木村茶道美術館の涼風。

2023年7月24日(月曜日)

過日の暑い日柏崎市の木村茶道美術館を訪ねた。

暑さの中の庭。かすかな流れの音を聞き赤欄干の橋に癒やされる。

庭を上り受付を済ませ待合で竹のベンチに腰掛けて順番を待つ。

待合の床に掛かった大津絵「雷と太鼓」の図。江戸時代初め頃から始まった滋賀県大津で土産、お守りなどとして売られた署名無き絵図。大きな目小さな鼻、あどけない手つきなど雷は可愛いく描かれている。
特に古いものは味い深い民藝として後世に於いても人気を拍した。上掲は雷を盛大に鳴らしていた所、勢いあまって海中に雷太鼓を落としてしまい慌てて吊り上げようとしている図。人気のモチーフの一つだというがユーモラスな図柄には油断を戒める意味もあったらしい。

さて本席です。
写真はありませんが、床の掛け軸は本邦では極めて希とされる南宗の画家馬逵(ばき)の作と伝わる「雪景山水」。遠くの山と近景の人物の間に精緻で壮大な気宇が漂うのを感じさせる。茶席では夏にあえて雪をテーマとした道具を用い、暑さを凌ぐ事を趣向の一つとすることがある。

床の花は矢筈薄(ヤハズススキ)、白桔梗、秋海棠(シュウカイドウ)。花入(はないれ:花器)は桃山時代の絵唐津壺。壺は算盤(そろばん)球の形で、福をもたらすと伝わる蝙蝠(コウモリ)が鉄絵で二羽描かれている。唐津らしく地の色と蝙蝠の地味さ加減が絶妙で、フォルムの一種鋭さにより涼しさが伝わり名品だと思った。ちなみに蝙蝠は夏の季語。

お茶に先立って頂いたお菓子。

取り回されて一つだけ残った最上屋製の水菓子。器は二重蓮弁の形状をした中国明時代の古染め付け。弁を数えたところ16あった。

私に出されたお茶の茶碗は黒楽で五代宗入作「馬盥(ばだらい)」だった。浅く広い黒楽茶碗の見込み(底の部分)に緩やかに渦が施され、服するにしたがい緑のお茶がゆっくり渦巻きながら消えて行く様を目にした。

以下は風炉釜(ふろかま)。

亡き柏崎市の鋳物師(いものし)原益夫作の南蛮船を形取った風炉に帆に見立てた釜が掛かる。釜の両脇の鐶付き(かんつき:窯を持ち上げるための丸い金属輪を通す部分)は貝の形だった。

絵図を含め貴重な茶道具を終始分かりやすく説明して下さった学芸の方と、道具類を拝見に出して去られるお点前をされた方。

並べられたお道具の一部。茶を飲んだ黒楽茶碗は真ん中にある。手前は三代宗哲作「詩中次」の薄茶器(薄茶を入れる器)。碧巌録の禅詩がしたためられていたようだが内容を聞きのがした。期間中に是非とも再訪してお聞きしてみたい。茶杓は川上不白作「西王母」。西王母は椿であり、中国では美しい桃あるいは遠方の仙女であり、これも云われを逃してしまったので再訪は必至となった。

いずれにしても雷、雪景、蝙蝠、蓮、海(船、貝)、黒楽の平茶碗、、、。一貫した夏の涼さに繋がる趣向に感心し美味しい茶を飲み、外へ出ると暑さが和らぐのを感じた。

木村茶道美術館では第一級の茶道具が出され、手に取りそれでお茶まで飲ませてくれる。特別な人が特別な茶席でしか眼に出来そうもないお道具類。私達一般人がこれらに囲まれながらお茶を飲める場所と機会は滅多にあるものではない。

紅葉の名所としても親しまれているが、茶道をしない人も一度でいいから茶室に上がり、待合に腰掛け、ふんふんと説明を聴き、美味しいお茶を飲まれることを心からお勧めしたい。美術館も喜んで歓迎してくれると思う。

