる。午後遅くパチンパチンとやりながら7,8個食べた。
当日夜遅くまでかけて倉石隆の告知資料やブログを上げると落花生のバチンバチン、カリカリを思いだした。五つ六つだと思うが手にとって美味し口にし、しばらくして寝仕度の後就寝した。
順調な睡眠だったが、早朝4時ころお腹がシクシク痛みはじめ目が覚めた。痛みは臍を中心にあちこちに来る。引っ張るように、縮むように、ツンツンシクシクと絶え間ない。
ゆっくりだが痛みは強さを増す気配。時に息をこらえなければならなこともあり、額にうっすら汗が滲んだ。
吐き気も無ければ下痢の気配も無くただ痛む。我慢しながら過去に似たことがあったか思いだしてみるが思い当たらない。
もっとも嫌なことだがイレウスが始まるのか?だが時々腸からググッという音が聞こえ、お腹のどこにも張りやガスの溜まりを思わせるものが無い。
一体何だろう?トイレへ行ってみる。入り口の鏡に映った自分は顔色を失い真っ青になっている。普通の便が普通に出たが冷や汗が止まず、急に立つと倒れそうなので万事ゆっくり動作した。
カサカサと唇が乾いているのでベッドサイドのポットから二杯の湯を飲み、念のため胃薬と整腸剤を飲んだ。3、40分するとほんの僅か薄らぐ気配だが痛みは続き、寝返りを繰り返すものの寝つくことは出来ない。
すると腸のある部分に食べたピーナッツがこなれずに塊としてじっと残り、腸が必至にあれこれ動いて消化を試みているのが映像の如く浮かんだ。さらにその辺りが薄赤くなり炎症を帯びているイメージも。
ピーナッツ?
再び胃薬と整腸剤と湯を飲んだ。しくしく痛みは続き、ついに西念寺さんの朝の鐘が鳴って6時になった。
そして7時になり、起きた妻に「腹痛のためあの方たちとの昼食は一緒出来ない」と告げた。当日昼、お二人の友人と食事の約束があった。
それから眠気に襲われ、昼近くに「行ってくるけど大丈夫?」と妻に訊かれ、大丈夫、行ってきてと返事をした。随分良くなっているのが分かりまた眠った。
目が覚めると午後3時を過ぎており、帰宅した妻に起こされた。花束が差し出され二人からのお見舞い、ということだった。
痛みはすっかり無くなり全く普通に戻り、夕食は粥を食べた。
恐縮至極のお花、バラ、デルフィニュウム、
カーネーション、アルストロメリア、、、。
本当に申し分けありませんでした。
さて調べてみるとピーナッツは優れた食べ物だが消化に時間がかかり、時に食べ過ぎなどで消化不良を起こし腹痛や嘔吐下痢を生じることがあると載っていた。
こともあろうに妻は「かってある検査を受けた時、寝る前のピーナッツは避けるように、と医師にいわれたことがある」と言った。
詳らかな証拠は無いが一件は「やはりピーナッツ」だったようだ。せっかくの約束と祝日を寝て過ごしてしまい、年も考えて厳に気を付けなければと反省の一日だった。今回痛みが主だったのは幸い軽症で済んだせいかもしれない。
本日の三和区行き 小澤征爾さんが亡くなられて。
本来ならば本日は晴天となり、遠くへ行かなくても妙高山がきれいに見える三和区へ行くつもりだった。ところがまあまあの空だったが妙高山は雲に隠れたまま。それでも運が良ければ山は見えるかもと期待して出かけた。
本日はもうひとつ、一昨年まで仕事でお世話になった三和区のAさんに急遽お会いして、お目当てのカフェ「喫茶去」と近くの山高津の池へご一緒することになっていた。伺うと思いもかけず「上がって」というお言葉でお茶をご馳走になった。
手入れをされた旧家の風情が漂うお宅。周囲の水田、遠くの杉木立。小学一年生のころ一度だけ訪ねた清里区にあった親戚の家を思い出した。あるいは満州からの引き揚げで、フラフラになってたどり着いた佐賀県の母の実家の安堵が蘇るのか、山が見える田舎の集落の家には一種思慕のようなものを覚える。
お茶を頂きながら昔話や土地のことなどお話しして喫茶去と山高津の池へ向かった。
このたびで五回目の「喫茶去」。
いずれも晩秋か冬なのが不思議。
結局妙高山は姿を現さなかった。カフェで美味しい茶を飲みながらAさんと妻は女子校の同窓であること、共通の知人が何人もいることなど思わぬ縁に驚かされた。
