社会・政治・環境

鵜の浜温泉まつり がんばれ鵜の浜温泉 INPEX・メガソーラー上越。

2014年8月23日(土曜日)

1956年(昭和31年)に現・上越市沿岸に温泉が湧出した。
幸運にも旧・潟町村(現上越市大潟区)で帝国石油がガス掘削の際に掘り当てた。

当時中学三年生だった私は胸躍らせて現場を見に行った。
海岸べりの旧・国道のすぐ左側に蛇口がセットされ、暖かな湯が出しっ放しになっていた。
半農半漁の寒村にあって全く新しい変化が始まる予感に包まれた。
当時の村民はみな同じ思いだったにちがいない。

温泉は帝石から村に譲渡された。
間もなく公営の入浴施設が出来、篤志家が近くの松林にバンガロー村を作った。
帝国石油が東京都へ直接するガスパイプラインを敷設すると、大手企業が進出した。
雇用が急増し極めて希なことに人口増加が始まった。

湯には鵜の浜温泉の名が付き、以来60年近い年月が経っている。
正直、当湯は小さな温泉場である。
旅館、ホテルの仕事には、並々ならぬご苦労があったに違いない。
よくぞ今日までと心からの敬意を禁じ得ない。

開湯40周年だったかの記念行事の一環で、不肖小生が書いて演出した「人魚塚」の再公演があった。
挨拶した町長はもっぱら帝国石油の話に終始して、温泉関係者の努力に触れなかった。

演劇に先だって挨拶を求められた。
一種感情高ぶってしまい、思わず涙を飛ばして鵜の浜の当事者を讃えた。

本日第14回の鵜の浜温泉まつりがあった。
勇躍高田から先輩ご夫婦が見え、夕刻6時に浜茶屋「都屋」に座った。
茶屋には友人の顔や高田の名医ご一行の賑やかな一団もあった。
心配された雨もなく、海は穏やかに暮れた。

正午から始まった祭りのイベントは、よくもまあ15以上もある。

2鵜の浜の夕陽暮れる鵜の浜。

3ベリーダンスアトラクションの魅力的なベリーダンス。

4観衆の皆さん海岸を埋める人々。

188花火。

5花火花火。

浜風涼しく昨年に劣らず大勢の人が集まった。30分の花火は大きな拍手で終わった。

地域は中心市街地だけのものではない。
周辺の中小や弱小が必死になってこらえ支えている。

祭に毎年心づくしの寄附をさせていただいている。
今夜の会場の司会が「お帰りは、来年のために温かいご寄附を」と述べた。
帰路、わずかながら皆して追加させて頂いた。

「がんばれ鵜の浜温泉」

最後に永年親しんだ帝国石油に新たな敬意を表さなければならない。
同社の系譜に連なる国際石油開発帝石株式会社のグループ企業である「INPEX・メガソーラー上越」が頼もしい。
減少する国人口を考えれば、国にはクリーンエネルギーを口実だけにとどめて欲しくない。
クリーン都市・上越市に相応しい一層の展開を期待したい。

力が伝わらない復興支援。

2014年3月12日(水曜日)

2011年2月下旬からおよそ40日、新潟市知足美術館で小生の「ボタニカルアート展」が開催されていた。順調な出足に見えていた所、3月11日夕刻、仕事場で船に揺られるような異常に長い地震に見舞われた。

千葉のコンビナート火災などから始まったテレビは間もなく宮城県はじめ東北の大惨事を報じ始めた。リアス式海岸の美しい風光の地が信じj難い津波に蹂躙される様子を固唾をのんで見守ることになった。

震災に異次元的な打撃を与えたのは、原子力発電所のメルトダウン、水素爆発の最悪事故だった。

私たち夫婦には宮城県の身内が多い。その夜、音信途絶したままの弟一家が住む南三陸町は壊滅していると知った。
数日してネットに設けられた人捜しサイトで彼らの無事を知ることが出来、間もなく特設の電話所からようやく弟の声を聴いた。

現実,心情とも個展どころではなくなった。
地震当日、現地に降り始めた雪の映像は辛さと寒さを象徴して忘れることは出来ない。

昨夜は食後の数時間、来る個展の絵を描きながらNHKテレビを見た。
痛ましい犠牲者を出した家族の癒えない悲しみ。
根を下ろす場所の定めがつかない人々。
進んでいるのに実の上がらない復興事業。

戦争でもないのに放射能汚染されて苔とカビに朽ちゆく家。
人絶えた道を歩くイノシシ。
避難で全国に散らばった13万人の「戻りたい」率は当初の半分にまで減っている。
関連死の多さなどとともに原発事故は地震とは異質の困難を生み続けている。

