やって来た寒波。

2018年1月12日(金曜日)

昨日、寒波は上越地方を避けるように雪を降らせ、中
越地方では長時間に亘る電車の立ち往生が発生した。

作夜のニュースは、今夜から当地も大雪となることを告
げたが、その通り診療所は一晩で40㎝ほど積もった。
今年購入した除雪機を使って美術館の男性スタッフが
朝早くから駐車場の除雪をしてくれて本当に助かった。

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カーポートの後ろ側の庭。黒っぽい葉の陰は屋根から
下がったナニワイバラ。雪は見るだけならきれいだが。

 

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本日の往診は一件だけ。まだ道幅に余裕があり、助かる。

1975年、当地に帰ってきたばかりの頃、少しの雪でも滑
って脱出出来なくなり、通行する人に押してもらった。

以来、冬期間だけ4WD車のレンタル、4WDの購入、スバ
イクタイヤ装着、スタッドレスタイヤと変わった。
最強は四駆+スパイクタイヤで、長距離も怖くなかったが、
夜間氷った道で急ブレーキを掛けるとスケートのように滑
ることがあり、恐ろしい思いをした。

 

ところでこの雪の中では昨日の小鳥たちは餌を探せない。
雪の無い地方へ移動したのではないだろうか。長野県
あるいは群馬県などへ、、、。

大寒波というが上越市は青空が覗いていた 鳥たち。

2018年1月11日(木曜日)

県内外大雪のニュースだったが上越市はわずかで、日
中は青空も覗いた。

午後の晴れ間、車を走らせて鳥を探しに行った。
スズメ、コハクチョウ、マガン、アトリ、カワラヒワ、
ノバト、ハクセキレイと出合った。

鳥たちは大勢いたが、お天気の当地へ避難してき
たのだろうか。

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コハクチョウとマガン。敏感なマガンも鷹揚な白鳥と居る
と人への恐れが和らぐようだ。

 

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前列にはもっと沢山いたが途中で切った。小さな用
水の堰と田んぼを行ったり来たり、忙しそうだった。

 

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野バトは足環をしていたので、飼われている、あるいは
かって飼われていたのか。雪上はなかなか美しい。

 

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今年もアトリの群と出会った。遠目には雀とそっくりだ
が、近くではパッパと黄色が見え隠れするので分かる。

 

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アトリの群にはほかの鳥がよく混じっている。本日は
カワラヒワが付いていた。以前スズメやカシラダカが
一緒だったことがある。アトリの群はとても大きく、一
緒だと安心感があるのかもしれない。

 

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10羽ほどハクセキレイも一緒だった。ファインダーを覗
くと日本画そのものの風情。

突然、一羽の猛禽がつっ込んで来た。群は一斉に離散し、
あっという間に見えなくなった。
この猛禽は群と一緒に移動して狩をするのかもしれない。
鳥たちが忙しそうに飛び回るのは、それを避ける意味もあ
るのか。

 

本日上越市は雪を免れたが、今夜から降るとニュースが
伝えていた。
熊本の先輩から雪見舞いの電話を貰ったが、同市も寒波
によって5㎝ほど降ったという。

 

懐かしいメリー・ホプキンは可愛く凄い人だった。

2018年1月10日(水曜日)

本日日中2度まで下がったが、雪にはならなかった。

普段暖かな南西の方面で降ったのにここが避けられ
ているとは、不思議だ。

ところで冬になるとロシア民謡が浮かぶことがある。
「走れトロイカ」「ステンカラージ」「ともしび」
「カチューシャ」「黒い瞳」など、挙げれば色々ある。
中学時代に習ったものもあり、よく親しんだ。

本日特別に記事が無く、1960年代の若かりし時、
ラジオで流れたロシア風な曲があったので載せてみま
した。

 


