胸打たれた東京吹奏楽団名誉指揮者・汐澤安彦氏の記事。

2015年11月10日(火曜日)

今朝の上越タイムス「首都圏」は一面全て指揮者汐澤安彦氏でした。

音楽界とくに吹奏楽、ウインドオーケストラ界では一種カリスマとなられた汐澤氏。
本日サブタイトル「故郷〝潟町〟に思い出」の紙面をを読んで思わず目頭が熱くなりました。

 

001 本日の上越タイムス「首都圏」紙面から〝世界の舞台で指揮〟の汐澤安彦氏の記事。

 

私の小中学生時代、汐澤安彦さんは飯吉安彦の本名でおられました。
当時の潟町中学校(現大潟町中学校)は器楽演奏が盛んで、
特に3つ上の周囲の先輩たちは揃って楽器を演奏されました。
大昔から通っているお向かいの床屋さんのご主人は小太鼓、お隣だったMさんはコルネット、Yさんはクラリネットだったようです。

中で何と言ってもスターは飯吉安彦さんでした。
色白でハンサム、学生服が似合う優しい雰囲気の中学生でした。
部員は一目置くばかりでなく、そろって彼を自慢しました。
楽器はピアノ、吹奏楽の舞台でもピアノが置かれ飯吉さんが座りました。

当時我が家に姉が弾くためのピアノがきたばかりでした。
すると時々飯吉さんがやってきて演奏したのです。
人の家だからでしょう、遠慮がちに始まるピアノは、どんどん熱気を帯びて聴くものを引き込みました。
演奏はいつも近所の部員たちが聴きたくて、また聴かせたくて、安彦さんを連れてきて始まるという風でした。

アルプスの夕映え、トルコ行進曲、子犬のワルツ、、、。

いつしか氏の足は途切れましたが、高校進学(直江津高等学校)が契機だったようです。
(当時、直江津高校から前後7年も続け東京芸術大学への進学者があったそうです)
また近所の音楽仲間の進学事情もあったにちがいありません。

時経て東京芸大を卒業後、発足時の読売日本交響楽団のトロンボーン奏者としてデビュー。
その後の斎藤秀雄氏との貴重な出会い、指揮への決心など本日の紙面で知り深く胸打たれました。

そして何より氏が7年住んだ潟町村(現上越市大潟区)が本当の故郷という言葉に感動させられました。
深かったため早く泳ぎを覚えた広い海、沢山の思い出は尽きないと述べられています。
出来れば私の家でピアノを弾かれた事も覚えいてくだされば、、、、。

 

 
最近の汐澤氏指揮「SIOフィルドリームコンサート2015」からハイライト。
バーンズ/アルヴァマー序曲 など(2015年10月16日 東京芸術劇場)。

今日沢山のお弟子さんを育て慕われる東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授・汐澤安彦氏。
記事「首都圏」は故郷を応援するシリーズです。
氏が慕いエールを送るに相応しい故郷でありたい、と心から願うばかりです。
不肖自分もまだまだ頑張らなくてはと思いました。

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