本日妙高山の雪景色が撮れればヴィヴァルディの「四季 冬」の第1楽章を掲載する予定も叶わなかった。
さてさる6日、偉大な小澤征爾さんが死去された。私は2回しか氏のコンサートを聴いていません。しかし周囲には年に複数回聴きに行かれる方や氏とのツーショット写真をお持ちの人もおられ、とても羨ましかった。
チャイコフスキー「弦楽セレナーデ第1楽章」
アカデミー -スイス-によるサプライズアンコール曲。
美しい音階と和声、若者育成への情熱が伝わる。
そんな私だが小澤征爾さんと唯一わずかな共通点がある。氏は1935年満州国奉天市生まれ、不肖私も7年後同じ奉天市で生まれた。どこか心の片隅でそのことに恥じないように、出来れば誇りにしなければと、思い直している次第です。
誕生日の追加 週末の鳥 2月とは。
2月1日が誕生日で、はや4日目です。自分の事をいつも老人とか高齢者と書くのはモヤモヤしますし、第一誕生日を記しながら何才と記さないのも失礼なようででもあります。それで恥ずかしさもあり以後何度も申しませんが、お陰様で82才になりました。
この先は、いくら先人の通った道といえ私にとっては全てが初体験(これまでもそうですが)。弱気を口にしたらキリがありませんので、出来れば年のことは知らぬ振りをしながら生活し、出来るだけブログも続けたいと考えています。
さて蝋梅に触れました1月24日には「冬本番のさ中」と記しました。それから10日、この週末は寒かったのですが日が伸び、かつ高くなるのが感じられ、外に出ると僅かながら春の気配を感じました。
このところ沢山飛来しているはずのハクガンに中々お目に掛かれません。
一昨日土曜日午後は柿崎、吉川、大潟、頸城の各区から三和まで観て回りましたが、主にコハクチョウとマガン、ヒシクイを見るだけでした。
上掲の場所に次々と雁が舞い降りたが期待したハクガンは一羽も現れなかった。一体何所にいるのやら。
オオバンはカラス、カワウと並び黒い鳥の代表ではないでしょうか。僅かな尻尾とくちばしの上に白い額板という部分があるのが愛嬌です。枯れ草の下に生えているらしい若草を食べているようでした。
本日午後しばらく陽が射しました。
先ほど2019年から毎年2月のブログをざっと目を通してみました。
2月は日射しが強くなること、クリスマスローズが咲くこと、思わぬ雪が降ることなどがよく見られていました。
また2020年2月に、新潟県で初めてコロナ感染者が出たと記されていました。
先の事が全く理解できずあたふたと過ごした当時を懐かしく感じました。ただ5年目に入りましたが相変わらず集団的な発生は止んではいません。
この数年ハクガンを沢山見るのも2月でした。今期はこれまで最大の群が来ているようなので期待したいと思います。
いつしか今年の開館までもう少しとなり、毎年緊張する時期です。近いうちに今年の展示予定を掲載致しますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
本日誕生日だった。
本日2月1日は不肖私の誕生日。今年1月の人口推計では日本の人口は1億2409万人ということなので同じ日の生まれの人は一先ず365日で割って約34万の方がおられることになる。
するとこんなに大勢の人と同じ誕生日ということで何か心強い気持がしてきた。しかし同じでも最も高齢に属する方なので一番尻尾にくっついている、というかお邪魔している感じがする。いずれにしてもあらためて精一杯頑張ろうと思ったし、それ以外無い。
上掲は去る1月29日午後5時頃、美術館の庭にあったウサギの足跡。ウサギは冬眠をしないようだがこの辺りで巣穴を見たことがない。どう寒さを凌いでいるのだろう。
お客様が通る庭を今はウサギが行き交っている。悪くないと思った次第です。
昨日の夕食は宮城の弟から届いたマダラだった。弟も2月生まれで1才しか違わない。いや今や同じ年のようなもの。この一、二年は「さん」付けで呼ぶようになったし、長年、年長ぶっていたことを詫びたい気がする。
上掲写真は本日運転免許の更新で行ったセンターで使用される立体駐車場。以前は豪雪のことも度々あり駐車場で苦労し、更新には良い思い出が無い。
