明け暮れ 我が家 お出かけ

ブラッシングノックアウト フロリバンダ

2009年11月25日(水曜日)

 

 この時期にしては珍しいほど良いお天気が続いている。しかし冬至が近づいているので、昼でも日差しは夕方のようだ。

 

 短い陽の中で、仕事場の庭にバラが咲いていた。淡く薄い花びらの主は「ブラッシングノックアウト フ ロリバンダ」。長い名前のバラは、2000年にフランスで確立された品種だという。病虫害をノックアウトする大変強いバラなので、そのことも名前に加わっているらしい。

 

 大丈夫かなと思うほどはかなげだが、芯が強いからこんな時期でも咲いていられるのだと思った。年末に向かいはじめたこの頃、目に優しい姿かたちだった。

海を歩くのはもう一つの睡眠?

2009年11月23日(月曜日)

 

連休最後の夕刻も海へ。

荒れたがる海を夕陽がなだめていた

ゆっくりと変わる雲と陽の色,飽かず打つ波

海は命のみなもと、絵画も音楽もなにもかもの

  

向こうから犬を連れて現れたのは古い同級生だった 

そしてリューボも入り陽を見ていた 

海を歩くのはもう一つの睡眠のようだ。

渚のリューボ

2009年11月22日(日曜日)

 連休のなか日。在宅で重症の方を抱えているので外出は近くだけ。それでも小康を見て携帯持参で海へ赴いた。  

 

 晴天の海で一体の老いた流木にまた出会った。この流木は先週の日曜日,波打ち際で見ていた。それが今日は砂山の上の方に横たわっている。あれからさらに海が荒れて、上へと押しやられたのだろう。

 

先週の写真 

 

 実はこの流木を見たのは今回が初めてではなかった。今年の三月頃、荒天続きの後にちょうどこの辺りで見た。それがいつしか居なくなり、半年以上も経ってまた現れた。とても不思議に思ったが、再会を喜ぶことにした。

 

今日の様子 

 

 春と比べてやや色あせているが、さして傷みもなく言うならば元気そうだ。ぐるっと回って眺めると、ただの流木とは思えなくなってくる。心なしか暖まっているようでもあり、海を懐かしむ風でもあった。さて今度はいつまで居るのだろう、試しにリューボと名付けてみた。  

 

 追加です:今夜、天地人が終わりました。欠かさず見ていた訳ではありませんが、最後のシーンはうるうるとしました。  峠で景明の位牌に「越後じゃ、我らのふる里じゃ」と言う兼続。直江家の終わりをお船に告げる兼続。ドラマと分かっていても、すがすがしさに涙が出ました。一応ファンにさせてもらった景虎も今は懐かしく、ゆかりの鮫ケ尾城跡は間もなく雪に覆われることでしょう。

荒海(つかの間のカタルシス)

2009年11月15日(日曜日)

 

 昨日からの強い季節風が止まらない。残っていた花の移植をあきらめて海へ行った。猛烈な風波はカタストロフィーを想起させ、いつしかカタルシスめいた感覚を覚えた。つかのまの放心状態、浄化?

遠くから美しい人が。

2009年11月8日(日曜日)

Img_0244_3    

 

 3日も続く素晴らしい秋晴れのプレゼント。そんな日に突然遠くから美しい人が樹下美術館を訪ねて来られた。とても丁寧に見ていただいて嬉しかった。

 

 正面の椿皿の前では「この赤をみているとしばらく動けなくなりますね」と仰った。また倉石氏の「バラを持つ裸婦」では不思議な絵ですと、謎解きをするようなお顔で佇んでおられた。それからカフェへ。

 

 その方の書物を数冊読んでいたのでお話が楽しかった。彼女の言葉と静かな秋の陽が溶け合うのを感じた。少し時間があって、カフェの後近くの海岸へお連れした。この時期めずらしく凪いだ海。広くて海らしい海、と仰った。

 

 来年は樹下美術館の3周年。叶うことならぜひ記念にお話をして頂きたい人でした。

母のむかし話:行商

2009年11月6日(金曜日)

 今日は文句なしの快晴だった。秋の年中行事に母を近くの菱ケ岳へ連れて行くことがある。お天気から見て今日を置いてはもう遅い。仕事を終えると簡単なお弁当とお茶を用意してもらって出かけた。

 

 遅い紅葉と落葉したブナの山がきれいだった。工事のため山道は途中までだったが、楽しい昼休みだった。車中いつものように母は昔話をした。大変恥ずかしいのですが、備忘を兼ねて母に聞いた話を少々まとめてみたいと思います。誠に申し分けありません。
 

 

 母の昔話:行商
 大正4年生まれの母喜代の生家は佐賀県の古枝村(現鹿島市内)というところだ。有明海のそばで山も近く、水が良かったため近隣では漁業と共に酒作りも盛んだった。隣の「浜」という地域には白壁作りの酒蔵が続く風情のある通りがあった。喜代が7才の時に失った父親はその通りの白壁を得意とする左官職人だった。
 
 ある夏、父は建前の手伝いに出掛けた。しかし当日、台風の直撃に遭って建てかけの家屋が倒壊した。犠牲になったのは父親だけだった。妻ヤイと長女長男次男が残された。
 
 それで父の死後、「なあ喜代これからどうしたらいいかね」という縁側の話になる。長男は年下、次男はまだ乳飲み子同然だった。まもなく喜代を養子に欲しいという人達が現れた。山奥のOさん、医院のNさんなどだった。母ヤイはそれらをみな断った。
 
