悪天候と寒波 コロナ診療への礼状。

2023年1月20日(金曜日)

冬型の気圧配置が強まり強風に見舞われた金曜日。明日にかけて大荒れと報じられている。週明けから来る強い寒波による大雪への注意も伝えられる。

この先は荒れるか降るか、とにかく悪天候のようで、外来は早めにという方たちが目立った。

 

在宅回りの帰路鵜の浜温泉駐車場から見た海。

問題は来週からの雪であり、出来れば50センチ以下程度で勘弁してもらいたい。

ところでコロナは、このところ全国および新潟県の報告が減少している。しかし拙院は、多くはないが毎日のように相談や検査投薬の用件がある。件数は減少するものの全国の死亡数は7波を越える高いレベルにあり、特に高齢者はまだまだ油断が出来ない。

過日初めてシオノギの抗ウイルス薬を使用した。新薬のため併用薬が多い高齢者で使いづらさがある。今後使用治験が重ねられたうえ除外事項が限定され、より一般化されることを期待したい。

県知事から文書が来ていた。

文面は、新潟県のコロナ死亡率が全国最小で、誇れる成果を達成していること。そのことでコロナ診療に協力している機関に対する慰労の内容だった。
かろうじて追随する拙医院としては励ましを覚え、特に3年間リスクとストレスの中で、戦うように仕事を続けたスタッフには感謝に堪えない。

今春からコロナは2類相当から5類へと扱いが変わる予定だという。3年の経験では未だ「こなれた」とは言い難い新興感染症。今後も科学に基づく柔軟な姿勢は必要ではないだろうか。

蝋梅(ロウバイ)。

2023年1月17日(火曜日)

冬の晴れ間に外出すると良い匂いがすることがある。この先は水仙だが、今は蝋梅(ロウバイ)が香っている。

大雪の冬などに出会う蝋梅は遠く感じていた春を思い出させ、光景はあとあとまで目に浮かぶ。
昨日の在宅回りであるお宅の庭が香り、玄関はいっそう良い匂いがした。

いつも明るく迎えて頂くお花。
水仙と蝋梅の二重奏。

お宅の蝋梅は3メートルほどもあり満開だった。お爺さんが植えたと仰った。

花のことを話すると奥さんが枝を届けて下さった。

 

枝は仕事場の庭の水鉢に漬け、一枝玄関の花瓶に飾られた。

毎年、うちも欲しいと話しながら立ち消えになっていた蝋梅。昨日妻はムサシへ行って、一鉢購入してきた。

1本残っていたという蝋梅は3980円。ちょうど私の背丈ほどで、今付いている花は少ないが幹が立派で、これから冬の楽しみに。
往診や外出で匂うよう、仕事場の玄関脇、空いている所に植えようと思う。

幹と枝は堅そうなので雪囲いは軽く縛る程度でよさそうだ。ある程度の積雪でも匂ってくれることを期待しよう。

Iさん、季節の野菜や花を有り難うございます。

午前中から仕事場のカーテンが明るく、如何にも良いお天気の火曜日でした。

午後から雨の日曜日 書籍などの断捨離を始める 父が聴いていた冬の旅。

2023年1月15日(日曜日)

 

まあまあの曇り空が午後しばらくして雨に変わった。午前に絵を描き午後から大きな本棚はじめ片付けが必要な古物を選んでまとめた。処分をお願いする方も決まり、懸案に手を付けた。

 

父や私が求めた鴎外や漱石の全集物も8割方出すことに。

父が聴いていたベートーベンとシューベルトのSPレコ-ドアルバムも歌を除いて出すことに。

以下は残すものです。

シューベルトの「水車小屋の乙女」と「冬の旅」とベートーベンのカルテットを残した。

 

父が好んで聴いていたゲルハルト・フュッシュの「冬の旅」。

祖父と父のドイツ語医学書
4冊だけ残した。

祖父の外科学から膀胱鏡の図版。

 

