頸城野点景

四ツ屋浜の夕陽 コンビニ弁当 土底浜の小屋

2011年7月6日(水曜日)

また夕陽の海でお弁当を食べよう、という話をしていた。午後から雲がそれらしくなったので今日は行ってみることになった。

 

海の夕食は前回同様買ったお弁当。小生と美術館と三人の老親を抱える日頃、行事は一ときながら100%妻の骨休めだ。

 

車ですぐの四ツ屋浜の海沿いは高さがあって気持ちがいい。先日の夕暮れも何組かの人達が犬などを連れて三々五々海を眺めていた。

浜小屋土底浜の小屋。近くに小さな船着き場、もう使われていない風に見えた。
向こうに直江津の火力発電所の灯りが見える。

 

しかしせっかくの日は、夕方に向かって雲が多くなり空は怪しくなった。それでも用事から帰った妻はしっかりお弁当を買ってきた。母の夕食を見終えて、夕焼けがきれいでなくても構わないということで出かけた。

 

陽は湿っぽい雲を少しばかり染め、最後に私たちを赤い目でじろりと睨んで沈んだ。開けた窓に潮騒と風が心地いい。私はオールフリーを飲み、妻はビールを一缶飲んだ。

 

食事を終えると、Uターンのためにかっての漁師さんの小屋まで下って行った。たぶんこの辺りは土底浜。絵みたいと妻、私には映画のように写った。
風景も食事もどことなく浮世離れの夕べ、400円もしないお弁当は900Kcalもあった。

 

お金も掛けず、しけた線香花火のような夕陽と、なにか絵か映画の様な風景を見て楽しい夕暮れピクニックだった。

草取りの夏

2011年6月29日(水曜日)

長雨から昨日の曇天、そして本日午後から晴天となった。妙高山はと見たが、今日もはるか雲に遮られて南葉山さえ見えなかった。これも長雨後の高い湿度のせいなのだろうか。

 

午後に見た大潟区の水田はいっそう青々として、農道のタチアオイとぴったり息があっていた。

 

タチアオイ 
すぐ向こうを新井ー柿崎線が走る大潟区里鵜島(さとうじま)

 

田で草取りが行われていた。イネの列の隙間に沿って発動機の道具を押して進む。患者さんから聞いたばかりだが、草は抜き取らずに土にすき込んで行くという。昔は暑さの盛りに中腰となり鉄の熊手のようなもので掻いて、それは大変だったと。
手持ちの道具も今や珍しいかもしれない。大きな農業用の車で進む草取りもよくみる。車で入ってもイネを倒さないのはどうなっているのだろう。

 

夕刻、仕事が終わると美術館へ飛び、庭の草取りをした。見ぬ間に大挙して草が生えている。攻め込まれているようで、やや興奮しながら一時間少々取った。長袖シャツでヤブ蚊に備えたが、頭のてっぺんと耳たぶと額を刺された。

 

草取りなくして庭は成り立たない。それなりにやっていてものんびり庭を見ているヒマがない。明日の午前中、今度は私がと妻が言った。 

上越市大潟区・中谷内池の杉林 臨時の開館で

2011年6月28日(火曜日)

昨日まで十分過ぎる雨が続きましたが、今日は降りそうで降りませんでした。しかし灰色の雲が一様に空を覆い、いつもは田んぼからよく見える妙高連山や南葉山、さらに春日山一帯の山々も見えませんでした。

 

 杉林
今日の中谷内池(なかやちいけ)、池の向こうに高速道路が見える

 

ぼんやりとした風景のなかで上越市大潟区にある中谷内池の真っ直ぐな杉林は、くっきりとして印象的でした。若い林は道路端の一角にありまして、池も小さいのですが、普段からここを通るたびに一瞬清々した気持ちになります。

 

