明け暮れ 我が家 お出かけ

消費の町

2009年10月12日(月曜日)

 11日に一泊で学生時代の同級会があった。場所は随分久しぶりの軽井沢だった。近いからといって妻と車で出かけたが、休日の交通渋滞は想像をはるかに越えて過酷だった。


 


 膨大な人を集め、大消費地と化している軽井沢。見たこともないような夜景も出現していて驚いた。通りから見る樹木や草花は少々疲れを隠せない風だった。


 


 60才代後半の賑やかな同級会、当美術館を少し宣伝させてもらった。



 


広大なショッピングセンターのほんの一部 


 


 翌日午後、K夫婦とエルミタージュ・ドゥ・タムラへ行った。中心を外した文字通りの隠れ家にほっとした。憩いともてなしのエッセンスを目の当たりにして刺激を受けた。

雲そして弟

2009年10月10日(土曜日)

   

 

 夕暮れの浜で、山ぎわからムクムクと清潔そうな雲が立ち上っていた。ヒゲのおじいさんが両腕でウサギたちを囲っているように見えた。おじいさんは積乱雲と呼べばいいのだろうか。雄大な秋の雲は夜になって雨を降らせた。

 

 ちょっぴりヒゲのある弟。その弟が出版した本「フォルテシモな豚飼い」が新聞や週刊誌で好意的に書評されて嬉しい。10月15日号の週刊文春では、芥川賞作家・池澤夏樹氏がかなり詳しく紹介してくださった。とても驚いている。

 

チョコレート

2009年10月9日(金曜日)

 先日ヒロミちゃんから可愛いハーシーズをいただいた。昔を思い出しながら美味しく食べた。今度はおばから新米のお礼といってまたチョコレートが届いた。チョコレートは甘く、ほろ苦く、味濃いお菓子で、茶の色もシックだ。

 

 ところで服装でも茶を上手く着ている人がいると、ああおしゃれだなと思う。しかし自分はどうしても茶を着れない。昔から茶を着るにはもう一つ気力が要るように感じてしまう。

 

 それで何かとグレー系ばかりを着ている。上着がグレーならズボンとネクタイを黒っぽくして無難に過ごす。

 

 最後に、およそ美味しい食べ物も茶系ではないだろうか(野菜を別にして)。結局茶は「おしゃれで美味しそうな色」ということになりそうだ。チョコレートが美味しいわけだ。

 

   

 チョコレートは皆に分けて早く食べてしまうのがコツ?

シオン(紫苑)

2009年10月5日(月曜日)

 仕事場の裏庭にシオン(紫苑)が沢山咲いている。背が高く、ゆうに2メートルに届くのもある。シオンは最も背が高い草花の一つではないだろうか。もしかしたらセイタカアワダチソウよりも。

 

 シオンは沢山花を付けるのにどこか寂しげに見える。それでもわずかな風にゆっくりと揺れる様は、それはそれで秋の風情だ。

 

 背高の紫苑が刻む秋の時 大き時計の振り子にも似て  sousi

 

ハーシーズのお土産

2009年10月3日(土曜日)

 

 今日、娘さんに付き添われてTおばあちゃんが来られた。少し物忘れがあってもお元気なTさん。終わって娘さんから「ヒロミのアメリカからのお土産です」、とチョコレートを頂いた。

 

 かわいいハーシーズのチョコレートだ。19才のヒロミちゃんはTおばあちゃんのお孫さん。学校の研修でポートランドに行っていた、ということだった(うらやましいなあ)。

 

 ひろみちゃんは小さい時から来ていた。念のため古いカルテをみたら、生後3ヶ月でオムツカブレの初診だった。その後も少しアレルギーがあったのでよく診た。

 

 だんだん強くなって小学校高学年なると、宿題で医療の取材を受けた。仲良しのお兄ちゃんも一緒に家に来て、取材を終えるとみんなでハヤシライスを食べた。

 

 弱虫だったお子さんたちも大きくなるにつれて驚くほど強くなる。昔診た子どもさんたちが、たくましく歩み始めるのに触れると、とても嬉しい。

猫ちゃんの木登りデート

2009年9月30日(水曜日)

 昼食直後、猫ちゃんたちの木登りを見ました。木は手前の土手から生えているので結構高いのです。

 

   
クロ君が木に登ったので 私も登りました。

 
クロ君は上にいて


なかなか降りてきません。

 
   
   
 
やっと降りてきて会えました。 それからお散歩をして
   
   
帰り道、私はさっと降りましたが

クロ君は少し手間取っていました。

 私たちが登った木はねむ(合歓)の木です。

いい名前だなー。

潟町の地蔵まつり

2009年9月24日(木曜日)

  上越市大潟区は、海寄りに古い国道が東西に通っている。その道筋の潟町地区に600メートルほどの間で三つのお地蔵様がある。

 

 今夜は揃ってささやかな秋祭。夕食を終えた地域の人達が三々五々巡ってお参りする。御菓子のお土産があるので子どもたちも喜んで付いて回る。近くの私も灯りに誘われて回った。