メリー・ホプキンの「悲しき天使(Those Were The Days)」
ラジオで流れていただけなので、こんなに可愛い人が歌っ
ていたとは知らなかった。
眩しく、ただただ楽しいだけだった青春を懐かしんで歌われ
ている。ロシアに原曲があり、ジプシーが原点というような
記載がみられた。
ツィッギーがポール・マッカートニーに紹介した、という抜
群の毛並みにも驚かされた。

実は当時彼女の歌では、次の方が気に入っていました。

 


「Goodby」。ジョン・レノンとポール・マッカートニ
ー作曲。映像にポールマッカートニーが映っている。
別れの曲であるが、メジャーのキーでしかもテンポ良く歌
われているだけに余計悲しい。だが一種新鮮で如何にも
ビートルズらしい曲の構成になっていると思う。
(今は曲のことを大げさに「楽曲」というらしい)

冬もまた昔を懐かしむのに良い季節だ。

無雪になっている 砂浜を走ってみた ヒシクイ。 

2018年1月7日(日曜日)

現在樹下美術館周辺は雪が無い状態が続いている。
昨年12月には3回降雪があり、クリスマス前のころ
は根雪かも、と思うほどだったが、その後ほ消えたま
ま降らずに推移した。

1

しかし昨年秋から日照が少なく雨も多かったので、当初
は会う人ごと、冬は大雪ですかね、と言い合った。
不安を払拭すべく除雪機も購入したが、果たしてどうな
るものだろう。

そんな本日日曜日、いつものように海へ。

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風は無かったがうねりがあり、ドードーと打ち続く柿崎。
向こうに人影が見える。

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その人影も消えて私一人になった砂浜。

一人になると急に走ってみようと思い立った。
歩数で200歩、100メートルほど走ったのか、少し
歩いたあと今度は300歩走った。

短い距離だが、3年続けて海辺を走ったのではなかろ
うか。
今年は最も長く走ったかも知れない。
1年に一度?突然行われる奇妙な行動だ。

ところで人に言ったことは無いが、高校時代、肺結核が
判明する以前、自分は長距離走が向いていると思った体
育行事があった。
初めての全校マラソンで途中から足が軽くなり、次々に
前の人を抜き続け、気がつけば上位でゴールした。
しかし当日、先頭の数人がコースミスをしたため大会は
不成立となり、残念な思い出になった。

 

4
柿崎海岸の帰りにコハクチョウとヒシクイが一緒の場
面に出合った。
今年初めて見るヒシクイが優雅に羽ばたき、その大き
さに少々驚いた。

食生活の側面。

2018年1月6日(土曜日)

昨日夜、夕食の写真を一枚載せ、ノートに食生活の事
を書いた。
それが、いざ公開の時にボタンのタッチを間違えたら
しく、一瞬にして記事が消えた。
本日は以下思い出しながら昨日のを書いてみた。

何度か記載したがこの数年、食事は夕食をメインに、
朝、昼はごく簡単にするようになった。
そもそも日中の心身活動は交感神経が、睡眠や消化吸
収は夜間に副交感神経が引き受け、二つの自律神経系
は主として昼夜分業し役割を果たしている。

普段一日2500~3000歩の歩行(一種のストレッ
チを交え)と机仕事が主なので、日中に必要な栄養は
前日夜間に蓄えたもので大方足りると考えている。

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昨夕の鍋。鶏肉団子と野菜の鍋に小一束のラーメン
が入り、およそ850Kcal。これを良く噛み、ニュース
を見ながら4,50分掛けて食べる。

 

そして本日朝食は以下の野菜と果物サラダに牛乳で済ま
せ、昼はクッキーと珈琲を摂った。日中の摂取はせいぜ
い400キロCal前後だが、眠気も無く仕事が出来る。
少々カロリーが少なめだが、クリスマス~正月の10日
間で1,7キロ肥ったのを戻すため、敢えて試みている。
(短期間の1,7キロ増は多少敏感な人が見ればすぐに
分かる)

