残念だった関根学園 気になる花 明日は晴れる四ツ屋浜。

2014年7月27日(日曜日)

夏の高校野球、新潟県大会決勝戦で上越の関根学園は善戦したが敗退した。

2点を先取し8回裏まで2-1でリードしていただけに大変残念だった。
終わったことだが、先発投手の中村が投打にラッキーカラーを帯びていたただけに投げ続けてみる手は無かったか。

それにしても決勝まで勝ち進んだ関根学園に実力と強いスピリットを感じた。
人一倍練習を積んだのだろう。どうか新たな強豪校として捲土重来を果たしてください。

さて庭は黄色の車百合と白の桔梗が気になる。黄色のクルマユリとても可憐な黄色のクルマユリ。長年5,6本咲いたが今年はこの一本。
ネットでも中々見当たらない種類で、何とか頑張ってほしい。

斑入りの桔梗昨年に続いて今年も青い斑がはいった白桔梗。
この花は小さな紫の斑点が散らばっている。果たして残りの蕾はどんなだろう。

本日は暗がり部分の枝はらいを試みた。はびこる竹、モミジ、桜、ウツギ、その他もろもろに手を付けたが切りがなかった。

枝払い処理しやすいように切った枝をさらに短く切っておく。

本日は昨日の猛暑から一転して涼しくなったので助かった。

四ツ屋浜の夕刻モノクロームの四ツ屋浜の夕刻。明日は晴れの模様。

闘志溢れる関根学園 牧区のトウモロコシと枝豆。

2014年7月26日(土曜日)

午後1時から始まる夏の高校野球新潟県大会準決勝は新潟明訓-関根学園だった。
この試合でノーシードの私たち地元上越市の関根学園が第2シードの明訓を5-2で破った。

明訓の選手は強豪校に相応しく皆堂々としていてユニフォームもスマートだ。
一方、関根学園の選手達は身長はまちまち、ユニフォームも幾分昔風。

しかし試合は闘志溢れる関根学園が粘って清々しく勝った。
上越の高校が明訓を破るなんて本当に立派だと思った。

勝ち越し点勝ち越し点が入る。

夕食夕食のソーメン。
牧村の縁者から頂いた美味しい枝豆とトウモロコシも食べた。

さて明日は決勝戦。相手は横綱・日本文理。
横綱が慌てふためくようないい試合を祈りたい。

専念寺さん訪問 濱谷朝さんの茶筅塚 ああ大潟海岸の棟方志功と皆さん。

2014年7月24日(木曜日)

本日木曜日午後定期休診。満を持して上越市は大潟区渋柿浜の専念寺さんを訪ねた。
午前のお電話だけで「はいどうぞ」と優しいご住職のお返事。

専念寺をお訪ねしないで樹下美術館を営む訳にはいかない。
境内には日本人で希有なマグナム写真家・濱谷浩氏の奥様・朝(あさ)さんの茶筅塚(ちゃせんづか)がある。

齋藤三郎さんと濱谷夫妻は切っても切れない間柄。
ご住職は朝さんの茶の門弟であり、
齋藤三郎さんの初窯の窯出しに立ち会った貴重な一人なのだ。

先日の宗香先生から頂戴した初窯の香盒の署名のお陰で齋藤作品の並びが整いつつある折り、
伺ったご住職のお話は多岐にわたり驚きの連続だった。

わずか二十歳前後で齋藤三郎、濱谷氏夫妻、棟方志功、會津八一らと巡り会われたとは。

茶筅塚寸雪庵茶筅塚。
會津八一の揮毫。

朝さんからの葉書朝さんから多数の書簡。

一枚の写真ふと見上げた欄間に掛かっていた写真。

學藝諸家の本樹下美術館所蔵の「學藝諸家」(濱谷浩著 岩波書店 1993年11月24日 復刊第1刷発行)

學藝諸家の一ページ「學藝諸家」 第38頁 棟方志功 1951年 場所新潟県大潟(写真の縦横13×27㎝)
同写真は神奈川県平塚市美術館に収蔵されています。

熱情の芸術家・棟方氏が着物の裾をなびかせて下駄ばきで海岸を走る。

渋柿浜で上掲の棟方志功が撮影された日、大潟海岸に集まった人々。
(撮影・濱谷浩 -ご住職のアルバムから-)。
左から柏崎市のK氏、棟方志功、濱谷朝さん、ご住職、友人のT氏、直江津の友人お二人。

