樹下だより

初冬の貴重

2008年12月6日(土曜日)

 季節風と時雨の合間に時々陽が差しました。暦は冬となって黙っていてもあわただしさに包まれます。

 

ただ今樹下美術館では全館に倉石隆の絵画を架けています。冷えて荒れがちなお天気のなか、昨日は杉みき子さんが、本日は筑波進さん、黒田進さんがそれぞれお見えになりました。初冬の日における文学、美術の人々のご来館は、そっとした物語が漂うような、そんな感じがしました。連日の寒い日頃、ご来館頂いているお客様に心から御礼申し上げます。 

 

わずかの晴れ間に出てみると、ヒシクイが飛び田に白鳥が降りていました。貴重な初冬の訪問者です。

 

カフェでは荒天であればあるほど、暖かいお茶をお出ししたく思っています。

 

 

 

初日

2008年12月1日(月曜日)

 倉石隆特別展が始まりました。当初「特別展」の冠を想定していませんでしたが、「せっかくの機会だから」のご助言でそう致しました。風もなく抜けるようなお天気の初日、お越し下さった皆様に心から感謝申し上げます。館内では、はじめて一堂に会した倉石氏の人物画20点が、伸びのびと喜びあう風でした。

 

トミオカホワイト美術館・長谷部館長様。このたびは新潟日報の「アートピックス」で大変お世話になりました。本日は美しいお弟子さんたちに囲まれた昼食をご一緒できて光栄でした。在りし日の倉石先生のクールなエピソードと、氏の絵画における背景のお話は感銘を受けました。また上越タイムスのTさん、いつもながら掘り下げた取材をしていただいて感謝しています。

 


女性像の一部

男性像の一部

 

星に祈った。

2008年11月30日(日曜日)

 明日から倉石隆特別展が始まる。夕方から現状の片付け。ケースの搬出。絵画展示。照明の調整などを外部の方の力も借りて済ませた。

 

陶磁器の4ケースを残して初めて全館の壁面に人物画を架けた。向かって左側に女性の、右側には男性の絵が合計20枚。奥のホールまでぐるりと架かったので館内にはうねりに似た絵画の迫力が響いているように感じた。

 

見渡すとあらためて倉石隆は「人間の画家」、の感慨がした。一点一点には人間を描く困難とともに、描き切ったすがすがしさが漂うことに気づいた。4点の陶齋の陶磁器が絵画と静かに調和していて嬉しかった。

 

夜遅く美術館を閉めて外へ出た。雲が地上の光を写して白く浮かび、切れ間にオリオンの星が晴れやかに輝いている。辛い人の悲しみが少しでもやわらぐように、心から祈った。

「倉石隆特別展」のお知らせ

2008年11月22日(土曜日)

 すでに初雪もあって12月も間近となりました。果たして今年はどんな冬、そして雪になるのでしょうか。 

さて12月は倉石隆特別展と名うち、陶芸ホールを含めて全館に倉石隆作品を架けることに致しました。一年に一度くらい、やや手狭の絵画ホールを脱してのびのびと絵を飾っみたいと考えたからです。全館と申しましても小さな美術館ですから合計21点の油彩です。

 

展示は少し趣向をこらして、人物画を男女に分けて並べることにしました。氏が人物を多く描いたことの真意は詳らかではありません。しかし当館の作品を見ますと女性には畏怖、憧憬、憐憫、謎などが、男性には孤独,不安、必死さ、道化表象などが感じられます。
絵を通して「よろしければ皆さんと共に人物たちを眺め、語りましょう」と、倉石氏が話しかけているような気がします。

 

十分な作品点数ではありませんし何かとせわしい時節ですが、どうかお暇を見てお越し下さい。なお挿絵本の展示は継続しています。

 

以下の写真は展示の一部です。左に女性を右に男性の絵を並べました。 

※展示期間は12月1日(月曜)から12月28日(日曜)までです。大雪の日は念のためお電話をください。【電話】025-530-4155

   
イブ 黄昏のピエロ
   
    Dsc_2808_5   
北の人々 めし
   
女性像 異国の人
   
    
スフィンクス 馬上の人

額作り

2008年11月6日(木曜日)

 樹下美術館では12月1日から一ヶ月間、館内の壁面すべてに倉石隆の絵を架けることにしています。ふだん絵画スペースが小さ目ですので一年に一回全館を使うことにしたわけです。
といっても全体が小振りな美術館です。陶芸ホールに追加できるのは14点。全部で23点ほどの油彩です。この間、陶齋作品は4,5点を選んで配置する予定です。絵画と陶芸がうまく引き立て合う事を願ってレイアウトを考えたいと思います。