ところで毎週火曜日は樹下美術館の定休日です。今日はある婦人会の方たちが鵜の浜温泉の帰りに寄りたいということで、臨時に開けました。この方たちが出られると、こんどは定休日と知らなかったというお客様たちが入れ違いに見えて忙しい昼だったそうです。

 

絵葉書が30枚、オリジナルのシーグラスチョーカーが三個売れたそうです。本当に有り難うございました。

6月の庭の花盛り  潟町の夕焼け

2011年6月19日(日曜日)

上越地方は梅雨を免れていて一日晴れました。

 

樹下美術館隣接の庭にアスチルベ、キョウガノコ、カシワバアジサイ、キンシバイ、センノウやガンピ、何種類かのガクアジサイ、シモツケソウ、カワラナデシコ、ヤマボウシ、などやや和風の花が今や盛りと咲き誇っています。

 

花も葉も賑やかで、最近では通路に沿って伸びてきたトクサとイトススキが涼を演出しはじめました。

入り口 
 ヤマボウシが見えるアプローチ

一角 
庭の一角

 

ところで、長野市の笠原林業造園さんが、話を聞かれたということで5月に当方を訪ねてくださっていました。その方はホームページで当庭のことを“理想の庭”と書いて下さり、大変驚き光栄に思いました。
今後も草取りに精を出したいと思います。

 

最近、樹下美術館は若い方たちもよくこられるようになりました。

 

潟町の夕焼け空 
今日の大潟区潟町の夕焼け
普段やかましい電線に旅情。

多様な営みがあった大潟区潟町

2011年6月9日(木曜日)

上越市大潟区の家の前に旧国道が通っている。通りはかっての奥州街道であり、自分の小中時代(昭和30年ころ)までは商いと職人さんの家々が軒を連ねて賑やかだった。

通り
今日の通り

振り返ればその一軒一軒が浮かぶ。通りの200メートルほどを思い出してみた。
魚屋さん、鍛冶屋さん、鉄工場、石屋さん、時計屋さん、お醤油屋さん、塗師さん、お茶屋さん、床屋さん、新聞屋さん、提灯屋さん、棒屋さん、豆腐屋さん、粉屋さん、下駄屋さん、割烹、お菓子屋さん、自転車屋さん、左官さん、大工さん、蚕の集積、畳屋さん、酒屋さん、桶屋さん、蒲団屋さんなどなどだ。

遊ぶだけの子どもの毎日にあって、通りの仕事場を見ることも遊びの一つだった。ちなみに鍛冶屋さんは鍬や鎌などをつくり、棒屋さんはその柄をこしらえた。

鍛冶屋さんのフイゴでおこされる紫の火、提灯屋さんのあざやかな竹ヒゴ作りと修理なども印象に残っている。下駄屋さんは近くの工場(こうば)で成型し、店でカラフルな鼻緒などとともに商われた。

トラック運送の普及前は、牛車が材木などを運んでいた。空の車が来ると後ろから飛び乗って遊んだ。牛車のわだちを作る店も鍛冶屋さんとは別にあった。

カンカン、トントン、トンテンカン、シャッシャッ、ゴロゴロ、カチカチボーン、様々な音も聞こえた。

 

その昔潟町は、宿場黒井と柿崎の間があまりに離れていたため、新たに中間に設けられた宿場だった。1660年、明暦時代の開駅だったそうで、昨年350年の節目の行事があった。

仕事場を見るのは面白かったが、あまり近づくと大抵うるさがられた。しかし多様な営みがあった町で育ったのは貴重なことだった、と思っている。

往時から50年以上は経ったが、いくつかの店や仕事は続けられている。本当に立派なことだ。

初夏、上越市大潟区四ツ屋浜の夕暮れ

2011年6月7日(火曜日)

 障子が赤らんでいたので夕刻、近くの四ツ屋浜の海へ行った。雲の切れ間から陽が下りてきて漁船の背後に沈んで行った。北から佐渡汽船が静かに現れ、直江津港まで文字通りあっという間だった。