父の心臓、血管学。

私の中高時代に父は心電図を独学していた。患者さんから撮ったものをスクラップブックに延々と貼ってある。

明治22年、祖父の千葉医専医学部卒業写真。くるくる丸くなるためゴルフクラブで抑えた。

写真の中の祖父。
小山作之助の弟。

 次回は家具や焼き物などに手を付けるつもりです。

ゲルハルト・フュッシュの「冬の旅」の動画がありましたので掲載しました。
つらく悲しい冬の旅への第一章「お休み」です。

音源は1933年の録音ということで、父の学生時代に当たります。開業医に現金収入が乏しかった時代、12人兄弟の長男の父は苦学し、寒い日は新聞紙を足して寝たと聞きました。

今年も飛来したハクガン スマホを教えてもらう フキノトウはテンプラに。

2023年1月14日(土曜日)

去る11日から昨日まで三日間、冬に希な晴れ間が続いた。気温も上がり小春日和となり晴れがましくもあった。

5回目のコロナワクチンの接種が間もなく終了する。3年間に5回もの接種となった。高齢者の死亡率を抑え、事業所や学校への影響を最小限に食い止めるためだった。
3年間に5回もの接種があるとは、当初では考えられないことだった。せめて5回目のオミクロン株対応ワクチンが効果を上げ、仮に9波が来ても深刻な影響を生じないことを切に願いたい。

コロナ禍で日本人の平均寿命の伸びが止まり、僅かながら下降している。富める国アメリカの短縮は著しく過去2年で2,7年短くなったという。中国が受ける影響が案じられるが正確には公表されないことだろう。

さて11日以来2日ブログを空けてしまった。
12日の晴れ間に朝日池に行くと、湖畔の農道に数台の車が見えた。ハクガンが来ているという。

随分遠くにかなりの数のハクガン。
飛び立たさせないよう近づく人はいない。

別な場所に行ってみるとマガンに混じって小さな群が食餌していた。

 

今年も来てくれたハクガン。全体で何羽くらいいるのだろう。
今のところ大雪は避けられている。この先およそ二ヶ月、どうか安全にゆっくり過ごしてもらいたい。邪魔にならないよう気をつけて、優雅な彼女らの写真を撮れれば嬉しい。

さて悩みの種だった新しいスマホ。普段パソコンを診てもらっている(株)信越情報のA氏に来てもらって教えを乞うた。

指紋認証から始め、連絡先のグループ分け、画像転送、アイコンの動かし方と整理や削除、メールの統一など基礎から教わった。下取りに出して元の簡単ラクラクフォンに戻せないかとまで考えていたが、先まで使うことになった。

カメラの機能は凄いのだが、小さなキーパッドの英語をはじめ意味が分からないまま登場する様々なメニュー記号。タッチミスも絶えないため、機能を限定して慣れればと願っている。

先日のフキノトウは天ぷらになった。

冬に希な晴れ間。

2023年1月11日(水曜日)

予報通りに晴れた本日、午後いつもの特養を回診して樹下美術館に寄った。

真っ青な空、頬なでる風はまだ冷たかったが目に入るものは皆くっきり鮮やかだった。

板囲いのカフェの前だけわずかに雪が残っている。

本日も裏の土手でフキノトウを探してみた。小さな流れのふちに4つあった。

土手沿いに行くと黄色の花が咲いていた。馴染みの無い花だが可愛い。せせらぎの音が聞こえるこの場所は日当たりも良く、野の花の特等席にちがいない。調べてみると「キンセンカ」らしい。自生しているのだろうか。

午後の仕事時間までアプローチの練習をした。


青森県八戸市立根城中学校
合唱部(平成元年ころ収録)

美しいコーラスだと思ったら1985年度世界アマチュア合唱コンクール世界第2位、NHK全国学校音楽コンクール全国優勝8回の学校だった。良い指導者がいたのだろう。

 

さてカレンダーの冬は今ちょうど半ば。寒の内なのにこんなに晴れるとは。本当の春になったら、待ってと言うヒマが無いほど季節は早足に回り始める。

今冬、ドカ雪は正月だけで、近隣にもう雪は無い。もしもこんな風に冬が続くならば、春さんにはそう急がなくてもいいよ、とお願いしたいほどだ。

明日も晴れ間があるらしい。

初フキノトウ 夢のカリフォルニア、「武器ではなく花を」の時代。

2023年1月9日(月曜日)

予報によれば本日日中は晴れ間があり温かだということだった。その通りになったので美術館うら手の土手でフキノトウを探した。
私は少しだったが、妻は幾つも見つけ20ヶほど採れた。

