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高田への三時間 精神に良かった午後

2011年6月5日(日曜日)

少しは家から離れたい日曜日。3時間のヒマをみて高田へ行った。三カ所を回って楽しむことができた。絵描きさんも呉服店さんも、バラ作りさんも、みな良い人たちでそれぞれ心こもりの品は気持ち良かった。

 

ああそれなのに、超危険物・原発の事故はまだ底なしの恐ろしい領域を残したままだ。近づけないほど危険な水は地下へ水脈へ、おそらく海へもしみ出ていることだろう。お前が悪い、言った言わない、うろたえる政治、確固としない関連学会。

加えて素人目ながら、一つの原発の来るべき精度疲労は部品を一つずつ替えれば済む問題ではないと写る。多分疲労・劣化は全体として一斉にくるのだろうし、それは巨大エネルギーシステムの最もデリケートで最も弱い点ではないのだろうか。

たとえ便利でも、恐怖を内包するシステムへの依存は少なくとも精神によくない。このたびの事故はそのことを極めて具体的に見せている。

時間と少々の不便はおそらく越えられる。もはやこれまで、今後は何事も精神に良い方を採用するこどだ。これこそ創意工夫の国、創意工夫の人、日本と日本人に相応しい過去と未来ではないのだろうか。

 

さて、高田の最初は遊心堂さん。小林新治・充也先生の親子展を見た。充也先生のさんさんたる色彩の雪、造形に虹彩を見るような日本画は魅力的だった。
新治先生はますますお元気だ。連日悩ましいアンバランスな政治とは好対照。そっとしたものから、晴々したものまで何とも気持ちのよい絵画だった。上越の風土はいかにもモチーフ豊かだなあ、とあらためて感じた。(充也先生の作品撮影は写真に室内が多く写ってしまい失敗、大変申し分けありません)。

灯台

大らかな大地と営みの風景画
花
優しい眼差しの生物画

次は「きものの小川」さん。いつも気にしながらお店の前を何度も何度も車で通っていた。さて今日は行くぞと、初めて伺った。高田の要所をきもので守る、とても貴重なお店だった。さわやかなご主人と奥様。先日樹下美術館へいらしてくださったお嬢様のお顔も見えた。ぜひまた来たい。

のれん非常にシックなのれん。何という色なのだろう、消し炭色?
あかり
吹き抜け天井からの灯り、山吹色かな
帯締め
帯締めのアラカルト

 

最後は陶芸家小川恵子さんのバラとお花の庭へ。以前少しご縁があったが、お会いするのは初めての小川さん。溌剌として美しい方だった。

バラまたバラの園内。妻と小川さんの会話は実に楽しそうであり、次々と出る花の名は私にはほとんどサッパリだった。下草もバラとよく調和していて、大変なはずの土の何気なさにやや驚いた。

IMG_0452
ばらその1
ばらその2
ばらその2

 ピエール・ドゥ・ロンサール
ピエール・ドゥ・ロンサール

 良い午後だった、また皆様のように頑張ろう。
樹下美術館も新潟の方々や何組もの若者さんたちでほどよい賑わいだった。

福島県からのお子さんたち  そして夏は来ぬ

2011年5月25日(水曜日)

あらいそ・絆   学校医をしている大潟小学校のPTA誌「あらいそ」。今年から始まったミニコラム絆のスタートに書いて、ということで駐在さんと一番バッターをしました。

福島県から上越市に避難されたお子さんの多くが、新学期から大潟区の小中学校に転校されました。それで福島の友達とのことを書きました。

 

わずかなスペースをなんとかうめて拙文とし、本日それが届きました。

新たな人との関係は、なにかとこちらの事ばかりを話したくなりますが、ぜひ相手(福島のみなさん)のことも聞いてほしい、一心を書きました。※文中の大潟町→大潟区でした(汗)。

 

そして本日は地元の保育園で春の健診。小中学校だけでなく、保育園にも10人ほど福島県からの園児が通っていることを知りました。

こうしてみますと、避難された方たちの中に如何に若いご夫婦が多いかが、あらためて分かります。職業のこと、教育、不慣れな生活、、、大変だろうなと思いました。まず何よりお子さんたちが当地でのびのび出来ることをお祈りしています。

 

どうかみな様頑張ってください。御地の回復、そして時には当地で楽しんでいただければと心から願っています。

 

卯の花 さて写真は、今日の保育園に咲いていた卯の花の植え込みです。

卯の花の匂う垣根に、、、♪の「夏は来ぬ」は大潟の人、小山作之助の作曲です。作曲は古く明治29年でした。曲は音階を上げていって高らかに終わります。

このことについて、團伊玖磨氏が随筆集「好きな歌・嫌いな歌」で曲の斬新さを賞賛されていました。確かに季節にふさわしい晴々としたエンディングだと思います。ちなみに以前にも書きましたが、作之助は小生の祖父の兄です(再汗)。

夏を迎える満開の白い花を見ますと、あらため花も曲もいいな-、と思いました。

歌が共有されていた時代 昭和の素朴なやさしさと力

2011年3月30日(水曜日)

