樹下だより

緑鮮やかな季節 ハレノヒのパン ベンチの昼食。

2019年5月4日(土曜日)

連休は後半に入り、本日は緑の日。
樹下美術館の緑も眩しいほど鮮やかになり、花はテンポ良く交替しています。

 

 

向こうの紫色の花は丁字桜。花期が長く目立つので、よく名前を訊かれます。当館では4カ所で咲いています。

 

現在所々で賑やかにエビネが咲き始めました。根本に生える葉も愛らしいのです。

 

開館当初から咲き続けたクリスマスローズをすべて切り、小鳥の水盤にひたしました。
50日も花をつけたので休んでもらうことにしたわけです。
大きな株に育つものが増え、来年がとても楽しみです。

 

本日その一部が美術館の窓口で齋藤三郎さんの壺に入っていました。

連休はやはり忙しく、昨日私がカフェのパンを店に取りに行きました。店はナルスおおがた店で甥が営む「HARENOHI(はれのひ)」です。5年目に入り、美味しいパンはファンを拡大し、本日夫婦はスタッフ達と忙しそうにしていました。
お陰様で、同店のパンを使った樹下美術館のホットサンドイッチやクロックムッシュ、今年から始まったベーグルサンドはとても好評なのです。

 

 

 

 

本日の昼食は外のベンチに座り、HARENOHIのトーストを食べました。
風に吹かれながら気持ち良い食事でした。
カフェで注文をして、ここに座ってお茶や軽食を頂けます。

前の田んぼに水が入り始め、一段と良い季節になろうとしていました。

さて、開館からお知らせ致してきました6月2日の「須川展也 サクソフォーンコンサート」のお申し込みが定数の50席に達し、締め切りらせて頂きました。
お申し込みの皆様まことに有り難うございました。

樹下美術館のノートから記載とイラスト 庚申塔その20,板倉区から上石さん親子。

2019年5月3日(金曜日)

樹下美術館館内に5冊のノートが置かれていて、皆様にはご自由に感想やラストなどを記して頂いています。
今期すでに沢山記載されていましたので、本日はごく一部ですが紹介させて頂きました。

●展示について
・静かな空気の中で美しいものを拝見いたしました。有り難うございました-東京都Mさん。

・春間近に当館を拝見出来てようやく長い冬の開けるのを感じられます。辰砂のやわらかな色合いが心を落ち着かせてくれました。「粉雪が舞う」、雪国の深い心と迫力を体感出来ましたー上越市Yさん。

・ここにこのような方がおられたのか。今はもうそういう気持ちでいっぱいです-Yさん。

●カフェと庭について
・樹下美術館のカフェと庭のデッキと植物はとてもすばらしくて、ステキです。庭に出ると妖精の世界にタイムスリップしたみたいで、気持ちが良いです。ここに来ると気持ちが良くて、1日いてもいごごちがいいです-長岡市Yさん。

ほか当館のカフェでプロポーズされ、三回目の結婚記念日に来館された、と記された方もおられました。
沢山お書き頂いているノートから、樹下美術館と皆様のさまざまな関わりを見ることが出来、張り合いを感じます。

●次はノートにお書き頂いた皆様のイラストを掲載させていただきました。

 

生き生きしたキャラクターですね、6年生になる春休みのSさん。

 

迫力ある庭の山桜が描かれていました。

 

 


80才をお過ぎの方の絵です。
私も見た事があります。「松が峰の桜満開でした」と書かれていました。

 

生きているような猫は、美術系大学ほやほやの一年生Sさん。

 

マイセンのカップ&ソーサーがレトロなおしゃれにぴったり。

 

赤ちゃんから美系の方まで、どなたがお描きになったものでも、みな楽しませて頂いています。
来館されたお客様もきっと喜んでご覧になっていることでしょう、どうかまた沢山お描き下さい。