過去のブログではおよそ1月末に初フキノトウが書かれている。本日はそれよりずっと早く、いえ、早すぎてまだ小さかったのでした。

 

洗ってきれになったフキノトウ。

夕方にはいつもの風雨に戻りましたが明後日からは数日晴れる模様で、また土手を見ようと考えています。


ザ・ママス&パパス
「夢のカリフォルニア」

寒空の下でかって自分が幸せだった温かなカリフォルニア{ロスアンジェルス)への思慕を歌っている。歌われた1960年代は若者を中心に「ラブ&ピース」や「フラワー・ムーブメント」など公民権運動や反戦運動の時代で、カリフォルニア州はその中心になっていった。

当時学生の私は実習グループの友人宅に勉強と言って集まり、声の良い妹さんやギターの上手な義理の妹弟たちとP・P・Mなどの歌を歌った。今や良いお爺さんやお婆さんになっていると思うが元気でいてほしい。

「武器ではなく花を」はかって若者の時代的な空気としてあり、今も心の底に染みるように残っている。

越後の真っ直ぐな「銀色の道」 続く看取り 散髪と連休。

2023年1月8日(日曜日)

雪は無いが連日の雨天と風に悩まされていた。それだけに先日訪ねた信州上田、別所温泉の青空は別天地そのものだった。
それが本日少々雨は降ったが風はピタリと止み、何か潮目が変わったような感じを受けた。

1月5日、頸城区の近隣の道。

山地を巡る別所温泉観光をしたばかりだったのでこのようにフラットで真っ直ぐな道を少々不思議に感じる。走りながら学生時代に良く聞こえていたダークダックスの「銀色の道」を思い出した。
年を取るとモヤモヤしていた人生の道が次第にはっきり見えるように感覚される。ゴールが近づく効果ではないかと思われる。

本日夜更けてまた看取りがあった。救急車を呼ばずに助かりました、と言われたが、年末のお二人に続き10日で三人になった。帰宅すると頭が冴えてしまいわずかな眠りだけで離床した。例年冬の死亡率は高いが、このところの看取りは今冬の不安定な寒暖の影響か。

午後から散髪。
馴染みの店に行くと、連休はどうするのと聞かれ、えっ何時ですかと返した。明日ですよ、明日、と言われ、寝不足を取り返せると大いに喜び、温かい室内の椅子でウトウトした。

明日あたりから予報に晴れマークが時おり見受けられる。少し気温も上がるようであり、一時的にしても有り難い。

七草がゆもどき 謎の茶碗で美味しい聖護院八ツ橋。

2023年1月7日(土曜日)

雨降りが続くせいで雪はすっかり無くなっている。そんな日に七草がゆもどきを美味しく食べた。

セリなどは高いので株や大根とその菜や百合根が入っている。塩気が無いので佃煮と一緒に食した。

 

食後に甥の子から送られた八ツ橋でお抹茶を飲んだ。

 

固いのと生八ツ橋。
いずれも聖護院製

用いた茶碗。
一筋縄では行かない趣き。

求めた覚えも無く家にずっとあった抹茶茶碗。
口幅14,5㎝でやや大きめ、手持ちは重く青井戸の形をしている。しっかり付いた五つの目あと、割り高台の兜巾(ときん)と梅花皮(かいらぎ)は見事だが口辺の所々で厚い釉薬がはがれている。
しかし色合いや風情は良く、とても気に入っている。見込みの茶巾摺(ちゃきんずり)に釉薬の抜け跡がぼた餅のように丸く付いているのが大いなる謎。いずれ詳しい人に訊いてみたい茶碗です。

八ツ橋は大変上等だった。

御丁寧に、尚君ありがとう、とても美味しく頂いています。

ようやく訪ねた別所温泉 その2 最後は「無言館」。

2023年1月5日(木曜日)