撮影は長時間に及んだのだろう、夕陽を浴びる皆さんの影法師が長い。

広い自然と精一杯の文化。
昭和20年代の人々の何と格好良いのだろう!
そして海岸の広かったことか。
このようなことが当地であったとは夢のようであり、
美しく撮られた笑顔の皆さんは、お寺さんで見たせいか生きながら正真の仏のようです。

専念寺さん訪問の続きはこの先また掲載したいと思います。

特養である老婦人と出会った。

2014年7月23日(水曜日)

本日午後、いつものように近隣の特別養護老人ホーム「しおさいの里」の出務だった。

回診を終わり2階でエレベーターを待っているとき,職員に付き添われた車椅子の女性と一緒になった。
その方はとても高齢で痩せていたが、しっかりした目で会釈をされた。
初めての感じを受けなかった。
「お会いしたことがありますね」
と言うと、
「はい、、、私Sです、双子のT作とT治の叔母です」
続けて「二人の親父の妹なんです」
と仰った。

私の小学生1~3年の分校生活でS君が居て、名がT作君とT治君という双子だった。
当時双子は珍しかったし、二人は細くて小さな私よりももっと小さかった。
先生たちは「T作、T治答えなさい」などというように接していた。
私たちはその後、本校で別れ別れになり、中学校も別々だった。
自分が当地へ帰った昭和50年、すでに二人は居なかったように思う。

「T作君達はどうされましたか」と尋ねた。
「A市と、A市の近くB市にいて元気です」

遠い日、裸足のままの2人が手足をくにゃくにゃさせて走る様子が目に浮かぶ。
私は2人のことを、僕より小さいのに根性がある、と子ども心に思っていた。

その2人をこの車椅子の方は育て、そして大都市A、Bへと送り出されたのか、、、。
昭和20年代前半の私たちのご飯はちょっぴりで、おやつは細いサツマイモ。
女子の頭にシラミが居て、家の布団にはノミが跳ね、お腹には虫が居た。
栄養不良と不衛生の子ども時代、私たちが生きて育ったなんて不思議なくらいなのだ。

そんな時代、痩せて目がぱっちりしたこの車椅子の老婦人たちはまだ若く、
戦争などで親が欠けた子どもたちの面倒を見ていたんだ。

私は一時期、この方の血圧などを診ていたように思った。

分校2年生の写真昭和24年、小学校二年生の私たち。
本校の小学校が一杯なので、中学校の空いた教室を使った分校へ3年生まで通いました。

S君たち、黙って書いてしまって誠に申し分けありません。
私は地元に残る同級生を貴重に思い、離れた方達には畏敬をおぼえるのです。
お元気と聞いてとても嬉しく思いました。

小山作之助生誕150周年記念 第12回卯の花音楽祭。

2014年7月21日(月曜日)

本日午後は第12回となった卯の花音楽祭があった。
夏は来ぬの作曲者、瀧廉太郎の師、東京音楽学校教授、楽器製造指導者、日本音楽教育の母と冠された小山作之助
作曲数は「夏は来ぬ」を筆頭に1000を越え、ますます研究が盛んだという先人。
その生誕150周年で第12回卯の花音楽祭が上越市大潟町中学校であった。

ヘッド

13時~16時半近くに及ぶ作之助を芯に非常に楽しくかつ極めて有益な音楽会だった。
運営、意気盛んな出演の皆様、音響、司会、伴奏、お集まりの聴衆の皆様方、、、。
ああこういう音楽会があるんだ、と心に沁みる貴重な催しでした。

以下途中からですが一番前から撮った写真を中心に掲載させて頂きました。

1 002素晴らしいオーケストレーション。
中学校吹奏楽部の演奏。3同じく2年2組のみなさん
一生懸命って最高ですね。5平原さんと「夏は来ぬ」(後藤先生編曲)7会場の上越市立大潟町中学校
2大潟町小学校2年2組のみなさん。
リズムも声も素晴らしかった。
4後藤丹先生と平原和泉さん
音楽が音楽で解説されていく。6後藤先生と「夏は来ぬ」8地元サブリーユのデザート

