本日の三和区行き 小澤征爾さんが亡くなられて。
本来ならば本日は晴天となり、遠くへ行かなくても妙高山がきれいに見える三和区へ行くつもりだった。ところがまあまあの空だったが妙高山は雲に隠れたまま。それでも運が良ければ山は見えるかもと期待して出かけた。
本日はもうひとつ、一昨年まで仕事でお世話になった三和区のAさんに急遽お会いして、お目当てのカフェ「喫茶去」と近くの山高津の池へご一緒することになっていた。伺うと思いもかけず「上がって」というお言葉でお茶をご馳走になった。
手入れをされた旧家の風情が漂うお宅。周囲の水田、遠くの杉木立。小学一年生のころ一度だけ訪ねた清里区にあった親戚の家を思い出した。あるいは満州からの引き揚げで、フラフラになってたどり着いた佐賀県の母の実家の安堵が蘇るのか、山が見える田舎の集落の家には一種思慕のようなものを覚える。
お茶を頂きながら昔話や土地のことなどお話しして喫茶去と山高津の池へ向かった。
このたびで五回目の「喫茶去」。
いずれも晩秋か冬なのが不思議。
結局妙高山は姿を現さなかった。カフェで美味しい茶を飲みながらAさんと妻は女子校の同窓であること、共通の知人が何人もいることなど思わぬ縁に驚かされた。
本日妙高山の雪景色が撮れればヴィヴァルディの「四季 冬」の第1楽章を掲載する予定も叶わなかった。
さてさる6日、偉大な小澤征爾さんが死去された。私は2回しか氏のコンサートを聴いていません。しかし周囲には年に複数回聴きに行かれる方や氏とのツーショット写真をお持ちの人もおられ、とても羨ましかった。
チャイコフスキー「弦楽セレナーデ第1楽章」
アカデミー -スイス-によるサプライズアンコール曲。
美しい音階と和声、若者育成への情熱が伝わる。
そんな私だが小澤征爾さんと唯一わずかな共通点がある。氏は1935年満州国奉天市生まれ、不肖私も7年後同じ奉天市で生まれた。どこか心の片隅でそのことに恥じないように、出来れば誇りにしなければと、思い直している次第です。
今年の齋藤三郎(陶齋)の展示。
樹下美術館の冬期休館は早々と中ばを過ぎました。ようやく齋藤三郎(陶齋)と倉石隆の展示のテーマが決まり、数日かけまず齋藤三郎のホームページバナーやポスター、チラシ原稿が出来ましたので本日とりあえず掲載致します。
今年の齋藤三郎は「齋藤三郎の文様」に致しました。昨年上越市立小林古径記念美術館で「生誕110年 齋藤三郎展」が開かれまし。その期間中、ギャラリートークでお話しさせて頂いたテーマの一つです。
文様は齋藤三郎お得意の「椿」「梅」「牡丹」「ざくろ」「秋草」はじめ「スイセン」「コブシ」「ぼけ」「竹」「どんぐり」「露草」「芙容」「ドクダミ」「野イバラ」ほか「トロロアオイ」や「葉っぱ」などの草花や「松」などの植物。さらに民家、山などの「風景」、「雪華」及び「麦わら文」や「文字」がモチーフとなったものなど、多岐にわたります。
椿やざくろ、あるいは秋草などを沢山集めて出しますとスペースが全く足りません。それで相当ごちゃごちゃすると思いますが、多くあるものは数を絞り、出来るだけ多様なモチーフを並べたいと考えています。
文様は50種類前後の予定です。古径美術館ではプリントでお話ししましたが、この度は器をご覧頂くことになりました。初めてお目に掛ける作品も混じりますのでどうか宜しくお願い致します。
倉石隆作品は「赤ちゃんから老人まで」という風な趣向で考えています。来週末にはご紹介させて頂く予定です。
ホームページにおける「齋藤三郎の文様」のお知らせは連休明けになりますので宜しくお願い致します。
さて第3、第2楽章を載せましたヴィヴァルディの「四季」から「冬」。残り第1楽章は晴れた雪景色の写真と一緒に載せたいと考えていました。何とか妙高山が見える日に三和区のお目当ての場所へ行き、良い感じに写せればと思っている所です。
表現と愛着。
本日も雪模様。積もることは無かったがびしゃびしゃ水っぽい雪が降ったり止んだりしました。
何度も書きましたが毎水曜日は特養の回診日。早めに終了したため、また冬鳥、特にハクガンの探鳥に辺りを走りました。
