樹下だより

倉石隆の夏。 

2015年8月6日(木曜日)

本日も暑い一日、夕立もなく最後の雨も何時だったか思い出せません。
そんな日に作家の夏を見てみました。

樹下美術館の展示作家である画家倉石隆は人物の内面に挑戦した油彩メインの人物画家です。
そのためでしょう、タイトルに季節が入る作品は希のようです。
樹下美術館の油彩で「夏」が付いた作品は「夏の午後」が一点あるだけです。

 

55昨年展示した大きな作品「夏の午後」 1981年 145,5×112,0㎝
人物の上半身は女性だが、下半身、足などは男性の如く描かれている。
一体が男女であろう身体は空高く、気持ちよさそうに夏の日射しを浴びている。
モノクロームの空間は深く、背後の雲は優しい。
人物は極めて健康的で、一種性的な満足〔幸福)感を現しているように見える。
(以前は男性的な女性としか見ていませんでしたが、最近見方が変わりました)

 

次はがらりと変わって少年少女向け書籍「森の少女」の挿絵の夏です。
著者の椋鳩十(むくはとじゅう)は、奥深い信州の山の豊かさと神秘性、
およびそこに於ける人間の強さと暖かさを一夏の出来事として書いています。

 

森の少女」森の少女:椋鳩十・著 倉石隆・絵 偕成社1982年3月 第一刷発行

 123森の少女の挿絵原画から:物語の山姫を疑っていた少女が後半で正彦の前に現れる。
一種重厚な油彩と対照的に、倉石隆の挿絵は物語に沿って明快です。

この本は当館に1982年11月の第二刷が別にありますので、
明日それをカフェに置かせて頂きます、どうかご覧下さい。

さて暑い日は続きます。
本日午後じっとしていられずゴルフの練習場に行きましたところ、帰ると体が軽く感じられました。

後日齋藤三郎(陶齋)の夏を掲載致します。

10月17日(土曜日)夕刻は三人の大学院生によるコンサート。

2015年8月4日(火曜日)

来る10月17日(土曜日)、樹下美術館において、
“三人の大学院生による秋の美術館コンサートを開催致します。

上越教育大学大学院の院生さんたちは23才、とてもフレッシュな三人です。
若者とはいえ十分な学びとキャリアを積んでおられ、演奏会が楽しみです。

 

コンサート告知どうぞ大きくしてご覧ください。

 

第一報ですが、いずれお三人のプロフィールやプログラムの概要などをお伝えしていこうと思います。

明日より受付を始めます、どうか振るってお申し込みください。

みんなで遅刻 ケータイを持たない外出で陸の孤島化。

2015年7月27日(月曜日)

昨夕、東京からの客である知人と食事をするため、高田のホテルで待ち合わせをした。
17:45ロビー集合。
万事妻任せの私は財布もケータイも持たず診療所を出て、妻が待っているはずの美術館へ向かった。
ところが着いてみると妻の姿は無い。

「どうしたのだろう」美術館の電話を使って妻のケータイに掛けたが伝言設定だった。
「少し待ってから、先に出る」と伝言、返事が無かったためやむなく高田に向かった。
客人は几帳面な人だ、美術館で手間取ってしまい焦った。
それにしてもこんな時にケータイが無いと陸の孤島に居るようになる。

悪いことに高田に入って高速道路を降りると、珍しくひどい渋滞だった。
何度も信号待ちした後、稲田橋を渡るのに10分以上を要して完全に遅刻である。
付近の関川で「直江津祇園祭」に向かう「みこし渡御」の祭事が行われていた。

6,7分の遅れでホテルに着いたがロビーに知人も妻も居なかった。
まさか私を残して出ることはないだろう。
財布が無いので妻へ公衆電話も掛けられない。
行く店も妻任せで名を聞いていない、そもそも集合場所がこのホテルだったのか。

駅前のロータリーを回って気を静めてみる。
戻ってホテル脇に停めると知人が慌てて出て来た。
「遅れて済みません、訪ねたお宅で長引いちゃって」
と盛んに謝る。

ひとまず私の車に乗ってもらったが、どこへ行けばいいのか。
すると知人のケータイが鳴り、妻からだった。
最初の待ち合わせ場所が美術館でなく診療所だったと言い、夕刻の用事にも手間取ったらしい。
いまホテルの駐車場に入った所と言うと、間もなくはーはーと言って妻が現れた。

やれやれ、最も用心の悪かった私が一番乗りだったとは。
全員遅刻となったが、なぜか皆ほっとしている。

来る途中の妻は店に遅刻の侘びを入れてあり、お陰で楽しい食事となった。

 1 県内産、地場産の凝ったオードブル.。
開店6周年記念メニューはみな口に美味しく胃に優しかった。

2

「私はなにかと数を数える癖がある。公園の木も年月や時間も」
「駅の階段は数えながら上り下りすると安全」
私と同じ年の几帳面な知人の幾分不思議かつ為になる話だった。

