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今年の展示から1・「カリカチュア風な倉石隆」 スプリングソナタのSPレコード。
今年の開館を迎えた本日、寒い一日でしたがおな
じみの方初めての方々にご来館頂き有り難うござ
いました。
開館に際し展示作品について簡単ですが説明を試
みたいと思います。
2017年絵画展示「カリカチュア風な倉石隆」
倉石隆は人物(人間)を描くことをライフワークとし
ました。
人間は生き物として共通部分をベースに、生まれ持
った個性と環境、経験など個人的な要素が加わった
複雑な存在です。
さらに人間を描く事は自分を描くことにもなろうと思わ
れ、いっそう困難もあったことでしょう。
氏は具象の画家でしたが、時に風刺画や戯画風の
表現で描きました。これらは一種カリカチュアと称さ
れる範疇でありましょう。
このたびは氏の作品からそのような雰囲気を有する
ものを選んで架けました。
●それでは会場左から
「(熱情)」 1987年 18,0×13,8㎝
身体の不自由を強い意思と感情が支えているお年
寄りを描いた小さな作品です。宝くじ売り場にいた人
に惹かれて描いたようだと、夫人からお聞きしました。
エゴン・シーレ風な荒々しいタッチで素早く描かれて
います。
「男の像」 1955-1960年 90,9×72,7㎝
大きな身体にごく小さな頭部が乗っています。顔は
悶々としていらだち、身体と手を持てあましている風
です。
上京したある期間、全く描けない時期があったそう
ですが、そんな日々の焦躁を描いたと思われます。
しかし薄い黄色にそこはかとない希望が感じられま
す。事実このように筆を執り始めたのですから。
「めし」 1953年 33,0×24,4㎝
前者よりも前の小さな作品です。
魚の骨だけの皿が粗末な食卓に乗っています。茶碗
とハシを差し出した男が「もっと!」と叫んでいます。
1950年に上京した倉石の当初、部屋には机の代わり
にリンゴ箱が一つという時代が続いたそうです。心身
ともに飢えていたに違いありまません。
いらいらする赤の下地を鎮めるようにグレーが乗せら
れています。

「(人生)」 1957年 90,9×72,7㎝
やや大きな作品ですが、どんな事を描いているのでし
ょう。首から何かを下げた売り子のようにも見えます。
野球が好きだったという氏が球場でこのような人を見
かけたとも考えられます。
懸命に生きるほどに人生は時として醜さや滑稽さが滲
むのを経験します。
側面をこの人物に投影したように思われます。
客様がいました。
※題名の( )は、1995年新潟市美術館の展覧会の際
に付けられた仮のタイトルです。
ソナタ”のSPをお客様が持参された。
蓄音機に乗せるとリリー・クラウスのピアノが明るくリー
ドしてカフェに流れ、居あわせたお客様とひと時を過ごし
た。
はとても優しかった。
二代陶齋 齋藤尚明氏を訪問 間もなく妙高市で作陶展。
昨日夕刻、上越市は高田寺町の齋藤尚明氏(二代
陶齋)をお訪ねした。
不思議な事に訪問は寒い時期ばかりで、いつもスト
ーブを囲んでお話する。
昨日は色々写真を撮らせて頂いた。
↑展示室と仕事場へ向かう通路。田舎風また大陸的
で非常にダイナミック。
↑仕事場(ろくろ場)。
向こうにあるのは酒瓶ではなく成形をする道具です。
↑素焼きの後乾燥中の作品。これからうわぐすりを掛け
たり、絵付けなどを施して再度焼いていく。
↑先代が築いた登り窯を説明する尚明氏。
最初の窯は昭和23年で当窯は昭和50年に完成。
火を入れ窯を乾かし温めてからの二晩は、不眠不
休で薪を焚き続け、窯全体を最大千数百度にも熱
して器を焼き上げた。
陶芸は格闘家の如き体力と、創造の感力知力の限
界に挑む総合芸術。
↑窯場に貼ってあった大原三千院のお札。
