明け暮れ 我が家 お出かけ
級友を亡くす、「Stormy Weather」と「Again」。
不合格だったある大学受験の試験場で、言葉を交わした関東の名門校の生徒。次の学校の二次面接でまた出会い、順番が私の前だった。今度は共に合格したが、卒業までの6年間、イニシャルが同じだったため教室では最後まで前後の席で過ごした。
運動能力が高く体育の時間に野球をした時、次々と長打を放った。軽く振っても遠くへ飛ぶのである。何故か気が合い、卒業まで軟式テニスと音学部を一緒、互いの家や下宿を訪ね合い、冬はこちらへ来てスキーをした。
多くで彼に叶わなかったが、組織や病理のスケッチなどは私が少し上。しかし二人の間でそんなことは一つも話題にならなかった。
卒業後は別々の科に入り進路が別れた。専門分野でよく勉強し働き、人望厚かったらしい。
たまに同級会や部活OB会で会うだけになったが、遠く離れた地域で同じ時期にそれぞれ医師会長を引き受けていたのには、やはり不思議な縁を感じた。
今冬その彼から部のOB会開催の知らせを受けた。
それが一昨日、密かに進行していたという病で亡くなったと知らされた。
早口の声がまざまざと耳に残る生き生きしていた人間がなぜ?
どうしても納得できない。
ただ悲しく涙が出た。
レナ・ホーンの「Stormy Weather」
互いの家の行き来で彼はギター、私はウクレレを手にスタンダード曲のソングブックを開きながら歌った。
ある日、突然私の知らない「Stormy Weather」を歌い出して驚いた。だが途中から形式などもややこしくなり、あれこれやった後あきらめたのを覚えている。
上の動画をみると、難しいどころか長すぎて手に負えないのがよく分かる。諦めて正解だった。
頭の回転が良く、いつも読みが正しい。多才で運動神経抜群。女性にモテ、毒が無く人間らしい人物だった。
次の易しいコードの「Again」を聴いてくれると嬉しい。
ゴードン・ジェンキンスのオーケストラで「Again」
万一あの世で会えたならまた同じクラスにしてもらいたい。
「アハハ、待っていたんだぞ」と言いそうな気がする。
シジュウカラが庭の灯りに営巣 カワラヒワとスズメ 蕗を採った妻。
温暖だった木曜日、運動不足の解消にと午後、美術館の庭に出た。するとシジュウカラがしきりに警戒音を発している。近くに巣があるのではと思った。
ツーピー、ジュジュジュジュッ、ジュジュジュジュッと激しく鳴く。
付近に巣がありそうな場所が二カ所あった。その一つが庭灯だ。以前のブログを見ると2016年4月24日に、庭の西側の灯りに空いた穴で営巣したシジュウカラの記事がある。
今居る場所は家のアプローチで、脇に同じ形の灯りがある。今年はこれを使うのかと想像し、離れて腰を下ろしてカメラを向けた。
するとやってきた。
以前の営巣はヘビやネズミがいるかもしれない雑木林の地上近く。当時何故ここにと非常に不思議だった。この度は道路から家に出入りするアプローチのすぐ横で、公道も近い。
人の気配がある分、こちらの方が卵やヒナを襲う動物を避けられそうだ。過日テレビで、思わぬ所に巣を作るシジュウカラのことを放映していた。郵便受けや伏せた植木鉢での子育てに驚いた。
本日餌が運ばれても巣からヒナの鳴き声は聞こえなかった。生まれたばかりか、あるいは抱卵している親鳥に餌を運ぶようなこともあるのか、巣は静かだった。これからはそーっと通り、いずれチーチーと聞こえるであろうヒナの声を楽しみに、沢山の巣立ちを期待したい。
シジュウカラを待っている間、カワラヒワが近くの枝にやって来た。
今冬は雪が無く暖かったため、早くからモグラが庭で大騒ぎしている。お陰で沢山植えたチューリップの球根が9割がた食べられ、哀れにも枯れてしまった。茎を引っ張ると球根が無く、スポッと抜けるのである。こんなことは初めてであり、とても驚いている。芝生にも入っているらしく、軟らかそうな場所を踏みつけ、全体に撒水した。
