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庚申塔その4、柿崎区は猿毛の庚申塔、すずきせいこさんと出合う。

2018年11月18日(日曜日)

6月からの石塔マイブームはまだまだ終わりそうもない。
二十三夜塔と庚申塔では、浦川原は顕聖寺(けんしょう
じ)、柿崎は楞巌寺(りょうごんじ)の各門前、そして三
和区のとある神社を訪ね、それらを当ページで紹介させて
もらった。
以後板倉区福王寺や山寺および柿崎区は小村峠と猿毛集
落も訪ねた。

本日は小村峠と猿毛で見聞した石塔を記してみたい。
一帯の庚申塔について、今はなき大先輩である笹原作二
郎医師が「柿崎町黒川筋の庚申塔」という一文を当地の
医師会報に書いておられた。
昭和59年のその会報は手許になく、医師会から取り寄
せると4ページに亘る紹介文と6葉の写真が載っていた。
先生は写真に優れ、県展で特選されたこともあった。

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昭和59当時の庚申塔が載った医師会報記事から冒頭の
2ページ。
モノクロ写真はドキュメント性を引き立て、石塔は魅力的
であり、在りし日の先生を思い出して胸熱くなった。

すぐにでもこの写真のところへ行きたい。
まずは去る木曜、午後休診日に猿毛と小村峠へ向かった。

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小村峠への道すがら。鮮やかに色づいた山とススキが
美しい。

 

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峠からの眺め。眼下に柏崎市西部の集落が。
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↑峠の高台にあった二十三夜塔。幅2メートル近くあろう
という巨大な石塔(もはや岩石)だった。
30年ほど前、ここにあった5,6軒の家はおよそ10年で
半分ずつ減って、いま全戸が無くなっていた。
残った大きな石塔は、二十三夜の下弦月の晩に女性達
が集い語り合った夜があっことを、なにより誠実な住民の
暮らしがあったことを如実に物語っている。
それは石塔が果たしている重い役割であるが、江戸期に
置かれた石は、“まさか自分一人になろうとは”と呟いて
いるのではなかろうか。

その日の帰路、猿毛(さるげ)に寄った。

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紅葉の山に囲まれた赤屋根が印象的だった猿毛集落の一部。

 

4'
道沿いで見た庚申塔。力強い青面金剛(しょうめんこん
ごう)は六臂(ろっぴ;六本の腕)。
お猿さんは中央に一匹、耳を押さえているのか、左右に
もいるようだが、はっきりしない。

そして本日、先掲の医師会報を持参して再度猿毛を訪ね
た。
先回は東側から入り、この度は西から入ってみた。

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この辺りで60才くらいの方にお会いし、会報の写真を見
て頂きながらて話を聞いた。
男性は軽トラに積んだネギを納屋に降ろしているところだ
った。
会報の写真を見ると、“道路補修によって今ここには無い
がすぐ近くに移してあるよ”と仰った。
有り難い。
今年のネギはどうでしたか、と訪ねると「良かったかな」と
笑顔で仰った。

石塔は本当に近くの良い所にあった。

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きれいに並んだ石塔群。手前は大きな二十三夜塔!二番
目に庚申塔。
記念碑を手入れ良く保存することは、それを残したかって
の住人の願いを大切にすることであり、山間の人びとの愛
郷心とその篤さが心打つ。

行政は各地域を総括する親あるいは子孫の代表機構であり、
他に代えがたい存在意義がある。
文化都市を謳うなら、先人を尊ぶ事業の一環として各地の
民の生活史である石塔や諸石仏を文化として手厚く保護し
紹介する義務を負っているのは論を待たない。

 

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先輩医師が撮ったものと思われる青面金剛の庚申塔。
金剛の六臂と三猿がかなりしっかり浮き出ている。
十像十色、それぞれに特徴があって面白い。

猿毛から樹下美術館に戻ると女性がお茶を飲んでおら
れた。
糸魚川市からこのたび開催された上越市の名家巡りに
来られたという方。最後の頸城区森本の白田邸の帰り
に寄った、と仰る。

お話するうち、小生がよく見るブログの筆者すずきせ
こさんだと分かった。
まさかである!
とても知的な方だ。
以前にも当館のことをお書き下さっている。
クラウドの人が眼前にいる不思議さと嬉しさで胸弾
んだ。

沢山お話したかったが、長岡市のコンサートに出かけ
る時間が迫った。
アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団と辻井伸行
さんのピアノが聴けるコンサートだった。