 

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朝食のサラダと牛乳。私は以前から腎臓機能がすれす
れなのでタンパク質と塩分、カリウムに一定の配慮をし
なければならない。

 

ところで食事は消化器だけでなく、内分泌、脈管、心肺、
さらに神経、脳も参加する全臓器総動員の一大イベント
である。
精一杯交感神経を働かせて仕事をしている日中、出来れ
ば休ませたい副交感神経と消化器に何度も大イベントを
科すのは酷な気がする。

これまで食事後半で心臓発作を起こしたり、時に死亡す
る例を何度かみた。
特に老人では食欲が旺盛となり、元気になった、という
時にこれらのアクシデントに見舞われることがある。

あるいは朝や昼の食後に往々眠くなるのは副交感神経に
過剰な出動要請が掛かり、あわてた身体が「夜」のシス
テムに移行しようとするからであろう。

食事時間と生活パターンについて、かってアンダルシア
で暮らした弟の話が興味深い。
彼の地の人は十分な昼食をゆっくり食べると、店などを一
旦閉じて長々と昼寝をするという。
夕食はお茶とおやつ程度で軽く済ませ、そそくさと再開
した町へと繰り出し、夜遅くまで知人友人とおしゃべりし、
大人は酒も楽しむらしい。

これらは長年、強すぎる昼の太陽熱射を避けるため、一
日に二度の仕事と、二度の睡眠という分割された生活サ
イクルになっでいるのであろう。
自律神経のそれぞれも二つのピークを形成していると考
えられる。

斯く環境あるいは職業に合わせ、生活様式と身体リズム
が形成される。
しかしその中にあって、各自の身体特性と疾病、あるいは
年令により必要なバリエーションを採用することは極めて
重要なことである。
私は夕食メインにしているが、糖代謝の位相に影響しかね
ない爆弾的投下だけは慎むようにしている。

 

文化と名打つ限り食にもデリケートな側面があろう。

 

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午後の晴れ間の上下浜マリンホテル・ハマナス。ほどなく
アラレとともに強風に見舞われた。

自律神経の都合に合わせた生活 直江津方面に遠征。

2018年1月3日(水曜日)

年末年始の食事は何かと普段より多めになるので朝、昼を
一食にしたり、年末などは両方抜く日もあった。

 

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本日昼に服したお抹茶は朝昼兼用食。
齋藤尚明氏の一見小ぶりな茶碗だが、腰がふっくらとして
茶が多く入り、また両手に暖かい。お菓子は髙田の「京」
さんから頂戴したお手製の美味しい水羊羹。

昨日に続いて荒天の午後、雨が止んだ時間に直江津方面に
行った。普段の活動範囲は家の周囲6,7キロくらいなもの
で、如何にも狭い。それよりわずか数キロ先だが、直江津
と聞くとなかば外国に行くような気分になる。

そのかいあって見慣れた大潟、柿崎の海とはひと味違う風
景に満足した。

 

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このような私なので外国に行ったならきっとパニックになるだ
ろう、と想像している。

鳥(動物)はみな可愛くまた逞しい 風巻神社参り。

2018年1月2日(火曜日)

本日1月2日は強風に見舞われたが、雪は免れた。
休みのたびに急がねばと、気になった図録から開放さ
れた分、いつもの正月よりも気が軽い。

海が荒れている日のカモメは絵になることがあるので
柿崎海岸へ出かけた。

 

1
ウミネコなど広義?のカモメが飛んでいる。

 

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2

 

 

4
漂着物に付いたエボシガイをついばんでいるようでした。

 

 

3
餌を探しながら近くまできた白くて可愛いウミネコ。

 

 

6
可愛い鳥は一旦荒海へ飛び立てば、たちまち逞しい生き
物に変身。

 

海から帰ると雨降りとなったが、3時すぎから小降りとな
り宮参りに風巻神社へ出かけた。

 

