今日のおばあさんの話 再び牛 米の買い出しなど 大きなポンプ。

2013年6月26日(水曜日)

本日午前の仕事が終わる頃、実家が農家だった方の幼少の話を聞いた。80才半ば過ぎの方で、表情豊かにしっかり話された。昔の現実を見てこられた人の話は生々しく、いつもながら筆者には有益だった。


・農家に農耕用の牛馬は一般的だった。しかし小さな田んぼしか持てない家では、作業は主に手で行われていた。鍬を打ち農具を引く様子は辛そうに見えた。

・実家の牛はおばあさんに特別なついていた。普通ならスイカやマクワウリなどは皮を与えたが、「おまえは良く働くのでわしらと同じように食べなさい」、とおばあさんはしばしば実まで与えた。

買い出し
・戦中戦後、米が統制され、時には米を隠していないか調べがあった。自分の所では米を保管するタンクの回りに蒔を高く積み上げて隠した。他の家でも色々工夫して逃れていたと思う。

・戦争直後、実家へ定期的に高田方面から奥さんたちのグループが列車で来て、内緒の米や野菜を買って行った。一通り選んで荷造りが出来ると、母やおばあさんがお茶を勧めた。魚のアラでだしを取った野菜の煮付けや漬け物などが用意され、こんな話が聞こえた。
「さあさあ、荷が出来たら汽車の時間までお茶でも飲まんかね」
「汽車なんかまだ何本でもありますすけ大丈夫ですわ、頂戴しましょう」
遠来の人は喜んでお茶を飲んだと云う。

・ときには古着と食糧の交換を求められたが、一帯では歓迎されなかったらしい。

イモ畑
・当時サツマイモは貴重な食品だった。浜の方面にはイモ畑が沢山あった。イモの収穫が終ると畑に町から人が来た。小型の熊手で畑を掻き、残った小さなイモを探して持ち帰った。収穫後の畑なので、持ち主が咎めることもなかった。

優しかった小学校の先生。
・子どもは農家の重要な働き手。自分は学校が好きだったが農繁期はよく欠席した。先生に以下のように言われたことがある。
「家が忙しい時は学校をいくらでも休んでいい。しかし仕事が終わったらまた一生懸命勉強しなさい」
Wという優しい先生でとても好きだったが、応召されて淋しかった。

皆様にお聞きしている話は特別な話題ではないかもしれません。しかし今後もお年寄りの昔話を書かせていただければ、と思っています。

 おばあさんたちが生活した一帯の農業用水をまかなった大きな揚水ポンプ。
朝日池のポンプ上越市大潟区は朝日池の土地改良区事務所に保管展示されている(昨年8月撮影)。

荏原製作所製で、高さは筆者の背丈よりずっと大きく、昭和9年から同58年まで活躍したと説明されている。朝日池から揚水し、大潟区、吉川区など270ヘクタールの水田をまかなったという。機械は見て判りやすく、重量感があり芸術的なかおりもする。

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