何カ所か見当をつけた場所はいずれも外れ、一羽のハクチョウも雁も、当然ハクガンも見ませんでした。こんなことは珍しいですし数日降った雪が鳥たちをどこかへ追いやってしまったのでしょうか。
外出時はなにがしかのカメラを持参し、面白そうなチャンスがあればレンズを向けます。本日は天気が悪く肝心な風景も今一でした。
当地は特別風光明媚な観光地はないので見た目良い写真を撮るのは簡単ではありません。それでも自然や雲など季節ごとの情景や電車あるいは花鳥を写すことで満足している次第です。
本当は妙高山が近くに見える地域であればなあと思っていますが簡単な事ではありません。
ところで地域の景観の美しさは、そこで生まれ育った人であれば他をあまり知らなくても、ここは素晴らしいと自覚するのではないでしょうか。
さらに世界的に風光明媚な所の人が自ずと「ここは世界一」だと考えるのはそう外れていないのも不思議な事です。
私の場合は特別な場所ではないのですが、愛着というのでしょうか、微妙なことですが何かしら心に響く光景や風光に出会えれば撮ってみているだけ。たまたま当たりのようなことがあれば、いつか又と単純に期待してレンズを向けるという風です。
ヴィヴァルディの四季から
「冬」。本日は第2楽章です。
最後に一つ、もし風光明媚な所へ行って撮ったとしても、どこか平板で心こもらないものばかりだったという経験も不思議といえば不思議なことです。表現の場合、何かに付け愛着というようなものは大切な要素の一つかもしれません。
今後行ってみたい所は東北の名山が見える里のような所で、その次は山陰で、果たしてどんなでしょうか。
2月の雪。
昨日の当欄で、過去5年間に書いた2月のブログ記事の事を最後の方に載せました。その中で、思わぬ雪が降ること、を挙げていました。
今のところ今年の冬は暖冬、小雪でしたので、本日の雪は「降ることがある」風に思われました。そんな日の午後遅く在宅訪問で二軒回りました。
最初のお宅は雑木林を行きますので道中は美しい景観でした。
伺った二カ所の距離は市街地を入れて8キロほど離れていましたが、このあと回った国道はまだ除雪が必要ない状況でしたので助かりました。でも雪道は良くても悪くても何が起こるか分かりません。早め早めにブレーキを踏み、時にはエンジンブレーキを効かせて走りました。
2月、3月は普通に、時には4月上旬に雪が降ることがあります。今後は淡雪と言いますか、地上をうっすらと白く染める降り方もよく見られます。但しこの時期から大雪になることがありまだ油断出来ません。
本日の雪は明朝までには一旦止むようです。その後どうに推移するでしょう。
ヴィヴァルディ「冬」
第三楽章。
この度は太平洋岸にも降ったようでした。
誕生日の追加 週末の鳥 2月とは。
2月1日が誕生日で、はや4日目です。自分の事をいつも老人とか高齢者と書くのはモヤモヤしますし、第一誕生日を記しながら何才と記さないのも失礼なようででもあります。それで恥ずかしさもあり以後何度も申しませんが、お陰様で82才になりました。
この先は、いくら先人の通った道といえ私にとっては全てが初体験(これまでもそうですが)。弱気を口にしたらキリがありませんので、出来れば年のことは知らぬ振りをしながら生活し、出来るだけブログも続けたいと考えています。
さて蝋梅に触れました1月24日には「冬本番のさ中」と記しました。それから10日、この週末は寒かったのですが日が伸び、かつ高くなるのが感じられ、外に出ると僅かながら春の気配を感じました。
このところ沢山飛来しているはずのハクガンに中々お目に掛かれません。
一昨日土曜日午後は柿崎、吉川、大潟、頸城の各区から三和まで観て回りましたが、主にコハクチョウとマガン、ヒシクイを見るだけでした。
上掲の場所に次々と雁が舞い降りたが期待したハクガンは一羽も現れなかった。一体何所にいるのやら。
オオバンはカラス、カワウと並び黒い鳥の代表ではないでしょうか。僅かな尻尾とくちばしの上に白い額板という部分があるのが愛嬌です。枯れ草の下に生えているらしい若草を食べているようでした。