いつも学童の自然観察日記風な記事ばかりで、美術館館長らしくないブログだなあ、と思っています。どうかお許し下さい。
小学二年生による「森のトマト畑」の感想文
1982~83年頃、こどもたちのために書いてみた「ばいきんきち」をその1およびその2、続いて「森のトマト畑」その1,その2を二回にわたり掲載させて頂きました。
当時小学2年生の娘がそれを学校へ持参しました際、担任の先生が生徒さんたちに読み聞かせをされ、後日森のトマト畑について、クラス全員による感想文が届けられました。劇にして楽しんだ写真も添えられ、大変恐縮しました。
綴られた31名の感想文。
いずれも文には絵が描かれていて、生徒さんの感受性に刺激を受けたのを思い出します。
おおよそ40年前の皆様にあらためて感謝し、中から幾つかを紹介させて頂きました。
「この本を読んでいただいたら、わたしもそのトマト畑にいきたくなりました。森のどうぶつたちは、なかよしなんだなあ、と思いました。からすはがんばりやだと思いました」
「とってもおもしろいお話でした。ぼくは、からすがほんとうに太陽をもってくるかと思いました。ぼくはピーマンと、トマトがきらいだけど、きゅうしょくででたらぜったいたべます」
「太ようと、みんなトマトをまちがえていて、カラスが「それは太ようではないんだよ」といってもかなしくなかったから、よかったなあと思いました。
「先生が、この本を読んでくれた時わたしは、とってもすてきな本だなあと思いました。りすたちは、トマトを太ようとまちがえてずっと太陽を見ていました。わたしもまちがえたらずっと見ているところでした。この本を書いてくれた人、ありがとうございます」
文では、カラスが正直に話し、みんなに責められなかったこと、ウンチの種が芽をだすこと、人間がクマと話をすること、太陽とトマトが同じか?ということなどへの興味が沢山書かれていました。
以下文に付けられていた絵の一部です。
文・絵とも一生懸命に書かれています。全部をお載せできなくて残念です。
三密 淡交 自分を消す。
長年どちらかというと賑やかな所は苦手で静かな場所と時間が良かった。
30代のころ、近しい人が、春の連休の軽井沢について〝まだ賑やかではないのでイヤだ〟と話した。
アララ、春の軽井沢は静かで新緑、それなりに良いのに、と思ったが、人の好みは如何ともしがたいので、〝そうですか〟とだけ言った。同じ一万円でもお札1枚より一円玉1万個を喜ぶようなものかな、と思った。
そんなわけで外出となると近郊の静かな里また里山、柿崎海岸あるいは自然公園などで十分楽しめている。ましてお隣の妙高、柏崎や糸魚川の市へ出かけたならば旅情十分で、自然も風物も外国へ来たように心奪われる。
慣れた所も季節ごとに花鳥風月は異なり、毎日毎分雲と日射しは変わる。ましてカメラを持参するようになってから、なにかしら初めての草花や鳥に出合えるようになった。さすが連日は飽きるが日を変えれば基本同じ場所で一向に差し支えない。
もしかしたら自分は忘れっぽいので何を見ても面白いのかな、と思うことがある。ほかに迷惑をかける事でもないので、まあいいか、と深く考えないでいる。
そもそもこの年になると〝ある程度健康であれば生きているだけで満足〟という道理も働くのだろう。
「三密」
世が世なら、これは空海が説いた「身」「口」「意」、三つの本意(加持)だった。それで字面をみれば宗教的あるいは哲学的な雰囲気を漂わす魅力的な文言に見える。だが今日、新興感染症対応の基本として登場したのは密閉、密集、密接を三密として避けようと、いうもので偶々同じ文字になっただけのことである。