今は昔、昭和よき時代の歌はだれ彼なく一緒に聞いた。次の復興・発展に向かった時代、みな何処かで貧しさや悲しさを共有し、美しいメロディを愛した。

 

ザ・ピーナッツ「心の窓にともし灯を」
1959年(昭和34年)NHK歳末助け合い運動のから生まれたという。
まだ新幹線も高速道路もなく、未舗装の道路が多く、東京タワーが出来たころ。
病に見通しがついた私は、上越市寺町の下宿でおじさんおばさんとちゃぶ台を囲んで食事をしていた。

 このところ患者さんたちは沈みがちで血圧も高い。私も同じ、大震災、原発災害の深刻さに感染している。

掲載した曲のハーモニー、メロディとも美しく、昭和ならではの丁寧さに力も感じられます。いつも古いものばかりで恥ずかしいのですが、どうかお許しください。

妻は仙台へ 大阪の救援車輌群 神話的な災害 

2011年3月26日(土曜日)

寒かった三月、今後の暦は三月までを冬と名付けては、と考えた。新潟市の拙作品展は厳しい環境の中で間もなく終わる。後半は圧倒的な震災によって作品展どころではなかった。

そんな中、お見えくださる方がいらっしゃて感謝している。午後会場を訪ねた。閑散としていたが、やむを得ない。

   給油

 道中では大阪、堺、なにわ、、、など大阪府ナンバ-の復旧車輌が多数給油していた。パーキングエリアの売店は休みと間違えるほど暗く節電してあった。
半分くらいの自販機に使用中止の張り紙。

 ところで私たちには宮城県に住んでいる親族が三組いる。昨日妻は大きな荷物を持って高速バスで仙台へ向かった。7時間はかかったようだ。二泊3日の強行軍、深いショックを受けないか心配だ。

 

          夕焼け
帰りの夕焼け。

毎日知る過酷な状況、神話とはこのようなことなのだろうか
神話から世界が生まれるとして
よい国づくりが始まることを祈りたい


昔の音楽を聞いてみた。
ジェームスディーンの写真とFausto Papettiの“小さな花”

最後の介護保険審査会 シェルブール  網膜剥離

2011年3月24日(木曜日)

資料が送られてきて、今年最後の介護保険審査会が来週で終わる。次年度中に70才になるので規定に甘えて今回を最後に委員を下ろさせていただくことにした。介護保険にはよく付き合ってきたと思う。

介護保険が産声を上げたのは平成12年度。その5年ほど前に突然、新潟県庁から何人かの役人さんが尋ねて来た。在宅医療や介護についてのヒアリングだった。色々聞かれた中で、保健婦さんの福祉マインドと介護技術を尋ねられた。あまりの急所に正直びっくりした。

来られた人達はみな若くよく勉強していた。何かが始まる気配を感じたが、まさか介護保険という壮大なシステムが想定されているとは思ってもみなかった。

昭和50年から総合病院の無い町での開業。忙しい外来のほかに往診用件が多く、在宅の看取りは当たり前だった。寒い部屋で糞尿にまみれ息子さんを待っていたおかあさん。一日中おかゆの手ナベ一個が枕元に置かれているだけのおじいさん。窓を開けて、お嫁さんの悪口を毎日叫ぶおばあさん、、、、。これでいいとはとても思われなかった。

欲を言ったらきりがないが、介護保険は世界に誇れる制度だと思っている。まがりなりにも理想が論じられた結果ではなかっただろうか。

 

シェルブールの雨傘:ピアノ・山田紗耶加さん

映画シェルブールの雨傘は

雪のガソリンスタンドと子どもの名前が切ない物語だった。

 今シェルブール一帯は原子力関連の施設を多く抱えていて、

別の意味で悲しい。

 ところで介護保険の前夜、福祉の事になると、以下のような話をよく耳にした。

 「福祉、福祉というけど、その前にまず経済をよくしないと」
「昔から地域には必ず気の毒な人たちが居たもんです、今さら騒がなくても」
「体を鍛えて介護保険などの世話にならないようにすることが大事です」

地域の慈善団体の長と、町の要人の話だった。
一番目の人は景気が良くても同じ事を言う。
奇異かもしれないが原子力発電のマターと福祉はどこか似ている。

不景気のアゲインストの中、ケアマネを育て社会のマインドを上げて
介護保険は頑張った。

数日前から右眼に網膜剥離の症状が出ている。

本日午後の眼科を予約した。

100発前後のレザーは覚悟しているが、手術だけは勘弁してもらいたい。

丈夫でもないのに、35年間病気を理由に仕事を休んだことがなかったので。

懐かしく辛い訛り  アマポーラ

2011年3月16日(水曜日)

今日の外来のAさんは全く元気がなく顔色は青冷めていた。長期出張のAさんは仙台からこられている。地震の話になった。

「仙台はもとより三陸一帯は営業で非常にお世話になった」「三陸はきれいで食べ物が美味しい、こんなことになるとは」「テレビで懐かしい訛りを沢山聞けたが、辛いです、、、」、一気に話されると言葉に詰まった。

 