会場は大体育館で満席の椅子のほか沢山の方が床に座って耳を傾けた。
演奏は出色の充実となり深い感動を覚えた。

感動は感情のほかに内容の高さに対しても感じた。
このことは後藤丹先生のご指導とお力に違いない。

印象的な先生の記念講演「作之助の作品を求めて」の言葉。
「上越市が合併して良かった一つは小山作之助が大潟の人から上越市の人になったこと」
の意味を知らされた。
そして「夏は来ぬ」は完璧な曲という、、、。

加えるに大潟の人となられた美しいソプラノ平原和泉さんと先生のコンビネーションの妙。
お二人のピアノと歌による作之助の解説は詳細で専門的な研究でありながら実に楽しく
構成されていた。

お国自慢になりますが、〝地域大潟区は意気高らかに出来るんだ〟
と高揚した気持ちになれたのも、作之助という一人の人間、そして芸術の力ではないか、と
思いました。

相馬御風作詞、作之助作曲の貴重な「潟町青年会歌」を本日はじめて聴きました。
記憶に間違いなければ、
「この歌はやたらに歌わないように」というような作之助の註釈を読んだことがあります。
出来映えを作之助は喜んでいるのではないでしょうか。

最後に混声4部を歌われた皆様、素晴らしかったです。
正確かつこまやかに歌い、情緒的にハーモニーを響かせるのは大変なことだと思うのですが、本当に見事でしたね。。

 

一通り終わってご一緒したご夫婦を作之助の墓地から四ツ屋浜に案内した後、夕食を一緒しました。

心配された暑さも大丈夫でしたね。
すべての関係者の皆様本当にお疲れ様でした、そしておめでとうございました。

9素晴らしかった後藤先生のお話

存分に楽しんで 上越市大潟区の夏。

2014年7月21日(月曜日)

海の日が混じる連休の中日の昨日はよく晴れた。上越市大潟の鵜の浜温泉海水浴場と四ツ屋浜の大潟キャンプ場は賑わっていた。

知り合いの浜茶屋さんで突っついたメロンカルピスのかき氷と、土産に貰った焼きそばはとても美味しかった。

パラソルと入道雲パラソルと積乱雲は相性がいい。雲は佐渡ケ島の方角から立ち上っていた。

人魚と佐渡汽船人魚像。
物語の人魚像はどこか海水浴としっくり行かない表情。
ただ沖を佐渡汽船が通過した時だけ旅情を漂わせ表情が和んだ。

浜茶屋一気に賑わってきたという浜茶屋。

キャンプ場さらにテントの数を増した四ツ屋浜の大潟キャンプ場。

 

四ツ屋浜で穏やかな夕焼けとなった四ツ屋浜で。

夏の海の楽しみ方は私の子ども時代とすっかり変わった。

どうかご家族の夏を存分に楽しんでください。

半日だけ梅雨晴れだった日。

2014年7月19日(土曜日)

このところしっかり降り続いた雨が午後からいっとき止んだ。
いつもの上越市大潟区四ツ屋浜の空は晴れ足りない風だった。

しかし梢のてっぺんでホオジロが鳴き、草むらのオニユリの一群は蕾を膨らませ、ハマゴウは一斉に紫の花を開いていた。
出来てもう何十年も経っている四ツ屋浜のキャンプ場は、いつものようにテントが増えてきている。

四ツ屋浜雨上がりの四ツ屋浜

ハマゴウ静かに群れるハマゴウ。

ホオジロ澄んだ声を響かせるホオジロ

キャンプ場賑わいはじめた四ツ屋浜の大潟キャンプ場。

樹下美術館のカフェ色々な年代の人達に座っていただいたカフェ

デッキで抹茶デッキで頂き物のお菓子を食べ抹茶を飲んだ。茶碗は人気の一つ解良正敏さんの面取三彩茶碗です。

夜、予報通りに雷雨となった。キャンプ場の人達はどうしているだろう。
大人はトランプなどをしていて子ども達は眠ったかもしれない。

笹ヶ峰だったか若かき日のキャンプで降られたことがあった。皆でテントの回りに溝を掘りスノコが有り難かった。

梅雨空に葉文月白瓷香盒の貴重。

2014年7月18日(金曜日)

今春(株)有沢製作所のお茶室で命の電話チャリティー茶会の席主を務めさせて頂いた。

有澤会長や宗香先生のご支援で何とか小間の一日を務めた。
その後しばらくして先生から香盒(こうごう:茶道でお香をいれる器)を頂戴した。

箱表書器を入れる箱の表 葉文月白瓷香盒(はもん げっぱくじ こうごう)