さて本日は開館からほぼ終日美術館にいた。皆様にご挨拶をしたり、庭いじりをして幸せだった。
昼前、思いも掛けず板倉区福王子から上石さんが親子でお見えになった。
庚申塔に興味を持ち始めたばかりの昨年11月中旬、県内最古の庚申塔といわれる石塔を見るべく板倉を訪ねた。
福王子が目指す場所。しかし不慣れな地域で人に尋ねながらの探訪となった。
その時偶然お合いし、十二神社へ案内した下さった方が上石さんでした。
父が石塔や地域に詳しいということで、現場からお父様に電話してくださった。

お父様は歯科を受診中だったが、目指す庚申塔のほか、隣接する公民館敷地の石仏の事も伝えられた。
お陰で十二神社で懸案の庚申塔のほか、公民館でさらに一体の庚申塔と二十三夜塔まで見ることが出来、感激した。

その後、お父様から御地の石仏や神社関連の縁起などについての研究資料を幾つもお届け頂いた。
特に庚申塔に関係した詳細な記述は分かりやすく、当時混乱していた頭を随分整理することが出来た。
頂いたお手紙に来年樹下美術館を訪ねたい、と記されていた。
そして本日、清々しく晴れた祝日、お二人がお見えになった。
午前から美術館に居てよかった。初めてお父様にお目に掛かった。

カフェの上石さん親子。

温かく丁寧なものごし、控えめで知的な方たち。
お父様から、記述や文献の貴重さ、福王子の由来、地域に根ざした尼寺、平塚神社分霊碑、ご子息から拙ブログを読んで下さっていたことなど、、、。
短い時間だったが昔から知っている人に出合ったような、安心で心楽しいひとときだった。
本日は遠くから樹下美術館をお訪ねいただき、本当に有り難うございました。

上越市は吉川区で従姉妹の法要の日。 

2019年4月28日(日曜日)

午後に上越市吉川区は国田の善徳寺で従姉の一回忌法要があった。
大正12年生まれで最年長のいとこの享年は94才だった。
二十才年が離れていたので、子供の頃に「おばさん」と呼ぶと、「いやね、お姉さんでしょう」と言い直しをさせられた。東京女子大出身、東京大学地震研究所に助手として勤務経験がある優しく聡明な人だった。
大正生まれの方はご苦労されている、とはある僧侶の言葉。
亡き従姉も空襲に遭うなどで神戸、東京、旧菅原村、旧吉川町と人生の苦楽を歩まれ、後年坊守の傍ら地域活動や俳句に勤しみ、幸せな晩年を送られた。

若き日苦手だった経は、本日美味しい水でも飲むように心耳に響き、懐かしくも良い時間を過ごさせてもらった。夕刻のおとぎは場所を移し、鵜の浜温泉「みはらし旅館」に会した。食べきれないほどのご馳走を頂き、初めてお会いする浦川原の方のお隣で時間を忘れて興味深いお話をお聞きした。

 

国登録有形文化財「経堂」や市指定有形民俗文化財「仏足石」のある清々しい善徳寺。

 

境内で満開だったドウダンツツジ。

 

 

 

 

一帯の水田には早くも水が張られ、新緑の里は麗しかった。

本日、お陰様で樹下美術館はお客様に恵まれ、好評の展示を見入られ、またカフェが満席になる時間もありました。
誠に有り難うございました。

ゴールデンウイークの開館 山桜の落花。

2019年4月26日(金曜日)

日中、二日続きの雨が降った日、肌寒くて美術館は暖房が必要だった。
小さな女の子さんが来館され、カフェの食事ではワーッっと歓声が聞こえてきました。

間もなく10連休などという春の連休です。
5月1日水曜日は普段定休日ですが、連休中はお休みせず開館致しますので宜しくお願い致します。

お勤めの患者さん達にお聞きすると、殆どの方達は長休みは取れない、と仰いました。
近隣の病院は4月30日と5月2日の受診を可能にして、長期休診を回避しているようです。全く微力ですが私の診療所もこれに習うよう、一応皆様にお知らせし致しました。