面白いが魔除けではないだろうか。
↑トイレの前に掛かるのれんは「此の男云々」の文
に椿が入った壺の絵がある。
氏は博識なので当館満十周年行事に関すること、
図録の事、焼き物の事、世間話などなど、必ず長
居になる。
夜ならば日をまたぐこともしばしば、本日は美味し
い珈琲とお菓子を頂きながら4時間過ごした。
今月、3月10日(金)~13日(月)まで妙高市西条
438-1「かんずり」本社2階で氏の作陶展が開催
される。
(有)「かんずり」のお電話 0255-72-3813
↑作陶展の案内。
唐辛子を網状に繋げた「色絵唐辛子繋文水指」(い
ろえとうがらしつなぎもんみずさし)のデザインは非
常に斬新で美しい。
この様に精緻な仕事が出来るのは尚明氏くらいで
あろう。
寒さ緩みお天気は回復に向かうようです、多くの方
に足をお運び頂きたいと思っております。
新潟市西大畑界隈
昨日午後所用で新潟市は西大畑界隈を訪ねた。
↑新潟市立美術館で同館発行「全所蔵品図録」を求めた。
外国作家ではボナール、クレー、レジェ、ピカソほか網羅
されているが、カリエールの充実は特に目を引く。
国内は新潟県出身者はじめ主要な画家が収蔵されている。
時代を築いた作家たちの基礎への傾注と新しさへの挑戦
の足跡が横溢する一冊。
↑1995年に開催された倉石隆展にちなみ、氏の作品19点
が収められている。ほしいなあ、と思うものが何点もある。
↑行形亭(いきなりや)と旧齋藤家別邸が続く一角は新たに
石畳が設えられ、さらに格調高くなっていた。
↑用が済み、近隣のイタリアンレストランでランチコースを
食した。
店の名は「ネルソンの庭」。イタリアンでネルソンは珍しい
ことだが、イギリスの人、ネルソン提督へのシンパシーか
ら名付けられたらしい。
いずれも美味しい前菜、パスタ、デザート&珈琲で1500
円はリーズナブル。
庭にイングリッシュローズが咲くという店は最大100人の
ゲストが可能だという。バラの季節にも来てみたい。
↑雛飾りの展示期間に入った新潟市。旧副知事公舎だっ
たというレストランの一角に和室が保存されている。
北洋漁業で財をなしたという田代家のおひな様が飾られて
いた。
海運、港湾、米で発展した新潟市は各所に往時の面影を
保存しようとする気運を感じる。
西大畑界隈には、會津八一終焉の地に建てられた北方
博物館の新潟分館、および旧日本吟行新潟支店長役宅
である美術館・砂丘館もあり、辺りは風致と歴史、文化が
結び付いた爽やかな一角になっている。
西日本の寒波 芸術のジャンルと時間要素。
間もなくバレンタインデー、私を哀れんで義理(義務)チョコ
を下さる方がまだいらっしゃって喜んでいる次第です。
さて寒波が日本の西南をいたぶり、所によって一日の降雪
が7,80センチもあり、明日も同じように降るという。
内陸とはいえ広島県などの話であり、鹿児島でも積もったと
報じられていた。
鹿児島で雪にはしゃぐ学童たちがとても楽しそうだった。
そういえば5年前、九州を訪ねた折、ふと入った佐世保の外
人バーで「ここで雪が降ろうもんなら朝からみなハイテンショ
ン、一日大騒ぎになる」と聞いた。
この度は佐世保も降ったのだろうか。
それに引き替え、本日の当地は良く陽が射した。問題の寒波
は明日からだという。
昼に近隣の水田を走ったが、日射しに強さが感じられ雲白く、
良く澄んだ青空が見られた。
明日一転して荒天になるとは信じられないが、予報通り変
わるに違いない。
変わると言えば、音楽では時として穏やかな音調が一瞬の
間の後、突然ティンパニーの連打と共に大音量の荒々しさに
変わるのを不自然とも思わず聴き留める。
日頃、不当とも思われる突然の不運や災害を経験している
ので、音楽の大暗転でも違和を感じず付いて行けるのだろう。
(また名曲はその変化に違和を感じさせないよう巧みに作ら
れているともいえる)
