樹下だより

貴重な今年前半の「お声」 なかなか晴れない空。

2015年9月8日(火曜日)

〝素晴らしいです。ボケの花入、草花文の水指、大変感動しました。特に気に入りました〟
〝光の使い方がとても上手だと感じました。とても良い雰囲気です〟
〝友人から県内外からの客人があると必ず来るとても素敵な美術館と聞き、是非一度と思っていました。
目線が低く様々な植物を見ながら昼食で気持ちが落ち着きました〟

以上は今年3月~7月まで、お客様が館内のノートに記載されたご感想の一部です。
「お声」として樹下美術館のホームページに掲載させて頂きました。
展示にカフェに庭に、さまざまな方々が記載されるノートは大変興味深く貴重です。
引き続き、どうかご自由にお書き下さい。

それにしましても連日雨がよく降りなかなか晴れません。

関田山脈の雲頸城平野を囲んで東西に連なる関田山脈の稜線を覆う白い雲。
平野を吹き上がった湿った風が冷えて帯のように連なっています。

 

センニンソウ縦位置近隣の林で咲き誇るセンニンソウの真っ白な花。
おしなべて今夏の草花は旺盛に咲いたようでした。
初秋のこの花も強い芳香を放ちながら沢山咲いています。

 

台風18号が接近しつつあり、晴天は週明けと、テレビの予報が伝えていました。
目を楽しませてくれる雲ですが、本日もテントのように空を覆い日光を遮っています。

 

10月17日の音楽会の演奏者さんはこんな方たちです。

2015年9月3日(木曜日)

来る10月17日(土曜日)の「三人の大学院生による秋の美術館コンサート」の演奏者さんについてお知らせいたします。

お三人とも今年3月に入学された上越教育大学の大学院生さん。
そろって23才と、とてもお若く伸び盛りなのです。

当日はバッハから現代曲、そして日本の歌までどなたにも楽しめることでしょう。
皆さんの音楽歴は十分で、演奏が心待ちされます。

出演者さん左からアルトサックス田村亮太さん、ピアノ鈴木啓斗さん、ヴァイオリン茗荷智光さん。
当日のピアノは電子ピアノを用います。

【三人のプロフィール】
田村亮太:新潟市出身、洗足学園音楽大学管弦楽科でサクソフォーンのほか室内楽および指揮法を学ぶ。第50回新潟県音楽コンクール管楽器部門において優秀賞を受賞。
鈴木啓斗:北海道中標津町出身、北海道教育大学釧路校芸術グループ音楽研究室卒業。NHK 全国学校音楽コンクール北海道ブロック釧路地区大会ほかで入賞。
茗荷智光横浜市出身、東京音楽大学ヴァイオリン科を卒業。リスト音楽院マスタークラスオーディションに合格し選抜演奏会に出演。卒業後1年間フリーの音楽家としてソロ、オーケストラ、室内楽、ミュージカル公演で活動。

【演奏会】
日時:10月17日(土曜日) 午後6時半開演
会場:樹下美術館
入場料:大人お一人1200円、中学高校生お一人800円
お申し込み方法:樹下美術館の窓口かお電話025-530-4155でお申し込みください。
※入場料は当日窓口でお受けいたします。

美しいカワラヒワの羽を拾った。

2015年8月28日(金曜日)

日中の山にむくむくと夏雲が出ていたが、夕刻から曇り空へ夜は雨になった。

昼過ぎ美術館のベンチの近くで鳥の羽を1枚見つけた。
黄色と黒のとても美しい羽だった。

昨今途方もないお金を掛けたプロジェクトのデザインが何かとすっきりしない。
較べて一羽の小鳥の羽の形状が、こんなに素朴で洗練されているとは。
それが空飛ぶ装置の一部とは。

 鳥の羽カワラヒワの風切羽と思われる羽。
長さ6,5センチ。

 

150502水盤のカワラヒワ今年5月、庭の水盤に来ていたカワラヒワ。

傷みがなく、一本だけだったので襲われたのではなかったかもしれないが、どうしたのだろう。

庭のりズム 当館のホームページやブログをご覧になって来館される方々に感謝

2015年8月27日(木曜日)

