マイナンバー、本当はユアナンバー。
マイシューズ:私が履いている靴。
マイカー:私が乗っている車。
マイハウス:私が住んでいる家。
マイカード:私が使っているカード。
マイフレンド:私がつきあっている人。
言うまでもなくマイの付くものは自分が主体的に望み関係したり所有し用いているものです。
ところで本日私に届けられた「マイナンバー」と呼ばれるものは、国が決め管理し国自治体が用いる「あなたの番号」です。
どうみても「ユアナンバー」以外に呼びようがありません。
日常、自治体が付けた記号、番号で医療保険が浮かびました。
これは私たちが実際に使いますので、マイナンバーと言えるかもしれません。
しかし同じ番号でも本日のものの持ち主は国、しかも当面私たちに用事のないものです。
どこがマイナンバーなのでしょう。
ほとんどの先進諸外国にこのような制度があるという言われ方がされています。
但しこのたびの日本のように多くの項目が一気に網羅照合される国はそう多くはないようです。
しかも果たして外国でそれをマイナンバーなどと呼んでいるのでしょうか。
親が付けた名(マイネーム)なら誇りもありますし、どれだけ使ったことでしょう。
それを横から国がユアナンバーであるマイナンバーだなんて。
むしろちゃんと断って頂き、ありのまま「ユアナンバー」とされるほうがまだ納得出来るかもしれません。
名付けや言葉は文化そのもので、このたびのは特に国のシステムを体現する新たな法制の一般名でした。
それが文法、用法の基礎においてもおかしく、騙されているようでもありなんだか次第に恥ずかしくもなってきました。
本日午後在宅周りの帰路に見た米山と雲。
ずいぶん日が短くなりましたが暖かいので助かります。
胸打たれた東京吹奏楽団名誉指揮者・汐澤安彦氏の記事。
今朝の上越タイムス「首都圏」は一面全て指揮者汐澤安彦氏でした。
音楽界とくに吹奏楽、ウインドオーケストラ界では一種カリスマとなられた汐澤氏。
本日サブタイトル「故郷〝潟町〟に思い出」の紙面をを読んで思わず目頭が熱くなりました。
本日の上越タイムス「首都圏」紙面から〝世界の舞台で指揮〟の汐澤安彦氏の記事。
私の小中学生時代、汐澤安彦さんは飯吉靖彦の本名でおられました。
当時の潟町中学校(現大潟町中学校)は器楽演奏が盛んで、
特に3つ上の周囲の先輩たちは揃って楽器を演奏されました。
大昔から通っているお向かいの床屋さんのご主人は小太鼓、お隣だったMさんはコルネット、Yさんはピッコロだったようです。
中で何と言ってもスターは飯吉靖彦さんでした。
色白でハンサム、学生服が似合う優しい雰囲気の中学生でした。
部員は一目置くばかりでなく、そろって彼を自慢しました。
楽器はピアノ、吹奏楽の舞台でもピアノが置かれ飯吉さんが座りました。
当時我が家に姉が弾くためのピアノがきたばかりでした。
すると時々飯吉さんがやってきて演奏したのです。
人の家だからでしょう、遠慮がちに始まるピアノは、どんどん熱気を帯びて聴くものを引き込みました。
演奏はいつも近所の部員たちが聴きたくて、また聴かせたくて、安彦さんを連れてきて始まるという風でした。
アルプスの夕映え、トルコ行進曲、子犬のワルツ、、、。
いつしか氏の足は途切れましたが、高校進学(直江津高等学校)が契機だったようです。
(当時、直江津高校から前後7年も続け東京芸術大学への進学者があったそうです)
また近所の音楽仲間の進学事情もあったにちがいありません。
時経て東京芸大を卒業後、発足時の読売日本交響楽団のトロンボーン奏者としてデビュー。
その後の斎藤秀雄氏との貴重な出会い、指揮への決心など本日の紙面で知り深く胸打たれました。
そして何より氏が7年住んだ潟町村(現上越市大潟区)が本当の故郷という言葉に感動させられました。
深かったため早く泳ぎを覚えた広い海、沢山の思い出は尽きないと述べられています。
出来れば私の家でピアノを弾かれた事も覚えいてくだされば、、、、。
最近の汐澤氏指揮「SIOフィルドリームコンサート2015」からハイライト。
バーンズ/アルヴァマー序曲 など(2015年10月16日 東京芸術劇場)。
今日沢山のお弟子さんを育て慕われる東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授・汐澤安彦氏。
記事「首都圏」は故郷を応援するシリーズです。
氏が慕いエールを送るに相応しい故郷でありたい、と心から願うばかりです。
不肖自分もまだまだ頑張らなくてはと思いました。
上越市安塚区小黒(こぐろ)の銀杏。
本日月曜日は湿気があり暖かめの一日。
現在インフルエンザワクチンの接種がピークを迎えつつあります。
「また来ました」
10数年、毎年今頃になるとワクチンを受けに来られる方たちは、冬に訪れる渡り鳥のようです。
今年はワクチン化されるウイルスの株数が3→4に増えました。
これまでは、接種されても高熱で発症されるお子さんたちが見られましたが、今年はそのようなケースが減ることを期待したいと思います。
一昨日走りました国道405号が良かったので、昨日もう一度安塚区小黒まで行きました。
写真は昨日見たあるお宅の作業小屋に並ぶ美しい銀杏の黄葉です。
枝の張りだしが少なくスリムですが、大変背の高い樹でした。
お年寄りが菜を洗っていらっしゃって、冬を迎える前の静かな里のひと時でした。
今夕のおかず 昨日午後の旧東頸城地域のちょっぴりドライブ。
本日日曜日は比較的暖かく時折降った。
そんな日の夕食に野菜の揚げ物と揚げ豆腐が出ました。
お豆腐と野菜は主に昨日日中に走った国道405号線の道中で求めたものでした。
実は昨日、頸城区の樹下美術館を出て→浦川原区→安塚区から牧区を車で回りました。
午後4時からのブドウ・ワイン学会の特別講演はその後に参加したのです。
つまり上越教育大学の講堂へ行くのに、ぐるっと旧東頸城地域の里々を回って行ったことになります。
写真の夕食のおかずは以下のようなちょっぴりドライブ(とても小さな旅?)で偶然に求めました。
浦川原区で見たお宅の長い石垣。
道に沿って美しいカーブを描いていました。
安塚区小黒地区にある称専寺のダイナミックな石垣。
ここに名刹専敬寺ほか4寺が隣り合っているのです。
後ろ髪引かれる思いで後にしました。
寺を過ぎてすぐの坂道でお豆腐屋さんの車に出会いました。
道沿いの商店に届けに寄られたようでした。
お豆腐屋さんの荷台。
お揚げはありませんので、家で揚げて下さいと仰いました。
おまけにオカラを頂きました。
牧区に入っていると思いましたが、途中の無人野菜売り場。
「あねやん達の腕自慢 もったいない市」。
看板の手作り感もとても良かったのです。
途中に廃屋と思われる家屋の庭がありました。
路傍に美しいアジサイの枯れ花と紅葉があり、少し頂きました。
あねやんの無人店で求めた野菜。
町のおよそ半値だったそうです。
