庚申塔(こうしんとう)その1。
今年6月、黒井の大慈院でありありとした火頭窓を見た。
ふと目にしただけだったが、何故か晴れやかな気持ちが
して、以来その窓に興味を持つようになった。
その後何度か近隣の寺を見て回り、髙田寺町の久晶寺
や浦川原の顕聖寺(けんしょうじ)あるいは柏崎の妙満
寺でなど立派な窓を見た。
その寺巡りの中で顕聖寺を訪ねた際、門前で二十三夜の
石塔(二十三夜塔)を初めて目にした。
不思議な名の塔(塚)は古い女性たちが月を仏に見立て
て行った行事の記念として建てられたものだと知った。
石塔の時代離れしたいわれに心惹かれ、以来火頭窓と共
に二十三夜塔は好奇心の対象になった。
その後10月下旬の魚沼行きでは 雲洞庵始め道中の寺院
で幾つもの火頭窓を目にし、随所に二十三夜塔とも出会う
ことが出来、とても満足だった。
ところがその魚沼で、また一つ「庚申塚(こうしんづか)」
あるいは「庚申塔」が新たな興味の対象として加わった。
魚沼の最後に訪れた毘沙門堂には二十三夜塔と共に庚申塔
があり、そこで出合った女性が「二十三夜塔のことは知ら
ないが、庚申塔なら知っている」と仰った。
実は庚申塔については、今は亡き大先輩医師がかって当地
の医師会報に一文を書かれたことがあった。
若かりし私は“古めかしいな”と感じただけで、目を通さず
に終わっていた。
今思えば残念だが、このたび毘沙門堂の女性の話から興味
を覚えるに至った。
二十三夜の月待ち行事は女性のものだが、庚申講の行事
(庚申待ち、庚申様)は男たちのものだった。
二つの行事はいにしえの男女の立場や生活感の違いが現れ
ていて興味深かった。
↑魚沼の初日の朝、六日町の街角で早々に出合った二十
三夜塔。
この時以下のように反対側からも写していました。
手前から二つまで庚申と読める文字。四番目に二十三夜塔。
この時は庚申塔をほとんど気に留めていなかった。
以下は291号線を北上中に見た石塔群。
そして左の石仏。後にこれも庚申塔であることが分かった。
合掌する手を含めて六つの腕を持つ青面金剛(せいめんこ
んごう)が大きく彫られ、下方の両脇に見ざる聞かざるの
動作をした猿がみられる。
これらは庚申講で崇められる仏とその使者であり、庚申塔
の一つの典型だと知った。
さて毘沙門堂で出合った同地の女性は、“庚申講の夜、体
内の虫がえんま様にその人の悪事を告げ口に行く、という
いわれがある。それをさせないために、宵から経を唱え、
夜通し飲食を行い、話に花を咲かせて寝ずに過ごした“”と
仰った。
講は60日に一回の庚申の夜に集落内で持ち回りされ、必要
な掛け軸や食器などは共同で所有。
集まるのは男性で、女性は仕度や後かたずけに回り、子供
が食べ物などをお相伴する事もあり、楽しかったという。
この女性の子供時代まで行われていたというので、戦後し
ばらくは続いていた模様だ。
少々長くなりました。
魚沼の後、浦川原、柿崎、板倉など当地でも庚申塔を目に
し、上掲しました青面金剛が彫られた石塔にも出会いまし
たので、後日書かせて下さい。
可愛い猿も彫られていました。
展示中の齋藤三郎作品から竹の三作品。
樹下美術館今年の展示はあと一ヶ月半を残すばかり
となりました。
今年の展示を振り返りながらあらためて眺めてみた
いと思います。
今年の齋藤三郎(陶齋)展示は染附(そめつけ)で
す。
染附ですから作品は全て青(藍)で描かれています。
藍はコバルトを主成分とする呉須(ごす)という顔
料が用いられます。
焼きの温度、時間、送風などの条件によって風合い
が異なることも一つの見所ではないでしょうか。
齋藤三郎(陶齋)は中国産の唐呉須で描いたと聞き
ました。
去る日は齋藤三郎のごく初期作品である昭和12~
13年当時の二つの菓子器について以下のように記
しました。
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その1
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その2
二作品とも竹林文様でしたが、この度その続きとし
て以下いずれも竹に関する染附作品を記します。