 

夕陽 
 光りの中に船が入って、

佐渡汽船 
暮れると佐渡汽船が近づいてきた。
 

 さて、時間は夕陽の如く滑るように過ぎる。「間もなく」、などと図録のことを書いてからゆうに一年は経ってしまった。印刷屋さんに初稿を出したまでは良かったが、欲張ってアルバムの写真ページを追加することにした。そのクレジットなどの用件でもたもたもたした。メドがついたが、図録は思ったよりずっとずっと大変だ。

高田への三時間 精神に良かった午後

2011年6月5日(日曜日)

少しは家から離れたい日曜日。3時間のヒマをみて高田へ行った。三カ所を回って楽しむことができた。絵描きさんも呉服店さんも、バラ作りさんも、みな良い人たちでそれぞれ心こもりの品は気持ち良かった。

 

ああそれなのに、超危険物・原発の事故はまだ底なしの恐ろしい領域を残したままだ。近づけないほど危険な水は地下へ水脈へ、おそらく海へもしみ出ていることだろう。お前が悪い、言った言わない、うろたえる政治、確固としない関連学会。

加えて素人目ながら、一つの原発の来るべき精度疲労は部品を一つずつ替えれば済む問題ではないと写る。多分疲労・劣化は全体として一斉にくるのだろうし、それは巨大エネルギーシステムの最もデリケートで最も弱い点ではないのだろうか。

たとえ便利でも、恐怖を内包するシステムへの依存は少なくとも精神によくない。このたびの事故はそのことを極めて具体的に見せている。

時間と少々の不便はおそらく越えられる。もはやこれまで、今後は何事も精神に良い方を採用するこどだ。これこそ創意工夫の国、創意工夫の人、日本と日本人に相応しい過去と未来ではないのだろうか。

 

さて、高田の最初は遊心堂さん。小林新治・充也先生の親子展を見た。充也先生のさんさんたる色彩の雪、造形に虹彩を見るような日本画は魅力的だった。
新治先生はますますお元気だ。連日悩ましいアンバランスな政治とは好対照。そっとしたものから、晴々したものまで何とも気持ちのよい絵画だった。上越の風土はいかにもモチーフ豊かだなあ、とあらためて感じた。(充也先生の作品撮影は写真に室内が多く写ってしまい失敗、大変申し分けありません)。

灯台

大らかな大地と営みの風景画
花
優しい眼差しの生物画

次は「きものの小川」さん。いつも気にしながらお店の前を何度も何度も車で通っていた。さて今日は行くぞと、初めて伺った。高田の要所をきもので守る、とても貴重なお店だった。さわやかなご主人と奥様。先日樹下美術館へいらしてくださったお嬢様のお顔も見えた。ぜひまた来たい。

のれん非常にシックなのれん。何という色なのだろう、消し炭色?
あかり
吹き抜け天井からの灯り、山吹色かな
帯締め
帯締めのアラカルト

 

最後は陶芸家小川恵子さんのバラとお花の庭へ。以前少しご縁があったが、お会いするのは初めての小川さん。溌剌として美しい方だった。

バラまたバラの園内。妻と小川さんの会話は実に楽しそうであり、次々と出る花の名は私にはほとんどサッパリだった。下草もバラとよく調和していて、大変なはずの土の何気なさにやや驚いた。

IMG_0452
ばらその1
ばらその2
ばらその2

 ピエール・ドゥ・ロンサール
ピエール・ドゥ・ロンサール

 良い午後だった、また皆様のように頑張ろう。
樹下美術館も新潟の方々や何組もの若者さんたちでほどよい賑わいだった。

美しいネギ畑 最後の課題 第三の仕組み  

2011年6月2日(木曜日)

晴れたり降ったりの空模様、あすは晴天ということでまだ梅雨入りではなさそう。

 

