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蓄音機でSPレコード 皆様のお陰で庭が辛い夏を越た。

2016年9月8日(木曜日)

予報通りに雨降った本日木曜日、水曜日に替っ
て本日午後、特別養護老人ホームの出務があっ
た。
一昨日は一時間もかかる歯科検診、昨日は公的
な産業保険の仕事が入ったりで珍しく連日午後が
忙しかった。

その本日特養を終えた美術館にSPレコードを携え
て友人夫婦が来られた。
カフェの蓄音機を回して古き上質な音楽に包まれる
うち、いつしか2時間半が経った。

IMG_6967 - コピー
モネ人形も雨も、窓に付いた虫も、やって来たハ
クセキレイもみなで聴いたSPレコード。

雨の庭を見ながら、メンデルスゾーンの無言歌か
ら二曲、若きメニューインによるバッハのヴァイオ
リンソナタなど全部で7,8曲を心ゆくまで聴かせて
もらった。
最後にはなんと1945~50年頃のフランクシナトラ
の「デイ・バイ・デイ」ほかがかかって心弾んだ。
当時のシナトラは声が甘く柔らかで女性に大変な
人気があった。
当然モテモテで、エヴァ・ガードナーとの結婚も
まったく致し方ない事だった。

庭のお手伝いをして下さるお客様のお陰で辛い夏を
無事越えるめどが付いた。
また男性スタッフの芝刈りで最後の美しさの時期を
迎えることも出来る。

間もなく秋の庭仕事の時期になる。

目頭が熱くなったルノワール展。

2016年8月22日(月曜日)

去る20日土曜日午後から日帰りで上京し、国立新美術
館で「ルノワール展」を観てきた。
8月の金、土曜日は20時まで時間が延長されていて、
会期終了も近く混雑はしていたがゆっくり観ることが出
来た。

この度はルノワールの記念碑的傑作「ムーラン・ド・ラ・
ギャレットの舞踏会」の初来日、「都会のダンス」と「田舎
のダンス」の45年ぶりほか、多くの代表作が架けられな
どで、8月16日で60万人の入館者という人気がうなず
けた。

図録
展覧会図録の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
の部分。

以下に感想などをしるしてみました。

●ルノワールは“幸福こそ描くにふさわしいもの”と明言し
て止まなかった画家であり、このようなことは分野を問わ
ずまず他に類を見ない姿勢であろう。
価値観が複雑曖昧な今日、この明快さはますます貴重
であり、幸福を考えるとき、彼の作品に何らかヒントがあ
るようにさえ思われる。

●幸福な絵であるが、作品にはコツ、コツ、コツ、といっ
た親しみやすい時間が流れ、あたりの色や光が如実に
反映され、折々に風が吹いていたり、気温や湿度が感
じられ、モデルの人柄が想像できるほか、画家の機嫌
や眼差し、時にはフーという呼吸も感じられる。
それで、ゆうに100年以上経っているはずの作品が描か
れたばかりのように新鮮で豊かに感じることが出来る。
たった1枚の平面の上にである、、、。

●画家の作品には狙いや気負った作意など余計な雑
音は少なく、特に画風確立して以最後までの情熱と没
頭の作品は暖かく楽しく、見事というほかない。

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当日午後3時半の入場行列。

●今どきこんなに、と思うほど若者の姿が多かった。
印象派の明快さ、特にルノワールの幸福感と心地良さ
が脱現代および手仕事や風合いへの率直な回帰を促し
ているとすれば、それもよく分かる気がした。

●印象派の時代に確立して行ったと考えられる写真が当
時の画家を強く刺激したと考えらる。
画家達は写真で得られない表現、それを越える表現に
迫られ、かつ一層の自己確立へと没頭したにちがいない。

●すでに展覧会は終了し、パリはオルセー美術館とオラ
ンジェリー美術館へ行かなければ作品と再会できない。
年取って貧乏暇なしの自分には無理であり、これでお別
れ、と思うと途中で目頭が熱くなった。

“ルノワールに始まりルノワールに終わる”は自分にあり
そうなことで、その画集に関係した遠くほろ苦いな思い出も
あるため、余計そんな風に感じる.