本日午後しばらく陽が射しました。
先ほど2019年から毎年2月のブログをざっと目を通してみました。
2月は日射しが強くなること、クリスマスローズが咲くこと、思わぬ雪が降ることなどがよく見られていました。
また2020年2月に、新潟県で初めてコロナ感染者が出たと記されていました。
先の事が全く理解できずあたふたと過ごした当時を懐かしく感じました。ただ5年目に入りましたが相変わらず集団的な発生は止んではいません。
この数年ハクガンを沢山見るのも2月でした。今期はこれまで最大の群が来ているようなので期待したいと思います。
いつしか今年の開館までもう少しとなり、毎年緊張する時期です。近いうちに今年の展示予定を掲載致しますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
本日誕生日だった。
本日2月1日は不肖私の誕生日。今年1月の人口推計では日本の人口は1億2409万人ということなので同じ日の生まれの人は一先ず365日で割って約34万の方がおられることになる。
するとこんなに大勢の人と同じ誕生日ということで何か心強い気持がしてきた。しかし同じでも最も高齢に属する方なので一番尻尾にくっついている、というかお邪魔している感じがする。いずれにしてもあらためて精一杯頑張ろうと思ったし、それ以外無い。
上掲は去る1月29日午後5時頃、美術館の庭にあったウサギの足跡。ウサギは冬眠をしないようだがこの辺りで巣穴を見たことがない。どう寒さを凌いでいるのだろう。
お客様が通る庭を今はウサギが行き交っている。悪くないと思った次第です。
昨日の夕食は宮城の弟から届いたマダラだった。弟も2月生まれで1才しか違わない。いや今や同じ年のようなもの。この一、二年は「さん」付けで呼ぶようになったし、長年、年長ぶっていたことを詫びたい気がする。
上掲写真は本日運転免許の更新で行ったセンターで使用される立体駐車場。以前は豪雪のことも度々あり駐車場で苦労し、更新には良い思い出が無い。
2月生まれの人に会うと年は違っても普通以上のシンパシーを感じる。「同じ星のもと」という感じなのだろうか。
初めてのコウノトリ 若草の田にコハクチョウの群。
本日午後は特別養護老人ホームの回診。比較的皆さまが落ち着いていて早めに終わった。予想以上に良いお天気。田んぼへ鳥を探しに回った。
1月14日のねぐら入りを見て以来、ハクガンを目にしていない。数百羽という規模で来ているようだが、田の食事風景を見ることが出来ないままである。
大きな群で広がり、無心に田んぼで過ごすハクガンとその子らは迫力があろう。出会えないのは残念だ。
しかし本日、その代わりというのを二つ目にした。一つはコウノトリで、朝日池の付近で農道の先に思いも掛けず二羽が待っていた。初めてだったが、吉川区の橋爪さんのブログで度々見ていたのですぐに分かった。
コウノトリに出会う前、一様に草が生えた水田にコハクチョウの群がいた。普段水鳥を見るのは雪上か水上、あるいは雪の無い枯れ田が普通で、この田のように水が滲みた新鮮な草地で見るのは初めてのことだった。
昨日は晴天、本日も静かでまあまあのお天気だった。見たいと願っていたコウノトリが突然行く手に現れ、草の水田に広がるコハクチョウの群も初めてだった。
今夜うどんを食べて思う。
本日の夕食は天ぷらうどんで鉄鍋で熱くして出されました。
乾麺を湯がいたので後口に僅かに粉っぽさが残るのは仕方ありませんが、タレが美味しく胃腸にも優しく有り難いことでした。

それにしても思い出すのは高松の夕ご飯の「讃岐うどん」です。
ただのうどんと言ってしまえばそれまでですが、何故心に残ったかを述べるのは少々難しいかも知れません。
長い長い伝統、混じりけの無さ、ひたすら重ねられた競争と研究の味、、。そのようなことがひと口ごとに感じられすっかり感激したという訳です。
もう少し加えるなら、知る限り「黒うどん」や「赤うどん」あるいは「豚骨うどん」などは無くひたすら白一色。バリエーションが比較的限定されている潔さもありました。