さて、あちらこちらを寄り道して2時間ほどの運転でした。
にもかかわらず、先々で出会う様々な表情の石垣や民家とお寺、紅葉の山、そしてお豆腐屋さんに無人市場。
晩秋の旧東頸城(私には今でもこの呼び名が馴染みます)の里を巡る道中は何とも心和みました。
今夕の食卓に野菜の一部が乗りましたが、美味しくてこんな贅沢はない、と妻が呟きました。
2015年日本ブドウ・ワイン学会特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を聴いて。
2015年日本ブドウ・ワイン学会(会長松本信彦)が上越市の上越教育大学を会場に昨日から開催されていました。
当地岩の原葡萄園の社長・棚橋博史氏が実行委員長です。
10のポスターセッション、12の口演発表がありました。
初日のセミナーセッション「発酵の町 上越」を武蔵野酒造 小林元氏が話されていました。
そして本日学会の最後を飾る特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を上越市北城町の桑原圭司氏がされました。
氏は自然科学と愛郷と起業の先人、岩の原葡萄園を拓いた川上善兵衛の研究家です。
善兵衛に関する事がらなら遺伝学からその生涯の詳細まで膨大な蔵書、資料をお持ちで、本日の講演が期待されました。
横浜国立大学ご出身、高田北城高等学校の生物学の教師を始め長く教育に奉職された桑原先生。
かたわら日本水泳連盟の役員として長岡市から中村真衣選手を育てられています。
詳細なスライドが駆使された本日のお話は自然科学者としての善兵衛の神髄に迫る名講演でした。
明治中頃から始め大正時代には、いち早く厳格なメンデルの法則に則った膨大な交配作業へ挑戦。
途方もない失敗の中から生まれた今日のマスカット・べーリーAやレッド・ミレリンニウム、ローズ・シオタ-など宝石のようなぶどうたち。
善兵衛の道に、失敗を杖とて挑戦された先般のノーベル賞受賞者大村智先生のイメージが重なりました。
そして上越市内高士小学校で行われている「善兵衛学習」におけるぶどう栽培や品種改良の紹介も胸熱くなったのです。
偉大な先人の評価をいっそう新たなものにした記念すべき講演を聴くことができて幸運でした。
〝上越地域には郵便の父・前島密、音楽教育の母・小山作之助、そしてワイン醸造の父・川上善兵衛、酒の博士・坂口謹一郎など素晴らしい先人たちがいる〟
45分の講演を終えてお会いした先生は、貴重な学芸の素地を有している上越をもっと誇りたいと、心込めて仰いました。
立派に学会を開催された棚橋実行委員長に心から敬意を申し上げます。
ジャコメッティの「早く明日になればよい」 倉石隆の言及。
良いお天気が続いていましたが、明日からしばらく
ぐづつくようです。
昨日は「早く明日になればよい」というアルベルト・
ジャコメッティの呟きを書きました。
同じ言葉でももしも私なら、楽しい予定を待ちきれ
ないでいる幸福なつぶやきでしょう。
しかし「見る人」のジャコメッティでは、およそ以下
のように書かれていました。
彼はモデルを前にして言います。
「千年、きみがそこにいるかのように仕事をしなけ
ればならない」と。
そして絶え間なく仕事を思い一分も待ちきれずに
仕事に掛かっていたそうです。
膨大な仕事量は多才や量産を誇示するものではなく、
失敗を繰りかえすことによって、少しでも真実に近づ
くことを願っていた、という事でした。
トイレに行く時間も寝る時間も惜しむ生活の中で、仕
事を中断してアトリエを離れたとき、仕事を続けたい
一念から思わず呟いた言葉が、「早く明日になれば
よい」だったのです。
寝るヒマがあるくらいなら仕事をしていたい。
今日以上の仕事をしたい待ち切れない明日、、、。
ジャコメッティの明日は、さらに真実に近づくための
明日だったことになります。
そんな生活で、あるモデルを写そうと製作を続けた
時のこと。
似せれば似せるほど像は小さくなり、ついに石膏が
米粒よりも小さくなって消滅した、そうです。
これは笑い話ではなく、人間の事実を写そうとすれ
ばあり得ることかもしれません。
樹下美術館のわが倉石隆(当時56才)は「戦後美
術の流れの中で 座談会Ⅲ 幻想とは」(主体美
術1972年)に於いて、尊敬するレンブラントと
ともにジャコメッティに言及して次のように述べて
います。
「幻想という事を僕なりにとらえるとすれば、ジャコメ
ッティの消えそうな形の中に大きな宇宙を感じたり、
レンブラントの顔のしわの中にも小さな宇宙があって、
そういうふうにものが実在するという感じがなまなまし
い程何か神秘的で幻想的なんだなあ」。
本日の「見る人」は40ページまででした。
Yahoo!の時計は間もなくひと月ですが、ほぼ
正確に動いています。
もう一冊あったみすず書房 アルベルト・ジャコメッティの「早く明日になればよい」。
一昨日、みすず飴のお土産からみすず書房へ、そし
て身の回りの信州あれこれをほんの思いつくまま書
かせて頂きました。
ところがもう一冊みすず書房の本がある事に気づき
ました。
自分がいつも座っている机の脇の書棚でした。
本は宇佐見英治著 ジャコメッティと矢内原1999年
9月10日発行。
手の届く所には、いつか読もうと思って置いたままの
本が結構あるのですね。
本日午後高田に用事があり、その本を持参しました。
県立看護大学前の桜の植栽。
高田公園もここも美しい桜の紅葉と落ち葉が見られました。
彫刻家アルフレッド・ジャコメッティは細長い人物の作品
で有名です。
,彫刻としてぎりぎり、針金のように細い人物像は,人間の
不条理を現していると、ピカソやサルトルを驚愕させまし
た。
樹下美術館の倉石隆も影響を受けたジャコメッティ、死
後ますます異常な人気芸術家なのです。
高田の用事の待ち時間に20数ページの読書でしたが、
本で興味深い言葉に出会いました。
ジャコメッティはある時次のように述べたそうです。
「私は千年生きたい」、「せめて五百年でもいい、五百年生
きられたら、相当の進歩ができるだろう」と。
さらに「早く明日になればよい」と呟いたと書かれていまし
た。
著者は〝こんなに明るいため息があるだろうか〟と感嘆し
ています。
私は読んでいて、この一言に飛び上がるほどびっくりしま
した。
「ああ、早く明日がこないかなー」と以前、孫が突然呟いた
のと同じだったからです。
孫は母親と交わしたゲームを買う約束を待ちきれなくて
言いました。
もしも大昔の私なら、憧れた人とのデートの前日などに
つぶやいたかもしれません。
しかし、ジャコメッティは自分たちと全く異なる意味で、
明日が待ちきれないと言ったようなのです。
さて、もう日付が変わりますので、ここまでにしました。
「みすず飴」から「翁飴」、「ぼたもち石」「みすず書房」「信越放送」「信濃毎日新聞」「信越化学」など身近な長野県。