忙しい午後は長生きして良かった日になった。
コンサートのことは明日の予定にしてみます。
ついつい長くなってしまいます。

魚沼行きその4 雪囲い開山堂の雲蝶、お土産。

2018年10月31日(水曜日)

10月最後の本日は、風強く驟雨に見舞われ気温は下が
った。
二件の在宅回りでは一瞬パチパチとアラレ風なものが降
った。

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午後に短時間掛かった虹。

 

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在宅回りの空。
さて三回も続いた魚沼行きの記載は本日最終回。このたび
ちゃんとまとまるのか心配だ。

 

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前回は毘沙門堂でこの方に庚申講を聴く所で終わった。
明晰な人で、妻は電話番号などを渡し、是非樹下美術館へ
遊びに来てと言った。

昔から昭和10年代まで長く行われていたらしい庚申講の習
わしは、二十三夜の月待ちに劣らず興味深く、後に触れる
ことが出来ればと思います。

少々時間をオーバーした後、石川雲蝶彫刻の西福寺へ向か
った。
魚沼見物は上手い具合に目的地が連なり、何十分も車を走
らせる事なくほどほどで到着する。

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西福寺本堂と随所の花頭窓。

 

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左の開山堂と本堂の位置。

 

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開山堂は豪雪への雪除けとしてこのようなしつらえに
してある。
決定まで曲折があったに違い無いが、歴史的建造物を
守るのに正解だったのではないだろうか。屋根の守備
が最大の課題だったという。

開山堂の雲蝶は彫り色彩とも息を飲むばかりの迫力だ
った。今様にいえばクレージー、彫って彫って彫りまく
る凄まじさである。
9月掘川紀夫さんに連れ行ってもらった奴名川に於け
る削りと彫りの作品は雲蝶からのインスピレーション
ではないのかと、ふと思った。

彫刻作品は当寺院の貴重な財産。撮影不可は仕方無い。
ショップで写真集を求めた。

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雲蝶の本。トミオカホワイト美術館のものと樹下美術館書
棚に並べました。

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西福寺のお土産、とち餅を茶店で一つずつ食べた。

さて火頭窓の寺院と路傍の二十三夜塔への寄り道などで時
間が無くなった。
最後の予定地である堀之内の永林寺はこの度省略して帰路
に就いた。
西福寺から小出インターは近く、高速道路で帰った。

思えばこまごまとして忙しい魚沼行だった。
気がつくとこの日昼食を食べてなかった。

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夕食は大潟区のピザ屋さん「ココビーンズ」に寄った。
サラダとビザをことのほか美味しく食べた。

以下はお土産です。

 

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西福寺から越後上布をあしらったしおり。

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同じく西福寺で孫が喜びそうなコーラ。

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 雲洞庵から般若心経が書き込まれた念珠。

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西福寺の鈴のストラップ。かすかにシャリリリ(捨利利利?)
と鳴る。

ようやく魚沼のことが終った。見聞は同地のごくごくわずか。
ただ名刹と観光トンネル、それにロープウエイは観光バスと
マイカーでごったがえしていた。
八海山ロープウエイを予定していたが、行列をみて即止めた。
終わりに、一帯の風土に深々と漂う信仰の空気は得に言われ
ぬものがあり、身を置くだけで心地良い浄化を感じた。

道中で見聞した庚申講のことは後に触れてみたいと思ってい
ます。
お読み下さった方に感謝致します。

る魚沼行きその3、トミオカホワイト美術館、花頭窓、二十三夜塔。

2018年10月30日(火曜日)

一泊二日の魚沼行き。ノートに連ねて三回目になった。
駆け足ぶりが如実に現れ、少々恥ずかしいが本日その
3とさせていただいた。

日曜午前は雲洞庵で過ごし、その後トミオカホワイト美
術館を目指した。
魚野川の右岸国道291号を走ると道すがら寺院が目に留
まり、しばしば火頭窓の設えが見られて満足だった。

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南魚沼市は美佐島の大久寺。

 

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同市下原の西珠院。二寺いずれも花頭窓が爽やかだった。

さて丁度正午ころトミオカホワイト美術館に着いた。
有名な美術館だが不勉強がたたり、この度が初入館だった。
かつて昭和50年代の半ばに富岡惣一郎氏の作品展が地元
大和デパートで催され、見たことがあった。小品をと思っ
たが高価で全く手が出なかった。

