頸城野点景

はじめましてツバメ。

2011年4月26日(火曜日)

つばめ 

雨中、朝日池の広葉樹が萌えている。ぱっと目の前を横切ったのは私の初ツバメ。いつもながら颯爽として突然の登場ですね。

お仲間と飛び交う姿は元気で、数千キロを旅したとは思われません。ペアリングはこれからですか、とても嬉しそうですね。

田が動く 知事には間違いのない判断を

2011年4月25日(月曜日)

午後、田を通って往診した。上越市大潟区の田は一斉にという様子で耕耘機が入っていた。

 

 耕運
今年も素晴らしい光景

 耕して田が黒くなる強くなる

それにしても原子力発電所の問題をいわゆる地元自治体だけに大きく任せるのはおかしなことだ。

 

県民が託せる最後の砦は知事であろう。泉田知事は賢い人とお聞きしている。今際の折りはどうか間違いのないご判断をお願いしたい。

梅と畑 朝日池「宮の袖」 進化 最後は女性 安心・安全の愚

2011年4月14日(木曜日)

 畑の梅1 

 

畑の梅を見る 

一作日の雨の日、畑道の行き当たりにある梅を見た。今日は晴れて、周りで仕事をする人達がいた。生活には色々な形があろうが、ここで過ごされる人の時間を羨ましく思った。

 

ところでこのすぐ向こうに朝日池の入り江の一つ「宮の袖」がある。中学時代のある曇りの日、こんな日は大きな鯉が釣れると聞いて、一人で「宮の袖」へ行った。

 

宮の袖は足場が悪いうえ濃い雑木に糸が絡む。さらに降りだした雨に濡れて苦労した。一、二匹大きなフナを釣ったような記憶はあるが、その日一人の大人が浮かぶ。

 

私の並びの少し向こうで釣っていた人がその大人だ。はじめから蓑傘(みのかさ)をまとって非常に格好良く見えた。ガボッと水音がするとヒュンヒュン糸鳴りがして大きな魚を何度も釣り上げた。雨降りでとうとう仕舞った自分、しかし格好良い大人と居たことに満足して帰った。

 

さてここへ来てふと思う。
雨中に蓑傘、こんな服装はもう見られない。そして今放射線防護服。比べるのは酷だが、これも進化だと本気で言う若い人は多いはず。何かと強い現実肯定、自分が生きている間のスパンで損得を考えたがる男の癖。

 

世代ギャップはどうしょうもないが、この先の主だったことは、母性を内包する女性に任せるのがいいのかもしれない(但し男の悪い面だけを備えたような女性もいるので注意が必要か)。

 

 

このたびの重要な国家的会議の委員に如何にもという男性が並ぶ(梅原猛氏は別格、この人に愛想を尽かされたらお終いかも)。しかもインタビューではさっそく「安心・安全」などとキレの悪い言葉が遣われる。安心と安全は趣意が異るがかぶることも多い。まず何が安心で何が安全なのか言ってほしい。

 

その前に、安心で安全なまちづくりや暮らしは目標として言うまでもないこと。それを得意げに話す。軽くて野暮な言葉は介護保険の行政用語からたちまち広がったと思う。明晰な現場はともかく、立場が上ほど政治家ほどよく遣った。子どもじみた言葉に進化でなく人間の減退を感じていた。 

 

馬鹿にされているようで、これを遣う人をあまり好きになれない。しかし今でも会った途端に“安全・安心”と言う人がいて悩まされる。

冷たい雨の日 静かな梅

2011年4月11日(月曜日)

先日とは打って変わって冷たい雨の日。

梅は静かでますますあざやかだった。

 

倉門の梅 
百歳の婆の倉なる梅の花 枝の栄えは孫にひ孫に

 

畑中の梅 
 畑行けば密かに梅の舞台あり おほらかな見栄そそぐ春雨

 

色々あった三月、遅れに遅れる図録を進めています(本当に恥ずかしいのですが)。 

こちらこそどうか宜しくお願いいたします。

2011年4月10日(日曜日)

 新潟県上越市には福島県南相馬市や双葉町から、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって約200人の方が集団で避難されているということです。ほかにこのたびの震災で被災地からご親族などを頼って上越市に来られている方も少くないと聞いています。

 

 先日は大潟区内に身を寄せられたお年寄りを往診しました。90才を過ぎたお顔に固い緊張が見られ、ここまでの厳しい過程が読み取られました。これからの安心にむけて精一杯させて頂きたいと思いました。

 

雇用促進住宅 車が沢山あった今日の雇用促進住宅(上越市大潟区雁子浜)

 

 ところで大潟区雁子浜(がんごはま)には30戸の雇用促進住宅が二棟あります。昨日、当住宅に福島県から集団避難されていた児童・生徒さんのおよそ半数(約30人)がご家族と入居されました。当面、大潟小学校と同中学校へ通うためということです。 

 

大潟区は昭和30年代に始まった帝国石油による開発で、秋田県を中心に多くの皆さんが移住され交わった経験があります。さらに上記住宅に隣接する鵜の浜温泉にはもてなしの気風が定着しています。

 

故郷を遠くにされた皆様はさぞ淋しさやご不便はあると思いますが、少しでも当区で安心してお過ごし頂きたいと願っています。

 

所変われば人も変わる、福島県の皆様には皆様なりの文化があることでしょう。遠くと遠くが交わることは貴重なことにちがいありません。

 

“私たちの方こそどうか宜しくお願いいたします”

バテンレース 上越の素晴らしい織物文化

2011年3月7日(月曜日)

 バテンレースの名は子どもの頃から知っていた。昭和50年代以後も、上越市大潟区の農村部を訪ねるとお嫁さんやおばあさんたちが一生懸命編んでおられた。しかしその後次第に耳目にしなくなった。

 

 それが先日、88才になった患者さんから、出来ました、よかったらどこかに置いてください、と突然レースを差し出された。非常に繊細な出来映えに驚き、まじまじと見つめた。“糸の宝石”、レース!