さてよく見れば現三密を避けるのは、親友もいない、酒も飲めないことなどから、およそ自分の性に合っていると捉えている。ただし密閉から開放され静かな戸外へ出ることだけは許して貰いたい。
普段仕事上密接する機会は多く、今日皆様とは相当距離を意識するようになった。逆に皆様の方から私との距離を置こうとされる態度に接することがあり、三密の行き渡りに感心している。ただ三密の励行は行政の力などではなく、ウイルス自身の強大さがさせるものであり、そのことだけは肝に銘じなければならない。
はたしてこれが何時まで続くのか、以前触れたように当面新しい文化として親しむことになりそうだ。
「淡交」
昭和62年初夏に入門した裏千家茶道の同門組織に「淡交会」があり、不肖永久会員の末席を汚している。人との距離、あるいは密接度に関して良い言葉がある。
〝淡交会」とは、十四代家元淡々斎宗匠の斎号に因み命名されたもので、荘子の「君子之交淡若水」 (君子の交わりは、淡きこと水の若し)に典拠するものです。
淡々としてあたかも水が流れるようになにごとにも執着せず、 どんなときにも感情に流されない平常心の交わりを意味し、茶禅一味の精神を根本とします。」、とホームページにある。
人はじめ万物との交わりについて述べられているのだろう。原典には続きがあり「小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)のごとし」と述べられるので、淡きことの価値がいっそう分かりやすくなる。
ところで世間には、ある種の話題になると反射的に激しい感情を込めて人や他国を非難する人がいる。見ていると喧嘩そのものとして写る。
自分を愛する余りであろう、心中休むことなく喧嘩が行われているのではと想像される。ご自分の正義とはいえそのような言説を耳にすると、立派な人なのにと、悲しい気持ちなる。
この点禅味が原点の淡き交わりは理にかなっている。
一昨年4月、お家元がお正客の八畳間の席でお点前をさせて頂く機会に恵まれた。
所作を分けたり繋げたり、人にも観ててもらったり、イメージトレーニングを入れつつ徹底して稽古をした。
最後の方になって、良いお点前とは〝自分が消えてしまうこと〟ではないかと気がついた。すべてそのための稽古だったのかと振り返った。
心配をよそに本番では、水のごとく淡く振る舞えたやに思われた。その時不思議な有り難さで夢心地さえ去来し、あとで家元から暖かなねぎらいを受けた。
但しもう一度それを行えるかと問われれば、今後の稽古(修業?)次第としか言えないのが情け無い。
さて、以上何からこのようなことを書き連ねたのかよく分からなくなりました。昨日日曜日は頸城区にある「大池いこいの森公園」へ出かけた事、それを三密の一つとして言い訳をしたかったからのようです。大変長くなりました。
当日の花鳥などの写真は次に掲載させてください。
頸城野の道。
薄曇りの午後休診日、
車を駆って頸城区は茶臼山公園の東を通過する林道を走ったり歩いたりした。新型コロナウイルスに巻き込まれているうちに、野は芽吹き新緑の装いを始めていた。
美術館からほど近いこの道は、さして高くもないが山道の風情があり、舗装もされている。花を、よしんば鳥にも出遭いたいと思って出掛けた。
小さな谷あいのユキツバキ。
五枚の花びらに楽しい変化があり、茶席でも喜ばれる。
遠慮しないでばっと開くのも良い。
初めて見たきれいな色の小さなスミレ。
名が分からなかったが、初対面なので訊くわけにもいかない。
み道はおよそこのような感じ。
途中で来客の知らせがあり、引き返した。
客人はとても趣味の良い人で樹下美術館の常連さん。コロナの四方山に茶道具や棟方志功、あるいは作品の真贋のことなどを話して清々しく過ごした。