2月生まれの人に会うと年は違っても普通以上のシンパシーを感じる。「同じ星のもと」という感じなのだろうか。
高齢者や不自由者に向けた交通機関のサービス。
地震と旅行で始まった2024年1月は早くも下旬に入っています。
すでに遠いものとなりつつある西国への正月旅行。見聞したことの興味は尽きませんが、一つに不自由な人や高齢者について交通上の配慮が良くなされていることが印象に残っています。
JR奈良線の優先席表示。
高齢、障害、妊娠、疾病、赤ちゃん連れ。
車椅子、ベビーカーが続いた
構内エレベーターを待つ列。
特に欧米人のベビーカーの多さが目に付きました。彼らは数泊などではなく10日、2週間と長期滞在することが多いといいます。日本のほか前後して他国も旅しているようですので連日の移動は大変だろうと思いました。しかし淡々と落ち着いて行動する様子からタフさに驚かされました。
私達はJR奈良線とJR山陽本線を利用ましが、常に乗り口脇の優先席に喜んで座りました。いつしかそうするようになった自分たちですが、そのことに驚かなくなっているのに驚きます。
正月旅行の最終日、聖僧良寛が修行した備中玉島円通寺。
備中(岡山県)倉敷市の西南端である玉島は北前船で大いに栄えた商都です。瀬戸内海を望む玉島の高地に正月旅行の最終地、曹洞宗円通寺がありました。
江戸後期、我が越後の人良寛(以後良寛さん)は、生地出雲崎で巡り会った円通寺の高僧国仙和尚に付いてはるばる玉島まで旅し和尚のもとに入門、22才から11年間にわたり禅の修行をしました。
国民宿舎「良寛荘」
団体さんで賑わっていました。
タクシーで坂道を上り良寛荘に到着すると、地域振興と良寛顕彰に熱心に取り組まれる葛間さんと早川さんのお二人に迎えて頂きました。
良寛荘を出て見た瀬戸内海。良寛さんの当時、海岸線はもっと手前まで接近していたそうで、埋め立ても無く眺めはさらに絶景だったに違いありません。
円通寺境内には老いて樹勢が衰えつつある「良寛椿」と呼ばれる白椿の古木があります。良寛さんの修行時代からあるといわれ、現在それを挿し木などで増やし、上掲の場所で「良寛椿の杜」を目指して植樹されていました。
円通寺の山号は補陀洛山(ふだらくさん:観音様の降りてこられる場所の意味)です。寺院があるのは白華山という山の中腹で参道は少々急な山道でした。
国仙和尚に従って参道を上る図。
右下に師と良寛が描かれています。
参道途中、納骨堂である覚樹庵の前に太い幹の良寛椿。白椿だそうですが、これだけ太く大きな木が椿とは。しばらく前から花が途絶え、関係者の努力で僅かながら開花をみるようになったそうです。現在新たに採った苗は前述の「良寛椿の杜」で熱心な植樹に用いられています。
円通寺の竹林のことは、禅のシンボルの一つとして良寛研究家の小島正芳先生からかねて伺っていました。
創建当時のままの端整が維持されている壮大な茅葺きの本堂は倉敷市の指定重要文化財。良寛堂への角に良寛像が安置されていました。
良寛さんが杖と共に
国仙和尚から印可の偈を
附与された高方丈南間。
1790年(寛政2年)良寛さん33才の時、この部屋で修行の終了を宣言する印可の偈を国仙和尚から与えられました。聖僧良寛の誕生です。偈とともに頂いた杖を頼りに世俗に飛び込む新たな修行が始まりました。
仁保哲明ご住職から
お話を聞いた一室。
ご住職には貴重なお時間を割いて頂きました。静かな自然体が滲むお人柄で、いっときでしたが修行をさせて頂いた気持ちがしました。
若き良寛像。
新潟県内で見る彫像より
ずっと若く溌剌としている。
岩のよろしさも良寛さまの思いで
昭和11年、円通寺を訪ねた山頭火。石庭で修行に勤しむ良寛さんを偲んで詠んでいます。
さてもっともっとと思いましたが時間が迫り泣く泣く円通寺を後にすることになりました。帰路は「新倉敷駅」まで早川さんが車を出して下さいました。途中の市内で越後長岡藩の名家老河井継之助の若き日の足跡を案内してもらいました。
河井継之助逗留地の碑。
倉敷ロータリークラブなど