この度の展覧会行きを促してくださった方に心か感謝し
ています。

午後、急いで行ったルノワール展の東京 オリンピックの女子ゴルフ。

2016年8月20日(土曜日)

ルノワール展が良かったので是非見てというお客様の話。
もう会期終了が迫っていたため、診療を終えた午後急い
で上京し、展覧会だけ見て帰った。

ルノワールに始まりルノワールに終わる。
こんな言葉があるのかな、と思うほど人気の会場だった。
本日の閉館が20時という土曜の特異日だったため日帰り
でも観ることが出来た。

貴重な展覧会のことは後で記載することにして、久々の東
京は台風の影響でめまぐるしいお天気、本日ばかりは傘
を持参して助かった。

 

1
↑出発前、上越妙高駅で。

 

2
東京駅と雲。

 

3
急速に広がる雲、日傘を差す人。

 

4
たけし氏の大きな写真が六本木の街角を見ている。

 

5
会場の国立新美術館にも雲と日傘。

 

7
観終えて休んでいると驟雨、満席のテラスから一斉に人が消える。

 

8
帰りの東京駅南口で見たビルが印象的。

 

9
ビルの基部に残された旧館がシックで魅力的。
特に時計が効いていた(昭和の建物は人なつこい)。

 

さて以下は本日の美術館(国立新美術館)の入場行列。

10
混んでいたが20分待って入れた。
あと二日、もう一度観たい名残惜しさがつのる。

妻ではありませんが、日帰りの割にゆっくり出来ました。
これも北陸新幹線のお陰でしょう。
ルノワール展につきましては次回記載の予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日記載のオリンピック女子ゴルフは本日最終日。
アジア勢、ことのほか韓国の強さが際だっていました。
メダルを逸したアメリカ選手の涙が印象的でしたが、現
在のゴルフ界を象徴するシーンだったと思いました。

日本の野村敏京(はるきょう)選手は最終組の最終ホ
ールで抜かれましたが、4位に入賞し健闘しました。

また昨日何気なく記載しましたロシアの選手は、本日
ホールインワンを記録するなど62のコースレコードを
打ち建てました。
4年間は破られない保証付きの記録、オリンピックな
らでは、ですね。

100年以上という長いブランクを経て再開されたゴル
フ。
女子で30数カ国も参加があったということですから、今
後さらに人気になるのではないでしょうか。

10月8日(土曜日)はチェロとギターの美術館コンサート。

2016年8月17日(水曜日)

今秋10月8日(土曜日)の夕刻に音楽会
「チェロとギターの夕べ」を開催致します。

スイスとスペインで研鑽されたチェロの竹花加奈子さん、
ドイツとイタリアで研鑽されたギターの蓮見昭夫さん。

秋の夕べのひと時
心打つデュオを存分にお楽しみください。

場所:樹下美術館
時間:18時30分開演 

 

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2012および13年のお二人の演奏会は大きな好評を博しました。

 

今夕の月
夕刻日没のころ、明日満月を迎える月が穏やかに昇っていました。

釜蓋遺跡の出土品を見る 巡業中の力士と会う。

2016年8月7日(日曜日)

昨年3月に開業した北陸新幹線の新駅「上越妙高」
周辺の関連工事における2005年の調査時、弥生
時代~古墳時代の大規模な遺跡、遺構が発見され、
2008年度の国史跡に指定された。

遺跡は埋め戻されているが案内施設(ガイダンス)
に出土品や説明物が展示されている。
上越妙高駅の目の前であるが訪れたことが無く、本日
お近くの方の案内で念願が叶った。

どんなものでも身近なものは詳しく見たくなるし、
知り合いの音楽や絵画などに特有の親しみを
感じるのは自然であろう。

展示物は決して多く無かったが照明がほどよく、
土器類の質感や文様が良く見え興味深かった。

 