先日妻が友人達と信州へ行ってきました。
お土産は懐かし「みすず飴」。
この飴は上越市高田の「翁飴(おきなあめ」をヒントにアレンジして創られたとありました。
お土産としてよく食べましたが異なる果物味、カラフルな包装紙、オブラートの食感などとても好きです。
先日の「ぼたもち石文化圏?」に続き、
お菓子でも100年さかのぼって、信州と越後の上越地方で交流があったことを知り、なんだか嬉しくなりました。
さて長野県(というより信州、あるいは信濃の国)の枕言葉は〝みすずかる(刈る)〟
〝みすず〟で思い出すのは「みすず書房」です。
自分には30代半ばから40代でかなり事情の苦しい時代がありました。
一日一日がとても辛かったのですが、基礎から勉強してみようと思い読書に挑戦しました。
漱石の全集を繰り返しながら人間、社会、自然、生命などの本を苦労して読みました。
この数日「みすず飴」を食べながら、今は懐かしい「みすず書房」を思い出していました。
様々な本の中で、みすず書房のものは難解でしたがどこか品が感じられていました。
本日文化の日、普段近寄らない昔の書棚でそれらを探してみました。
書棚からピックアップしたみすず書房の本。
5.6冊かなと思いましたがもう少しありました。
線がいっぱい引いてあり、それなりに一生懸命読んだようです。
中にチェコスロバキア出身の著名な作家ミラン・クンデラの翻訳本「冗談(1970年版)」が見られます。
訳者の関根日出男氏は長野県出身、私の義兄で耳鼻科医です。
(冗談は2002年、同じ訳者らによる新訳版がみすず書房から出版されています)
みすず書房の創設者はその名からおのずと長野県の人ですね。
そもそも国内の出版人で突出して多いのが長野県人。
岩波書店や三省堂、筑摩書房の創始者など主だった人が60人にも及ぶそうです。
さて何かと長野県の話題になりますが、忘れられないものに「信濃毎日新聞」と「信越放送」があります。
いずれも私の小中学校時代から当地で親しまれ、「信濃毎日新聞」は一種ブームにもなりました。
信越放送は長野県の会社ながら同じ電波圏である上越地方からの出資者も多かったため、
信濃放送ではなく「信越放送」になったといいます。
大都市以外の民間ラジオ局として最も早い開局だったという信越放送。
小中時代に作った鉱石ラジオやトランジスタジオでもよく聞こえました。
同局は長野県の株式会社「信越化学工業」の系列会社です。
たまたま樹下美術館は同会社の半導体部門と向かい合って建っています。
ぼたもち石からお菓子、出版、情報、半導体、ほかに金融からりんご売りそして仕事に嫁さんの往き来まで、
文化の日は、かなり異なる地勢風土の長野県との関係深さに思いを馳せてみた次第です。
今後新幹線の開業で首都圏や北陸との交流がさらに深まり、上越地域がもっと賑やかになることに期待している所です。
貴重な好天 齋藤尚明(二代陶齋)さんの唐辛子香盒。
予報を覆して本日は朝から良く晴れました。
お天気のせいか地元の方々、柏崎のお茶人たち、
夕刻には東京に居る娘の上司のご家族までお寄りくださって皆様に感謝しています。
さて里は紅葉の盛りですが、畑でもモミジに負けず真っ赤っ赤な唐辛子類が見られています。
ところで先日、斎藤尚明さん(二代陶齋)にお願いしていた香盒(香合:こうごう)が届きました。
唐辛子を藁でくくった文様は初代も得意とした図柄です。
滑らかな白磁に図の分量、配置、色、みな良い器でした。
(香盒:お茶会の前に予め炭火とともにお香を炊いて茶室を清めますが、香盒はそのお香を入れる器です。小さな茶道具ですが、使用後も茶室内に飾られるなど注目度の高い器の一つです)
先代をしのぐ出来映え、秋のお茶で是非使ってみたい香盒です。
時雨の窓。
冬型の気圧配置になっていて午後から風強く気温が下がり時雨れました。
遅い昼食に寄ったカフェはひっそりとしていました。
食事のあと、所在なげなスタッフに珈琲をおごり差し入れのチーズケーキを三人で食べました。
秋の庭の話やお天気のことなどおしゃべりをしていると、雨が降り出しました。
次第に強く降る中、突然陽が射し庭が明るくなりガラス窓の水滴が光りました。
数年前まで月に一二度はどなたも来館されない日がありました。
しかし少なくともこの一両年は、そんな日がなくなったのです。
本日も私の前後に何組かお客様があったそうです。
あ、スタッフの珈琲代と私のはちゃんと会計致しました。
夜になってまた降っています。
ぼたもち石文化圏? 上越市牧区のお宅を訪ねて。
本日は雲の切れ間から時折陽が射し、予報よりも良いお天気でした。
そんな午後、知人たちとご一緒して上越市牧区のあるお宅を訪ねました。
以前皆さんが当館を訪ねてこられた際、頸城平野の南西部で見られる石垣(石組み)の事をお話してみました。
するとその場におられた牧区の方のお宅にも立派な石垣があると仰ったのです。
一帯の石組み技術は信州から伝わったと,、お聞きして興味を持ちました。
ご友人達も是非見てと仰り、本日午後待望のお宅拝見となった次第です。
ありました、道路に沿って長大な石組み。
石は「ぼたもち石」、組み方は「ぼたもち組み」あるいは「ぼたもち積み」と呼ばれるようです。
一個の石は略々六角形でその周囲をおおむね6箇の石で囲んでいる。
互いの接面は一定の削りを加えて嵌まりを良くしている。
最上端はきれいに切り揃えて平面にしてある。
横の目地はほぼ一定のジグザグを辿りますが、縦は不規則です。
訪ねた場所は、その昔牧区における石油事業で財をなした方が築かれた屋敷だそうです。
現在別の方が住まわれていますが、拝見した石組みは往時の隆盛を今に伝えています。
大きな丸石は「ぼたもち石」と呼ばれていると聞きました。
ぼたもち石と組み技術は須坂市、野沢温泉村、飯山市、中野市、小布施町、長野市など北信地方で見られるようです。
本日のお宅の見事な石組も同方面の名工が請け負って完成させたということでした。
サイトには一つの石を組むのに四人がかりで一日費やす仕事、と書かれていました。
また一度崩れると再建が難しいともあり、大変な仕事だったようです。
詳細に調べた訳ではありませんが、これまで目にした丸石組みは、
板倉区や清里区、牧区、妙高市など長野県(北信)と接する地域で目立っているようでした。
越後と信州は古くから塩や魚、紡績、善光寺参りなどを通して人の往来が盛んでした。
ぼたもちと呼び習わす石組みは果たして北信(長野県北部)と、そこに隣接する上越、妙高の一帯だけなのでしょうか。
そうであれば両県の交流は、石組み技術とその名を共にする一種共通の石の文化圏を育んでいたことになるかもしれません。
興味深いことですが、機会がありましたら、同じく信州に隣接する糸魚川市など西頸城地方の石塀や石垣も見たいところです。
以下は本日お訪ねしましたお宅の山の幸です。