被災の中で生まれた赤ちゃんが三才だ。
みな可愛い顔をしている。
沢山の亡くなった人の力を借りて生まれた子、とお母さんが言った。
お誕生日祝いは日をずらしている、とも。

〝大きな希望が示されて、新しい国を一つ作るほど力が注がれ、初めての州を
誕生させるくらいの復興〟

当時新潟市の個展会場に向かう高速道路で、多くの支援車輌を見ながらそんな願いを抱いた。

鵜の浜温泉の夕陽昨夕の鵜の浜温泉。月のように静かな夕陽。

朝寝ぼうしたので弟に電話した。

2014年2月13日(木曜日)

昨日「ラジオ深夜便」で弟のインタビューを聞いた。張り切って本日もと考えていた所、頼みの妻とも起きそびれて聞けなかった。夜電話で詫び、何をしゃべったのか聞いたみた。

このたびは復興に関連して個人意識のことを次の様に述べたという。

自分たちは行動や思考を揃えることは得意だが、個の意識や独自性となると尻込みしがちだ。
水の共有が基盤だった稲作文化がもたらした志向として無理からぬことだが、
新たで豊かな創造には時に難もあろう。 震災復興もしかりではないか。

かって訪ねたフィレンツェの多くの個人商店は、店内の工房で商品を製作していた。
カバン、文房具、楽器、食品、陶器、ガラス、衣料、などなど多様な店は美しく生き生きしていた。
個人が開放され芸術の理解が日常にある彼の地の文化はまぶしかった。
3年が経とうとしている復興も、お上を頼むばかりでは離れる人が後を絶たず限界が見えてきている。
物作りから流通まで、今あらためて個人の開発が求めらているように思われる。

弟の論旨は以上のようだった。ラジオを聞かずに電話でずるをしたが、たしかにと思った。
実は日本人は整然だけではなく、多くの分野で個人の独創性と粘りを発揮して文化に貢献している。
先の中山教授、小保方研究員しかり、ノーベル賞受者の多さをみるまでもなく、
身近な中小企業の特異性も貴重であろう。

揃ってまとまるのも確かに優れたことだ。
だがその中で、個人が自分自身であることを喜び、しかも能力を発揮できるならそれは幸福のエッセンスかもしれない。
そのことが可能な日常を作ることは、生き生きした地域の維持発展にも繋がっていくのではないか。

最後に弟は言う、もっとも身近な自己確認(幸福)の一つは、美味しいものを食べること。
自分は独自の飼料と飼育法と流通をもってそのことに懸命に携わってきた、と。

ハーモニー 多様性の悲願。

2014年2月10日(月曜日)

当地の寒波は未だ去り難い面持ちでもじもじしている。

賑やかな報道の割にオリンピックはいまいち。一方新潟県に直結する原発課題が矮小された都知事選は、容認的候補が当選した。

原発に反対していくことは根気と勇気がいる。
地震多発国に立地した多くの原発の不安と将来の禍根の上に乗って暮らすか。
方向を転換し、新たな産業を育てて安心な基盤を切り拓くか。

一丸となれば日本なら後者が達成できると希望を持ちたい。

以下、冬季オリンピックへ出場の歴史を持たない南国キューバ人たちの音楽をYou Tubeからお借りしました。

 


年をとっても味わいのハーモニー。Buena Vista Social Clubの大御所たち。
粗末なスタジオに若者のピアノと魂の歌声。曲は「キサス、キサス、キサス」


長く子どもを故国に残した父。子はピアニストになっていて再会した父とデュオを演奏する。
アフロキューバンジャズの名ピアニスト亡きベボ・ヴァルディスとその子チューチョ・ヴァルディス。
曲は「Tres palabras」(三つの言葉)

 


その息子さんとドミニカ共和国出身の異才、ミッシェル・カミーロとの即興超絶デュオ。
曲は「ピーナッツ・ベンダー」

さてハーモニーやデュオからは豊かさ、多様性、強さなどが生まれる。
二進(二分)法で次第に純化が進行しそうなこの国。
純化は退行を招き、結果として個が脆弱化する生物学的リスクが心配される。

多様性とハーモニーこそ命を背負った者の価値と悲願ではないでしょうか。

煮詰まって外食 救急車のことから考えてみた。

2014年1月26日(日曜日)