越後上布の商人たちが各地に出かけ吸収し広めた柏崎市の様々な文化。なかでも茶道文化は優れた茶人や鋳物師、塗り師など広い裾野を残した。それらを総合して伝え続ける木村茶道美術館の存在は日本広しといえども希有なことであろう。

施設を維持される同市と支える市民の皆さまに深い畏敬を覚え、それが近くにあることがとても嬉しい。

充実している「生誕110年 齋藤三郎 展」 興味深い「染付楼閣山水図菓子器」と署名。

2023年7月20日(木曜日)

最近ブログを空ける日が多くなり、過日といい中4日サボってしまった。写真に続き自らの絵画までも展示する初めての試みのストレスは想像以上で、今になって疲れが出てきたものと振り返っている。

本日はこの間二度訊ねた小林古径記念美術館の「生誕110年 齋藤三郎 展」を書いてみた。

今月中ばから10月9日まで続けられる同展はロングランである。
齋藤三郎について、当地では何年に一度没後あるいは生誕などのメモリアル展がどこかで開催される。いずれも立派な展覧会だったが、この度の生誕110年展は同館開館後初めての齋藤三郎であり、作品内容、展示方法、作品および人物の解説キャプションが充実し、図録も良く掘り下げられ氏に関するこれまでの展覧会中、群を抜く充実を感じた。

準備したスタッフは大変だったろうと考えられる。だが優れた芸術家とその作品に熱く関わることの得がたい幸福が想像された。

入り口の垂れ幕。

 

新潟県立近代美術館収蔵の名品と目前で再会する喜びと多方面から見る齋藤三郎の世界を堪能。中で最も眼を奪われたのは以下昭和12年ー13年作で長瀬幸夫氏所蔵の「染付楼閣山水図菓子器」だった。

まず器類では見たことが無い雪輪文の造形に虚を突かれる。さらに驚くほどの速筆のうえ、図柄は直前まで師事していた同時代の富本憲吉の染付作品と完璧に同一化、あるいはそれをも凌ぐばかりの趣と自信が感じられ、三郎の修行の凄まじさを思わない訳には行かなかった。

同作品の裏面。
上下に竹林が描かれている。

驚きの一つ、落款(署名)。

この「齋」の署名は後の髙田におけるものからみると非常に奇異に見える。書も秀でた三郎を思えば何という風変わりな署名だろう。一方樹下美術館が収蔵する戦前および戦後髙田時代のごく初期作品にも以下のように上掲のものと似通った署名がある。だが染付楼閣山水図菓子器のそれは特に変わったものとして心に残った。

樹下美術館収蔵作品の戦前時代の署名。

 

戦前の別作品の署名。

 

戦後髙田開窯初期の署名。

以上の3署名も、言葉は悪いが後に比べれば変わった形状をしている。もしかしたら能書家の三郎なりに我ただ一人のサインを研究してのことだったものか。いま存命なら、どのような訳でここに到ったのか是非訊ねてみたいところだ。

参考までに、以下の2写真は髙田に於ける昭和20年代作品によく見られる署名。

 

素早く流れるように揮毫されている。

以上はなはだ僭越でしたが「染付楼閣山水図菓子器」の驚きと感想を書かせて頂きました。

 

同展帰路の南掘のハスにしばし清涼を覚えました。

蒸し暑さの中で香る花 拙写真展17名の方々が28点を。

2023年7月15日(土曜日)

梅雨の終わり、洪水や土砂災害をテレビが伝えている。本日は秋田県の惨状に胸が痛んだ。毎年のことだが予報は出るけれど、いざその時を迎えると手も足も出ないのが辛い。予め脆弱な所は把握されているはずなので国にはもっと積極的に関わってもらい、国全体として被害が縮小されることを願うばかりだ。