食事時、低血糖気味というのも消化吸収の良い讃岐うどんには打って付けだったかもしれません。また入店後あれこれと選ぶ必要もなくただ「うどん」を食べれば良いという直線的なポジションも希有な事だったと思います。
話変わりますが、ひたすら手入れ良く美しい「松」と「石垣」を見せる「玉藻公園」にも似たような感慨を覚えました。
最後ですが、色々と手を出したがる自分は、「讃岐うどん」や玉藻公園の「松」と「石垣」のように対象を絞って取り組まれている高松の清々しさに心打たれた、というのが本日のテーマだったようです。
季節などにも左右されない安定した魅力ということでしょうか。
扁額「第一義」は母校高田高等学校にも。
昨日ここで、身体など不自由な方や高齢者が鉄道を利用する際、それを手助けをする幾つかのシステムを書かせてもらいました。
ところで先般の旅行記の1月11日当欄で黄檗宗・万福寺を訪れた際に見た総門の扁額「第一義」について記載しました。
総門の扁額「第一義」。
その時「第一義」は小生の地元、上杉謙信公ゆかりの寺院春日山林泉寺の山門にも掲げられていること、さらに出身校髙田高等学校の体育館にもあったような気がすると、記しました。
その折、母校の「第一義」はうろ覚えで自信がないのでどなたか教えて欲しい、と書き、いわば宿題になりました。
すると去る1月中ば、所用でお会いした特別養護老人ホーム「しおさいの里」施設長竹田氏がブログを読んでおられ、「第一義」は確かに体育館の正面右手の壁にありました」と仰るではありませんか。
同氏は私より3世代は若く、同じ髙田高等学校の卒業生です。さっそく明解にお答え頂いて有り難うございました。
実は現在林泉寺山門に掲げられる「第一義」は元の扁額から複製されたものだそうです。こうなれば是非謙信公が揮毫したとされる原物を見たいところです。
近いうちに林泉寺を訪ね、収蔵されているという宝物館で謙信公筆のものに出会えればと期待しています。
正月の旅の宿題はまだ続くようです。
ちなみに「第一義」は禅の教本「碧巌録(へきがんろく)」にある重要な公案ということで、これまた宿題でしょうか。
高齢者や不自由者に向けた交通機関のサービス。
地震と旅行で始まった2024年1月は早くも下旬に入っています。
すでに遠いものとなりつつある西国への正月旅行。見聞したことの興味は尽きませんが、一つに不自由な人や高齢者について交通上の配慮が良くなされていることが印象に残っています。
JR奈良線の優先席表示。
高齢、障害、妊娠、疾病、赤ちゃん連れ。
車椅子、ベビーカーが続いた
構内エレベーターを待つ列。
特に欧米人のベビーカーの多さが目に付きました。彼らは数泊などではなく10日、2週間と長期滞在することが多いといいます。日本のほか前後して他国も旅しているようですので連日の移動は大変だろうと思いました。しかし淡々と落ち着いて行動する様子からタフさに驚かされました。
私達はJR奈良線とJR山陽本線を利用ましが、常に乗り口脇の優先席に喜んで座りました。いつしかそうするようになった自分たちですが、そのことに驚かなくなっているのに驚きます。
寒波に咲く蝋梅。
西日本まで巻き込む今年最大の寒波が来ている。幸い当地の雪は10センチ程度で今のところは助かっている。が寒さは身にしみる。
本日午後は特養の回診日、駐車場に車を置いて建物まで吹雪の中を走った。
ところで昨年冬あるお宅から頂いた蝋梅の枝が誠によく香り、思いついて今年春ホームセンターにあった残り1本の蝋梅を購入し、診療所の庭に植えた。
植えると、土が良いこともあり活着し、早くも今年1月中ばに上品な匂いを漂わせて開花した。
この花が咲けば春が近いという訳ではなく、むしろ冬本番のさ中であることを示している。
それゆえ素性の強さに驚き、「雪国の人を励ます優しい花」という点で「春秋の花」とはちょっと違うと感じている。
(上掲文は翌日少し手を加えました。)
正月旅行の最終日、聖僧良寛が修行した備中玉島円通寺。
備中(岡山県)倉敷市の西南端である玉島は北前船で大いに栄えた商都です。瀬戸内海を望む玉島の高地に正月旅行の最終地、曹洞宗円通寺がありました。