これらの突然性は文学にもあるが、絵画では難しい。
表現に時間軸が入りにくいので画面を分割するか、重複など
を交えて描かせざるを得ない。ダリはそれらに挑戦していたし、
現代の表現芸術には時間を意識させる作品も少なくないが、
突然の暗転などは危険を伴いかねない。
一方絵画は途方も無い静止時間が可能だ。
音楽でも突然の中断の試みはあり、それによって音の断面を
表出させたり、無音に意味を持たせる試みもある。だが中止を
別にしてそうそう長い静止は出来ない。
何十年何百年も場面を静止させたまま、込めた思いを訴えたり、
愛されることが出来るのはやはり絵画ならではだろう。
だがそれだけの意味や価値を作品に持たせるのは容易でない
ことは想像に難くなく、画家の苦労や悩みも分かる。
それでも芸術のジャンルごとに表現と価値の違いを考えなが
ら観たり聴いたりするのは楽しいことだ。
互いの本質的な相違は明瞭だが、創造性のほか私たちの日
常や経験と応答し合える点で共通しているのも確かであろう。
(ちょっとチンブンカンブンなことを書いたかもしれません)
チェコ・フィル・ストリング・カルテットの演奏会 おかわりをしたエスプレッソ。
午後、上越文会館でチェコ・フィル・ストリング・カルテットの
演奏会があり孫も入れて5人で聴きに行った。
「これが効きたい!アンコール“超名曲”ベスト20」とストレー
トに銘打った楽しいコンサートで、お子さん連れの方達が大
勢来場されていた。
前半はトルコ行進曲、 エリーゼのために、 トロイメライ、
乙女の祈り、剣の舞ほか10曲、後半は天国と地獄、ドナウ
川のさざ波などのほか、ミッシェル、A列車で行こう、など10
曲、アンコールにウイリアムテル序曲ほか2曲、計22曲も
演奏された。
おなじみのプログラムだったが、名オーケストラの主要な団
員による心込められたアンサンブルはとても楽しめた。
なかでもミッシェルのきめこまやかな和声と揺らめくような旋
律がおしゃれで、酔い心地へといざなわれた。
チェコ・フィルは先日亡くなられた関根日出男さんをして、チェ
コの音楽と文学へと導いたオーケストラ。
人の死には不思議な符合や因縁が潜むことがある。
予め買っていた切符だったが、先生の逝去との因果を感じな
いわけにはいかなかった。
さて聴き終えてみなで食事。デザートでバチバチと灯が点い
たケーキプレートが出てきて、私の誕生日の祝いということ。
4日後の前祝いらしかったが、突然の事でびっくりした。
ここのキンボのエスプレッソは美味しいうえ、びっくりしたので、
ついおかわりをしてしまった。
孫たちが朝日池の白鳥を見たい、というので明日、日の出前
の雁のねぐら立ちも見てみようと約束した。
クリスマスイブの夕 ジャボニズムの器。
時折のみぞれをまじえて雨が止まなかった本
日はクリスマスイブの日だった。
子供時代や若き日はともかく、今それは特別な
日ではなくなった。
年を取ると何故か特別ということが面倒に感じ
られ、同じであることが有り難くなる。
それどころか変えない事を維持することには、
努力も価値も存在し、成長さえ期待出来ると思
うようになった。
今夜は聖夜、多くの人が祈っているに違いない、
夜には風雨が収まりとても静かになった。
↑今夕刻のカフェの絵「午睡」(篠崎正喜氏作)。
女性が居眠りし、外で男性が飛行機のおもちゃ
を持ちガラスの毬をついて待っている。
↑食後に食べたケーキ(お世話になっている
キャラメルさんの品)。
↑使った器は1880年頃の英国はアダレイ社の
もの。
壊れそうなほど軟らかで、時代の跡も見られる。
この器の年代は先日観たゴッホやゴーギャンが
が懸命に制作した時代であり、ヨーロッパは浮世
絵などのジャポニズム文化がブームだった。
上記のカップ&ソーサーとケーキ皿のセットにも
梅の枝や巻物のようなものが描かれていて、日本