 

ところで展示を予定している作品には額が傷んでいたり、展覧会用の仮縁(かりぶち)のままのものが何点かあります。
そこで今日午後、お世話になっている大島画廊さんでそれらの額を新調することにしました。いつもながら額の選定は楽しくも難しい作業です。当然額ばかりが目立っていては駄目。あまり同じ風合いでも妙味に欠けます。上手く選んで作品がほどよくまとまり、願わくば格調も高まれば、と思いは尽きません。

 

額といえば10月に訪れたピカソ展、フェルメール展ともに額はあっさりして地味に感じました。ただし地味でもお金は掛かっているのかもしれません。かたや当館はささやかな個人です。あまり費用は掛けられませんが、フレーマーさんと精一杯選んでみました。ご来館の際にはぜひ額の調子などもご覧ください。

 

   
額の制作現場

 

本二冊

2008年10月30日(木曜日)

樹下美術館のカフェの本に以下の二冊を追加しました。

○「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」 発行朝日新聞 2005年
美しい写真だけで170ページを越え、さらにくわしい資料が載せられています。本書は2005年12月から2006年7月まで全国5都市を巡回した展覧会の図録です。江戸前期、石川県西部の九谷村で生まれた晴々とした古九谷焼きは数十年で絶えました。それから100年以上もたって失われた焼きものを見事によみがえらせたのが吉田屋窯です。残念ながら吉田屋も多額の経費によってわずか7年の営窯だったそうです。しかし江戸後期から今日へと続く九谷焼きの再興に多大な貢献を果たしました。豊かな器は図録を見ているだけで胸がときめきます。

昭和になって富本憲吉や北大路魯山人が色絵磁器を学びに九谷を訪れました。富本憲吉が九谷の北出塔次郎(きたでとうじろう)の元へ初めて通ったのは昭和11年でした。当館展示作家の齋藤三郎はちょうどそのころ富本門下生でした。九谷へも同道した可能性があり、齋藤作品に九谷の影響を残すものは少なくありません。

巻末には現代九谷の徳田八十三吉、須田菁華、北出塔次郎はじめ、遊学した富本憲吉、北大路魯山人の作品も掲載されています。石川県九谷焼美術館は当地から西へ150キロほどです。画集を見ていると再訪したくなりました。

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図録表紙 吉田屋 鉦鉢(どらばち・左)と平鉢(ひらばち・右)

○「LACKOVIĆ」 (ラツコビッチ)
イワン・ラツコビッチ・クロアタ氏はクロアチアのナイーフアート(またナイーブアート:素朴画)の画家です。作者は、クロアチアの清澄な風土をガラス絵や線描を通して沢山描きました。本画集でも故郷の森と丘の生活が明快な線で描かれています。しかしここでは、雪や花が巡るのどかな村は過酷な歴史の上にあることも克明に描き込まれました。
クロアチアは先の2002FIFAワールドカップで新潟県十日町のピッチを使って合宿をしました。本書によって遠かった国がより細やかさをもって近づくように感じられます。

日本にわずかしかない本を東京から携えてくださったのは、私の町大潟ご出身のアーティスト渡部典さんです。彼女の友人で新潟県津南の人・山崎富美子さんは、クロアチアに5年間もの滞在をされ、同国のナイーフアートを研究されました。富美子氏は滞在中にラツコビッチ氏と出会い、親交を深められました。帰国後クロアチア大使館の後援を得て東京はじめ各地でラツコビッチ絵画の紹介をされています。

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LACKOVIĆ 作品

 

チェンバロとバロックヴァイオリンの演奏会

2008年10月21日(火曜日)

 新潟県上越地方は最後の雨がいつだったか忘れるほど好天が続いています。
晴々としたお天気に恵まれて昨夕と今日の午後、樹下美術館でチェンバロとバロックヴァイオリンの演奏会を致しました。チェンバロが加久間朋子さん、バロックヴァイオリンは本多洋子さんです。申し分のないキャリアのお二人は気迫あふれる演奏をなさいました。あえてポピュラーな曲を避けたというプログラムでしたので、一生懸命耳澄ませて聴き入りました。関ヶ原の時代あたりからというバロック音楽ですが、涙が出そうになったり不意でモダンな和音にハッとしたり堪能しました。

 