何株もあった十文字草。砂地の樹下美術館ではなかなかうまく育ちません。
お宅で食べた美味しい柿とリンゴ。切り方が変わっていてびっくりしました。
沢山ごちそうになり夕刻は道の駅あらいに向かいました。
「道の駅あらい」の遠望。
南葉山から妙高山に向かって白い龍のような雲が横たわっていました。
道の駅あらいの夕暮れ。
ここに樹下美術館のパンフレットを置かせてもらいなさい、とあjる方からアドバイスを頂きました。
あまり遠くへ出かけない生活ですが、見知らぬ近隣を訪ねるたびに楽しめることを喜んでいます。
同じ歌ばかりの国 ああイギリスではトム・ジョーンズが。
日頃車に乗ることが多い生活をしていますが、いつ頃からかラジオやCDなどは掛けず運転していました。
本日ふと、突然の災害を知るためラジオくらい点けなくてはと思いました。
スイッチを入れるとディスクジョッキー風な音楽番組がかかりました。
すると間もなく「素直」という歌詞が入る歌が2曲続いたのです。
素直になれたら、素直になれなくて、というような使い方だったと思います。
この言葉を歌で耳にするなったようになってもう随分経ちました。
ありのままで、ピュアに、自然になどの意味か、と察していました。
ざっくばらんに〝ごちゃごちゃ言わずに〟〝格好つけず〟かもしれません。
余りの多用に若者達はよほど〝ごちゃごちゃ言ったり〟〝格好付けて〟生活をしているのかと思ったほどでした。
穿った見方をすれば〝心だけ〟でなく、〝(素直に)体も愛して〟と言っているようにも聞こえたのです(間違っていましたら申し分けありません)。
そこでトムジョーンズの1曲です。
イギリスの歌手トム・ジョーンズの「I’ll Never Fall In Love Agaln(1967年)」
この歌ではひたすら失恋を嘆いてるだけ、素直も言い訳もありません。
パワフルでストレート、理屈なしに聴かせていました。
何故トム・ジョーンズかと言いますと、過日のラグビーワールドカップのことでした。
動画で試合を見ていましたらハーフタイムだったと思いますが、会場に彼の歌が流れたのです。
タイトルを失念しましたが、私たちが聴いた1960年代の歌でした。
たとえ半世紀前のポップスでも名曲なら残して公共の会場で流される。
新しいだけで良しとしない、彼の国のふところ深さもつくづく羨ましいと感じた次第です。
会場は各国から沢山の人が来ています。
そこでは試合の合間を和ますために、多くの人が知っている人の曲が選ばれたのでしょう。
では次のワールドカップ日本は何をかければ良いのでしょう。
難しい宿題です。しかし上述の似たものメッセージ系や見た目可愛系などは恥ずかしいので、出来れば止めてほしいと思うのです。
秋の妙高サンシャインゴルフ倶楽部 おとぎの国の落ち葉。
昨日は「落ち葉の情景」を書かせて頂きました。
実は昨日妙高サンシャインゴルフ倶楽部へ出かけ、コースの落ち葉を撮ったのです。
ところが帰宅してそのチップが見つからず載せたい写真を割愛しました。
本日それが見つかりましたので掲載致しました。
当日は北風の強い日でしたが良く晴れ、気持ちの良いラウンドが出来ました。
昨日の拙文中〝晴天の北風の丘〟は下の写真のような光景でした。
(ちなみに〝小雨が降った夕暮れの街〟は一昨日の市役所脇のケヤキ並木です)
サンシャインゴルフ倶楽部8番ティーグラウンドを囲むおとぎ話のような光景。
このコースは沢山の桜で有名ですが、その落ち葉も非常にきれいでした。
ただグリーンキーパーにとって管理は大変なことでしょう。
大きな人工物はなかなか美しい自然にマッチしませんが、サンシャインランドの観覧車はいつもきれいだなと思って見ています。
その昔80で回ったこともあったゴルフですが、現在なかなか100を切れません。
ただこの日、上記の8番ショートホールでピンそば1,5メートルに乗り、バーディーを取りました。
今年最後のゴルフでしたが、健康を保ち来年も続けたいと願っています。
落ち葉の情景。
拙詩)
風の無い先日の庭で色づいた桜の木から一枚の葉が落ちた
落ち葉はあっと言ったように思ったが、二三度回ると草むらに消えた
落ちていく数秒、芽吹きの雨音から初夏のおしゃべりや
真夏の沈黙や秋の高い空などを思い出したのかもしれない
小雨が降った夕暮れの街をケヤキの枯葉が走っていた
木の葉はみな小さくて 、まるで大勢の子どものようだった
かたまって車の前を横切ると、次は反対に走り出す
おっと危ない、今度はこちらに向かってやってきた
晴天の北風の丘で真っ赤な桜の落ち葉が舞っている
さらさらさよなら、さらさらと幹に別れを告げている
見えなくなった彼女らは、南の土手に集まって
ぽかぽかうとうとぽかぽかと、日向ぼっこをしていたよ
北風空を鳴らす頃
己(お)の身を赤く染め終えて
何億枯葉が舞い落ちる
今日の日射しに暖まり
眠れや花の夢を見て
今冬の暖冬を伝えた予報 むかごご飯。
夕方のニュースで、この冬は暖冬という予報が伝えられていた。
昨年来続いているとエルニーニョ現象の影響だという。
太平洋赤道域から南米にかけて広範囲に海面温度が上がることで発生するエルニーニョ現象。
よく耳にする言葉だが、ぼんやりしているせいか実際の影響を実感した覚えがあまりない。
ただこの現象下の冬は特に「東日本」に平均気温の上昇という好影響があるらしい。
東日本といっても太平洋側と日本海側では気象は異なるが、幸いなことに日本海側で特に良い面をもたらすようだ。
太平洋岸に較べて平年より気温が高め、しかも降水量は少なめだという。
この度の予報は11月~来年1月の三ヶ月間だが、今年は意識して過ごしてみたい。
予報が当たり冬本番の2~3月までも暖冬であればいいのだが、果たしてどうなるだろ。
さて昨日は大潟区の雑木林にあった「瑞天寺」-「十二神社」の道を書かせて頂いた。
その道中で採ったムカゴが本日の夕食に出た。
むかごご飯は懐かしい。
うすい塩味がついていて、しかも新米で余計美味しく感じた。
お寺と神社をつなぐ道すがらのものだった為何となく有り難味もあった。
神社から寺へ通じた雑木林の秋の道。
昨日午後、美術館帰りは北陸道(高速道路)の堰堤脇の小道を走りました。
一帯は雑木林で、色づいた野ぶどうが見られればと思ったわけです。
まだぶどうは鮮やかではありませんでしたが、偶々初めての道を見つけました。
雑木林をジグザグに進むその小道を歩くのはどきどきして、楽しいひと時でした。
昨日は時間が無く、途中で折り返しましたが本日午後の休診を利用して再び歩いてみました。
沢山写真がありますが宜しければご一緒にどうぞ。
100メートルほど登り切ると左手に社がありました。
背後に高速道路を走る車が見えます。
境内にあった高さ30メートルはあろうかという巨大なケヤキの株立ちです。
しめ縄が回されていました。
境内にポツンとポンプがあってちゃんと水が出ました。