染附(そめつけ)竹文徳利。(上越市髙田における
比較的日が浅い時期の作品。笹を大きくややラフに
描き、くつろいだ気配が感じられます。
↑染附竹文水指(そめつけたけもんみずさし)。
昭和30年代作。竹と笹の輪郭を最初に描き、余白を
くまなく塗りつぶしています。
陶芸では輪郭を描くことを骨書(こつがき)、その中
また周囲の地を塗りつぶすのをダミと言います。
この器は丁寧に描かれた笹と竹の幹を余白として残し、
空間(地)をダミとしてあまねく塗っています。
一般に骨描きは細く固い筆を、ダミは太く柔らかい筆が
用いられました。
当作品は骨書きダミともスピード感があり、筆跡(タッ
チ)が味として読み取れ、それは作品の動きや竹林の
風を感じさせています。
染附の藍が十分に生かされた上品な力作ではないでしょ
うか。
昨年2月に美術屋さんから来た作品でした。
没後36年、いまだに見た事もないような優れた作品と出
合えるとはつくづく驚かされます。
4㎝四方の染附香合。共箱に昭和13年橡三郎作とありまし
た。文様は恩師・富本憲吉の代表的な図柄の一つである
「竹林月夜」を用いています。
三郎の生家、新潟県栃尾(現長岡市)は当時橡(とち)尾
と記していたようです。それで橡三郎と号したのでしょう。
昨年4月、新潟市に於ける裏千家お家元の茶席でこの香合
を使いました折、お褒め頂きました。
さて先回から続いた作品はいずれも竹で、比較的若い時代
の作品によく見られるようでした。
これには多くの笹や竹林を描いた師の影響が濃く現れてい
るものと想像されます。
中国に於ける歳寒三友(松、竹、梅)、四君子(竹、梅、蘭、
菊)と古来から尊ばれ、寒さに負けず初々しく、強くしなや
かな竹そして竹林。
それはまた若き陶齋を鼓舞した大切なモチーフの一つだった
にちがいありません。
暖かな木曜日テッポウユリを植え終えた。
3週間ほど前からテッポウユリを3回に亘って植えてきた。
球根なので植えると言うより埋める感じだった。
出来るだけ前年と同じ場所を避け、土を彫り上げ有機肥料
を混ぜた土を加えて20㎝は掘って球根を置いた。
来年の6月を楽しみに十分に土をかける。黄白色のものは
球根を包んでいたオガクズ。
今期50個ちかく植え終えた。
このところ暖かい日があり、最初に植えた球根から芽を出
し始めたものがある。これからの雪で傷まないよう、さら
に土をかけて保護しないといけない。
種や実が有している一途な成長のポテンシャルには驚かさ
れる。
昼過ぎ牧区から縁者のご夫婦が来られた。海辺に住んでいる
者には山間の話をお聞きするのは興味深く楽しい。
傷んできた駐車場のアプローチ。
樹下美術館の設計は建物ばかりではなく、駐車場も美しく
と鉄平石を敷いてデザインされました。
2007年、開館約一ヶ月後。やや赤味を帯びた石が混じった
仕上がり。車を駐める楽しさ、歩く楽しさともに配慮されまし
た。
ところが数年前から石面の一部が割れたり剥がれたりし始
めました。
スタッフが数カ所をセメントで補修をした一昨年のアプロ
ーチ。
しかし今年に入ると傷みが目立つようになり、最近では車
の通過に際してドンと感じる異常を生じるようになりました。
昨年からお客様が増加したことと、今年は大型バスが何度か
入場したことなどで入り口付近を中心に急に傷みが進んだよ
うでした。
休館日一日の補修では済まないようであり、冬期休館を利用
して直すことに致しました。
それまで皆様にはご不快とご迷惑をお掛けして大変申し分け
なく存じます、どうか宜しくお願い申し上げます。
ちなみに以下は開館二ヶ月前、2007年4月、外構工事中の様
子です。
出来るだけ当初のフレッシュさを維持したいと思っています
が、12年目となり経年のダメージを免れません。
昨年はカフェの窓枠を全て替えました。
一方、庭は待て待てというほど育ちますから自然はさすがで
す。
髙田から大潟水と森公園を目指され、雨で断念された皆様に
雨上がりを見て近くの大池いこいの森公園をご紹介してみま
した。
如何でしょうか、無事に着かれましたでしょうか。
茨城の栗で渋皮煮を作る。
今ごろになると妻の友人が茨城県は笠間の栗を送ってく
ださる。