拙絵画展初めての週末の本日、かなり賑やかにして頂きました。ご来場の皆さままことに有り難うございました。

さて本日も蒸し暑く昔でいう不快指数は相当高かったに違いない。そんな日の庭で夏の花は交替を続けながら、涼しげに我が世を謳っている。

 カフェ正面のキキョウ。

 キキョウの脇の黄金オニユリ。

西にまわるとカサブランカが強く香っている。

もうふた月近く咲くカシワバアジサイ。
今年は猛烈に咲いた。
そろそろ摘花をはじめなければ。

11日に終わった拙写真展で作品を求められた方が取りにこられている。17名の方々が28点お買い上げ下さった。私の写真が売れるとは、何とも有り難く感謝に堪えない。この先もまた楽しみながら写真を撮っていこうと励みになりました。

額に入れたら。

2023年7月12日(水曜日)

館長の絵画展を明日に控えて本日総出で展示作業を行った。植物画20点油彩及び同一モチーフの売り絵20点弱を入れ合計40点になった。

このたびようやく額が揃い拙絵にも額ということで、お出ししてみました。
以下はこの度の作品展向けに描いたものです。

「西王母(せいおうぼ 椿の一種)
バック白
SMサイズ(ハガキ2枚より少し大きい)

「西王母」
ベージュ系バック
上掲2作品は沢山あり、
※お売りします〔17000円→10000円に)。

「秋の畑」
※お売りします(25000円→18000円に)。

かなり苦労した「菊」

「土底浜の秋」
この作品は1週間後の展示になります。

満開の梅の花「春の畑」
※お売りします(37000円→20000円に)。

上掲のほか10×10×5㎝の小さな箱形キャンバスに椿とコブシを20点ほど用意しました。常時7,8点ずつお出ししますので宜しければお求めください、助かります(一個2500円)。

以下は2015年前後のかっての出品油彩で、みなSMサイズです。

文芸髙田の表紙になった{みかん」

以前水彩で描いた「ほうずき」

「イモケンピ」
ブルースカイプロジェクトに出品。

仕事が幾つか残っていますため本日はこの辺で。

後日追記販売している絵画の価格を7月20日から大幅に値下げ致しました。

私の写真。

2023年7月10日(月曜日)

早いもので「館長の写真展」が明日で終了する。16年間撮りためたものを選び藤野氏にプリント及びパネル貼りを依頼、厚くご協力して頂き心から感謝しています。

あっという間に終わってしまうのは寂しいが、多くの方に観てもらい概ね好評をいただき感謝に堪えない。
館内のメモなどには“こういう写真を初めて観て感激した”“情緒や雰囲気を感じる”という感想が寄せられていた。

また本日水墨画家の笹川春艸さんが来館され、さらに“一枚の中で物語があり会話が聞こえそう““風景を撮られても視点が違う気持ちが分かるような感じがする”というメモをお名刺とともに残して下さった。

コメントの中の「会話」はそれに似たことを自然に行っていて、あらてめて指摘されされたことが嬉しかった。またシャッターを切る瞬間、対象への愛情を強く感じていることが多く、撮り終えた後に二度と無い瞬間への惜別に一抹の寂しさがよぎることも少なくない。
老境にあって、生きた証しとして心打つものに自然と眼が行き、それぞれには、重ねた人生のヒダのようなものが隠れているのかとも思う。
そして奇しくも檀一雄が「火宅の人」で何度か述べ、自分も好きな言葉“天然の旅情”というような心境なども現れているのか。

春艸先生、ご好意あふれるコメント誠に有り難うございました。

その後以下の写真をお求めになる方がいらした。

 

 

 

 

さて今週木曜日13日から、今度は拙絵画展になる。作品はなんとか出来上がるが、諦めたものもある。次回は額装した油彩を掲載してみたい。

さて本日で約二ヶ月続けた高齢者と医療介護歓への6回目のコロナワクチン接種が終了した。この数ヶ月、4つ5つものことが同時進行する毎日で、その1つが終わるので非常ににほっとする。薬液調整、事務処理などの面倒を齟齬なく終了させた三人のスタッフには心から“お疲れ様でした“と言いたい。

行水の花 柿の実 ジェントルレイン。

2023年7月5日(水曜日)