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150段はあろうという石段。途中二段飛びが楽に出来、
我ながら少々驚いた。

 

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風を祀る平安時代からの神社であるが、見事な杉に神性
が感じられる。

お祓いを受けお守りを求めたのに家の車庫入れでこすっ
てしまった。やはり自分の身は己で守らなければならない。

謹賀新年。

2018年1月1日(月曜日)

新しい年が明けました。
今年はどんな年でしょう、健やかな良い年にな
れば、と願っています。

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今年からブログのタイトルを「日頃草子」から
「樹下のひととき」に変えました。

堅い感じを変えてみたいと思ったからですが、
如何でしょうか。

今年もどうか宜しくお願い申し上げます。

白色で暮れた大晦日 詩人は雪晴れの妙高山を大白ばらと謳った。

2017年12月31日(日曜日)

昨日から正月休暇にしたものの、遅くまで寝て外出もせ
ず年賀状を作り、夕刻にインフルエンザの人も診た。

これではいけない、と思い、本日は8時過ぎに起きた。
幸い晴れている。
冬の晴れ間は特別遠くへ行かずども家の周囲で十分楽
しめる。

 

2
大潟区は朝日池に近い田んぼのコハクチョウ。朝の放射
冷却で薄氷が張り、穏やかで鳥は鏡の上にいるようだった。

 

3
糸魚川市方面の海谷山塊。

 

4
朝日池から飛び立った雁は西を目指していた。白い山は火打
山。(ズームで撮っているため山と鳥は近く見えますが、40キ
ロ近く離れていると思われます)

鳥や山を見て海岸へ。

 

3'

 

6
白い波がくだけていた柿崎海岸。雪を戴いた佐渡の金北山
も見えた。

 

7
県立大潟水と森公園へ。園内の葦が白さを増している。

 

8
朝日池の農道に大型カメラを構える人が増えている。この方は
神奈川県からきれいなキャンピングカーで来られていた。オジ
ロワシと、間もなく訪れるであろうハクガンを待っている。

 

1
本日午前の妙高山。

冬の妙高山を謳った堀口大學の短い詩がある。

「白ばら」
西のかた
いち夜に咲いた一輪の
空いっぱいの大白ばら!
雪晴れの朝の妙高!

(昭和22年1月20日初版 「冬心抄」から)

“妙高山は峨々として、千古の白雪天を衝き、、、”
その後が思い出せない私の高校校歌。
厳しい、険しい、雄大、などと形容されるこの山ををま
さか「大白ばら」とは!

本日、外輪山の大きな花びらが、高い花芯を囲み、
まさに大白ばらの素晴らしい眺めを呈していた。

本日の仕事収め 牛乳石鹸の匂い。

2017年12月29日(金曜日)

本日で診療所のほうも仕事収めにさせて頂いた。
1年間、病院さんには守備を越える方達をお願いして
大変お世話になった。
看取りでは在宅、施設で7人の方を見送った。
みな深夜か早朝だった。

12月の外来でインフルエンザが増えたが、例年今頃
はまず見ないB型が多くて驚いた。

 

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懐かしい牛乳石鹸。パソコンと記念撮影。

いつも手を洗う所に牛乳石鹸が出ていた。
何かとても懐かしい。
仕事を終えこの石鹸で手を洗った。
良い匂いだった。
その昔の若かりし日、どんな女性が好きかという話
では、多くの人が「石鹸の匂いがする人」と答えた。

牛乳石鹸の匂いはとても良い。

低気圧の日本海と雲。

2017年12月28日(木曜日)

北海道から北にかけて二つ、三つ、四つと低気圧が集ま
り、当地もクリスマスイブ以来4日荒天が続いた。
いわゆる爆弾低気圧ということ、これでもかと強風に煽ら
れ続けた。

