樹下だより

不安定な気象の一日 強く大型の台風8号。

2014年7月7日(月曜日)

日中しとしとと梅雨らしい降り、午後遅く一時風が強く、夕刻はわずかに陽が射した。

特別警報という最大クラスの警報が出されている台風8号が発生している。
宮古島にゆっくり近づいていて、島民に避難が勧告されていると報じられた。

930hPaという強くかつ大型の台風は、九州に上陸するなら9日(水曜日)の模様。

009

017上掲は上越市大潟区は四ツ屋浜の夕空。本日19時15分ころ。

 

宮古島と東京はおよそ2000キロ。
まだ遠くなのだが、本日夕刻7時過ぎからの空はいっとき赤く染まり雲は足早に流れた。

庭の虫たち 私とよく似た人。

2014年7月3日(木曜日)

樹下美術館の庭は鳥や虫などの生き物を案外多く目にします。
本日午後休診日の美術館で以下のような虫を見ました。

コクワガタが若いカエデの樹に取り付いて、初めてのことで驚きました。樹液が見られ所謂メープルシロップなのでしょう。
なめてみたい気もしましたが止めました。このようにごく小さな蜜をどこからどう探し当てるのか不思議です。

4,5羽のハグロトンボが日陰をひらひら優雅に飛んでいました。

ハグロトンボ(♂)ハグロトンボ(♂)
本日も見ました。。コクワガタコクワガタ
ハチも来ていました。クサグモの巣クサグモの巣1
よく見る綿のような巣。
巣を取ってもクモは後ろから逃げます。
ハグロトンボ(♀)ハグロトンボ(♀)
今年初のメス。全体が黒くシックです。ジャノメチョウジャノメチョウ
地味ですがこの蝶を好きになりそうです。クサグモクサグモの巣2
手前に捕らわれたカナブン
本人は奥で向こう向きです。

本日ほくほく線電車で来られた女性が植物画を持参されていました。
作品の色彩、形状、陰影など自然で正確、如何に根気よく真摯に取り組まれているか分かりました。
構図が良いので花の魅力が安定感をもってしっかり伝わります。

驚いたことにご自作というシーグラスのペンダントをされていました。
植物画とシーグラス。
お顔も性別も違うのに自分と似た嗜好の方に出会ってかなりびっくりしました。
どうかこの先も長くシーグラスを愛し絵画の探求を続けて下さい、私も頑張ろうと思いました。

「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」の最終回。

2014年6月29日(日曜日)

本日降りの最中に始まった4回目の「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」が終わった。

定数を越えて3組8名様の参加があり、筆者は卓を別に出して加わった。
和を以て貴しとする、知らない者同士も美味しいお酒がほどほど入り終始和やかな食卓だった。

茶室でではお手伝い頂いたお茶人のお心入りのお点前で、まろやかな茶を皆して服した。

始まりの膳いつものように小皿、中皿、徳利、盃など陶齋づくしで始まる膳。

吸い物碗はさすがに陶齋ではありません、サザエとジュンサイのお吸い物。

手水食後一休みの後、それぞれつくばいで手を清めてお抹茶席へ。

ご参集の皆様楽しい食事会にして頂き誠に有り難うございました。
厨房に入って頂いた大潟区土底浜の「都寿司」の親方と奥様、毎回の美味しい食事感謝に堪えません。

お帰りの頃は陽も射し良い日和でした。

新潟市美術館協力会のご一行様。

2014年6月27日(金曜日)

空梅雨というほかない晴れの日。向こう一週間の予報も今のところ雨マークは1日しか示されていない。

そんな本日昼前、新潟市から新潟市美術館協力会の皆様がバスで来館されました。
先日、同美術館で「樹下美術館の倉石隆」のお話をしたばかりでした。
仕事を終えて駆けつけると当館には珍しく大きなバスが駐車場にデンと停まり、
皆様全員で記念撮影の所でした。

塩田館長、松沢副館長、協力会の皆様の26人さん。
皆様には先月15日、貴館に於ける拙講演会でお会いしていました。
この度は熱心に当館の展示をご覧頂き、お茶を飲み庭に出て頂いたとお聞きしました。

140627新潟市美術館ご一行様これから赤倉へ。

赤倉は昭徳稲荷美術館を訪問の予定ということでしたね。
稲荷美術館は前田常作、糸園和三郎でしょうか、作品は胸打つことでしょう。
本日気温は上がりましたが風ほどよく、快適な美術館巡りだったにちがいありません。

デッキにパラソル 懐かしいクルーと再会。

2014年6月22日(日曜日)