出すぞだすぞと言い続ける図録とともに5月の作品展が懸案。そのため休日は大事な仕事日になってくる。

本日日曜日、午前10時から始めて夕刻4時近くまで絵を進めた。
拡大鏡を覗きながら描く作業も多く、さすが夕刻は煮詰まった。

一歩も出ていなかったこともあり、外食が浮かんだ。知人に電話をすると急遽なのに是非、と言う返事で近くの「ビストロ サブリーユ」へ行った。
こじんまりした店は大潟区下小船津にある。料理はみな丁寧で優しく、リーズナブルな白ワインも美味しかった。

メインは魚を、ライスは玄米を選んだ。

スープスープ(以下のデザートとも妻のスマホで撮らせてもらいました)。

ところでご一緒した方は先日あることで救急車の世話になった。
さいわい病自体は様子をみるレベルだったらしいが、それにまつわるご近所の様子が興味深かった。

氏はやや田舎の小さな集落の人。そこで救急車を呼ぶと以下のようになるということだった。

まず救急車の音でご近所が一斉に外へ出る(一斉ほどではないが、隣近所ならよくありますが)。
救急車が止まった家が分かれば、日頃のことから誰がどんな病気なのかなど、おおかた予想が可能だという。

幸か不幸か先日の場合は、普段元気な人だったので皆さんはとても驚かれた、という事だった。
また集まった人の中には、心配して涙する人も希ではないと聞いた。

原子力の灯の下で食事し、肌身離さずスマホを携帯する時代。一方、地域でこのように濃密な人間関係が維持されているのは、
貴重だ。

デザートキンカンが入ったデザート。

 そこで無理を承知で自らに問うてみた。
原子力+スマホ。救急に集合+涙。
どちらか選ばなければならない、としたらどちらだろう、と。

私の場合とても簡単で、救急車に集合+涙だった。

オプションとして、当然スマホはOKの設定があってしかるべきでしょう。
ちなみに妻は最近スマホを持ち喜んでいますが、オクテの私は今もって5,6年前の携帯なのです。

2月生まれ 健康な首都であれ。 

2014年1月22日(水曜日)

2月になると誕生日が来る。家ではすぐ下の弟も姉も父も2月生まれ、特に父とは誕生日も一緒という2月ぶりだった。

日頃、皆様のカルテで同月生まれの方を見ると、なんとなくシンパシーが沸く。

特に暖房のない時代の生まれでは、お互い湯船の中で震えていただろう、と。

チューリップの花束今年も新潟市のお茶の方からチューリップが届いた。寒空の下、心身温まる。

バレンタイン昼休みに妙高市の孫が寄った。早いバレンタインです、ということだった。
誕生日はともかく、寒さの真っ最中はちょっとしたことで心温まる。

 

夜半に追加です:突然の都知事選挙が始まる。大規模な原発を抱える新潟県民の一人として関心を持たざるをえない。
精神・哲学・姿勢といった目に見えないが深い課題が争点となるとは、さすが東京だと思った。

この機会に、日本が世界一健康な首都を持っている国であることを示してほしい。

都寿司のばら寿司 穏やかな柿崎海岸 遊べど尽きぬ子ども時代。

2013年12月26日(木曜日)

昨日今年の美術館を終了して本日午前中に撤収作業があった。私は診療所だったので妻たちによって順調に行われた。

昼食は作業を終えたスタッフと近くの都寿司でばら寿司をたべた。やさしく美味しく作ってあり、熱いお茶も有り難かった。

都寿司都寿司の電話 025-354-2185 昼食のずけ丼も美味しい。

午後の定期休診で柿崎海岸をゆっくり歩いた。ペンダント用のシーグラスを探したり写真を撮ったり千鳥を見たりした。

柿崎地上を浄化する海は清潔だ。

その海を放射能で汚す事は 神を汚すに似た行為に感じられる。 海だけは汚さないでと心から願っている。神や自然や人間にどこまでも寛容を求めるのは、甘えに見える。

 

さて、冬とは思われないお天気が続いていてキツネにだまされているようだ。
キツネといえば、その昔子どもの頃、近所の遊び仲間と当地の松林にキノコ採りに行った時のこと。
当時の松林は広大で、私たちは道に迷った。

仲間の一人が、この中に人間に化けたキツネがいると言い出した。
彼は木の枝を拾うと、尻尾を出せ、と言って皆を追いかけ尻を叩いた。
すると誰かが、おまえこそキツネだろう、と彼を追いかけた。
しまいに皆で手に手に棒を持って叩き合い、最後は笑い転げた。