砂地の小高い場所のことを考えると水が出たのには少々感動しました。
神社から真っ直ぐに下りその先を左に行きます。
木に囲まれた光のトンネルは気持ち良く何とも言えません。
光のトンネルの先で突然ほくほく線の高架橋と出会います。
下木(したぎ)などがきれいに刈られています。
上記の鳥居からほぼ右直角に眺めると50メートルほど先にもう一つ鳥居がありました。
昨日はここで引き返しました。
その鳥居をほぼ直角に左へ曲がり下った後のゆっくりした登りは竹林の道です。
竹林の道が下りになると大潟区は蜘蛛ケ池集落の「瑞天寺(ずいてんじ)」に出ました。
本堂と観音堂です。
同寺には奈良、平安時代に遡る聖観音座像や千手観音座像などの立派な仏像があります。
本日は途中で、たぶんここへ出るだろうという考えになりました。
寺の門柱から今下りてきた道を見ています。
真ん中ではなく、左端に細く見える道がそうです。
本日はここで折り返しました。
さて、十二神社は高速道路沿いの小道からはこんな風に見えています。
昨日歩き始めた時、ここへ出るとは思ってもみませんでした。
高速道路の無い頃は森の中のまさに深閑とした場所だったことでしょう。
大潟スマートインターのすぐ近くですが、本日初めてまじまじと見ました。
高速道路上り線を走ると左に一瞬ちらっと見えます。
最後に路傍の花や実です。
山芋のムカゴと種。
この地下に自然薯があるはずです。
ムカゴを沢山獲ってきましたがちゃんと食べられるでしょうか。
よそ見しなければ10分足らずで歩けそうな道。
鳥居の位置からいえば蜘蛛ケ池から入るのが本来の歩き方ですね。
たまたま入ったのが十二神社の裏手の入り口(出口?)だったわけです。
無知な私は十二神社という名を初めて見ましたが、新潟県には魚沼を中心に沢山あるそうです。
昨年の2月は鵜の浜から雁子浜へ竹藪の道を見つけて歩きました。
このたびは神社から寺へととジグザグに曲がりながら続く楽しい雑木林の道でした。
それぞれの社寺で心身の無事など祈った次第です。
申し分けありません、二日がかりの長いブログになってしまいました。
関川大橋付近のコスモス畑 「NPO法人 徳合ふるさとの会」。
先日新潟t労災病院へ用事で訪れた際、対岸の広大なコスモス畑をきれいだなと思った。
本日昼休みに訪れたその花畑は流れるようにアレンジされて本当に美しかった。
植栽は「NPO法人 徳合(とくあい)ふるさとの会」がアイディアを出し各方面と協力し、
河川管理者である国土交通省、さらに上越市の理解も得て行われているという。
自分には疎いことだが、NPOと省庁や行政が協働できていることにとても驚いた。
持ちかけた当事者の熱意が本物だったに違いない。
そのことは今日実現されている美しい景観を見てもよく分かる。
ほぼ満開ですが花は散っていませんし、まだ蕾も見られていました。
低温が続いてますので、もう少し大丈夫ではないでしょうか。
向かいの病院の患者さん達にも心癒やして欲しいという願いが実っている。
ところで「徳合ふるさとの会」の関係者の方が昨年から毎春樹下美術館に来られるようになった。
同会では地域文化と景観の維持創造の一環として、糸魚川徳合地区に植栽したしだれ桜の里巡りが行われている。
その方の勧めでメイン会場に樹下美術館のパンフレットと小生の花の絵の絵はがきを置かせてもらっている。
私たちにまで手をさしのべて頂きとても有り難い。
磨けば光るが、飾るだけなら汚れて朽ちる事もままあるのである。
すでに妻は徳合を訪ねているが私はまだ。
本日私も参考にしました。
枯葉、バースとコーラス 歌詞の旅情。
昨日のコンサートはとても好評だった。
オープニングの「枯葉」が最も良かった、とはモーツアルトを愛して止まない方の感想だった。
普通、「枯葉」はバース(前奏)抜きでいきなりコーラス(メインテーマ・主旋律)に入る演奏が多い。
しかしこの度の後藤教授の編曲では、バースを三人が思い思いに奏でた後、悲しくも華やかな落ち葉のイメージで即興風にコーラスに移った。
そもそもスタンダード曲は前奏部を有していることが少なくない。
一般にその曲調はやや地味だが、テーマへと絶妙に導入する効果がある。
一方ジャズ器楽演奏の枯葉はほとんどバースを省略するが、フランスや日本ののシャンソン歌手には最初から通して歌う人が見られる。
以下のシャルル・アズナブールはコーラスから入り、途中の間奏部分でバースを歌っていて珍しい。
枯葉の英語バージョン「Autumn Leaves」の後半に
〝貴方が居なくなり一日は長くなった〟
〝そしてもうすぐ冬の歌がきこえる〟
という部分がある。
季節には旅情があり、この一節はとてもいい。
三人の大学院生による秋の美術館コンサートが終わって。
良く晴れた日の本日土曜日夜、三人の上越教育大学大学院生さんによるコンサートが終わった。
生まれ育った所が異なる若者が遠く上越の学舎に集い、半年経て実現した今夜の音楽会。
リクエストした「枯葉」から、最後のカンティレンヌとダンスより「カンティレンヌ」まで精魂込められた演奏だった。
この度、どうして上越教育大学だったのですか、と三人にお尋ねしてみた。
すると異口同音に、教育大学大学院の音楽コースなら同大学が良いと知っていたので来た、と仰った。
望外の、なんとも嬉しい返事だった。
ヴァイオリン、ピアノ、サクソフォンのトリオ編成は珍しい。
きっと本人達も苦労したことだろう。
だが良い音楽を創ろう、という三人の気持ちがありありと一つになり心を打った。
そのことは卓越したソロにも劣らず素晴らしいことで、50余人のお客様から大きな拍手を浴びた。
「枯葉」と「夏は来ぬ」に出色の編曲をされ、大好評を博した後藤教授。
ご多忙の中お越し下さったお客様、いつも円滑に会場作りをする樹下美術館のスタッフの皆さん。
心より御礼申し上げます。
とても良い音楽会でした。
ふけゆく秋の夜は音楽会のリハーサル。
予報通り爽やかだった一日、次第にこんなお天気も貴重になる。
「三人の大学院生さんによる秋の美術館コンサート」が明後日に迫り、閉館してからみっちりリハーサルがあった。
良い音楽の一点を求めて意見を出し合いながら進める三人はとても立派に見えました。
私がリクエストした「枯葉」から始まるプログラム。
バッハの名曲、リストの珍しい曲、そして知床旅情eyc、、、。
楽しいプログラムになっています。
2時間あまりのリハの後、家ですき焼きを食べました。
この春北海道、新潟市、横浜市から来た若人の話は興味深く、
旺盛な食欲を目の当たりにして頼もしい限りでした。
兄は上手に馬を扱った。
午後から次第に晴れた一日、但し気温は上がらず寒かった。
そんな日の夕刻受診されたおばあさんに生まれ育った場所を尋ねると、以下のような話になった。
自分は近隣の山奥で育った。
戦争が始まると村から働きざかりの男の姿が消えてしまった。
