樹下だより

美術館コロナの春の薄化粧。

2020年3月31日(火曜日)

新型コロナウイルスに備えて、3月15日の開館を延長しました樹下美術館。
午後のみの開館、席数半減、滞在時間制限、メニュー制限、図書貸し出し中止、などを掲げての出発です。
小学校の始業が行われること、上越地域の感染が無い事などを条件に、4月6日に今年の開館をすることに致しました。

文化庁のホームページには「文化芸術に関わる全ての皆様へ」という、,3月27日付け長官のメッセージがあります。
以下に最後の部分を引用しました。
〝この困難な時こそ、日本が活力を取り戻すために、文化芸術が必要だと信じています。
明けない夜はありません!今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう。
宮田亮平〟

またドイツ政府は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と述べ文化芸術面に大規模支援を表明しています。

不安のなか、このようなメッセージには勇気づけられます。

本日スタッフが館内外の清掃を済ませ、一緒に展示準備をしました。
以下におおむね完了した倉石隆の絵画コーナーの様子を掲載します。

 

 

 

中央に5点の細長い油絵を架け、
手前に倉石氏が挿絵や表紙を描いた本19冊を展示しました。

 

16席から7席減らして9席にしたカフェ。
陶芸室のテーブル席も8席→4席としました。

 

何度もお伝えしましたクリスマスローズが真っ盛りになりました。

 

美術館コロナの春の薄化粧

 

色々考えてみましたが、相手は賢くて姿も見えない強力な魔術師。
混み合うことが少ない当館がいっそう閑散であれば、と妙なことを願っています。

残り少なくなった貴重な春を、こんな風に迎えるとは考えてもみなかったことです。
キーやボタンを押せば答えが出る生活で、すっかりご立派になってしまった私たち。

春で、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
レイチェルを出すと、揚げ足取りをする人がいそうで、これまた悲しいのです。

来る4月6日の開館に際しまして。

2020年3月29日(日曜日)

「来る4月6日、今年の開館のお知らせです。」

感染症に対して以下のように配慮をいたしました。

館内ではなるべく静かにお過ごし頂ければ有り難く存じます。
カフェのお過ごし時間はおよそ一時間程度までにご協力ください。

お互いに予防を理解し、春の到来とささやかな文化に触れて元気を出しましょう。

本日の県立大潟水と森公園 4月6日に今年の開館を予定。

2020年3月28日(土曜日)

かろうじて雨をこらえていた本日土曜日日中の空、夜になりしとしとと降っている。
厳しさを増した東京のコロナの状況は、大規模な病院・施設の内部感染が報じられ、全体としての動静が気になる。

柏崎市以西の上越市および糸魚川市においては、依然として感染者の確認はない。この問題では、公の発表が実態を反映しているかどうか常に悩ましい。何となく疑わしい眼であたりを見る癖が付いてしまい、いかにも気が重い。

精一杯自己管理を続け、一定の行動規範に従う以外になさそうだ。逃げる訳にもいかず、これも健康維持の一つの形として、納得するので良いのかな、と考えている。

本日午後は大潟水と森公園を歩いた。このところヒマさえあれば公園に行く。寒暖の差が激しいので服装には気を付けなければならない。本日は、途中で小学時代の同級生に出合いほっとした。

騒然とした社会と異なり、公園の自然は確かな足取りで季節の歩みを刻んでいる。それらに触れると、混乱しがちなこちらの調子が整えられていく感じがしてくる。

 

 

タチツボスミレであろう、歴史ゾーンの一カ所に沢山咲いていた。

 

潟の里ゾーンのミズバショウ。

 

 

歴史ゾーンでコゲラが熱心に木を突っついていた。

 

種類は分からないが咲き始めた桜に心温められた。

 

さて間もなく4月になります。
新型コロナウイルスのため、3月15日の今年の開館を小学校の新学期の始業まで延期する予定としていました。
当地は4月6日がその日にあたります。感染の収束や安全宣言など宛になるものがありませんので、やはり随分悩みました。

しかし、
「こんな時だからこそ、ささやかな文化ながら、心のともしびになれば」、と考え開館を決めました。

事情が事情だけに、幾つかの事項に配慮し、普段と異なる形で始めたいと思っています。
ぎりぎりになりましたが、詳細は明日掲載致しますので、どうか宜しくお願い致します。