そんな自分がいつしか老人になっている。
だが遊べど尽きぬ子ども時代はどこかで続いている。

穏やかな日 政治の危うさ 海外で夢見すぎは失敗のもと。

2013年11月30日(土曜日)

本日日中の空は穏やかだった。四ツ屋浜の枯れ草も静かで、もっぱら背を温めている風だった。

彼らの従順さは動物には真似できない。

 

穏やかな四ツ屋浜午後まだ明るい時間の四ツ屋浜。

樹下美術館の夕雲樹下美術館は冬木立にあかね雲。

暮れた樹下美術館閉館後の美術館。金沢市からのお客さんなどでカフェはほぼ満席だった。

本日夕刻、九州出身の従兄弟が何十年振りに寄ってくれた。某メーカーのファイナンス畑の人で、アメリカとシンガポールなどの海外が長かった。

話は興味深く,子どもたちが身につけたインターナショナル感覚と日本的マナーの組み合わせは世界最強ではないか、と思った。

また日本の政治を危機的状況と危惧。なにより選挙における投票率の低さは世界的にも異常、と語気を強めた。

そして帰り際、海外に於ける日本企業の幕引きも幾つか手がけたが、失敗の根に「情緒的あるいは夢の見すぎ」ときっぱり。

家族を大切にされ知的で人なつこい人は、まだまだ忙しいらしい。

東北楽天ゴールデンイーグルス、優勝おめでとう! 民の底力。

2013年11月3日(日曜日)

東北楽天ゴールデンイーグルス、優勝おめでとう!

9回裏田中投手の登板は心底緊張を強いられた。球場、TV観戦のファン、みな一緒だったに違いない。

私は仙台、宮城県に少なからぬ縁がある。義理の弟一家は仙台市に住んでいて妹の墓は同市郊外にある。息子一家も仙台市内で弟たちは南三陸町。テレビ中継に出た南三陸町のさんさん商店街では買い物もした。震災以後の東北でこんな快挙は初めてのこと、最後は涙が止まらなくなった。

今まで本当に大変だったが、今日だけは心から〝東北おめでとう〟と大きな声で言いたい。

祝優勝

今夜強く感じたのは「民の底力」だ。野球がこれだけ盛り上げる。人気取りばかりが目立つ官に無駄はないのか、不思議だがそんなことをひしひし感じた。

過日、初代サントリー美術館の支配人で現サントリー文化財団専務理事のI氏が樹下美術館を訪ねて下さった。
「私立同士互いにがんばりましょう」とは、弱小・樹下美術館には何ともったいない激励だったことか。

ところでお客様ということでは、どういうわけか横浜の方々が時たまお見えになる。本日は5人のグループが寄って下さった。先日は金沢のグループ、そして長岡市や村上市、新潟市のお茶人の皆様が続けて来館された。いずれもわざわざ足を延ばして下さっている。

そして上越は自然と文化と町並みが素晴らしい、と口々に仰る。下越などに行くと同じようなことを突然言われることがある。
小さいだけが取り柄の民・樹下美術館にとって、それはとても有り難いことだ。

それにしても今夜は東北楽天ゴールデンイーグルス、本当におめでとうございました、桁違いですが樹下美術館も頑張ります。
何かとても嬉しい。

「良心と責任のオリンピック」

2013年9月9日(月曜日)

2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。悪条件の中でよく決まったと思った。ブラジルを経て7年などあっという間だろう。

およそ50年前の学生時代、東京に居て同時進行的にオリンピックを経験した。当時の都内はひたすら突貫突貫の日々だった。それに較べ、今日大津波と原発事故が加わり明らかに事情が変わった。国土から漏出した海洋の放射能汚染という前代未聞の敏感な問題の中、よく承認されたものだと思う。

45年間の医者の日常からいうと、家に重病で苦しむ家族がいるのに、祭りだ祭りだとおみこしを担ぐ図式には到底なじめない。。

オリンピックはスポーツの祭典である。しかしこのたびは国際的にも深刻課題となった原発事故を含む震災復興をもう一つの輪として実直に取り組むことが要求される。
実現の可否は「日本の良心と責任意識」に掛かっていよう。

国の良心や責任意識を世界に示すチャンスなど滅多に無い。しかしそれは世界が期待し、開催地決定のカギにもなったものかもしれない。

福島の復旧と復興は支援などという曖昧なものから名実ともに厳格な国家事業となった。
初めからしてして当然であろう。現地と世界を裏切るわけには行かない。

今日の雲今日の樹下美術館上空の雲。朝夕だけでなく日中も涼しくなった。

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