一泊二日の別所温泉行き、昨日に続き本日2日目を記載させて下さい。

訪ねる先は主に寺院ですが、ご本尊は軽々に拝む事が叶いません。それぞれ個性的な寺院の外観や趣き、境内や道すがらの石塔、あたりの景観をなどを楽しみに回りました。

調べてみると塩田平は見所が多そうだった。6カ所の社寺と美術館「無言館」を回る行程で午前9時半にタクシーさんに来てもらった。

泊まった「中松屋」さんのお風呂と食事が良く、女将さんの愛想は最高とは家内ともどもの感想。

行く先は運転手さんの意見も聞きながら決めた。また私達の好みを知って、途中新たに寄ってもらった所もあった。

最初の訪問は北へ峠を越え、お隣りの青木村「大法寺」。

紅白の幕が晴れがましい大法寺本堂。大勢で竹灯りを片付けているところでした。

 

国宝三重塔は美しく、“見返りの塔”と呼ばれている。遠い時代から声を掛けられている感じ。村が国宝を有しているとは。

再び峠を戻り上田市へ。

とある三叉路の庚申塔。
とても強く彫ってある。

別所駅を通過。丸い窓があるかっての電車が屋外展示されている。

 

上田市に戻って満願寺。庫裏の窓が花頭。

駐車場脇の多数の石仏の中の一体。風化が進み馬頭観音かもと迷ったが上部の左右に日月の彫りがかろうじて認められる庚申塔だった。

十王仏。3回忌まで死者を裁く王たち。死者の衣服をはぎ取り重量から悪行を裁く脱衣婆(だつえば)や35日目に行く先を裁く閻魔大王などが居並ぶ。
行いとともに厳重に舌を調べられ何を話したかは善悪の重要な判断材料にされる。このような場面では、子どもの頃に聴かされてぞっとした事が思い出される。

信州の竹林の多くは孟宗竹ではなく「破竹」だという。孟宗竹より細く背丈も低い。随所の青々とした破竹は冬を若々しく彩っていた。

三叉路に二十三夜塔。

 

運転手さんに勧められた
中禅寺。

 

 

堂々とした藁葺き屋根の薬師堂および薬師如来像と両腕が無くなった神将はともに国の重要文化財に指定されている。

 

仏像塔と文字塔、
二通りの庚申塔が並ぶ。

 

龍光院本堂。

おおらかな屋根の棟にある三鱗紋は北条氏の家紋。塩田北条氏は当地の有力な武将。当寺で出される精進料理は好評だという。

この辺りではゴツゴツとして妙義山を思わせる独鈷山(とっこうさん)が常に間近に見える。

さて最後の寺院は前山寺(ぜんさんじ)。

お城を思わせる石垣と塀を巡らせている。

重厚な茅葺き屋根と唐破風向拝(からはふこうはい)が印象的。

運転手さんから、向拝の下に「水」の文字があると聴いた。バックライトを薄めて見ると見える。かって訪ねた糸魚川市の早川谷地区の民家の棟にも「水」が印されていた。火事などの厄除けとされるようだ。

未完成の完成と呼ばれる丹精な塔は国の重要文化財。

本日の塩田巡りは寺院を終えて念願の美術館「無言館」となった。冬木立の頂に蕭然と建つシンメトリックな館は、信州の冬を裸で引き受け歴然と佇んでいた。

まさに花開こうとする直前に招集と戦没により道閉ざされる若き芸術家(画学生)たち。ふりかかる残酷な戦争の犠牲を前に、必死に描かれた作品からは美への最後の執念が伺われ胸に迫る。

どんな芸術家も何時か訪れる死を根底に力を振るう。
だがここの作者の死はあまりに早く不当で、それはまた遍く不条理な戦争の断面そのものにほかならない。

よくも集まった作品が並ぶ館内は、意思と希望が死とともに混然一体となった異次元の世界であり、それは他では決して得られない明らかな引力を放っていると実感した。

何かで迷ったら、無為な忙殺を感じたら、ふとした時にまた来てみようと思った。

以上非常に沢山載せてしまいました。
見所満載の塩田平。
昨夜は女将さんに、ここは信州の文化と心の中心地ではないか、と言った。本家「海の鎌倉」に並ぶ「山の鎌倉」といっても過言ではないかもしれない。

庚申塔や二十三夜塔を見つけると、運転手さんに「止めて!」と言って“普段あまり人が来ないような所”も回った。庶民のささやかな信仰と娯楽。昔の人が生きた証しとして残したこれら石塔に出会うのは小さな旅の楽しみです。