趣味が窺われる。
↑「ゴッホとゴーギャン展」で購入したゴッホの
「グラスに生けた花咲くアーモンドの木枝」の絵
はがき。
1888年3月、アルルに移って間もなくの作品。
アルルを「ここはまるで日本のようだ」と喜び、
自然の隅々に眼をやる日本人の生活と精神に
思いを馳せ、感嘆している。
当作品は大好きな日本を想いながら描いたも
のと考えられ、春の陽光と花に幸福感が漂う。
いよいよ今年の樹下美術館も明日一日を残す
だけになりました。
「ゴッホとゴーギャン展」から。
今年の閉館まであと5日、ゴッホとゴーギャン展を
観てから5日が経った。
去る18日に終了した同展の東京都美術館へ、15
日午後急いで行ってきた。
偉大な芸術家について書くのは、気が引けるがなに
がしかは書かなければならない。
↑展覧会カタログ表紙はゴッホの「ゴーギャンの椅子」。
去って行ったゴーギャンが残した椅子を敬意と
愛おしみを込めて描いている。
強い個性の二人は1880年代に南仏アルルで共
同生活を送っている。
冒険的な試みは、3ヶ月経ずして終わるが、議論
を重ねた日々は1世紀も過ごしたように感じるとゴ
ッホが述べている。
展覧会では、決定的な別れをする二人の互いへ
の敬意が作品をもって示されていて、お土産のポ
ストカードなども買って、ほっとため息をついて美
術館を後にした。
資金難に苦しみながら描き続けてた二人の絵画
は、しかし素晴らしい魅力を放つ。
暗い館内で観た南仏のまばゆさ、迫り来る人物画、
可憐なアーモンドの花の一挿し、それらに見られた
ゴッホの心の波と情熱は忘れ難い。
ゴーギャンはゴッホより詩的であり、力強い平面と
赤が心地良く脳裏に残った。
二人は逃れがたいキャンバスの二次元の上に如
何に三次元の世界を、あるいは異次元の物語を載
せるかで悩む。
しかし自然の外気とジャポニズムあるいは同時代
の人々の手法を手がかりに苦闘しついに成功した
のではないだろうか。
わけても浮世絵版画の潔い二次元性は、平面表
現として少なからぬヒントになっていたと思われる。
特筆すべきは二人の異国への強いあこがれであり、
ゴッホの日本に対するリスペクトは尋常でなく、同
一化を願うほどであり、ゴーギャンのそれは南国の
原始性なかんずくタヒチだった。
芸術家の探求にとって新鮮さと刺激、そして憧れは
どんなに貴重だったか、ことごとく知らされる一方、
何処へでも行けて何でも触れ得る現代の画家たち
は何に動機づけられ、熱中するのだろう、と考えさ
せられた。
↑二人の絵はがき。
上はゴッホ「泥炭船と二人の人物」で暗いがと
ても安定感があり、下のゴーギャン「ブドウの
収穫、人間の悲惨」は不思議でかつ魅力的な
作品。
(恥ずかしながら私の唯一の海外旅行は40年
前、ゴーギャンへの憧れによって、タヒチでした)
ゴッホと言えば「わだばゴッホになる」と述べた
とされる棟方志功が浮かぶ。
時代は異なるが、棟方はゴッホが憧れて止ま
なかった日本人のしかも版画家であり、運命的
な関係を感じる。
ゴッホは心を、棟方は眼を病んでいるが、時間
の位相は異なれ、ともに芸術家として成功して
いる。
二人に共通していることの一つに手紙がある。
ゴッホは、弟テオやゴーギャン、そして周囲に常
に詳細な手紙を書いている。
それは芸術や医学においても貴重な資料であ
ろう。
棟方も熱心に手紙を書き、上京後の赤貧生活に
於いても切手とハガキだけは必ず手許にあった、
という。
手紙、日記、研究、心の平衡、書くことには何らか
意義があり、次元は低いが拙ブログもなるべく続け
たいと願っている。
展覧会を熱心に勧めて下さった方に感謝していま
す。
午後の半日をゴッホとゴーギャン展の上野へ。
午後休診の木曜日、過日の上京で時間が足りず
見逃した「ゴッホとゴーギャン展」を見るため東京
都美術館へ行った。
