樹下だより

新たに加わった齋藤三郎(陶齋)の湯飲み茶碗と陶齋の美学。

2019年6月14日(金曜日)

最近道具屋さんから齋藤三郎(陶齋)の湯飲みが三点入った。
初めて見る新鮮な風情漂う絵付けが施され、如何にも美味しいお茶が飲めそうな器だった。

 

枝葉を描き、ほの赤い辰砂で背景を塗りつぶし、色彩配分も抜群。
三郎は花にこだわらず、よく葉だけを文様とした。
花は皆様と茶とお菓子、茶碗は脇役という美学が漂う。

 

鉄絵の麦藁手(むぎわらで)湯飲み。縦に線を画く手法を麦藁手と称している。
やはり渋い器は脇役に徹し、主役は茶菓子に加えお話ということでは。

 

蓮の葉が爽やかに画かれている。
ここでも花を画かない。陶齋なら葉に比べ、花はずっと簡単なはず。
どうぞ花は想像して下さい、というセンス。渋好み、通人らしい感覚。

蓮の葉の裏手に橋が描かれていた。
橋によって湯飲みに生活が入ってくる。
12もの面取りが施された力作。

 

お洒落で粋な三郎の器。壺や皿の大作から食器、茶道具まで何でも制作した陶齋。
湯飲み一つとっても何万個単位で作ったかも、と仰るのはご子息・二代陶齋尚明氏のお話。
樹下美術館にも5,60点はあろうと思われます。以下2017年発行の当館図録に収載した湯飲みの一部をご紹介しました。

 

 

 

 

 

樹下美術館のカフェではご注文が終わった後のお時間に陶齋、二代陶齋の湯飲みでお番茶をサービスさせて頂いています。

麗しい6月の大気。

2019年6月11日(火曜日)

6月の晴れ間は雲白く風おだやかで陽光は澄んでいる。そんな麗しい大気をいっぱいに吸い込み、草木に力がこもる。
私は昔から6月が好きで、2007年、樹下美術館も6月に開館するように進めた。

このところ、一時暑かった気温が落ち着き、上がっても20度そこそこ。一度仕舞った長袖を出して着ている。
そんな外出日和の昼に車椅子のお年寄りが家族に添われてカフェに来られ、一方気持ちの良いデッキのベンチでは不自由をお持ちのお子さんたちが、添われてジュースを飲んで過ごされた。

庭に出ていいですか、と訊かれることがますます多くなり、とても嬉しい。

 

緑の庭に掘川紀夫さんの軽やかなテンセグリティが楽しい。

 

花たちは美しいのに慎ましく、本当に利口だと思う。

 

近くの潟川で、最近珍しくなったヘラブナ釣りをする人。

 

釣り人の頭上をトンビが大きく輪を描いていく。

 

夕食後に出向いた土底浜の海岸。

 

アザミも暮れる陽を見送っていた。

新潟市からブラックポメラニアンさんのご来館。

2019年6月6日(木曜日)

本日は新潟市からわんこちゃんのご来館。
このノートでは鳥がよく掲載されますが、わんこちゃんはとても珍しい。愛らしく落ち着いた表情に癒やされました。

 

 

はじめ緊張気味でしたが、すぐにリラックスしました。

可愛い動物は何も説明しなくてもチャーミングで、ページが出来てしまいますので、とても助かりました。
本日は遠くからのご来館、誠に有り難うございました。

会場を幸福で包んだ須川展也さんのコンサート。

2019年6月2日(日曜日)

今年前半の大きなイベント「須川展也 サクソフォーンコンサート」が本日無事終了した。
「無事」は本当に貴重なことで、「無事是貴人」という禅語がよく茶席の床の間に掛かる。
まして著名な演奏家をお招きし、70名近いお客様を迎えるコンサート。
事前の演奏者とのやりとり、チラシ作り、告知作業、プログラム制作。当日は会場設営、PA:音響スタッフによるセッティング、照明調整、演奏家到着、小休憩、リハーサル、着替え、開場、そしてスタートと挨拶、、、。どこかにミスやハプニングがあれば、お客様と演奏者に迷惑をお掛けする。しかも何気なく騒がしくなく進めたい。だから無事は余計貴重なことになる。

