一年で一番忙しかった冬 浅草の人形屋 ワラ仕事など。

2013年1月7日(月曜日)

この数年冬になると、昔はどうしてましたかと患者さん達に聞くようになった。

 

不便な時代に行われた娘さんたちの奉公、男衆の酒屋もん(越後杜氏)。これらには時代の困苦とともに、人の逞しさと表日本や関東のまぶしい冬の陽光が重なる

 

以前、山間地出身の年配の男性に杜氏だと思ってお尋ねたら「浅草へ行ってました」と返事された。

「浅草の酒屋さんですか」

「いえ、人形屋です」

笑って仰っり、次のような話をされた。

 

秋の田仕事が終わると毎年浅草の人形屋へ行った。すぐに取りかかるのが羽子板づくりだった。12月中旬すぎると始まる羽子板市へ向かって精を出す。それが終わると三月のひな人形、そして最後の五月人形まで休みは無かった。

作るだけではなく売るのも仕事だった。博多のデパートはよく行ったと云う。

「博多はどこですか」

「岩田屋です、まだありますかね」

岩田屋は博多で学んだ母から聞いていたし、今もって立派なデパートだ。

話をお聞きした方は人形相手にさっそうと浅草から博多まで往来されていたのだ。男性だが色白でとても目鼻がはっきりしている。ご本人までがお人形のようで不思議な感じだった。

 

こうして聞く皆さんの話は、一部であっても小生の半生などよりはるかに興味深い。どうしてだろう。

 

それにしても働き手が出稼ぎに出た農家の冬場は、年寄りと女衆、子どもまで皆が忙しかったらしい。

「ワラ打ち」「縄ない」「ムシロ編み」「ぞうり編み」「俵づくり」「カマス編み」等々、ワラ仕事は総出だったという。ある方は「モンペや野良着をこしらえたり、修繕するのもこの時期。冬は一年で一番忙しかもしれませんね」と仰った。

 

春は待つだけではないのだ。昔人の話は聞きやすい上ためになり有り難い。

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