求道者のイメージで描き続けた氏の作品は今どきの賑や
かな絵画を見慣れてしまうと、深閑としてハッとするほど
懐かしく、かつ不思議と新鮮だった。

 

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館内撮影出来ず作品図録を求めた。

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八海山の眺望が素晴らしい。

目的地、浦佐の毘沙門堂に向かって再び国道を北上する。
以下いずれも走行中目にして撮影しました。

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同市薬師堂の長福寺。

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同寺のオオマユミの実(上)と二十三夜塔(下)。

 

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南魚沼市は六万騎城という場所の地蔵堂。

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やや文字が判然としませんが、地蔵堂の二十三夜塔。

以後、道中こんなにあるのかと驚いたほど次々に二十三
夜塔と出合う。

 

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塔や塚は地域の整備事業や廃寺を機に沿道にまとめられ
たものも少なくないと聞いた。上越市で見た幾つかのも
のに比べて皆大きく立派だった。

午後二時半過ぎに浦佐は普光寺・毘沙門堂に着いた。
毎年正月3日の「裸押合大祭」で知られている。
一帯では神仏の催事が多く伝えられ独特の風土イ
ージ
がある。

まず仰ぎ見る重厚な山門はじめ幾つかのお堂が配置され、
見事なケヤキの巨木が随所に見られる。

 

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毘沙門堂は古く、9世紀初頭に坂上田村麻呂によって創建
されたという。寺院の普光寺は江戸初期に建てられ、諸堂
と回廊で結ばれている。
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山門の天上に谷文晁筆による二面の龍図が描かれている。

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山門はじめ諸堂は回廊でつなげられている。

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古山門(太子堂)にひっそりとあった花頭窓。境内にある
お堂の中で最も古いものという。説明書きによると、江戸
初期に髙田城主松平越後守が修繕したとあった。

 

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普光寺境内から西(左)の眺め、正面に千手院が見える。二
つの流れが落ち合い、苔むして如何にも古い景観。石段は
洗い場に続いていたものか。
神仏とともにある悠久を感じさせる一帯に生まれ育った人を
羨ましいと思った。

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片隅に庚申塚などと共に大小二基の二十三夜塔があった。
二つ並ぶのは珍しいかもしれない。

この日、境内で盛大な菊祭が行われており、年配の女性が案
内役をしていた。
その方に塔や塚について尋ねたところ、二十三夜の月待ちは
知らないが、庚申待ちは知っていると仰った。

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女性の話をメモしている妻。庚申講の食事について聴いて
いる。

さてここまで記載してきたが随分時間を費やしました。
たかだか県内の一泊ドライブ。皆さまご存知の場所を斯くの
んべんだらりと書き連ねてしまい恥ずかしく思います。

申し分けありません、魚沼のことは後一回書いてお終いにし
たいと思います。

魚沼行きその2、あこがれの 雲洞庵。

2018年10月29日(月曜日)

昨日は魚沼行き初日、土曜日午後を記載させて頂いた。
ホテル「ダ・フェールイン六日町」ではぐっすり休み、朝
食バイキングを摂ってこの度の目玉である 雲洞庵を目指し
た。

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十分な朝食(妻の分)。

 

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出てすぐ快晴の魚野川を渡る。ホテルはもともと川沿いの
旅館を改装したばかりだったという。

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さっそく沿道に現れた二十三夜塔。大抵庚申塚などと共に
置かれている。開発で元の場所から移動してきたものもよ
くあるようだ。

この春替えた車のナビが優れていて無駄なく目的地に着く。

 

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9時半前に到着。丁寧な庭掃きを目にした。

 

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美しく刷け目が施された大きな香炉(常香炉じょうこうろ)
に蝋燭とお線香を上げた。

 

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少し誇張すれば、夢にまで見た火頭窓が眼前にずらりと10
窓も並ぶ。窓はそろって半開され誠に爽やかだ。

どういう訳か建物の細部に目が行ってしまう。

 

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本堂の釘隠し。

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同じく釘隠し。これは水仙に見えた。

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禅寺らしく簡素な欄間。最初の釘隠しに似通っている。
木瓜紋(もっこうもん)をデザイン化したものか。

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菊水紋の釘隠し。足利時代に恩寵を受けた楠木家の家紋。

 

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外から見た回廊の火頭窓。何という幸せ、とにかく沢山ある。

 