ひどく降ることもなく梅雨といえば梅雨らしい一日。

さて先日のこと、大きなバイクで来られた男性のお客様が一人デッキで読書をされていた。
雨止んでいて、日射しも風も戸外で本を読むにほど良い日だった。

そうそう、うちにはパラソルがあった、とその時思い出した。
梅雨が開けるとデッキは日射しが強く、お茶を飲むのにやや問題となっていた。

幸いデッキのテーブルはパラソル用の孔があり、本日仕舞いっぱなしのパラソルを入れて広げた。

012

 

001スタッフがお茶を運んでくれた。

 

005ロールケーキを切って貰いケーキセットの750円を払った。
曇り空だったがパラソルには安心感があり、目の前の水田もご馳走だった。

この日、カフェで何十年ぶりに昔のヨット仲間と出会った。スキッパー(艇長)のI氏をK氏とともに支えていたW氏。当時自分は恥ずかしながら30フィートのオレンジペコ号のオーナーをさせて貰っていた。

クルーはサラリーマンを中心に、自衛隊員、とび職で佐渡海峡横断などのレースは常に捨て身で臨み、強かったと思う。W氏は何度か当館カフェを訪れていたとおっしゃった。30年ぶりだったが一目みて分かったし、当時と同じ純粋感、体型と健康感までそのまま。色々な意味で嬉しかった。

14秋、「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」のお知らせ。

2014年6月21日(土曜日)

来週末日曜日で「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」が終了致します。
1回5~7人の予定でしたが、毎回7人のご参加となり好評です。
(次回最終回は8名様となり館長は臨時席を設けて座らせていただきます)

次回10月の秋の会ですが、すでに何人もの方が参加希望を伝えてこられました。
(正式な受付は7月1日からとさせて頂いています)

 

14秋の寿司の会チラシ

「どうか秋の会もお気軽にご参加ください」

ラテンの美男美女 シェリトリンド アイス入り抹茶。

2014年6月19日(木曜日)

昨夜の事で恐縮ですが、サッカーWCの再放送を見た。
双方ラテンアメリカのブラジルVSメキシコ戦でメキシコが善戦した。

情熱的で大らかな印象があるラテン(アメリカ)の文化は遠いが親しめる。
試合中メキシコの攻勢でアウエーの場内にシェリト・リンドの合唱が起こった。

シェリト・リンドは愛しい人を思うメキシコの国民的歌謡で、自分なりに懐かしい。
思えば我が青春時代のラジオでラテン音楽はメジャーの一つで、幅広い人気があった。
マリアッチ、マンボ、レゲエ、ルンバ、チャチャ、ミロンガ、ボレロ、フォルクローレ、、、
タンゴに至っては本家のアルゼンチンのほかにドイツタンゴまであった。

今日と違って色々なことが自由に楽しめ、寛容でのどかな時代だったと思う。


ルチアーノ・パヴァロッティとエンリケ・イグレシャスによる「シェリト・リンド」
エンリケはスペイン出身の歌手でセレブリティであるフリオ・イグレシャスの次男。

 

黄色一色のスタンド

ラテンの男前達

女性選手たちは男前、観戦の美女たちも大人感があり魅力的だった。

アイス抹茶本日午後休診の木曜日は桜のアメシロ退治と散水などを行った。
汗した後カフェで妻が出したアイス入りの抹茶はいわゆる〝バカウマ〟
風味とともにさっぱりした甘みが広がり、いくらでも飲めそうな気がした。
(カフェの写真は妻のスマホで撮りました)

※あまりに美味しいので近くメニューに出来ればと思いました。

コムクドリとヒヨドリが一緒に水浴び。

2014年6月16日(月曜日)

数日梅雨の晴れ間が続いている。最高気温は27度前後、朝夕は20度少々で過ごしやすい。

先週土曜日の午後に座った美術館のカフェからヒヨドリとコムクドリが一緒に水浴びをするのが見えた。
何かと威張っているヒヨドリと愛嬌のコムクドリが一緒の光景は平和だった。

2

3水浴びには楽しむという雰囲気も感じられる。
鳥たちは新しい水を分かっていて特にそれを好んでいる。

三回目の陶齋の器でお寿司の会 コートジボワール。 

2014年6月15日(日曜日)

快晴の梅雨の晴れ間、三回目の「陶齋の器で寿司を食べる初夏の会」が無事に終了した。

本日も満席の7名のご参加があった。
職業、立場違えど陶齋の器で美味しいお寿司を食べ、お抹茶を服して思い出深い一期一会となった。

午前の庭清々と芝も刈られた本日の庭。

 絵唐津咲良に碗ものと絵唐津皿に盛られた寿司。

染め付け扇皿にいつもの染め付け扇皿に盛られた寿司。オクラにもご飯が詰められていた。

こうして良い季節6月が過ぎて行く

本日WCで日本を破った国コートジボワールを少し調べてみた。
西アフリカの海岸線にずらりとならぶ比較的小さな国々の一つ。
ウィキペディアでは人口:20,600、000人(???位)という実に曖昧な表記だった。
経済規模は佐賀県一県の水準だという。