ネギ畑
樹下美術館のすぐそば、大潟区渋柿浜のネギ畑

 

この畑を耕しているのは昔いっしょにヨットに乗った仲間だ。よく手入れされて見映えも良く、今日は終わりのアカシアが香っていた。

 

さて、復興を傍らにして休みなく続く政争。普段ヒマそうにしている政治家でも争いになると俄然生き生きとしてくる。つくづく争いが好きな人達なんだ、と考えさせられる。いや争いが好きだから政治家になるのか。
その昔、世の父母たちが精一杯慈しみ育て、苦労して学び懸命に働く人を、殺し合いの場へかり出す戦争を決めてしまうのも、彼らの悪しき闘争性分に因するのかもしれない。

 

そもそも政治の行き着くところは、粘り強い交渉による妥協である。つまり知性と理性の仕事だ。それが出来ないからだらだらと執行が滞り、最後はこどものように争いを始める。

 

いま身を切って行われるべきは「復興」以外にない。政治家が好きなことば「国難」は、皮肉にも与野党によって行われる貧しい政治そのものを指している。被災者ご本人、さらにボランティアや寄付さえも萎えさせる不幸だ。

 

薄い分別と品格および理性と知性、ののしりと心に響かない言葉。政治は国民の姿を写していると言われると本当につらい。

日本の民主主義はまだまだ若い、これだけ恥を掻けば少しましなものへと向かうのだろうか。それがダメなら、もはや政治はやりたい人にやらせてはいけない事になる。

 

その場合、国民の善良さと純粋な学問が反映される、全く新しい無駄のない第三の仕組みを、時間をかけて真剣に考える時になろう。
722人もの衆参議員が国会に群がって不毛なずヤジを飛ばし合う。こんなアナクロニズムはもう過去へと葬るべき時なのかもしれない。

 

Iさん、ネギ畑はよく手入れされて美しかったですよ。 

夕凪の水田 畦道にハマエンドウやジシバリ

2011年5月15日(日曜日)

二日続けて吹いた風が止んだ。 用事がたまっていてずっと家で過ごした。三時のお茶で寝ている母を車いすに移動させると、はぁはぁと息切れが始まった。何日か食がいい日が続くと、このような症状がでてくる。頂くおまんじゅうなどは控えないと。

念のため注射をして間もなく収まった。3月で母は96才になった。

 

熱いお番茶と甘納豆を少々出して、好きな石川遼が出るはずのテレビをつけた。

 

少々遅い午後、美術館へ行った。ゆっくり過ごされるお客様が何組かいらしていた。ボタニカルアートを教えてほしいとおっしゃる方に、まだまだ苦労している最中ですので、とお話した。

 

5時過ぎて庭の草花に液肥を遣り、終わって芝の草取り。暮れる前後、代掻きが終わり田植えを待つ水田はなんとも静かだった。

 

水田 
  夕なぎのみず田に浮かぶ茜雲近くに来ませ居ませ共に憩はむ

明日にでも田植えでしょうか、右端に樹下美術館の影があるのですが。 

 

ハマエンドウ 
畦道に可憐なハマエンドウ
ジシバリ 
同じく畦道、ジシバリという花らしい

新潟県立大潟水と森公園 時代はピクニック

2011年5月4日(水曜日)

今日のみどりの日、正午すぎまでおよそ一時間、上越市大潟区にある新潟県立大潟水と森公園を歩いた。繊細な自然との調和が意識されている公園。園内では多くの人がそれぞれに食事をし、自分たちの時間を楽しんでいた。 

“ピクニック”は世界共通の楽しみ。三々五々自由に過ごす人達をみて、時代がゆるやかに変わっていくような感じを受けた。

 

園内には騒がしいイベントも振る舞いもない。ピクニックをする人たちは自然で自立的で、それだけで国際人?!

 

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 当公園と樹下美術館は車で10数分です。

鵜の浜温泉は車で5,6分の距離です。

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