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午後はもみがら焼きの煙  夕刻は牧田由起さんのコンサート

2011年10月15日(土曜日)

昨日午後は小雨混じりでやや温暖。往診に出向いて田んぼに出ると凄まじい煙が目に入った。火事と見まごうそれは、もみがら焼きか。

もみ焼き?

車は煙の中を逃げるように走り抜けている。もみがらは田にすき込み、焼くのは原則禁止。例外の燻炭は一定の配慮を、とされている。

  

10年以上も前の三ヶ月間、交換留学生のステイを引き受けた。清澄の国ニュージーランドの高校生だった。通学には電車やバスの便が悪く車で送り迎えをした。秋、田に登る煙を見ると、「信じられない」、と彼は涙さえ浮かべて怒った。

 
まさか常態ではなかろう。COPD、ダイオキシン関連、交通などへの悪影響。農を応援している者にとって昨日のあまりの煙は少々残念だった。行政から指導などがあったかも知れない。 

 

牧田由起ヴァイオリンコンサートチケット
午後7時から牧田由起さんのヴァイオリンコンサートがあった。ヴァイオリンとヴィオラを佐々木友子さん、ピアノは金子陽子さんが共演された。大潟音楽協会の主催でまちづくり大潟が支援していた。

 

第一部のプログラムは二曲。「二つのヴァイオリンのためのコンチェルト(ヴィヴァルディ)」と「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(モーツアルト)」だった。

 

三人の息はぴったりで、弦楽器は歌いに歌い、ピアノは縦横に奏でられた。モーツアルトは饒舌かつロマンティックで、演奏者と聴衆へのもてなしでいっぱいだった。会場は我が家のすぐ近く、楽しいコンサートだった。

倉石隆氏 1975年の雑誌から

2011年10月13日(木曜日)

前回のボザールよりさらに10年前の雑誌アトリエの1975年9月号。特集“油絵のテーマと制作の実際”で倉石隆氏のモノトーン「若い男」の制作過程が18ページに渡り掲載されていました。氏の考えの一部とともに紹介させて頂きました。 

 

●発想:僕は何となくこういうものを描きたいと思って描くだけです。(途中省略)自然に何となくこういうものを描きたかったと言うときこそ信じるに足りるものと思っています。概念的な作意が感じられる絵は好みません。

アトリエ表紙
1975年9月号アトリエの表紙
「若い男」の描き始めが表紙に。

 若い男の扉写真
同号のとびら絵を飾っている作品のネガ写真

 余白:このたびのように情景を排して人間だけを描こうとすれば周りは当然ただの余白と言うことになります。油絵ではこれが大変むずかしい。
東洋の場合は周りに何も描かなくても余白が不思議と空間に見えます。デッサンも同様ですが、油絵の背景はただ白く塗ってもそれは空とか壁とかつまり物質を持ったものに見えるから困るのです。

制作中の倉石氏

 デッサンを参考に油彩へ

 綿密なデッサンを通してモチーフが頭に入る。
油彩の段階ではデッサンを見るがモデルはもう見ない

モチーフ:この数年人間ばかり描いています。何となく描きたいから描いているのです。老人・女・子供・性別が判然としないものまで、色々描くけれど若い青年の絵というものが少ない。多分弱い人間のほうが興味をもてるのかもしれません。

「若い男」のモデルについて:現代の青年が持つ一面の性格、気負い、弱さ、傲慢とふてくされ、何かを欲しがっているいる姿勢と怠惰、そうしたものをむき出しにしている面白さがあります。
(今回のモデルは)せがれと言うことで、どうしても親近感が先にたち、それほど客観的に突き放して見ることは出来ませんが、それはそれで何か描けそうな気がして仕事にかかることにしました。

 

倉石隆は自他の自然さを大切に作意なき制作に徹した人だと、あらためて思いました。描きたいから描く、描くのが好き、、、画家らしい画家ですね。

氏は背が高くハンサムな人でした。私は脳梗塞(1987年7月発症、右半身麻痺と失語症)の後でしかお目に掛かっていませんが、お洒落な方だと思いました。懸命な介護をされる翠夫人も心に残ります。

倉石氏と

1996年正月、娘と練馬のご自宅を訪ねた時

司修氏講演会

倉石隆作「秋」の少女が樹下美術館へやってきました

2011年10月10日(月曜日)

倉石隆氏には可愛いお嬢さんを描いた絵が何枚かあると、奥様からお聞きしていました。それがこのたびたまたまのご縁でその一枚「秋」と出会い、彼女は樹下美術館へやってきました。