回った寺院の凍った石段で転ばなかったのは幸運でした。
4時間半の行程、何かと手間取る昼食を摂らずに回り、お腹を空かして夕げに向かう。このような観光スタイルは私達の習いになりました。

帰りの新幹線まで駅直近のタリーズコーヒーで一服した。

初詣で混雑する昭島足島神社にも短時間寄りました。

ようやく訪ねた別所温泉 その1。

2023年1月4日(水曜日)

かって地元では男性の数え42才の厄年に、同年が集まって別所温泉の北向観音を参る習慣があった。それで別所温泉は割合馴染みある所だった。

別所を知らない私がその地に興味を持ったのは写真で見た安楽寺の八角三重の塔の美しさからだった。調べてみると上田鉄道別所線沿線の平地・塩田平は「信州の鎌倉」と呼ばれ、鎌倉時代を創建とするなど古い寺院が多くあることも知った。
念願の別所行きは、年末に複数の看取りがあり一時危ぶまれたもののなんとか叶ってほっとした。

以下皆さまよく御存知こと思いますが訪ねた先を順に掲載致しました。

昨日3日、上越妙高駅の駐車場。9時28分発はくたかに乗車した。3日、4日の当地は雪、上田は晴れの予報。

 

雪国から明るい信州へ。別所線は初詣もあり大勢のお客さんで賑やか。

宿のチェックインまで付近の寺院に足を運んだ。

安楽寺への道に石材屋さん。長野県は高遠石工など石材職人が有名。この度は庚申塔や二十三夜塔を見る楽しみもあったため、石材店を目にするのに幸先の良さを覚えた。

坂道を行く初詣の人達。

 

安楽寺本堂。

 

庫裏入り口に飾られた見事な紅梅の鉢。扁額は曹洞宗の寺らしく「正法眼蔵」

 

ああ美しや国宝八角三重の塔。最下段の裳階(もこし)と二層の屋根は縁にだけにうっすらと雪がつもっていた。

 

こんなに品良く雪が
積もるなんて感動的。

経蔵側壁の小さな花頭窓。
小さな幸せ。

続いて訪ねた常楽寺。

壮大な茅葺き屋根と
見事な唐破風向拝(からはふこうはい)。

 

裏手(北側)だけうっすらと雪が。

 

佇む青面金剛像の庚申塔。
目を止める人はまずいない。

楽寺参道にこれまたひっそり?と守り抜かかれる庚申塔にも繋がる猿田彦大神の石塔。目を止める人はますますいない。

 

寒い寺参りの帰路、巡り会ったカフェで紅茶とシフォンケーキ。果物と温かいスコーンが付いた。

 

最後に寄った北向観音の賑わい。韓国で起きた事故を避けるためか、一定間隔を区切って進んでいく(この先混雑のため撮影を省略)。

 

チェックインの時間となり宿へ。

良い匂い良い湯加減の部屋湯。

短い午睡の後夕食。
食べ終えた食卓でした。

山国のせいか食事はコレステロールは少なめ、薄味で健康的そして美味しかった。早起きと多くの坂道、石段それに良い湯のお陰もあり早々と寝付いた。

次は翌日1月4日を書かせて下さい。

終日描いてちょっぴり進捗。

2023年1月2日(月曜日)

正月2日、相変わらず風雨の日。
一件のコロナの電話を受けた以外終日外出もせず絵を描いた。花などの彩色は細い筆でチマチマと描くので、6時間行い6枚進んだだけ。

水彩でやっていた時もこの程度の進捗なので特にイライラもせず、描いた絵の具をあっちへやったりこっちへ戻したり、ぼかしたり、消したり。絵を描くというより奇妙な工芸を行っている感じ。

キャンバス、筆、パレットみな小さい。

花、がく、枝、しべ、などを描き込んだ。この先葉に青みを付け陰影を強調し、枝を強化し、しべを描き込み、接点と接線など細部に筆を入れ、最後にバックに取りかかる予定です。

実は椿だけで
こんなにあるのです。

拙写真は6月15日から、絵画は7月半ばから、それぞれ一か月半の展示予定です。絵は美術館支援のため売るつもりで描いていますので丁寧にリズムよく進めなければ。

但しストレスにならないように楽しく取り組みたいところです。

明けましておめでとうございます。

2023年1月1日(日曜日)