2
↑展示の弥生土器から明るい印象を受ける。
縄文土器のおどろおどろしさ、須恵器の暗さ
からみると単純だが、当時の生活感も伝わる。

端正な器には一部でロクロ技術が用い
られていたのかと思うほどのものがある。
九州から始まったとされるクシ目模様もしっかり
施され、文化度の高さも十分ではないだろうか。

今後も周辺の発掘は続けられるが、いっそう
ダイナミックな展示が期待されるし、市県とも
もっともっとこの方面への注力を望みたい。

 

3
↑口作りにへらで模様を点けている。
肩の線も滑らかで美しい。

 

4
↑5,6本の歯からなるクシ目で波形に模様を点けてある。

 

5
↑10数本の細い歯のクシで円周に沿って複数ケ所模様を
施している。
ロクロが無かったとすると、一人で器を回して彫ったか、
もう一人の回す人と共同作業で櫛目を付けたのか。

 

6
↑何重もの同心円を重複させて描いている。
クシを使ってコンパス式に回して彫り模様を付けたようにも
思われるが、フリーハンドで同心円を彫ったようにも見える。

 

7
↑体験学習あるいは同好者が作成した弥生土器。
説明者が「どうやっても出土する土器のように薄
く作ることが出来ない」と仰った。
生活者の探求と技術は簡単に追従を許さない。

展示室にさらに南に下った吹上(ふきあげ)遺跡
で多く出土したヒスイの装身具が展示されていた。

ヒスイは日本海の糸魚川から、黒曜石は長野県
から運ばれたのであろう。

物物交換の原始経済であれば、当遺跡が属す
る妙高市の斐f太(ひだ)遺跡群の一つとして、当時ど
んな品(産物)が当地の交易材料だったのだろう。
主たるものは米だったにしても。

遺跡はいずれも山裾の扇状地に見られている。
低地の関川流域では洪水ばかりで稲作どころでは
なく、比較的高い土地の方が安定した農耕が出来たの
かもしれない。

弥生時代は争いが多かったとも言われるが、本日
見た土器の明るい生活感から、裕福では無かった
かもしれないが、平和な場所だったのではと思った。

さて本日上越市リージョンプラザで大相撲上越
妙高場所があり、ある力士にお会いした。

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終了直後にお会いした篠原関。
三段目全勝優勝の経歴を有し、
現在幕下で頑張っていらっしゃる。

学生時代に体操、テニス、ゴルフなどで極めて高
い身体能力を有し優れた成績を残した先輩がいた。

その先輩(医師)と仲良くされている篠原関。
このたび是非合ってみてと先輩から電話があった。

「結び」が終わった広い会場で主催の方にお
尋ねすると、清々しい笑顔で出て来てくださった。
ご挨拶をして一緒に写真を撮らせていただいた。
柔軟で賢そうな力士だった。

大相撲が楽しみになった。

 

中島幸子さんの追悼文集から。

2016年7月23日(土曜日)

前回7月21日に小山作之助のひ孫に当たる悲運のヴァイオリ
ニスト中島幸子さんについて書かせて頂きました。

彼女のバイオグラフィーはお母様の香織さんが1983年8月6日
に発行された幸子さんへの追悼文集「ヴァイオリンと共に」を主に
使わせて頂きました。

本書は幸子さんの恩師シャーンドル・ヴェーク氏、久保田良作、
板谷英紀の各氏、先輩の塩川悠子さん、ご友人たち、音楽関係
者など70人近い方々の寄稿によって構成されています。

 

ヴァイオリンと共に表紙
「ヴァイオリンと共に 中島幸子追悼文集」
画家・装丁家司修(つかさ おさむ)氏による表紙。
司氏は樹下美術館の常設展示画家・倉石隆の友人で、
倉石夫人・翆(みどり)さんは中島幸子さんの叔母です。