秋
「秋」:黒と強い暖色のたっぷりした洋服に守られた少女の秋。
F15号(652×530㎝)
二枚の木の葉が舞い、背後で謎のような赤がある種緊張と揺らぎを漂わせます。

月刊ボザール
1984年の絵画雑誌、月刊ボザール:絵とともに届きました。
油絵教室として6ページに渡り「少女像」の制作過程が掲載され、表紙にもなっています。

制作過程1
デッサン:倉石隆らしく様々にデッサンを重ね、緻密に構想が練られていく。

制作過程2
タブロー(油彩)にする:全体の調子を見ながら作者の方向が次第に現れてくる。

制作過程3
服の色彩、質感が変わっていく
「秋」は、「少女像」として誌上で完成とされた絵からさらに変化していました。

女性はより若く、背景は白く髪は黒く、頬と頸は細くデフォルメされ、表情に愁いが含まれていました。また単純化された画面は黒によるシンメトリーが強調され、服装の重厚感とあいまって迫力ある作品へと変化していました。
(ページ左の参考作品「悲しみの像」は樹下美術館に収蔵されています)。

デッサン
樹下美術館にあったデッサンは、当作品のため一枚だったようです。
倉石隆は人物画の探求を深めました。

「秋」を所有されたAさんは画家であり、かつ倉石隆の熱心なファンでした。その方のお父様も画家で、1950年代当時、たまたま持っておられた芸術雑誌に倉石隆の「めし」が掲載されていたそうです。雑誌を見た息子さんである若きAさんは「めし」に突き動かされるように倉石さんに傾倒していきました。
「めし」は現在樹下美術館に収蔵されています。

後に自らも画家になられたAさんは、ある日の展覧会で「秋」と出会います。氏は居ても立ってもいられないほど作品に惹かれました。会場には黒皮のコートを羽織った背の高い倉石氏がいました。近づき難い雰囲気があったそうです。
Aさんはついに胸の内を語り、絵が欲しいと告げました。汗した手に爪が食い込むほどの緊張と覚悟だったそうです。

分かりました、支払い方法はお任せします、と答えた倉石氏。喜びと敬愛が現実のものとなった瞬間でした。二人に親交が生まれ、A氏の作品について倉石氏のアドバイスを得たこともあったとお聞きしました。

お二人のことは、作家とファンの最高の関係ではなかったでしょうか。

ところで、1975年の絵画雑誌「アトリエ」にも制作の実際という倉石氏の18ページもの記事があります。近く内容の一部と氏の言葉を書かせて頂ければと思います。

大変長くなってしまいました。「秋」は高度な均衡と緊張、および愛着の魅力を放つ一枚であろうと思います。作品は来年3月からの展示を予定致しております。

司修氏講演会

第2回東日本大震災&長野県境地震復興支援チャリティ 「アート&アーティストの底力」長岡展 いもけんぴの油彩

2011年10月5日(水曜日)

7月の柏崎に次いで第2回東日本大震災&長野県境地震復興支援チャリティ目的にしたイベントが迫りまりました。

  

今回は長岡市で、関東北信越を中心にら96人の作家さんが参加します。小品を持ち寄る多彩な作品展になろうと思います。
皆様の賑やかなご来場をお待ち申し上げます。

 

「アート&アーティストの底力」長岡展
10月21日(金)~26日(水)
 長岡市本町1-4-3 ギャラリー沙蔵で開催。

 

アート&アーティストの底力・長岡展案内DM 

 DM本文
DM本文:ずらりと並んだ出展者 私の名は杉みき子先生のお隣で光栄 
大きくしてご覧下さい

 

いもけんぴの絵 
恥ずかしながら小生の参加作品・油彩「いもけんぴ」(F-SM22,7×15,8㎝)。
とても小さいサイズです。期限の20日までもう少し加筆してみます。

 二つの震災復興を支援するアーティストたちの真心とチャリティへのご理解をお願い申し上げます。 

 

当イベントの事務局長・堀川紀夫さんのページです。

高田世界館でベース&ギターのデュオを聴いた

2011年9月18日(日曜日)

二日続けて高田へ行った。午後4時から高田世界館で鈴木良雄(ベース)&増尾好秋(ギター)お二人のジャズを聴いた。

 

ステージ
ベースは美しい家具のようだ 向こうに真っ赤なギター

演奏は昔で言えばクールジャズないしウエストコースト派、あるいは1970年代からのフュージョンであろう大変リカルなサウンドだった(汗)。

 