ばいきんきち その2。

2020年3月25日(水曜日)

長年書棚の隅っこでレントゲンのフイルム箱に入ったままだった「ばいきんきち」。原稿用紙の文字稿と画用紙のスケッチをコピーし、クリップで止めただけのものでした。5,6部つくり子供達と知り合いに上げて終了でした。
もう一つ、水彩で描いた「森のトマト畑」は少し面白がってもらいましたが、「ばいきんきち」は気持ちが悪いなど少々不評、ただゼガー博士は面白かったと言ってもらいました。

では続きです。

4きちの中
外からみると、ボロボロのれいぞうこのきちも、中はピカピカで、あちらこちらにライトもついていて、とてもせいけつになっていました。
小さなれいぞうこでもばいきんたちにしてみれば、巨大なきちです。何千何万ものばいきんがいました。プラスチックでで出来たろうかや、体育館、きょうしつ、びょういんがあり、沢山のいすとテーブルがおかれた食どうでは、ばいきんたちがにぎやかに食じをしています。
「ヘエー、たいしたもんだな」、感心して写真をとりました。
こんな大きなきちならば、きっとけんきゅうしつがあるにちがいない、と思い、一匹のばいきんにたずねてみました。
「その先を右に曲がった所だよ。しかし所長のゼガー博士は気むずかしいので有名だよ」と言われました。
でもぜひ博士にあって、ばい菌のひみつを知りたいと思いました。言われたとおりに行くと、けんきゅうしつがあり、決心してドアをたたきました。

5ゼガー博士
とびらをあけると、しけんかんやピペットにくすりビン、色々なおくすりやバーナー、さまざまな機械のほかメーターがいっぱいみえました。
白衣を着たばいきんたちがいっしょうけんめいしごとをしています。かべに「人間をやっつけろ!人間にまけるな!」という大きな字が書いてありました。
ゼガー博士はどこですか、と入り口でたずねると、
「一番おくにいますよ」とおしえてくれました。見ると黒いふちのメガネをかけ、ヒゲをはやし、耳が特別大きな博士がみえました。
こわかったですが、近づいて声をかけました。
「博士、私はばいきんしんぶんの者です。今年のばいきんのどくはどんなとくちょうがありますか」とたずねました。
博士はじろりとこちらを見ると、めんどうくさそうに、
「げりだよ、今年はげりさ」と答えました、
それを聞いてわたしは心配になりました。というのはげりをするとかぜは治るのに時間がかかるのです。
その時でした、博士はとつぜんこちらを向き
「君、君は本当の記者じゃないね。人間だろう」と言いました。


はっとして後ろへさがり、
「私はばいきんしんぶんの記者です」と言いました。
「いやちがう、君は記者のマークをつけていないし、だいいちくつをはいている。ばいきんはくつなどはかないもんだよ、それにしっぽもないじゃないか!」
博士はおこってどなりました。
私はにげようとすると、
「こいつは人間のスパイだ!つかまえろ」
博士がめいれいし、わたしはあっというまにしばられてしまいました。

6脱出

しばられたまま沢山のばいきんがあつまっている体育かんにつれてこられました。
「みんな良く聞け。こいつは人間だ。これからこいつに新しいどくをちゅうしゃしてじっけんをする」
博士は大声で言いました。
すると、
「ちょっとまってください!」
その時、こどものばいきんが足を引きずりながら出てきました。
「博士、このひとはいい人なんです」といいました。
道ばたで足の手あてをしてやったあのピノでした。
しかし博士はかまわず、「じっけんをつづける」といいました。
このままでは大変なことになります。
「まってください。私のポケットにいおしいおみやげが入っています。それをあげましょう」
とひっしになって言いました。

博士は私のポケットに手を入れると、ホメオスターを取り出し、「これはうまそうだ」と言ってのみはじめました。
するとくすりがきいて、博士はみるみる大きくなり、天井までとどくと、しまいにはれいぞううこいっぱい、ぎちぎちになってきました。
飲み過ぎです、もうはちきれそうです。

 

おどろいたみんなはきちを走りまわり、大こんらんになりました。わたしはポケットに残ったホメオスターを急いで飲みながら出口にむかって走りました。
「博士が爆発するぞ!」とみんなに声を掛けました。
やっとのことでそとへ出ると、私のからだはしだいに大きくなりはじめていました。
ドッカン-! 突然大ばく発がおこりました。
れいぞうこは博士もろともこなごなになって飛び散りました。