本日、夕刻にわずかな晴れ間が覗く時間があり、鵜の浜
温泉に近い夕陽の森公園駐車場で海と雲にカメラを向け
た。

海側の車のドアが開かないほどの風でドードーと鳴る海、
ビュウビュウと叫ぶ風の音の中にいると、異次元にいる錯
覚に陥る。

 

1
正面は北西に当たろう、風とともに押し寄せる白波。

 

2
西は直江津港の方角。沈む陽が雲の影を映し出している。

 

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北西の雲は人相が悪くなり、頭上へと迫ってきた。

 

4
二番目の写真から15分余、西方面に黒い雲が出て何か
を降らせている。雨か、みぞれか、降ったものは強風のた
めであろう、途中で消えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新しいパソコンが来た。長く世話をして貰っている信越情
報(株)さんに全てをセットしてもらった。Windows10は
最新バージョンだったが、借りていた妻ので馴れたせいか、
また新しいキーボードも打ちやすく、良い感じになった。

冬は厳しい。

2017年12月27日(水曜日)

三日も続く荒天、風は容赦なく好きなだけ吹いている。
雪はさほどではないが強風のため寒さは厳しい。

 

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午後の美術館。屋根からの雪が集まるカフェの窓は雪除
けの板で覆ってある。

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庭の石道は版画の趣だった。

当地は沿岸であり強風によって今のとこと雪は少ない。

ところで寒冷きびしい季節を、多くの動物は地中や洞
(うろ)で冬眠し、昆虫たちは落ち葉や樹皮、あるいは
物陰に潜んで越冬したり、また卵に命を託す。

これに対して鳥たちは、冬眠などして休むことなく、生
活地に留まったりあるいは南下して餌をあさり続ける。

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午後回診した特養の駐車場にいたハクセキレイ。
何を探しているのだろうl。

小鳥が冬に数を減らすのは寒さもあるが、昆虫や木の
実が極端に少ないことも大いに関係がある。

三日続きの厳しい寒波。
木の葉が散るように吹かれている小鳥の群や、羽ばた
けどほとんど進まない水鳥の群を目にすると、励ました
り祈りたくなる。

本日、ある方にセーターを送った。夏にその方を見て、
冬にはそのようにしようと決め、妻に買い物を頼んだ。
売り場で涙が出そうになった、と家に帰った妻が話した。

私はその方を知って良かったと思っている。

館内の作品をかたずけた日。

2017年12月26日(火曜日)

昨日今年の営業を終えた本日は、館内後かたずけの日。
午前いっぱい掛けてスタッフがきれいにしてくれていた。

以下リセットされた館内に初心がよみがえる。

 

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絵画室。

 

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陶芸室

 

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カフェ

作品が片付いた館内に一年間が、もっと言えば10年県が
無事過ぎてほっとしている表情がうかがえた。
来年の開館まで二か月と20日をゆっくり休んでもらいたい。

冬季を休むのはある種冬眠であり、その意味で樹下美術館
は動物のようにも感じられる。

昼には来年に向けたミーティングを行い、樹下美術館の第二
期が始まるとして、作品や作者の理解を一層深めることを皆
で確認した。
小さな規模ゆえ、意識を高めれば成果も上がりやすい、と考
えてみようと話しあった。
休館中にもう一度ミーティングを行うことにした。

今年の閉館日 新潟市からのお客様 クリスマスカード。

2017年12月25日(月曜日)

12月25日、雪は降らなかったが強風のひどいお天気
だった。
その本日、樹下美術館は今年の最終日を迎えた。
昨日、今日と名残惜し気なお客様が見え、新潟市のお二
人も荒天のなか駆けつけて来られた。