帰路、車が二台になったが、飲んだ妻は一晩高田の実家に泊まり、
飲まなかった私がそれぞれの所へアッシ-をした。
ケータイと財布を持たずに外出した私が最もいけなかったのは論を待たない。

梅雨が明けて。

2015年7月21日(火曜日)

本日北陸も梅雨明けと報じられた。

かっての昔、「梅雨明け宣言」と言っていたような気がするが、今は言わないようだ。

ちなみに当地の明日の予報は、午後に雲と傘のマークが付いている。
梅雨入りや梅雨明けは絶対的な区切りではなく、グレーゾーンを伴うのは自然であろう。
気象庁でも〝梅雨明けしたと「みられる」と「発表」〟という風に控えめな言い方をしていている。

昨夏は週末のたびに雨になったり、台風の影響を受けたりで海水浴場は低調だった。
今年、まず海の日の連休は晴れた、今夏の海は賑わってもらいたい。

 

1本日美術館のベンチから見た積乱雲(入道雲)。

2およそ25分後、雲の先端が破裂したように扇形に開き、毛羽立った。
昨日の「かなとこ雲」と同じく、発達する積乱雲の最終の形で「多毛雲」と呼ばれるらしい。

「雲散霧消」の言葉があるように、、明瞭で大きな雲でも分単位で形が変わる。
ちなみに上掲のような雲は後にすじ雲になったり、曖昧な形で消えたり、
一面の曇り空となって雷雨を伴うなど色々変化を遂げる。

3新しく見つけた大潟漁港付近の夕暮れ。

本日暑い中ご来館くださった皆様、まことに有り難うございました。

樹下美術館の巣箱でシジュウカラの子育てに雀が協力?

2015年7月18日(土曜日)

4月下旬、カフェの前の桜に巣箱を掛けた。
その巣にコムクドリが数回入ったが結局使われることはなかった。

すっかり諦めていた所、7月上旬にシジュウカラが餌を運ぶのを突然のように見た。

以後何度かカフェで、巣箱に出入りするシジュウカラを目にした。
私たちの知らない間に、巣作りをし産卵→ふ化→給餌へと順調な子育てが進んでいたことになる。

ところが本日、雀が餌を咥えて巣箱に入るのが観察された。

かって雀の巣を攻撃するコムクドリを見たし、シジュウカラの巣を攻撃した雀の話などを聞いたことがある。
しかし本日見た限り、雀はシジュウカラの給餌に協力しているようだった。
一体これはどうしたことだろう。

 

2昨日の巣箱へ餌を運ぶシジュウカラ。

3本日午後、なんと雀が虫をくわえて来た。

4シジュウカラも餌を運ぶ。

5前に雀、後ろにシジュウカラがいる。

6再びシジュウカラが給を持ってくる。

7雀もまた。

8えさ箱に書かれたWelcomeの文字がどこか象徴的。

9覗いた雀の姿は幼く、若鳥のようだ。

二種類の鳥が同じ巣箱に餌を運ぶ。
まさか中にシジュウカラと雀の巣が二つあるとは考えられない。

7月上旬から餌を運ぶシジュウカラを何度か見ていたので、
本日の雀はシジュウカラの子育てを助けているようにしか見えなかった。
しかも見た目、雀の体毛は明るく(薄色)、嘴に黄色味が見え、表情が幼く、今年年生まれた若鳥に思われた。

かってコムクドリの観察で、若鳥は何かと興味本意の行動をし、ほかの巣へ出入りすることがあった。
しかし餌を運ぶことは全く行わなかった。

ただし雀は、他ののつがいの子育てに給餌などの協力をすることはあると聞いていた。
だが異種の鳥にまで協力をするだろうか。

 11参考:雀の成鳥(一昨年、診療所の庭で子育てをした雀の親鳥)。
嘴が太く真っ黒で、のど元の模様が黒く大きく、羽の色が濃く、目がお爺さん風で、羽毛も汚れている。

本日の雀の見た目は若かった。
一時的な興味本位?親の模倣行動?あるいは本気?ほかに何か?