あたりが静かになると、まわりにはばいきんが沢山横たわっていました。
動かなくなった小さなピノがみつかりました。
わたしを助けようとしたばいきんです。
落ちていたウメの花びらをひろってかけてやりました。

すっかりもとの大きさに戻ったわたしは、いそいで病院へ行き、庭のこわれたれいぞうこと、まわりを消毒してください、と頼みました。

大変な出来事でしたが、話はこれでひとまず終わりです。
その年、悪いかぜは、あまりはやりませんでした。

拙い「ばいきんきち」は以上です。
あらためて見ますと、変な所ばかりで困っています。無理を言ってお読みいただき有り難うございました。

暖かかった木曜日 庭の手入れ 土底浜の夕空。

2020年3月19日(木曜日)

暖かかった木曜日、車外温度計が19度を指していてびっくりした。

 

潟町のキクザキイチゲ。三十年近く経って次第に色が濃くなった。
八重?というような花も見える。
場所が良いのか毎年しっかり花をつける。

 

のたりのたりとしていた柿崎の海。

広い海を見ていると何でも引き受けそうに見えるがそうは行かない。

放射能もコロナも駄目と海が言う
余計な仕事をさせないでと言っているように思われる。

柿崎の後で県立大潟水と森公園に寄るのが最近のお決まり。
(ホームページには新型コロナウイルスに関するお願いが書かれています)

 

大潟水と森公園で後ろ向きのマヒワ。

公園の西の端にある潟の里ゾーンの東屋。
このゾーンは人が少なく比較的鳥が多い。
どこか神秘的でもあり最も気に入ってる。

 

午後から妻の友達が来て庭の手入れを手伝ってくださった。 お陰様で残っていた落ち葉が片づいて随分とさっぱりした。

 

 

庭の後、夕刻の土底浜へ行くと赤い空に出合った。

 

 

 

この高い所から海を写しました。

 

大きさの比較のために?オートシャッターで撮りました。
10秒だったのですが、のぼり坂を走ってやっと間に合いました。

 


ペリ・ーコモの「Red Sails in the Sunset(夕陽に赤い帆)」
上京して初めて買った25㎝LPに入っていた曲です。

 

残念ながら今夜から大荒れの予報です。

休館のお詫び 銀の匙その3 ムラサキシジミ 雀たち お菓子に温まる ウィルスの行方 マスク。

2020年3月18日(水曜日)

日中暖かな陽が射した一日、午後から特養の診察に伺った。今年はインフルエンザの流行を免れたものの、新型コロナだけは何処を突いてくるか分からないので落ち着かない。

昨夕、妻がちょっとした集まりに出掛けた。二時間経とうとするころ、お節介かと思ったが、そろそろ中座するよう電話で促した。帰宅した妻は、電話をもらって助かったと言った。今は人に嫌われても、ウイルスにだけは好かれないようにせざるを得ない。

さて休館のお詫びにと勝手ながら小説「銀の匙」のから、明治時代の子供たちの振る舞いを紹介させて頂きました。前回は人見知りの激しい主人公のお友達にと、お伯母さんが見つけた「お国さん」という女の子と「蓮華の花ひらいた」をして遊ぶところを載せました。

銀の匙 その1
銀の匙 その2

本日はお国さんと仲良くなっていく場面の一節その3です。

〝二人がさしむかいになったときにお国さんは子供同士がちかづきになるときの礼式にしたがって父の名母の名からこちらの生年月日までたずねた。そしてなにの歳だといったからおとなしく酉の歳だと答えたら
「あたしも酉の歳だから仲よくしましょう」
といっていっしょに、こけこっこ、こけこっこ、といいながら袂で羽ばたきをしてあるいた。

おない年はなにがなし嬉しくなつかしいものである。お国さんはまた家の者が自分のことを痩せっぽちだのかがんぼだのというといってこぼしたが私もみんなに章魚坊主(たこぼうず)といわれるのがくやしかったので心からお友達の身のうえに同情した。いろいろ話あってみればいちいち意見が一致して私たちは間もなく仲よしになってしまった。〟