 

さて、樹下美術館の山桜には野の楽しさを満喫させてもらいましたが、本日大方落花していました。

 

 

右の黒い木が花を散らせた本人です。

山桜はソメイヨシノに比して開花期間が短いように感じられます。というよりソメイヨシノが長く咲くように改良されいるのかも知れません。
また木によって開花時期にずれがあり、近隣には今満開を迎えているものも見られます。

今夜も冷え込み、県内の高地では雪が降るということ、なかなか丁度には行きません。
連休中のどこか良い日に庚申塔の探訪が出来れば、と考えています。

裏手のデッキの柵が新しくなった 雨の庭 秋のジャズコンサートの打ち合わせ。

2019年4月25日(木曜日)

樹下美術館の東の裏手には当初から小さなデッキをこしらえ、ベンチを置いている。
その場所は少々高い石垣の上にあり、落下予防として一部に木製の手すりをしつらえてあった。
それが昨年からぐらぐらしてきたため、この度新しく鉄製のものに取り替えた。
白く細くなったが頑丈で、見た目も清々しく仕上がった。

 

2016年7月のデッキ。

以下は本日のデッキ。

 

 

 

昨日の南風大風と打って変わり、本日日中は少々冷たい雨がしとしとと降り続いた。

 

雨は昨日の乱暴な風を詫びるように静かに降り、草木は一息ついている様子だった。
雨中の新緑がまぶしい。

さて本日午後、10月に行われるジャズコンサートの打ち合わせで、メンバーのお一人佐藤俊次さんがお見えになった。
ヴァイオリンが入るクヮルテット編成で、ジャンゴ・ラインハルトの流れを汲むマヌーシュ(ジプシー風の)ジャズが演奏される。

期日は10月5日土曜日午後。
秋の樹下美術館がエキゾチックなジャズサウンドに満たされる日が楽しみです。
詳細につきましては後日お知らせ致します。

春を喜ぶ若芽若葉たち。

2019年4月18日(木曜日)

数日うららかな春の陽が射すと一斉に樹木の芽が膨らみ、競うように若葉を広げている。
本日昼、樹下美術館の若芽若葉を中心に、庭木を撮ってみました。

 

カフェ正面ですくすく成長するイタヤカエデ
メープルシロップが採れる樹です、きれいに黄葉します。

 

その下の中低木ナツハゼ
大きな樹木の下で秋に黒い実をつけ、紅葉します。

 

 

その手前のモミジは昨年成長した枝。

 

右少し奥のナツツバキ
初夏に白い花をつけ、株立ちが似合う樹です。

 

その前のアメリカハナミズキ
間もなく開花します、これは白花。

 

さらにその前のヤシオツツジ
もうすぐ品の良いやや大きめの花を咲かせます。

 

建物正面右の中低木のニシキギ
秋の紅葉が見事。

 

正面左のアオハダ
三カ所で爽やかに株立しています。

 

正面右のやや低木のマユミ
ニシキギと兄弟のような木、真っ赤に紅葉します。

 

その右のツツジ
しばらくするとピンクの花が咲きます。

 

右奥の低木はウノハナ
「夏は来ぬ」の白い花は初夏の象徴。

 

そのまた奥のドウダンツツジ
6、7本くらいあり、一部で咲き始めた。

 

その手前の低い木、ヒメウツギ
白い小花をいっぱい咲かせます。

 

カフェ向かって右のこれも低いシモツケ
初夏にピンクの花が可憐。

 

その近くのガクアジサイ
樹下美術館に沢山あり、6月が楽しみ。

 

カフェ正面のカシワバアジサイ
夏庭の女王様、株分けをして四カ所で咲くようになりました。

 

ずっと左奥、実生のコナラ
コナラのどんぐりから生えた幼木です。

 

コナラのそばの中低木タニウツギ
旺盛に成長、夏の野の風情を演出。

 

その手前のやや低いツクバネウツギ
白く小さなトランペット形の花を沢山咲かせます。

 