この度妻が以下の様に渋皮煮をこしらえた。
過去何度か作っているが、今回は量が多く二日がかりと
なった。
沸騰した湯につけ、冷めたら上げて皮(鬼皮)をむく。
この時皮を傷つけると煮る段階で破れてしまう。
むいた栗を重曹を加えた湯で吹きこぼすまで三回煮立てて
あく取りする。
あく取りした後ブラシを掛け、また固い筋を楊枝で取り去り、
その後水が澄むまで数回水洗いしてきれいにする。
栗はミネラルが豊富で糖質度が高い。そのため砂糖の無い時
代から甘味として珍重されていたという。
エネルギーはむき身100グラム(5~7個)で165キロカロリ
ー、このたびザラメ糖が加わり200キロカロリーにはなろう。
案外おなかが膨らむので美味しくとも2個で十分だ。
渋皮煮は、近く行われるお茶事でお菓子として用いる予定と
聞いた。
ゆで栗は食べるときに手間を感じるが、渋皮煮は先に手間を
掛けた分、後で楽に食べられ、日本版マロングラッセといえ
るかも。また比較的保存が効くという利点がある。
スズメが水溜まりで水浴び。
昼食後、樹下美術館近隣の道路でスズメが水浴びをして
いた。
水溜まりとガードレールや樹を行ったり来たり。厳しい冬
を前に我が世の秋を楽しむ風。このほかに沢山いて、大き
な群だった。
スズメの色と柄はシックで、頭はまん丸。とても可愛い。
セイロン紅茶のブック缶に秋の実。
昔描いていた植物画をポストカードにしてささ
やかなショップでお出ししている。
過日そのうちのノブドウのことでお客様とお話
した。
野の宝石、変色するものしないもの、それらの
違いなど楽しくノブドウのお話をした。
すると本日その方が可愛いブリキの紅茶箱を持
参され、どうぞと仰った。
クリスマスのイメージがあったブック型の紅茶箱。
セイロン紅茶のブランド「バシラー」とお聞きした。
丁寧な製法とおしゃれなパッケージで知られて
いるらしい。
うちでも面白いデザインのを取り寄せてみたい。
中に色づいたノブドウと鮮やかなコムラサキの実が入ってい
た。
以前愛らしい鳥「エナガ」の貴重な写真集を頂いた。
開館当初からのお客様、誠に有り難うございました。
樹下美術館でこの鳥に会えれば最高ですね。
魚沼行きその4 雪囲い開山堂の雲蝶、お土産。
10月最後の本日は、風強く驟雨に見舞われ気温は下が
った。
二件の在宅回りでは一瞬パチパチとアラレ風なものが降
った。
在宅回りの空。
さて三回も続いた魚沼行きの記載は本日最終回。このたび
ちゃんとまとまるのか心配だ。
前回は毘沙門堂でこの方に庚申講を聴く所で終わった。
明晰な人で、妻は電話番号などを渡し、是非樹下美術館へ
遊びに来てと言った。
昔から昭和10年代まで長く行われていたらしい庚申講の習
わしは、二十三夜の月待ちに劣らず興味深く、後に触れる
ことが出来ればと思います。
少々時間をオーバーした後、石川雲蝶彫刻の西福寺へ向か
った。
魚沼見物は上手い具合に目的地が連なり、何十分も車を走
らせる事なくほどほどで到着する。
開山堂は豪雪への雪除けとしてこのようなしつらえに
してある。
決定まで曲折があったに違い無いが、歴史的建造物を
守るのに正解だったのではないだろうか。屋根の守備
が最大の課題だったという。
開山堂の雲蝶は彫り色彩とも息を飲むばかりの迫力だ
った。今様にいえばクレージー、彫って彫って彫りまく
る凄まじさである。
9月掘川紀夫さんに連れ行ってもらった奴名川に於け
る削りと彫りの作品は雲蝶からのインスピレーション
ではないのかと、ふと思った。
彫刻作品は当寺院の貴重な財産。撮影不可は仕方無い。
ショップで写真集を求めた。
雲蝶の本。トミオカホワイト美術館のものと樹下美術館書
棚に並べました。
さて火頭窓の寺院と路傍の二十三夜塔への寄り道などで時
間が無くなった。
最後の予定地である堀之内の永林寺はこの度省略して帰路
に就いた。
西福寺から小出インターは近く、高速道路で帰った。
思えばこまごまとして忙しい魚沼行だった。
気がつくとこの日昼食を食べてなかった。
夕食は大潟区のピザ屋さん「ココビーンズ」に寄った。
サラダとビザをことのほか美味しく食べた。
以下はお土産です。
西福寺の鈴のストラップ。かすかにシャリリリ(捨利利利?)