展示物を別室に移して椅子を入れた会場で全曲通しのリハーサルが行われる。
小さなホールのため残響が心配、場所を移動しながら全て試聴させて頂いた。
大部分、初めて聴く曲であり、いずれも新鮮で目が覚めるほど素晴らしい。

 

演奏風景。満席のお客様が残響を和らげ、ほっとした。
68名の来場者さんは当館ぎりぎりのキャパ。スタッフのお陰でなんとか無事着席して頂けた。

一曲目、カッチーニ/朝川朋之編曲、アヴェ マリア。前奏に続いて美しいMj7thコードの調べで始まり、自然に叙情の世界に引き込まれる。続けてグリーグの叙情小曲集から2曲が演奏され、スターウォーズのJ.ウイリアムスによる「エスカベイズ」、さらにG.フィトキンの「ゲート」と進み、モダンな動静の起伏が現れた所で15分の休憩となった。なんとも上手いプログラミングだった。

後半は西村朗作曲「ハーラハラ(猛毒)」はインドの天地創造の神話世界へジェットコースターで入っていくようなことになる。神々の相克、猛毒の大蛇、攪拌される乳界のカオス、現れるシバ神、ヘビとの格闘と断末魔、そして勝利や浄化も無く毒を吸い込んだシバ神の異様なゲップで唐突に終わる秀逸な曲。打楽器の如くキーを叩いて鳴らし、楽器を振り、うなり声を上げる演奏者、、、ブラボーを叫ばすにはいられなかった。

続く浜辺の歌、さらに須川氏が演奏したNHK朝ドラ「さくら」のテーマで心鎮めてもらった。
終曲は、石川亮太氏の「日本民謡によるラプソディー」。
津軽じょんがら、会津磐梯山、竹田の子守歌、炭坑節など、この国の哀切と歓喜が四季の色彩の合間から浮かんでは消える。
斯く上質な音楽が会場をスリルと幸福で包み、まれに見る楽しいコンサートが終了した。

 

盛大な拍手のなか退場するお二人。写真はお客様から頂きました。

 

終わって「ハーラハラ」が特別な曲だったので、譜面を見せていただいた。以下のようにまことに奇妙なものだった。

終えてサインに忙しい須川氏。

スタッフとともに後片付けを済ませて慰労会へ足を運んだ。

 

慰労会で挨拶される須川展也さんと傍らの美奈子夫人
自然なひととなりのお二人、良い音楽はまれに見る良いお人柄のたまもの。

アンサンブルピアニストとして確固たる立場に立たれている美奈子さん。
流麗な伴奏で氏を促し、呼応しあって劇的なパフォーマンスを創造される。
ハーラハラでは良いお声で、曲中に語りを入れられ、本当に見事なコンビネーションでした。

サクソフォーン奏者のトップランナーとして、挑戦を続ける展也さん、パートナーの美奈子さん、誠に有り難うございました、どうかまたいらしてください。
スタッフの皆さん、本当に有り難うございました、また頑張りましょう。

大潟かっぱ祭 掘川紀夫さんのテンセグリティ ほくほく線夕暮れ電車。

2019年6月1日(土曜日)

本日から二日間上越市大潟区は四ツ屋浜のキャンプ場ふれあい広場で、大潟かっぱ祭が開催される。
正午すぎから米大舟の民謡踊りがあるので、午前の仕事を終えて急いで出かけた。米大舟は平成29年4月に日本遺産として「荒波を越えた男たち
の夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」の中で関連遺産として認定されている。