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回廊の火頭窓。本堂と異なり幅広く嵌め殺しになっていて
とても明るい。※後日記:櫛形窓(くしがたまど)の呼び
名がある模様。

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位牌堂の先に開山堂。鏡の如くピカピカに磨かれている。
江戸時代の普請であるのに傷、塵ひとつ無い。どうすれば
こんなに綺麗に維持出来るのだろう、不思議なほどである。

 

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池を望む火頭窓。

 

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それぞれの窓から手入れされた風景が目に入る。

 

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曹洞宗では一仏両祖と言われるらしい。本像はその二祖で
ある道元と瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の像。

 

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手入れの良い各堂を巡っているうち、もてなしの心が伝わ
り、いつしか心癒やされ何かと有り難くなってくる。それ
で仏像や偈頌に手を合わせたくなる。

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精緻な飾り障子。

 

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観音。

 

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座禅堂。

 

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禅寺特有の魚板(あるいは魚鼓)。叩くと口から邪気を吐き
出すといい、木魚の原型。修業僧への食事などの合図に叩か
れる。

最後の宝物館は開祖師にまつわる品、あるいは歴史上の人
物(特に戦国武将)たちの書簡や身辺を彷彿とさせる道具類
が展示されている。

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上杉憲実愛用の茶釜。その後の名物に比較して地味な印象
を受ける。

 

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13世紀の中国の禅僧・天童如浄禅師の袈裟の端切れ布。
ぼろぼろになっているが大変に貴重な品であろう。
禅師は渡宋した道元の中国に於ける心からの導師。道元は
天童如浄から印可を受け、帰国して永平寺を開山、曹洞宗
の開祖となった。切れは二度と会えない恩人の形見だった
に違い無い。

 

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お別れにもう一度火頭窓を見る。

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帰りぎわの香炉にはその後の参拝客が上げたお線香が香って
いた。香炉にも鮮やかな菊水の紋章が見られた。

私のように教義に疎い者にとって、それが実践されている環
境に込められている丹精とその美しさに触れると、自ずと心
鎮まり癒やしに包まれる。

そもそも当寺院の縁起には藤原不比等の子の妻にまつわる物
語があり、庵寺(尼寺)の趣きなのである。優美な窓の曲線な
どはその事に深く関係しているのか。
現在の本堂は、江戸時代に出雲崎の大工の棟梁・小黒甚内に
よって再建されたものだというが、全く素晴らしい出来映え
だと思う。

さて、そのような訳でこの度は塔頭内の端っこばかり見てい
た。
“神は細部に宿る”という言葉があります。
明るく美しい火頭窓や廊下そして釘隠しや庭掃除。雲洞庵は
隅々へ意識が行き渡り、全体として私たちまで有り難くなって
いることに気づかされました。
樹下美術館もそんな風な心がけを少しでも実践して行ければ、
と願った次第です。

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11:45頃、巡り終えて茶店で抹茶を服した。

まだ幾つかの見聞がありますので、再々度記載させて下さい。
わずか2時間ほどの拝観でしたが随分長くなってしまいました。

魚沼行きその1、清津峡トンネル、六日町の夕べ。

2018年10月28日(日曜日)

昨日土曜日午後から魚沼地方へ出かけた。
目的の一つは今夏大地の芸術祭行きで時間切れとなった
清津峡峡谷トンネルを見ること。
二つ目は魚沼地方の寺院の火頭窓や路傍にもあるという
二十三夜塔に出合うこと。
さらに誠に遅ればせながら未だ見ぬ石川雲蝶の彫刻を見る
ことなど主に三つの要件があった。

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まず樹下美術館近隣(上越市浦川原区)の顕聖寺境内へ。
この度の魚沼行きを前に、あらためて火頭窓を見たいとい
う妻を案内した。雨上がりの静かな寺で窓が鮮やかだった。

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予習として同寺前の二十三夜塔も見る。

 

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幾つもの峠やトンネルを越えて清津峡へ向かう。

清津峡はかって20数年前に訪ねた時よりもずっと近い印
象を受けた。

 

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雨上がりのトンネル駐車場。紅葉シーズンのせいか大地の芸
術祭が終わっても大変な人気。

 

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清津峡の見事な柱状節理構造。柱状節理は高校時代に山崎
静雄先生から地理の授業で習った。魚沼地方の河岸段丘も
この先生から教わった。ぼんやりしていた高校時代だが先
生の地理は面白く、渡辺文先生の英語とともに部分として
記憶に残っている。