 

全体 
 縦横:20×47㎝

コーナー 

センター 

  重なるブレート(基本となるテープ状の織物)紋様の重厚さ、軽やかな網目パターン、上品な姿。とても単なる内職仕事には思われなかった。

 かってバテンレースは高田一帯で8000人もの人が携わり、上越の一大特産物だったとある。

 

 中世ドイツのファブリック(繊維製品)が、地域のご老人によって密かに繋がれていたことに感動を覚えた。私たちの創造意欲とセンスは、88才の彼女に負けているわけではないだろうな、と少し心配になった。

 

 地域でこのように高いクオリティを有する産品が継承されていることにもっと眼が向けられてもいいのではないかと思った。私だけがよく知らなかったのかも知れないが、この先も長く伝えられてほしい。

 

レースを編む女 
 ウィキペディアの「レースを編む女」
フェルメール(1632-1675)作
23,9×20,5㎝
ルーブル美術館

 

  日本で唯一のバテンレース事業所:越後高田の特産を継承する
   吉田バテンレース
 

放射冷却現象 たなびきの情緒 山際の層雲、地表の地霧

2011年2月28日(月曜日)

 車内にはいつもカメラが置いてある。上越市大潟区の往診で頸城平野を望む所へよく行く。一帯は湖沼群と水田があり、上越地方の山々と空を一望でき、往診帰りによく立ち止まる。

 

 今夕近く、放射冷却現象が起こったようで美しい雲や霧のたなびくのが見られた。

  妙高三山
妙高連山方面の層雲と真っ直ぐ登って停滞する煙
路上の霧 
山だけでなく、目の高さにも漂った地霧、最も低い雲?
米山の層雲 
夕陽を受けている米山に層雲

 

 風のない晴れの夕方~夜、地表の温度が急に下がった時に層状の雲(層雲)や霧が現れるという。今日は西の妙高連山から頸城連山、そして東の米山までぐるりと低い雲がたなびくように連なった。頸城平野(高田盆地)全体が放射冷却されて素晴らしい景観となったようだ。

 

 層状になるのは上方よりも下方(地表など)の大気温が低くなる逆転が起きているからだ、という。今夕はほどほどの残雪も影響して海岸以外おしなべてこのような現象を呈したのだろう。

 

その昔の晩秋、中学時代の息子が科学部の研究で一時「たなびき」に夢中だったことを思い出した。

 

 紫だちたる雲の細くたなびきたる春も、3月2日の樹下美術館開館もまさに目前。春を迎えて忙しさはいっそう増した。明日はNHK新潟の小生個展情報の放映、夜に介護保険審査会、明後日はテレビ新潟の樹下美術館取材、金曜は新たな方法論が求められる在宅患者さんへの訪問。印刷所へ行った陶齋の図録が山場で、倉石隆が迫る。

 

 あと二つは体が欲しい。

新潟県立大潟水と森公園に春の光

2011年2月21日(月曜日)

午前に同級生のT君が見えた。大潟水と森公園の園路はもう十分歩ける、コハクチョウやカモがいると教えられた。

 

公園は近いので昼食後に行った。普段ここでカモやハクチョウはほとんど見かけないい。いままで知らなかったが、冬場だけのことなのか。

ハクチョウは1月の吹雪の日に見たグループかもしれない。鳥をよく知る人に“厳しい冬だと鳥は痩せる”と聞いていた。気のせいかやはり痩せているようだ。しかしこちらの心配をよそにのんびりと毛繕いなどに専念していた(たいていハクチョウはのんびりしているように見える)。

青空に伸びるクルミの枝が美しかった。

 

1
島へ通じる半島の道 晴れやかな赤松
2
沼を行く道 遠近の常緑樹と落葉樹が溶け合う
3
遠くのハクチョウ 皆で毛繕いなど
4
のびのびとクルミの枝

 風は冷たかったが光に力があった。

春は海から

2011年2月11日(金曜日)

1 
 
2 

 

3 

4 

沿岸の春は海から。祝日の日、元気な子どもたちはとても嬉しい。

暇そうな海

2011年2月3日(木曜日)

2月になって1月のそれを裏返したように穏やかなお天気が続いている。午後の休診日、暮れる海を見に行った。ひと休みの表情は期待通りだった。

2月3日の浜

暮れる二月の海は赤シャツに着替えたものの
だれも相手をしてくれなくて
暇そうに潮だまりを行ったり来たり
本当は荒れたくないんだ、などと言っていた

(2月14日、手を加えました。)

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