本日は書物から幸子さんの音楽と横顔についてかいつまん
で記させて頂き、最後に幾つかコメントを試みました。

【中島幸子さんの音楽】
ヴァイオリンは彼女の自然な生にの一部であり、楽器を完全
にしかも自然に自らの意のままに支配しきっていた/モーツ
アルト、シューベルト、ブラームス、バルトークはじめラベル
もものにしていた/モーツアルトに特別な親和力を有し、それ
は透明で清潔、軟らかく、生気に満ちた演奏だった/小柄だ
ったが楽器をとると数倍も大きく見え、信じられない迫力と大
きな音楽が湧き出した/音楽に対する自己規制の大きな力
を周囲に放っていた/厳しさとやわらかさのこもった演奏であ
り、伴奏をしながら心が震えるような感動を覚えた/優等生に
ありがちな偏った所がなかった/幼少から友人を大切にする
日常の中で完璧な基礎と専門性を身につけていたことが不思
議だった/神様がついているかのように成長し、才能を有した
者には人一倍の努力を行う義務がある事を具現していた/ブ
リリアントな音色、垢抜けしたリズ感覚/メンデルスゾーンの
ロマンを歌うに相応しく、パガニーニの閃光を自らのものとした
数少ないヴァイオリストだけに許された音楽/アンサンブルを
演奏していると桁が違いすぎると感じさせられた/最高のテ
クニック・深い精神生・音楽性・構成力・内的体験といったもの
の結合がみられた。/死はモーツアルトが神のもとへ連れ去っ
たと思うしか無い。

【幸子さんの人となり】
食通であり多彩な料理で人をもてなした/スキー、水泳から
野球、鉄棒、ボーリングをこなした/優しく、後輩をよく面倒み、
ザルツブルグでは日本の留学生の母のようだった/エキゾ
チックな風貌、キラキラ輝く大きな瞳/天真爛漫でお茶目だっ
たが、ヴァイオリンを手にすると別人のような鋭い眼差しに変
わり吸い込まれるような魅力を湛えていた/学ぶことも遊ぶこ
とも全力投球/物事の本質だけの世界に生き生きと生きる人
/筆まめ/みな内にしまって耐え、深い中心点から出てくる
恐るべき集中力/どんな時でも感情的にならなず、一言いう
と皆何も言えなくなった。

筆者からひと言。
早く父を亡くした幸子さんを音楽家として世界に輩出させた母
香織(かおり)さんの眼差しを思わない訳にはいかない。
幼少からの運動や遊び、学生時代の料理、円滑な友人間関
係などは、いずれも優れたヴァイオリニストへの全人的な養
育として意識されたものであろうと想像でき、大らかな中にも
厳しく困難な親子の日常が浮かぶ。
遠い目的地での成果の中で、突然訪れた幸子さんの急逝は
どんなに辛かったか、私などには想像もつかない。

それから30余年、失意に耐えられたお母様は数年前に亡くな
られた。
残されたお子、ヨナス・ルードナーさんはウイーンに於ける気鋭
のホルン奏者として活躍していることが伝わる。
またヨナスさんの父オラまたオーラ・ルードナー氏は、ウイーン
交響楽団のコンサートマスター,BBCほか交響楽団客員指揮
など活躍、経現在ウイーン・フォルクスオーパのヴァイオリン
奏者兼指揮者として活躍、度々来日されている。

長く仕舞っていた追悼本を取り出してこの度再読した。
作之助の音楽が死後90年近く経っても脈々と密かに、そして
輝かしく生きていることを喜び、この先へも希望を託したい。

小山作之助の曾孫のヴァイオリニスト、亡き中島幸子さん。

2016年7月21日(木曜日)

去る7月18日、海の日の祝日に卯の花音楽祭が上越市大潟区
で催されました。
大潟区出身で、荒城の月の瀧廉太郎を育て、夏は来ぬや川中島、
漁業の歌などを作曲した我が国の教育音楽の母と称される小山
作之助を讃える音楽会でした。

作之助の母はわたくしどもの高祖父、蘭学医杉田玄作の二女トヨ
で、作之助の弟で医師となった直次郎は当家に養子に入りしました
ので小生はその孫の一人、作之助は大叔父に当たります。

自分は作之助にいくばくか血縁ある身ですが、音楽の才能は無く、
卯の花音楽祭に際してわずかの寄附をさせて頂くだけ、あとは盆
に当家墓所の隣にある作之助の墓掃除くらいで、何もしていない
恥ずかしい縁者です。