あちらこちらで極めて旺盛に繁殖するヒメヒオウギズイセン(姫桧扇水仙)。あまり増えるので度々大所を処理しせざるを得なかったが、数日前ふと見ると最初に植えた場所の近くで一輪赤々と咲いていた。

この花の事はかって「行水の花」として本欄に書いたことがあった。調べると樹下美術館が開館した2007年6月のわずか一ヶ月後のブログだった。あれから16年、記事の発端となった母も亡くなり随分昔のことになった。

行水の花の話は母の若き日(もしかしたら幼年)のごく簡単な内容だが、この季節に見合ったものだった。

見慣れたよりも赤い色だった。

母が晩年に話したのは佐賀県の生家における以下のような事だった。
“子どものころ夏になると行水をした。その時よくこの花が脇に咲いていた”という単純なものだった。
だがありふれた赤い夏の花と幼少の母の行水。人生の、特に初々しい時代における夏の情景は貴い詩のように私の胸に残っている。

話変わり、美術館の東脇で柿が実をつけている。パリパリとした美味しい甘柿なので秋がまた楽しみだ。昨年は10個少々獲れて何人かのお客さんと一緒に食べた。現在盛んに余計な実を落としているが、今年は是非昨年に倍する数を実らせて貰いたい。

 


アストラッド・ジルベルト「ジェントル・レイン」

去る6月5日アストラッド・ジルベルトがに亡くなっていた。

1950年代ブラジルで生まれアメリカで熱せられ瞬く間に世界を席巻したボサノバ。アストラッドはその黎明の役割の一端を担った。


無機質なアストラッドに比べ
てこちらの歌手は歯切れ良く軽やか。

私の中でボサノバは1960年代から今日まで長く親しい音楽としてある。

本日も暇さえあれば絵を描いた。気分転換に母のことやボサノバを挟みました。記載時間と内容がぎくしゃくしましたことお許し下さい。

週末の種々。

2023年7月3日(月曜日)

秋の畑に次いで「春の畑」が次第に出来上がってきた。

前回掲載した時の状況。

昨日の「春の畑」

点描した花の上から薄く色を掛けました。野菜畑はともかく手前の草にもう少し工夫が必要のようだ。

大きくてもサムホールサイズだった油彩はF3から、F4、そしてF6やP6へと少しずつ大きくなった。それに伴って絵の具の減りが早く絵の具が乗ったキャンバスが急に重くなったように感じられる。
特に白はよく使うので僅かとなった。ところで2014年、遊心堂さんで作品展を行った際初めて油絵を描いた。今回その時の絵の具入れを取り出すと、しっかり使える形で白が2本残っていた。
油彩は筆、溶き油、筆洗油、パレット、額ほか色々と掛かる。白が2本も残っていたのは、かっての私からのプレゼントであったかに思われとても嬉しかった。

所でその後展示中の写真は以下のものが売れました。

「突堤」 お二人の方から。

「柿崎海岸」 お二人の方から。

「在りし日の特急」

「朝日池のオオハクチョウ」

「大潟区に飛来したトキ」

同じ作品を希望される方が複数おられるため、二番目以後の方には私が家でA4にプリントしたものを500円でお渡しすることにした。フォトスタンドは100均などにA4もあるようなので、そこでお求めください、とお伝えしている。

お求め頂いた皆さま、まことに有り難うございます。
この年になって自分が写真展を開くことも、買って頂くことも全く考えてもみなかったことです。人生は色々とありますが健康を維持すれば良いことがあるに違いありません(私の車の前にトキが舞い降りたように)。

ブログが中4日も空いてしまいました。時間があれば一日中絵筆を執っていますので久し振りになりました。

額が到着し始めましたので、それに入れた写真もお出ししようと思っています。馬子にも衣装、下手な絵にも額だと良いのですが。

売れた写真。

2023年6月27日(火曜日)

