力が伝わらない復興支援。

2014年3月12日(水曜日)

2011年2月下旬からおよそ40日、新潟市知足美術館で小生の「ボタニカルアート展」が開催されていた。順調な出足に見えていた所、3月11日夕刻、仕事場で船に揺られるような異常に長い地震に見舞われた。

千葉のコンビナート火災などから始まったテレビは間もなく宮城県はじめ東北の大惨事を報じ始めた。リアス式海岸の美しい風光の地が信じj難い津波に蹂躙される様子を固唾をのんで見守ることになった。

震災に異次元的な打撃を与えたのは、原子力発電所のメルトダウン、水素爆発の最悪事故だった。

私たち夫婦には宮城県の身内が多い。その夜、音信途絶したままの弟一家が住む南三陸町は壊滅していると知った。
数日してネットに設けられた人捜しサイトで彼らの無事を知ることが出来、間もなく特設の電話所からようやく弟の声を聴いた。

現実,心情とも個展どころではなくなった。
地震当日、現地に降り始めた雪の映像は辛さと寒さを象徴して忘れることは出来ない。

昨夜は食後の数時間、来る個展の絵を描きながらNHKテレビを見た。
痛ましい犠牲者を出した家族の癒えない悲しみ。
根を下ろす場所の定めがつかない人々。
進んでいるのに実の上がらない復興事業。

戦争でもないのに放射能汚染されて苔とカビに朽ちゆく家。
人絶えた道を歩くイノシシ。
避難で全国に散らばった13万人の「戻りたい」率は当初の半分にまで減っている。
関連死の多さなどとともに原発事故は地震とは異質の困難を生み続けている。

被災の中で生まれた赤ちゃんが三才だ。
みな可愛い顔をしている。
沢山の亡くなった人の力を借りて生まれた子、とお母さんが言った。
お誕生日祝いは日をずらしている、とも。

〝大きな希望が示されて、新しい国を一つ作るほど力が注がれ、初めての州を
誕生させるくらいの復興〟

当時新潟市の個展会場に向かう高速道路で、多くの支援車輌を見ながらそんな願いを抱いた。

鵜の浜温泉の夕陽昨夕の鵜の浜温泉。月のように静かな夕陽。

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