と鳴る。
ようやく魚沼のことが終った。見聞は同地のごくごくわずか。
ただ名刹と観光トンネル、それにロープウエイは観光バスと
マイカーでごったがえしていた。
八海山ロープウエイを予定していたが、行列をみて即止めた。
終わりに、一帯の風土に深々と漂う信仰の空気は得に言われ
ぬものがあり、身を置くだけで心地良い浄化を感じた。
道中で見聞した庚申講のことは後に触れてみたいと思ってい
ます。
お読み下さった方に感謝致します。
る魚沼行きその3、トミオカホワイト美術館、花頭窓、二十三夜塔。
一泊二日の魚沼行き。ノートに連ねて三回目になった。
駆け足ぶりが如実に現れ、少々恥ずかしいが本日その
3とさせていただいた。
日曜午前は雲洞庵で過ごし、その後トミオカホワイト美
術館を目指した。
魚野川の右岸国道291号を走ると道すがら寺院が目に留
まり、しばしば火頭窓の設えが見られて満足だった。
さて丁度正午ころトミオカホワイト美術館に着いた。
有名な美術館だが不勉強がたたり、この度が初入館だった。
かつて昭和50年代の半ばに富岡惣一郎氏の作品展が地元
大和デパートで催され、見たことがあった。小品をと思っ
たが高価で全く手が出なかった。
求道者のイメージで描き続けた氏の作品は今どきの賑や
かな絵画を見慣れてしまうと、深閑としてハッとするほど
懐かしく、かつ不思議と新鮮だった。
目的地、浦佐の毘沙門堂に向かって再び国道を北上する。
以下いずれも走行中目にして撮影しました。
以後、道中こんなにあるのかと驚いたほど次々に二十三
夜塔と出合う。
塔や塚は地域の整備事業や廃寺を機に沿道にまとめられ
たものも少なくないと聞いた。上越市で見た幾つかのも
のに比べて皆大きく立派だった。
午後二時半過ぎに浦佐は普光寺・毘沙門堂に着いた。
毎年正月3日の「裸押合大祭」で知られている。
一帯では神仏の催事が多く伝えられ独特の風土イメ
ージがある。
まず仰ぎ見る重厚な山門はじめ幾つかのお堂が配置され、
見事なケヤキの巨木が随所に見られる。
毘沙門堂は古く、9世紀初頭に坂上田村麻呂によって創建
されたという。寺院の普光寺は江戸初期に建てられ、諸堂
と回廊で結ばれている。
山門の天上に谷文晁筆による二面の龍図が描かれている。
古山門(太子堂)にひっそりとあった花頭窓。境内にある
お堂の中で最も古いものという。説明書きによると、江戸
初期に髙田城主松平越後守が修繕したとあった。
普光寺境内から西(左)の眺め、正面に千手院が見える。二
つの流れが落ち合い、苔むして如何にも古い景観。石段は
洗い場に続いていたものか。
神仏とともにある悠久を感じさせる一帯に生まれ育った人を
羨ましいと思った。
片隅に庚申塚などと共に大小二基の二十三夜塔があった。
二つ並ぶのは珍しいかもしれない。
この日、境内で盛大な菊祭が行われており、年配の女性が案
内役をしていた。
その方に塔や塚について尋ねたところ、二十三夜の月待ちは
知らないが、庚申待ちは知っていると仰った。
女性の話をメモしている妻。庚申講の食事について聴いて
いる。
さてここまで記載してきたが随分時間を費やしました。
たかだか県内の一泊ドライブ。皆さまご存知の場所を斯くの
んべんだらりと書き連ねてしまい恥ずかしく思います。
申し分けありません、魚沼のことは後一回書いてお終いにし
たいと思います。
魚沼行きその2、あこがれの 雲洞庵。
昨日は魚沼行き初日、土曜日午後を記載させて頂いた。
ホテル「ダ・フェールイン六日町」ではぐっすり休み、朝
食バイキングを摂ってこの度の目玉である 雲洞庵を目指し