によって建立されている。
河井継之助は1859年(安政6年)、当時借金に苦しみ続けた備中松山藩を劇的に再興させた漢学者山田方谷の門下として学ぶべく隣接する港町玉島へ上陸しています。児島屋はその時に逗留した船宿ということでした。
さて正月旅行の最終地、備中玉島円通寺の見聞を終了する時間となりました。私の準備不足で新倉敷-玉島の交通を、倉敷-玉島にしたため滞在時間を短縮せざるを得なくなりました。
にも拘わらず、早川、葛間両氏と仁保ご住職には大変手厚くして頂き感謝に堪えません。また旅行に先立ち、円通寺でお世話になったお三人に連絡をして頂いた全国良寛会会長、良寛研究家・小島正芳先生に深く御礼申し上げます。
話変わりますが40年前、自分には少々悩み多き時代がありました。なんとか越えなければと色々本を読んだり考えたりしましたが、畏れ多くも良寛さんには幻のように手を差し伸べてもらった気がしています。
当時、もしもこの目で見ることが出来るなら、次の三人を見たいと思っていました。
一人は良寛さんの少し前の時代、1818年生まれの我が高祖父玄作で、火鉢に手を焙りながら来客と話すのをすぐそばで。もう一人はイエス・キリストで、使徒を連れ荒野を歩くのを遠くから。最後は夕暮れの山裾の村を一人帰る良寛さんを遠くから、でした。
このたび円通寺から見た瀬戸内の冬陽は春のように明るく海は軽やかな青色でした。どんより重く暗い日本海との違いに師はどんなに驚いた事でしょう。険しい石庭もありました。ここで思いっきり修行しよう。若き良寛さんは勇んで意を決したにちがいありません。
悟り、強靱な足腰、師の教えと杖。印可の偈(いんかのげ)を授かった後、これらをを拠り所に、いずれ帰りたい越後を胸に仕舞い長い旅路に就いた良寛さんの円通寺。深い感慨をもって正月旅行の最終地玉島を後にしました。
後日早川さんから届いた良寛椿の苗。とても楽しみです。失敗する人もいるようですが、是非ともちゃんと育てたい。
御地倉敷市はじめ玉島および円通寺は諸行事、記念碑および像の建造、椿の杜づくりなど良寛さん顕彰の熱心さがとても良く伝わりました。古来豊かな商都であり茶の湯が盛んで戦後早くから「良寛茶会」も催されているとも聞きました。
晴れの国と雪国の妙、北前船の寄港地同士。良寛さんが繋いだ岡山県と新潟県は良縁にちがいありません。
さて以上、正月の拙い旅行記は長くなりました。一方で年明け早々の大地震。大災害は日が経つに連れ新たな問題が深刻化しています。
政治は各自懐にしたパーティー券代をまとめ、一刻も早く被災地へ届けたらどうでしょう。政治改革とはこのようなことから始まるのではないでしょうか。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 昭和100年、太平洋戦争80年の声無き声を思って。
- お盆14日は柏崎市の木村茶道美術館へ。
- 来たる10月25日(土)は小島正芳先生の講演会「佐渡島の金山と良寛の母の愛」。
- お盆休みに入って。
- お礼のランチ会。
- 明日夕方は満月。
- スタート時間を遅らせてもらったゴルフ。
- やっと降った雨 江戸千家の皆さまの来館 海上のカナトコ雲。
- 一見世界的アスリートには見えない山下選手 昨夜半の雨。
- 山下美夢有選手の優勝 雨音がしてきた!
- 大潟区の湖沼も水不足 来週には雨が降りそう。
- 庭の渇水対策は新たに井戸を掘らなくても間に合った。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2 ひと事ではない渇水。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 庭の井戸をもう一本追加 夏の食卓。
- 菓子工房caramelさんと樹下美術館のコラボレーション。
- 南の庭の花 今夕の食事。
- 逃れられない暑さ 高齢者の熱中症。
- 本日第21回卯の花音楽祭 被爆ピアノ。
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