貴重なことに香盒は齋藤三郎さんの作品だった。
そして月白瓷とは、年代は。

箱蓋裏書箱の裏書き.。高陽 齋三 造 とあり、泥裏珠光と斎の印がある。
戦前の署名で齋三郎や橡三郎はあるが齋三は初めて見た。
高陽は氏の窯の号の一つで高田城(高陽城)から採られている。
「泥裏珠光」はご承知の通り會津八一から贈られた号です。

※1:後述しますが、実は当香盒は昭和24年作で、一方泥裏珠光が陶齋に贈られたのは昭和27年です。
箱と中身の製作年代が合いませんが、箱は後になって持ち主の所望で造られた可能性があります。
高田の初期の陶齋作品には箱が付かなかったのが普通だったようです。
ちなみに父が購入した作品のどれ一つにも箱が無く、ただ新聞紙にくるまれて来て、そのまま歳月が経っていました。
ちなみに箱は、樹下美術館建設を機に齋藤尚明氏(二代陶齋)に作って頂きました。
※2:作品とともに、作者自身が用意し作品銘が書かれ署名されて残っている箱は共箱(ともばこ)と呼ばれています。

さて月白とは極めて淡い青白色のこと(加藤唐九郎著 原色陶器大辞典 淡光社)とある。そのような色彩の白瓷(白磁)の呼び名も初めて知った。

月白瓷香盒器の全体。わずかな青みを帯び葉の模様がかすかに浮き出た上品な作行。
(高さ×幅:3,2×5,8㎝)

蓋を取る蓋を取った様子。

署名底の署名「齋」と「初窯」の記入。

最後の興味は年代だが、これに関して驚いたことに底に「齋」の彫り署名とともに「初窯」の記入があった。
「初窯]「齋」が一緒に記されている器は初見で、これまでもやもやしていた霧が一気に晴れた気がした。
というのは同様の署名の作品が樹下美術館に2点あり、非常に良い作品にも拘わらず年代が全く分からず困惑していた。

さて初窯は諸資料によれば昭和24年とされている。
この度の署名の書体は見慣れた齋とは部首の冠部分が異なり、正しく「齋」が書かれている。
恥ずかしい事だが、当初この書体は晩年のものではないか、と漠然と考えていた。
それが美術館を始めて以後、戦前の作品と出会うようになった。
その結果、年代はむしろ高田時代の極めて早い時期、もしかしたら初窯以前かもしれない、などと考えるようになった。

そのことを確かめるため新潟県立近代美術館に収蔵品閲覧願いを出して、
昭和18年作とされる名品「呉須掻落草文瓶(ごすかきおとしくさもんびん」を観に行った。
当日、瓶の底に施された今回のものとよく似た彫り署名を見て、自分の考えのかなりの部分が本当らしい、と実感した。

そしてこのたび同様の署名に燦然と「初窯」の併記を見た。
これらからこのような署名のある作品は「高田の極く早い時期の可能性」→「昭和24年の初窯も」と、
時代に具体性が付いたことになった。

何事も愛する対象の誕生日は知りたい。
頂いた香盒で年号を含め時期の見当が付いたことは非常に嬉しく、大きな安堵だった。

このことで制作中の図録への作品追加とレイアウト、ナンバリング、作品一覧などを一部変えなければならない。
これまで当館の図録完成予定を述べては延ばすことを繰り返してきた。

この繰り返しはすでに罪であろうし、もう言うのを止めたい。
もしかしたら図録は「葉文月白瓷香盒」との出会いを待っていたのかもしれない、という思いもよぎる。

※3:上記の署名「齋」は釘などを使った彫り署名です。一方樹下美術館に初窯と記された作品がほかに4点あり、いずれも呉須による素早い筆書きで冠部分が異なります。
月白瓷香盒の最大の驚きは彫り署名「齋」と「初窯」との出会いでした。それはある意味重要な化石の発見、ミッシングリングの連結ともいうべきインパクトがありました。

※4:初窯とは築いた窯の第一回目の焼成のことです。ですから同じ窯では一回分しか初窯作品はありません。齋藤三郎は昭和24年と昭和50年の二度窯を築いていますので、二つの初窯作品が存在することになります。ちなみに当館に二度目の初窯作品が2点あり、初回とは署名に変化が見られ、年号も併記されていました。(7月20日、追加いたしました)

