樹下だより

雪が降った日の看取りと訪問 自分と皆様の今昔。

2021年2月9日(火曜日)

気温は2度ばかりで寒く、日中雪が交じった。春遠からじと言ってはみたが冬も粘っている。

時々仕事めいた事を書かせて頂いているが、一昨日深夜に続いて本日午後また看取りがあった。10年在宅で診ていた方は、優しく笑む細身のおばあさんだった。
昨日いつ止まるか分からない呼吸のなか、耳元でお名前を呼ぶとほんのかすかに口元が動いた。このような時、「又来ますからね、安心して」としっかり告げて額を撫でる。

およそ看取った後、親は諸般忙しくせざるを得ない。一方、ひっそりした部屋で、お孫さんが目を赤く泣きはらして亡きがらに添っていることがよくある。
お孫さんと祖父母の関係は素朴で暖かく、そして短い。感受性も強いので余計に辛く悲しいのだと思う。

 

続いて向かったのは小高い場所のお寺さん宅。

 

道路脇が除雪してあり、そこに車を停める。

 

先を行く看護師。

 

上ってきた階段を振り返る。

到着すると、
いま先生が看取ったところと、電話がありました。そう言って住職が身支度を整えていた。ああ、みんな繋がっているんだ、とデジャブに似た感覚がした。

話はその昔、開業して10数年間は、慣れぬ手付きで頭や手や顔を縫ったり、子どもたちも沢山診て、100を越える胃癌も見つけた。近隣に若い医師の開業が相次いだ後、介護保険がはじまり一時在宅医療が一段と拡がりをみせた。その上施設の出向も加わったので、今日まで6~700の看取りをした。

そもそも45年もやれば、当初40才の方は85になり、8才の子は53才になる。確実に自分も相応であるはずだが、なぜか60代半ばの感覚がよぎるのである。

90才代の方に年を尋ねるとしばしば40と言う人がいる。自分もそのように答えるのではないかと思うと、今から気恥ずかしい。

厳冬の立春。

2021年2月3日(水曜日)

久し振りに少々の雪が降った。
暦には本日が立春と書いてある。日は長くなったが今ごろが1年で最も寒いらしい。

 

本日美術館の近くの道。

 

昨年3月2日の近隣の様子。

まず雪らしいものが降らなかった昨年。
今ごろのブログにはテッポウユリを植えたと書いてある。それに比べて、今年の冬休みはのんびりした感じがする、と妻が言う。
確かにである。いつになったら庭仕事が出来るのやら、雪消えの節は一度に忙しくなることだろう。この分だと春は遅く短く、一挙に夏になりなねない。

美しく美味しい長崎の桃カステラ 良い思い出の価値。

2021年1月26日(火曜日)

この度の豪雪をもたらした寒波以来、空は10数日小康となり雪の日を見ずに過ぎている。
全国ニュースで連日「上越市の雪」と報じられたので雪見舞いの電話や手紙をいくつも頂いた。

このたびは長崎市の方から「桃カステラ」というお菓子が送られてきた。桃は古来中国の果物の王様?であろう。本日午後それを頂いた。

 

砂糖無しの紅茶で。

 

今日は四分の一食べました。

しっとりとした長崎名物のカステラに砂糖菓子の桃が芸術の域で美しく盛られている。国際都市である南国長崎に相応しいお菓子をミルク紅茶で頂き、しばし心が和み、かっての長崎旅行を思い出した。
2018年5月における一日目の長崎 2日目の長崎

過日、ある作家が悩み相談で、コロナ鬱などに対して昔の事を思い出してはと、応えていた。
どんな人にも良い思い出はある。こんな時こそそれらを思い出しその時の場面や気分を蘇らせるのは、心の安らぎをもたらすはずと述べられた。
確かにいっときでも良い、悲観的な観念から脱する方法として頷ける。場合によっては繰り返せば良いかも知れない。

私自身、ややもすると高齢やコロナの鬱を感じる事があり、ふと昔の事を思い出すこともまたある。
年令のこと一つとっても、このような傾向を生じるのは、加齢に沿った自然な摂理かもしれない、と作家の言葉を噛みしめてみた次第です。

良い思い出を持っている、あるいはそれを作る。現実と将来ともに大切なことなのですね。

純血と優越の果てに到達した暴力 オスカー・ピーターソン・トリオ「自由への讃歌」。

2021年1月21日(木曜日)

アメリカの大統領が代わった。あの人がどうだったか以前に、出来事は何だったか、が案じられる。
純血と優越の果ての暴力。
暗いトレンドだったが、これは点火すれば何時どこででも暴発し、だれかがしっかり止めないといくらでも繰り返す。今回は止まって良かったと思うと同時に、止まったままでと願っている。

 


オスカー・ピーターソン・トリオの「Hymn To Freedom」
自由への讃歌は1964年デンマークに於ける演奏。
時空を埋め尽くそうとする演奏にいつも魅了された。
何度も来日したオスカーピーターソン。幸運にも1960年代に二度聴いた。
(そのうちの一回が以前掲載しました有楽町ビデオホールの演奏会でした)