江戸後期、我が越後の人良寛(以後良寛さん)は、生地出雲崎で巡り会った円通寺の高僧国仙和尚に付いてはるばる玉島まで旅し和尚のもとに入門、22才から11年間にわたり禅の修行をしました。
国民宿舎「良寛荘」
団体さんで賑わっていました。
タクシーで坂道を上り良寛荘に到着すると、地域振興と良寛顕彰に熱心に取り組まれる葛間さんと早川さんのお二人に迎えて頂きました。
良寛荘を出て見た瀬戸内海。良寛さんの当時、海岸線はもっと手前まで接近していたそうで、埋め立ても無く眺めはさらに絶景だったに違いありません。
円通寺境内には老いて樹勢が衰えつつある「良寛椿」と呼ばれる白椿の古木があります。良寛さんの修行時代からあるといわれ、現在それを挿し木などで増やし、上掲の場所で「良寛椿の杜」を目指して植樹されていました。
円通寺の山号は補陀洛山(ふだらくさん:観音様の降りてこられる場所の意味)です。寺院があるのは白華山という山の中腹で参道は少々急な山道でした。
国仙和尚に従って参道を上る図。
右下に師と良寛が描かれています。
参道途中、納骨堂である覚樹庵の前に太い幹の良寛椿。白椿だそうですが、これだけ太く大きな木が椿とは。しばらく前から花が途絶え、関係者の努力で僅かながら開花をみるようになったそうです。現在新たに採った苗は前述の「良寛椿の杜」で熱心な植樹に用いられています。
円通寺の竹林のことは、禅のシンボルの一つとして良寛研究家の小島正芳先生からかねて伺っていました。
創建当時のままの端整が維持されている壮大な茅葺きの本堂は倉敷市の指定重要文化財。良寛堂への角に良寛像が安置されていました。
良寛さんが杖と共に
国仙和尚から印可の偈を
附与された高方丈南間。
1790年(寛政2年)良寛さん33才の時、この部屋で修行の終了を宣言する印可の偈を国仙和尚から与えられました。聖僧良寛の誕生です。偈とともに頂いた杖を頼りに世俗に飛び込む新たな修行が始まりました。
仁保哲明ご住職から
お話を聞いた一室。
ご住職には貴重なお時間を割いて頂きました。静かな自然体が滲むお人柄で、いっときでしたが修行をさせて頂いた気持ちがしました。
若き良寛像。
新潟県内で見る彫像より
ずっと若く溌剌としている。
岩のよろしさも良寛さまの思いで
昭和11年、円通寺を訪ねた山頭火。石庭で修行に勤しむ良寛さんを偲んで詠んでいます。
さてもっともっとと思いましたが時間が迫り泣く泣く円通寺を後にすることになりました。帰路は「新倉敷駅」まで早川さんが車を出して下さいました。途中の市内で越後長岡藩の名家老河井継之助の若き日の足跡を案内してもらいました。
河井継之助逗留地の碑。
倉敷ロータリークラブなど
によって建立されている。
河井継之助は1859年(安政6年)、当時借金に苦しみ続けた備中松山藩を劇的に再興させた漢学者山田方谷の門下として学ぶべく隣接する港町玉島へ上陸しています。児島屋はその時に逗留した船宿ということでした。
さて正月旅行の最終地、備中玉島円通寺の見聞を終了する時間となりました。私の準備不足で新倉敷-玉島の交通を、倉敷-玉島にしたため滞在時間を短縮せざるを得なくなりました。
にも拘わらず、早川、葛間両氏と仁保ご住職には大変手厚くして頂き感謝に堪えません。また旅行に先立ち、円通寺でお世話になったお三人に連絡をして頂いた全国良寛会会長、良寛研究家・小島正芳先生に深く御礼申し上げます。
話変わりますが40年前、自分には少々悩み多き時代がありました。なんとか越えなければと色々本を読んだり考えたりしましたが、畏れ多くも良寛さんには幻のように手を差し伸べてもらった気がしています。
当時、もしもこの目で見ることが出来るなら、次の三人を見たいと思っていました。
一人は良寛さんの少し前の時代、1818年生まれの我が高祖父玄作で、火鉢に手を焙りながら来客と話すのをすぐそばで。もう一人はイエス・キリストで、使徒を連れ荒野を歩くのを遠くから。最後は夕暮れの山裾の村を一人帰る良寛さんを遠くから、でした。