二日間、野辺の小館がバロックの音色に満たされて幸福でした。お客様。演奏者のお二人様。お手伝い頂いた皆様。 本当に有り難うございました。

 

 

陶齋の湯飲み

2008年10月12日(日曜日)

 連休ということで、少しゆっくり陶齋の湯飲みについて書いてみました。
まずなにより陶齋の作陶は多様です。なかでも絵付け作品の多様さは抜群でしょう。灰かぶりには手を出さずむしろ嫌っていた、とは若くからの陶齋を知る写真家・濱谷浩氏の言葉でした。造形と独特の風雅な筆に優れた陶齋のこと、近藤悠三さらに富本憲吉から手を交えんばかりに学んだならば、それは自然なことだったにちがいありません。
その陶齋の多様さが身近に現れるのが湯飲みです。鉄絵、染め付け、辰砂(しんしゃ)、金彩、絵唐津風、銀彩、色絵、等々。これらを駆使して、掌に入る器一つ一つに精魂を込めています。しかも何万個も作ったのではないかと、窯を継いだごご子息二代陶齋(尚明氏)のお話でした。番茶好きだったという湯飲みはそれだけで十分な陶齋ワールドです。樹下美術館では現在楽しい陶齋の湯飲みを展示しています。

 今度はどんな湯飲みに出会えるか、陶齋を愛した人たちは皆そう思っていたことでしょう。そして私は今でもそう思っています。

 

辰砂呉須絵・ざくろ紋

鉄絵・椿紋
   
柿釉銀彩・こぶし紋 染め付け・ざくろ紋/あざみ紋
   
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赤絵金彩・葉紋
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絵唐津風・柳紋
   
色絵窓字・どくだみ更紗紋

色絵面取り・妙高山紋/椿紋

可愛いお客様、そして「お声」

2008年10月9日(木曜日)

  今日、日中はかなり蒸し暑くなりました。医業の本業では、このところ風邪の方が増えています。激しくはありませんが夏風邪に似た症状です。
さて木曜日の午後は休診にさせて頂いてますので、美術館に寄りました。ちょうど妙高市から若いおばあちゃまと一緒の可愛いお客様が見えていました。樹下美術館には、時々親御さん連れ、おじいちゃまおばあちゃま連れで可愛いお客様が見えます。皆様のホールやカフェのひとコマは、とても心なごみます。またいらして下さいね。
ホームページお声欄に8月、9月分の皆様のお声を掲載させていただきました。

 

2008年9月29日(月曜日)

 昼休みに美術館に寄った。駐車場に新潟ナンバーの車があった。カフェで一人の青年がパソコンを開いてるところだった。挨拶をして名刺を差し出した。新潟日報のフリーペーパーをご覧になって120キロを訪ねてくださったという話だった。日に焼けてきりきりとした目鼻立ち、簡潔にまとまる言葉、もしかしたら他県の方かなと思った。やりとりから広島のご出身とのこと。東京で学びさらに大学院生として新潟へ来たと仰った。彼の方から椅子を引いて、よろしければ隣へと、勧められた。これは私が知っている新潟の文化ではない。喜んで隣に座らせてもらった。

 

お茶を飲みながら、山陰の地勢から地域の話題になった。あの尾道でさえ地場産業が不振で、かねての文化の維持に危うさがみられているという。しかしどうしても40年近く前,大原美術館を訪ねた当時の晴ればれとした活況しか浮かばない。閑散化しがちな坂の町並に、近時リタイアした都会の人たちが住むようになっているようだ。なんとか尾道にはまぶしを失わないでほしい。

 

途中、樹下美術館はとてもいいと、彼は言った。その一つが来てみると「駅に近い」からといわれる。1、3キロもあるのだからエッと思った。しかし自分の中では近い、つまり歩ける距離だからいいというのだ。新潟や上越は広くてすばらしいが、どこへ行くにも車だのみになる。今後、経費や効率の総体を考えれば施設・住居は次第に駅周辺を意識する時代になるのではないか、と話された。北陸新幹線の先、在来線の存否にもかかる話だが、なるほど、と思った。

 

たしかに、たまの東京からのお客さんは大抵ほくほく線の鈍行で犀潟駅に下車される。そして当館まで歩かれる。雨の日も。普段1キロでも車に乗る自分があらためて問題に見えていた。

 

最後に新潟を選んだ訳を彼に尋ねた。曇った空を指して、「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」と述べられた。私は、しばらくこのようなことを忘れて過ごしていた。とても良い時間だった。

※夕刻、トキが里で餌を食べていた、とニュースが伝えていました。

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