以上、またご紹介させてください。

さて午後の施設を終えて美術館に寄りました。美術館はねそべったまま身を持てあまし、庭の花も何か申しわけなさそうにしています。幸い在宅回りが無かった午後、枯れ芝の庭にボールを撒いてアプローチの練習をして過ごしました。
すると小さな物体がチラチラと飛び回り美術館の壁や敷石に止まります。

 

 

アオスジタテハでした(当初ムラサキシジミと記載しましたが訂正しました)。私にとっては珍しく、喜んでカメラを向けますと、どこかへ飛んで行ってはまた戻るのを繰り返します。しゃがんでいる頭上にも何度か来ました。樹下美術館は午後の陽を包み込むような形をしているため、温まっている壁や石が気に入ったのでしょう。

調べますと成虫のまま翅を立てて越冬するということです。

 

なるほと翅の裏は枯葉そのものの模様になっています。
小雪の冬は越冬する昆虫たちには楽だったことでしょう。
それにしても数ヶ月の寒風の下を何処で過ごしたのでしょうか。
この魅力的な蝶にとっても幸運な年でありますように。

ベンチの傍らに雀たちがいました。
大きな群から離れて一帯を住処に決めたのでしょう。
パートナーを求めて活発に追かけっこなどをしていました。

 

さて以下のようなお菓子を頂きました。

 

三色おはぎ

 

東大寺お水取りの時期だけのお菓子と聞いた「御堂椿(みどうつばき)」。
奈良市千代の舎竹村(ちよのやたけむら)の製。
きれいなもんですね。

 

長生きはするものでしょうが、この度ばかりはじっと狙われているようで落ち着きません。

世界はどのように推移するものか。日本はまだまだですし、大国アメリカはどう切り抜けるのでしょう。貧しい無保険の人達がとても気になります。

本日は四人の方に一枚ずつですが、マスクを上げました。とても喜んでくださったのが目に浮かびます。

沢山載せてしまいました。

本来なら本日は開館の日だった。

2020年3月15日(日曜日)

3月15日の日曜日は樹下美術館今年の開館日でした。展示プランを考え、本や食器を買い足し、庭の手入れを続けましたが延期に致しました。開館を楽しみにしていらした方々には本当に申し分けありません。

本日は晴れ間が覗いたものの少々寒い日でした。11時ころから散歩に出ましたが、寂しさは否めませんでした。皆様もまさかこんな春になろうとは、というお気持ちではないかと思います。

 

柿崎海岸

 

勝手に瑞天寺道と名付けている道。

 

アトリ

 

ホオジロ

 

水路のヒメオドリコソウ

 

 

樹下美術館の梅の枝。

美術館のクリスマスローズ。

駐車場はひらいていますので、宜しければ庭などをご自由にご覧ください。

政治の良い面がなかなか伝わらない分、個人のちょっとした心づかいなどがうれしく感じられます。
普段の健康にいっそう配慮し、本を読んだり、庭や畑、あるいは近隣の自然に親しむのに良い機会ではないでしょうか。ランニングやウォーキングの人を見かけるのも頼もしいことです。

休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その2

2020年3月11日(水曜日)

本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。

幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。時代は明治半ばの頃。博覧強記で深い仏心の持ち主である伯母さんの訛りと気っぶにも、不思議と郷愁を誘われます。本日は昨日の続きです。

〝あらたにこの調和しがたい新参者が加わったために子供たちはすっかり興をさまされていつまでたっても廻りはじめない。それを見てとった伯母さんは輪のなかへはいり景気よく手をたたいて
「あ、ひーらいた ひーらいた なんのはなひーらいた」
とうたいながら足拍子をふんで廻ってみせた。子供たちはいつか釣りこまれて小声でうたいだしたので私も伯母さんに促されてみんなの顔を見まわしながら内証(ないしょ)で謡のあとについた。

「ひーらいた ひらいた、なんのはなひーらいた、れんげのはなひーらいた…」
小さな輪がそろそろ廻りはじめたのをみて伯母さんはすかさず囃したてる。平生ろくに歩いたことのない私は動悸がして眼がまわりそうだ。手がはなしたくてもみんなは夢中になってぐんぐん人をひきずりまわす。そのうちに
「ひーらいたとおもったらやっとこさつーぼんだ」
といって子供たちは伯母さんのまわりへいちどきにつぼんでいったもので伯母さんは
「あやまった あやまった」
といって輪からぬけだした。