た。
出てすぐ快晴の魚野川を渡る。ホテルはもともと川沿いの
旅館を改装したばかりだったという。
さっそく沿道に現れた二十三夜塔。大抵庚申塚などと共に
置かれている。開発で元の場所から移動してきたものもよ
くあるようだ。
この春替えた車のナビが優れていて無駄なく目的地に着く。
美しく刷け目が施された大きな香炉(常香炉じょうこうろ)
に蝋燭とお線香を上げた。
少し誇張すれば、夢にまで見た火頭窓が眼前にずらりと10
窓も並ぶ。窓はそろって半開され誠に爽やかだ。
どういう訳か建物の細部に目が行ってしまう。
禅寺らしく簡素な欄間。最初の釘隠しに似通っている。
木瓜紋(もっこうもん)をデザイン化したものか。
回廊の火頭窓。本堂と異なり幅広く嵌め殺しになっていて
とても明るい。※後日記:櫛形窓(くしがたまど)の呼び
名がある模様。
位牌堂の先に開山堂。鏡の如くピカピカに磨かれている。
江戸時代の普請であるのに傷、塵ひとつ無い。どうすれば
こんなに綺麗に維持出来るのだろう、不思議なほどである。
曹洞宗では一仏両祖と言われるらしい。本像はその二祖で
ある道元と瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の像。
手入れの良い各堂を巡っているうち、もてなしの心が伝わ
り、いつしか心癒やされ何かと有り難くなってくる。それ
で仏像や偈頌に手を合わせたくなる。
禅寺特有の魚板(あるいは魚鼓)。叩くと口から邪気を吐き
出すといい、木魚の原型。修業僧への食事などの合図に叩か
れる。
最後の宝物館は開祖師にまつわる品、あるいは歴史上の人
物(特に戦国武将)たちの書簡や身辺を彷彿とさせる道具類
が展示されている。
上杉憲実愛用の茶釜。その後の名物に比較して地味な印象
を受ける。
13世紀の中国の禅僧・天童如浄禅師の袈裟の端切れ布。
ぼろぼろになっているが大変に貴重な品であろう。
禅師は渡宋した道元の中国に於ける心からの導師。道元は
天童如浄から印可を受け、帰国して永平寺を開山、曹洞宗
の開祖となった。切れは二度と会えない恩人の形見だった
に違い無い。
帰りぎわの香炉にはその後の参拝客が上げたお線香が香って
いた。香炉にも鮮やかな菊水の紋章が見られた。
私のように教義に疎い者にとって、それが実践されている環
境に込められている丹精とその美しさに触れると、自ずと心
鎮まり癒やしに包まれる。
そもそも当寺院の縁起には藤原不比等の子の妻にまつわる物
語があり、庵寺(尼寺)の趣きなのである。優美な窓の曲線な
どはその事に深く関係しているのか。
現在の本堂は、江戸時代に出雲崎の大工の棟梁・小黒甚内に
よって再建されたものだというが、全く素晴らしい出来映え
だと思う。
さて、そのような訳でこの度は塔頭内の端っこばかり見てい
た。
“神は細部に宿る”という言葉があります。
明るく美しい火頭窓や廊下そして釘隠しや庭掃除。雲洞庵は
隅々へ意識が行き渡り、全体として私たちまで有り難くなって
いることに気づかされました。
樹下美術館もそんな風な心がけを少しでも実践して行ければ、
と願った次第です。
まだ幾つかの見聞がありますので、再々度記載させて下さい。
わずか2時間ほどの拝観でしたが随分長くなってしまいました。
魚沼行きその1、清津峡トンネル、六日町の夕べ。
昨日土曜日午後から魚沼地方へ出かけた。
目的の一つは今夏大地の芸術祭行きで時間切れとなった
清津峡峡谷トンネルを見ること。
二つ目は魚沼地方の寺院の火頭窓や路傍にもあるという
二十三夜塔に出合うこと。
