空・海・気象

北ぐにの波に桜の色見えて雲に龍かな正月の浜

2012年1月2日(月曜日)

年末30日に末期癌の方の看取りがあったが、その後は静かに過ぎているようだ。

 

上越市の頸北地域では一月元旦は穏やかな日になることが案外ある。いつぞやは坂田池湖畔へ母を連れて行き、リハビリの散歩をしたこともあった。

 

昨日2012年の元旦もそこそこの一日となり、午後3時すぎから柿崎海岸を歩いた。

 

柿崎の浜柿崎の海は季節風が止んで3,4日すると、西側に平坦な渚が広がる。
そこは大きな潮だまり様になり、少しでも夕陽が差すと波の出入りがきれいだ。
昨日も一時桜色になった。

雲龍?
暗くなる頃、見上げた空にもしや昇龍かという雲が一瞬現れた。 

 

普段縁起はほとんど担がないが、どうなのかな、という夕刻だった。

大雪は温かな海のせい?

2011年12月26日(月曜日)

連日大雪の予報が伝えられるが、上越市大潟区ではほとんど積雪が無い。その一方で山沿いは雪下ろしや除雪で死傷者がでるほど大雪となった。 

 

浜線の道大潟区・鵜の浜温泉の付近

 

冬のはじまりはしばしば沿岸に多く雪が降る。しかし今年は最初から山に降った。恐らく秋以来の温暖気象によって海が暖まり強風とあいまって沿岸は積雪を免れているのだろう。一方温かな海は大量の水蒸気を上空の寒気に送り込み、内陸に大雪をもたらした可能性がある。

 

大雪の妙高市には親族もいる。一旦寒波が去ることを心から願っている。

雲見るためもあらむ今日の日 夜は救急

2011年11月18日(金曜日)

往診は夕刻までかかった。夕焼けは日没する西をはずして東寄りの雲を染めた。ダッシュボードのポケットカメラで撮った。

今日の夕焼け雲

 人の世のいかなるものかは知らねども雲見るためもあらむ今日の日

 

追加:夜9時過ぎに電話があった。夕食は変わりなかったという在宅患者さんの急変、痰が詰まっているようだということで急いで出た。完全に反応を失いぐったりされている患者さんの顔ががゆがみ、左上下肢がだらりとして脳血管障害。血圧は維持されていて、すぐに病院と救急に連絡し紹介状をFAXした。

 

在宅の急変は家族が直ちに救急車にするか、在宅主治医の往診を依頼するか、判断が微妙な場合がある。様子を聞いてすぐに救急車を呼んで下さい、と伝えることもある。

 

近時脳梗塞は、病院専門科による早期の処置(t-PAの静脈注射)によって重篤な麻痺の回避が期待できるようになった。事実この一両年、救われた事例がみられている。
いずれにしても如何に早く病院に到着するか(二時間以内の到着、三時間以内の処置)が鍵になる。

急変する天候とサーフィン 明日は司修さんの講演会

2011年11月16日(水曜日)

お天気のなんとお天気屋さんなことだろう。昨日の荒天とうって変わって今日の晴天。寒かったが時間が経つほど晴れ渡っていった。

 

サーフィン

午後の大潟区雁子浜の海岸でサーフィンをする人を見た。海は楽しめる場所だが、津波だけは本当に恨めしい。

 

明日は絵画、装幀と挿絵、小説、芸術論と多能な芸術家司修さんの講演会です。若い時代から倉石隆とお付き合いのあった司氏。かって録音された倉石氏の声も聞く事が出来るようです。とても楽しみです。

きままな雲は高空で舞っていた。

2011年11月1日(火曜日)

日中は暖かで、雲が高い空を謳歌していた。

 

雲が舞う

 

ともすると雲は踊って笑って浮かんで跳ねて、ふさいで怒って暴れて泣く。その雲をあやつる天然は壮大で気まま。秋になって少々穏やかになったが、今年は随分激しく振る舞った。

 

ところで冬はと、みな心配している。テレビはあくびをするように「平年なみ」、と言った。ともあれどうかお手柔らかにと、高空で踊りに興じる雲を眺める。

秋晴れの秀麗 柏崎市のお茶 新潟市の驚くべき展覧会

2011年10月29日(土曜日)