いつもより互いに離れて座るのは、それとはなしにコロナを意識しているせいであろう。
客人を見送って、新堀川の桜を見た。
(フラッシュを焚いています)
林道の帰りがけ期待したエナガの小さな群が枝から枝へ飛んだ。素早さに追いつけずうまく撮れなかった。
今朝の雪より驚いたこと。
今朝がた突然雪が降り驚いた。午後の在宅回りでは、少し海岸から離れると雪は見られず、海沿いだけ帯状に降ったらしい。
さて雪よりずっと驚いたのは昨日首相から発せられた小中高の一斉休校の一声だ。
いま行う全ての対策はこどもを学校に通わせ続けるために行うくらいの覚悟が必要なはずである。学校や教育はそれほど貴重で、社会の最上位レベルにある。
それをこうもあっさり止(と)めてしまうとは何なのだろう、本当に驚いた。
昨年夏から始めている机上の一枚メモ。
昨年8月19日から、pcのキーボードの手前に大きな白紙を一枚置いてメモとして使い始めた。
大きめのカレンダーの裏を二つ折りして用い、12月末には両面を書き尽くした。一般のメモ用紙や手帖と違い、出し入れしなくて済み、座った目の前にあるので気楽に書ける。また、かなり以前の用件や覚え書きがそのままなので脈絡が分かりやすく、何かと便利だった。
当日日付(12月28日)を付けて新しくした紙。
新しいカレンダーは小さめだったため片面のみ用いた。
その紙が本日このように一杯になった。
黒ボールペンの上から赤いマーカーで書いたり、下線を付けたりした。
道真公や天神様、訪ねた鎌倉のこと、新型肺炎など色々書いてある。
これまで身の回りで工夫してみたものの中では長続きしている机上のメモ。終了後、書き付けた英単語で覚えられそうなものや、面白い名詞などは手帖に写す。
雑多に書かれた文字や短文は、何らかの必要があって一度は頭を通過したものだ。書き終えた紙をあらためて眺めると、自分の脳を拡げて見ているようで、その拙さに少々がっかりする。
但し新しい紙はやはり気持ち良い。恐らくあとふた月足らずでこれも終わることだろう。新型コロナの件が好転するような断片が現れることを期待している。
今夕江戸っ子ご夫婦と。
今夕お二人とも江戸っ子のご夫婦と食事をした。
清々しく傲らず、教養・経験とも十分で楽しいお二人。上越地方が好きと仰り再訪され、光栄にもひと時を共にさせて頂いた。
楽しく美味しかった上越市寺町は長養館のひととき。
美しい雪吊りの庭にはちゃんと雪が残っていた。
直江津の花火、鵜の浜温泉の人魚像がいいと仰り、有り難いことだった。
誕生日。
昨夜半12時過ぎて寝る仕度をしていると元気なトーンで、○○才おめでとう、という妻の声。
本人は祝っているつもりであろうが、私としては何か良くないことを宣告されているようで、例年なんとも言えない気持ち。
いよいよ今年、父親が生きた年令を歩むことになった。
父も私も同じ誕生日なので、時々互いの年令を重ねて何とはなしの思いを巡らせてきた。
以下いつものことで申し分けありません、妻が用意した精一杯の夕食です。
1月生まれは目出度い、3月生まれはもう春、その間で2月はブルブルと寒い。それで2月生まれの人に会うと寒い月に生まれましたね、と言ってシンパシーを覚える。
今年も出来るだけ健康に気を付けて、自分の事は15パーセントくらい、皆様のことを85パーセントくらい考え、また頑張ってみたい。
昭和54年の早春に初めて聴いた曲。
皆様のためなどと言いながら、誕生日祝いに好きなアルビノーニのオーボエ協奏曲のうちの1曲からアレグロのパートを掲載してみました。
冬晴れの野尻湖 中勘助の詩碑。
日中よく晴れた本日日曜日、午前8時半過ぎに家を出て野尻湖へ行った。なぜ野尻湖かというと、確固たる理由もないが、昨年12月から読み始めた中勘助の小説「銀の匙」が野尻湖で書かれた事を知った事があった。