本日遅くなったので行き帰りに撮った写真だけ揚
げさせて頂きました。
(カメラはキャノンパワーショットSX710HSでした)
↑長野駅にあった金沢医科大学の大きな紹介看板。
長野県には信州大学医学部があるが、他県の医大
の紹介に寛容なのは学問の県、長野だけの事があ
る。
より金沢に近い上越妙高駅にもあってしかるべきも
のだと思うが、宛にされていないのか残念。
↑昭和33年の上野駅開設75周年記念に設置さ
れた構内の彫刻「三相 智情意」像。
彫刻家、朝倉文夫の作品で氏の生誕が同じだった
ことなどから置かれたという。
数え切れないくらいこの像の脇を通ったはずだが、
本日初めてまじまじと観た。
強く大らかでバランスが良く、自由と希望の昭和の
気風を静かに放っていた。
先回、加齢のぼやきを書いたばかりだが、この像に
眼が行ったのは年を重ねた賜物かもしれない。
展覧会を見終わって歩いたお花見で賑わう通りのイ
ルミネーションがきれいだった。
アメ横の賑わい。アジア系の旅行者が半分はいるの
ではないだろうか、すっかり外国のようだ。それがまた
いい雰囲気になっていた。
東京駅八重洲口の100メートルはあろうかと
いう巨大なスクリーンに投影されているおとぎ
話のような映像の一部。
今月18日に終わる都美術館の展覧会は賑わ
っていて20分ほどの行列に並んだ。
ゴッホとゴーギャンは印象派→後期印象派の
大うずの時代にあって、劇的なまで命を削って
自己の絵を追求している。
特にゴッホにこそ憧れて止まなかった当時の
日本に来てもらいたかった。
そうすれば耳も切らず、ピストル自殺もせず、
どんなに幸せだったかと、無理を承知で空想
した。
後日展覧会のことを少し書いてみるつもりです。
素人の域を超えるお蕎麦 五智三重の塔に彫られた中国二十四孝。
ご近所の蕎麦打ちが上手な方から毎年逸品を頂戴
する。
注文が入るほどの腕前で、私たちも毎年申し込む。
今年はいつもよりやや太めにしたというが、さすがだ
った。
さて昨日土曜日午後、五智国分寺三重の塔を
再訪した。
前週に出かけたものの時間切れ日没になったた
め、今回塔に施された干支の彫刻の残りと第2
層にある中国二十四孝の彫刻を撮った。
二十四孝は儒教で説かれる二十四の孝行物語
であるが、塔には一方3作、合計12の彫刻が施
されている。
いずれの作品も涙ぐましいほど努力をして行わ
れる親孝行の説話の場面が彫られている。
遠目にははっきりしないが、撮ってみると高田の
名工石倉正義の彫刻は表情豊かで、木目を美し
く活かした繊細な彫りは秀逸。
以下に24話の中から幾つかを掲載してみた。
↑母に死なれた黄香(おうこう)は夏になると父の
枕を冷やし扇であおぎ、冬は布団に入って温めて
やる。
↑山中空腹の虎に出会った揚香(ようこう)は、自ら
の身を差し出して親を助けようとし、心打たれた虎は
引き返す。
↑貧しい郭巨(きょかく)に子が出来ると祖母は自分
の食事あたえてまで可愛がった。
これでは祖母は死んでしまう、子はまた作ればいい、
と言って泣く妻を説得すると、子を埋めてしまおうと穴
を掘る。
すると金の釜が出てきて夫婦は子を抱いて家に帰る。
↑舜の一家はひねくれ者や頑固者や怠け者ばかり
だったが、一生懸命働いて親孝行をした。
ある日田を耕しに行くと象が現れて手伝い、鳥が田の
草を取って助けてくれた。
これを聴いた天使は自らの位を舜に譲る。
↑江戸時代末期の版画家・歌川国芳の「二十四孝童子鑑」
から舜の親孝行(ウィキペティアより)。
さて私は知らなかった二十四孝にはほかに、魚が
食べたいという母のため氷った川に裸で身を伏せ、
氷を解かして魚を捕る話、蚊に悩まされる親を救う
ため、裸の体に酒をかけて蚊を集め、自ら血を吸
わせ親を守るなど、現実離れした孝行話が集めら
れている。
説話は中国はおろか儒学が盛んだった江戸期の