仮にシジュウカラのつがいのうち、どちらかが亡くなり、見かねた雀の若鳥が助けている?
いずれにしても本日見たものは、野性動物の「寛容」としてあり得ることなのか。
今後どうなることだろう。

観察、撮影はカフェのガラス窓越しです、甘いピントなどご勘弁ください。

10月に上越教育大学の大学院生さんのコンサート さらなるレジーム。

2015年7月16日(木曜日)

風はありましたが暑気の一休みといった一日でした。

午後、上越教育大学から三人の大学院生さんが音楽教授の後藤丹(まこと)先生とご一緒に来館されました。
来る10月、以下の様に樹下美術館で行われるコンサート会場の下見でした。

ヴァイオリン/アルトサックス/ピアノ(電子ピア)による演奏会です。
お三人はともに若く、かつ十分なキャリアをお持ちです。

「三人の大学院生による秋のコンサート」(仮題)
・場所:
樹下美術館
・日時:10月17日(土曜日) 18:30(18:00開場)
・入場料:大人お一人1200円 中学・高校生800円
・お申し込み方法:樹下美術館の窓口かお電話でお申し込みください。
・樹下美術館 電話 025-530-4155
 50席をご用意する予定です。

秋の宵、クラシックから現代曲そして日本の歌まで、はつらつとした演奏をお楽しみください。
詳細につきましてあらためてお知らせ申し上げます。

さて台風11号が接近しているせいでしょうか、本日四ツ屋浜の夕焼けは見事でした。

083今夕の燃えるような夕焼け。

ところで本日、安全保障関連法案が衆院を通過した。
70年前に終わった戦争で沢山血を流したのに、まだ足りないと言っているようだった。

母が背負って育てた弟はレイテ湾で突撃し、機銃掃射の前に亡くなった。
「もう止めたらどうだ」
叔父が地下でもう一回うめいているように感じる。

いま新たな緊張の一方で、粘り強い外交が歴史的な成果をあげつつある。
時として時代は急に進む。
困難だが最後のレジームが始まっているのではないだろうか。
〝お互い無駄な血や税を注ぐのはもう止めよう、切りが無い〟単純ゆえに理解できる。

このバスは乗り遅れた方がいい、次のバスこそ正解だ。

夏の水盤。

2015年7月15日(水曜日)

本日風が涼しく往診や在宅周りは比較的楽だった。

暑さは三日目となり、美術館の水盤に鳥が頻繁にやって来る。
本日昼休みに見た鳥たちはいずれも幼かった。

 

1水盤の向こうにヒメヒオウギズイセンとヤハズススキ。

 

2水を飲む雀の若鳥。

 

3 その鳥の水浴び。

 

4このシジュウカラも幼く見えた。
鳥たちはみなそっとした仕草で水を飲む。決してガブガブと飲まず品が良い。

今頃の若鳥は恐らく二番子であろう。夏子は餌に不自由無いと思われるが暑さは厳しかろう。
夏は短く、秋の独り立ちに向けて急いで成長しなければならない。

 

5おまけ:本日夕食のコロッケ。
患者さんから頂いたじゃがいもで作ったコロッケは、香り濃く美味しかった。

早速、追加した濱谷浩氏の図書をお読み頂きました。

2015年7月14日(火曜日)

去る7月12日、上越市立総合博物館で開催中の生誕100年にちなんだ濱谷浩の「雪国」展のことを書きました。
濱谷氏の作品における「人間、時代、そして風土」を見る目の鋭敏さは時を経て益々貴重なのもに感じられます。

上越市と深い縁があり、当館展示の陶芸家・齋藤三郎〔陶齋)と親交された濱谷浩氏。
十分ではありませんが樹下美術館の図書に氏の関連書籍が収蔵されています。
このたびその中から新たに「雪国」と「怒りと悲しみの記録」の2冊をご覧いただけるようにしました。

本に一定の傷みがあることと、ラックが一杯なため、この2冊はスタッフが管理しています。
ご覧になりたい方は申し分けありませんが、ご遠慮なく窓口で仰ってください。

 

ところで本日、さっそく閲覧の申し込みがあったそうです。

雪国「雪国」 毎日新聞社 昭和31年3月30日発行 題字は同時代上越市に疎開していた詩人堀口大學。
現上越市桑取地区に伝わった小正月の伝統行事の克明な写真記録、および
新潟県下の冬の情景と暮らしが生き生きと写し取られている。

 

怒りと悲しみの記録見開き「怒りと悲しみの記録」  河出書房新社 昭和35年8月7日発行。
昭和35年(1960年)日米安全保障新条約批准に際して行われた反対行動の記録写真集。
強行採決から条約自然成立まで一ヶ月の激しく深い「怒りと悲しみ」が収められている。

ご覧のお客様は濱谷氏の探究心と脚力に驚かれ、
「雪国」に内容の素晴らしさを、「怒りと悲しみの記録」からはショックを受けたと仰ったそうです。

ご閲覧いただき有り難うございました。

全国一暑い日。

2015年7月13日(月曜日)