 その後、親戚や地元の人達の助けもあって、ヤイは魚の行商を始める。幸い近くにある祐徳稲荷の門前旅館などが顧客となり、次第に仕事は忙しくなっていった。

 

 ところでヤイはなんでも知っていたが、字が書けなかったという。それで喜代が10才の頃に母から財布を任されるようになった。通ったのは酒藏通りにある銀行だった。字が書けるようになっていた喜代は窓口につま先立ちをして通帳の出し入れをした。

 

 ※機会がありましたらヤイの織物などを書いてみたいと思います。

 

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車中、ポットの番茶を飲む母

 

少し遠い海岸のEast of The Sun

2009年10月31日(土曜日)

今週は例年のインフルエンザワクチン接種が追い込みで忙しかった。また私が学校医をしている小学校で初めて新型インフルエンザによる学級閉鎖があった。比較的平穏だった新潟県も今月中旬から注意報→警報へと一気に深刻化しはじめた。

北海道ではすでに最大級の警報が続いている。季節型、新型ともワクチンの不足と遅れによって今後の半年余が非常に憂慮される。

国は早々とワクチンの減産を宣言した。これは大きな問題だったと思う。日本の国力があれば克服できたのでは。極めて重要な年になぜ生産に専念しなかったのだろう。

 夕刻、少し遠い海岸へ行った。

陽が沈みかけ、月が昇り始めた。

East of the sun and west of the moon

We’ll build a dream house of love dear

・・・・・。

朝な夕なに向き合う月と太陽の時間。

とてもいい昔の歌だ。


Diana Krallの East of The Sun

 

トキとお米(平成のパラダイムシフト)

2009年10月27日(火曜日)

 昨年の秋、トキ放鳥を書かせていただいた。放鳥はセレモニー付きの強制的な方法で行われた。必要な群も作れずトキたちは混乱したことだろう。

 

 一年が経ち放鳥された10羽のうち3羽を失った。また思いもよらぬことに、4羽のメスは全て本土に渡ってしまった。様々な事実に自然界の奥深さを知らされる。

 

 今年新たな20羽の放鳥は鳥たちの自由にゆだねられた。良いことに新旧9羽がさっそく群を作ったという。この先どんなことが起こるのか。一組でもつがいとなり、巣作りしてヒナがかえれば嬉しい。

 

 生き物を育む農法で作られたお米。

 

何か幸せな感じ。

 

 遅まきながら佐渡のお米を購入した。佐渡の農家がトキのことを精一杯考えて作ったお米だ(朱鷺と暮らす郷づくり認証米)。代金の一部はトキのために寄付されるという。昨年よりさらに地元の理解が厚くなったとの報道があった。生き物を育むために農業まで変える。佐渡のお米は平成のパラダイムシフトの一つとして写る。

「健康な佐渡」、佐渡はもう一つの貴重な価値を見いだした。

届いたお米は新米で本当に美味しかった。

シーグラスのキャンドルホルダー

2009年10月19日(月曜日)

 先週末に同級会があって、再び千葉県のSと会うことが出来た。彼とは今春、新潟県内の村上市で会っている。

 

 前回たまたまの話から、Sの奥様手作りによるシーグラスのキャンドルホルダーが送られてきた。そこには千葉県のグラスがあしらわれていた。今回の同級会では、予めこちらの海で拾ったシーグラスを持参した。

 

今度は新潟県のシーグラスで

 

 そしたら今度は新潟のグラスで出来たホルダーが送られてきた。立派な握り手(ハンドル)がついたのびやかなホルダーだった。蝋燭を入れるとなんとも穏やかな光を放った。 

 

 シーグラス、海底に沈んだガラスたちが、海の作用で優しく生まれ変わったもの。以前作品は旅をすると書かせて頂いたが、名も知らぬガラス片もまたしかり。太平洋と日本海の小さな旅人がここで出会っている。これも「天然の旅情」(檀一雄の言葉だったかな)。

 

 秋は、ことさら多くのものが旅をしているように見える。S、奥様、有り難うございました。

わずか18才、そして菊姫

2009年10月18日(日曜日)

 日が短いので久しぶりに朝の庭仕事。固くなった土を中心に肥料をやった。らせんの先が付いた道具を回して私が穴を開け、妻が固形肥料を入れていく。来年の花を思いながら作業した。

 

早くも咲き始めた椿(西王母) 

 

 午後はテレビで日本オープンを見ることができた。三人によるプレーオフとなった素晴らしい試合。極限のプレッシャーの中で黙ってするゴルフはこちらが胸がつぶれそうになる。本戦18番ホール、石川遼がパットを外すと、大ギャラリーの悲鳴が雷鳴のようにこだました。

 

 「抱きしめられて素直になれた」。赤ちゃんのような歌が流行る若い世代。そんな中で石川は敢然として将来を切り開くシンボルに見える。わずか18才、先輩に混じるとそれこそ赤ちゃんのように可愛く見えているのに。

 

 夜の天地人。山しろ殿と、亡き哀れ菊姫の手紙が兼続に届いた。「いろいろありましたが、有り難く思っています」とあった。こんなひと言に見ている自分が救われる。

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