頸城野点景

新潟焼山の緊迫感 水文字など能生谷早川谷の民家の違い。

2016年3月6日(日曜日)

昨日は、午後から出かけた糸魚川市は能生川
を遡って着いたシャルマン火打スキー場と、
リフト終点の眺めなどを書かせて頂いた。

その後能生ICへ戻り高速道路を糸魚川で降り、
国道8号を梶屋敷まで走り、早川沿いを上った。
行った先の焼山温泉付近から見た焼山は眼
前に迫りもくもくたる噴気の動きが見てとれた。

 

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焼山温泉付近で見た噴気に活火山の緊迫感が
あった。
(ズームレンズで撮りさらにトリミングして拡大し
ています)

 

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上の写真を撮った温泉付近の民家。
大棟の合わせの下部にある「和」に似た文字は
「水」の崩し字。丸囲いは拡大です。

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この家は「水」とそのまま書かれている。
7部分の拡大です。

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堂々とした大棟の先に同じく「水」とあった。

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さて焼山が近い早川谷で見た民家の「水」文字
は興味深かった。
もともと防火祈願の現れとされるようだが、早川
では目の前にある焼山の安全も祈っているよう
に感じられた。

一方で「水」を書くのは関西に多い習わしのよう
だ。
一帯に及んだ関西文化の一つとみることが出
来るかもしれない。

 

民家で言えば能生谷の古い家も特徴的だった。

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寄せ棟風?の妻側に台形の設えがあり、
明かり取りか風通しか、小窓が切られている。

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同じく能生谷で見た小窓の設え。
二軒とも複雑な構造だが、なかなかの格調だっ
た。

上記いずれの民家も屋根の下に茅葺きをその
まま残していると思われる。
同じ茅葺き屋根でも川一筋違えば様式が異
なっていることは文化のあり方として大変に
興味深かった。

いずれの川も以前走ったことがある。
しかし当時何を見たていたのか、山も家もほと
んど記憶がない。

最後ですがもう一つ、長く自分の興味を引いて
いた西頸城のギザギザした山並みについて次
の機会に書かせていただければと思います。

二回目の能生谷 シャルマン火打スキー場へ。

2016年3月5日(土曜日)

去る2月28日日曜日に能生川沿いに運転して
シャル
マン火打スキー場へ行った。

一応目的めいたものがあり、
1噴気を強めていると言われる焼山を見たいこと。
2当地の沿岸から見られる西頸城地方のギザギ
ザした山を間近に見たいこと。
3あるいは民家や石垣を見たいなどだった。

前回は日曜日のため早くスキー場のリフトが終了、
期待した肝心の山々を見ることができなかった。
そこで本日午後もう一度車を走らせた。
何日も経たない再訪だったが、楽しい午後だった。

 

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ゴミ集積場にもなっている堂々たるお堂。
先日は気がつかなかった。
小見のお堂のバス停といい、不思議な文化だ。

二回目にして入場したスキー場は本当に良かった。

 

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コース最高点は1000メートルを少し越える。

 

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リフト終点の向こうの大パノラマ。写真正面が火打山、
右方に焼山。写真にはないが左に大毛無山山頂、ほ
か名を知らぬ沢山の峰が見えて本当に素晴らしい。

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ズームで撮った焼山の噴気。

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何度も転びながら降りてきた女性。
キャーキャーと叫んで楽しそうだった。

スキー場とはこんなに気持ちが良い所だった
だろうか。
一種懐かしく遠くなった“健康的”という言葉。
それがここでは明るく生き生きと残っていた。

2本リフトのコンパクトなスキー場で、非圧雪、
パウダースノーを詠っている。
真っ白な自然に囲まれ看板やスピーカーなど
余計なものが見当たらない上品な施設だった。
関西ほか遠くの車輌で賑わっていて、常連を
集めそうな雰囲気を感じた。

 

スキーといえば20数年前、高校生の娘とその友
達と妙高パインバレーに行ったのが最後だった。

そして今日いつしかスキーを履かずリフトに乗る
年になっている。

「まだまだ-、ハイここで降りて!」
リフトの係員たちは私や妻をとても気遣った。
スキーをしない写真目的の人もいる模様だ
が、何より老人への配慮だったに違いない。

本日はこのあと梶屋敷から早川を遡り、笹倉温
泉まで足を伸ばした。
民家の様子や山々も雰囲気が変わり興味尽き
なかった。

続きを明日また書いてみたい。

冬の終わりを告げる雪か。

2016年2月25日(木曜日)

このところ冬型の気圧配置ということで寒さが戻っている。
零下何度も下がるほどでは無いが、昨夜からの雪が10
センチ近く積もっていた。

 

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午後いつもの四ツ屋浜から西の直江津方面。

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上掲と反対、柿崎の方角。

冬の天気予報で日本海側の雪マークは本当に目立つ。
今週なども週末までずらりと続いていた。
それでも今年は少し降っては止むを繰り返し全体として
少ない。

冬晴れの新潟県立大潟水と森公園 公園らしい公園。

2016年2月11日(木曜日)