アンコールが始まった アンコールは会場の手拍子にスキャットのサービスも

それぞれ渡辺貞夫、あるいは渡米してリー・コニッツ、ソニー・ロリンズなどビッグネームとともに演奏活動されたお二人。おしゃれで一流のステージを聴けて良かった。

会場で買ったCD「AROUND THE WORLD」を帰りの車中で聞いた。生を聞いたばかりなのでとても親しめた。

何と当CD録音中の東京のスタジオを3・11の震災が襲ったという。動揺したが、かえって心深くして演奏できた、とエピソードが語られた。

主催された街なか映画再生委会代表でジャズの人、増村俊一さん真に有り難うございました。

司修氏講演会

September Song

2011年9月11日(日曜日)

9月もはや半ばにかかる。早さに不平を言いたいところだが、ますます早くなるので一日を大切に従うしかない。
さてその昔は9月、夏を過ぎると待ちきれないといった感じでラジオからSeptember Songが流れた。

そして学生時代は、ピアノ・ウイズ・ストリングス(Piano With Strings)が懐かしい。ジャズピアニストたちは時にオーケストラを付けて軽い演奏を録音した。あのオスカー・ピーターソンやビル・エバンスの録音もあることは、後になって知った。今はインターネットで引くと沢山出ているが、昔の私には貴重だった。

そして当時の深夜、耳元の進駐軍放送(FEN)からしばしばピアノ・ウイズ・ストリングスが聞こえた。日本の放送局ではめったに聞くことが出来ず、こんなレコードがあればいいのに、と思いながら若き自分は寝入った。

 

September Song:ジョージ・シャーリングのPiano With Strings

フランク・シナトラ抜きにSeptember Songはありえない。

その昔の昔、1960年頃の浪人の夏の終わり、合宿と称して姉と一緒に池の平温泉の池廼屋さんに数日泊まった。結核が治癒に向かい、勉強が楽しくなり始めたころで、まじめに机に向かった。退屈すると散歩に行ったりホールで卓球をした。

そのホールに手回し蓄音機があった。「南国土佐を後にして」をよくかけ、「September Song」を初めて聞いた。古くて重々しいレコードだったが、季節感はピッタリだった。
池廼屋さんには、スキーで宙返りジャンプをするおじいちゃんが元気な頃から毎年お世話になっていた。

倉石隆のカット絵 知足美術館さん

2011年7月26日(火曜日)

この前の日曜日(24日)に新潟市の知足美術館・副館長の佐藤和正さんが樹下美術館を訪ねてくださった。

今年2月中旬からおよそ40日にわたって拙ボタニカルアート展が知足美術館で催された。館長の(株)キタック社長・中山輝也さん、佐藤さん、ほか社員の方々にとてもお世話になった。

その佐藤さんがこのたび当館常設展示作家・倉石隆氏のスクラッチボード作品を持参してくださった。1980年代を中心に倉石氏はある新聞の文芸欄で小説やショートショートに挿絵・カットの筆を執られていた。

 

うみねこ
うみねこ
雪1
雪1
雪2
雪2
検査
検査
わかれのヘアピン
わかれのヘアピン

お持ちいただいた貴重な原画5作品は小品ながら心こもり、物語性十分で胸動かされる。今後は展示させて頂き、図録にも載せたい。

※スクラッチボード:白色の厚地の上に黒がカバーされている絵画材料。黒い表面を鉄筆や刃物などを操作して白地とのコントラストを得て制作する。

※妙高市ご出身の佐藤和正さんは小生の中高の少し後輩で、亡きお兄様と小生は同級だった。このたびは大変有り難うございました。

渡部典さんから届いたCD シーグラスの写真が

2011年7月9日(土曜日)

東京都でご活躍の上越市大潟区出身のグラフィックデザイナー机上工房の渡部典さん。彼女からしばしばご自分がデザインされたCDをお届け頂いていました。
またクロアチアのナイーブアート作家亡きイワン・ラツコヴィッチ氏の貴重な画集を樹下美術館のカフェ図書にお借りするなどとてもお世話になっています。

このたび新たにCDをお送りいただきました。

「シューベルト:歌曲集“白鳥の歌”」です。

ジョン・エルウィス(テノール)・渡邉順生(よしお)(フォルテピアノ)による一枚です。

ALMレコードによる当CDにはいくつかのトピックがあります。

●伴奏の渡邉順生さんの第42回2010年サントリー音楽賞。

●英国人ジョン・エルウィスさんの貴重な歌声。

●カバーデザインが大潟区出身の渡部典さん。

●写真は不肖わたくしの提供。   などでした。

数枚のCDを樹下美術館の窓口に置かせて頂きますのでどうぞお手にとってご覧下さい。

 