以前撮った踊りの写真や当館が所有する棟方志功作の米大舟が、新潟県関連の文化事業で何度か使用されている
本日の好天は米大舟日和、是非また撮りたいと勇んで出かけた。しかるに到着持、急遽予定が繰り上がって終了していた。がっかりである。仕方がない、来年は是非予定通りに行って頂き再度挑戦してみたい。

 

大潟かっぱ祭会場の賑わい。

 

会場周辺の松林でピクニックをしてくつろぐ人達が大勢いるのもこの祭の良い所。

 

 

とても上手だった小学生のブラスバンド。小さな頃から楽器に親しむのは本当に良いこと。是非長く続けてね。

あたふたと会場を後にして美術館に行った。
昨年8月、「夏庭のテンセグリティー展」を行って頂いた美術家の掘川紀夫さんが来館された。
かねてお願いしていた作品を持参され前庭の右側にセットして頂いた。

 

 

花があれば花と共演し、花少なければ自ら花となるテンセグリティ。爽やかモダン、、、。今後のメンテナンスもして頂き、少額のレンタルで置かせて頂くことになった。
掘川さん、本日は大変有り難うございました。

 

くびき駅着19:59のほくほく上り線電車。
田植え前の田は湖のように映り、貴重な情景。

豊かな「須川展也 サクソフォーンコンサート」のプログラム。

2019年5月31日(金曜日)

樹下美術館の音楽会「須川展也 サクソフォーンコンサート」が明後日に迫りました。
先日須川さんからプログラムが送られてきましたので、掲載致しました。

 

リリカルなクラシック曲と欧米の現代作曲家の曲が並ぶ前半。
後半は日本の現代曲および歌謡、そして狂詩曲風に演奏される様々な日本民謡。

以下は1998年10月、須川展也さんが出演されたNHK「トップランナー」の動画です。


穏やかに自らの音楽を語り、会場の質問に答えておられます。
魅力的な人柄が伝わります。

6月最初の日曜日午後は、和と洋、さらに時代とジャンルを豊かに往来する楽しい音楽会になろうと期待されます。

昨日の熱風のあと雨に恵まれた庭 保育園の健診。

2019年5月21日(火曜日)

一昨日、昨日と強い風が吹き、特に昨日は南気で庭の草木は散々だった。
その後昨夜から風が収まるとしっかり雨も降ったため、植物たちには点滴を受けたように一息ついている風だった。
しかし何かしら影響を受けているのも事実。この先風については6月半ばまで穏やかであり、自身旺盛に成長する期間でもあり、ゆっくり修正、回復するのではないだろうか。

 

昨日のカシワバアジサイ(上)と本日の様子(下)。

 

昨日の柿の苗(上)と本日の苗(下)
葉に少々の疲労が見える。

 

昨日の松の芽はほぼ横になり、北に向かってS字状に波打つ形に煽られていた。

本日の芽はS字からかぎ状(ステッキの柄のよう)になり、かつ立ち上がろうとしていた。
本来真っ直ぐ上に伸びていたのがこんなになった。この先どんな風になるのだろう。

 

全ての茎がうつぶせになっていた昨日のクリスマスローズ。

4本立ち上がり、4本の茎が折れていた。

 

午後から保育園の健診に行った。水鳥のヒナのような0~1才児、マイペースな3~4才児。それが年長さんになると、多くが私に対して自然なアイコンタクトを取るようになる。あまつさえ「○○です、宜しくお願いします」と言い、「有り難うございました」とも言う。
いつもながら障がいのあるお子さんに対して、みな優しい接し方をするのも安心だった。
3,40年前に比べ、保育士さんの数が格段に多いのには目を見張らされる。

上越市立小林古径記念美術館から二回目の貸し出し作品を展示致しました。

2019年5月17日(金曜日)

今年の樹下美術館は上越市立小林古径記念美術館から倉石隆の大型の油絵作品をお借りして展示をしています。
開館の3月15日から6ヶ月に亘りる二ヶ月おき、計8点の展示は大変光栄であり、また緊張を禁じ得ません。