今年初めて全国が晴れたという本日は建国記念の祝日。
晴れたら出かけようと考えていた大潟水と森公園へ家内と
行った。

ここは広大で、特別大きなイベントもなく思い思いに過ごす
ことが出来るためとても気楽だ。

 

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次々に車がやってくる。

 

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ソリは公園事務所で借りることが出来る。

 

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ハンノキと青空。

 

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鵜の池と尾神岳。

 

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公園を出てから行った田んぼは鳥たちの楽園のようだった。

「特別大きなイベントもなく、思い思いに過ごすことが出来る」
自然公園とはそういうものだろう、と思う。

ここも観察会などのイベントはあるが、参加者などあえて抑え
気味にして、ほどよく運営されているようだ。

おばあちゃんってすごいなー 亡くなった人を思い出す。

2016年2月9日(火曜日)

昨日の空は澄み渡り素晴らしかった。
その空のことであるおばあちゃんと初孫が交わした話が
ある。

その昔おじいさんがまだ元気で孫が3,4才だった頃の
こと。
おじいさんは四六時中孫を三輪車に乗せて可愛がった。
おばあちゃんとも仲良しでよく話をしたという。
ある日以下のような会話があったらしい。

「おれはおまんのこと、死んだ後もずーと見ていてやるからね」
「どうやって見るの」
「空の上から見るんだわね」
「おばあちゃんてすごいなー空へ行けるの、どうやって行くの」

今ではその孫もすっかり生意気になりました、ということです。
確かに子供には天使のような時代がありますね。

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      昨日の空を飛んでいたマガンとコハクチョウ。

 

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昨日、澄んだ青空の坂田池湖畔(長峰池と隣り合っています)。

さて心の問題ですが、亡くなった人が一番喜ぶのはその人を思い
出す時だ、と聞いたことがあります。
なるほど、です。

親の事では楽しい事つらい事ともにあります。
楽しい事や楽しい人を思い出すのは比較的容易ですが、
つらい事(人)を思い出すのは普通気が進みません。
でも時にはそれを越えて思い出す事は良いことではないか、
ということなのです。

広げて、どんな人のことでも、亡くなった人を思えば、その人は
慰められたり喜んだりしている、ということも。

忙しいとそうそう出来ませんが、時には短時間でも良いらしいの
です。
何かわかるような感じがします。

本当に美味しい食べ物は一人で食べて幸せを感じることが出来る 雪の柿崎海岸。

2016年1月30日(土曜日)

昨夜来降った湿った雪が一段落した今昼
隣市の孫たちと美術館のすぐ近くで昼食を一緒した。

広い店内は満席でサラダは既に出払っていた。
私はラーメンとミニカツドンのセット。
小食にしているので全部は食べきれない。

食べ物屋さんが増えて競争が激しい為どこも美味しい。
そもそも食事はだれと食べるかで美味しさが変わる。
しかし本当に美味しいものは一人で食べるといっそう分かる。
むかし新潟市の用事の後、よく一人で市内のラーメンを食べた。
簡素だが美味しい店があり、食後の幸福感は忘れがたい。

さて本日再びヘレボルス・ニゲルは雪に埋もれていた。

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花びらの一部だけが覗いている。

 

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手で掻き出すといっそう赤々と現れた。
雪の日に「ただいま!」と言って帰ってくる元気な子供のようだ。
このパワーはどこからくるのだろう。

 

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食事のあと雪の柿崎海岸を歩いた。

 

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静寂の浜辺は異次元的で心身浄化作用がある。

 

3月15日(火曜日)の開館に向けて準備がはじまった。

冬の夕刻も良い雰囲気、新潟県立大潟水と森公園。

2016年1月28日(木曜日)

かなり日が長くなっている。
本日夕刻、近くの新潟県立大潟水と森公園に行った。

広範な公園だが遅い時刻だったので管理棟付近を歩いた。
雪の歩道はきれいに除雪されていて犬を連れた方とお会いした。

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椅子が小さな雪を載せている。

 

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こどもたちが遊べる噴水のある大きな池を囲む建物。

 

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建物の裏手までしっかり除雪されていて公園の真剣さが伝わる。
ここへ回ったのは初めて。
照明や色彩、形状とも良い雰囲気だ。

冬はどのように見えるかも考えて設計されているのだろうか。
そして夕暮れも、、、。
冬期間の行事や開館状況などはホームページでご確認下さい。
(ホームページはタイムリーに更新されています)

 

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誕生日祝いのチョコレートは年を忘れる美味しさだった。

新潟焼山の噴煙。

2016年1月26日(火曜日)

寒波が去ってよく晴れた本日午後、海岸の写真を撮りに行った。

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13:45頃雪のマリンホテルハマナス

たまたま反対方角を見ると焼山が噴煙を上げているのが見えた。
焼け山の噴煙
火打山、妙高山へと一直線に煙がたなびいている。

 

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13:55頃、大潟区四ツ屋浜から。
吹き上げているようでもあり、これだけ明瞭な現象は余り見た事がない。