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途中にある見晴所の一つ。

 

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いずれも最後のパノラマステーション。逆光と薄く張った水
の鏡面効果が山峡の荒々しい景観と相俟って爽快な視覚体
験が出来る。

当日は六日町に出来たばかりのホテルに宿泊した。
近隣に食事処が多くあるのでそちらで夕食を摂るという大変
合理的なホテル。

 

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直近で鰻重を食べた。うなぎは久し振りであり質量とも上等
だったが、さすがに少々残した。

 

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食後に六日町の通りを歩いた。7時少し前ながら明かりが灯
った店がかなりあり、通りを楽しんだ。

所変われば村も街も変わる。普段家まわりを車で走る程度の
ため、山などを越えて見ず知らずの土地に来るとあたかも外
国を訪ねたようなエキゾチズムに襲われる。

本日長くなりましたが、あこがれの雲洞庵を始め二三の美術
館といくつかの火頭窓や二十三夜塔などを今後掲載してみる
つもりです。

大昔子供たちと行った五十沢以外、恥ずかしながらほとんど
知らない魚沼地方を駆け足で興味深く巡りました。残りのこ
とは後に掲載させてください。

SPレコード鑑賞会のお知らせ。

2018年10月10日(水曜日)

秋はいよいよ深まりいつしか夜は長くなりました。

少し先のことになりますが、今年のSPレコード鑑賞会を
以下のように行いたいと思います。
※SPレコード:手回し蓄音機による78回転レコード

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参加ご希望の方は樹下美術館の受付か以下のお電話を
ご利用のうえお問い合わせ下さい。

どうかお気軽においで下さい。

 025-530-4155

新潟文化物語で日本遺産の米大舟 驟雨の親子さん。

2018年9月27日(木曜日)

平成29年4月に日本遺産として「荒波を越えた男たち
の夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」が
認定されました。
そして今年5月には上越市も追加認定され、それは北海
道から大阪まで、実に15道府県28市町に及ぶ膨大な
範囲のものとなりました。
上越市は寄港地として、また文化遺産として我が上越市
大潟区と黒井地区に伝承されている民謡と踊り「米大舟
(べいだいしゅう)」も加えられています。

以下は大潟区の祭における米大舟踊りスナップです。

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ところで版画家棟方志功は昭和30年代、友人であった我
が美術館の常設展示作家である齋藤三郎を訪ね、齋藤の友
人達と米大舟踊りを見た折に版画を制作しています。

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当館が所有する米大舟。棟方氏は昭和30年代に祭を見
学、印象に残った米大舟の若い女性の踊り手を簡潔かつ
躍動的に彫っています。

●そして本日、新潟県の関連ウエブサイト「新潟文化物
」における特集「北前船とともに生きる-北前船が運ん
だ文化
」のなかで米大舟が取り上げられました。

江戸時代、当地の飢饉に際して、山形県酒田港から届け
られた米とともに伝えられた民謡と踊りが今日まで受け
継がれていることへの評価でした。
子供時代から春秋の祭で親しんだ米大舟が、大きな文化
的背景とともに日本遺産に含められる事は本当に嬉しい
ことです。
またサイトには当館が提供した米大舟踊りの写真と棟方
の版画が掲載され、これも嬉しい事でした。

しみじみとゆっくり、哀調を持って唄い踊られる米大舟
の音頭、私は大好きです。
踊り手も歌い手も太鼓打ちも誇りを持って楽しみ、長く
継がれることを願わずにはいられません。伝統文化を継
承することの大切さ、あるいは継承されたものの価値に
ついてあらためて知らされている次第です。

さて本日も猛烈な驟雨に見舞われました。

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その最もひどい午後、小さな坊やとすらりとしたお母さ
んが来館されました。
私が出る時でしたので、車から乳母車を降ろし、坊やを
抱っこして入り口まで進む間、傘をささせて頂きました。
たまたま大きな傘を買った直後でした。こんなに早く役
立つとは。

庭の手入れ 黄色のハーレー 堀川紀夫さんご夫婦と会食。

2018年9月23日(日曜日)

日曜日の今日、開館前の一時間半ほど庭の手入れをした。
クリスマスローズに肥料をくべ、目立たない所の雑草取り
をした。

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花壇用の土にトンプンを混ぜ、それをクリスマスローズ-の
周囲にすき込む。