カナダ出身の彼も陰ひなたに屈辱の差別を受けたという。日本人は喜んで迎えてくれると言って、黒人のジャズ・ミュージシャンたちはよく来日した。

一度だけの人生なのだから、出来れば寛容に生きたい。

昨日除雪された道を走ってみた 本日の美術館 ハワイアン音楽への始まり。

2021年1月17日(日曜日)

今回の豪雪が始まって以来、地域の幹線道路なのに中々除雪が進まなかった県道「浜線」。
多くの人が徒歩を余儀なくされ、これが昔ながらの移動、と否応もなく感じた。

その浜線も昨日除雪されほぼ普段の通行に戻った。
土曜日午後、ずっと家に居たが主要な道路が開いたので、暮れてから浜線、国道8号線、新柿線を走ってみた。
まだ幾分狭いのですれ違いは双方でスピードを落として走る。だが黒々とした道路はやはり心強かった。

 

ようやくきれになった昨夕の浜線。

 

 

咲く夕暮れ、新柿線は内雁子の「朝日池むら市場」。
日ぐれて閉まっていたが、イルミネーションに誘われて駐車場へ入った。

 

店の前に並ぶパンジーのプランター。
サクラソウとパンジーは、雪があろうと春を待たずに咲きはじめる。
豪雪に花、心使いが嬉しい。

本日の樹下美術館。雪の中で踏ん張っているのだがやはり寂しそうだ。

 

さて前回学生時代にハワイアンバンド部に所属したことを書いた。一旦書くと何を言われても構わないという気にもなった。

それで本日、私達がテーマ曲に借用していた「Na Lei O Hawaii」を載せてみました。曲名はハワイの花飾り(レイ)、という意味でしょうか。

 


当時第一人者、バッキ-白片の「ナ・レイ・オ・ハワイ」。
どんなグループも自分たちのテーマ曲をみな愛している。
2小節目の頭のディミニッシュコードの響きが気に入っていました。

幕が開く、あるいはバンドが入れ替わる、、、。
間髪入れずに澄んだスチールギターが、続いて一斉にベース、ギター、ウクレレ、ヴィブラフォンが鳴る。場内は主にスピーカー音が響きますがステージはほぼ生の音に包まれます。立ち上がる音の立体に、毎回何とも言えない緊張と爽やかさを覚えました。

ハワイアンと言えば、結核を患った高校時代、肺機能維持のためにと、いい加減なことを言ってウクレレを買ってもらいました。本当は、当時ラジオからしばしば聞こえた軽快なエセル中田の「カイマナ・ヒラ」が気に入ってしまい、どうしてもウクレレがほしくなったからでした。

 


1958年の音源で「カイマナ・ヒラ」。

教則本を求め、寺町の下宿で「カイマナ・ヒラ」はじめ、「アロハ・オエ」「Beyond The Leef(珊瑚礁の彼方に)」「小さな竹の橋の下で」などを弾いて歌ったのが始まりでした。日常が制限され、服薬と毎週の注射が続いた生活をウクレレに支えてもらったと、振り返っています。

半年の休学を含めて4年がかりで高校を卒業すると病は癒えました。重かった空の雲が晴れた東京の学生生活。勉強とともにテニスと音楽、二つの部活も熱心に取り組みました。

謹賀新年

2021年1月1日(金曜日)

 

良寛さん出家の謎、小島正芳先生のテレビ出演 ほくほく線電車が上る 樹下美術館の雪。

2020年12月31日(木曜日)

本日午前NST新潟総合テレビで9時50分から30分間、「良寛さん出家の謎」が放映された。今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演された小島正芳先生が案内役として解説、出演された。

 

 

若き日の良寛の筆跡にすでに見られていた生真面目さを等を説かれる小島先生。
今夏から全国良寛会会長の重責を担われた。

 

領主見習いとして家と地域の諍いに苦労の絶えない良寛。
ある夏の日、出雲おけさを一心不乱に踊り明かし、翌朝光照寺を訪ねて仏門に入る。

 

右・書家泉田祐子さん、左・真保恵理アナウンサー。
このほか光照寺でご住職との対話もある。

 

書物のき覚え書きに見つかった10代のころの筆跡(左)。
右は晩年の書。
青春時代と晩年の書。専門家が見れば変わりなき手筋や人柄が見えるのだろう。
波乱をまじえて光照寺への入門前夜のことがリアルに伝えられ、とても良い放映だった。

 

さて大雪と言われたが本日美術館周辺は10センチ前後積もっただけだった。
昼食を抜き、昼前から鳥たちや電車をゆっくり見に出かけた。時折地吹雪が起こり日中とても寒かった。

 

悪天のなか時間通りに上って行ったほくほく線電車。
(向こうへ走っています)

 

本日の美術館。寒さをこらえている風だった。
あとふた月半したら開けに行きますし、その前には庭仕事もします。

本日は大晦日。新型コロナウイルスに押さえつけられていた1年だった。
開館を二か月半遅らせ、6月は午前のみの営館にした。強力なエアコン導入、思い切った換気、カード対応ほか一般的な備えをした。裏手の庭に椅子テーブル席を新たに設置し、カフェではマイセンとイッタラの食器を加える一方、二種の軽食メニューを中止し簡素化した。