このたび円通寺から見た瀬戸内の冬陽は春のように明るく海は軽やかな青色でした。どんより重く暗い日本海との違いに師はどんなに驚いた事でしょう。険しい石庭もありました。ここで思いっきり修行しよう。若き良寛さんは勇んで意を決したにちがいありません。
悟り、強靱な足腰、師の教えと杖。印可の偈(いんかのげ)を授かった後、これらをを拠り所に、いずれ帰りたい越後を胸に仕舞い長い旅路に就いた良寛さんの円通寺。深い感慨をもって正月旅行の最終地玉島を後にしました。
後日早川さんから届いた良寛椿の苗。とても楽しみです。失敗する人もいるようですが、是非ともちゃんと育てたい。
御地倉敷市はじめ玉島および円通寺は諸行事、記念碑および像の建造、椿の杜づくりなど良寛さん顕彰の熱心さがとても良く伝わりました。古来豊かな商都であり茶の湯が盛んで戦後早くから「良寛茶会」も催されているとも聞きました。
晴れの国と雪国の妙、北前船の寄港地同士。良寛さんが繋いだ岡山県と新潟県は良縁にちがいありません。
さて以上、正月の拙い旅行記は長くなりました。一方で年明け早々の大地震。大災害は日が経つに連れ新たな問題が深刻化しています。
政治は各自懐にしたパーティー券代をまとめ、一刻も早く被災地へ届けたらどうでしょう。政治改革とはこのようなことから始まるのではないでしょうか。
1月3日夕刻と4日午前の高松市、美しい松と命の讃岐うどん。
遅々として進まぬ正月旅行記ですが1月3日午後遅く、直島から四国へ、ようやく後半の高松市に入った。雨でしたが傘をさすほどでもなく助かりました。港、駅、主なホテルがほぼ一地区にまとまっていて、交通の利便が計られていました。
高松港の2本のモニュメント。2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭に設置された大巻伸嗣氏の作品。その後2022年の瀬戸内芸術祭を経て長く高松港のシンボルになっている。
JRホテルクレメント高松の部屋から見た高松駅方面。大都会だと思いました。反対側、ホテルの裏手は港です。
香川、高松といえば何といっても讃岐うどん。夕刻駅で明日の列車マリンライナーの切符を買い、ホテルで傘を借りてうどんを食べるべく街へ出ました。
食べ物屋さんがある繁華街のアーケードはすぐ近くと聞いたのですが、中々着きません。今や健常な層と異なり年寄りの足は距離や時間が違うのでしょう。傘を開いたり閉じたり、幾つも街角を曲がってようやく店を見つけました。
お願いしたうどんは熱々の桶に入り、海鮮が効いた甘めのタレも器ごと熱々でした。
妻には内緒でしたが、入店して座ると何故か頭がぼーっとして上手く気が回らない感じがしていました。三日間毎日1万歩は歩き、当日もすでにそれを越えていました。
昼を抜いているのですから、低血糖気味だったのかもしれません。慌てずにまず熱いつゆを口にし、ゆっくりうどんを噛みしめながら食べました。
ああ讃岐うどんは大学病院時代、専門店が近かったのでどれだけ食べたかわかりません。こちらに来て足かけ49年、久し振りのうどん、それも正真正銘、本場の讃岐うどんです。持ち上げてみる非常に長くてずっしり重く、滑らかさ、湯がき方、熱さ、風味、分量、申し分ありません。
立派なことに桶などに入れてある。ゆっくり食べ始めると間もなく頭がしっかり働き出しました。高松の夜歩き疲れて食べた讃岐うどんは生涯忘れられない事でしょう。
地元の家族さんらしき方達も皆うどんですし、出がけにお金持ちそうな黒づくめの外人さんご夫婦が嬉しそうに入ってきました。
さて翌4日、昨日とは打って変わり気持ち良く晴れました。朝早くからホテルのすぐ近く高松城跡(玉藻城跡)である玉藻公園に行きました。玉藻は万葉集で柿本人磨が讃岐の国の枕言葉に 「玉藻よし」と詠んだことに因み、一帯が玉藻の浦と呼ばれたことによるそうです。
自分が世話になった大学病院の前に渋い木工椅子テーブルの喫茶「玉藻」がありました。懐かしい店ですがエプロンをした粋な主は高松の人だったのでしょうか。く
高松という都市名の由来が良くわかりました。南陽に映えて生き生きとした松でいっぱいの公園。実際正月早々、松の手入れに勤しむ職人さんたちを見ました。