表紙
青いハート型のシーグラスを中心に白系のグラスで十字をあしいらいました。
裏表紙クレジット
私のクレジット
表紙裏の写真とクレジット。嬉しくて私の所を拡大しました。
ジャケット裏プログラム
プログラムはベートーベン「はるかな恋人に」とシューベルト「白鳥の歌」です。
透明で豊かな演奏は時代と私たちを慰めてくれることでしょう。

思えば2008年7月の海でたまたま出会ったシーグラス。以来訪れた浜で集め、その写真がCDカバーになるとは。またチョーカーにもなって樹下美術館の窓口に並びました。

江戸・粟田焼き 明治・十三夜 戦後・映画にごりえの「十三夜」

2011年6月26日(日曜日)

ある知人から京都の名菓、和久傳の“おもたせ”、れんこんもちの「西湖」を頂いた。齋藤尚明さんの白磁の皿に載せて、粟田焼きの小ぶりな茶碗で茶を服した。もっちりとろりのれんこん餅と笹の風味が一杯に広がって美味しかった。
おもたせ:おみやげ、てみやげ。

粟田(あわた)焼きは古い京焼きである江戸期の焼き物。陶器だったが、後に磁器の清水焼が代わって発展を遂げる。当お茶碗から陶器ならではの柔らかな感触が口に伝わった。
青海波(せいがいは)に千家の替え紋“つぼつぼ紋”が描かれたあっさりめの絵付けは、古さを凌ぐ気品を漂わせていた。
西湖

さて、お茶を頂いてしばらくして隣室のテレビ(最近地デジ対応にしました)に映画の音。妻がNHKーBSで今井正監督の昭和28年発表「にごりえ」をみていた。「十三夜」のあと「おおつごもり」と「にごりえ」が続くオムニバス映画だった。私が見たのは十三夜のところ。江戸の風情をまとう明治の人々の有様が非常に興味深かった。

十三夜禄の介に車賃を
おせきが車夫の録之助に車賃をわたそうとする。

広小路の別れ
上野広小路で分かれる二人
ああ何という風情だろう。このシーンの照明には凄みがあった
随分前に国立劇場で見た浅丘ルリ子の「たけくらべ」の照明も凄かった。

嫁ぎ先で苦しい立場となった若妻おせきが実家を訪ねる。両親は十三夜の月見のしつらえをして待っていた。

明治になると十三夜にも月見をするのは、一種古い文明を継いでいる世代(また家)ということになるようだ。おせきの嫁ぎ先は官吏だから満月を祝うのは十五夜だけなのだろう。その昔読んだ現代語訳では、このようなことに全く気づいていなかった。しかし今夜の映画の前半ではっきりそのことが描かれていて、十三夜の象徴性がよく分かった。

そしてラストの上野広小路、去りゆく録之助、見送るおせき。名残の月、十三夜は、去りゆく時代や人などとその不条理を特に優しく照らすのだった。

核とITの今日、物語の風情はもう過去には叶わないだろう。長生きが私たちを、若者を間延びしてさせてしまったのか、これも進化というのだろうか、あるいは自分が無知なのか?

物語を貫く一筋の芯。芯を的確に象徴する出来事。映像で見て、夭折の一葉の才能、そして今井監督の腕にあらためて畏敬を覚えた。

 おせきの丹阿弥谷津子に愛らしくも文学が、その文学を深める車夫は芥川比呂志。いつもながら、私より何倍も映画を見ている妻は若き日の役者さんたちの名をピタピタ当てた。

小室等&佐久間順平コンサートの模様

2011年6月17日(金曜日)

前後してしまいましたが、昨日の小室さん、佐久間さんのコンサートの模様です。到着後一息ついて始まったリハーサルは非常に丁寧に時間をかけて行われた。

 

音響は付きっきりでビッグサウンドさんがコントロールされた。

 

リハーサルその1 
リハーサルは念には

リハーサルその2 
念が入れられ

 

本番 
本番の二人は反応しあって音楽が増幅された。
音楽、大人っぷりともに素晴らしかった。

 

今年音楽活動50周年の小室さんは声量があり、感情起伏が豊かに波打つ。佐久間さんはギターのほかにヴァイオリン、マンドリンを奏で、歌声に優しいペーソスがにじんだ。

 

詩は谷川俊太郎、金子光晴、別役実、及川恒平氏などで、心に浸みる。小室さんによるベラルーシの少女はチェルノブイリの原発被害を受けた痛ましい子どものことが歌われた。

 

音は樹下美術館のホールによく響き、お二人の音楽力に満たされた2時間余だった。 

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