本日お客様と庭の話をして以下のようなことを感じた。
今時は花が少なく休みの庭。
それから燃える秋を挟んで春までは眠る庭。
庭はゆったりした呼吸のようなリズムを有している。

晩夏の庭ひと休みしている最近の庭。
それはそれで一種落ち着きが感じられる。

デッキ裏手のデッキから見える水田は日ごとに色づいて行く。
田んぼは当館の広大な借景です。

本日午後、新潟市からと埼玉県からのお客様にお会いした。
埼玉県の方は旅先の案内として当館のホームページをご覧になり、
新潟市の方は普段当ブログを見てくださり、このたび初めて訪ねたと仰った。

細々とした当館のホームページや拙ブログをご覧になって来館される方々は大変貴重で、いつも感謝しています。
新潟市のお二人は来館前に二代陶齋(斎藤尚明氏)の工房を訪ねたと仰り、とても幸せそうでした。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その3不安定な心の表れ。

2015年8月24日(月曜日)

「手は難しい」と言った倉石隆の手 で二回の記載を行いました。
一回目は雑音を避けるように、あえて手を描かない人物画。
二回目は動作の手と心理や感情など心が表れている手の作品を取り上げました。

色々ご意見はあろうと思いますが、本日は三回目最終です。
ここでは正面像にも拘わらず手の位置が不揃いだったり、その仕草に不安定さが見られる作品三点を眺めてみました。

④黄昏のピエロ倉石隆おなじみの油彩 「黄昏のピエロ」です。
まず細い身体と戸惑ったような目が印象的です。

④黄昏のピエロの手 か細い指をした手の高さが大きくずれています。
テントからの距離、細い体と頼りなげな手は拠り所のない孤独なピエロの心を伝えています。
「「(みつめる)」と同じように暖色系の色使いが、人物を優しく包んでいます。

 

E今春入ったばかりの油彩 「男の像」です。
黄昏のピエロと異なり、はち切れんばかりの異常に大きな身体です。
較べて手と顔は極めて小さく描かれ、顔の表情はいらいら落ち着きません。

E一応組まれている手にも同じようにに焦燥感が表れています。
新たなステップへの意欲と現実の狭間で、大きな体を持てあましている作者自身を描いています。

 

ネグリジェ倉石隆 油彩「ネグリジェ」
寝間着を脱ごうと服をずらした少女は細い身体をしています。

ネグリジェの手両手の位置は「黄昏のピエロ」と同じく高さが揃いません。
ぎくしゃくと左右異なる指のポーズから、緊張と不安が伝わります。
若い娘さんはモデルになるのが初体験だったのでしょうか。
何か可哀想で、見るほうもドキドキと緊張させられます。

さて三回にわたって倉石隆の人物画を、特に手に注目して見てみました。
〝手は口ほどにものを言い〟ではありませんが、氏の手には様々な表情が見られました。

実際手と指は顔にも劣らず大きく、二つもあり如実に動きます。
「手は難しい」
手は内部にある心を反映し、時には増幅するなど敏感な身体部分にちがいありません。
内省と観察の人物画家、倉石隆にとってそれは心と同様無視できない重要な器官だったのでしょう。

現在、樹下美術館では「倉石隆の男性」と銘打って老若の人物画を9点展示しています。
それぞれに、穏やかさ、無心、空腹、おどけ、困惑、寂寥、焦燥などが描かれています。

このたびの「(みつめる)」、「黄昏のピエロ」、「男の像」も展示していますので、どうぞご覧下さい。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その2動作の手 心の手。 

2015年8月23日(日曜日)

倉石隆の手に関連して前回は、手が描かれていない人物画を取り上げました。

本日の以下の二枚は1945から50年まで、戦後高田に復員していた困窮時代に書類や座右の半紙に描かれた素描です。
動作に関連したもので、構図が良く手のエッセンスが素早く描かれています。

授乳倉石隆 素描 「(授乳)」

寝そべる倉石隆 素描 「(寝そべる)」

 

このように熟達した描写力の倉石氏が「手は難しい」といいます。
次は動作をしていない人物(肖像など)で、表情のある手を見てみました。
いずれも1950年に上京し、画家としての地位を築いて行った時代の作品です。