本日は朝から強い熱気に包まれた。
上越市高田は全国最高気温となり38,6度、診療所の大潟区は38,3度で三位という暑さだった。
最高気温ベスト10のほとんどが北陸、東北の日本海側で観測されていた。

そんな日、スタッフに刈られた芝生と草地は清々しく見え、
館内で展示されている陶齋の器のキキョウ、オカトラノオ、アジサイ、イネ科の夏草が涼しかった。

日没後の四ツ屋浜は高空の雲が次々に赤く染まり、暑い一日を美しく幕引きした。

 

1さっぱりと刈られた芝生。

2隣接地の草も刈られて松苗の足もとも涼しそう。

3館内の花に秋の風情。

 

4美しく暮れた四ツ屋浜。

明日も33~34度の予報が出ている。
本日熱心に展示を観て頂いた方々、カフェでくつろがれた皆様、誠に有り難うございました。

是非見たい上越市立総合博物館の濱谷浩と「雪国」展。

2015年7月9日(木曜日)

上越市立総合博物館で開催中の濱谷浩と「雪国」展を観てきた。
氏の生誕100年にちなんだ開催である。

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濱谷氏は国際的な写真家集団・マグナムフォトにアジア人初の契約参加をした。
さらにハッセルブラッド国際写真賞をもアジア人として初受賞した日本の代表的な写真家。
昭和13年~27年の長きにわたり、高田市を頻回に訪ね、あるいは居住し当地に深く関わった。

本催事は記念碑的な写真集「雪国」の写真展で、濱谷浩写真資料館からの特別出品になる。
作品は上越市桑取谷は西横山地区の伝統行事を中心に、越後の風土と心身のヒダを如実に写して感銘を受ける。

タペストリー看板エントランスホールに架かる案内タペストリー。
手前の少年の手は、しもやけによってひどく腫れてただれていている。
身体は痛々しいが表情は澄んでいる。
子供達の祭事は喜びを伴う自然な修行にも見える。

頸城の山河の奥深く包まれるように残っていた文化は縄文と弥生の両義性がみてとれる。
そこで正月を中心に行われるこまやかな行事は、長い時間の浄化作用を受けて神と結びつきかつ洗練されている。
白く深い雪の背景がそれらをいっそう強く印象づける。
芸術であり学問、、、これぞ写真、、、濱谷氏の洞察力に添ったゆるぎない構図、明暗への対応は驚くばかりだった。

見終えて本町の「大杉屋」さんへ寄ってお菓子を買った。
大杉屋さんのご主人宮越氏は20才代から濱谷浩さんと親交された。
店内奥にはとても大きく貴重な濱谷作品「歌ってゆく鳥追い」の現物が飾ってある。
本日の拝見は余計有り難く感じた。

 

001 当館収蔵の「雪国」から「歌ってゆく鳥追い」のページ。
どうやって撮ったのだろう、本当に素晴らしい。

 

大杉屋さんの色紙お菓子屋さんに相応しい店内の「香」「味」二枚の色紙は、陶齋の椿図に濱谷氏の文字。

 

大杉屋さんの書ウィンドウにあった「父不傳 子不記」も濱谷氏の書。
父伝えず 子記さず と読めばいいのだろうか。
ただ己の道を歩むだけ、の意味なのか。
大変良い和紙で文字も独特で味わい深い。

 

博物館のお帰りにはぜひとも「大杉屋」さんにお寄りになってみてください。
当店は生誕100年展の第二の会場ともいえそうだ。

樹下美術館の展示作家・齋藤三郎(陶齋)は濱谷浩と親交があり、氏および夫人のいくばくかの本を収蔵しています。
樹下美術館蔵の濱谷浩 書籍
「日本の詩歌」 中央公論社 昭和47年1月15日発行
・「女人暦日」 濱谷朝追悼写真帖 1000部私家本
・「昭和男性諸君」 1989年12月11日
・「怒りと悲しみの記録」  河出書房新社 昭和35年8月7日
・「雪国」 毎日新聞社 昭和31年3月30日発行
・「學藝諸家」 岩波書店 1993年11月24日発行

以下は樹下美術館のカフェにあります。
・「潜像残像 写真家の体験的回想」 河出書房新社 昭和46年7月30日発行
・「女人日日 おんなのひび」 文化出版局 昭和60年11月11日 発行
・「福縁随處の人びと」  創樹社 1998年4月11日発行
・「昭和女人集」 毎日新聞社 昭和60年4月30日発行

※生誕100年の機会に「雪国」と「怒りと悲しみの記録」の2冊をしばらくカフェに置くことに致しました。
書棚が一杯ですので閲覧ご希望の方はどうかスタッフにお申しください。

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