数年前にも内乱があったという国状でこの強さ。
国名はフランス語。意味するところは象牙海岸(アイボリー海岸)。
その昔一帯から奴隷と象牙が欧米へ売られていった。
サッカーがこれだけ強いのだから今は平和にちがいない。

樹下美術館が8年目 図録のこと。

2014年6月11日(水曜日)

本日6月10日は樹下美術館の設立記念日。
あいにく火曜日だったので休館と重なった。

日頃早過ぎる月日に文句を言っている。
しかし樹下美術館に関して言えば、過ぎた時間は十分に手応があり、一種重量のようなものを感じる。

だが過ぎた日を懐かしむ暇などは全く見当たらない。
真剣に樹下美術館を考え思いを巡らせる毎日だ。

長い課題は齋藤三郎、倉石隆二人の収蔵作品図録。
本来ならスタート時に出来上がっているべきものを、毎年「今年こそは云々」と皆様の前で
7年も言い続けた。
これはもう罪というほかない。

今年に関しても年初めに、5月半ばの拙画展に合わせてと言い、
それを6月10日の設立記念日へと延ばし、そして本日その日にまだ出来ていない。

倉石隆図録原稿 (2)最終に近づいている齋藤三郎の稿。

 

倉石隆図録原稿 (1)倉石隆は齋藤三郎の二段階ほど手前にある。

間に合わないことの原因の一つは挨拶文に英文を付けることにしたことがある。
印刷会社さんが新潟市でその方面の方に依頼してくださり、作成中ということ。
そもそもレイアウト作業も自らPCでノロノロ行っているのが仇になっていよう。
最後に、倉石隆氏の「あとがき」が中々書けなかった。

本日それが突然のように概要として出来上がってきた。
あとがきに何ヶ月も掛かるのだからいくら時間があっても足りないわけです。
(今後これも何度か書き直すことになるでしょう。
天地ほどちがいますが、宮沢賢治はどんな原稿も際限なく書き直したと、聞いたことがあります)

あとがき

1995年夏のこと、「主人の展覧会が新潟市美術館である,、テープカットをご一緒しませんか」という一本の電話があった。倉石隆夫人からだった。夫人はその名を幼少にお聞ききしただけの遠縁の人で、電話で初めて倉石隆の名を耳にした。
40日に及ぶ展覧会が終わると、夫人からその時の図録が送られてきた。何気なく手に取った中身はおよそ人物画、それもみな深い魂を抱えているようで惹きつけられた。以来毎晩のように本を眺めては眠るようになった。「親戚に画家が居る、、、ああテープカットに行けばよかった」。日ごとに実物を見たい思いがつのった。

間もなく倉石宅を訪ねる日が来た。ベッドに身を起こした倉石氏は病によって言葉を失っていた。素晴らしいお顔立ちとはにかむような笑みは忘れられない。
当時、亡き父と小生で集めた陶芸作家・齋藤三郎氏の小さな美術館の構想が生まれていた。
「そのカフェの壁にでも架けて頂ければ」と夫人が仰った。以後彼女のご厚意や画商の案内で作品が少しずつ集まるようになった。

2007年樹下美術館が竣工し、その湾曲部に小さな絵画スペースが出来た。
壁前に立つと、倉石氏のモノクロームの人物達がこちらを見ている。決して美男美女ではない人々はいずれも作者の真剣な苦楽から生み出されている。不思議な事にホールに行くとどこからともなく倉石隆が現れ、作中の人物達と一緒の時間を過ごせる。集まるお互いは孤独でも孤立でも構わない。作家を囲みそれぞれ人生や命の営みを黙って語るのである。

氏のモノクロームは見やすいうえに深い。
往時を知る人から、倉石氏はとても素敵で地位名誉を求めることのない得がたい人だったとお聞きした。
嬉しい言葉だ。
樹下美術館の小さな白い絵画ホールに佇む時、いつしか心癒やさtれている自分に気づく。

さて以上ですが、今後も樹下美術館に文字通り精一杯(出来れば楽しんで)携わりたいと願っています。図録の遅れについては、「せっかくだから急がないで納得がいくように」というお言葉を何人かの方から頂きました。
このような暖い方々に甘えっぱなしで恥ずかしい限りなのです。

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