このたび初回の三点、「粉雪が舞う」「月の光」「人間の風景」の展示を無事終えてお返しし、昨日「地平」「吉井忠氏の像」の二点を搬入、本日から二ヶ月間、展示いたします。倉石隆作品については、他に樹下美術館収蔵の6点の小型の挿絵原画作品の展示を行っています。
二点とも大作で、「地平」は193,9×130,3㎝、「吉井忠氏の像」は193,8×161,7㎝です。
ピクチャーレールのある壁面の上下左右いっぱいを使って無事に架かりました。

樹下美術館ではこのような大作を並べて架けたことが無く、小さなホール正面を占める力作の迫力に圧倒されます。

 

大きさを見るためお客様に立って頂き、撮影しました。
左「地平」(1980年 第16回主体展および1981年幻想の絵画展に出品)
右「吉井忠氏の像」(1984年第20回主体展に出品)

一見して対照的かつ作風の異なる二点を見てみます。

 

向かって左のモノトーンは「地平」

以下細部をご覧ください。

 

中央に男が描かれています。知性や豊かさとは遠く、貧弱でずるく、罪深そうに見えます。

そのまわりに、エゴや後ろめたさ、あるいは狡猾さや残忍さ、さらに悲しみなどを帯びた人の姿が暗闇に紛れるように描かれています。

 

 

 

 

自己の旗を立てようとする女性が小さく小さく描かれています。

 

 

指をくわえた乳児は犠牲のシンボルでしょうか。

 

その子を生んだ女性かもしれません。

それにしてもあまりの暗調に気が重くなるような作品です。しかし私は決して嫌いではありません。人間の暗く貧しい負の部分を徹底して描く。あるいは描き切った作品は、告発ないしは一種懺悔ではないのかと思うのです。
カタルシス、、、。内部に溜めたネガティブな要素や経験を徹底して吐き出して試みる精神の浄化、、、。
自分たちのおどろおどろしさに没入し、問い詰めようとする当作品は作者の骨頂の一つでしょう。画家の痛々しいまでの真摯さは、十分な魅力であり、さらに力をも感じさせます。

 

次ぎに「吉井忠氏の像」です。

前者の暗調と異なり、朱を含む温かな茶系モノトーンで描かれた「吉井忠氏の像」
展覧会カタログで見た事がありましたが、こんなに大きな絵とは思いませんでした。

吉井忠氏は福島県出身の画家。倉石隆より7つ年上の人。倉石の太平洋美術学校の前身校および主体美術協会の創始会員の先輩として敬愛していた画家と聞いています。
民に徹し「土民派」を自認し、美術評論、児童書においても活躍された芸術家です。

若干細部を見てみました。

 

深く静かで頑丈な表情が非常に丁寧に描かれています。

 

手にしている二つのものは布と革鞄でしょうか、とても良い色と質感です。
手を描くのが苦手だったという倉石隆ですが、自然で感じ良く描かれています。
描いてはゴシゴシとぬぐい、ぬぐっては描くを繰り返す画面は薄塗りにもかかわらず、
しっくりした深みを漂わせます。

 

二カ所に人物が添えられています。吉井氏とどんな関係なのでしょう。

下方の牛頭骨はピカソが描いた戦争の蹂躙に対する抗議のシンボルにみえますが。

風あいが異なる倉石氏の二つの大作。本当に描きたいものは何なのか、何を訴え表現すべきか。
苦悩と満足のはざまで生み出された昭和時代を中心に活躍した芸術家の足跡を、ご自由に味わって頂ければ有り難いのです。

春の妙高山 母の日の孫の問い。

2019年5月12日(日曜日)

本日松が峰のゴルフ場でコンペがあり参加した。
朝方、同地から見る残雪の妙高山は素晴らしかった。成績の方は51-49で、私にすれば良い方だと満足だった。

 