ところで作之助に関する業績展示や顕彰事業は折々行われていま
すが、その子孫、特に音楽関係の後人についてあまり知られてい
ません。

実は直系の曾孫(そうそん・ひまご)に1949年2月27日上
越市大潟区生まれで、生後70日後に上京した故中島幸子(なか
じまさちこ)というヴァイオリニストがいます。
幸子さんは国立(くにたち)音楽大学付属幼稚園から同付属小、
中、高、そして同大学でヴァイオリンを学び、その間に久保田良
作氏にも師事しました。
※久保田良作:1928年-1997年のヴァイオリニスト、皇太
子徳仁親王のヴィオラ、ヴァイオリンの教師を務めた桐朋学園大学
教授。

幸子さんには以下のような輝かしい経歴がありました。
・1966年:学生音楽コンクール高等学校の部全国1位。
・1970年:第39回日本音楽コンクール2位。
・1971年:皇居に於ける御前演奏会に出演、海外派遣コンクー
ル入賞。
・1972年:ザルツブルグのモーツアルテウム音楽院のマスター
クラス入学、シャンドール・ヴェーク教授に師事。
・1973年:モーツアルト音楽祭にソリストとして出演。
・1974年:ヴェーク教授のアシスタントとなり後進の指導に関
わる。
・1975年:米国のマルボロ音楽祭に参加、同年東京でデビュー
リサイタル。
・1977年:パガニーニ国際コンクール2位。
・1976年からザルツブルグ・カメラータアカデミカ合奏団でコ
ンサートマスター兼ソリストを務めるようになる。
・1978年:ヘンリク・シェリング賞受賞。
・1979年:東京で二度目のリサイタル、また東京都交響楽団、
東京フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を演奏(後にNHKテレビ
で放映)、NHKFM「夕のリサイタル」に出演。

 

中島幸子さん写真
1979年、チャーミングな中島幸子さん31才のポートレート。
(ヴァイオリンと共に 中島香織1983年8月6日発行 から)

・1979年12月スウェーデンにてヴェーク教授の門下生だった
ヴァイオリニスト、オラ・ルードナー(オーラ・ルードナー)氏と
結婚。
・1980年:夫ルードナー氏およびリチャード・レスター氏と
「ザルツブルグ・ストリング・トリオ」を結成、ヨーロッパ各地で
演奏。
1981年:東京でトリオの演奏会、その後東北、四国、中国地方
の各地新聞社主催による演奏会に出演。
・1982年8月5日:ザルツブルグで長男ヨナス(陽)を出産。

1982年8月6日:長男出産10数時間後、突然肺梗塞を発症、
33才で夭折。
素晴らしい音楽歴を経て、新たな幸福に向かう時に何という悲運で
しょう。本当にこんなことがあったとは、とても信じられないこと
です。

次回はお母様が1983年8月に発行された幸子さんの追悼文集に
ついて掲載させて頂きたいと考えています。

合理的でユニークだった大橋巨泉さん。

2016年7月21日(木曜日)

「今日の話は昨日の続き 今日の続きはまた明日」。
これは1961年(昭和37年に予備校入学のため上京して以来、
学生時代を中心にしばしばラジオで聴いた番組の冒頭フレーズ
だった。

番組名は忘れたが、出演者は大橋巨泉、前田武彦、富田恵子
(草笛光子の妹さん)が中心のおしゃべり番組だった。
話し上手の面々が、毎夜時流の話題をまこと饒舌に語り合って
いた。
放送局は音楽番組が多かったラジオ関東という局で、巨泉氏ら
のおしゃべりに「さすが都会」を実感した。

その巨泉氏が亡くなられた。
氏には独特のポリシーがあり、一言で言えば見事な合理主義者
であろう。
シビアで無駄の無い金使い、多趣味を良しとする生活、社会の不
合理を嫌い、健康に対する科学的な理解など明快な人だった。