さらに誠に遅ればせながら未だ見ぬ石川雲蝶の彫刻を見る
ことなど主に三つの要件があった。
まず樹下美術館近隣(上越市浦川原区)の顕聖寺境内へ。
この度の魚沼行きを前に、あらためて火頭窓を見たいとい
う妻を案内した。雨上がりの静かな寺で窓が鮮やかだった。
清津峡はかって20数年前に訪ねた時よりもずっと近い印
象を受けた。
雨上がりのトンネル駐車場。紅葉シーズンのせいか大地の芸
術祭が終わっても大変な人気。
清津峡の見事な柱状節理構造。柱状節理は高校時代に山崎
静雄先生から地理の授業で習った。魚沼地方の河岸段丘も
この先生から教わった。ぼんやりしていた高校時代だが先
生の地理は面白く、渡辺文先生の英語とともに部分として
記憶に残っている。
いずれも最後のパノラマステーション。逆光と薄く張った水
の鏡面効果が山峡の荒々しい景観と相俟って爽快な視覚体
験が出来る。
当日は六日町に出来たばかりのホテルに宿泊した。
近隣に食事処が多くあるのでそちらで夕食を摂るという大変
合理的なホテル。
直近で鰻重を食べた。うなぎは久し振りであり質量とも上等
だったが、さすがに少々残した。
食後に六日町の通りを歩いた。7時少し前ながら明かりが灯
った店がかなりあり、通りを楽しんだ。
所変われば村も街も変わる。普段家まわりを車で走る程度の
ため、山などを越えて見ず知らずの土地に来るとあたかも外
国を訪ねたようなエキゾチズムに襲われる。
本日長くなりましたが、あこがれの雲洞庵を始め二三の美術
館といくつかの火頭窓や二十三夜塔などを今後掲載してみる
つもりです。
大昔子供たちと行った五十沢以外、恥ずかしながらほとんど
知らない魚沼地方を駆け足で興味深く巡りました。残りのこ
とは後に掲載させてください。
大池の森・秋の植物 岩の原葡萄園から神田氏 サブリーユ。
爽やかに晴れた木曜日、定期休診の午後は近隣の大池い
こいの森公園を小一時間歩いた。
上を見たり下を見たり植物を探索しながら誠にゆっくり歩
いた。
早速のオヤマボクチ。先日訪問の際は殆どが手前のように緑
色の蕾だった。
垂れ下がるほど沢山の花。この花はどこか近未来的な形
をしている。
ちなみに二週間前にはみなこのような蕾でした。
ツクバネ。変わった実であるが、カエデと同じように、羽状
の部分がプロペラになって落ちて行くのだろうか。
食用の可否に拘わらずキノコは見て楽しい。ウォル・トデ
ィズニーのアニメに愛すべきキャラクターとしてよく登場
し、格好のアールヌーボーモチーフとしてガレのランプに
もよく見られている。
リンドウ。ここで咲く花はキズや傷みが少なく、とても良い。
風と虫は慎ましく遠慮しているようだ。
幸せな景観。パチパチと乾いたどんぐりを踏みながら歩く。
時たま高い所からピシーッと音を立ててどんぐりが落ちてく
る。
帰りがけにビジターセンターで同園に見られる植物の冊子を
求めた。
「里山・四季の花 頸城区実践センターとその周辺」48ペ
ージ、130種の草花が収載されている。巻末に植物用語の解
説があり親切が伝わる。
月ごとに見られる花がしっかり網羅されていてとても為にな
りそう。まだ見ぬものも沢山掲載されていて楽しみだ。
さて午後2時少々過ぎて美術館に戻った。すでに友人が集ま
っていてSPレコードを回して頂いた。
プリムローズ、ハイフェッツ、リパッティ、エルマンそして
カザルスなどを聞いた。
良い蓄音機で奏でられるSPレコードの再現性は優れている。
曲調は心と秋陽の庭に麗しくしみ込む。
1920~4,50年代は、演奏家は勿論、当時の聴衆、さらに社
会全体が技術を越えて深い陰影と優れた感受性を有していた