その村で自分の兄は体が小さかったためか兵役を免除されていた。
小柄だったが兄は馬を扱うのが大変上手だった。
家の馬だけでなく村のどんな暴れ馬もうまく馴らした。
ある日、よその馬が荷車をつけたまま土手から落ちると、飛び出して逃げた。
大声で人が呼びに来て兄と見に行った。
巡査まで来ていた人垣のなかで馬はいななき跳ねていた。
しかし兄を見ると急に静かになり、兄はほおずりをした。
その時の馬の目は真っ赤で、自分には泣いているように見えた。
とても良い話でもっとお聞きしたかったのですが、順番のためここで終わりました。
この方は大正15年生まれ、お年寄り達はご苦労されている分だけ本当に色々な話をお持ちです。
午後遅くの爽やかな空にヒツジやイワシ、ジンベイザメまでいました。
気温が下がったため夜になって居間にストーブを出しました。
荒天の一日。
肌寒く終日風強く雨がぱらついた日。
よく聞く話ですが今年の秋は残暑らしい日もなく涼しさから寒さへ移行してます。
順調といえばそうかもしれませんが、早い雪かも、と気をもむ声も耳にします。
但し明日からの週間天気予報は連日お日様マークが付いていました。
本日夕刻の四ツ屋浜。
大きな雲が連続して西から東へ流れていました。
本日荒天候の中ご来館下さった皆様、有り難うございました。
新潟市のりゅーとぴあでミヒャエル・エンデの「モモ」を観てきた。
今日10月連休の最終日は新潟市のりゅーとぴあ演劇ホールで、ミヒャエル・エンデ原作の演劇「モモ」を観てきた。
(○脚本/演出 栗田芳宏 ○音楽 後藤丹 ○ヴァイオリン 佐々木友子 ○ピアノ 品田真彦
○出演 新潟エクステンションスタジオ 研究生 ○ゲスト荒井和真 (KURITAカンパニー)、今井明 (KURITAカンパニー) ○主催劇団ひまわり)
午後1時から始まり、2度の休憩を挟んで4時間の長丁場。
一言たりともセリフを逃すまいと耳目をこらして惹きつけられた。
モモはその昔、本好きだった娘が小学校を卒業するころに買って遣ったことがあった。
時間と幸福、それを奪う狡猾な者たちに対する奪還のストーリー。
深い命題が網羅されるが、恐らく子どもを含めてそれぞれの立場で理解できるのではないだろうか。
本日のお客さんは子どもよりむしろ大人が、それも若者が多い印象を受けた。
舞台を観て、昨年マイブームになった「青い鳥」が重なった。
時間と幸福が物語のカギであり、登場する大人と子どもの関係にも通底部分がみられたからだ。
モモでは時間節約と過剰な効率主義から生じる際限のない利潤追求のトリックが、スリリングに解き明かされ、貨幣経済への警鐘も重要な点になっている。
このあたりを子供達はどう読みとるのだろう。
最後にモモたちが本来の時間を取り戻した場面で、暗い舞台いっぱいに光が注ぎ無数の花びらが舞い降りる。
灰色のコートを着た怖そうな時間ドロボーたちや、美しいフィナーレが幼い脳裏に刻まれればそれで十分かもしれない。
〝時間というのは、生まれた時から始まる密かな音楽のようなもの〟
〝時間の源には光が射し花が咲いている〟
というようなニュアンスで語られたセリフを聞けただけでも、1時間半かけて新潟市へ行き長時間座った価値があった。
これらの言葉を述べた時間の司、マイスター・ホラ役の栗田芳宏さんの自然な動きから発せられる極めて明瞭なセリフに驚嘆した。
今まで観た芝居では、身振り大きく大声を出すのに言葉が聞き取れないという役者さんもいたのである。
さて、モモは人の愚痴や悩みをただ聞いているだけだが、彼女に話す人は自らの問題に気づき幸せになる。
このことは、前段で時間を掛けて丁寧に演じられた。
観劇でも読書でもそうだが、私たちは黙って舞台を観、あるいは本を読むだけである。
一方懸命に訴え述べるのは作者や演者だ。
この図式で言うと結果はどうあれ、私たちはモモなのか?
30年ほど前、娘と一緒に読んだ時には浮かばなかった観点だが、年寄りの独りよがりかもしれない。
最後に本日、舞台下手の一角にピアノとヴァイオリンの著名な演奏家が入られた。
セリフに重なる音楽は場面を引き立て、時に美しく時にスリリングに奏でられた。
演奏者とともにコンダクターとしてそこに居られたのは、音楽を担当された上越教育大学の音楽教授・後藤丹先生だった。
フィナーレで召されステージに上がられたが、嬉しかった。
入場の行列。
お尻が痛くなりましたが、りゅーとぴあでの4時間は、最後まで満席のまま盛況でした。
この度の公演は上越市の「智慧子のブログ」の予告記事で知りました。
智慧子さん、本当に有り難うございました。
柳沢鹿の子さん一門によるバレエチャリティーコンサート。
今日午後、上越文化会館大ホールで開催された「第13回 バレエ・モダンダンス チャリティーコンサート」を観てきた。
上越市大潟区土底浜の柳沢鹿の子バレエアンドパフォーミングアーツの主催だった。
二人の素晴らしい男性プロダンサー鈴木真央さん、貫渡竹暁さんが招かれていた。
演劇的でありながら黙して踊られるバレエは非常に高度な芸術だ。
動きは音楽とともに言葉と情感として感覚されるが、それらの行間まで実にこまやかに身体表現される。
愛らしい入門クラスから堂々たるパフォーマンスの上級クラスまでが隙間無く披露された。
「風神雷神図-上越降臨」の激しくも優美な踊りで始まったステージ。
アラカルト的にアレンジされた総出演の「パキータ」がフィナーレだった。
高三となり卒業される三人の生徒さんは招待男性ダンサーと心ゆくまで美しく踊られた。
出演者の中には知り合いのお子さんやお孫さん、そして子ども時代に診させて頂いた人もいる。
大潟区という周辺地で永年バレエスクールを主宰される柳沢鹿の子さん。
一心に取り組み困難を越えて喜び踊られる生徒さん、ともに心からおめでとうを申し上げます。
頂戴した秋の花 ひやひやする送電線の点検作業。
本日は度々お花を持参されるお客様から今盛りのものを沢山頂きました。
上手に育てられる花は楚々として野の趣をたたえています。
さっそく館内に飾らせて頂きました、有り難うございました。
紅白のシュウメイギク、数種のホトトギス、白色のフジバカマ、タデ、タムラソウなど。
さて冬に備えて行われる送電線の点検はこの季節の風物詩かもしれません。
サーカスのように見えてドキッとしますが、プロだなあと感心します。
先週美術館の裏手に現れたリコプターは仙台から上越に飛来すると聞きました。
ひやひやして見ていましたが、大きなカメラを備え送電線に沿って時間をかけて飛びました。
昨日記載しましたヤフーの時計は狂いもなく順調に動いています。
ヤフーの景品の時計をしてみた。
先日ある探し物で普段あまり開けない引き出しを見ますと時計が出てきました。
ヤフーの株主優待品でした。
10年も前、ちょっぴり同社の株を持っていたことがあり、当時送られてきたものでした。