当地も一定数の感染報告があったが、来館者さんは昨年よりも増えた。特に若い世代が伸び、毎月前年比10~15%多く来て頂いた。郊外型施設のイメージが受け入れられたのかもしれない。

展示物も熱心に見て頂き、全ての来館者様には感謝に堪えない。

 


どこかの街のスゥインギーなジャズ・ライブ。
「We’ll meet again(また会いましょう)」
お年寄りのクラリネットとピアニストは歌といい、中々です。
こんな楽しい所があったなら毎日でも通いたい。

皆様、良いお年を。
来年またお会いしましょう。

今年の表向きの仕事が終わった コロナ 大潟水と森公園の鳥 豪雪予報。

2020年12月29日(火曜日)

本日今年の診療所が終わった。新型コロナ一色の年だった。
自分が罹れば皆さんも罹り、その逆も然り、スタッフおよび家族も同じ。重い三位一体が突然にして現れ、高齢者さんを多く診ているので、感染=重症化のイメージを常に払拭出来ず苦しい課題だった。

当初、臨床の入り口である検査の門戸が異常に固く、果たして先進国なのかと心底悩まされた。初夏のころから比較的スムーズな体制に移行したが、そのころ既にウイルスは小休止を装っていた。
もたついた当初の対応はあたかも国の方針の如く擁護されたが、実際は中央から保健所に至るまで公の体制があまりに貧弱だったためだった。幸か不幸か日本では同じコロナウイルスであるサースとマーズへの関わりが乏しかったことが、響いたのではと考えることにしていた。

感染症の動向は季節因子の影響を少なからず受ける。
間もなく1年、未知疾患の基礎と臨床の知見がようやく揃い始めることになる。この後のワクチンと特効薬の動向は大きいが、それまでは対応の効率化が最重要課題だ。1年の経験をもとに幾つか関連法の整備に手がつけられ、流れの円滑化が期待される。

いずれにしてもこの冬が正念場ではないだろうか。余計な犠牲者を多くしないよう、気を付け、あと二か月少々の冬を何とか無事越えたいと思う。

本日は風雨なくまことに穏やかだった。
在宅訪問が一件だけだったので、その前に大潟水と森公園を歩いた。秋冬の妖精、あこがれのエナガに出合うことは叶わなかったが、40分ほど歩いて以下の鳥を見た。

 

カシラダカ。

 

 

シジュウカラ。

 

 

アトリ。

 

 

コゲラ。

 

 

小さな流れにミズバショウの芽が出ている。

無理を言って1週間休ませて頂くことにした。
しかるに明日から強い冬型となり、正月も豪雪が予報されている。数年に一度という雪らしいが、初詣の寺は決めてあり、唯一の外出予定がそれ。小康があればと望みを託している。

今日、今年の樹下美術館が終わりました。

2020年12月20日(日曜日)

新型コロナを心配しながら樹下美術館の2020年の営業が終了しました。
全ての人に重く等しく迫ったコロナの災禍。
“万事塞翁が馬”
大変でしたが真摯に受け止め、苦労した人ほど心身の抗体を強く獲得した、という風に考えたい、と思っています。

頭の洗濯として荒れた海を見に大潟漁港へ行きました。

 

 

 

閉館近く二組のお客様が見えて、お茶を一緒しました。

今年購入し、ご好評を頂いたイッタラのカップ&ソーサーが最後を飾った。

 

ある方がプレゼントといって「スージー・クーバー」の楕円皿を下さった。
既に終了したメーカーながら、今でも人気を保っている。
一目見てスージ・ークーパーだと分かり、
初めて手に取り、素晴らしさを実感。果物を盛ってみました。

絶妙なパステル調の色使い。楕円ぶりも麗しい。
オムレツ、果物、、、お茶会でお菓子も載せてみたい。
貴重なお品を有り難うございました。

 

開館を3ヶ月近く遅らせるなど、コロナで大変な年でした。
至らないことが多かったと振り返っていますが、皆様のお陰をもちまして何とか終了しました。

来年度は3月15日(月曜日)から開館です。
お待たせ致して申し分けありませんが、無事開けられるよう健康に注意して臨みたいと思います。

本当に有り難うございました」

明日で今年度の終了。

2020年12月19日(土曜日)

北風が吹き付け、外気温が2度前後だった本日。幸い樹下美術館周囲の積雪は少ないまま推移している。

 

本日の様子。

悪天候でしたが13人様にご来館頂いたそうです。とても感謝いたしてます。

以下周辺で見た鳥です。

スズメの群。
比較的雪が少ない当地に集まっているのだろうか。

この数日アトリやカワラヒワなどの群も見ている。
鳥たちにとって暖かかった昨冬は天国だったが、一転今年は厳しく始まった。餌が不自由する季節をどのように凌ぐのか、一見あっけらかんとしている鳥たちを見ていると心配になる。

メジロの小さな群が垣根に来ていた。
きれいな色に癒やされる。

今年の営業は明日一日を残すことになりました。少しでも天候が回復しますように。

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