原色陶器大辞典「月白」が出ていた加藤唐九郎の原色陶器大辞典。1037ページもある。

宗香先生、本当に貴重なお品を有り難うございました。

雨に咲く花 お客様。

2014年7月16日(水曜日)

時折激しく時には止んだ梅雨空の一日。

夏の花たちは雨に負けず咲き匂っている。

カサブランカと行水の花昨年、姫桧扇水仙の裏手の草を取り去り植栽したカサブランカ。雨の中香りが冴える。

ムクゲ中心部の赤が美しいムクゲが咲き始めた。

桔梗皆でカフェを向いて咲いている桔梗。

柏葉アジサイ柏葉アジサイはまだ堂々としている。

 お車午後は近くの特養ホーム出務の日。美術館で昼食のホットサンドを食べた。

三年前の新潟市やこの度の本町の拙個展に来て下さった高田のお二人。
昨年夏、斑入りの桔梗を一緒に見て頂いた柏崎市のお三人。
いつも近くの病院にお見舞いに来られる男性。
ご家族を引き連れて来られた常連さん。

居合わせた皆様には雨の日を賑やかにして頂き有り難うございました。

 

ドイツの優勝 東西統一から四半世紀。 

2014年7月14日(月曜日)

1990年がドイツの東西統一の年だったという。当時まさかという事態があれよあれよと推移し鋼鉄のごとき印象の東ドイツ(ことさらホーネッカー首相)がついに孤立し自壊へと追いやられた。統一は劇的だったがその後は埋めきれない東西格差の困難が折々に伝わっていた。

この度W・Cでドイツの試合の度に姿を現していたメルケル首相は編入された東ドイツ出身の人。課題の当事者側が首相になるなどは、ドイツ国民の現実的な側面を知らされる。

大のサッカーファンだというメルケル氏の頻回のブラジル観戦は税金の無駄遣いと一部から批判を受けていた。
しかし今回、四半世紀を経て統一後初めて世界一の座に輝いた。スポーツの出来事ではあるが統一の成果の一つを実現させた意義は大きい。優勝を願って通い続けたメルケル氏の姿は、子ども達の成長を見守る母親のように写った。

メルケル首相a表彰式に参加していた感無量のメルケル首相(赤い服の人)。

 以下は善戦して破れたアルゼンチンの名誉のために、若き国民的歌手ソレダ・パストルティさんの歌声。
ラテンアメリカには世代の垣根を越えて音楽を楽しむ状況が垣間見られ、羨ましく思うことがある。


老いたタンゴ歌手に捧げられる歌「Garganta con Arena」
題名は、砂がからんだ喉、というような意味らしい。

今朝の決勝戦は眠い目をこすりながら後半から延長戦までなんとか見ることが出来た。

残念な海水浴場 明日は決勝。

2014年7月13日(日曜日)

昨日土曜日は良いお天気で予報では本日も晴天が報じられていた。

昨日の上越市大潟区の鵜の浜温泉海水浴場は賑わい始め、浜茶屋は開店準備に大忙しだった。
監視救護所は既に監視員と看護士さんが詰めていた。

以下は昨日午後、長峰池へ行く前に見た鵜の浜温泉海水浴場です。

 浜茶屋急いで準備をしていた浜茶屋(海の家)。
よく世話になっている「都屋」さん。

人魚像人魚像を通り海へ。 監視所監視救護所を通り海へ。

浮き輪を持って浮き輪を抱えて海へ。

それが本日、朝から雨交じりの曇天だった。昨日、温泉宿の駐車場は多くの車で混んでいたが残念な日曜日だった。

さて明早のアルゼンチンードイツの決勝は見応えある試合が望まれます。
うまく目覚められますように。

音楽が盛んな国が残りましたね。

上越市吉川区長峰池のトンボ 高田のお元気な3人のお客様。

2014年7月12日(土曜日)

晴天となった本日土曜日。午後に近隣の吉川区長峰池を訪ねた。

水辺を見て回ると樹下美術館の庭では見かけないトンボたちに出会う。
以前興味深く見た種類の個体に出会うとホットして嬉しい。
本日は特に真っ赤なショウジョウトンボに出会えて来た甲斐があった