カフェから右手に見えていたハクモクレンの若葉
モクレンの仲間は花も葉もゴージャス。

 

樹下美術館で現在満開のヤマザクラ
花と若葉の爽やかなトーンに心洗われる。

 

ライラック
まだ小さな苗です。

右手奥に植えて四年目のジューンベリー
そそとして目立たないが可憐。

 

眠りから覚めた彼らはみな柔らかで、軽々とした葉をまとい春の歌を謳っている。

土門拳などによる昭和の写真集 犀潟は新堀川の夕陽桜。

2019年4月16日(火曜日)

今年、美術館の図書をかなり大幅に入れ替え、30数冊を新たにしました。
(3月20日および3月21日に記載)

棚にまだ余裕がありましたので、いよいよ遠ざかる昭和を慈しみ、土門拳を中心に4冊の写真集を加えました。

私の年の人間には戦後のある時期から一種日常として土門拳は存在していました。まず氏のプロフィールのほんの一部ですが下記に記しました。
「1909(明治42)年山形県酒田市の生まれ。昭和10年、報道写真家として出発。戦中に仏像、文楽などを撮影。戦後は社会と生活に密着したリアリズム写真を展開する一方、著名人の人物ポートレートや風物、仏像など日本の現象と地勢、伝統に広く取り組み、優れた作品を発表した。昭和34年、脳出血を発症。回復後は「古寺巡礼」の撮影を開始。その後再発のたびにリハビリに専念し現場に復帰。晩年は長い昏睡の後209年、80歳で永眠。文筆家としても知られる」。

 

「土門拳の昭和」 編集・構成小西治美 (株)グレヴィス 第三刷 2012/6/発行
生誕100周年を記念した写真展「土門拳の昭和」の図録。「戦前・戦中の仕事」
「戦後日本の歩みとともに」「風貌」「日本の美」の4部構成で約300点の写真を
収録。
真実の迫力に引き込まれる。女優・水谷八重子ほかのあとがきと土門自身の
エッセイも収載。

 

「筑豊のこどもたち」 著者土門拳 築地書館。1977/7/21初版発行。
本書は2016年3月30日発行で第16刷。40年経ても変わらない熱心なニーズがある。
今後のために、嘗てあった事実を見ることの価値は他に代えがたい。

 

「腕白小僧がいた」写真・文 土門拳
(株)小学館 2002年9/1初版 2015年9/16第5刷発行
これも多くの重版が続けられている。

昭和20年~30年代の日本には元気いっぱいに遊び回るこどもたちで溢れていた。
こどもに溶け込み、生き生きとした姿を捉えた傑作に自身のエッセイを収録。
とりわけ東京の下町のこどもを愛し、豊かなスナップを残した。
「東京のこどもたち」、「日本のこどもたち」、「筑豊のこどもたち」
三部は氏の代表作のひとつ。

写真家が捉えた現代の一瞬「昭和」  (株)クレヴィス 2013/10/10第一刷発行
土門拳による表紙「浅草・雷門 しんこ細工 昭和29年」。
中央の男子の熱中と作る女性の沈んだ表情。
たった一枚の写真は、世相、場所、世代、生活、物語まで写そうとしている。

はかなげな戦前の平和、軍靴と戦渦、焦土と貧困、占領に引き揚げ、復興と景気、地方と都会、、、激しくうねった激動の昭和。その各相の光と影、日常と非日常が、12人の写真家によって見事に写し出されている。プロの撮影技術に加えて、時代への鋭敏な感受性が見事なシャッターを切らせたにちがいない。
撮影者:木村伊兵衛、入江泰吉、土門拳、浅野喜市、濱谷浩、緑川洋一、林忠彦、薗部澄、芳賀日出男、長野重一、田沼武能、熊切圭介の各氏。