のでは、と思わずにはいられなかった。
夕刻に岩の原葡萄園の神田氏が来館された。サントリーの方
だけあって、熱心に齋藤三郎、倉石隆をご覧頂いた。
日が暮れて近所の野菜フレンチ「サブリーユ」で皆で食事を
した。料理、器、同席者、話題、みな楽しかった。
ここのオーナーシェフは数学を学んだ人で絵画も上手い。
優しい人柄と、数学、絵画のエッセンスが一体となり、一貫し
たオリジナリティが料理に込められていた。
保育園の健診、幼いリンドウ ホットサンドイッチ。
日中暖かい陽が射した本日午後、近くにある上越市は
大潟区の保育園で秋の健診があった。
0~5才児までおよそ80人のお子たちを診た。一才刻
みで表情や仕草が異なり、アニメを見ているようでみ
な可愛い。
ことに移動寝台で無心に眠っている0才児の長い睫毛
やクルクルした髪を見ると、天使と見まごうばかりの
愛らしさだった。
4才にもなると黙っていても一人が終わると皆で順番を
詰め状況に対応し、行動が大人びてくるのが分かる。
昭和50年から出向いているのでもう40年以上も携わ
り、かってそこで診た長男は今やオジサンの域に達して
いる。いわんや私などは、生きている事が不思議という
話になってきた。
玄関ホールに出ていた園児達がこしらえたハローウインの
飾り。もとはオバケなので泣き出すお子さんもいたらしい。
終えて美術館で昼食を摂った。
庭では、今みてきた園児のように幼いリンドウがけなげだ
った。
遅い昼食はいつものようにホットサンドイッチに牛乳と珈琲。
(サンドは普通4枚のところを2枚にしています)
向こうは妻が造った煮物(レンコン、ゴボウ、コンニャク、
牛肉)です。
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その2、壽山窯作品との出会い。
前回記述しましたように、若き齋藤三郎は近藤悠三の
後富本憲吉へと師事した後、昭和12~13年に京都
で独自に制作します。
その京都時代の昭和13年のある時期に、乞われて兵
庫県は宝塚市の雲雀丘(ひばりがおか)にある壽山窯
(じゅざんがま)に招かれました。
壽山窯はサントリーの創業者・鳥井信次郎氏が自邸庭
に所有した製陶所でした。当時サントリーは壽屋酒造
の時代であり、信次郎自身、壽山と号していたといい
ます。
鳥井信次郎は2014年9月からの連続テレビドラマ「マ
ッサン」で“大将”と称され親しまれた鴨居欣次郎役の
モデルでもあります。
壽山窯には齋藤三郎の師であった近藤悠三はじめ何人
かの陶芸家が所属し、ほかに画家や書家も加わり全体
は壽山荘と称し、一種文化村の趣きを有していたようで
す。
さて前置きはこのくらいにして、樹下美術館の開館に
あたり齋藤三郎の壽山窯時代の作品と出合いたい、と
長く念願していました。
実は上越の陶齋コレクターから壽山窯の色絵作品を譲
り受けていました。壽山窯のサインは陶齋風と言えな
くもなかったのですが、図柄が中国風であり、作家サ
インや印影もなく、後に違う作者と判明しました。
こうなるとますまず同所の齋藤作品への思いがつの
ります。
ところがある日のネット検索で染附の壽山窯作品が現
れました。
サイトには染附竹林菓子器とあり、鶴の文様が描かれ
ていると説明されていました。
しかし壽山窯にはほかに陶芸家が居ますので、齋藤
作品の可否は判りません。三郎はかっての師たちの
影響を忠実に受けています。しかも同窯には師の一人
後に人間国宝となる染附の人・近藤悠三がいました。
制作者は近藤悠三なのだろうか?