二日続きの秋晴れの一日だった。週末の午後、柏崎市の木村茶道美術館へ寄って新潟市の會津八一記念館へ行った。柏崎市では最初に懐かしいヨットハーバーへも寄った。

 

 1ヨット
柏崎市沖合のクルーザー。秋風を受けて近づいて来た。

同市は昔からヨットが盛んだ。ハーバーでは7割がた陸揚げされていたが、懐かしい「ミス日本海」号はまだポンツーン(係留のための共有通路・桟橋)に居た。大きかった同ヨットはその昔、ナホトカ市への友好航海やハワイへの遠征を行って有名だった。およそ4年間、当時皆さんにはレースなどでお世話になった。

お目当ての一つ木村茶道美術館は昭和62年春、茶道を始めるきっかけとなった所。ヨットを終えてからだったが、以来何度通ったか分からない。
初めての人もお菓子をいただき文化財級のお茶碗で抹茶が飲める。掛け軸、香合、棗(なつめ)、茶杓、風炉・窯、棚飾り、みな文句なしの文化財。私の茶碗は御本刷毛目(ごほんはけめ)、大振りで明るく、うっとりするような器だった。
妻は秋らしい趣の絵唐津の筒茶碗で、初めてというご一緒したお二人も備前や灰釉の名碗だった。

茶室のある松雲山荘の四季も道具類に負けずご馳走だ。なかでも間もなく錦となる紅葉はかってニュースステーションで中継されている。

ここでは未経験者でも気楽にお手前のもてなしを受け、御抹茶が楽しめるのでお勧めしたい。

2刈り込み
松雲山荘:ドウダンツツジの刈り込み。
この数百メートルも真っ赤になる。

 

4リーフレット
驚嘆の展覧会リーフレット

3茶箱
茶室の棚飾りは竹籠。
古い唐物(からもの:中国の伝来品)

 

5會津八一記念館
展覧会場・會津八一記念館

本日のお目当て「北大路魯山人VS會津八一」はまれに見る充実の展覧会だった。サブタイトルは“傲岸不遜の芸術家”とあった。思い切ったキャッチ、しかし傲岸に秘められた限りない美意識と探求、ナイーブな精神は天からの贈り物だと思わずにはいられなかった。

単に贈り物と言っても、本人達は血のにじむ思いで制作と格闘したことだろう。しかしその結果が私たちへの贈り物(あるいはもてなし)ともなっているのだ。

二人の共通項は先ず時代と書、なにより強烈な個性(自我)ではないだろうか(巨躯とユーモアも)。両者の特異として魯山人は美食の具現と陶芸、八一は短歌と美術史でそれぞれ巨峰をなした。
お互いは同時代にも拘わらず、意識しあっても決して交わることは無かったという。つきつめた個性とはそのようなものかもしれない。

さて八一は新潟県の人であるが、魯山人と新潟県の関係も新鮮で興味深かった。その一つ貴人、良寛への熱中が示されていた。新潟県の文化人達へ良寛を所望する痛々しいばかりの手紙などに陶酔ぶりが伺われる。
糸魚川の歌人相馬御風や柏崎市のコレクター吉田正太郎との交流等々、同県人として誇りを禁じ得ない。

拙樹下美術館の人間として印象に残ったのは八一が揮毫し、齋藤三郎が形成・焼成した抹茶茶碗だった。蝋で書かれた力強い文字、染め付け(藍色)の色合い、寸法、、、。二人の天賦と努力が一点に注がれた夢のようなお茶碗だった。

會津八一の没後55年となる当館の今年度特別展。希な芸術家の篆刻、書画、手紙、器、看板、写真等々が二度と見られないであろう切実さと品格をもって心に迫った。本日は全てを見たとは言い難い日程だった。11月30日までなので願わくば何度も見たい。

同催事は新潟県民の誇りを確認させてくれる異例のものではないだろうか。是非沢山の方に見ていただきたいと思った。

 

6ディスプレイ

 懐かしいイタリア軒のラウンジで見たディスプレー

すっかり暮れてイタリア軒で食事をして帰った。夏来体調が良くなかった妻は快気のビール。運転の私は食べるだけ、美味しそうなお酒の色合いを鑑賞させてもらった。

何度か書き直しをしました。

司修氏講演会

秋の柿崎海岸 まぶしい若者

2011年10月19日(水曜日)