時代とその生活を撮るために人物を写すのは必須である。しかし今日、肖像権や拡散と悪用などで極めて限定される。
その点、昭和の媒体は主として活字のうえ人間も大らかで、相当自由に人を撮影出来た。
自ら起こした戦争によって国も人間も死線をさまよった昭和。復興への陰影が撮られた写真はますます貴重で、価値も高まろう。

つい最近、ある方から土門拳の書を見せてもらった。
あまりに良いので展示中の齋藤三郎の壺に添えてみるとぴったりだった。

 

「毘(び)」は人間のへそ、あるいは助ける、の意味がある。
脳梗塞の後、渾身の気力を込めて左手で書かれている。
「毘」は「龍」とともに上杉謙信の旗印。
人を励ます力がある。

日が長くなっている。
夕刻、診療を終えて残っている草花を植えるため、美術館に向かった。
通りがかった新堀川の桜が夕陽を浴びてきれいだった。

 

短時間の天然照明、夕陽桜の美しさ。
花冷えが利いているのか数日来満開のまま。

掘川紀夫さんの凱旋 本日の食事。

2019年4月14日(日曜日)

夕刻まで何とかお天気が持った本日日曜日。
昼少し前に妻が用意した朝昼兼用の食事プレートを美術館に運び、コーヒーを入れてもらい、ベンチの丸テーブルで食べた。風がわずかに冷たかったが、まだ日射しは良く、のんびり過ごせた。

 

腎臓のことを考えて牛乳は100cc程度。
果物のほかちりめんじゃこ野菜、番茶まで付いた少々風変わりな食卓。

 

食べ終えて本「生きずらい明治社会 不安と競争の時代」
松沢裕作著 岩波ジュニア新書を読んだ。
平易な文書で大変読みやすく、先が楽しみ

すると掘川紀夫さんが、お久しぶり、とお見えになった。

昨年夏、当館で「夏庭のテンセグリティ展」をして頂き、静かな美術館を盛り上げて下さった人。
この度は3月8日~6月9日まで、ニューヨークはジャパンソサイエティに於ける「Radicalism in the Wildness Japan Artists in the Global 1960s」展の格調高いオープニングセレモニーの招待行事から凱旋され、本日のご来館だった。
※邦題;「荒野のラジカリズム-グローバル1960年代の日本の現代美術作家たち」展

8泊9日のアメリカ行きで少々肥られたご様子。嘗て取り組まれた60年代後半の成果が再評価された。国際的なイベントのオーブニングを終えられておのずと安堵の表情が滲む。
人生は色々あるが、芸術家という方達は、理想対時代の激しい潮流のなかで、本当にご苦労されている。だがこの度ご本人関連30点以上の展示と内覧、スピーチとインタビュー、さらに晩餐会。そしてにニューヨークタイムスほか多くのメディアによる紹介。情熱を注いだ青春時代の仕事が晩年?このように盛大に再評価されることなど、誰にでもあることではない。誠に希有な幸福であろう。

 

当展覧会案内冊子の表紙。

展示は1960年代後半の日本人による挑戦的な表現作品として掘川氏前山忠氏らのGUN、松沢宥氏、The Playの三者がピックアップされている。GUN全体では、50点以上もの作品と資料が展示されているという。
前衛は常にリスクを負う。表現されたものの価値と評価は流動し相対的なのが普通であろう。だがこの度のことで、仕事が50年の時間に耐え成熟し、歴史としての客観価値に近づいたのではないか。同時に今日、成熟したのは時代と社会でもあって欲しい、と望みを託したい気持ちがした。

 

プログラム冊子の「GUN]紹介ページ。
掘川氏らによる「雪国のイメージを変えるイベント」とGUNの紹介。
左はイラストではなく手前の橋から羽永光利氏撮影の写真。

60年代の「石を送るメールアート」から。結び紐と荷札がとても良い。
月面の石の一種アイロニーとして河原の石が各界に郵送された。
送られた人によって大切に保存されている。

 

 

 

デッキで昼食の掘川さん。
巨躯、髭、日焼け、メガネ、、、厳つい外見の掘川さんから人並み以上のナイーブさが伝わる。

 