午前8時頃、ゴルフ場の手前で見た妙高山。

夕刻は母の日とあって、近隣の孫一家と食事した。

色々話をしたが、心に残ったのは、今冬おばあちゃんを亡くした孫のことだった。小学生の彼は葬儀に際してとても悲しみ、今でも涙ぐむという。
母親は、いつまでも悲しむことを心配だと言い、どうですか、と訊かれた。
基本的に全く問題ないし、むしろ良いことではないかと答えた。

思い出すのは2014年秋のノートだった。
その子が何気なく口にした「ああ早く明日が来ないかなあ」のひと言から始まった。
言葉は童話「青い鳥」へと繋がり、その物語にまつわる一連をここに書いた。
青い鳥の第一章だったと思うが、幸福探しに旅立った兄妹は天国にいるおじいさんとおばあさんに会う。
そこで、老夫婦は“自分たちが一番幸せなのは、お前達が私たちを思い出してくれる時”と言う。

今夕、その子が悲しむのは良いことで、天国のおばあちゃんはそれを知ってとても喜んでいるはず“と話した。
さらに、おばあちゃんの死で彼は人間、特に家族もいつか死ぬことへのショックを払拭できないでいる、とも聞いた。
なぜみな死ぬのか、私自身、彼を満足させる明解な答を持っていない。

かって父の死には人生のはかなさを、母の時には憐憫を、妹には病の無慈悲に、言葉も無く涙した。
寿命や死は生物学的にいくらでも説明出来る。しかし何故それを悲しみ恐れるかに学問は答えてくれない。

これまで少なくとも500件は経験した臨終や看取りの現場で、孫たちが家族中で最も悲しみ泣きじゃくるのをたびたび目にした。
今のこどもたちは死を知らない、あるいは遠ざけている、という言説と現実は違うのではと思った。
時に無情な大人と比べ、このようなこどもたちがいる限り、人間の将来は悪くはない、と勇気づけられたほどだった。

感受性に優れた孫の喪失体験はいずれ緩和されるだろう。
その過程で一連の事は心の原理として深く無意識化されるはずである。
それはまた、先々において良心や幸福に対する密かな「みなもと」となり、しっかり息づくに違い無い。

今夕、その子の父が“手塚治虫の「火の鳥」を読むといいよ”と話した。
良い両親をもって幸せな子である。

富山の買い物 学童の健診 緑の庭とカフェ。

2019年5月9日(木曜日)

去る富山行きで幾つか買い物をした。
美術館向きに出来る範囲でお金を使うが、普段自分用は倹約をしている。
富山市内で森記念秋水美術館へ行く途中に店があり、ウィンドウに魅惑されて入った。
店は「和具 ペリカン堂」。
富山県内と全国各地の民芸風の陶器、和紙や革細工および紙や繊維に木製雑貨など、手作りの風合いが親しめる品が並んでいた。
気に入ったものがあったので、求めた。

 

文箱と手ぬぐい。しっかりした和紙の文箱(4000円)は特に気に入りました。
手ぬぐいは庭仕事で使うつもりです。

 

和菓子用の楊枝(ようじ)。
すでに美術館のカフェで、お抹茶に付くお菓子に使っています。一本500円でした。

 

 

以下は駅構内のお土産屋さんで求めたオコジョの可愛いおみやげ陶器。

 

 

コップの縁につけてみました。カフェの丸テーブルのメニュー表にに乗せてみます。
以上、財布能力にも収まり、楽しい買い物だった。

さて本日午後から小学校の健診があった。
クラスによっては一部の肥満が気になったが、みな個性的で可愛いかった。
大人しく順番を待っていた一人の児童が印象的だったので、何になりたいの、と訊いてみた。
小さなな声で「パテシエ」と答えたので、「がんばってね」と言うと、「うん」とうなづいた。
みんな可愛いのだから、ずっと健康でいて欲しい、とつくづく思った。

 


樹下美術館の庭はいよいよ緑まばゆく、カフェをも満たすばかりです。
良い季節になりました。

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