作年12月に一度野尻湖行きを試みたが、途中寄り道して失敗、その日は断念していた。あれから一月余り、雪は無く本日の空は快晴、冬の野尻湖は如何ばかりかと車を駆った次第。
柏原駅からオレンジ色の川中島バスに乗ると、ここにあったグラウンドが終点だった。いつも泊まった藤屋旅館まで歩いて2,3分の懐かしい所なので寄り道した。
(調べましたところ、現在は信濃町公民館の野尻湖支館ということです)
たまたま寄ったにも拘わらず、一角になんとまあ中勘助の立派な詩碑があり、驚きかつ嬉しかった。「銀の匙」は興味深く、既に二回読了し三回目を読み始めた所。すっかり虜になってしまい、この先ずっと愛読しようと決めている本。
その著者に対して、野尻湖の人びとは碑をこしらえ顕彰していることに感動した。
「銀の匙」前篇は明治44年と45年の夏に、野尻湖にある枇杷島の神社に籠もって執筆されている。小説は明治中期に於ける繊細多感な幼少から思春期にいたる私的な生活史の形で著されている。
弱くて驚くほど繊細なこどもとして、特に伯母の庇護のもと大切に育てられる主人公。明治中期頃の子どもの世界が何ともあどけなく美しく展開する。
雨が降っているだけで、あるいは海の波音を聞くだけで悲しくなって泣くような、主人公のあまりのこまやかさ。これは普通の子では無い、もしかしたらまれに見る美少年だったのではないか、と確かな理由もなく想像した。
成長するに従い背が伸び、抜きんでて強くなるのだが、スマートで外国人のようになった、という話がある。老年の写真などは俳優を思わせる渋さが垣間見られている。
大人も放っとかない美しいこども、、、(本人はただの一言も言わないのだが)。静かで敏感なうえ黙っていてもモテた男性を一人二人知っている。だが不思議な事に彼らの奥底は悲しげで孤独そうに見えるのである。
氏の本はまだ「銀の匙」一冊だが、読みながらこの人はそのような人間の極みだったのではないか、と感じている次第。
野尻湖の詩文も寂しい内容で、中氏らしくて良かった。
中氏と「銀の匙」と野尻湖のことが書かれている。
碑は昭和48年、公民館完成を記念して建立されたという。
詩は野尻湖の執筆後、十数年経って再訪した時のもの。ホホジロの声を聴くと昔が懐かしい。過去も今もこの先もまた自分は一人、ずっと一人のままであろう、というようなことが謳われている。短い詩の中で、ひとりという文言が四回も続いて現れる。
湖畔に向かった。
当時の面影はないが、本日の藤屋旅館。
松の木は往時のままのような気がする。すぐ前が湖と桟橋。
藤屋さんに一泊し、信州味噌の味噌汁に野沢菜漬けとワカサギのテンプラを食べた。ここで出される家と違う食べもがとても楽しみだった。
湖でボートを漕いだり、あるじのモーターボートに乗せてもらったりして帰る。1年に一回、高校生のころまで野尻湖行きが続いた。
小学時代、皆で柏原駅まで歩いたことがあった。道すがらある看板を見た姉が
「あっ、この家〝王子売ります〟って書いてある」と言った。
玉子が王子と書かれていたのだ。
私は何とかそれが分かったので、一生懸命笑った。
長野県の人は黒姫を背負った野尻湖と言い、新潟県の人は妙高を背負った野尻湖という。気持ちは良く分かり、野尻湖はまれに見る風光明媚な所だと思う。
中勘助が訪れた明治末の野尻湖は訪ねる人も無かったらしい。中氏は一種放浪の途中でやって来て気に入り、島に籠もって本を仕上げたという。
※書き始めは日曜日でしたが、終了が日付けをまたいでいました。
申し分けありません、文面上日曜日掲載と致しましたので御了承下さい。
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