「先生もお元気で」と帰り際に言われて、こちらがつまった。

 

 
ナナ・ムスクーリのアマポーラ

 羊飼い的なスペイン生活を経験している弟。乾いて花の少ないスペインではアマポーラ(ひなげし)がきれいだった、と聞いたことがある。

バテンレース 上越の素晴らしい織物文化

2011年3月7日(月曜日)

 バテンレースの名は子どもの頃から知っていた。昭和50年代以後も、上越市大潟区の農村部を訪ねるとお嫁さんやおばあさんたちが一生懸命編んでおられた。しかしその後次第に耳目にしなくなった。

 

 それが先日、88才になった患者さんから、出来ました、よかったらどこかに置いてください、と突然レースを差し出された。非常に繊細な出来映えに驚き、まじまじと見つめた。“糸の宝石”、レース!

 

全体 
 縦横:20×47㎝

コーナー 

センター 

  重なるブレート(基本となるテープ状の織物)紋様の重厚さ、軽やかな網目パターン、上品な姿。とても単なる内職仕事には思われなかった。

 かってバテンレースは高田一帯で8000人もの人が携わり、上越の一大特産物だったとある。

 

 中世ドイツのファブリック(繊維製品)が、地域のご老人によって密かに繋がれていたことに感動を覚えた。私たちの創造意欲とセンスは、88才の彼女に負けているわけではないだろうな、と少し心配になった。

 

 地域でこのように高いクオリティを有する産品が継承されていることにもっと眼が向けられてもいいのではないかと思った。私だけがよく知らなかったのかも知れないが、この先も長く伝えられてほしい。

 

レースを編む女 
 ウィキペディアの「レースを編む女」
フェルメール(1632-1675)作
23,9×20,5㎝
ルーブル美術館

 

  日本で唯一のバテンレース事業所:越後高田の特産を継承する
   吉田バテンレース
 

旅情の日曜日

2011年2月13日(日曜日)

プログラム見出し

  夕刻、直江津のセンチュリーイカヤさんの音楽会へ行った。
 前半は五郎部俊明さんのテノールで大須賀恵理さんのピアノ伴奏。食後のN響奏者による弦楽5重奏はコントラバスが入っていた。

 

 五郎部さんはイタリア歌曲を中心に美声と溢れる声量で場内を圧倒した。

 

 弦楽アンサンブルによるウインナーワルツは春を伝えてこまやか、かつ重厚だった。礼装した奏者は格好もよく、19世紀かくやありなん、旅情満点の熱演だった。帰るとテレビにN響オーケストラ、今見たばかりのお顔が見えていた。 

  チョコレート  

  

 

 

 

 

午後、最近では貴重となったチョコレートが届いた。ルブランの画像の前で記念撮影を。

 

 
 さんざんな予報が出ていた週末、寒かったがさほど降らなかった。

日本橋 ときわ木の御菓子「若柴」に善五郎の雀のお茶碗

2011年1月24日(月曜日)

 きめこまかいあずきを砂糖でコートした半なま系統の御菓子「若紫」。綿密なあずきと滑らかに装われた砂糖の歯ごたえが嬉しい。見た目以上に濃厚な味わいでお茶のお代わりが欲しくなる。

 御製は日本橋のときわ木、若紫は年に三回だけ予約を受けるという。

 

若柴  御菓子「若紫」の箱表

 

 20数年前に求めた永楽善五郎の雪中の雀のお茶碗で頂いた。偶然源氏に見初められ、いずれ紫の上となる若紫はまだ愛くるしい少女。出会いは愛玩の子雀をいたずらによって逃がされた騒動の最中だった。善五郎のお茶碗に今夜の出会いがあったとは。

 

 御菓子を届けて下さった方の有り難みを思い、雪の夜にかみしめるように頂いた。

 

               お茶と
雪の越後で若紫と小雀が再会

 

 さて当地では、一旦緩んだ寒波が再び猛威を振るい始めた。上越市は大雪災害警戒対策本部を設置、かなりの地域ですでに県災害救助条例の適応基準に達している模様だ。明日我が診療所も駐車場の除雪に業者さんが入る。

小生の植物画(ボタニカルアート)展のお知らせです

2011年1月21日(金曜日)

 恥ずかしながら来月18日から新潟市で小生の植物画(ボタニカルアート)展が行われます。所蔵されている方からも一部お借りして50点ほどの予定となりました。

 

 主催者さんが作成されたポスターやDMなどが届きましたので宣伝させていただきました。春を迎える1ページになればと存じます。

 

ポスター 
    お知らせb    

    “花の命を描く” 杉田玄ボタニカルアート展
     ●とき:2月18日(金)~3月30日(水)
     ●ところ:新潟市「知足美術館(ちそく美術館)」

              新潟市中央区新光町10番地2
             技術士センタービル別棟2F
             TEL 025-281-2001

     ●開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
     ●入館料300円
     ●休館日:会期中は無休です

     会場は県庁の左側(西側)4,5百メートルほど、

うす紫色のビルが二つその間になります。

     

41日間の長期展示です。お近くお越しの方、ご興味の方は

お気軽にお寄り下さい。

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