 

 地元の人達が守り続けたお地蔵様。懐かしい灯りがともったお堂はそれぞれ雰囲気が違って楽しい。

 

   
西の端の火防地蔵 火防地蔵尊
   
中ほどの六地蔵 六地蔵尊
   
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東の端の白妙地蔵 白妙地蔵尊を参る

おばあちゃんたちに脱帽

2009年9月22日(火曜日)

 午後の美術館で、お二人のおばあちゃまから声を掛けられた。懐かしい患者さんとそのお友達だった。コーヒーをご一緒しながらのひと時は楽しく、有益だった。

 

子どものころから労働、左ハンドルも経験した。

 

【以下、お二人の話】 

 「ここは私らにとって懐かしい場所」。若い時に、美術館から見える田んぼで胸までつかって仕事をした。カイコも飼ったが時代は進み、ある年代を境に家族でも経験は全く異るようになった。 

 

「田んぼ」:昔、浜に住む自分たちは漁業のほかに農業もした。ただし、良い田んぼは農家の人達のもので、自分たちのは農家の余り物のような田んぼだった。それがあちこち離れた所にあったので、とても大変だった。

 大人たちは用水路に舟を運び入れ、刈り取ったイネを浜の稲場まで運んだ。子どもにも何かと仕事があった。

 

「くばり」:稲刈りで子どもが最初に行う仕事が、くばりだった。刈ったイネを束ねるためのワラを一定の間隔に置けばよかった。二、三年すると今度は置かれたワラでイネを束ねる仕事に昇格した。

 

「蚕(カイコ)」:近くに製糸工場があったので、一帯では蚕も飼った。蚕を飼うのに特別な場所があったわけではない。時期になると家中に桑の葉を敷いて飼った。そのため家族は仏壇の前にかたまって寝た。蚕が桑を食べる音がザアザアと家中に響いていた。

 

「足だか」:子どもの頃からワラで縄をない、ある年齢になるとわらじを編んだ。最初に「足だか」を教えられた。足だかとは、足の前半分だけのわらじで、主に子どもたちが履いた。教わったばかりではうまく作れず、一日ももたなかった。

 

「運転」:後に娘がニューヨークに住むようになった。ある時、急用の娘を手伝わなければならなくなった。アメリカでは車を運転しないと手伝いにならないと聞かされた。それで左ハンドルの講習を受けてアメリカへ行ってきた。

 

「芝生」:ここの芝生はハワイみたいですね。

おのぼりさん、その1

2009年9月19日(土曜日)

 日曜日にゴーギャン展をみるため上京した。浜松と東京の夫婦二組と一緒に、芝の古いレストランで夕食をした。

 

 三時間の食事と遅いラウンジ。思わぬ短歌を披露しあって失笑し、映画やジャズを懐かしんだ。 人の悪口を言わない人達。一年に一回の間隔がさらに短くなりそうだった。

 

 三組とも老親をみているので揃って会うことはますます貴重になる。あとまだ十年は覚悟をしている、というK。お互い大変なことだが、いまだ人の子、という風変わりな立場を喜ぶようにしよう。

 

 行きの芝大門で東京タワーを見て、帰りは芝・浜町の祭みこしを見た。

 

 ホテルは若者ばかり

 

芝大門に掛かる東京タワー

 

いなせな御輿

浜千鳥

2009年9月17日(木曜日)

 今日、木曜の午後は休診日。思い出したように母を連れて美術館へ。もっと頻繁にと思うが、中々出来ない。

 

 行き帰りはいつものように昔話になる。小さいころ事故で父を亡くした母喜代。父を失ったある日、喜代は母と並んで縁側に腰を下ろしたという。母は足をぶらぶらさせながら、「なあキヨ、明日からどうしたらいいかね」、とつぶやいたそうな。

 一回りして美術館のカフェに座り、帰りはお気に入りのフルーツケーキを土産にもらった。

 

色々と指が曲がっている親の手。

 

 帰って間もなくお年寄りの看取りがあった。このところ夜中も通っていた95才の小柄なおばあちゃん。遠くからお孫さんやひ孫さんたちも来て、熱心な介護だった。看取りで若い人たちや子どもさんは目を泣きはらした。温かな家庭の印象を受けた。

 およそ若い人達(小さなお子も)は人一倍身内の死を悲しむ。言われるドライさとは全く違うと思っている。

 

 夕刻、また海へ行った。ある場所へ来るとチチ、チチ、とよく千鳥の鳴き声がする。今日は沢山いて、私が歩く先を盛んに走った。

 

群れの中の二羽。

  

  ♪ 青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が 

 波の国から 生まれでる 濡れたつばさの 銀の色 

「浜千鳥」

作詞 鹿島鳴秋(1891-1954)
  作曲 弘田龍太郎(1892-1952)

 

飛び立つ千鳥。

 

私は浜千鳥の曲が好きで、美術館のカフェでもカーメン・キャバレロのピアノで浜千鳥が時々聞こえるようにしています。 

 

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