「つーぼんだ つーぼんだ、 なんのはなつーぼんだ、れんげのはなつーぼんだ…」
つないだままつきだしている手を拍子につれてゆりながらうたう。
「つーぼんだとおもったらやっとこさひーらいた」
つぼんでいた蓮華の花はぱっとひらいて私の腕はぬけるほど両方へひっぱられる。五六遍そんなことをやるうちに慣れない運動と気疲れでへとへとにくだびれてしまい伯母さんに手をほどいてもらって家へ帰った。〟

 

 

 

上掲2枚の写真は2014年5月20、樹下美術館近隣の畑の蓮華です。
まじまじ見たのは初めてで、こんなにきれいなものだとは知りませんでした。

 

さて、こどもたちには少し優しいコロナウイルス。このウイルスはよほど人間のことを知っているのかもしれません。それで大人は余計に油断が出来ないのではないでしょうか。

休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その1

2020年3月10日(火曜日)

本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。
国が富国強兵に被われる直前、のどかさがまだ残る明治20年代ころからの子供達、あるいは社会の一コマです。

幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。博覧強記、そして深い信心の持ち主である伯母さんの訛りと気っ風にも、不思議と郷愁を誘われます。都合で本と段落が変わていることをお許しください。

〝で、伯母さんは一生懸命私の遊び仲間によさそうな子供をさがしてくれたが、そのうち見つかったのはお向こうのお国さんという女の子であった。
ーお国さんのお父様は阿波の藩士で、そのじぶん有名な志士であったということは近頃になって始めて知った。ー
伯母さんはいつのまにかお国さんが体が弱くておとなしいことから頭痛もちのことまでききだしてもってこいのお友達だと思ったのである。

ある日伯母さんは私をおぶってお国さんたちの遊んでいる門内のあき地へつれてゆき
「ええお子だに遊んだってちょうだいも」
といいながらいやがる私をそこへおろした。みんなはちょっとしらけてみえたがじきにまた元気よく遊びはじめた。私はそのひはお目見えだけにし、伯母さんの袂につかまって暫くそれを眺めて帰った。

その翌日もつれてゆかれた。そんなにして三日四日たつうちにお互いにいくらかお馴染みがついて、むこうでなにかおかしいことがあって笑ったりすればこちらもちょいと笑顔をみせるようになった。

お国さんたちはいつも蓮華の花ひらいたをやっている。伯母さんはそれから家で根気よくその謡(うた)を教えて下稽古をやらせ、それが立派にできるようになってからある日また私をお向こうの門内へつれていった。そうしていじけるのを無理やりにお国さんの隣へわりこませたが意気地の無い二人はきまりわるがって手を出さないので、伯母さんはなにかと上手に騙しながら二人の手をひきよせて手のひらをかさね、指をまげさせて上からきゅっと握ってようやく手をつながした。
これまでついぞ人に手なぞとられたことのない私はなんだか怖いような気がして、それに伯母さんに逃げられやしないかという心配もあるし、伯母さんのほうばかり見ていた。〟

 


「かごめかごめ」はしたことがあるように思います。
蓮華の花ひらいた、は聞いた覚えがありますが、遊んだか否か微妙でした。

かすりの着物にへこ帯であろう子供たちの様子は愛らしく映ります。
門内:もんない、と読むのでしょうか、具体的な意味が分かりませんでした。いわゆる町内でしょうか。
夏目漱石から「子供の世界の描写としては未曾有」と絶賛され東京朝日新聞に連載された「銀の匙」
大人には特別な出来事が起きるわけではありませんが、繊細な主人公にとって毎日は事件でした。

押しつけがましく致しまして申し分けありません。

樹下美術館の開館を延期することに致しました 新型コロナウイルスの随想。

2020年3月4日(水曜日)

このたび熟慮を重ねた結果、
新型コロナウイルスの感染拡大に備え、樹下美術館は3月15日からの今年の開館を延期することに致しました。

樹下美術館は、まず人であふれかえるようなことが無い小さな施設です。休館、開館、どちらがどのような影響があるか全く見当がつかず、悩みました。
最終的な判断は、2月29日、首相から全国の小中高の学校に対して休校の要望が出されたことで決まりました。
再開を何時にするかも難しい問題でしたが、期限を設けず小学校の推移に準じさせてもらう事にしました。