(若い女性)倉石隆 素描 「(若い女性の像)」
重ねられるように組まれている手から、穏やかな感情が伝わります。
ダ・ヴィンチの「モナリザ」は椅子の肘掛けに片手を掛けていますが、この女性も似たような手の組み方をしています。

愁倉石隆 油彩 「愁」
固く組まれた手に愁いの強い思いが込められているようです。

 

最後に上の2枚と較べて、一種心の不安定さが手に感じられる作品を挙げてみました。

③見つめる倉石隆 油彩 「(みつめる)」
顔と同じくらいの大きさで描かれている手が気になります。
しかも離れた両手の高さが異なり、不均衡さが人物の心理に動きを与えています。
やや固い表情とともに、この手は一種不安定な気分を伝えようとしているようです。
但し、着衣の深い暖色と、首回りの引き締まった黒が絵画としての安定感を際立たせていると思われますが、如何でしょう。

モデルは作者自身ということですが、「(みつめる)」は私の好きな作品です。

1枚の無言の人物に込めなければならない心理や感情。
それが人物の困惑や不安で、しかも手でも表現を試みるのは、確かに難しいことでしょう。

心は文字や言葉にするさえ難しいのですから、倉石氏は手を何度も描いては消し、消しては描いたにちがいありません。
次回は「(みつめる)」と同じように、安定していると言いがたい心が手に表れている作品を幾つかご紹介したいと思います。

※括弧で書かれた作品タイトルはオリジナルのものが無いため、
「新潟市美術館企画展示図録 郷土の作家シリーズ 倉石隆展 1995年9月14日発行」の記載に依り、また一部は私が個人的に仮題としてつけました。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その1手が描かれていない作品。

2015年8月21日(金曜日)

過日美術館を見るという宿題の中学生とお会いした事を書かせて頂いた。

そのおり、〝倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
この画家には美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからであり、
人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い所へもしっかり目を向けた人〟など話をさせて頂いた。

さて、その倉石氏は生前「手は難しい」述べていたことを夫人からお聞きしたことがある。
デッサンの名人であり、太平洋美術学校時代は毎年デッサン賞に輝いた氏。
氏は後年「僕はデッサンをやり過ぎた」とまで述懐している。
なぜその人が「手は難しい」と述べたのだろう。

氏にとって手だけ描くのであれば、おそらく造作のないことだったろう。
仮に読書、演奏、絵画制作など「何かをしている」人物であればそれに合わせた手のポーズを描けば良い。

だが何もしていない人物画(肖像画も含めて)における手の扱いはどうすればいいのだろうか。
美しく描かない画家、倉石隆にとって重要なのはモデルの心理、感情、時には人物の歴史や物語でもあったはず。
顔や目は時間を掛ければ何とか描ける。
しかし手の心理、感情表現となると解剖図などに当然なく、描法もないl。

心理学で探すか、他者を詳細に観察するか自分を見るしかない。
正確に行おうとすれば、確かに難しい課題である。

このたび数回にわたって倉石隆の手について書いてみたい。
本日はまず手が描かれていない作品から二点掲載してみました。

①M夫人倉石隆 油彩「M夫人」

 

46倉石隆 油彩「秋」

何故手を描かなかったのだろう、と幾分の疑問を覚える作品である。
だが作者は作品に余計な心理感情を交えず、ただその人らしさを描きたかった、と考えてみた。
そのため手を描くことで生ずる雑音をあえて避けたのだろうと思われる。
倉石隆が終生心の師と仰いだという、レンブラントにも手が描かれていない自画像は多い。

次回は穏やかな手が描かれた作品に触れてみたい。
さらに先では困惑や混乱の心理、感情が手に表れていると考えられる作品について記載してみたいと思います。

美術館が宿題の中学生 実る水田。

2015年8月16日(日曜日)

蒸し暑さが戻った午後、熱心に絵をご覧になっていた家族にお会いした。
帰省中の方達で、長岡市の中学二年生のお嬢さんが混じっていた。
彼女の夏休みの宿題に美術館へ行く課題があったという。