石垣も美しく三方海に囲まれていたという城跡はブラタモリで観ていました。海水を取り入れた構造で、いまなお海とともに生きている城という雰囲気があり、歩くと元気が出ました。
桜御門。戦前国宝指定の前夜、空襲によって焼失。令和4年に再建されている。
入り口両側の積み石は見事で現代的な造形そのもの。いにしえの人々が有した美的センスは現代と遜色無いレベルではなかったかと思いました。自然や建造物と調和させる、という点で言えばなおさらです。、
園内の一角でみたソテツ。温かいところだとこんなに葉が茂り幹が太くなるのかと驚きました。
琴電が忙しく往き来していました。
その琴電に乗って高松市立美術館へ。駅で降りると晴れ着を着たワンちゃんと出会いました。忘れるところでしたが、お正月だったのですね。
美術館ロビー。
現代絵画と香合の展示を観て館内のカフェで一休み。
昼が近づき高松駅へ。
この年になってようやく出会った瀬戸大橋と特急列車。およそ10㎞にわたって瀬戸内海の島々を繋ぐひと時は壮快でした。
一昨年でしたか、一種興奮とともに読んだ村上春樹の「海辺のカフカ」。登場人物達はそれぞれの因縁に導かれ次々と高松へとやってきます。
主人公がたどり着いた高松市のクラシカルな図書館は、作者の若き日に親しんだ西宮市のものだったことは知っていました。しかし一種神秘的な空気を漂わす小説ゆかりの場所に淡く期待していましたが、図書館は勿論深いジャングルのような森と寂しい農村などを探す時間はありませんでした。
僅かな滞在でしたが、陸海が一体化した交通、美しく健康な松と立派な石垣の城跡・玉藻公園、そして讃岐うどん!四国高松はそれで十分でした。
学生時代と大学病院の医局時代、13年間をともにしたNは高知の人でした。若き日、休みになると宇高連絡船と急行など10時間も掛けて東京・高知を往き来したと聞いていました。
今回お洒落なフェリーでしたが、昭和30年代中頃~40年代の高松市や宇高連絡船はどんなだったのでしょう。元気なら色々話したかったNは一昨年亡くなり、気がつくと寂しくなります。
1月3日の倉敷と直島。
前回記載の1月2日午後の大原美術館は15時閉館ということで観ることが出来ず、翌3日に回され予定に少々の詰まりが生じた。
3日午前に同館を観終わり12時には宇野港へ行き直島を目指す予定となった。
大原美術館の創始者・実業家大原孫三郎は、孤児院の運営に粉骨するプロスタントの篤志家を知り、自らもプロテスタントとなり文化の社会貢献を目指して昭和5年、日本初の大規模な私立西洋美術館を設立した。
本館入り口左に
ロダンの「カレーの市民」
勇敢な人々の像は50年前も
ここにあった気がする。
同じ作家でも作品は様々にランクを生じる。大原美術館は主に孫三郎が支援した画家児島虎次郎がパリを中心に各地で懸命に収集。作品は作家の名ではなく完成度によって真摯に集められている。
このたび広大な展示場の館内でエル・グレコの暗色効果を生かした劇的な「受胎告知」から中心部の白が目を引くアンリ・ルソー、眩しいシニャック、ルノワールの若く幸福な裸婦、私には珍しく重厚なマティス、さらにムンクにロートレック、ルオー、モネ、ピサロ、ゴーギャンほか淀みなく並ぶ近代西洋画の代表作を観た。みな懐かしく、倉石隆が憧れたパウル・クレーも良かった。
日本人が描いたこの国の人々の深い味わいに一段と思いを新たにし、突然現れた松本俊介の青い人物も嬉しかった。
図録「大原美術館+作品と建築」
の見開き小出楢重「Nの家族」。
民藝の不動の人々、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチ、棟方志功、芹沢圭介のあまた一級品をを咀嚼するように堪能した
絵画では開館した昭和初期、日本で西洋名画の実物を目にする機会は乏しく、収集品は日本洋画壇の向上に貴重な役割を果たしたという。
50年ぶりとなる広大な館内を、まさにおぼろげな記憶とともに歩きながら、これは見納め、拙い自分のなにがしかの責任の一端を今果たしているという気がして安堵を覚えた。
米倉を用いた民藝・東洋館。
染織家芹沢圭介の紅型に