日本においても絵図とともに教材的に教えられた
ようだ。
国分寺三重の塔建立の江戸末期ではまだ一般に
馴染みの寓話だったと考えられるが、明治に入る
や文明開化と学問の人福澤諭吉は、例を挙げて道
理に合わないばかげた話と批判している。
二十四孝は極端だが、育て育てられた者同士の情
の通いは、支障を越えようとする根源を有している
こともまた事実であろう。
“良いお年を”の季節 素晴らしかったオーケストラアンサンブル金沢の上越公演。
12月の足が進む。
本日、在宅の回診で「先生も良いお年を」と言われた。
暖かな気持ちを感じながら、あと少し、今年も大禍なく
過ぎて、とかえって気持ちが引き締まる。
仕事が終わって慌てて上越文化会館へ向かった。
18:30からオーケストラアンサンブル金沢の公演がある。
1988年創設当時、日本初のプロによる室内オーケストラ
としていっそう金沢市と石川県の名を全国に知らしめた。
創設間もない頃一度聴いたことがあったが、当時より
団員数、音ともにスケールアップされたように写った。
1.歌劇「どろぼうかささぎ」序曲/ロッシーニ。
勇壮なマーチ風の序曲は左右の小太鼓の連打が本
日の開演をも高らかに告げる。
2.ピアノ協奏曲第26番ニ長調「戴冠式」/モーツア
ルト。
今日人気実力ともに日本を代表するピアニスト・菊池
洋子さんを迎えてのコンチェルト。
繋いでは離れ、離れては出会う両手、スケールを追っ
て鍵盤を走る指が流麗に音を紡ぎ、フィナーレまで耳
を捉えて放さない。
2’アンコール ワルツ/ブラームス
赤いドレスをまとったすらりとして美しい菊池さんは本
当に優雅で滑らか、ステージにふわりとワルツを浮遊
させる見事な演奏だった。
3.歌劇「ウイリアム・テル」序曲/ロッシーニ
チェロのソロから6人のチェロパートへ、低音部が朝を
告げて始まる序曲は、嵐、牧歌を経て勇壮なギャロッ
プへと高らかに入って行く。
各部は映画、ドラマ、アニメ、コマーシャルなどを通し
てさまざまに耳にしていたが叙事詩的序曲を全て聴く
のは初めてであり、とても幸運だった。
4.交響曲第36番ハ長調「リンツ」K425/モーツアルト
結婚の報告で故郷ザルツブルグに滞在の帰路、リンツ
の伯爵家の歓待に応え、わずか5,6日で仕上げたとい
う交響曲。
金の波銀の波、金の渦銀の渦、寄せては返す音の芳
醇さに圧倒される。
ビロードの音と称されるオーケストラアンサンブル金沢。
年の終わりにふさわしい豊かな音楽で心満たされた。
40人もの演奏家が来越して披露した素晴らしい演奏、
もう少しお客様が入っていればと、いささかの残念を禁
じ得ない。
切符を世話して下さったKご夫妻、本当に有り難うござ
いました。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 頂き物を食べる。
- 山海の幸。
- 旅行の最終日5月6日は酒田市の土門拳記念館、昭和時代の人物写真。
- 秋田県の鳥海山 由利高原鉄道「おもちゃ列車」。
- 秋田県側の鳥海山 にかほ市から。
- 鳥海山の前に酒田市は本間美術館へ。
- 5月4~6日まで秋田、山形へ行って来ました。
- 分校時代の出来事その2 バスにさらわれる。
- 分校時代の出来事その1 お弁当コロコロ。
- 『朧月夜(おぼろづきよ)の思い出。
- 関山周辺の春 齋藤尚明さんご家族。
- 三日間で二回のゴルフは優勝と三位だった。
- 貴重な人 窓辺のラベンダー。
- 庭と遊ぶ落花 楽しい事には心配が尽きない。
- 春の庭、よく名を尋ねられる花三種。
- 今年も咲いたカラタチの花。
- のどかな山桜、足許のすみれ草。
- 三冊の図書。
- 強風の日。
- 庭仕事と読書は似ている 新堀川の自然な桜。
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