新潟の方は造詣深いお茶人で、主に斎藤三郎を観て頂
いた。
氏に関係した濱谷浩夫人・朝(あさ)さんのこと、高田の
古い茶人たちのことも非常に詳しく、驚かされた。
そんな新潟市の人なのに「高田(の文化?)は素晴らしい、
憧れの町」とも仰る。
この言葉は私の七不思議の一つで、新潟の方にお会い
すると同じ事を口にする方が少なくない。大都市、新潟の
皆様が何故、と考えてしまうが、かって高田に花開いた活
発な疎開文化のイメージが、今も名残としてあるのだろう
か。
これに対して高田の人はそれは「隣の芝生」でしょうと、
往々遠慮がちに仰るのもまた確か。

お二人はカフェでお茶を飲まれた後、二代陶齋・斎藤尚明
さんの「高田」の窯へと向かわれた。

そしていつものお客様からクリスマスカードを頂いた。
東京は恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真審美術館
で行われている「生誕100年・ユージンス/ミス展」をご
覧になった方からのおみやげだった。

この世界的な写真家は、かって水俣病を告発的に発表した
貴重なマグナム集団の写真家。久しぶりにその名を聴いた。

 

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カードを開くとトナカイの切り絵が現れる。楽しいカードを
有り難うございました。向うの芝生にあった雪もすっかり消
えている。

さて、今年お越し下さった皆様、本当にありがとうございま
した。おかげ様で今年も無事終えることが出来ましたこと、
深く感謝いたしています。
来年の開館は3月15日(木曜日)です。遠いと思っていて
もあっという間にその日が訪れることでしょう。またお会いす
ることを楽しみに待ちたいと思います。

もう一度、「ありがとうございました」
館長のノートは休刊中も続けようと思います。

貴重な絵が再度もたらされた 時計 お客様。

2017年12月24日(日曜日)

昨日のこと、ある方から倉石隆の人物画が送られてき
た。
わずかに目を閉じた女性が描かれ、全体にホワイが掛
けられている静かなとても良い絵だ。
キャンバス裏に「まどろむ女」と記されていた。
ベールのような白が眠りに入ろうとする女性の意識の漠
然さを物語っている。

問題は制作年だった。どこにも年号らしいものは見当たら
ず、大阪フォルム画廊・東京店の売り札が一枚入っている
だけだった。
倉石は1984年と翌85年に同画廊で個展を行っている
ので、そのころの可能性がある。

 

2
「まどろむ女の顔」 25,5×22,2センチ。
きわめて薄く描かれているが、かすかな息遣いも聞こえ
るようで、実にリアリティがある。呼べば目を覚ましてこ
ちらを向きそうだ。

これは私の勘でしかないが、一目見た時から当館にある
一枚の絵とイメージがダブった。

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図録「樹下美術館の倉石隆」No32「裸婦像」。
全体のほの青い色調が印象的で、どこか「まどろむ
女の顔」と通じ合うように思われる。
モデルのポージングは疲れる作業と聞いている。「ま
どろむ女」は休憩中のモデルさんが、うたたねをし始
めた時に素早くデッサンしたのか、と一人空想してみ
た。
髪の表情も何となく似通っているように思うのだが、
年齢が合わないかもしれない。

一方で私の母にとても似ていて不思議な絵だ。
ちなみに作品は寄贈ということで、楽とは言えない弱
小美術館は非常に助かり、感謝に堪えない。

さて本日24日はクリスマスイブ。「まどろむ女」は大
変なプレゼントだったし、失くしたと思って探していた
大事な時計が「電池を入れて帰ってきました」と言っ
て妻が差し出した。
いつ頼んだのか、実はよく覚えていないがほっとし
た。

3
人前でできる唯一の時計なので失くしたわけでもないの
に嬉しい。薄さが気に入っている時計はスカーゲン。

さて本日今年の最後という方たちが何組かお見えになり、
良いお年を、と名残を惜しんだ。
明日は新潟市から、初めてだが年内に訪ねたいと、言う
方たちが電車で来られるので、スタッフが犀潟駅に迎え
に出る予定。

お天気が悪そうですが、どうか道中お気をつけて
いらしてください。

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