去る6月15日~7月11日の館長の写真展は少しでも経費を節約出来ればと、展示している写真が欲しいという方がいれば販売する事にしている。

価格は一枚2000円で展示用に百均で買ったスタンドを一緒に付けることにした。本当に売れるものか、心配していたがここへ来て三人の方から4枚お求め頂いた。掛かっている経費のおよそ半分であるが、一枚でも売れれば助かるのである。

ある方が本当に2000円で良いのですか、と仰ったという。何と有り難い話だろう。
写真は芸術の範疇にあるが、作品展で販売するのは一般的な事なのか、私は全く分からない。しかし「作品」とされるもので、買いたいという人がいれば(値段は相談だが)売ってもよいのではないかと思う。

物を造り売ってみる。あるいは人が作った作品を買ってみる。実際の売り買いを通して真価に近づき、創作力と鑑賞眼はより深められるのではないかと思っている。(熱心な美術館巡りとともに)。

赤字ながら売れたのはひたすら嬉しい。以下はその写真です。

「ほくほく線の虹」

「柿崎海岸の波浪」

「春のほくほく線」

「雪の日の道」

のどかな写真とともに厳しい情景が選ばれたのも有り難い。

さて連日の奮闘は2週間後の拙絵画展。一昨年から準備したものの、三年目の目前であたふたしている。皆さまにお知らせするとより切羽詰まるので連日ここにお出ししている次第。

「土底浜の秋」

常に他者の眼でみることは大事なことで、こうしてみるだけで色々問題が見える。

今日は少し時間があったので夕食をだしてみました。

豚ロースの生姜焼き。

 

ひじきの煮物

今朝4時に絵の夢をみて起き、そのまま絵筆を執りましたので眠いのです。

風景画の現在。

2023年6月26日(月曜日)

拙写真展が中ばを迎え絵画展が2週間を余すだけになった。絵画は労力を要し、仕事の合間にも手を入れているが果たして予定したものがみな間に合うか危うい場面になっている。

本日は風景画の中から2点の現況を掲載させて頂いた。

以下は何度かお出しした「秋の畑」。実は3点描いているが気がせいていて既に昨日サインを入れてしまった。

サイズは以下3点ともF4(縦横24×33センチ)

 

並べてみるとあらためて柿を赤く描くことや遠景など1枚目が最もしっかりしている。2点はあらためて手入れが必要だ。

次は「春の畑」。これは1週間ほど前から始め、「秋の畑」より幾分描きやすく感じている。

「春の畑」。サイズF6(32×41センチ)

二人の人物の足元ほかに野菜を描くつもり。何の疑いも無く梅の花を一つ一つ描いたところ、山下清みたいだと妻に大笑いされた。確かにである。
ほかに左の小屋や右の竹掛けなどは要らないようだ。日本画のようでもあり、花の描き方を変えないといけない。

「春の畑」は以下2点も同時進行中。

これは少々大きくP8(45,5×33,5㎝)。

F6です。

上掲2点は以下の写真を参考に描いた次第です。

頸城区榎の井で

大潟区坂の下で

描いている間、気がつかない事がこうして掲載してみると分かってくる。私は人生のことは何も分からないが、何事も時間が足りないことだけははっきりしている。

ちゃんと休めた本日休診日 デイのご一行 ど根性カエデの苗 ショックを禁じ得ない新潟労災病院の閉院。

2023年6月23日(金曜日)

以下は一昨日6月22日木曜日の出来事です。長くなったため日をまたぎ23日金曜の日付け記事になりました。

以下本文です。
本日木曜日は休診日。私の仕事では休みと言っても表向きの感があり、時に急患、時に悪化の用件で仕事や相談が入る。
7月11日開始の絵画展に向けようやく作品が仕上がり始め、出来れば休日はじっくり絵を描きたいところ。そんな日の前日夕刻に39℃の発熱の90才代の方の電話相談があった。デイサービス利用中の発熱は検査でコロナ抗原は陰性ということ。様子から尿路感染症が疑われ服薬で様子をみてと、ご家族に来て頂き抗菌剤をお渡しした。