価格は5000円という廉価でした。いずれにしても手に
取ってみたいと思い、早々に購入手続きを行いました。
届いた器の箱。手垢、汚れなどは無く、文字も書いたばか
りのように歴々としていました。長く仕舞われたままだっ
たのでしょうか。
表書きの文字は三郎を思わせますが、それだけでは本人作
とはいえません。
箱の裏書き末尾に壽山窯。そこに「斉」の印影があるでは
ありませんか!前回の染附菓子器にあったものと同じです。
齋藤三郎は壽山窯の制作でも自らの印影を残し、我が作と
して伝えようとしていたのです。
出て来た染附 竹林菓子器。底と口に呉須(藍色顔料)で輪
を描いています。出品者が言うように確かに鶴が飛翔してい
るように見えなくもありませんが、“雪持ち笹”が一層強調さ
れていました。
裏面の記銘は壽山窯。全体のあしらいは前回の菓子器と似
ています。
5000円の価格から数物(かずもの)として多く制作された
品の一つだったかも知れません。はたして売り主は鳥井信次
郎と壽山窯のことを承知していたのでしょうか。
いずれにしましても、この器は樹下美術館に於いて唯一齋藤
三郎の壽山窯作品になりました。
ちなみに、以下に昨日ご紹介した器の箱に記載された文字
を比べてみました。
「菓子器」の「器」は双方非常に似通っています。
左:前記した昭和12~13年、独立時代の「染附菓子器」。
右:昭和13~15年、壽山窯時代の「染附 竹林菓子器」の
もの。
二つの菓子器を並べました(サイズは共に21㎝)。京都と
宝塚市、制作場所と状況が異なる20才代半ばの三郎作品が
、70年近く経って樹下美術館で出合う。
出来事は単なる蒐集者の満悦ではなく、作品を介して若き齋
藤三郎その人、あるいはその命と出合えた喜びが大きいので
す。
ある人の作品を蒐集する事は、作品とともに作者を“愛する”
ことにほかなりません。
さすればその若き日の作品を見たいと熱望することも世間の
通念と同じではないでしょうか。
現在二つの器は「齋藤三郎の染め付け」として展示中ですので、
どうかご覧下さい。
この先も展示物のエピソードなどをご紹介してみます。
このたび二つの菓子器はとても長くなりました。
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その1、最も古い作品との出会い。
10月は半ばを過ぎようとしており樹下美術館ことしの
開館は残すところニケ月余となりました。
そこでおさらいではありませんが、展示中の作品につい
てあらためて若干のエピソードなどを記してみたいと思
います。
このたびは現在展示中の齋藤三郎の染附作品から菓子
器(鉢)2点を取り上げました。
いずれも染附(そめつけ:藍色の器)でやや不思議な図
柄が描かれ、初めて観た時は何の模様(文)か分かりま
せんでした。
本日は一点目をご紹介致します。
↑2007年6月樹下美術館開館のほぼ半年前,、とある美術店
で出合った菓子器が入った箱の外観。
真田紐は十字に交わる四方結びが普通だが、横一文字の結
びは如何にも簡素。
↑箱の表に書かれた染附菓子器の記銘。
箱はやや古色が付き、書き付けも薄くなっていました。
↑箱の蓋裏。昭和拾弐年(12年)秋 齋三郎 造 斎の印影。
思ってもみなかった昭和12年!それは三郎が京都の近藤
悠三に、さらに東京時代の富本憲吉にと足かけ5年の師事
の後、京都で独自に制作した貴重な年代に相当していまし
た。
(上記二人の師は後に人間国宝となります)
店の主は“たつけも無い(普通の)”染附と思っていたようで
した。ならばと私は必死に平静を装い、懐具合を考えて値切
りを持ちかけ、言い値をさらに安くしてもらいました。
↑箱の中は焼き上がりが素晴らしい爽やかな染附鉢。
青みを放つほどの白い地に、青と鉄の釉薬でフチ取りして
祥瑞(しょんずい)風に仕立て、格を上げていました。
この不可思議な文様は何なのでしょう。すぐに齋藤尚明氏
(二代陶齋)を訪ね、“雪持ち笹”と教えて頂きました。
笹の上に雪が乗っている意匠だったのです。
↑器の裏面。高台内に斉の署名、胴には雪持ち笹があしら
われている。散らしてあるのは雪でしょうか。
この慎ましくも美しい器の全体をあらためて観ますと、栃
尾町(現長岡市)出身の若き陶齋が京都に於ける独立制作
で、文様に込めた雪国の故郷に対する思いが蘇り、胸が熱
くなりました。
それまで当方で最も古い作品は昭和13年作の四角い染附
香合でしたので、この鉢はさらに古い時代の(24才の若き
日の)記念碑的な品になりました。
突然の貴重な作品との出合は、樹下美術館開館を半年後の
6月に控え、作品は探せばまだある、という思いを強くし、
寒さの中を新潟や長岡、糸魚川などへも足を運び探索を行
いました。
幾つかの優品と出合う一方、インターネットで思いがけない
染附と遭遇する事になります。
今後また続きを記載させて頂きます。
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