この機会に新型コロナウイルスへの気ままな覚えを以下に並べてみました。

小中高の休校と首相の言葉。
休校の目的は社会とこどもの感染防止です。当然学業の維持がありますので、休めば良いだけでは済まされないでしょう。いざ直面して、当事者たちはとても困惑しているのではないでしょうか。皆さんはそう強い立場ではないだけに、あたかも新型コロナウイルスの人為的な二次災害の側面としてみえてしまうのです。
以前に、政府は愛情を示してと書きましたが、面倒な事でしょうか。困難の克服は方法のにみあらず、時には心打つ言葉が待たれるように思うのです。
苦労されている首相にはぜひ自らの心の内も吐露して頂き、同じ国民として一緒に頑張りましょう、というメッセ-ジを待ちたいと思います。きっとみなを勇気づけるにちがいありません。

バーチャル感染とバーチャル抗体。
荒唐無稽な事を掲げましたが、宜しくお願いいたします。
このところ、できるだけ私は〝すでに感染している〟と考えることにしました。ウイルスの潜伏期間が長いこと、発症してもまずは軽症であること、の二点が明らかにされています。さらに感染拡大と経路の不明確さも重なり、ますます普段の感染・非感染の区別がつきにくくなりました。
そんな状況下で〝いま自分は元気なので大丈夫、と考えるのは油断と感染拡大に結び付きかねません。
むしろ〝症状は出ていないが、すでに感染しているかもしれない〟と考えるほうが、より慎重な振る舞いに繋がりやすいように思われます。
少なくとも二週間大丈夫なら、ああ感染していなかった、と喜び。この先また二週間やってみよう、と繰り返すのです。
これだとマスクにも積極的な意味が生まれますし、他者への配慮も良くなろうかと考えられます。本当のワクチンや抗体の獲得まで、出来ればバーチャル感染と称しこれを繰り返し、各自が行うことで得られる結果としての予防行為には意味があるように思われます。〝社会におけるバーチャル感染とバーチャル抗体〟の概念です。あるいは心の免疫応答と言えばいいのでしょうか、如何でしょう。

あまりに楽な冬の後にあまりに厳しい春のお返し。
雪国の一般人にとって、雪が無いあまりに楽な冬が終わりました。このままだと田植え時期や盛夏に必要な水が心配だ、と周囲が案じていました。しかし暖かい冬の途中から新型コロナウイルス感染が広まりました。庭の雪囲いを外し、花のつぼみが膨らみ、周囲から花の便りが聞かれ始めた途端、とんでもない病が襲ってきて、世界は凍り付き一変しました。
医療の大混乱、流通チェーンの破壊、経済の冷え。教育の混乱、文化・スポーツの中断、、、。病は世界に広がり収束の目処は立たず、暖冬の恩恵など一夜にして吹き飛んでしまいました。
思えば暖かかった冬は、大津波の前にいっとき潮が引くような、一過性の現象にさえ思われてきます。今訪れた感染症こそが自然が狙った本番だったのでしょう

自然への冒涜としっぺ返し。こどもに対する自然の本性。
昔の人のように考えてみると、これは長年の大人の油断、なかんずく自然軽視のしっぺ返しかと見ることが出来ます。過日そのことを指摘した患者さんがいました。
汚染、破壊、失調、、、、自然が被った損失は計り知れませんし、止みそうにもありません。そこへコロナウイルスの大インパクトでした。符丁を考えてみる必要はないでしょうか。
ところで、このウイルスには、こどもたちを避けようとする奇妙な態度をみることができます。わずかですが強大な自然が秘めている本質としての母性が覗いているように見えるのです。はっきりわかりませんが、垣間見られるこの方面への探求は、当ウイルスの克服、もしかしたら共生にも及ぶヒントになるかもしれないと、想像(空想)している次第です。
※翌日、最後の一行少々の表現を変えてみました。

 

 

 

 

随所に不遜とファンタジーを交えて記載致しました。

最後ですが、駐車場は時間通り開けますので、よろしければ庭などを自由にご覧下さい。
その際、出来れば互いに2メートル前後は離れ、宜しければ大声を控えるのが良いかもしれません。

みなで乗り越えられるよう頑張りましょう。
感染者や感染元を優しく思いやりましょう。

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