一見呑気そうなトンボたちは求愛活動や縄張り争いに精を出していた。

059シオカラトンボ♂
白いのはオス143コシアキトンボ
腰の部分が白く空いている109ショウジョウトンボ
酔ったように全身が真っ赤
105シオカラトンボメス
ムギワラ模様がメス148コフキトンボのようだ
シオカラトンボよりずんぐりして小さい128チョウトンボ
角度によって羽はきれいなメタリックに

水辺が生き物で賑やかなのは環境が元気なことを現しているようで心強い。
いつか初めて見るようなトンボと出会ってみたい。

長峰池の後、樹下美術館のcafeでお茶を飲んだ。
高田のいつもお元気な方達がお見えになっていて楽しかった。

「生きていて良かった」
「美術館をやってて良かった」

といういう話にまとまりましたね。
〝ありがとうございました〟

くびき野の枝豆畑 明日は満月 草のしずく はくたか22号。 

2014年7月11日(金曜日)

台風8号は太平洋岸をかすめるように去って消失した。しかし本日、関東内陸部の気温は上がり館林市で38度を記録したと聞いた。

当地上越市大潟は降ったり止んだりの一日。日中の気温は25度前後に推移し在宅回りなど外出も楽だった。

以下の写真は本日夕食後、晴れ間が見えたほくほく線など頸城野です。

1水田地帯だが枝豆も広く栽培されている。栽培を手伝っている人から時々頂くが非常に美味しい。

2明日満月を迎える月が昇っている。

3足下の暗がりで草に着いた雨の滴sが静かに光ってきれいだった。
この葉はとても上手に自らを広げ、沢山水滴を乗せていた。

4直江津19時33分着のくはくたか22号を見送る。

明日からの週末はしっかり晴れるようです。

 

台風を見送る庭と雲。

2014年7月10日(木曜日)

980hPaと勢力を弱めた台風は、夜半から東海、関東、と太平洋側を通過する見込み。
当地では気温、湿度ともに上がり非常に蒸し暑い日だった。
遠隔であっても局地的な大雨は油断ならないようだ。

いま美術館の庭で姫桧扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)が盛りを迎えている。
九州出の母の幼少に、行水をする傍らで咲いていたというオレンジ色の花。
長い名なので自分勝手に「行水の花」と呼んでいる。
涼しげに群れる葉から咲き出す様は如何にも夏の風情を漂わせる。

そんな夏の花たちが台風を恐れるようにひっそりさいていた本日の昼。
カフェから眺めていると、「行水の花」の傍らにある水盤でヒヨドリが水浴びをした。
雨後の曇天なのに鳥もよほど蒸し暑かったのだろう。
思い切りしぶきを上げたヒヨドリさん、「行水の花」にしてくれてありがとう。

行水の花と鳥

紅茶トーストと一緒の紅茶。百合と柏葉アジサイ今日の鉄砲百合と柏葉アジサイ。 クチナシ今日のクチナシ。キンカンに卵今春植えたキンカンにアゲハの卵?

龍を生む雲龍の赤ちゃんを産み落としているような雨雲。

本日金沢の3人の親子さんがカフェに寄らました。岩の原葡萄園で聞いてお訪ねて下さったということ。お抹茶やデッキなどの庭も楽しまれたそうで、有り難うございました。

以前から時々金沢の方がこられますが、新幹線時代を迎えて少しでもお役に立てればと思っています。

昨夜の雷 宝塚のお土産。

2014年7月9日(水曜日)

「現在23時を回り雨は上がっている。ずっと続いていた遠雷が少しずつ近づいて来た」
昨日のノートの最後にこう書いた。

実はそ後近づいて来た雷はピカピカ、ピカピカと盛んに光り激しい雷鳴を響かせると、ザーッと降り出した。
本日の患者さん達は
「寝ようとしたら凄い雷でびっくりした」
「雷で目が覚め、その後眠れなかった」と、口々に仰った。

柿崎区や頸城区など遠い方達まで、一様に言われるので広範囲の雷だったのだろう。

雷鳴の空雷光で光る深夜の雲。稲妻は写りませんでした。

宝塚のお土産宝塚歌劇を観に行った方からお菓子やメモ帳などのお土産を頂きました。
こういう華やかな物に触れると何か元気が出るような気がします、有り難うございました。

明日台風8号はいよいよ本土に接近するのでしょう。少しでも弱まることを祈りながら、雲に注目したいと思います。

一昨日のお年寄りは元気になりました。90才を越える超高齢のお年寄りの夏は毎年緊張を強いられます。

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