ちなみ独特の赤色をしている。
さて大原美術館の後は直島へ急がなければならない。宇野港からフェリー。しかし電車による岡山経由の行程は宇野港を頂点に岡山と倉敷が底辺となり三角形を構成していて相当不効率に思われた。時間を考慮し最終的にタクシーを依頼し宇野への直行を図った。
一帯に詳しい地元のタクシー運転手さん。運賃は掛かったが妻と二人で昼食を抜けば少しは足しになる。道中先々の話を聞きながら走った。現れては消える倉敷川を観て倉敷が物流の一大中心地だったことを納得した。
野を越え山越えて宇野港へ到着した。
宇野から目と鼻の先、直島宮浦港まではわずか20分だった。
宮浦埠頭に
草間彌生さんの赤いかぼちゃ。
一斉にこどもたちが走った。
直島のアート巡りは施設と野外がある。施設のほとんどは予約制で迂闊にも私達はそれをしていなかった。残念だったが野外作品を主に観で回る事にして一台だけあったタクシーに乗り込んだ。
小さな船着き場に設置された黄色いカボチャで写真を撮るのにしばしば数十人待ちになるらしい。私達の時は誰もおらず後から混んできた。
細い坂道を上ったり下りたり、写真を撮ったり、島の歴史と現状を聞きながら回った、精錬から文化の島へ痛々しさの克服。今日までの長い努力を思わない訳には行かなかった。
家プロジェクト地区にあった「ANDO MUSEUM」。予約無しで入館できる貴重な場所。しかし、ちょうど昼休みで入れなかった。
午後次第に崩れる天気。
ポツポツ始まるころ
高松へ向けて出航した。
直島の主だった宿泊や展示施設には(株)ベネッセの関わりが大きい。室内展示で是非観たい場所や作品があり予約をせず未練を残した。だが彌生さんの二つのカボチャほか楽しい作品に触れて満足して高松へ向かった。
高松までおよそ一時間、海路で見る瀬戸内の島々は想像以上に大きくて驚いた。
1月2日午後の倉敷で。
1月1日午前上越妙高駅出発、京都から始まった3泊4日の正月旅行。道中ところどころ準備不足が露呈することになったが、それはそれ、旅は「出かけることに意義あり」として回ってきた。
さて岡山駅で新幹線から山陽本線に乗り換えた。駅構内の多くの電車と人の賑わい、垣間見る一帯の景観から活気ある都会だと感じた。第一山陽本線と聞くだけで旅情がつのった。
予約した倉敷国際ホテルは大規模ではないが館内に美術品があしらわれたシックな宿だった。
階段踊り場に展示された真田紐(さなだひも)によるタペストリー。繊維の町倉敷にふさわしく良い感じ。
別の踊り場にガレナ釉によるスリップウエアのピッチャー(舩木研兒作)。明るさと民藝風素朴さが魅力。
宿で荷をほどき近くの大原美術館へ向かった。明日も来るが一時間は見られるだろうと踏んで出かけたが15時で終了という看板が。翌日メインとして辺りを散策した。
50年前に来たときも水路に白鳥(コブハクチョウ)がいたと思う。今でも人気。
賑やかな道を歩いているとすぐ近くでチッ、チッ、とエナガの小さく鋭い鳴き声が聞こえた。
カラタチ?の垣根に来ていたエナガのお腹。倉敷では人通りの多いこんな街中にいるのかと驚いた。
大原美術館のある美観地区は外国人も多かった。何でも珍しい私達も外国人のようなもの。
一度宿に戻り休憩し、人通りが少なくなった夕暮れの界隈を歩いた。
通りにはジーンズや服飾品を商う店が多いのも倉敷らしい。作家ものの工芸品の店などを眺め予め見つけておいた所で夕食を摂った。
交通規制されているらしい美観地区、
籠付きバイクは重宝にちがいない。
さて1月2日午後に到着した倉敷一日目はここで終了にします。色々書きましたが正月の旅はちょうど半分が終わりました。
大原美術館は明3日午前に伺うことにしました。そして昼には宇部港へ行き、アートの島、直島へフェリーで渡る予定です。
岡山経由宇部までの経路は遠回りを否めず、バス、タクシーを入れる案などホテルスタッフと相談をしましたが、結論に到りませんでした。
昨日に続いて宿で見るテレビは能登の惨状を伝えていました。
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