すると20時近く、再度の電話で熱が下がらず苦しそうと言って入院を希望された。入院の可否は基本病院の判断に委ねられ、重症度、緊急性、社会的事情などが問われる。まず発熱一日目の電話相談だけではかなり無理、そもそも私自身が診ていなくては話にならない。

出かけてみるとさほど苦しむほどではなく、酸素濃度は維持されている。子どもさんの座薬があれば挿しておいてと話してあったのでそれが効き始めているかもしれない。
抗生剤を入れた点滴をすることにし、それをお宅の室内物干し台に掛けることにした。問題は血管。太い血管は肘のみでギリギリの末梢に射したものの動かされて漏れた。次にうっすら出ている前腕も漏れ、額に汗して入れた手の甲の血管がかろうじて使えた。

イヤがる水を“大事な水なので一生懸命飲みましょう”と促しすとスプーンをすすり始める。肝心の抗生剤はゼリーにまぶして飲めたという。点滴や説明に手間取り40分ほど滞在しているうち本人の表情が和らぎウトウトし始めた。

物干し台は高さが足りず点滴の落ちは緩徐だ。5、6時間は掛かるかも知れないと言うと、いくら掛かっても私起きています、と介護者さん。入院への焦りは消失していた。
翌木曜日、万一高熱が続くなら病院とのやり取りと紹介状を書くことになるかもしれない。しかし本日午前の電話で落ち着いているという。水と抗生剤が飲めれば点滴の必要もなくひと先ず安心だった。

もう一人、発熱で既に1週間は通っている100才の方が気になる。皮膚が脆弱で点滴が難しい。およそ午後から発熱されるが昨夕から落ち着き安定していると連絡があった。懸案のお二人の佳良な様子に本日何とか休診日として過ごす事が可能になった。

午前から午後の三時間ほど取り組み中の風景画三枚を仕上げに掛かり、美術館に顔を出した。このところ三回に分けてある施設のデイの方が写真展を観に来られているが、最後の回の方達と出会った。


中のお一人Aさんにはその昔筆者の脚本で一緒に芝居をした時、大道具を担当していただいた。男前で腕も気っ風も良い人だったが、杖を使われていた。皆さんに何点か説明をさせてもらったが、近隣のものが多いので地元の人には説明しやすい。

介護者さんを入れて6人のご一行。見終わるとAさんの顔が懐かしく、お茶とクッキーをお出しして休んでもらった。

話は変わり、カフェにおられた長岡市の方が窓下の石の中から出芽していたカエデの苗を所望され、スタッフが採って来た。小型の葉が特に気に入って欲しくなった、ということだった。

 

このような石の中から時にカエデやケヤキが出芽してくる。くだんの方は植物に詳しく苗は無事育つと思われる。

発熱の方の事を書かせて頂いた。過日当方でも若い方にコロナの陽性反応が出た。全国的に緩やかな増加傾向がみられるという。今後特に高齢者における高温多湿と脱水の影響が案じられる。

本日新潟日報の一面トップは新潟労災病院閉院の記事だった。いつかは、とは思ってはいたが現実となりりショックを禁じ得ない。

夜間に再度絵を描いた。日曜日には何とか仕上がる「秋の畑」をお出しできるような気がする。

デイサービスの利用者さん お年寄りと戸外 カフェのメモから。

2023年6月20日(火曜日)

昨日に続いて本日もデイサービスの利用者さんたちが見えた。介護者さんが一生懸命説明される様子は大変印象的だった。
前回も触れたが閉じこもりがちな高齢者さんにとって外へ連れ出すことほど心身に良い事はない。身も心も軽くなり、大気のもとでは、諦めていた立ち上がりや歩行が突然出来ることさえある。あるいはそれらが無理な方でも少なくても笑顔が浮かぶのである。自然が有する力には本当に驚かされる。

さて拙写真展が始まっている。入場無料の手軽さもあるのか賑わいというほどではないもののそこそこ観て頂いていると思う。私の作品という以上に昨今の写真そのものの人気がそうさせていることもあろう。