その氏は学生時代からジャズに明るく、雑誌の執筆、ラジオ出演
やジャズコンサートの司会など多方面で活躍された。

ジャズコンサートにはよく行ったが巨泉氏の司会は声が良くユ
ーモアがあり、同じ良い声の久保田二郎氏、いソノてルヲ氏ら
とともに人気があった。

巨泉氏が司会をされたコンサートで忘れられないのに「オスカー
ピーターソントリオと日本のジャズメンたち」という、有楽町ビデを
ホールで行われた変わったコンサートがある。
(1960年代後半だったと思う

巨泉氏が構想、構成したと考えられる演奏会で、司会も同氏だ
った。
オスカーピーターソンの黄金トリオが最初に数曲演奏した後、ク
ラブなどを終えた日本人ミュージシャンたちが次々集まってきて、
トリオとセッションするという雑然として楽しい演奏会だった。

ちゃんとしたプログラムが有ったのか無かったのか、いきなりトリ
オが長々としたアドリブを演奏し終わると、虚を突かれた形の巨泉
氏は「今のは“On Green Dolphin Street”ではないかと思い
ますが、、、」と慌てアナウンスしたたのが印象に残っている。

テナーサックスの西条孝之助や松本英彦、ギターの横内章次、ピ
アノの中村八大や前田憲男、ドラムスの猪俣猛や白木秀雄、ベー
スの原田政長、名は忘れたが自分が好きだったトロンボーン奏者
ほか沢山のジャズメンが深夜から早朝まで入り交じって舞台に上
がった。

これも巨泉氏のアイディアだと思われたが、踊り場などに酒類が
売られ、演奏者もお客さんも一体となり夜が更けるのも忘れて楽し
み一番電車が出る時刻まで熱いセッションが続いた。

 

チケット
上掲のコンサートの切符。詳しい年が書かれていないが、
1960年代後半であろう、演奏開始時間が夜12時とある。

外国人ジャズマンのコンサートで、時に客としてきている巨泉氏を
見たが、賑やかなグループの真ん中にいつもご機嫌な姿があった。

若き日の「今日の話は昨日のつづき今日の続きはまた明日」。
その前田武彦、永六輔、大橋巨泉、特別に快活だった人たちが亡
くなっていく。
皆さん何事も自前で楽しみ、権力を嫌い、清々しく貴重な人だった
と思う。

楽しかった第15回卯の花音楽祭。

2016年7月18日(月曜日)

本日月曜日は海の日の祝日、午後に第15回卯の花音楽
祭が開催された。
上越市が輩出した音楽家故小山作之助を讃えて行われて
いる
音楽会が出身地の大潟区はコミュニティプラザで催された。

 

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本日のプログラム。

大潟区のオカリナやギターのアンサンブル、近隣を交えたコー
ラスに加えて折々ゲストが参加する。

器楽は技術のほか和声が高度化したり、曲調の陰影が深ま
ったり、素人の自分にも毎年進化を感じることが出来る。

コーラスでは大人のドラマティックさ、中学生の若人らしさ、
小学生の胸打つ純真さが真っ直ぐに伝わった。

ゲストのソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の「よろずやリ
コーダカルテット」は唱歌から民謡、クラシックそしてピアソラ
までとても楽しかった。

上越教育大学大学院教授の後藤丹先生が編曲された「故
郷」と「夏は来ぬ」は、伴奏のピアノも美しく、卯の花合唱団
のコーラスはオーケストラを聴くようにこまやか、かつ壮大
だった。

 

会場

演奏は編曲と指導者によって大きく変わる。
良くなればさらに楽しく練習出来るにちがいない。
音楽をする人を羨ましく思った。

本日は後藤先生と相席し、終了後樹下美術館でお茶をご一緒し
た。
音楽について、作之助について、お話は面白くためになった。

主催される実行委員会の皆様、後援のまちづくり大潟、大潟の子
どもを育てる会、大潟ボランティア連絡協議会の皆様、有り難うご
ざいました。

地域の慎ましくも暖かな音楽祭、また来年も楽しみにさせてくだ
さい。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

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鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

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ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

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