「樹下美術館は小さいですから、宿題向きかもしれませんね」と話すと、
緊張ぎみだったお顔に笑み浮かんだ。
ただ倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからだ。

「この画家は、人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い部分もしっかり目を向けた人」
として現在架かっている、「めし」「黄昏のピエロ」「見つめる」「男の像」などを少し説明させて頂いた。
大きな瞳を開いて熱心に聞いて頂いた。

大人達がカフェに降りた後も一人で展示場に残っていた、と後でお聞きした。

さてお盆も終わり、周囲の水田は急速に色を濃くし、穀物のかおりが立ち始めている。
そんな田んぼに連日雀たちがやってくる。

集団でさえずり、何かの拍子に田から近くの木に一斉に移ると、また田に降りる。
乾燥して固くなる前の今頃の稲穂は柔らかくて甘く、雀の大好物らしい。

 

欣喜雀躍喜びいっぱいの雀。
厳しい秋冬に向かって食べれるだけ食べる。
農家の方、申し分けありません、きっと害虫なども食べていると思われます。

びっしりと稲穂夕刻の田んぼ。場所によってかなり色づいている。
びっしりと実った穂は大きく重そうで、素人の私ですが豊作を期待してしまいます。

年によって毎週のようにやってくる台風が一休みしている。
これだけの実りが台無しにならないよう、お願いしたい。

待ち遠しい雨は今夜降るのか 今秋11月14日(土曜)に第3回SPレコードコンサート 作之助の墓参り。 

2015年8月13日(木曜日)

なか三日お休みして更新したブログ。
その分を補って本日13日もう一記事を掲載致しました。

ようやく猛暑が一段落した盆入りの日、雲多き空から結局雨は降りませんでした。
もうどのくらい降っていないのか判然としません。
まずサルスベリとキョウチクトウだけが、我が世とばかり赤い花を勢いよく咲かせています。

サルスベリ診療所の近く、お地蔵様のサルスベリ。

午後美術館に寄りますと、当館のSPレコードコンサートで蓄音機と盤の厚い協力を頂いているS氏が来られました。

蓄音機夏の昼下がりのカフェでSPレコード。

お客様が帰られた後のしじま、聴きましょう、と持参された二枚のSPレコードを掛けました。
・最初はJ・Sバッハのやや珍しいリュート曲で、歴史的なギター奏者アンドレス・セゴビアの演奏でした。
・次がエルネスト・ブロッホ作曲のヴィオラとピアノの為の組曲からウイリアム・プリムローズのビオラによる一枚でした。

セゴビアが奏でるバッハはこよなくロマンティックに歌い、
プリムローズによるヴィオラは1900年前後のかぐわしさをカフェに響かせました。

今秋の「SPレコードを聴く会」を
11月14日〔土曜日) 18:00開演 に予定致しました。

クラシック、ポピュラー、日本歌謡の古き豊かなレコード音をどうかお楽しみください。
お申し込みは樹下美術館の窓口か、電話
025-530-4155で受付致します。 

本日聴きました二枚はとても良かったので、相談のうえ今度のプログラムに入れることに致しました。

 

作之助墓所当方で守らせて頂いている盆入りの日の小山作之助の墓。
我が家の墓所の隣にあり夕方お参りしました。

齋藤三郎(陶齋)の夏。

2015年8月8日(土曜日)

異常熱暑が続くなか、去る8月6日に倉石隆の夏を書かせて頂いた。
本日は齋藤三郎(陶齋)の夏作品を掲載してみます。

陶齋は草花を絵付けされましたので季節のモチーフは倉石氏の人物に比し多く見られます。

2冬瓜と茄子の絵籠に冬瓜と茄子の図。幅54,5㎝

 1冬瓜の皿色絵冬瓜皿 幅29,5㎝

  4姥百合の図。 幅67,0㎝

 

6芙蓉の皿鉄絵芙蓉文皿 幅18,2㎝

 5朝顔と浴衣湯呑染め付け湯呑:左朝顔、右俳句「浴衣着ていつもの顔の茶会かな」。

私たちは何かと季節感に敏感で、それは詩情をもって感覚されるようです。
詩情は季節から静かに届けられている贈り物のようです。

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