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調子が出て来て大株になりつつあるクリスマスローズ。60
株ほどある全てに施肥をするつもり。庭仕事は足腰に来る
が、大好きな時間であり明朝も続きをしたい。

庭仕事を終えるとドドドドーとエンジン音が響いてハーレ
ーが駐車場に入ってきた。

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ピカピカのハーレー、黄色が大変に爽やか。良く知っている
人で、まさかバイクで現れるとは思わなかった。こんなのに
乗って美術館に一番乗りをしてコーヒーを飲む,,,.出来れ
ば私もやってみたい所であり、まことに羨ましい。

さて夕刻はテンセグリティで樹下美術館の夏を賑わせた堀川
紀夫さんと打ち上げの食事会をした。6人でのささやかな会
食は美味しく楽しい会だった。

氏のこの秋は9月28日~10月10日まで南麻布のMISA・
SINギャラリー個展に始まり来年のニューヨークはジャパ
ン・
ソサエティでの招聘出展まで切れ目のない多忙な日が続
きます。
大変ですが、楽しい仕事になることを心から期待をしていま
す。

忙しかった日曜日,長野から茶道裏千家の皆様、遠方から陶齋のご関係者様。

2018年9月17日(月曜日)

昨日雨上がりの午前10時から二組34人様の団体さん
が来館された。
長野市、北信の裏千家茶道の皆様と齋藤三郎(陶齋)さ
んの関係者の皆様だった。

茶道の方たちに恥ずかしながら薄茶の点前を差し上げた。

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午前の混雑時、お嬢さんたちには一時陶芸ホールで待って
いただいた。

 

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床。掛け物は伝良寛草書詩「秋夜月を弄す」。花は陶齋
の手付花器に南天萩、白花秋海棠、カラスタデ、オケラ、
カルカヤなど7種が入った。香合も陶齋で緑地金彩は秋
草の文様があしらわれている。
床の詩の後段に“果てしない碧空を月が飛ぶ もともと光
は照らさず物も照らされず 光も物も忘じた者は一体誰
ぞ”という読みがウェブサイトにあった。難解な一節だが、
無についての壮大な気宇に驚かざるを得ない。

 

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気づくと、風炉窯と棚は円と四方が順に並び、陰陽が連続
していた。三十数年前のころ、新潟三越で薬師寺展があっ
た。当時薬師寺は塔頭再建の途に就き、熱心に資金集めが
された。展示会の折、薬師三尊像台座の龍紋から取った拓
本が風炉先屏風として売られていた。運良く求め大切にし
ている。水指も陶齋の灰釉秋草文を用いた。

 

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懐かしい根本曠子さんの野ぶどう切貝蒔絵の薄器。

 

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水屋を手伝って下さったTさん。主茶碗と替は双方思い切
って鈴木秀昭さんの色絵金銀彩の器を用いた。
主茶碗は昨春、光栄にも坐忘斎裏千家お家元に服して頂い
た宇宙曼荼羅文を使わせて頂いた。

午後から長男夫婦が来て夕刻は大潟区の都寿司で食事をし
た。

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長野県のお茶の皆様は爽やかで奥ゆかしく、非常に感銘を
受けた。
当館は二度目という方もおられ、いっそう親しみを覚えた。
遠路誠に有り難うございました。無事お帰りでしたか。イ
カヤさんの食事そして水族館など上越は如何でしたか。

東京など遠方からの陶齋ご関係者の皆様、出ませんで失
礼を致しました。また沢山作品図録を買って頂き感謝に堪
えません。

皆様が残された楽しい絵、館内のノートなどから

2018年9月1日(土曜日)

猛烈な暑さが延々と続き最後は凄まじい雨降りで夏が終わ
った。
本日9月1日、今度はどんな秋になるのだろう。

さて館内には5冊のノートを置かせて頂き、皆様にご自由に
お書き頂いています。一応3~7月分を前期、8~12月分
を後期として、皆様のメッセージを樹下美術館のホムページ
に掲載させて頂いています。

遅くなりましたが、7月までのまとめは来週中にホームペー
ジにお載せ致します。
そのノートには絵をお描きになる方も多く、本日は当期に描
かれたものを掲載させて頂きました。

 

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↑コースターは格好の画帳。ノートに挟まれて残っていま
す。

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樹下美術館での過ごし方は様々でしょうが、美術館という場
が皆様を楽しませ癒やしていることが伝わり、とても張り合
いを感じます。

ノートをお使い下さった多くの皆様、本当に有り難うございま
した。

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