子どもにやろうと思っていましたがすっかり忘れていました。
最近修理などで時計に不自由していましたので、本日時計屋さんで電池を替えてもらいました。
持参した妻によりますと、珍しい時計ですね、と言われたそうです。
大部分プラスチックですが、動いたということで1500円の電池を入れてもらってあります。
おもちゃのような景品とはいえ外観はほがらかで、夜になっても動いていますのでしばらく着けてみようと思います。
ちなみにその時の株式は樹下美術館を建てるときに無くなりました。
優しい秋の色。
本日樹下美術館の木の葉も草花も空も何となく優しい色をしていた。
生まれて初めての花と思われる赤ちゃんリンドウ。
リンドウは二年目から花が咲くようです。
大型の台風が太平洋を北上したため終日風が吹いた。
身近な所でお世話になっていたノーベル賞の業績。
発表が続いているノーベル賞受賞者について知らない場合が多い。
今年、医学生理学賞に輝いた大村智特別栄誉教授のことも恥ずかしいが聞いたことがなかった。
受賞対象となった主要な業績の一つは、熱帯地域の深刻なオンコセルカ症や象皮病の特効薬開発による何億もの人々の救済だった。
ところがふとしたことから、自分たちも身近に大村先生の恩恵を受けていたことが分かった。
2011年に亡くなった母は2004,5年頃に福祉施設の利用をはじめた。
ところが間もなく両腕や胸、両下肢などに赤いぶつぶつを生じそれをポリポリ掻くようになった。
厄介な疥癬症だった。
介護保険によって一気に多様化して増加した高齢者福祉施設はいずれもその洗礼に悩まされた。
恐れた疾患が母に及び我が家は一種パニックに襲われた。
施設利用の中止、連日の念入りな入浴、衣類や寝具の加熱洗浄、軟膏塗布、、、。
しかし一旦収まったかに見える症状は何度か再発した。
困って色々調べた所、犬のフィラリア症に有効で、ヒト疥癬にも効くという薬の記事に出会った。
当時その薬剤は自費扱いで保険適応がなく、薬局を介してメーカーから取り寄せた。
国内は犬向けに始まった薬剤、大丈夫かなと気をもみながら飲んで貰った。
だが母は平気で服用し副作用もなく、間もなく面倒な疾患から離脱していった。
その薬はイベルメクチン、商品名はストロメクトールだった。
しばらすると薬は人疥癬症の保険扱いが可能になった。
このたび大村先生のエバーメクチンを聞いた時、どこかで耳にしたように思った。
それがあの薬だった。
遠くの先生が急に身近に感じられ、業績のすそ野の広さに感嘆した。
「地方創生で重要なのは教育」は大村先生が語った言葉。
「知の水平の拡大」は昨日物理学賞に輝いた梶田先生の談話。
探求から生まれた言葉は貴重で、日本の将来を占うキーワードではないだろうか。
秋の日曜日の林と海。
晴れたり曇ったりの日曜日、長袖シャツにウールのベストで過ごした。
午後二組の新しいお客様に名刺をお出しして挨拶をした。
(このようなことはいつも迷いますが、なるべく簡単にさせて頂いてます)。
さて夕刻近く柿崎海岸へ。
大潟スマートインターから8分ほどで柿崎インターに着く。
本日はまず大潟インター付近の林に入ってみた。
草木の紅葉や実が随所に見られた。
暮れる柿崎海岸(東側で)。
この海岸は東西で雰囲気が異なり、多くの人は西側(海に向かって左手)を歩く。
本日は一時間半ほどかかけて東西をゆっくり歩いた。
向こう一週間ほど晴れ間の多い日が続くという予報は嬉しい。
陶齋の特筆 トンボの庭 アスパラとトクサ。
本日午後熱心に陶芸展示「陶齋の鉄絵と色絵」をご覧になる女性にお会いした。
如何ですか、とお尋ねすると鉄絵と色絵の違いを質問された。
一通り説明させて頂くと、「同じ人が作ったとは思われないほど感じが違うのですね」と仰った。
一例を挙げれば下写真の如く、確かにその通りなのです。
齋藤三郎作 色絵籠に柚子文皿。
師の富本憲吉譲りの柚子のモチーフが品良く描かれている。
齋藤三郎作 鉄絵面取り壺。
素朴だが心に残る趣がある。
上下の作品は別人作と思われるほど技法に特化している。
陶齋(齋藤三郎)は染附(そめつけ)でも、辰砂(しんしゃ)でも、鉄絵でも色絵でも、金銀彩でも、みな一流の技を身につけていた。
磁器、陶器ともにこなし、同じモチーフでも異なる技法ごとの風合いに制作した。
土と技法のエッセンスを明確に把握し、そこに筆を加えて仕上げられた親しみ易く上品な陶齋イズム。
齋藤三郎(陶齋)の才能と努力は特筆に値するにちがいない。
さて、日中の日射しの庭に沢山の赤とんぼ。
餌を採るわけでもなく、婚活する様子でもなく、のどかだった。
嵐の後、トンボはこうして一休みするのだろうか。
「あれはアスパラかしら」
「何言ってんだ、トクサだろうが」
あるご夫婦がこんな話をされたという。
羨ましいほど仲良しだったとスタッフから聞いた。
嵐去ってリンドウ、夜は大きな蛾。
一晩吹いて降って明けた本日、午後から雲間に青空が覗いた。
植えたばかりのナツハゼやほかの草木に傷みはなかったが、落ち葉掃きは一仕事だったようだ。
昼間の庭にリンドウが顔を覗かせている。
同じ庭でも、リンドウはカフェから見て左側の低い場所で盛んに花を付けるようになった。
わずかの湿り気の違いを区別する植物の厳格さを垣間見させられる。
夜になって庭の明かりの下で落ち葉のように見えていたものは大きな蛾だった。
比較のためゴルフボールをおいて写した(妻のスマホです)。
草の軸をあてて、家でその長さを測ると前羽の幅は約15㎝あった。
その昔夜間の電柱の下などに大きな蛾が飛んできた。
当時は気持ち悪いと感じたが、今夜は素晴らしいと思った。
ネットで見るとヤママユ(ガ)らしく大きな蛾の代表選手のようだ。
幼虫時代の栄養だけで生き、成虫になってから何も食べないという。
夜の庭でじっとしているのを見ると、ちゃんと相手を見つけられるのか心配になる。
クヌギやコナラなどに産卵し幼虫はその葉を食べるらしい。
樹下美術館にコナラが何本もあるが、そこで育ったのだろうか。
明かりを消したあとにもう一度行ってみると居なくなっていた。
基本的により強い月の光を求めて雌雄が出会うという蛾。
今夜の蛾は灯の下で相手を待っていたのだろう。
チャドクガは困るが大きくて怪しい蛾ならまた出会ってみたい。
低気圧に見舞われた日 昼食後のイチジク。
本日午後まもなく風が出て次第に強くなった一日。
悪天候のせいもあって午後から閑散だった美術館。
最近ほぼ毎日昼食は美術館で摂っている。
ホットサンドウイッチかトーストで、パンは大抵普通の半分にしてもらう。
一緒に出るピクルスや果物のほか、妻のお弁当の野菜を一皿もらって食べる。
本日はトーストで、食後先日頂いたイチジクを食べた。
皮をむいてフォークで半分に割ったイチジク。
イチジクは無花果と書くが、中心に向かって並ぶ赤と白の果肉状のものが花らしい。
自分たちは実でなく花を食べていることになる。