コンニチハコンニチハと波がやってきて

サヨナラ サヨナラと消えて行く

 

コンニチハとカモメがやってきて

サヨナラ サヨナラと消えて行った

 

カモメ
  

渚の若者に波がコンニチハ
1

 

若者も負けずにコンニチハ
2

それからオーイと仲間を追いかける
4
 

司修氏講演会

飛行機雲とハマゴウ

2011年9月29日(木曜日)

午後休診の夕刻、樹下美術館の庭で続けて飛行機雲を見た。写真に撮って大きくするとそれらしい機体が見えた。初めのは戦闘機で次が旅客機かな。

 

空港が近い都会なら好きなだけ飛行機を見ることが出来る。しかしこちらではやはり珍しい。

 

空にカメラを向けて喜んでいる自分に子供っぽさを禁じ得ない。

飛行機雲1 
飛行機雲2 
飛行機雲1トリミング 
飛行機雲2トリミング 

飛行機雲ハマゴウ
夕暮れのハマゴウ 

帰り道いつもの四ツ屋浜に寄ると印象的な夕焼けが見えた。頭上にゲジゲジのようになった飛行機雲。わずかな時間で随分変わる。

 

間もなく10月という海岸にぽつぽつと「ハマゴウ」が咲いていた。夕暮れの名残花、よく見るとういういしくて可憐だった。

新潟市への往き帰り 船とトンネル

2011年9月1日(木曜日)

厳しい暑さを越えたころから在宅の方たちがが続けて発熱された。大方回復に向かわれ、入院の検討が必要だったお一人も今朝解熱された。

例年、夏と冬は寒暖のピークを過ぎたころに用心が必要な期間があることを知らされる。

今日木曜日午後は一応の定期休診で新潟市へ産業保健の講習を受けに行った。職業性呼吸疾患(じん肺)についての講義だった。作業環境改善と健診の注力でこの分野の改善は著しいが、長年の観察が必要で油断できない。

えちご 向こうに見える「えちご」は第九管区海上保安本部最大の巡視船、二基の砲門(機関銃らしい)が見える。その昔、能登半島沖を数人のクルーとヨットで航行中に近づいて来たのは多分この船。はるか沖合で出会うと少々怖い。
越路丸
新潟県所属の多目的漁業調査指導船、「越路丸」が入港してきた。
なかなか格好良く、研究室付きの漁船といった感じ。

しらかば 遠くに巨大な新日本海フェリー「しらかば」。深夜に新潟を出港して翌日夕方に小樽へつくという。ぜひ乗船してみたい。

赤い漁船
寺泊で見た漁船。赤と白のペイントはテレビで見るヨーロッパの舟のように美しかった。

新潟市まで高速道路を含めた運転が90分、講義90分で緊張の3時間。受講後は車を留めたホテルで珈琲を飲み、みなとぴあでしばし船を見た。それから海沿いの道をすたすたと走って帰ってきた。

 椎谷岬トンネル
椎谷岬トンネル

柏崎の手前で椎谷トンネルを通った。照明がグリーンで目に優しくとてもきれいだった。椎谷岬の国道は2007年の中越沖地震の崖崩れで通行不能となり2010年1月トンネルとして開通したという。あの岬の坂道は語りぐさになった。

暮れる柿崎海岸 跳ねる魚

2011年8月25日(木曜日)

所用で忙殺される妻に代わって留守番の午後。番が終わると雨が上がった夕刻の柿崎海岸へ歩きに行った。

暮れた海 
 
それほど良くないお天気でも夕暮れは格好がつく。今日は穏やかだった。
 
跳ねる魚1 

跳ねる魚2 

その暮れる渚のあちこちで魚が跳ね始めた。よく分からないが秋の魚フクラギあるいはワラサだろうか、相当に大きく5,60センチはあろう。
※後日追加です:比較的河口近くでしたのでボラかもしれません。

 

先ほどまで釣り竿を手に手に海を見ていたおじさん達が帰るのを見計ったように始まった。なぜ跳ねるのだろう、右へ左へ上へと思いっきり、とても楽しそうだった。

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