がらっと話変わって夕食です。

 

タケノコが入った鯛そーめん。

 

味噌味のちゃんちゃん焼き。

 

これで十分なのに頂き物の富山の鱒寿司も出てきた。

 

とろろ昆布が挟まれた非常に充実濃厚な鱒寿司。

あすの朝昼は軽くしないといけなくなった。

樹下美術館の常設展示画家・倉石隆氏ご縁者の来館 庭仕事。

2019年4月13日(土曜日)

今昼、東京方面から画家倉石隆氏の縁者さんが来館された。
寡黙のなかに美学を秘めるお父様(倉石隆)の振る舞いなど、お話は興味尽きなかった。

 

あっという間にお別れが近づき、田んぼと桜を背景にベンチで記念写真。
さすが芸術家の血筋、皆さんさっと構図良く収まる。
ファインダーを覗くのが気持ち良かった。
どうかまたいらして下さい、有り難うございました。

お見送りしてからホームセンターへ行き、肥料と土などを求め、日没まで庭で過ごした。
先日と本日、植え込んだのは購入頂戴を含めアスチルベ7株、キョウガノコ9株、エビネ7株、雪割草8株、センノウ類5株。ほか成長の悪い8株のクリスマスローズを掘り起こし花を取り、場所と土を変えて移植した。植栽のほか拡がろうとする苔を剥がし、雑草も取った。

土や肥料は重く姿勢はきつい。
暮れるとともに足腰と肩がきしむように痛み出し、終了した。
まだ芍薬とヒュウガミズキ、それにエンレイソウが残る。
痛みは来るものの庭仕事ほど楽しいものは無い。
患者さん達が畑に夢中になるのはよく分かる。

樹下美術館のソメイヨシノと成長の早さ。

2019年4月12日(金曜日)

樹下美術館には以前から雑木林にあった7,8本の山桜が今もあり、間もなく開花を迎える。
ほかに2007年の建設時に記念としてソメイヨシノを一本南側の裏手に植えた。それがみるみる成長してこの一両年は目立って立派な花を咲かせるようになった。

 

田んぼから見た本日のソメイヨシノ。
左手に5、6年前に植えた樹が咲いている。
今後これも猛烈に育ち、右の樹と枝が重なってくるのではないだろうか。

テラスと桜。

 

手許に2012年の写真がある。当時まだ小さく花も目立たなかった。

 

2012年5月、田んぼから。

同じく2012年5月、手前から。左の樹はアカシデ。

わずか9年前にはまだ添え木をされ、屋根に届くかどうかという小さな苗が、今や屋根のてっぺんを越えた。施肥をする芝生にあるので余計良く育つのかもしれない。それにしてもソメイヨシノの成長の早さは全く驚くばかりだ。

所で自然界の山桜やエドヒガンザクラは数百年は大丈夫らしい。かたやソメイヨシノは60年とも聞き、短命はクローン植物の宿命なのであろう。
春一斉に狂った様に開花する花を支え、栄養する根の成長もまた凄い。狭い場所では、もこもこと地上に現れるほど太く大きくなる(あたりを踏み荒らすからだけではなさそう)。
あらためて寿命を考えれば、今や人間のほうが長生きになってしまった。だから手入れがとても大切らしい。
私たちを喜ばせるために懸命に生きるソメイヨシノを見るときは、「今年もありがとう」と心の中でひとこと言ってもいいかもしれない。

今夕、医療で関わっている特別養護老人ホーム「しおさいの里」で春の会があった。140名のスタッフはチームワーク良くモチベーションを維持し、社会の要所を支えている。
万歳三唱が回ってきた。「集団の仕事だが互いの個性を尊重し合うのも大事」と一言述べさせてもらった。離職率が低いのは、そのような配慮が自然となされているからではないだろうか。
同ホームは5種の施設を運営する複合施設の一つで、全体の職員は250名の大所帯だ。

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