トリミング
上掲をさらにトリミングしてみた。
新潟県唯一の活火山。
特別な情報などは出されていないようだが、大丈夫なのだろうか。

 

すると今夕NHKの新潟県ローカルニュースで本日の噴煙が取り上げられた。
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このレベルの現象は周期的であり心配ないと知らせていた。
問い合わせが多かったようだが素早い対応はさすがだった。

上越タウンジャーナルに詳しく掲載されていた。
( このように水蒸気主体の白い煙は「噴気」と呼ばれるようだ)

再び上越市三和区へ 喫茶去や風巻神社 雪中梅。

2016年1月23日(土曜日)

風雪の合間となった本日土曜日午後、
家内を誘って先日たまたま訪ねた上越市三和区へ行った。

 

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山裾を望むと黒い樹林と明るい樹林に分かれている
黒い部分は杉で明るい部分は雑木であろう。
三和区の上杉地区は上物の杉が採れるため上杉と呼ばれたと、
聞いたことがある。

 

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さて本日寄ったカフェ喫茶去の通りは昔訪ねた京都近郊の山に
かかる道にどこか似ている。
県道43号線を山麓に向かって突き当たり、
合流する13号線を左折、間もなく左側にある。
2013年8月にGACKT氏が突然訪問した伝説の店だ。

 

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二度目の喫茶去で頂いた珈琲とアップルパイ。
お菓子に密かなシナモンが香り、珈琲ともども大変美味しかった。


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喫茶去の後、近くの風巻神社へ。
社殿へ新雪の石段は150段ほどあり少々きつい。

 

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杉木立から社殿を望む。
山間の境内は神さぶ清らかさが漂う。
強く柏手(かしわで)を打つと一瞬木々にこだまする。

 

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社殿前で雪をかぶる狛犬。
頭を冷やしているせいか一段と強い邪気払いの様相。

 

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立派な杉が雪の袴を被っている。

 

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前回の訪問から密かに桃源郷と呼んでいる山高津地区の池。
本日妙高山は見えなかった。

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池を東西に分ける道路は障害物もなく一種神聖な感じを受ける。

 

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一帯は蔵が多い。
蔵本体と屋根の間に隙間(矢印)が設けられている。

 

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帰路、三和区の塔ノ輪は銘酒「雪中梅」の丸山酒造。
ここからそのまま国道253号線へ。

 

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県道新井ー柿崎線に出て右折、その先森本を左折。
頸城区で畑中のロウ梅に出会う。
雪の中非常に甘い香りを放っていて、「雪中梅」はここへ繋がっていた。

およそ三時間、近隣ながら良い場所が色々あって楽しめる。
長くなりました。

地域の盛衰。 

2016年1月17日(日曜日)

毎日、予報より幾分穏やかに推移している冬。
沿岸の雪は10㎝前後で一昨日は晴れ間が見えた。
そんな午後、ある所の写真を撮り同じ場所の昔と較べてみた。

 

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去る15日の大潟区潟町は旭町から米山方面。
雪のお陰で風景がはっきりしている。

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ほぼ同じ場所の1957年(昭和32年)3月28日の眺め。
60年ほど前のこの日は高校進学前の春休み中だった事になる。
道沿いに家は無く道は広大な松林を抜けて現吉川区長峰へと続く。
正面遠くの米山へ至るので「米山道」の道標が残っている。

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上の写真の裏に記載された自分が記した日付。
朝日池まで行ったらしい。
私がカメラを持っていたのか、父のを使ったのか分からない。

この先の松林は当時穏やかで本当に気持ちが良かった。

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同じ日に撮ったと考えられる途中の松林。
早春の陽が射し散歩日和だったに違いない。
40年前、故郷に戻ったのはこの風景が忘れられなかったのもある。

撮影した年の8月に潟町村は大潟町になり、
人口は8300人と載っている。
この後すぐ一帯に天然ガスと石油、そして温泉が出た。
一気に工場誘致が進み人口が増えていく。
昭和50年に1万86人、同60年は1万11086人とある。

隆盛は一に帝国石油(株)の地下資源開発の成功だった。
ある井戸のガス噴出はアメリカから技師を呼んで止めたほど猛烈だった。
大音響が一帯にとどろいていた。

その後資源は縮小し、近年メガソーラーに替わった。
同時に人口も昭和50年レベルまで戻った。
この間、バイパス、団地、高速道路、工場などの建設で
閑静な林は切り裂かれ有志の手による海岸の防風林と、
ほかにゴルフ場の一部に残るだけになった。

高度成長の波にぴたりと乗った地域の発展。
写真の家並みもこの間に自然に生まれた。
だがもう二度と過ぎし日の幸運は無いだろう。

昭和62年(1987年)に町制施行30周年を祝っている。
記念に大潟町民憲章が制定されていた。
「たがいに学びあい、文化の高い町にしましょう」
冒頭の一文が美しい。

憲章は今でも心に生きていると思いたい。
私たちは夢を見たのではなく良い経験をしたのだと思う。

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