荒天の本番は今夜から明日にかけということ、その後晴れが続く予報が出ている。
夜間風雨の音を聞いていると、その後の晴れなどにわかに信じ難い。
昨日に続いて爽やかな空 おいしいサツマイモ。
軽やかで様々な雲が見られた一日だった。
先日頂いた立派なサツマイモは皆さんと分け、昨昼はきんとんに、今夕は煮物になった。
今夏の当地方のお天気は順調で作物は本当に良いようだ。
春先に蒲原地方の果樹園を見てその広大さに驚いた。
もう少ししたら訪ね行って果実の実りぶりを是非とも見てみたい。
台風から崩れた低気圧が日本海を北上して発達、明日夕刻から大荒れが予報されている。
爆弾低気圧という話もあり、順調だった作物への影響が心配だ。
爽やかだった日中。
日中会う人ごとにお天気の良さ、爽やかさを口にされた。
湿度が低いせいでしょうか、という感想もあった。
午後ようやく表にでることが出来た。
食事の為に寄った美術館のカフェは少し混んでいたのでデッキのベンチで食べた。
年をとっても戸外の食事は遠足気分がして好みに合っている。
その昔父母若かりしころ、自分の生徒時代の晴れた日曜日はよく朝日池のほとりへピクニックに行った。
大抵おにぎりと何かのおかず、それに必ず番茶入りの魔法瓶を持って歩いた。
親戚の子や父の先輩ご夫婦と一緒だったこともあった。
戸外の食事を好んだ父母、それが私にも遺伝しているようだ。
外はパリパリ中もっちり、美味しいホットサンドウイッチ。
ピクルスと果物におよそ二杯の珈琲また紅茶が付いて950円です。
(来年は申し分けありませんが、1000円になる予定です)
昼下がりの庭のトクサに赤とんぼが止まっている。
ちょっとした気配に飛び立つがおしなべて同じ所に戻りたがる。
止まるとすぐに水平にしていた羽を降ろしてじっとしている。
休んでいるに違いないが、何か拝んでいるようでもある。
時々首をひねるのは雑念が入るのか、可笑しい。
本日患者さん宅から頂いた立派なイチジク。
上越市大潟区はイチジクが盛んで以前我が家にも樹があった。
今年道すがらに見るイチジク畑はとても好調に見える。
歌代菓子舗さんも忙しいにちがいない。
昨夜名月、今宵満月 風物はこの世の恩寵。
庭、畑など随所でコスモスがきれいだ。
チューリップが年とともに好きになったと同じようにコスモスも文句なしに良くなった。
ピンク、赤紫、白が混じった一群などはうっとりしてしまう。
宇宙もコスモスだが、花のコスモスは目の前のカラフルな宇宙。
往診の帰りに車を停めて見たコスモス。
昨年の今頃午後のひとときコスモス巡りをしていたが、今年もそんな時間を持ってみたい。
昨日の十五夜名月は暦のきめごと。
本日は文字通り天然の満月だった。
夕刻から雲が厚くて諦めていたところ、「出てますよ」と妻の声。
近くの月の名所?中谷内の池で写真を撮った。
月や花、そして生き物など風物に心惹かれることは他に替えがたいこの世の恩寵にちがいない。
十五夜お月様。
今夜の月は十五夜の名月。
夕刻は雲の間に間に恥ずかしそうにしていた月は次第に昇り、
ついにあたりの雲を振り払って一人煌々と輝いた。
星に詳しい知人が居て月明かりの中で夏の大三角を見つけて指さした。
大三角の中に悠然と位置する白鳥座の神秘的な姿も印象的だった。
新月の頃の晴れ間にあらためて星空を見てみたいと思った。
風の日の秋蝶。
曇りがちで風強かった本日は肌寒く途中から長袖シャツにした。
風の庭を蝶がやって来ては飛び去った。
秋の優れない日の蝶たちはどこか寂しい。
しかし二羽のキチョウが出会うと、手をつなぐようにして飛び去った。
一方、片隅の雑草にキアゲハがしがみついている。
近づくと飛び立って美術館の屋根を越えようとしてまた戻って来た。
蜜などありそうも無い枯れた花の何が良かったのだろう。
昆虫は魅力的な形をしている。
細い足もなかなか優雅。
傷ついた秋蝶には幸福な時間もあったことだろう。
秋の夜長のひと時を若い上越教育大学の院生さんの演奏でお楽しみ下さい。
電子ピアノ、アルトサックス、そしてヴァイオリンがバッハから日本の歌まで演奏致します。
お申し込みは樹下美術館025-530-4155へどうぞ。
頂いたおはぎをお客様と食べた。
20日の日曜日から始まった思いがけない4連休。
十分な自由時間を取らせて頂いた。
本日来館された知人からおはぎの差し入れがあった。
お客さんたちにも振る舞って喜んで頂いた。
最近新しいお客様がよく来てくださり感謝しています。
蝉の声が遠のきコオロギが盛んに鳴いています。
ススキやコスモスが揺れて秋が深まってきました。
次の日曜日27日は中秋の名月(十五夜)ということで、晴れ渡ればよいのですが。
倅が夕食を作った。
東京から帰省している長男が親孝行?と言って夕食を作った。
肉、ワイン、調味料、包丁や調理器などを車で持参していた。
ローストビーフはアメリカ製の低温調理器で時間をかけて仕込まれていた。
柏崎で求めた鯛とサーモンを塩昆布やオレンジでしめたカルパッチョ。
オリーブオイルは厳選したという。
メインのローストビーフを二種類の自作ソースやわさびで食べる。
二切れも食べた。
持参したバーベルで筋トレをやり、食事のため?と言って走る。
厨房を厭わず、子どもの相手や寝かしつけなども当然という顔で行うのは今時の人間なんだろう。
濃厚な食事だったが軽々と食べられたのは不思議だった。
本当にごちそうさまでした。
銀座の夜 神田の昼。
医局を共にした同級生三人による年一回の会食が、ふとしたことから20数年続いている。
当然三者三様で、何が共通しているのか良く分からないがずっと夫婦で集まっている。
東京の夫婦の出身地は高知県、浜松の男の両親は熊本県、そして私の半分の血は佐賀県。
もしかすると密かな南国の血が懐かしがるのか、、、。
それにしてもみな70才を越えて少なくとも病を一つずつ所有した。
人柄は共に薄味にはなったがそれでも個性のともし火は燃えている。
奥さんたちがそろって元気なのも頼もしいことだ。
昨日の食事は吉野建(ヨシノタテル)氏の店だった。
目にすると絵画、口にすると音楽のような優しい食べ物をゆっくり味わった。
銀座シャンソンバー「ボンボン」
月にまつわる特別な日だったようで、元SKD(松竹歌劇団)の皆さんが出演された。
往時のプロフェッションたちが元気な声で楽しませてくれる。
有楽町のガード下はまるで映画か舞台のセット。
翌日の昼食はここでする予定だったが、早く帰る私の用事で中止になってしまった。
本日午前に神保町へ行った。
10数年ぶりで寄った古レコード屋さん「フジレコード」で気に入った盤があった。
店が続いているのは本当に貴重なことだと思う。
東京も、帰って来た上越も晴れて気持ち良い日だった。
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