カフェのノートに柏崎市の方から以下のメモが残されていた。
「写真展の日に来れてラッキーでした。厳しい日もおだやかな日も「虹」の日も素敵に切り取られています。「春のほくほく線」「雪の日のホテル」私もめぐり逢ってみたいと思いました。

挙げられた写真を以下に掲載してみました。

「ほくほく線の虹」

 

「春のほくほく線」

 

「雪の日のホテル」

上掲のメモに書いて頂いた「切り取る」という言葉。シャッターを押す私はおよそ慌てているので「切り取る」という意識を持ったことがありませんでした。それは何度も耳目にしていましたが、いざ自分には無い心境でした。
これからはその事を意識してみたいと思いました。そうすればもう少し覚悟の決まった良い写真が撮れそうな気がしてきました。メモをお書きになった方、大変有り難うございました。

デイサービスの方々 今度は絵画展が迫る。

2023年6月18日(日曜日)

近隣のデイサービスの利用者さんたちが三回に分けて拙写真展を観にこられることになり本日1回目の方達が来られた。
鳥や電車あるいは海や雲などの情景が多く、高齢の方々にも親しみ易かったのではなかったかと思われる。

なによりもコロナで難しかった外出をされたことを喜ばれたにちがいない。母で経験したことだが、お年寄りにとって戸外へ出ることがほど心身に有益なことは無い。行き帰りに田んぼ道を走ることも喜ばれたことであろう。

利用者さんには十分な介護者さんが付いてこられる(写真は妻の撮影です)。在宅や外来で診ている方も混じり、先生と声を掛けて頂き嬉しかった。

ほかに本日午後近隣の精神障害者施設でコロナワクチンの接種があった。20人ほどの希望者に行ったが、心配をよそにしっかり受けてくださり、安堵した。

写真展が始まると同時に一ヶ月もしないうちに自分の絵画展がはじまる。写真は出品までの仕上げに専門店のお世話になったが、絵画は最後まで自ら手を入れなければならない。それまで毎晩の徹夜ではないだろうが、i一種馬車馬に近い集力が必要になってきた。

初日の拙写真展 頂いたチマキ ビワ。

2023年6月15日(木曜日)

本日休診日の木曜日。ドタバタと休館日の水曜日に展示替えを行い木曜日が初日の樹下美術館。例によって一日目の本日、騒ぎになることもなく静かに始まった拙写真展。ウィークデイが初日だからそれでいいのでは、と妻の言。確かにである。

本日も心配顔でお見えになったフジフォートの藤野さんは展示をご覧になり、方法について「新しくとても良い」とコメントされた。つまり陶芸作品の展示台それぞれに一作品ずつ写真立て(小さなイーゼル)で展示。額無しのやや小さめのパネル(ワイド四つ)作品で統一。全ての作品に照明が当てられている、ことをユニークと仰った。

上は昨日の館内。写真だからといって必ずしも壁に掛けなくても良いようだ。台上の1点展示は私の写真でさえどこ存在感が増すように見えなくもない。

そしてお忙しいのにいつも来て下さる小林古径美術館の宮崎館長さん。何かとお世話になっている宮崎さんは当館にとっても大切な方。

熱心にご覧になり、望遠ですかと聞かれた「柿崎海岸の波浪」(向かって右)。

過日は青、次ぎに白のホタルブクロ。本日は赤紫。これが一番多いか。

本日頂いたチマキ。この人の作る食べ物はプロ級と妻が言う。ほかに大豆の塩煮、紅ショウガ、紫蘇の醤油漬けなどを頂いた。

具合の悪い方がいて本日も往診した。帰りにぎわお宅で獲れた琵琶を頂戴した。

手で皮が剥け、口中に果汁があふれ出す琵琶。種が小さく外観は美しい。個人のお宅でこんなに美味しい果物が育つとは。

写真展の展示作業が終わった。

2023年6月14日(水曜日)