明けましておめでとうございます。

 

当地大潟区の朝日池はハクガンが飛来する数少ない場所です。賀状の鳥はハクガンで、昨冬2月、水田で憩っていた群の中の一羽です。

さて今年は樹下美術館17年目の年に当たります。
2007年開館当時、全国に多くあった個人美術館で、現在閉館している施設は少なからずあるということです。今年も新鮮を心がけながら楽しく運営に勤しみたいと考えています。

○今年の開館は3月15日(水曜日)です。
○例年水曜は定期休館日ですが、今年は15日に開館致します。
○スタッフともどもどうか宜しくお願い申し上げます。

大晦日に卓上を新たに 今年一年の感謝。

2022年12月31日(土曜日)

年末ともなると急用ではないが、用意しておかなければという品を買って決着しようという気になる。
本日すでに大晦日となり、このような物を仕度しようと出かけた。幸い大きなスーパーは本日もやっていると聞きスーパーセンタームサシ上越店へ行った。

店内はいつもと変わらず賑やかで、閉店のため大晦日の買い物で苦労した昔との変わり様に驚いた。
必要な物は机上のグリーンマット、マットの敷き板、手帳、名刺印刷用紙で、大して手間も取らずに用を済ませた。

以下新旧のマットの写真です。

今年6月いっぱいになった
マット上の卓上メモ。

6月に汚れたメモを取り去った後、マットのまま過ごした。この間絵を描くなどして随分汚し、また経年の影響で敷板がゆるみ上下に曲がるなど劣化が進んでいた。

取り替える前のマット。肘を付く左下などはゆるゆるで、見た目以上に傷んでます。

 

新たなマット(60×45㎝)の取り替え。
椅子を左に避けています。

 

大きいメモ(カレンダーの裏面)
も載せ新年を迎える。

小さめの手帳を求めた。

今年一年多くの方々にお世話になり深く感謝致しています。また失礼の数々をどうかお許し下さい。
来年は幾つかの新たな機軸に取り組みたいと考えています。

コロナほか色々大変だった一年、本当に有り難うございました。

昨日は受診 本日二件の看取り。

2022年12月30日(金曜日)

10月の検査入院でOKが出され、昨日は今年最後の受診だった。出来るだけ早く終えたいため8時には受付を済ませた。押し詰まった総合病院は心なしか空いた印象はあったが、循環器内科は変わり無く混んだ。

診察の結果、懸案の腎機能は発症前のレベルに戻り、心臓障害に付随してギリギリだった肝機能も綺麗な「数字が並んだ。年末に不安材料が払拭され心の荷が下りた。
前回、もう通わなくても良いでしょう、と言われたけれども、もうしばらく2ケ月ずつ通わせてもらうことになった。

今日から5日まで自院の年末年始休みに入った。
だが一日目の本日、朝早くと午後に看取りがあって出かけた。朝方の方は経過の一部に低体温症が関係しやや特異な経緯があった。
看取りに際して在宅、施設いずれであっても、ご本人の人生、および介護の家族やスタッフに対し深い敬意と慰労の気持を禁じ得ない。

本日も終日の雨。予報はこの先ずっと傘と雪だるまのマークが続いている。
絵と取り組むには良いのだが、一日くらいはなんとしても晴天が欲しい。

人も鳥も晴れが良い。

2022年12月28日(水曜日)

ようやく晴れ間を見た本日、気温があがり一両日の風と雨によって地域の雪は一旦ぼほ消えた。

 

晴れ間の樹下美術館。

 

ご覧のようにカフェの所だけ雪が溜まっている。窓は重ね板で遮蔽しています。

昨日の冷たい雨に遭っていた白鳥たちは穏やかな日射しのもと、くつろぐ様子だった。

 

警戒心の強いマガンは白鳥と一緒だと安心の様子。だが白鳥と違いほぼ100数十メートル以内には近づかないようにしないと、せっかくの食事や休息を中断して飛び立ってしまう。

 

日中一時春風を思わせる風が頬を撫でた。人も鳥もやはり晴れがいい。

夜半になり雷が鳴り出した。

2025年7月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

▲ このページのTOPへ