本日6月14日は明日から始まる杉田玄写真展の展示作業を皆で行った。陶芸用の展示台からアクリルの被いなどを取り去り写真立てを並べ、壁に6枚有孔ボードを掛け、題名キャプショを付けて展示した。台、ボードとも23枚ずつ、合計46点の写真が並んだ。

 

壁際の台を中央に出して壁面との間に通路を作りました。上掲2枚は壁のボードに照明が当たる前の場内です。

 

 

有孔ボードはA4サイズの組写真としました。タイトルは「タゲリとコハクチョウ(4点)」「孤独なコブハクチョウ(4点」「柿崎海岸の夕暮れ(4点)」「海に残す(3点)」「朝日池のオオハクチョウ(4点)」「大潟区に飛来したトキ(4点)」です。

作意も演出も無い近隣中心のスナップです。被写体の動きや旅情、自然の力や美しさに惹かれて撮りました。

ブログ開設の頃から始めた写真。発表など考えたこともありませんでしたが、近年何人かのお勧めで初めての試みとなりました。大変恥ずかしいのですが、自然への憧憬や何かしらの和みを感じて頂ければ嬉しい限りです。

ところでポスターなどですでにトキの写真をご覧になった方から、あんな近くでどうやって撮ったのですか、と聞かれました。
トキ撮影のいきさつを述べますと、2018年2月3日午後、区内のある田んぼを走行中、うす赤い大きな鳥が車の前を飛んで横切り近くの雪の田に降りました。
まさかトキ?車を止め半信半疑でコンパクトデジカメを向けながら近づきました。逃げる様子も無く探餌をしている鳥は確かにトキでした。人工孵化後、放鳥された個体のうち本土に渡ったメスだと、後に分かりました。
放鳥当初いつか佐渡の自然の中でトキを撮りたいと念願していましたが、10年経って本人の方から目の前に現れたのには、本当にびっくりしました。

「大潟区に飛来したトキ」のうちの1枚。

有り難い百均 梅雨の庭 京都からお客様。

2023年6月11日(日曜日)

昨日からの宿題、写真展の台に作品を乗せるイーゼルの不足分12個を買うべく百均へ行った。調べてみると上越市に同様の店は多くあり、近い順から四店を選び巡ることにした。
それが最も近い店(車で10分)に沢山あり、不足の全部を購入できた。昨日の品よりシンプルだったが十分でしかも安価、一軒目で用が済み大変助かった。

雨模様の本日、庭はいよいよ冴えている。

芝生は何とか緑を取り戻し、カシワバアジサイはさいっそう白く目立っている。あちこち5本のバラで園内はほど良い香りがしていた。

毎年記載するクレナイアジサイ。白→ピンクになった。これからルビー色に向かって変わる。

気にされなくてもひっそりと必ず咲くホタルブクロ。白、赤紫、青紫色々あるがいずれも思案げで、とても良い。

バラに幸せなコガネムシのカップル。

さて、まる3年のコロナ禍を経た今日。春の移動と連休、開かれた海外への門戸が心配されたが、幸いなことにかってのような感染禍になっていない。このまま済むのか判然としないものの、用心しつつ美術館は図書やお客様に書いて頂くノートを再開した。

初めは躊躇される様子だったが何人かお書きになるとどんどん記載が増えてきた。

驚いたことに最も新たな記載は“京都から美術館の名前に惹かれて初めて訪れ、カフェで読書をして過ごした”という旨が書かれ“名前の由来が気になっています“とあった。

本当にこんな事があるのですね。

お答えしますと、樹下美術館の名は美術館を始めるに当たり、ある種即座に決まりました。自分は樹木が好きなこと、樹の下では人が憩うこと、お釈迦様が座られたこと、樹下美人図等々良いイメージばかりです。なにより「樹下美術館」の語感と字ずらが良かったことで他を考えることなく決めました。

以上のような訳ですが、いかがでしょうか。
それにしましても館名に惹かれて訪ねられたとは、それだけでやって良かった事の大切な一つになりました。

展示や庭は如何だったでしょうか。列車で来られたとお聞きしましたが遠方から本当に有り難うございました。

2025年7月
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